映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術 -2ページ目

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 柚木麻子『私にふさわしいホテル』(新潮文庫 2012 )は、文壇で名を成したいと切望する若い女性作家が、大胆さと芝居っ気を武器に、大物作家にしつこく戦いを仕掛けていくコメディ小説である。

 

 2024年に、“のん” の主演で映画化された。 

 監督:堤幸彦  脚本:川尻恵太

 出演:のん 田中圭 滝藤賢一

 

 

 新人作家の相田大樹こと中島加代子(のん)は、小出版社プーアール社の文学新人賞を受賞したが、大御所作家東十条宗典(滝藤賢一)に酷評されたため、2年間出版の機会が得られず、アルバイトで暮らす。

 

 そんなある日、執筆に集中しようと 「小説家のホテル」として名高い「山の上ホテル」に投宿する。そこへ大学の先輩である出版大手「文鋭社」の編集者遠藤道雄(田中圭)がやってきて、特別な情報をもたらす。上階の特別室に東十条宗典が翌朝〆切の原稿を書くため、カンヅメになっているというのだ。

 

 そこで加代子は一計を案じてメイド姿で東十条の部屋を訪ね、あの手この手でみごと東十条の執筆を邪魔することに成功する。

 

 東十条の原稿が落ちた穴を埋めた加代子の短編は、一躍注目を浴びる。

 当然、東十条の恨みを買うが、東十条と出遭っても加代子は知らぬふりで「白鳥氷」と名乗り、機転を利かせて大作家の鼻をあかす。

 

 さらに、編集者の遠藤と画策してペンネームを「有森樹李」に変え、まんまと文鋭社の新人賞を獲得する。

 しかしその授賞式に東十条が現われ、彼女の正体を暴こうとする――。

 

 ほんの30分観ただけでも、展開が早く、中味が濃い。

 

 加代子の東十条への怒りはほとんど逆恨みのようなもので、ちょっと受け入れにくいが、大学の演劇部で鍛えた度胸と演技力で相手を圧倒し、その場を乗り切っていく姿は、痛快でさえある。

 追い詰められてもめげずに出てくる当意即妙のアイデアと行動力から、眼が離せない。

 

 そのまま観つづけたくなるが、いったん中断し、原作を開いた。

 柚木麻子 『私にふさわしいホテル』 新潮文庫 2012 

 

私にふさわしいホテル (扶桑社BOOKS)

 

 文庫本で40ページ前後の6話で構成された一連の物語。

 読んでいくと、映画冒頭の語りやセリフはほぼ原作通りであることがわかる。

 

 しかし小説では映画と違い、加代子の最初の新人賞が不発に終わった原因は東十条ではなく、別の人物にある。

 だから、何の恨みもない東十条への攻撃は、なおさら理不尽に思える。

 

 東十条の怒りはむしろ当然だが、それに対して加代子はさらに敵意を燃やし、一流作家への階段を駆けあがるために東十条を利用していく。

 

 小説のヒット、文学賞の受賞、玉の輿のような実業家との恋愛……と、加代子は成功の階段を昇るかと思うと、思わぬ妨害に遭って墜ちるなど、東十条との間でシーソーゲームを展開していく。

 その顛末が各話で描かれていくのだ。

 

 それにしても、あるときは敵対したり、あるときはまた二人で共謀して編集者の遠藤を陥れたりなど、ハチャメチャな関係で、腐れ縁のような親密感すら見え隠れする。

 まるで、「トムとジェリー」だ。

 

 真面目に考えると加代子の行動は理解しがたい部分も多いが、それを脇において、ストーリーをただ楽しんでいくと、どんどん引き込まれて読んでしまう。

 

 小説をあっという間に読み終え、映画の続きを楽しみに観た。

 

 

 

 小説では加代子の最初の新人賞を台無しにした、本来の憎むべき相手は、東十条ではないのだが、それが映画では完全に消去され、その人物が絡む結末は大幅に変更してある。

 

 敵を東十条ひとりにしぼることでわかりやすい展開になり、東十条をターゲットにする理由も納得できる。

 そして、原作のエピソードをうまく散りばめることで、見せ場が多く、飽きが来ない映画に仕上がっていると思う。

 

 さて、この作品は間違いなく、「観てから読む」のがおススメだ。

 映画はよくできた脚本で、“のん”の体当たりの演技も見事で、わかりやすく、楽しめるコメディである。

 

 そのあとで小説を読めば、場面がどんどん浮かんで楽しく読める。

 しかも、映画に採られていないストーリーが随所にあり、より手が込んでいるので、映画を観た後でも十分に楽しめること請け合いだ。

 

 

 

 映画『とんび』は2022年公開

 監督: 瀬々敬久  脚本: 港岳彦

 出演: 阿部寛 北村匠海 薬師丸ひろ子 杏 安田顕 大島優子 麻生久美子

 

  例によってまず映画を観ていく。

 

とんび Blu-ray(豪華版)

 

 昭和30年代、広島県備後市(架空)の田舎町。

 狭い通りをオート三輪で我が物顔に走り、運送会社の倉庫でたくましく荷運びをする、28歳のヤスさん(阿部寛)。

 

 妻の美佐子(麻生久美子)とは身寄りのない同士、惹かれあって結婚した。

 ほんとうは幸せいっぱいなのに、家で新妻と向き合うのも気恥ずかしくて、心とは裏腹に毎晩飲みに行ってしまう。

 ヤスさんはそれくらい照れ屋なのである。

 

 そんな夫を心から愛し優しく見守る妻は、まもなく男の子を出産し、ヤスさんは好きな映画俳優小林旭から取って、旭と名づける。

 ヤスさんは家族のために汗水流して働き、休日には親バカ丸出しで旭を可愛がる。

 

 しかし幸せな日々は、旭が3歳のときに一変する。

 美沙子が、ヤスさんの職場の倉庫で崩れてくる荷から息子を守り、自身が下敷きとなって命を落としたのだ。

 

 残されたヤスさんは、懸命に旭を育てる。

 そんな父子をいつも気づかい、支えるのは、幼馴染でケンカ友だちの照雲夫妻(安田顕 大島優子)や、姉のような存在である飲み屋の女将たえ子さん(薬師丸ひろ子)である。

 やせ我慢のヤスさんはいつも彼らに減らず口ばかり叩くが、旭はみんなに愛されて育っていく――。

 

 30分ほど観て映画を中断し、原作小説を手に取った。 

 重松清『とんび』(2011 角川文庫)

 

とんび (角川文庫)

 

 題名は、「とんびが鷹を産んだ」という周囲の陰口、あるいはヤスさんの自嘲のことばであろう。

 

 ヤスさんは人一倍情に厚いのに、口下手で、心と正反対の行動に出てしまう、どうしようもない照れ屋で、素直になれない“やせ我慢男”である。 

 それを理解している周りの人々が、父子を温かく見守り、関わり、時には包み込むようにして、ともに旭を育てていく。

 

 そういう物語だということはわかるのだが、ヤスさんのやせ我慢ぶりがいつまでたっても変わらず、完全なワンパターンなので、私は読んでいてだんだんうんざりしてきた。

 

 物語の後半、旭が成長しいよいよ東京へ発つという朝にも、ヤスさんはトイレに籠って、とうとう最後まで見送りには出ない。

 正直、「またか」という感じで、「楽しみに次が読みたい」という気が失せ、文庫本400ページ余りは、長すぎる感じがした。

 

 しかし、そこをこらえて最後まで読み終えてみると、憎めないキャラのヤスさんの不器用な子育てが、やがて幸せな結末につながっていく感動を味わうことができた。 

 

 それから、映画の続きを観た。

 

 

とんび

 

 残りの1時間45分。

 脚本は、小説の主要なエピソードをうまくつないで展開している。

 

 とくに、小説の後半、ヤスさんが生まれて初めて上京し、東京を舞台に展開する現代の場面が、映画では、メインストーリーである旭の小学生から大人になるまでの物語と同時並行して進む。

 これは、映画独自のアレンジである。

 

 この構成だと、観客はヤスさんと旭の未来の姿を垣間見つつ、ハラハラやきもきさせるヤスさんの不器用な子育ても、安心して見守ることができる。

 効果的なシナリオの工夫だと思う。

 

 また、私がうんざりしてしまったヤスさんの“やせ我慢”の描き方も、小説とは違う。

 旭の旅立ちの朝、トイレに籠って出て来なかったヤスさんが、映画では最後の最後にトイレを飛び出し、息子の乗る車を懸命に追いかける――。

 やせ我慢の末に感情があふれる場面があるので、観ている方も気持ちが解放されるのだ。

 

 また、映画の結末では、小説のさらに先の物語が描かれる。

 観終えたあと味は爽やかで、素直に感動できる映画に仕上がっている。

 

 原作を読んだからこそわかるが、まさに観客のツボを心得た脚本と言っていいと思う。

 

 この作品もやはり、映画の最初を観てから小説を読み、後で映画の続きを観る、私と同じやり方がおススメだ。

 ただ、この作品の場合、映画の最初は1時間ほど、旭役の北村拓海くんが登場するくらいまで観てもいいと思う。

 

 

 

 門井慶喜『銀河鉄道の父』(2020 講談社文庫)は、2017年下半期の直木賞受賞作。

 

 童話『銀河鉄道の夜』、『注文の多い料理店』や『永訣の朝』、『アメニモマケズ』などの詩で知られる宮沢賢治の生涯を、父親目線で描いた小説だ。

 

 2023年に役所広司主演で映画化された。

 今回も原作の文庫本を用意しておき、まず映画を観始めた。

 

銀河鉄道の父

 監督: 成島出    

 脚本: 坂口理子
 出演: 菅田将暉 森七菜 豊田裕大 坂井真紀 田中泯

 

 明治29年、岩手県花巻で質屋兼古着商「宮沢」の若旦那として京都に買付に出ていた23歳の宮沢政次郎(役所広司)は、長男出生の電報を受け、慌ただしく帰郷する。

 待ち望んだ第一子は、父喜助(田中泯)により「賢治」と名づけられた。

 

 その後、5歳になった賢治は赤痢を発症して入院するが、政次郎は居ても立ってもってもいられず、妻(坂井真紀)を差し置いて賢治の病室で泊まり込みの看病をする。

 

 その結果、自身も赤痢にかかり、入院することに……。

 あまりの親馬鹿ぶりをたしなめる喜助に、政次郎は自分こそ「新しい時代の、明治の父親なのす」と言い返す。

 

 月日は流れ、大正3年、成長した賢治(菅田将暉)は盛岡中学を卒業し、実家へ帰る。

 しかし、跡取りのはずの息子は、質屋は農民に対する「弱い者いじめ」の商売だと、父を批判する。

 

 そんな兄を慕う妹とし(森七菜)は、今は女学校に通うが、幼いころ楽しいお話をつくっては聞かせてくれ、「日本のアンデルセンになる」と言った兄のことばを、今でも忘れない。――

 

 ひと通りの登場人物が出そろった30分ほどのところで映画を中断し、原作を読み始めた。

 

銀河鉄道の父


 

 文庫本500ページ以上あるが、読み飽きることがない。

 今まで断片的な文学史知識でしかなかった宮沢賢治の生涯が、リアルな物語として目に浮かんでくる。

 

 すると、賢治は清貧に生きたように思っていたが、資産家の家に生まれ、ある意味我がまま放題に生きた賢治の姿が、実像として見えてくる。

 

 とりわけ、結核を病んだ妹としの臨終の場面など、詩『永訣の朝』からは想像もつかない人間臭い賢治の行動が描かれる。

 おそらくは大幅な創作なのだろうが、「そうだったのか」と思わず納得してしまう。

 

 そして、一家の家長として振舞いながら、実は息子にメロメロでその希望は何でも叶えてやろうとする政次郎の心情と行動は、現代の父親像にも通ずる。

 宮沢賢治とその家族の伝記的物語の中に、現代人の心のありようが映し出されている。

 

銀河鉄道の父 (講談社文庫)

 

 

 それにしても、宮沢賢治の史実についてはかなり研究した末の仕事だろうと想像された。

 そこで、小説を読み終え、参考文献リストがあるかと思って最後のページを見た。

 

 すると、たった一言、

 「この物語はフィクションです。登場人物、団体等は実在のものとは一切関係ありません」。

 

 宮沢賢治とその家族の実名を使い、ここまで史実に沿って丁寧に書いてあるのに、“実在のものとは一切関係ありません” とは……。

 

 作家門井慶喜はおそらく、宮沢賢治の伝記的資料を読み込み、史実を知り尽くしたうえで、登場人物たちの内面に分け入り、想像力を駆使してその心のひだを描き出した。

 そこにこの作品の持ち味があり、作家の想像の自由を守ってくれるのが、「フィクション」ということばなのだ。

 

 その後、映画の続きも最後まで観たが、映画もよくできていると思う。

 そう考えると、この作品は断然、「観てから読む」のがおススメだ。

 

 映画では、明治・大正・昭和初期という時代の風景・風俗を映像で目に焼きつけながら、宮沢賢治の人物像を追うことができる。

 そして、息子へ愛に揺さぶられ続ける父の姿を、役所広司の演技で堪能する。

 

 それから小説を読めば、映画の記憶に助けられて、物語世界が “映画を観ているみたいに ”心のうちに展開する。

 そのなかで、時代の変化と世代間のギャップに戸惑いつつも誠実に生き、懸命に子どもたちを愛した父の思いを、じっくりと読み味わうことができるだろう。

 

 

 今村夏子の小説『こちらあみ子』(2011 筑摩書房)は、2022年に映画化された。

 

 作者は2019年に芥川賞を受賞した作家で、『こちらあみ子』はそのデビュー作だ。

 この作品では、太宰治賞、三島由紀夫賞を受賞している。

 

 ……が、そうとは知らずに本を用意して映画を観始めた。


 監督・脚本;森井勇佑
 出演;大沢一菜 井浦新 尾野真千子

 

こちらあみ子

 

 観る前から、発達障害の少女の物語だと思っていた。

 確かにそう言えなくもない。

 

 小学5年生のあみ子(大沢一菜)は落ち着きがなく、授業をさぼったり、さまざまないたずらをしたりしている。

 そのことは、母親(尾野真千子)があみ子を叱ることばからわかる。

 

 母親は自宅で書道教室をしており、あみ子の同級生たちも習いに来ているが、あみ子は教室への参加を許されていない。 

 年子の兄も、あみ子がいたずらをしないよう、一緒に登下校させられている。

 

 そんなある日、父(井浦新)があみ子の誕生日に使い捨てカメラとトランシーバーをプレゼントする。

 あみ子は、弟が生まれたらスパイごっこをするのだと言い、「こちらあみ子、こちらあみ子、応答せよ」とトランシーバーに話しかける。

 

 母は妊娠中なのだが、あみ子たちと生まれてくる子の年齢が離れているし、「あみ子さん」と娘を呼ぶので、父の再婚相手なのだと想像できる。

 

 そして、いよいよ母が産気づき、父の車で病院へ向かう。

 あみ子たちは、赤ん坊との対面を楽しみに待つ――。

 

 ……と、ほぼ30分観て、映画を中断した。

  

 今村夏子『こちらあみ子』(2014 筑摩文庫)

 

こちらあみ子 (ちくま文庫)

 

 読み始めると、小説の冒頭の部分を除いて、映画はほぼ原作通りに作られていることがわかる。

 あみ子の家も、映画は実際の古い戸建てで撮ったようなのに、間取りやつくりが小説どおりなので驚く。

 

 そうして読んでいくと、あみ子の無邪気な行動の結果、家族はどんどん変わっていく。

 母は魂の抜け殻になり、兄は暴走族の仲間に入って不良として名を馳せていく。

 

 中学生になったあみ子は、さっそく同級生たちに目をつけられるが、不良である兄の悪名のおかげで、いじめを免れる。
 だが、あみ子はときおりベランダからする「霊の声」に悩まされるようになる――。

 

 私は読んでいて、だんだんやりきれない気分になった。

 しかし、読むのをやめられない。

 最後まであみ子の行動から目が離せないまま、120ページほどの本編を読み終えた。

  

 現実離れした小説ではないが、リアリズムとも違う。 

 何とも不思議なテイストの小説である。

 

 そして映画に戻り、続きを観た。

こちらあみ子

  

 

 小説を読んで体験した不思議な感覚を、映像を通して再び味わっている。

 そう感じながら、最後まで観ることができた。

 

 あくまでも原作を尊重し、下手な改変を加えることなく、その世界を忠実に映像化している。

 

 ただ一か所、あみ子が歌う『おばけなんてないさ』に合わせて「おばけ」たちが登場する画づくりだけがオリジナルである。

 それが結末のアレンジにもつながってくるが、このわずかな改変は、映画としてのオリジナリティを控えめに主張している。

 

 原作を深く読み込み、その世界をビジュアル化することに徹した作品づくりの姿勢は、今まで観た映画の中で突出している。

 その姿勢を貫いて作品を仕上げた監督とスタッフの姿勢に、私は拍手を送りたい。

 

 芥川賞作家今村夏子のデビュー作であるこの小説は、「安易な解決は訪れない」という意味で、エンタテインメントとは対極に立ち、リアリティある世界を描いている。

 

 そのために、この作家は出来事を生き生きと描写し、象徴的な表現は使わない。

 だから、映像とは相性がよいのだろう。

 

 このブログでは何度か、「小説という器でしか表現できない世界」(観ながら読んだ 凪良ゆう『流浪の月』)とか、「小説というジャンルのすごさ」(観ながら読んだ 辻村深月『ハケンアニメ!』)ということを書いてきた。

 だが、この小説の場合、作家のオリジナル世界でありながら、「小説という器でしか表現できない」とは言い切れない。

 

 そのことは皮肉にも、この小説をリスペクトし、それを映像化しようと努力を傾けた森井勇佑監督のおかげで証明された。

 

 もちろん小説と映画は対立するものではなく、影響し合い、融合し、互いにその表現を高めていけばよいのだから、「映像化と相性のよい」純文学の登場は、歓迎すべきだと思う。

 

 だからこの作品、読んでから観る、観てから読む、読むだけ、観るだけ、いずれも悪くない。

 お好みの味わい方で、どうぞ。

 

 ただ、文庫本には他に『ピクニック』、『チズさん』という短編も含まれているので、今村夏子の世界にもう少しハマりたい方にはおススメしたい。

 

 

 2022年公開の映画 『ハケンアニメ』は、辻村深月の原作。

 

 監督;吉野耕平   

 脚本;政池洋佑
 出演;吉岡里帆 中村倫也 柄本佑 尾野真千子

  

ハケンアニメ! [Blu-ray]

 

 今回も小説を手元において、まずは映画を観ていく。

 

 アニメ制作の超大手「トウケイ動画」の採用面接で「王子千晴監督を超えるアニメをつくるためです」と、志望の動機を述べた齋藤瞳(吉岡里帆)。

 7年目にしてテレビアニメシリーズの監督を任されるが、9年ぶりにアニメを撮る王子監督(中村倫也)と同期放送アニメの「覇権」を賭けて対決することとなる。

 

 アニメに関心のない少女時代を送った彼女は、成人してから王子監督のアニメに魅せられ、以来、一途にアニメ愛を育ててきたのだ。

 

 なりふりかまわず作品づくりに没頭したい彼女を、プロデューサーの行城(柄本佑)は、雑誌のインタビューやフィギア制作など、周辺ビジネスの現場に引っ張り回す。

 

 齋藤監督らがつくるアニメは『サウンドバック 奏の石』。

 地方都市を舞台に、少年少女がロボットに変身する石を手に入れ、故郷を救うために戦う物語。

 

 対する王子監督のアニメ 『リデルライト』は、魔法少女ものだ。

 

 しかし、王子監督は、製作の途中で突如、行方をくらます。

 プロデューサーの有科香屋子(尾野真千子)は、内心やきもきしつつ、会社上層部には「必ず戻る」と断言し、信じて待ち続ける。――

 

 タイトルの「ハケン」は、「派遣」アニメーターのことかと思ったら、「覇権」を取るという意味だった。

 映画を30分ほど観ていったん中断し、原作を開く。

 

 辻村深月『ハケンアニメ!』 2017 マガジンハウス文庫 

 

ハケンアニメ!

 

 本編560ページと、かなりのボリュームだ。

 

 第一章「王子と猛獣使い」は、自由奔放な王子千晴監督と、彼を信じてその力を発揮させていく女房役ということばがふさわしいプロデューサー有科香屋子の物語。 

 

 第二章「女王様と風見鶏」は、齋藤瞳監督と、アニメづくりをビジネスとして成り立たせることに長けた凄腕プロデューサー行城の物語。

 冷徹と見える彼が、実は齋藤監督の最大の理解者であり、応援団なのだ。

 

 第三章「軍隊アリと公務員」は、地方都市選永市にある下請けの作画会社「ファインガーデン」のアニメーター、波澤和奈が主人公である。

 ファインガーデンでは、『サウンドバック』と『リデルライト』、両方の原画を請け負っている。

 会社の内外で、和奈は “神” 原画の書き手との評判が高い。

 

 実は選永市は『サウンドバック』の舞台のモデルであり、地元の活性化のため「聖地巡礼」企画を進める選永市の職員宗森の相談役を、和奈は会社から指示される。

 ひたすらアニメの世界に没頭する和奈には、宗森は対極にいる “リア充”そのものに見える。

 しかし、彼との関わりが、やがて彼女を大きく変えていく――。

 

 和奈は地味な役だが、実は第三章がページ数も多く、物語のクライマックスになってくる。

 そこで齋藤監督、王子監督のアニメづくりの物語がつながる。

 

 最後は選永市の祭りで『サウンドバック』の原画が彩る舟を和奈が制作し、声優美女たちと齋藤監督、和奈の浴衣姿と、絢爛豪華な「画になる」場面が展開する。

 そして、宗森と互いの思いがつながり、和奈の「リア充」は最高潮に達する。

 

 齋藤瞳監督といい、アニメーターの波澤和奈といい、人間関係のリアルを避け、自分の世界に閉じこもりがちな人物が、人々との出会いによって少しずつ成長し、リアルの世界の喜びを見つけていく――。

 

 その展開は好ましく、読んでいてけっこう共感できた。

 おそらくは齋藤監督や波澤和奈に似たところのある人々が、辻村深月の人気を支えるコアな読者なのだろう。

 

 原作を満足して読み終え、映画の続きを観た。

 

ハケンアニメ! [Blu-ray]

 

 小説でイメージして、実写で観るのを楽しみにしていた終盤の「祭りのシーン」は映画にはなく、それぞれの監督が最終話をどう考えどう締めくくるかという展開が、クライマックスになる。

 

 とくに齋藤瞳監督が自分のこだわりを貫くことで、スタッフの意気が上がって最終話の仕上げに向けて総力を尽くす。

 個人の成長に焦点を当てた原作とは違い、アニメ制作現場のチームワークが感動を呼ぶ物語になっている。

 

 また映画ならではと思ったのは、作中アニメ『サウンドバック』と『リデルライト』を、リアルに映像化したことである。

 

 映画の最終段階で、それぞれのアニメの最終話の一部が流れる。

 私は、それら(とくに齋藤瞳監督の『サウンドバック 奏の石』)を観ながら背筋がぞくぞくし、胸にこみあげてくるものがあった。

 部分映像でしかない作中アニメであっても、制作チームが声優陣も含め、真剣勝負で作ったことがわかる。

 

 さて、この作品は何と言っても、「観てから読む」がおススメだ。

 

 映画は小説よりもコンパクトなストーリーにまとまっているが、齋藤瞳監督の人間的成長を軸として、アニメ制作に情熱を燃やす人々の群像劇として楽しめる。

 

 また、映画でみごとに創造されたアニメ2作品を一部にせよ、実際に観ることができる。

 そのイメージを心において小説を読めば、アニメづくりのたいへんさもすばらしさもより実感できると思う。

 

 そして、小説では、登場人物それぞれの内面の葛藤と成長を読み味わいながら、まさに画になるクライマックス場面の感動を味わうことができるのだ。

 

 私が「画になる」と思った選永市の祭りのシーンは、それを実写で撮るとなると、ロケや大道具・小道具、エキストラを含めたキャストの動員など、予算も手間も膨大なものになるだろう。

 

 そこを作家の筆ひとつで描き、読者の心に鮮やかな映像を観せてくれる。

 小説というジャンルのすごさを、またひとつ実感できる作品と言える。

 

 

 2023年に公開された映画『スクロール』は、橋爪駿輝の小説『スクロール』(2017)が原作である。

 今回もこの作品を “観ながら読む”ことにする。

 

スクロール

 

 監督:清水康彦
 脚本:清水康彦 金沢知樹 木乃江祐希
 出演:北村匠海 中川大志 松岡茉優 古川琴音

 映画は長い幻想シーンから始まる。
 僕(北村匠海)が入っていくのはクラシカルなレストランだが、初めから夢の世界のような感覚がある。
 古びた階段を登り席に着くと、メイド姿のハル(莉子)が運んでくる料理はカップ焼きそば。

 クロゼットから雪崩を打って落ちる、未開封の母からの手紙。

 さらに店の奥に進むと、階段の下から気さくに声をかけるのは、友人のユウスケ(中川大志)である。
 
 やがて現実の世界になり、僕は大学を卒業し、就職する。
 会社では、直属の上司コダマから執拗に罵倒される。


 フォロアーが一人しかいないSNSに「コダマ、まじ死んでほしい」と書き込むが、あるとき、同僚の女子社員(古川琴音)が同じことばを口にして、会社を辞める。
 彼女は、イラストレーターの仕事をするという。

 それでも会社を辞めない「僕」が会社の屋上にいると、地面に激突して血まみれでうつ伏す自分の姿が見える。
 そんなとき、ユウスケから電話がかかり、大学時代の友人「森」が自殺したと知らされる。


 出かけた葬儀場で、森の上司が母親に土下座し、怒鳴りつけられる修羅場を目撃する。

 「会社が息子を殺した」と母親は言うのだ。
 

 最初の30分を観ただけでも、幻想感が強い。

 わかりやすいストーリーの映画でないことは明らかだ。
 とりあえず映画を中断し、原作を読み始める。

 

 橋爪駿輝『スクロール』(講談社文庫2022)。
 単行本は2017年に出ているが、映画化を機に文庫化された。

 

スクロール (講談社文庫)

 


 それぞれ視点人物が異なる5つの連作短編小説。
 登場人物は、引きこもり大学生のモボ、モボの大学の友人でテレビ局に就職したユウスケ、ユウスケの恋人菜穂、バー『とんでもない青』のママであるモガ……。

 他にもユウスケとモボの共通の友人でパワハラ上司に悩まされて会社を辞める「僕」、菜穂の友達で恋人からプロポーズされてもイマイチ喜べず初対面の男と寝てしまう「わたし」、就活に悩み恋人に裏切られる俺(草太)……など。

 
 共通の人物や彼らとつながりのある人物が登場するので、連作短編のピースがつながって、どのような真相や隠された世界が見えてくるのか、と期待して読んでいった。

 

 しかし、最後まで読んでも、巧みなしかけでそれらがつながる感動はない。

 そういう小説ではなかったのだ。
 
 登場人物たちは皆、社会の中で何か満たされないものを抱えており、その息苦しさ、逃げ出したいがどこにも出口の見えないもどかしさ、あるいはその果てにある「諦め」の日常などが浮き彫りになってくる。

 

 映画と共通した人物も登場するが、ほとんど別の物語のような気がする。

 この小説を原作としてどのような映画ができたのだろう、という興味で映画の続きを観た。

スクロール

 
、解説は映画を監督した清水康彦氏が書いている。

 

 すると、原作以上につかみどころのない映画である。

 

 僕(北村匠海)、僕の元同僚(古川琴音)、ユウスケ(中川大志)、菜穂(松岡美憂)という4人の若者それぞれを主人公とするいつくかのChapterで構成され、彼らの葛藤する姿が描かれる。

 

 僕とユウスケは原作に近いが、菜穂は結婚と人並みの幸せに執着するステレオタイプでしかなく、古川琴音が演じる元同僚は、彼らと違い自分の道を見つけて前へ進んでいく。

 いや、最後には「僕」もまた一歩踏み出すように見えるが、そこに至るプロセスは腑に落ちて来ない。

 

 映画化を機に出版された文庫版の解説は、脚本・編集も手掛けた清水康彦監督が書いている。

 

 

 

 タイトルの「スクロール」について監督は、「登場人物から別の人物へ、現在・過去・未来と、時空を超えてスクロールしていくという、本作特有の作風」と書く。

 それはなるほどと思う。

 

 また、この小説が描くのは「今までモチーフになり得なかった、その辺にいる手のかかる若者であり、この作品はそんな若い彼らを讃える人生賛歌なのだ」と言う。
 つまりこの映画は、混迷の現代を生きる若者たちに向けた監督なりのエールなのだろう。

 

 そうすると実際、映画を観た若者たちがどの程度共感してくれるのか。

 それが、監督自身が望むこの映画の評価なのだと思う。

 

 では、この作品、観てから読むか、読んでから観るか。

 清水監督は、「観たうえで改めてこの作品と向き合っていただくと、さらに面白く読めるかもしれない」と書いている。

 「改めて」とあるから、「読んで、観て、また読む」ことを期待しているようだ。

 

 そこまでしたいほど、この作品が好きになれるかどうか。

 

 

 朝井リョウの小説『少女は卒業しない』 2015 集英社文庫

 2023年に映画化された。 


 監督・脚本:中川駿
 出演:河合優実 小野莉奈 小宮山莉渚 中井友望

 

 

 今回も、小説を読む前に映画を30分ほど観る。

 卒業式の前日と当日、4人の女子高校生それぞれの揺れ動く思いと恋のゆくえを、同時並行で描く。

 

 人づきあいが苦手で、クラスで孤立しがちな作田詩織(中井友望)は、学校図書館の司書教諭の先生に思いを寄せ、秘かに勇気をもらっている。

 尊敬する先生に最後に思いを伝えたいが、なかなか踏み出せない。

 

 女子バスケットボールの部長後藤由貴(小野莉奈)は、男子バスケ部に彼氏がいるが、東京への進学を決めた由貴と地元での進学を選んだ彼との間には隙間風が吹き、互いに思いを言えないまま、卒業の日を迎えようとしている。


 軽音楽部の部長神田杏子(小宮山莉渚)は、卒業式後のライブに向けて、準備を進める。

 幼馴染の男子が率いる派手な化粧のビジュアル系バンドは、冷やかし半分の全校投票でライブのトリに選ばれるが、納得の行かない部員たちが反発する。

 しかし、幼馴染の彼の本当の歌のうまさを、杏子だけは知っている。


 家庭科部の部長山城まなみ(河合優実)は、二人分の弁当を作っては、彼氏と秘かに家庭科室で昼休みを過ごす。

 大学進学が多い中で栄養系の専門学校に進学を決めているが、先生から卒業式の答辞を頼まれ、思い悩む。

 

 まずは、4人の恋の輪郭が見えてくる。

 そこで、とりあえず映画を中断して、原作を読み始めた。

 

 

 

 同じ高校の卒業式の前後で、それぞれの思いを抱える7人の女子高校生。

 一人一人を主人公とした7つの連作短編。

 映画はそのうちから4人のエピソードを取り上げて構成したのだとわかる。

 
 7編の中で、山城真奈美の視点で語られる最後の短編『夜明けの中心』が圧巻だが、実は現在と過去が交錯し、注意深く読まないと話の流れをつかみにくい。

 途中まで読んで、「もしかしたら……」と気づくところがあって、それを確かめるためにまた最初から読み直したら納得でき、結末の感慨を味わうことができた。

 

 漫然と読み進み、読み終えてしまうともったいない。

 このような作品こそ、私の開発したイメージ読書術「カットイメージ」を活用することが有効だと思う。

  

 高校生という多感な時代を夢中で過ごした少女たちは、それぞれの未来に向けて一歩を踏み出す。

 しかしそこには、避けがたい別れの痛みが待ち受けている。

 その切ない心の揺れを描き、誰もが共感できる物語になっていると思う。

 

 満足して小説を読み終え、映画ではどのようなアレンジがされているのかと、楽しみに映画の残りを観た。

 

 小説の読者は一話完結の物語を読みながら、それらが織りなす一つの世界を頭の中に構築していく。

 それが連作短編の醍醐味だが、「読む」作業は一本道でしか進まない。

 

 その点、映画では、同じ風景と時間の中に4つの物語を同時並行して描き出すことができる。

 その強みを、この映画は遺憾なく発揮している。

 

 私なりには、「ここはこの順番にした方がもっと効果的では……」と、脚本に注文をつけたくなる点がいくつかあるが、それは、原作を読んでいるからかもしれない。

 

 

 高校の卒業式という、多くの人が甘酸っぱい記憶とともに思い出すであろう人生のターニングポイントを、誰もが共感しやすい物語として仕立てることに成功している。

 個性の異なる主人公が4人いるので、観客はそれぞれ親近感を覚える人物を見つけて、自分なりの味わい方ができるのがいい。

 

 このブログを書いている今は、3月。

 この季節に観るのにふさわしい映画だ。

 

 この作品は、まず映画を観て、それから小説を読むのがおススメである。

 そうすると、映画で少し消化不良だったエピソードの意味をより深く理解できるし、まだ知らない3つの物語と出会う楽しみもある。

 

 

 東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』 (1996 講談社文庫)。

 

 なんというベタな題名だろうと思うが、「新本格」と呼ばれる謎解きメインのミステリー小説がブームになった頃の作品である。

 それが、最近になって実写化された。

 

 映画『ある閉ざされた雪の山荘で』(2024) 

 監督:飯塚健   脚本:加藤良太 飯塚健

 出演:重岡大毅 中条あやみ 岡山天音 西野七瀬 堀田真由 戸塚純貴 森川葵 間宮祥太朗

 

 今活躍する若手俳優たちが、顔をそろえている。

 

ある閉ざされた雪の山荘で 通常版 [DVD]

 

 劇団 “水滸”の次回公演キャストとしてオーディションを通過した7人の男女。

 彼らは、劇団主宰の演出家から人里離れたペンションで3泊4日の合宿を命ぜられる。

 雪に閉ざされ、孤絶した山荘で起こる殺人事件という設定で、その謎を解いた者が主演の座を獲得するという。

 外部への連絡は禁じられ、脱落した者は出演の機会を失う。

 

 与えられた設定の中で実際に仲間がひとり、ふたりと消え、殺害の方法を書いたメモが残る。

 彼らは演出家の指示で姿を隠したと思われていたが、血の付いた凶器が見つかるに及んで、「もしかしたらほんとうに殺されているのかも……」という疑念が募り始める。

 いったい犯人は誰なのか……。

 

 まず映画を30分ほど観て、それから原作を読み始める。

 通勤電車で数日読み進めたら、その週末、読んだところまで映画を観る。

 再び小説に戻って、謎解きと人間ドラマを楽しみながら、最後まで読み切った。

 そのあとで映画の残り40分を、これもまた楽しんで観た。

 

ある閉ざされた雪の山荘で (講談社文庫 ひ 17-12)

 

 この手の小説はまず、登場人物名を覚えるのに難儀する。

 しかし、映画を観て風貌のイメージができているので、キャスト表を見て名前を確認しながら読み進めたら、頭の中ですぐ整理がついた。

 そして、物語にとっぷりと浸って謎解きのプロセスを味わうことができた。

 

 本格ミステリの醍醐味はやはり、うまく騙されることにある。

 巧妙なしかけにミスリードされて謎が深まり、結末で真相が明らかになると、パズルのピースがつながって全体像が見え、カタルシスを味わう。

 

 それだけに、小説を読み終えて観る映画も、映画を観終えて読む小説も、ネタバレしていて面白味は半減する。

 しかし、私流の「観ながら読む」方式だと、結末がわからないまま、両方とも楽しむことができる。

 また、原作に忠実に作られた映画でも、たいてい結末にアレンジを加えてあるので、小説を読み終えたあとに観る映画の残り30分は、これもまた興味深い。

 

 だがふつうは、小説を読んでから映画を観るので、自分なりにイメージした世界との違いに戸惑い、つい批判的に観てしまう。

 すると、映画を素直に楽しめない。

 

 だからこそ、私流「観ながら読む」やり方がおススメなのである。

 まず映画の冒頭30分を観てイメージを頭に入れてから小説を読み始めれば、映画の影響を受けつつイメージを作っていくので、あとで映画の続きを観ても違和感がない。

 

 小説の読み始めも、先に映画のつまみ食いでイメージを入れておけば、物語の世界にすんなりと入っていける。

 

 そうして “読みながら観た”この映画。

 探偵役の謎解き・伏線回収が冗長にならないよう、いくつか設定を変更したほかは、かなり原作通りに作られている。

 

 そして、結末は原作のテイストを活かしながら、さらに映画らしい鮮やかなエンディングが用意されている。

 それも小説を読んで真相を知っているからこそ、楽しめるアレンジである。

 

 今回の作品で、私流の「観ながら読む」方法は、謎解きミステリーの小説と映画の両方を楽しむことができる「究極の裏技」であると、あらためて実感できた。

 

 

 2023年公開の映画『エゴイスト』には、小説の原作がある。

 今回も小説を用意しておき、映画から観始めた。

 

 監督:松永大司
 脚本:松永大司 狗飼恭子

 出演:鈴木亮平 宮沢氷魚 阿川佐和子 柄本明 中村優子 ドリアン・ロロブリジーダ

 


 華やかな女性モデル撮影の現場を仕切る編集者の斉藤浩輔(鈴木亮平)。

 場面は変わり、飲み会で楽しく盛り上がる浩輔と数人のメンバーは、その話し方、話の内容から、ゲイの仲間たちであることがわかる。

 故郷の田舎町に降り立った浩輔は、ブランド服を鎧としてまとい、自分をいじめたかつての同級生たちを見下して実家に帰る。

 今は父だけが暮らすその家で、仏壇で笑う母は浩輔が中学生のときに亡くなった。


 仲間たちのつてで出会ったパーソナルトレーナーの中村龍太(宮沢氷魚)は、美貌の青年である。

 病弱な母を支えるために高校を中退し、働いてきたという。

 二人は惹かれあい、まもなく同性愛の関係になる――。

 

 

 しかし、裸の男同士が絡み合い、激しくキスをするシーンは衝撃的である。

 いつものようにジムでスロージョギングしながらiPadで観ていた私は、公衆の面前ではやばい……と、あわてて画面を変えた。

 あとは部屋で一人で、とりあえず30分まで映画を観た。

 そこでいったん中断し、小説を読み始める。

 

 高山真『エゴイスト』(2022 小学館文庫)

 

 

 映画でゲイのセックスシーンをリアルに演じていることには、正直、戸惑った。

 ゲイの世界を描いた作品だと思った。

 だが小説を読んでみると、そうではなかった。

 とても切なく、感動的な物語だった。

 

 ゲイであることは日常であり、背景であって、そこに展開する恋人同士あるいは親子の愛に変わりはない。

 主人公の愛情表現の不器用さ、そしてそんな自分を「エゴイスト」ではないかと悩む彼の誠実さに打たれる。

 

 この作品は映画化をきっかけに文庫化され、そのあとがきは主演の鈴木亮平が書いている。

 高山真はエッセイ集など複数の著書があるが、初めての小説『エゴイスト』に自身の経験を結実させた。

 しかし残念ながら、その後、亡くなったという。

 鈴木はこの映画を主演するにあたり、高山の家族、友人を訪ね、話を聞いていく――。

 

 鈴木のあとがきを読んで若くして逝った作家の遺作と知り、私は小坂琉加の『余命十年』を読んだときと似た思いにとらわれた。

 

 また、作者の遺族らに話を聞きにいくという鈴木亮平の役に向き合う真摯な姿勢に感心する。

 そして、鈴木がどんなふうに浩輔を演じるのか、楽しみに映画の続きを観た。

 冒頭部分を観たときは気づかなかったが、カット編集が少なく、長回しのシーンでできている。

 いや、よく観ると手持ちのカメラで撮影しているのがわかる。

 すると、龍太(宮沢氷魚)と母妙子(阿川佐和子)が暮らすアパートの場面など、取材のカメラが家庭に入って、日常をルポしているようなリアリティがある。

 そして、鈴木ら俳優たちのやりとりも、一般人がカメラの前でぎこちなく会話しているみたいに “自然”なのだ。

 

  著者高山真の遺した世界をそこに具現化しようと、スタッフもキャストも丁寧に、誠実に作品づくりに向き合っているのを感じる。

 

 そしてラストシーンは劇的でなく、自然でなにげない会話で終わる。

 しかしそのあとを想像させ、余韻を残す。

 奇をてらったところのない、とても優しい映画だと思う。

 

 そう考えると、「ゲイのセックスシーン」も、あるがままを描いたと言える。

 それを本気で演じている鈴木亮平と宮沢氷魚には、役者としてのプロ意識を感じる。

 

 だた、観る側にしてみると、見慣れないのでショックが大きいのだ。

 

 ふつうにあるものを隠さずにありのまま映像化した、その真摯なチャレンジをまずは称えたい。

 そしてこうしたシーンはやがて、『ホテルアイリス』の倒錯性愛場面のように、うっとりする美しい映像表現へと進化していくといいと思う。

 そんな映画がいつか出てくるのではないか。

 それが楽しみだ。

 

 この作品、やはり最初の30分か予告編を観ておいて、「読んでから観る」。

 それがおススメだ。

 葉真中顕(はまなか あき)の小説『ロスト・ケア』(2013)は、第16回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した。

 

 2023年に映画化されたタイトルは『ロストケア』。 

 

 監督:前田哲   

 脚本:龍居由佳里 前田哲

 出演:松山ケンイチ 長澤まさみ 鈴鹿央士 坂井真紀 柄本明

 

 例によって、まずは映画を観ていく。

 

ロストケア [Blu-ray]

 

 どこにでもありそうな、高齢化が進む田舎町。

 八賀ケアセンターのワゴン車で訪問介護に回る3人のスタッフ。

 ベテラン看護師の猪口真理子、新人介護士の窪田由紀、そしてハンドルを握るのはまだ30過ぎなのに白髪の介護士斯波宗典(しばむねのり・松山ケンイチ)。

 3人はお年寄りの家を訪問しては優しく声を掛け、てきぱきと身のまわりのケアをして行く。

 とくに斯波の丁寧な介護ぶりは徹底しており、新人の由紀はそれを尊敬のまなざして見つめる。

 

 一方、八賀地方検察庁の検事 大友秀美(長澤まさみ)は休日に、高級なケア施設に暮らす高齢の母と面会する。

 母はそこで快適に過ごしているようだが、その言動から既に認知症が進んでいることがわかる。

 

 ある晩、八賀ケアセンターの所長団元晴が利用者宅で頭を打って死亡しており、利用者のお年寄りも亡くなっていた。

 防犯カメラの映像から、深夜に近隣を車で走っていた斯波が容疑者として逮捕される。

 大友検事はその取り調べを担当するが、やがてケアセンター訪問先の高齢者40数人を斯波が殺害した疑いが浮上する――。

 

 30分ほど観て映画を中断し、原作を開いた。

 葉真中顕 『ロスト・ケア』 (2015 光文社文庫)

 

 

 この作品は節ごとに人物名と年月が掲げられ、その視点から描かれる。

 読んでいくと、映画で長澤まさみ演じる検事 大友秀美は、原作では男性の大友秀樹である。

 

 また、映画には登場しない大友の旧友佐久間功一郎という人物が、重要な役どころを担う。

 佐久間は八賀ケアセンターが末端に属する介護事業グループ「フォレスト」の営業部長であり、大友の父親のために系列の高級高齢者ホームをあっせんする。

 大友は認知症を患う自分の父を楽園のような施設に預けて、自らは介護問題の安全圏にいながら、地獄のような介護現場で起きた犯罪を追及することになる――。

 

 事件は2007年に起き、2011年の判決前後の場面が序章と終章に描かれている。

 序章で既に、介護現場で43人の命を奪った犯罪だと明かされている。

 しかし、その罪を犯した「彼」は、斯波とは別の視点人物になっていてやや謎めいている。

 とはいえそれも見え透いていて、そこにミステリーの巧妙なしかけはない。

 

 むしろ、介護家庭の実態が赤裸々に描かれる場面で、亡父の介護をした経験のある私には、身につまされる描写がいくつもあった。

 介護の現実を、リアリティを持って描き出している。

 だが、犯罪の動機は大方の読者が想像する通りで、物語の展開も予想の範囲内である。

 

 映画ではそっくり割愛されている佐久間功一郎の視点も含めて、小説全体として介護ビジネスの実態や介護保険制度の問題点などを浮き彫りにしているのは、見事だと思う。

 その意味で少子高齢化を迎えた現代社会への痛切な問題提起の小説であるが、どこまで裏づけを持って書いているかという疑問が残る。

 

 小説を読み終えてから映画の残りを観たが、ときどき映画もつまみ食いしていたので、ラストまで45分。

 映画なりのオリジナルな解釈や結末はあるのだろうかと、興味深く観た。

 

ロストケア [Blu-ray]

 

 映画は、介護ビジネスの一面を示す佐久間功一郎のエピソードをすべて割愛し、大友と斯波の対決を軸として進む。

 それによって斯波の犯罪が提起する問題を、より鮮明に浮かび上がらせる。

 

 見どころは斯波(松山ケンイチ)と大友検事(長澤まさみ)の取り調べのやりとりである。

 斯波は自分の正しさを譲らず、「あなたならどうするのか」と、大友の人間性にむけて容赦ない問いを突きつける。

 大友検事は個人の感情を揺さぶられながらも、検事の役割を全うしていく。

 

 そして、判決。……いや、その後日談。

 描かれるのは、権力をもって上から断罪していた検事が、容疑者の突きつけた問いに、人として同じ地平に下りて応えようとする姿。――

 

 老人介護の極限状況で露わになる、不完全な人間が生きる不完全な社会の大いなる矛盾。

 そこに救いがあるとすれば、社会正義などではなく、人と人とが互いの弱さを認め合い、許し合える、ということなのではないか。

 この映画の結末は、そう伝えているように思える。

 

 この作品は「読んでから観る」。

 それが断然、おススメだ。