映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術 -2ページ目

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 映画『キネマの神様』は、2021年公開。

 

 監督;山田洋次  脚本; 山田洋次 朝原雄三
 出演; 沢田研二 菅田将暉 永野芽郁 北川景子 寺島しのぶ 宮本信子 ……

 

キネマの神様

 

 当初、志村けん主演で撮影を進めていたが、ご承知の通り志村は新型コロナに感染して亡くなった。

 急きょ、沢田研二を主演に据えて撮影を再開したが、緊急事態宣言などに阻まれて製作は難航。2021年ようやく完成して公開に漕ぎつけた、松竹映画100周年記念作品である。

 

 一方、原作は、原田マハ『キネマの神様』 文春文庫 2011年。

 

キネマの神様 (文春文庫)

 

 例によって映画を30分ほど観てから小説をしばらく読み、また映画を少し観てから、小説に戻って最後まで読んだ。 そのあとで、映画の残りを全部観た。

 

 80代の高齢になっても競馬や賭け麻雀に溺れ、借金を作っては懲りない父(沢田研二)。

 父母に穏やかな老後をと願う娘(寺島しのぶ)は、母(宮本信子)を説得して借金の肩代わりをやめ、父をギャンブル依存から立ち直らせる計画を立てる。

 その父がギャンブル以外に打ち込める唯一のものは、映画だった――。

 

 物語の発端は共通点が多いが、途中からかなり異なる展開になっていく。

 

 映画では、撮影所を舞台にした若き日の父と母の秘めたる物語、ロマンティックで一途な純愛ストーリーが展開する。  

 実はそれこそ、山田洋次監督が想像力を発揮して創造した世界なのだ。

キネマの神様

 

 原田マハの原作では、インターネットの「ブログ」を通じた「映画愛」の広がりが、父親の身に奇跡を起こす。 

 文庫は2011年刊だが、雑誌連載、単行本は2008年で、その時代を背景にしている。

 

 インターネットにつなぐのはパソコンが主流だった当時、アクセス数を競うのは「ブログ」だったのだ!

 スマホが普及し、投稿動画が人気を集める今では、ここに描かれた「ブログでヒット!」の世界は、妙に古臭く見える。

 

 皮肉なことに、時代の最先端をいくメディアを取り入れた小説『キネマの神様』が、古びてしまうのは早い。

 その一方で、映画人たちの古きよき時代を描いた映画『キネマの神様』は、観る者の心にノスタルジーを呼び起こし、いつまでも色あせない。

 

 だから、今回、「観てから読む」のはおススメしない。

 この組合せは、断然、「読んでから観る」べきだ。

 

 原田マハが創造した映画愛の奇跡の物語は、それを単体として純粋に楽しむ。

 

 そして映画では、山田洋次が思い描いた古きよき映画づくりの世界を堪能する。

 それは文句なく感動できる、素敵な物語である。

 東野圭吾のガリレオシリーズは好きで、テレビドラマ(第1シリーズ)も見ていたし、前2作の映画、『容疑者Xの献身』と『真夏の方程式』も観た。

 しかし、小説で読んだのは『聖女の救済』くらいか。

 映画を観た2作も、原作は読んでいない。

 

 東野圭吾の小説を読んだのは15冊ほどだが、多くの場合、善良な人々が犯罪に手を染めてしまう哀しさが、謎解きの末に待っている。

 その切なさを味わうのが好きだ。

 

 今回、AmazonPrimeVideoで、ガリレオシリーズの最新作『沈黙のパレード』が見放題になっていたので、いよいよ「観ながら読む」でガリレオの世界を楽しめるとワクワクした。

 さっそく原作を取り寄せておいて、映画を観始めた。

 

 2022年公開  監督;西谷弘、脚本;福田靖

 出演は言うまでもなく、福山雅治、柴咲コウ、北村一輝 ……

 

沈黙のパレード

 

 年に一度の仮装パレードが有名な東京都下の菊野市(架空)。

 家族経営の食堂「なみきや」は地域の人々に愛され、常連客が集う。

 なみきやの上の娘並木佐織は、歌の才能を見出され、皆に応援されて、歌手デビューにむけレッスンに励んでいた。

 

 しかし、バラ色の将来を夢見ていたはずの佐織は、ある日突然失踪し、3年後に静岡県の火事現場から焼死体で見つかる。

 容疑者として逮捕された蓮沼寛一は、15年前にも幼女誘拐殺害の容疑で起訴されたが、終始黙秘を貫いて無罪となった男である。

 当時の担当として無念の涙を吞んだ草薙刑事(北村一輝)は、今度こそはと内海刑事(柴咲コウ)とともに状況証拠を固めるが、今回も蓮沼は黙秘を貫き、起訴見送りとなる……。

 

 そのころ、菊野市の研究施設に通う物理学者の湯川教授(福山雅治)は、なみきやでしばしば食事をし、地域の人々と触れ合う。

 そしてパレードの日、湯川はなみきやの下の娘に誘われて見物を楽しむが、実はその時間帯に、蓮沼寛一は何者かによって殺害されていた――。

 

 なみきやの家族をはじめ、彼らを愛する地域の人々の多くに、殺害の動機がある。

 湯川は、彼らのためにこそ、事件の謎を解こうとするが――。

 

 映画を30分ほど観て、原作を読み始めた。

 東野圭吾『沈黙のパレード』(文春文庫)。

 

沈黙のパレード (文春文庫 ひ 13-13)

 

  映画化で上掛けしたカバーは、同じ写真でつまらない。

  そのカバーを外したら出てきたオリジナルの表紙はこちら。

沈黙のパレード

 

  ぱっと見にはよくわからないが、シュールなイラストで、じっくり見るとおもしろい。

 「仮装パレード」のオマージュであろう。

 

 さて、小説は480ページで読み応えがあるが、福山雅治はじめ映画のままのイメージで、どんどん物語の世界に入っていける。

 途中、また映画に戻って30分ほど半分近くまで観たので、パレードの場面などリアルな映像をチャージして、さらに読み進めることができた。

 

 タイトルの「パレード」は、菊野市の仮装パレードを意味しているが、パレード自体はにぎやかで楽しい。映画では見どころのひとつだ。

 

 「沈黙」の意味は、物語が進むにつれていろいろな場面で、いろいろな人物の「沈黙」として多面的に見えてくる。

 まさに「沈黙のオンパレード」。

 

 この事件の真相は、湯川の言うように「複雑なパズル」だ。

 構成するピースが多すぎて、それが何重にも交錯している。

 一度見えたと思った真相の奥に、まだまだ謎が隠れている。

 

 湯川はその謎を科学者の眼で推理し、内海と草薙の協力を得て検証していく。

 そして見えてくる真相は……。

 

 しかし、湯川の行動は、自分を温かく迎え入れてくれた地域の人々への感謝に満ちて、限りなく優しい。

 今回もまた、悪意なき人々の犯す罪が、哀しくも切ないのだ。

 

 小説を満足して読み終え、映画の残り半分も実写の迫力を堪能することができた。

沈黙のパレード

 映画のできばえも見事である。

 

 ただ、複雑なパズルの謎解きを楽しみ、その先に見えてくる感動を味わうには、やはり映画を途中まで観てイメージの材料をインプットしてから、原作を読むのをおススメしたい。

 

 

 ビジネスマン経験のない私は、池井戸潤の小説はあまり読まない。

 ドラマもほとんど観たことがないが、前々回、『アキラとあきら』を “観ながら読み”して、いいなと思った。

 そこで今回は、池井戸潤『七つの会議』(集英社文庫)を、“観ながら読む”ことにした 。

 

七つの会議 (集英社文庫)

 

 こちらは同じ文庫の映画化バージョンの表紙。

 野村萬斎は映画『陰陽師』以来好きだが、歳をとってさらにいい味が出てきたと思う。

 

七つの会議 (集英社文庫)

 

  映画は2019年公開

  監督:福澤克雄      脚本:丑尾健太郎 李正美

  出演:野村萬斎 香川照之 及川光博 朝倉あき ……

 

     ジャケットの顔写真を見ただけでも、豪華キャストである。

  この他、友情出演?で、土屋太鳳や役所広司までちらりと顔を出している。

 

七つの会議

 

 映画も小説も、冒頭は中堅機器メーカー東京建電の営業会議のシーンから始まる。

 営業1課と2課の社員全員が緊張する中、営業部長の北川(香川照之)は、激しい形相で檄を飛ばす。

 月間のノルマを達成できず、北川から厳しく叱咤される営業2課長原島(及川光博)。

 対照的に、営業1課長坂戸(片岡愛之助)は、期待以上の成果を称賛される。

 

 そうして会議は終わるが、営業1課の席に、なぜか居眠りをしている男が一人……。

 北川部長と同期だが、出世コースを外れた万年係長、八角民夫(やすみたみお 野村萬斎)である。

 

 最低限の仕事しかせず、好き放題にふるまう八角への怒りを腹に据えかねて、あるとき課長の坂戸は、彼を激しく叱責する。というより罵倒する。

 すると八角はそれをパワハラだとして倫理委員会に告発し、坂戸は課長を解任されて閑職に追いやられる――。

 誰も予想していなかった厳しい処罰に、社内では戸惑いが広がるが……。

 

 映画の初めを30分ほど観て、文庫本を読み始めた。

 小説は8つの連作短編の形をとりながら、やがてそれらのピースがつながって東京建電という中堅企業(大企業ソニック〈映画ではゼノックス〉の子会社)における大事件が見えてくる。

 オムニバス形式で短編ごとに主役が代わり、東京建電という会社を、それぞれの視点から浮き彫りにしていく。

 

 たとえば、自分の仕事の意味に悩んで退職を決めた浜本優衣(朝倉あき)は、せめて最後に誰かの役に立ちたいと、残業社員のための「ドーナツ無人販売コーナー」の企画を提案し、試行を認められる。しかし、何者かの無銭飲食が絶えず、頭を悩ます――。

 

 実は彼女の存在が、組織の論理に翻弄される男たちの物語を、程よい距離で客観的に眺める視点を与えてくれる。

 映画の中でも、ギラギラした男たちのドラマの中で、唯一共感しやすく、ホッとさせてくれるキャラクターである。

 

 各短編の主人公以外にも、北川や坂戸など主要登場人物は、その生い立ちや入社のきっかけから今の地位に至るそれぞれの人生や思いが、丁寧に描かれている。

 しかし、それぞれの思いをもって懸命に仕事をしている彼らが、やがて大きな組織の渦の中に巻き込まれていく。

 

 その中で八角(通称ハッカク)は、一人出世競争から外れて、飄々と万年係長の座に安住しているように見える。

 だがそれは、「組織の論理」に早くから絶望した彼が選んだ、ギリギリの生き方だったのだ。

 

 だから彼には、どうしても譲れない一線があった。

 そして、顧客や社員をないがしろにして顧みない「組織の論理」に、敢然と立ち向かう道を選ぶ――。

 

 組織の中で将棋の駒のように生きざるを得ない大半の人々にとって、流れに掉さす八角の生き方は、“あり得ない” が、“あり得てもいい” と心のどこかで羨望する会社員の姿なのではないか。

 

 小説を読みながら一度、映画の続きを30分ほど観たが、そのあとは小説に戻って最後まで読み終えた。

 それから、映画の残りを観た。

 

 連作短編のそれぞれの視点から描かれていた物語を、映画ではひとつのストーリーとしてうまくまとめている。

 

 小説の終盤、会社の危機の中で組織の防衛と自らの保身のために動く経営層の動きが、リアルに描かれる。

 ビジネスの世界を知る人なら、これは “さもありなん”とうなづく展開なのだろうか。

 映画では単純化されているが、その分テンポがよくコミカルさもあって、結末は楽しめる。

 

 しかし、最後に八角の語ることばが、日本の会社組織の体質的な闇を的確に言い当て、問題提起で終わっている。これは小説にはない趣向である。

 

 連作短編形式の小説は読みやすく、おススメだ。

 また、それをひとつの物語にまとめた映画の脚本もよくできていて、終始、飽きさせない。

 

 だがこの物語、ビジネスの世界にいる皆さんには、どう見えるのだろうか。

 

 

映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単! イメージ読書術

 

 

 佐藤正午『鳩の撃退法』 小学館文庫(上・下)。

 上下巻で文庫本約1100ページある。

 これを今回も “観ながら読む”で攻略する。  

 

鳩の撃退法 上 (小学館文庫)

 

 映画は、2021年公開。

 監督;タカハタ秀太  脚本;藤井清美 タカハタ秀太

 出演;藤原竜也 土屋太鳳 風間俊介 

 

鳩の撃退法

 

 まず映画を30分ほど観て、それから小説を読み始めた。

 

 かつて直木賞作家として名を上げた津田伸一(藤原竜也)は、なぜか落ちぶれ、北陸のある街でデリヘル嬢の送迎ドライバーをしている。

 

 この街で起きる、若い夫婦と幼い娘一家三人の蒸発事件。そして偽札の発見。

 その陰に見え隠れする、“本通り裏”の人物の存在。

 

 津田はそれらの事件の目撃者であり、関与者でありつつ、小説家としてその物語を書き綴る。

 事件が起きたその夜と、1年余後に小説を書き始める「今」、そして東京の片隅でバーテンダーをしつつ編集者鳥飼なほみ(土屋太鳳)に原稿を売りつける「今」とが、交互に展開していく――。

 

 ……と、ふり返って書いてみたが、映画を30分観ただけでは、物語の発端となったエピソードの断片が流れていくが、ストーリーはうまくつかめない。

 とりあえず映画を中断して、原作小説を手に取った。

 

 すると、これがまた独特の回りくどい文章。

 簡潔に事実だけを描写すれば数行で済むものを、あれこれ無駄話のような語りが入りつつ、1ページに膨らんでしまう、そんなタッチである。

 だからページ数を費やしても、物語は同じところを堂々めぐりしながら、少しずつしか進まない。

 

 これが文庫本上下巻1100ページの正体だったか……

 と思いつつも、この癖の強い文体になぜかハマっていく自分がいる。

 これは不思議な感覚だった。

 

 とはいえ、通勤電車だけの読書時間では、やはり読み終えるまで日がかかる。

 そこでときどきジムで走りながらの iPadで、映画を2~30分、読んだところまで観る。

 まさに “観ながら読む” で、上下巻を読み終えた。

 

 …… 確かにおもしろい。

 最後の方は過去の場面を新たな視点から語り直していくので、伏線がつながる予感がムズムズとしてきた。そこで、上下巻を持ち歩いて前の方を読み返し、事実関係を再確認しながらワクワクと読み進めた。

 すると、思った通りではなかったが、それだけテキストを読み込んでも逆にわかりきらないもどかしさが、強烈な余韻として残った。

 

 事件の真相らしきものは津田の小説として語られるが、それが真相かどうかはわからない。

 1100ページでさんざんことばを費やしても、逆に語られない謎がある。

 そこを読者の想像で埋めさせていくしかけになっているのだ。

 

 こんな小説、読んだことない!

 

 映画の残り30分余りもそのあとに観終えたが、やはりおもしろかった。

 原作小説の不思議なテイストを映像化することに成功していると思う。

 

 ……と言いたいところだが、今回ばかりは小説と映画を少しずつ交互に読み進めたので、頭の中で小説の世界と映画の世界が癒着したように一体化しており、分離できない。

 だから、映画だけを客観的に評価することは不可能だ。

 

 なんとも不思議な物語体験になってしまった。

 しかし、その体験自体がおもしろく、佐藤正午が構築した物語世界を存分に楽しむことができたと思う。

 

 これもAmazonPrimeVideoで、いつでも映画を観られるおかげだ。

 この “チャンポン読み”、よろしかったらお試しあれ。

 

 

 

  池井戸潤の小説『アキラとあきら』。

  今回も映画を途中まで観てから、小説を読むことにする。

  映画は2022年公開 監督;三木孝浩 脚本;池田奈津子 主演;竹内涼真 横浜流星

 

アキラとあきら

 

 山崎瑛(あきら・竹内涼真)は少年期に父親が経営する町工場の倒産を経験し、父を見捨てた銀行を嫌悪して育つ。

 しかし、高校時代、父の勤める会社の経営改善のために親身になり自分の進学の道も応援してくれた誠実な銀行員と出会い、進むべき道を見つける。

 

 一方、大手海運会社東海郵船社長の長男に生まれた階堂彬(あきら・横浜流星)は、父の後継ぎとして期待されていたが、同族経営の会社を継ぐことを嫌い、一般企業への就職を目指す。

 

 同じ響きの名前を持ちながら、対照的な境遇に育った二人は、ともに東大経済学部を卒業し、同じ産業中央銀行に同期で入社する。

 二人がライバルとして闘う物語か、と想像するのが自然だが、必ずしもそうではない。

 

 確かに産業中央銀行の新入社員研修会のチーム対抗で最優秀の二人が対決する場面は、映画の最初の見どころだが、以後、彼らが競ったり火花を散らしたりする場面はない。

 二人は同窓で同期入社でありながら親密な様子もないが、互いに優秀さを認めてリスペクトしつつ、それぞれの信ずる道を歩んでいるように見える。


 山崎瑛が担当する町工場の倒産が確実になると、融資本部長(江口洋介)は社長が娘の手術代として貯めていた預金まで差しさえようとする。瑛は上司の裏をかく行動に出てその預金を守り、地方支店に左遷される。

 

 一方、階堂彬は本社で順調にキャリアを重ねていくが、父が病に倒れると、社長を継いだ弟龍馬は、系列会社社長である叔父たちの口車に乗せられて、赤字の大型リゾート施設への高額融資に連帯保証をしてしまう。

 

 ……と、2時間余の映画の前半1時間ほどを観て、いったん中断した。

 そして、原作小説の文庫版を手にした。

 

アキラとあきら (徳間文庫)

 

 池井戸潤『アキラとあきら』 徳間文庫 2017。 

 しかしこの本、厚みは2.5㎝、約700ページ。まさに圧巻の長編小説である。

 

 読み始めると、二人の生き方を決めたそれぞれの少年期のエピソードとその心の襞が、丁寧に描かれている。

 とくに、債権者に追われる父と離れて母親の実家に身を寄せる瑛少年の不安な気持ちや家族に寄せる思いが切ない。

 

 一方、彬は幼いころから先代社長である祖父のそばで経営者たちの姿を見て育つが、祖父の死に伴い、父と叔父たちの血縁ゆえの確執を目の当たりにする。

 

 これらの記憶が、第一線のバンカーとなった二人の運命に大きな意味をもってくる。

 読んでいる私たちも、これらのエピソードの積み重ねがあればこそ、瑛と彬に共感できる。そして、その後大きく展開していくドラマの中に、彼らの人間的成長を実感して心動かされる。

 

 会社経営や銀行融資に詳しくない私でもわかりやすいスリリングな展開で、見事な解決にカタルシスと感動を味わい、結末シーンの余韻に浸ることができた。

 読み終えてみれば、700ページは決して長くない。

 そして、映画の後半を楽しみに観た。

 

 映画の後半、1時間余の展開は実に見事だった。

 原作と同じ東海郵船グループの経営危機をめぐる、手に汗握るストーリーが、テンポよく展開する。

 小説ではよくも悪くもさめた距離感にいる瑛と彬だが、映画では互いに強い口調で相手の価値観に踏み込む場面も出てくる。

 

 また、クライマックスの解決策は同じだが、小説よりもさらにもう一段、立ちふさがる壁。

 そして、原作とはまた違うラストシーン。

 二人の宿命の糸が時間を超えて交わる瞬間、並び立つ瑛と彬の姿は、あまりにかっこよすぎる。

 

 原作小説は人物の心情的なリアリティで読み応え十分だが、映画はわずか2時間でスリリングなビジネスドラマの中に感動的なヒューマンドラマを味わえる。

 映画を観て気に入ったら、ぜひ原作小説で細部のリアリティと心情描写を楽しむことをおススメしたい。

 

 

 『罪の声』を読んで(観ながら読んだ 塩田武士『罪の声』)、私がその実力を買っている作家塩田武士が、主人公に俳優大泉洋を“あて書き”したという小説『騙し絵の牙』(2019 角川文庫)。 

 表紙はもちろんだが、各章の扉絵に大泉洋の写真が使われ、文庫解説も大泉洋である。

 

 映画は2021年公開、吉田大八監督。

 主演はもちろん大泉洋、他キャストは松岡美優、宮沢氷魚、池田イライザ、佐藤浩市、木村佳乃、國村隼など。

 

騙し絵の牙

 

 例によって“観ながら読む”つもりで、文庫本を用意しておき、まず映画を観始めた。

 文芸誌『小説薫風』で名高い薫風社を舞台に、創業社長の突然の死によって起こる、経営層の主導権争い。

 その中で新社長は経営を優先し、『小説薫風』を月刊から季刊に格下げする。

 

 『小説薫風』の若手編集者高野恵(松岡美優)は、季刊化に伴う人事で編集から外されかけるが、カルチャー誌『トリニティ』の編集長速水輝也(大泉洋)に、小説編集への情熱を買われて引き抜かれる。

 速水と高野は、雑誌の目玉となる連載小説の企画を考え、その実現のためにそれぞれに奔走する。

 

 彼らの企画がそろそろ見えてきたころ、映画をいったん中断した。

 1時間50分の映画の前半、50分ほどのところである。

 予定通り、ここから文庫本を開いて読み始めた。

 

騙し絵の牙 (角川文庫)

 

 しかし読んでいくと、速水や高野など人物名は同じだが、内容はかなり違っているので驚く。

 

 薫風社内の権力闘争というより、経営層から『トリニティ』の廃刊をチラつかされた編集長の速水が、社内外の人間関係の中で四苦八苦する様子が、リアルに描かれている。

 映画では硬軟の手を使い分けて対等に渡り合っていた大御所作家二階堂大作に対しても、速水は常に顔色を伺い、いかにご機嫌をとって案を通すかに腐心する。

 その努力は涙ぐましく、痛々しくさえある。

 そこには、出版不況の深刻さが赤裸々に浮き彫りにされている。

 

 しかし、そうした中でも速水は「いい小説を出したい」という信念を捨てず、状況を読み、頭をフル回転させて、当意即妙の手を繰り出す。

 そうして人の心を動かし、自分の信ずる道を実現していく。

 そんな速水のイメージに、大泉洋はピッタリである。 

 また、その部下である有能な編集者高野恵も、映画通り松岡美優のイメージで読んでいける。

 

 ……と思っていると、映画ではあり得ない速水と恵のベッドシーンが展開する。

 大泉洋と松岡美優でイメージしていて読んでいたので、ドギマギしてしまった。

 松岡美優ファンは、ご注意あれ。

 

 それにしても塩田武士は力のある作家だと、あらためて感じた。

 デジタルの普及、急速な書籍離れの中で起きている出版業界の実情を丁寧に取材し、書き込んでいる。

 そして、そこに情熱をもって働いてきた人々の苦闘を、リアルに描き出す。

 

 また、『騙し絵の牙』というタイトルに込められた意外な展開も見ものである。

 思い込んでいたストーリー、人物像が、あるとき騙し絵のように反転する。

 地と図が入れ代わって、新たな絵が見える。

 と同時に、人物への理解が奥行きを見せ、深みを増す――。

 見事と言うほかはない。 

 ひじょうに満足して、原作を読み終えた

 

 そして、映画の残り後半を楽しみに観た。すると……、

騙し絵の牙

  やはり小説とはまったく違う。

 しかも、前半で仕込んでおいたネタが次々と炸裂し、息もつかせぬ展開になる。

 一瞬の逆転劇が何度も続き、誰が勝者かは最後までわからない。

 

 飽きさせない映画という意味では、よくできた脚本だ。

 もちろん作り話の世界ではあるが、斜陽の一途をたどるように見える出版界でも、大胆な発想を持てばこれだけのことができる。そういう意味でもおもしろい。

 

 『騙し絵の牙』という小説と映画、これは全く別の物語として、それぞれに楽しめばよい。

 いずれも、それぞれのメディアの長所をよく活かした作品に仕上がっている。

 読んで、観て、損はない。

 

 ただ、大泉洋というキャラクターは、本人が演じた映画よりも、“あて書き”された小説の方が似合っている。

 そう感じるのは、やはり私たちのイマジネーションの力であるし、小説家塩田武士の筆の勝利であろう。

 

 

 島本理生の直木賞受賞作『ファーストラヴ』。

 

 

 映画は、2021年公開、監督堤幸彦、出演は北川景子、中村倫也、芳根京子。

 

 美貌の大学生聖山環菜(芳根京子)は、キー局アナウンサーの採用試験を受けた直後に、著名な画家である父を包丁で刺殺し、逮捕された。

 しかも、捜査関係者に「動機はそちらで見つけてください」と語ったと、センセーショナルに報道された。

 彼女の心理に関心を持ち、本を執筆するという企画を受けた公認心理師の真壁由紀(北川景子)は、夫の弟で弁護士の庵野迦葉(あんのかしょう 中村倫也)とともに、事件の謎、そして環奈の心の闇に迫っていく――。

 

 この作品、まず映画を30分ほど観てから、小説を読み始め、半分ほど読んだところでまた映画を途中まで観て、後は小説を最後まで読み終えてから、映画の残りを最後まで観た。

 

 由紀、あるいは迦葉が、拘置所の面会室で聖山環奈とアクリル板越しに話す場面がくり返される。

 環奈の語ることばはあいまいであり、ときに取り乱す。

 

 環奈の心の闇、それをもたらした家族の暗部が予感される。

 また、義理の姉弟である真壁由紀(小説では一人称の「私」)と迦葉の間にも、禁断の過去が想像される。とくに小説において。

 
 いずれも、過去の深刻な罪や過ちが隠されているではないかと、嫌な予感がある。

 好きなタイプの物語ではないかも……と思いながら、展開を負っていく。

 

 また私は、主人公の真壁由紀をどうも好きになれない。

 彼女はマスコミに好んで出演し、「カウンセラーとして有名になりたい」と言う。

 そんな人に誰が自分の悩みを打ち明けたいと思うだろうか。

 

 由紀(「私」)の資格は、小説では臨床心理士、映画では公認心理士となっているが、公認心理士は2018年に認定が開始されたからだ。

 それまで心理系でもっとも信頼性の高かったのは臨床心理士だが、公認心理士は初めての国家資格である。

 

 いずれにせよ、心理士の有資格者であるはずの由紀が、環奈との対話では、相手のことばを受け止めず、すぐ疑問を呈したり、理由を問い詰めていく。

 これは、カウンセラーの「聴き方」ではない。

 さらに、すぐ感情を露わにする。

 そんな役に北川景子はピッタリなのかもしれないが、私はどうも苦手なタイプである。

 

 そんなことを思いながら、小説を最後まで読み、映画も最後まで観終えた。

 

 結果として、隠されていた真実が結末で明らかになり、スパッと解決、という話ではない。

 かといって、深刻な悲劇を暴いて終わる話でもない。

 

 実は謎解きの真相は、展開の中で少しずつ明かされていたことがわかる。

 だから、結末で一気に……という感動はない。

  

 その代わり最後には、主要人物たちが勇気をもって一歩前に踏み出す姿が描かれる。

 それによって、過去を乗り越え、次の人生へと進んでいく。

 

 結末の後味が読めないまま、結末に少し嫌な予感を持ちながら読んでいったら、そうではなかった。

 いい意味で裏切られたが、それが筆者の意図的なミスリードだとすれば、このブログの読者には、一種のネタバレをしてしまったかもしれない。

 

 しかし、結末の後味が悪いのではと、この作品を読む(観る)ことをためらう向きには、安心していただく材料を提供できたのではないかと思う。

 

  映画の結末部分、私は小説を読んでいるのでよく理解できたが、映画だけ観たらどんな印象を持つのだろうか。充分には想像できない。

 もし映画を観て、結末が腑に落ちないという方には、小説を読んでみることをおススメする。

 

 ところで、映画のエンディングに流れてきたのは、私にとってはうれしいことに、聴きなれたUruの曲。

 あ、この曲がテーマだったのか、と思ったら、曲名は確かに『ファーストラヴ』だと前から知っていた。

 なるほど……と、つながった。

 

 

 

 2022年のアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』(監督・脚本;濱口竜介 2021)。

 Amazon Prime Videoの見放題に出ていたので観ようと思い、まずは原作を取り寄せた。

 村上春樹の短編集『女のいない男たち』。

 『ドライブマイカー』はその冒頭の一編で、わずか50ページほどしかない。

 

 そんな小品を原作にして、3時間近い映画ができている。

 映画は原作を下敷きにしつつ、想像を広げて独自に構築した物語なのだろう。

 そう思いながら、映画を観始めた。

 

 出演は、西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、岡田将生……。

 

 舞台俳優で演出家の家福(西島秀俊)は、脚本家の妻(霧島れいか)と二人きりの睦まじい生活を送っているが、妻はベッドの中でときおり、頭に浮かんだ不思議な物語を話す。

  

 二人には娘がいたが、幼くして亡くなった。

 その悲しみを乗り越えて、今の二人の暮らしがある。

 

 あるとき家福は、妻が若手の俳優と自宅でベッドをともにしている光景を目撃してしまう。

 だが、家福は妻を問い詰めることはせず、今まで通りの生活を続ける。

   しかしその妻は、くも膜下出血で突然、逝ってしまう――。

 

 何か予感があって、そこで一度、映画を中断し、小説を数ページだけ読んでみた。

 すると、やはり妻が死んだことは既定の過去で、そこから物語が始まっている。

 

 このまま小説を読んでしまうと、きっとネタバレになって映画の興を削ぐぞと思い、本を閉じて、映画を最後まで観ることに決めた。

 

 映画を再開してまもなく、家福が真っ赤な愛車のサーブ(SAAB スウェーデン車)を長距離運転し、市内へ入ったところで、音楽とともにキャスト、スタッフのテロップが流れる。

 案の定、ここからが本編の始まりだった。

 

 妻を亡くして2年後。

 家福は演劇祭の参加作品、チェーホフ作『ワーニャおじさん』の監督を引き受ける。

 広島に2ヶ月滞在して、俳優のオーディションから稽古、本番まで取り仕切る仕事だ。

 

 家福は毎日気持ちをリセットするために、劇場から離れた海岸のホテルをとり、愛車で往復する予定だった。

 しかし、演劇祭を主催するプロモーターの規定で、万一の事故のリスクに備えて本人の運転は禁止され、ドライバーを雇わなければならないとわかる。

 紹介された女性ドライバー渡利みさき(三浦透子)は、無口で愛想はないが、運転は抜群にうまい。彼女の運転ぶりを見て、家福は愛車を任せることにする。

 

 オーディションに応募してきた若手俳優高槻(岡田将生)は、実は妻がかつて夫に隠れて肉体関係を持っていた男の一人である。それを知ったうえで、家福は彼を主役のワーニャに起用する。

 

 舞台のキャストは日本人だけでなく、稽古は中国語、韓国語、さらに韓国語手話と、多彩な言語で展開する。(もうひとつ欧州系の外国語が出てくるが、確認できず)。

 

 その稽古の毎日、行き帰りの車の中で、家福は妻が吹き込んだ『ワーニャおじさん』のセリフのテープを相手に、自分がかつて演じたワーニャのセリフを暗唱する。

 それが舞台センスを維持するための習慣だった。

 

 渡利みさきは分をわきまえ、雇われドライバーに徹して何も言わないが、家福は問わず語りに少しずつ妻の話をする。

 そして、妻の不倫相手だった高槻とも酒を飲みながら妻の思い出話をするようになるが、秘密を隠し持った同士の本音の探り合いにも見える。

 

 舞台の準備とともに進行していく物語は、淡々としているようだが、退屈することがない。 

 

 やがて、寡黙な渡利みさきも少しずつ自分の過去を語り、家福との間には癒えない痛みを抱える同士の静かな共感が流れるようになる――。


 物語の終盤、クライマックスとなる舞台の場面。

 無言の中、手話で語られるセリフが、深く心に沁みる。

「ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう」――と。

 

 観終えて、いくつかの場面が映像的にも心情的にも強く印象に残っている。

 いい映画を観たと、素直に言える作品だった。

 

 

ドライブ・マイ・カー インターナショナル版

 

 さて、映画を観終えてあらためて村上春樹の原作を手に取った。

 映画のまま、西島秀俊、三浦透子のイメージですんなりと作品世界に入っていける。

 設定の小さな違いはあるが、軸となる家福と渡利みさきの距離感は基本的に同じである。

 

 演出家の家福は、死んだ妻の不倫の事実について知らないふりを続けたことに、深い後悔を抱いている。

 毎日のドライブの中で無口で運転に徹するみさきが、鏡のように家福の心を写しだしていくのだ。

 

 それだけのシンプルな物語である。

 渡利みさきの生い立ちにも何かが予感されるが、語られることはない。

 その分、想像の余地が大きい。

 

 この思わせぶりな短編に、濱口竜介監督は想像を掻き立てられたのだろう。

 ちょうど小さな貝殻の欠片が核となって美しい真珠ができていくように、想像の世界が膨らみ、やがて結晶化する。

 そして濱口監督は脚本を書き、スタッフ、俳優たちを集めて、この映画を創造した。

 

 小説家村上春樹と、映画監督濱口竜介。

 優れた表現者たちの幸運な出会い、深い響き合いによって、この映画は生まれたのだと思う。

 

 この作品、私のように「観てから読む」のがおススメだが、このブログを読んだ後なら、「読んでから観る」のも悪くない。

 監督の想像の翼が豊かに広がっていく様を、実感できるかもしれない。

 

 

 

 

 塩田武士『罪の声』(2016年刊。2019年講談社文庫刊)は、グリコ森永事件(1984~85)の真相に迫る小説である。

 

 前回、映画を半分ほど観て、小説を読んだ。

 観ながら読んだ 塩田武士『罪の声』【ネタバレ無し】

 

 映画の記憶の助けを借りながら、ありありとイメージして読み進め、読み終えて、とても満足した。

 グリコ森永事件を忠実になぞりながら、未解明の部分を大胆に推理して構築した物語である。

 

 小説では「ギンガ萬堂事件」となっている事件の謎を解き明かしていくサスペンスに引き込まれ、推理の見事さに舌を巻くと同時に、事件に利用された子どもたちの運命が、胸に迫る。

 

 周到に準備された力作であり、よくできた小説だと思った。

 そして、映画の後半を楽しみに観た。

 

 映画は2020年公開 監督: 土井裕泰 主演:小栗旬 星野源 

 

 

 この映画もとてもよかった。

 

 小説で詳細に描かれた事件の謎とそれを解くプロセスをわかりやすく整理し、飽きさせない。

 よくできた脚本だと思う。

 

 真犯人に迫る種明かしの場面は、日本と英国、2つの舞台を同時進行で交互に重ね、テンポよく見せる。
 真犯人とその動機がわかってみれば、空疎な犯罪であり、子どもたちの運命をもてあそぶ結果になったことに怒りを禁じえない。

 

 原作小説は謎解きだけに終わらず、巻き込まれた子どもたちに寄り添う物語だから、共感できる。

 その点、この映画は、子どもたちの運命、その後を描く結末部分を丁寧に場面化、映像化し、原作者の思いをしっかりと受け継いでいると思う。

 派手なシーンはないが、物語の展開をじっくりと追い、最後には感動と後味のよさを残す。

 

 事件の真相はけっして後味のよいものではないが、新聞記者阿久津(小栗旬)と子どもたちの一人である曽根俊也(星野源)が、事件を追うことを通じてそれぞれ人間的に成長するプロセス。

 そして二人の間に生まれる共感と不思議な友情。

 それが最後のシーンに象徴されていて、とてもよい後味で終わる。

 

 主題曲はUruの『振り子』で、最近、Uruの曲をよく聴いている私には耳懐かしく、物語の余韻に浸りながら、じっくりとエンドロールを観てしまった。

 

 小説と同じで、「グリコ森永事件」をよく知らない若い世代には、観る前に事件の概要を知っておくことが必須だろう。

 

 そのためには、NHKの再現ドラマ「未解決事件」シリーズに「グリコ森永事件」があるが、私もまだ観たことがない。

 NHKオンデマンドで視聴可能なので、今度ぜひ観てみたいと思う。

 

 

 

 

 「どくいり きけん たべたら しぬで」と、関西圏を舞台に複数の食品会社を脅迫した、グリコ森永事件(1984~85)。

 マスコミに送りつける「挑戦状」は警察への敵意とからかいに満ち、大いに世間を騒がせたが、身代金の受け渡しに成功することなく終わった、今なお謎の多い未解決事件である。

 

 その事件に着想を得た、塩田武士の小説『罪の声』は2016年刊。2019年に講談社文庫版が出た。

 映画は2020年公開 監督: 土井裕泰 主演:小栗旬 星野源 

 

 これはぜひ読みたいし、観たいと思い、まず映画『罪の声』を前半だけ観た。

 

罪の声

 

 亡父のテーラーを継いで地道に仕事をし、妻と幼い娘と暮らす曽根俊也(星野源)は、ある日、押し入れの奥から古いカセットテープと英文のメモが書かれた黒革の手帳を見つける。

 カセットテープに録音されていたのは、幼い自分の声で身代金の受け渡し場所を指示するメッセージ。

 

 それは30年以上前に起きた “ギンガ萬堂事件”で使われた電話の声だった。

 イギリス滞在歴を持つ伯父の関与を疑う俊也は、亡父の親友であった堀田の力を借りて関係者を探し、話を聞いていく――。

 

 一方、大手新聞の記者 阿久津英士(小栗旬)は、ギン萬事件の特集企画のために文化部から駆り出され、事件を調査していく。

 二人の軌跡はしばらく平行線上を進むが、やがて阿久津は同じところで聞き込みをする俊也の存在を知る。

 

 新聞記者の突然の訪問に驚いた俊也は、マスコミ報道によって平和な暮らしが破壊されることを怖れ、阿久津を激しく拒絶する――。

 

 そこまで観て映画を中断し、原作を開いた。

 

罪の声 (講談社文庫)

 

 映画を途中まで観ているおかげで、星野源、小栗旬のイメージで自然に読み進められる。

 

 阿久津は事件の足跡を丁寧に追い、それに関わった人々を特定していく。

 そして偶然にも助けられて新たな証拠をつかみ、真犯人へと迫る。

 

 当初マスコミ報道を怖れていた俊也も、次第に阿久津の誠意を感じ、自分と同じように事件に巻き込まれた “他の子どもたち”のその後を案ずる彼と行動をともにしていく――。

 

 これは、グリコ森永事件を忠実になぞりながら、未解明の部分を大胆に推理して構築した物語である。

 しかも、電話メッセージに声を使われた子どもたちの存在に深く思いを寄せて、彼らの運命を想像し描き出す。

 

 文庫本で500ページ以上あるが、一部はルポルタージュのように現実のグリコ森永事件の詳細を描きつつ進むので、必要なボリュームだと思う。

 資料を周到に研究し未解決事件の真相に迫る構成のみごとさと、犯行に利用された子どもたちの心情に思いを馳せる作家の人間的なまなざし。

 

 たいへんな力作であり、よくできた小説だと思った。

 これはおススメだが、グリコ森永事件を知らない世代は、まず事件の概要を知ってから読むとよいのではと思う。

 

 この小説にはひじょうに満足し、そして、映画の後半を楽しみに観た。

 

 それについては、次回「読んでから観た 映画『罪の声』【ネタバレ無し】」