『罪の声』を読んで(観ながら読んだ 塩田武士『罪の声』)、私がその実力を買っている作家塩田武士が、主人公に俳優大泉洋を“あて書き”したという小説『騙し絵の牙』(2019 角川文庫)。
表紙はもちろんだが、各章の扉絵に大泉洋の写真が使われ、文庫解説も大泉洋である。
映画は2021年公開、吉田大八監督。
主演はもちろん大泉洋、他キャストは松岡美優、宮沢氷魚、池田イライザ、佐藤浩市、木村佳乃、國村隼など。
例によって“観ながら読む”つもりで、文庫本を用意しておき、まず映画を観始めた。
文芸誌『小説薫風』で名高い薫風社を舞台に、創業社長の突然の死によって起こる、経営層の主導権争い。
その中で新社長は経営を優先し、『小説薫風』を月刊から季刊に格下げする。
『小説薫風』の若手編集者高野恵(松岡美優)は、季刊化に伴う人事で編集から外されかけるが、カルチャー誌『トリニティ』の編集長速水輝也(大泉洋)に、小説編集への情熱を買われて引き抜かれる。
速水と高野は、雑誌の目玉となる連載小説の企画を考え、その実現のためにそれぞれに奔走する。
彼らの企画がそろそろ見えてきたころ、映画をいったん中断した。
1時間50分の映画の前半、50分ほどのところである。
予定通り、ここから文庫本を開いて読み始めた。
しかし読んでいくと、速水や高野など人物名は同じだが、内容はかなり違っているので驚く。
薫風社内の権力闘争というより、経営層から『トリニティ』の廃刊をチラつかされた編集長の速水が、社内外の人間関係の中で四苦八苦する様子が、リアルに描かれている。
映画では硬軟の手を使い分けて対等に渡り合っていた大御所作家二階堂大作に対しても、速水は常に顔色を伺い、いかにご機嫌をとって案を通すかに腐心する。
その努力は涙ぐましく、痛々しくさえある。
そこには、出版不況の深刻さが赤裸々に浮き彫りにされている。
しかし、そうした中でも速水は「いい小説を出したい」という信念を捨てず、状況を読み、頭をフル回転させて、当意即妙の手を繰り出す。
そうして人の心を動かし、自分の信ずる道を実現していく。
そんな速水のイメージに、大泉洋はピッタリである。
また、その部下である有能な編集者高野恵も、映画通り松岡美優のイメージで読んでいける。
……と思っていると、映画ではあり得ない速水と恵のベッドシーンが展開する。
大泉洋と松岡美優でイメージしていて読んでいたので、ドギマギしてしまった。
松岡美優ファンは、ご注意あれ。
それにしても塩田武士は力のある作家だと、あらためて感じた。
デジタルの普及、急速な書籍離れの中で起きている出版業界の実情を丁寧に取材し、書き込んでいる。
そして、そこに情熱をもって働いてきた人々の苦闘を、リアルに描き出す。
また、『騙し絵の牙』というタイトルに込められた意外な展開も見ものである。
思い込んでいたストーリー、人物像が、あるとき騙し絵のように反転する。
地と図が入れ代わって、新たな絵が見える。
と同時に、人物への理解が奥行きを見せ、深みを増す――。
見事と言うほかはない。
ひじょうに満足して、原作を読み終えた
そして、映画の残り後半を楽しみに観た。すると……、
やはり小説とはまったく違う。
しかも、前半で仕込んでおいたネタが次々と炸裂し、息もつかせぬ展開になる。
一瞬の逆転劇が何度も続き、誰が勝者かは最後までわからない。
飽きさせない映画という意味では、よくできた脚本だ。
もちろん作り話の世界ではあるが、斜陽の一途をたどるように見える出版界でも、大胆な発想を持てばこれだけのことができる。そういう意味でもおもしろい。
『騙し絵の牙』という小説と映画、これは全く別の物語として、それぞれに楽しめばよい。
いずれも、それぞれのメディアの長所をよく活かした作品に仕上がっている。
読んで、観て、損はない。
ただ、大泉洋というキャラクターは、本人が演じた映画よりも、“あて書き”された小説の方が似合っている。
そう感じるのは、やはり私たちのイマジネーションの力であるし、小説家塩田武士の筆の勝利であろう。