映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術 -3ページ目

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 砥上裕將の小説『『線は僕を描く』は、水墨画i家の世界で成長していく若者を描き、2018年に第59回メフィスト賞を受賞した。

 2020年の本屋大賞にもノミネートされている。

 

 作者自身が水墨画家であり、その経験が存分に活かされた作品である。

 

 映画は2022年公開

 監督;小泉徳宏   脚本;片岡翔 小泉徳宏
 出演;横浜流星 清原果耶 三浦友和 江口洋介 富田靖子

 

 例によってまず映画を観ていく。

 

線は僕を描く 横浜流星

 

 大学生の青山霜介(横浜流星)は、展示会場設営のアルバイトで初めて水墨画に接し、魅了される。

 そこで、そうとは知らず斯界の巨匠篠田湖山(三浦友和)と言葉を交わし、見た水墨画について思ったままを話したところ、別れ際に「私の弟子になりなさい」と言われ、入門することになる。

 

 一番弟子と思しき西濱湖峰(江口洋介)は、それらしくなくいつも頭にタオルを巻いて、湖山先生の身辺雑用や湖山邸の庭仕事をしている。

 湖山先生の孫娘である篠田千瑛(ちさと・清原果耶)は近寄りがたい雰囲気を持つ美女で、水墨画の道を究めようと日々精進している。

 

 霜介は湖山先生の教えを受けて次第に水墨画の魅力にのめり込んでいくが、なぜか、翌年の湖山賞を賭けて千瑛と勝負することになってしまう――。

 

 映画を30分ほど観ていったん中断し、原作を読み始めた。

 砥上裕將 『線は僕を描く』  講談社文庫

 

線は、僕を描く (講談社文庫)

  

 主人公青山霜介の一人称「僕」で書かれている。

 物語の流れは映画とほぼ同じだが、細かな設定や展開は少しずつ違う。

 

 主人公霜介は、高校生のときに交通事故で両親を同時に亡くした。

 ぽっかりと穴のあいた心を抱えた霜介は、周囲の勧めるままエスカレーター式で大学に入り、何の目標もなく生きていたのだ。

 それが前提で小説は展開していくが、映画の前半でそれは明かされていない。

 

 小説を読み進めると、霜介は湖山先生に導かれるまま、素直に練習に取り組んでいく。

 

 その間に、湖山先生、千瑛、あるいは兄弟子たちの作品や描く姿に触れていくのだが、その観察眼があまりにも鋭い。というより、ことばが詳細で的確すぎる。

 気になりだすとますます鼻についてしまい、「一人称の霜介が専門的な眼で見ているのは不自然だ。霜介目線の三人称で書けばよかったのに」と、創作経験の浅い著者の技量を値踏みしてしまった。

 

 しかし読み進めていくと、両親を突然に喪い、生きる羅針盤を失った霜介は、自分を守るガラスの壁を通してしか世界を見られなくなっていたのだとわかる。

 もって生まれた観察眼が、心の中にある透明な壁のおかげでことさら際立つことになったのだろう。

 そう気づくと、霜介が水墨画を見る内面語りも自然に読めるようになった。

 すると、思いつきで弟子入りを提案したように見える湖山先生の行動にも、うなづけるものがある。  

 

 孤独に沈んでいた青年が師匠や仲間たちと交わりつつ、水墨画への精進を通して自分自身を見つめ、成長していく。

 

 予定調和的なラストとはいえ、水墨画の魅力を伝える瑞々しい文章から、主人公霜介の思いが伝わり、彼の将来を心から祝福したくなる。

 トーマス・マンやヘルマン・ヘッセなどドイツ文学でいう「ビルドゥングスロマン(=教養小説 主人公の内面的な成長を描く物語)」ということばを思い出させてくれる、読後感のよい小説である。

 

 読み終えてから、映画の残りを観た。

 

 

 

 この脚本は、小説を踏襲しつつも細部の設定や人物のセリフを小説に依存せず、独自に書き起こされているのがわかる。

 そして、原作とは異なるドラマチックな展開のアレンジが随所に効いていて、とても魅力的な映画に仕上がっている。 

 

 霜介を演じる横浜流星は、今までこのブログで取り上げた『アキラとあきら』『流浪の月』での役柄と違って、純粋で素直な青年を好演している。

 千瑛役の清原果耶は、ストイックな厳しさの中に繊細な心を秘めた表情が魅力的だ。

 三浦友和の湖山先生は凛として可愛いおじいちゃんで、江口洋介演ずる湖峰先生は軽さの奥に深みがあって、実にカッコいい。  

 

 そして、終盤に明かされる霜介の家族の悲劇は、設定を変えて近年多い災害死とすることで、時代をも写し込んでいる。

 

 終盤のクライマックス、霜介と千瑛が、それぞれ描くべきものに目覚め、集中して水墨画に取り組む姿は、とても凛々しく、美しい。二人の姿が同時並行で進む映像づくりは見事である。

 勝負の行方はほぼ小説に沿うが、彼らの魂の成長が実感できる。

 

 ところどころで、水墨画の心である「自然と命」を描く風景や場面の映像が美しい。

 さらにエンドロールでは、流れるような水墨画が次々とアニメーションで展開する。

 最後の最後まで眼が離せない。

 

 この作品はもちろん、“読んでから観る”。

 それが断然おススメだ。

 だが、私のように映画の最初30分ほどを先に観ておくとよい。

 その映像が記憶にあれば、水墨画の作品とそれを描く手わざをありありとイメージして読むことができる。

 

 そうして小説を堪能したあとに映画を観れば、よりドラマチックな展開や映像づくりの巧みさを存分に楽しむことができるはずだ。

 

 

 二宮和也主演の映画『浅田家!』。

 例によって “観ながら読もう”と思い、小説『浅田家!』(徳間文庫)を入手した。

 

 映画は、2020年公開。

 監督:中野量太   脚本:中野量太 菅野友恵
 出演:二宮和也 妻夫木聡 黒木華 菅田将暉 風吹ジュン 平田満

 

 まずは映画を観ていく。

浅田家! DVD 通常版

 

 三重県津市の浅田家では、看護師の母順子(風吹ジュン)が昼夜働いて家族を支え、父の章(平田満)が専業主夫で家族の食事づくりにいそしむ。

 カメラが趣味の父は毎年、年賀状のために息子たちの写真を撮ることを好んだ。

 

 歳月は流れ、長男幸宏(妻夫木聡)は地元で穏当に就職するが、写真家を志して大阪の写真専門学校に進んだ次男政志(二宮和也)は、2年半ぶりに帰ったと思ったら、腕に刺青を入れ、学校はサボりまくりで卒業も危いという。

 

 帰省したのは、卒業制作の写真を撮るために家族の協力が必要だったからだ。

 父子三人が相次いでケガをした幼い日のワンシーンを再現した写真は、栄えある学長賞を受賞し、政志は写真学校を何とか卒業することができた。

 

浅田家 二宮和也

 

 しかし実家に帰った政志は、就職するでもなく、写真を撮るでもなく、パチスロで稼ぎ、堤防で釣りをする毎日。

 幼馴染の恋人若菜(黒木華)は、そんな政志に呆れつつ叱咤激励して、憧れていたアパレルの仕事が見つかったからと、東京へ向かう。

 そんな政志が、昔は消防士になりたかったという父の夢を写真で叶えることを思いつき、兄の友人消防官の協力で、消防士姿の家族写真を撮影する。

 

 映画 浅田家 消防士

 

 それをきっかけに、家族によるコスプレ写真シリーズを次々と撮影した政志は、写真家デビューを目指して上京し、若菜のアパートに転がり込む。――

 

 30分ほど映画を観るだけでも、なかなか楽しく、ほのぼのする映画だと感じた。

 それをいったん中断して、文庫本を開く。

 

浅田家! (徳間文庫)

 

 すると、人物の会話もほぼ映画通りなので、映画のイメージを再現するように読み進むことができる。

 

 上京し若菜と同棲を始めた政志は、スタジオアシスタントの仕事をしながら「浅田家!」の写真集を出してくれる出版社を探すが、なかなか見つからない。

 しかし、若菜が準備してくれた個展で思いがけない出会いがあり、出版が実現する。

 そして、物語はどんどん展開し、家族写真撮影のプロとして政志の活躍が始まる。

 しかし――

 

 しばらく読んでからまた映画をつまみ食いしつつ、半分くらいまで観ながら読んだ。

 

 それにしても、あまりにも映画と小説が一致しすぎている……。

 ふと気づいて文庫本の奥付を見ると、

「この作品は、映画『浅田家!』(脚本 中野量太・菅野友恵)の小説版として書きおろされました。」

 

 なんだ。ノベライズ本ではないか。

 そういえば、作者の中野量太はこの映画の監督の名前だ。

 あまりに迂闊であった。

 

 正直、シナリオを小説形式で書き起こしただけのノベライズは、文学作品としての味わいも深みもない。

 道理でと思い、本を読むのはやめて最後まで映画を楽しむことにした。

 

 すると、物語は東日本大震災被災地のシーンになっていく。

 その瓦礫の街や避難所の様子があまりにもリアルで、圧倒的である。

 

 この映像を観ずにノベライズでストーリーを追ってしまうのは、あまりにもったいない。

 最後まで読まずに気づいてよかった。

 そして、映画を最後まで堪能した。

 

 ユーモラスで、ほのぼのとして、少しほろりと来る素敵なヒューマンドラマである。

 これは、映画を単体で楽しめばよい。

 申しわけないが、ノベライズ本の続きを読むのはやめた。

 

 調べてみると、映画の最初と最後にも「事実に基づく物語」とあるように写真家浅田政志は実在し、この映画に描かれたのは、彼自身の人生である。

 写真集『浅田家』も実在する。

 

浅田家

 

 この写真集と、東日本大震災後に浅田が被災地で行なった活動の記録『アルバムのチカラ』を原案にして、この映画は作られた。

アルバムのチカラ 増補版

 

 ノベライズ本はいただけないが、中野量太監督は浅田政志の人生を見事に物語として描き出した。

 そして、あまりにリアルな被災地の光景に圧倒される。映像づくりもハンパではない。

 ぜひ多くの人に観てほしい映画である。

 

 

映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単! イメージ読書術

 

 角田光代の『愛がなんだ』 2006

 

 この小説を原作として、映画は2021年に制作された。 

 監督:今泉力哉 

 脚本:澤井香織 今泉力哉

 出演:岸井ゆきの 成田凌  深川麻衣  若葉竜也 江口のり子

 

愛がなんだ

 

 まず映画を観てみる。

 会社員の山田テルコ(岸井ゆきの)とマモちゃん(田中守 成田凌)は恋人未満の関係。

 マモちゃんから「熱があってコンビニも行けない」と電話があると、テルコはすぐ駆けつけて夕食を作り、お風呂掃除まで始める。

 マモちゃんはありがとうと言いながら、そんなテルコを追い出すように帰らせてしまう。

 

 終電はなく所持金もわずかなテルコは徒歩で帰宅と決めるが、途中で友人葉子(深川麻衣)の家に転がり込む。

 葉子は「そんなおれ様男、やめときな。もっと自分が優位に立てる恋をしなよ」と忠告するが、テルコには響かない。

 

 その後もマモちゃんからの電話を待ってダラダラと会社に残るテルコ。

 あてが外れて家へ帰りシャンプー中でも、マモちゃんからの電話があれば残業中だと嘘をついてすぐ駆けつける。

 その晩、二人で遅くまで飲んで終電を逃し、マモちゃんのアパートで初めてベッドイン。

 翌朝は会社をサボって、二人で動物園へ……。

 

 二人の仲は少しずつ進展しているようだが、テルコだけがぞっこんで、マモちゃんはテルコを利用しているだけに見える。

 

 30分ほど映画を観て、小説を開いた。

 角田光代『愛がなんだ』 2006 角川文庫

 

愛がなんだ 角川文庫

 

 テルコの一人称だが、ほぼ映画の通りの展開・セリフなので、、岸井ゆきのと成田凌のイメージで読んでいける。

 ただ小説ではベッドインは既に過去の話で、そういう関係なのに、テルコを「都合のいい女」にしているマモちゃんの不誠実さがよけい際立つ。

 

 読み進むと、それはどんどんエスカレートしていく。

 3か月も音信不通にしておきながら、何ごともなかったかのように連絡してきて、テルコがいそいそ出かけると、別の女(すみれさん)が同席していたりする。

 読んでいると、マモちゃんのいい加減さに腹が立ってしかたがない。

 

 かといって、テルコにも同情できない。

 仕事ぶりがいい加減で会社をクビになっても、マモちゃんに呼ばれたらいつでも行ける方がいいと、正社員での再就職もやめてしまう。

 なんでこんな男に執着するのかと、テルコにはほとほと呆れる。

 

 その感想は、読み終えても変わらなかった。

 イマドキの恋愛を描こうとしているのか。

 テルコに共感し、何かしら癒される読者がいるのだろうか。

 

 そんなことを思いながら、残りの映画を観た。

 

愛がなんだ 岸井ゆきの 成田凌

  

 映画のイメージを借りて読んでいたので、映画の続きに自然と入っていける。

 マモちゃんが連れてきた女 “すみれさん”が江口のり子なのは驚いたが、小説のセリフをそのまましゃべっているのを見ると、いかにも適役と思えてくる。

 

 しかし小説が正直あまりおもしろくなかったので、映画がまだ1時間以上ある……と、少々うんざりしかけた。

 だが、せっかく書きかけたブログを完成させたい(笑)。その一心で、映画を観続けた。

 すると……

 

 原作ではテルコとマモちゃんの関係だけで堂々巡りしている感じがしたが、映画ではほんの少しのアレンジで、すみれさん、葉子、葉子のお便利男ナカハラくん(若葉竜也)の存在感が増し、二人の関係にも奥行きが出ている。

 すると、小説で読んだはずの同じストーリー展開でも、より心を動かされる感じがあった。

 

 この作品は、読んでから観てよかった。

 イマドキの若い人にはきっと、恋愛あるあるとして観ることのできる映画になっているのではないか、と思う。

 あくまでも想像だが。

 

 

 小川洋子の『ホテル・アイリス』(1996)は、少女と初老の男との倒錯的な性愛を描く「官能小説」だという。 

 

 2021年に日本・台湾の合作で映画化された。 

 監督・脚本 奥原浩志

 出演 永瀬正敏 陸夏(ルシア)

 

 まず映画を観ていく。

 

 ホテルアイリスは、古びたレンガ造りのホテル。

 そこの娘マリ(陸夏 ルシア)は一日中、ホテルで働く。

 父は亡くなり、ホテルを経営する母親は派手な身なりでダンスパーティーによく出かける。

 

 母親はマリを小間使いのように扱うが、マリの豊かな黒髪を櫛けずるときだけは優しい。

 マリが近所の人々とやり取りすることばは中国語のようだが、マリと母親は日本語で話している。

 

 ある晩、売春婦を怒鳴りつけ殴りつけて、雨の中に出て行った初老の日本人客(永瀬正敏)。

 マリはその男を再び街で見かけて気になり、あとをつける。

 干潮時だけ海の中から現れる、島へ渡る石の道で、男はふり向いてマリに話しかける――。

 

 海岸沿いの石造りの街で、古びた市場や沖の島へと延びる道。

 強烈なインパクトがある風景で、見知らぬ異国のいつとも知れぬ時代にタイムスリップした感覚がある。

 ここはどこなのだろうと調べてみたら、ロケ地は台湾の金門島だという。

 

 30分ほど映画を観て、原作を開いた。

 『ホテル・アイリス』(1998年 幻冬舎文庫)

 

 

 ホテルアイリスの娘マリは17歳だが、高校も辞めて家業を一日中手伝い、友だちもいない。

 そんな彼女が、初老の男、沖の島に独りで暮らす自称ロシア語の翻訳家と恋に落ちる。

 

 実は男は、売春婦が「筋金入りの変態だ」と罵ったように、嗜虐的な性欲の持ち主だった。

 しかしマリは男の求めに従順に応じ、むしろ胸ときめかせ、男との逢瀬を心待ちにする――。

 

 常識では理解しがたいマリの行動は、孤独で退屈な日々ゆえと想像してもみたが、理解は必ずしも必要ないのかもしれない。

 独特の妖しい世界に果てしなく酔いしれる感じで、ときどき映画をつまみ食いしながらも、最後まで読み飽きることのない小説だった。 

 映画で観た海岸の街のイメージが鮮やかに浮かび、とっぷりとその世界に浸ることができた。

  

 読み終えて映画の続きを観ると、またその映像美に目を瞠る。

 

 

 

 風景もそうだが、マリと男との性愛場面の描写が限りなく美しい。

 下着姿のマリの肌をなでる鋭いハサミの切っ先。

 やがてその下着を切り裂いていく。

 真っ白な下着と肌の色のコントラストがとてもきれいだ。

 

 小説ではこれでもかと赤裸々な描写が続くが、映画は確かにその場面を描きながら、しかし映像の美しさが徹底されている。

 マリは何度も全裸になるが、エロティックな部位は自然に隠されていて映り込まない。

 観ていて欲情を掻き立てられることはなく、うっとりするほどの美しさに息を呑む。

 

 映画後半の展開・結末は小説と少し違い、幻想的で暗示的な映像で終わる。

 エンディングには謎も残るが、造り手の独りよがりなイメージを押しつけられている感覚はない。

 バイオリンの低音を基調としたテーマ曲もあいまって、美的感覚を揺さぶられる。

 

 脚本から手掛けた奥原浩志監督の芸術的センスはすばらしい。

 下手をすれば低俗なエロティシズムに墜ちてしまいかねない題材を、こんな美しい映画に仕上げるとは……。

 

 今回は、映画を観てから小説を読む。

 それが断然、おススメだ。

 

 

 

 小坂琉加の小説を読むのは2作目だ。

 

 最初に読んだのは、映画化もされた『余命10年』(2017 文芸社文庫 NEO)。

 治療の術がない難病を宣告され、限られた時間を懸命に生きる女性の生の輝きを描いた。

 

 ライトノベル・タッチで書かれた物語は、マンガ家を目指す主人公、コスプレイベントで盛り上がるアニメオタクの仲間たち、恋に落ちる相手は長身のイケメンで茶道の家元の御曹司……と、少女マンガの世界である。

 

 初めは違和感を感じつつも、作者自身が同じ難病を患い、闘病生活の末にこの作品を遺して逝った、ということを知ってからは、物語の世界にのめり込んだ。

 すると、私が心で観ていたのは実写映画ではなく、精緻に描かれたアニメーションの世界。

 

 そして、小松菜奈、坂口健太郎主演の映画『余命10年』(2022)も、併せて観た。

 映画はあえて大幅に設定を変えてオリジナルストーリーとすることで、作家へのリスペクトを示した。

 

 

 今回読んだ『生きてさえいれば』は、小坂琉加が亡くなったあとに遺作として見つかったという。

 『余命10年』に続き、文芸社文庫 NEO の一冊として2018年に刊行された。

 

生きてさえいれば (文芸社文庫NEO)

 

 今回は初めから「アニメを観ているみたいに」読もうと決めて、本を開いた。

  

 不治の心臓疾患で入院する若い女性、牧村春桜(はるか)が登場するので、前作と同じような設定、展開を予想する。

 しかし、春桜を慕い、春桜の恋を成就させたいと願う甥の千景(ちかげ 小六)の活躍で、運命の糸はつながり、物語は過去へと遡っていく。

 

 夢はあるが冴えない大学生羽田秋葉は、入学早々、人気モデルでありキャンパス中の憧れの的である先輩美女から、会った瞬間、「結婚しよう」と告白される――。

 コミカルでもあり、ドキドキする設定は、やはりアニメーションのイメージで読んでいくのがふさわしい。

 

 なかなか進展しない二人の関係にやきもきし、その恋の展開にワクワクする。

 やがて明らかになっていくさまざまな背景、思いがけない出来事。

 

 そして小説の終盤、過去から現在につながる物語が見え、一度切れた糸は再びつながっていく――。

 

 とても素敵なラブストーリー。

 小坂琉加さんがこの物語を遺してくれたことに、素直に感謝の気持ちが湧いてくる。

 

 『余命10年』に感動した人には、ぜひ読むことを勧めたい。

 

 

 

 小説『やがて海へと届く』(2016)は、東日本大震災で遺された者が深い喪失感からどう再生していくかを描く。

 作者の綾瀬まるは東北を旅行中に震災に遭遇し、その体験をリアルなルポルタージュとして書いた作家である。

 

 映画は2022年公開

 監督:中川龍太郎
 脚本:中川龍太郎 梅原英司
 出演:岸井ゆきの 浜辺美波 杉野遥亮

 

 今回もまず映画を観ていく。 

やがて海へと届く

 

 ホテルの最上階にあるダイニングバーでフロアチーフとして働く、28歳の湖谷真奈(岸井ゆきの)。

 3年前の東日本大震災の日に東北を旅していたはずの親友すみれ(浜辺美波)の行方は、今もわからない。

 

 ある晩、すみれの恋人だった敦(あつし・杉野遥亮)が、真奈の職場を訪ねてきた。

 敦とすみれが暮らしていた部屋で、すみれの持ち物を整理する。

 整理した残りをもって二人ですみれの実家を訪ねるが、すみれの母親(鶴田真由)も敦もすみれを死んだ者として扱うのが、真奈には耐えられない。

 自分の中にすみれは確かにまだ生きているのに……。

 

 同じ大学に入学してまもなく二人は仲よくなり、すみれが真奈の部屋に居候していた時期もあった。

 雷の鳴る夜、二人で手をつないで眠った。

 二人で旅に出ると、すみれはどこまでも歩いていくのが好きだった――。

 

 真奈が生きる現在の物語と並行して、すみれとの記憶のシーンがよみがえる。

 すみれを演じる浜辺美波の輝く笑顔が印象的だ。

 

 最初の30分。いったん映画を中断して、原作を手に取った。 

 彩瀬まる『やがて海へと届く』 講談社文庫 2019

 

やがて海へと届く (講談社文庫)

 

 真奈の一人称で、しばしば心のつぶやきをからめながら出来事を語っていく。

 映画と同じように現在の物語が進行しつつ、すみれとの記憶のシーンが描かれる。

 

 いや小説ではもうひとつ、真奈が見た夢なのか、生々しい幻想の世界が独立した章節として挿入されている。

 白昼夢か、あるいは悪夢か。不思議な夢幻世界である。

 睡眠時の夢のようにすみれや敦など現実の人物が登場することもあるが、やはり夢らしく不可思議な展開を見せる。

 

 この幻想世界にどう入り込めるかで、この作品の好みは分かれるのではないか。

 真奈が喪失感を乗り越えていくプロセスはストーリーとして自然に読めるが、挿入される夢幻の世界が真奈の内面をより深く映し出す。

 実際、小説の結末も象徴的なイメージの場面で終わっている。

 

 小説としては満足して読み終えたが、夢幻的なイメージの部分には、正直、消化不良の感が残った。

 その部分を埋めてくれるものを漠然と期待しながら、映画の続きを観た。

やがて海へと届く

 すると、映画はほぼ原作通りのストーリーを描き、真奈とすみれの過ごした時間がより具体的なエピソードで映像化されている。

 

 そして後半、小説で真奈が前に進むきっかけとなる職場の同僚男性国木田との小旅行の行く先が、小説と違って東北の被災地になっている。

 真奈たちは防潮堤の建設が進む海岸を歩き、震災で家族を喪った人々と出会う。

 

 原作よりもストレートに核心に迫っていて、真奈が喪失体験を乗り越えていくプロセスをわかりやすくする映画らしい脚色だと、先の展開に期待をふくらませた。

 ……だが、必ずしもそうはならなかった。

 

 結末近くなると、過去の場面がすみれ視点で再生され、何やらすみれの心の秘密が暗示される。

 しかし、明確な伏線回収はないまま、あいまいなエンディングへとつながっていく。

 ネタバレは避けたいが、私が期待した「映画らしいわかりやすさ」は、残念ながらそこにはなかった。

  

 では、この作品は読むのがよいか、観るのがよいか。

 どちらも、喪失からの“癒しと再生の物語”の感動を期待すると、必ずしも保証できない。

 

 小説では真奈の喪失感に共感できるし、彼女が悩み紆余曲折の末に心許せる相手ができることには安堵し、心から祝福を送りたくなる。

 ただ、物語の随所に挿入される夢幻世界の部分が重い。

 

 映画では真奈(岸井ゆきの)とすみれ(浜辺美波)の対照的なキャラクターの友情に好感が持てるし、場面場面は美しい。

 ただ、結末の感動は、私には味わえなかった。

 

 あとは、読者の皆様にお任せしたい。

 

 

 小坂琉加の小説 『余命10年』  文芸社文庫NEO  2017年

 なんとストレートなタイトルだろうと思った。

 

 映画は2022年公開

 監督:藤井道人
 脚本:岡田惠和 渡邉真子

 出演:小松菜奈 坂口健太郎
 

 まず映画を観る。

 

余命10年

 

 大学生だった20歳のときに、難病「肺動脈性肺高血圧症(PAH)」を発症した高林茉莉(まつり・小松菜奈)は、長い闘病生活ののちに退院し、自宅での生活を始める。

 しかしその病気に有効な治療法はなく、発症から10年以上生きられた人はいない。

 その運命を背負いつつ、茉莉は生きていく。

 

 10年後の未来を持たない茉莉は「もう恋はしない」と決めていたが、同窓会で再会した和人(坂口健太郎)と関わるうちに恋に落ちてしまう。

 衝動的に投身自殺を図るほど人生の目標を持てずにいた和人もまた、茉莉に勇気をもらい前を向いて生きて行こうとする――。

 

 例によって冒頭40分ほどを観ていったん中断し、原作を開いた。

 

余命10年 (文芸社文庫NEO)

 

 読み始めると、退院までの経過はほぼ同じだが、映画では文章を書くのが得意で小説家志望だった茉莉が、小説ではアニメオタクで、マンガを描くのがうまい。

 友だちからコスプレイベントに誘われてアニメオタクの性向に火がつき、同人誌に作品を発表して、プロのマンガ家を夢見る。

 

 ……と、映画とはだいぶ違う展開であり、テイスト自体が異なる。

 ライトノベルならではかなと思いつつ読んでいくが、途中、退院した22歳から25歳までの展開があらすじのように端折った感があって、少々違和感を覚える。

 

 小説を書きなれていない素人っぽいタッチ、あるいはマンガ的な設定やストーリー展開。

 もちろん私が読みなれていないだけで、ライトノベルではふつうのことなのかもしれない。

 

 ふと思って作者小坂琉加について調べてみたら、彼女自身がこの難病に苦しむ患者であった。

 そして2017年、文庫版の編集が終わった直後に病状が悪化し、刊行を見ることなく38歳の若さで亡くなったという。

 単行本の初版が2007年。さらに10年を生きて、彼女はこの文庫版を遺したのだ。

 

 そのことを知って読み進めると、文体の素人くささや、ストーリー展開のマンガっぽさがとたんに気にならなくなった。

 むしろ、余命10年の運命を背負って生きていく茉莉のさまざまに揺れ動く心情に、当事者でなければ書けないリアリティを感じる。

 

 そんな思いでストーリーを追っていくと、頭の中に展開するのは小松菜奈と坂口健太郎の実写映画ではなく、丁寧に描き込まれたアニメーションの世界。

 そのイメージ世界にどんどん引き込まれていった。

 

 そして、結末まで残り50ページほどとなったとき、最後まで読み終えてしまうのがむしょうに惜しくなった。

 そこでいったん本を置き、映画の続きを観ることにした。

余命10年

 やはりストーリー自体がかなり違う。

 とくに和人の境遇設定がぜんぜん違っているので、まったく別の物語になっている。

 小説をのめり込んで読んでいただけに、がっかりしてしまう。

 

 いやしかし、自分のイメージと違うからといって映画を批判しない。

 映画は映画独自の世界として観る。

 それが私の信条ではなかったか。

 そう思い直し、小説との違いはひとまず置いて、映画自体の世界に寄りそって観ることにした。

 すると……

 

 運命から逃げずに生きる茉莉と、彼女を誠実に愛する和人の二人の日々の輝きが、さまざまな風景映像とともに描かれる。

 また、姉の桔梗(ききょう・黒木華)をはじめとする家族、茉莉に出版の道を開く親友の沙苗(奈緒)など、茉莉を応援する周囲の人々も印象的だ。

 永遠の別れのシーンも、哀しいが美しく心に残る。

 

 そして、原作でマンガ家志望であった茉莉を、映画では小説家志望にしたことの意味が、最後に明らかになる。

 茉莉と作者小坂琉加、二人の人生が重なってくるのだ。

 

 この映画のシナリオは原作のストーリーを大幅に変えてあるが、それは決して原作を軽んじたからではない。

 自らの命を注ぎ込んで『余命10年』という作品を遺した作家小坂琉加。

 彼女に最大限のリスペクトを捧げつつ、映画は映画のオリジナリティを追求した。

 映画を最後まで観ると、そのことがはっきりとわかる。

 

余命10年 (文芸社文庫NEO)

 

 映画を観終えて、文庫本の残り50ページを読んだ。

 そこには、死にゆく人のリアルが、まさに経験者でなければ書けない筆致で描かれていた。

 それととともに、自分のしたいことをし尽くし、人生の選択をすべて肯定して死に赴いていく茉莉の姿。

 

 そして、遺された和人もまた、自分の人生を選択し、前へ進んでいく。

 その姿を描くロマンチックなエンディング。

 やはりこのストーリーにはアニメーションがふさわしい、と思った。

 

 調べてみると、2021年にTBSテレビでアニメ放送されたようだ。

 しかし、小説を読み終えた私は、既にアニメを見てしまったような気になっている。

 私の中でそれは、とても大切な記憶である。

 

 例によって、観てから読むか、読んでから観るか。

 この作品の場合、私には答えがない。

 映画だけ観るもよし、小説だけ読むもよし。

 どうしても観たいし読みたいという場合、同じ物語と思ってはいけない。

 それぞれ独立した別々の世界を、別々に味わってほしい。

 

 

 

 瀬尾まいこ 『そして、バトンは渡された』は、2019年の本屋大賞受賞作。

 

 映画は2021年公開

 監督:前田哲   脚本:橋本裕志

 出演:永野芽郁 田中圭 石原さとみ 

 

 AmazonPrimeVideoのカスタマーレビューが☆4.5 なので、楽しみに観始めた。

 

そして、バトンは渡された

 

 2つの家族の物語が並行して描かれる。

 

 幼くして母親を亡くし、パパ(大森南朋)と暮らすみいたん(稲垣来泉:子役)。

 そこにあらわれた新しいママ梨花さん(石原さとみ)は、派手好きでズボラなところもあるが、超楽天家でお菓子やきれいな服に満ちあふれたハッピーな生活を、みいたんにプレゼントしてくれる。

 

 もう一つ。高校3年生の優子(永野芽郁)は料理の道を目指し、志望する短大の栄養科は合格圏。

 合唱祭のピアノ伴奏をクラスで押し付けれられる形になっても、笑顔でそれを引き受ける。

 家では、30代の父親を「森宮さん」と呼ぶ。森宮さん(田中圭)は「父親らしく」といっていそいそと料理をつくったりする。ときにピントがずれているが、優子はそれに感謝して暮らしている。

 

 一方みいたんは、パパが突然ブラジルへ行くと言い出し、梨花さんと二人暮らしになる。

 だが、梨花さんの派手好きと楽天家ぶりは変わらず、お金がなくても、無料のパンの耳でケーキを作ったりしてみいたんを喜ばせる。

 

 例によって30分ほどで映画を中断し、小説を読み始めた。

 瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』(文春文庫)

 すると……

  

そして、バトンは渡された (文春文庫)

 

 小説は優子の一人称で書かれているが、映画との間にまったく違和感がない。

 まるで “映画を観ているみたいに小説が読める!” (笑)

 

 映画では、梨花さんがもたらす世界がカラフルでキラキラして、みいたんの幸福感が伝わる。

 その記憶があるので、みいたんの場面は読んでいてもワクワクしてくる。  

 

 そして、優子と森宮さんのコミカルだが、優しさに満ちた暮らし。

 優子の無理しない生き方。

 

 読み進みながら映画ではどうだろうと、ときどき映画を観たくなって30分ほど観ては、また小説に戻り、最後まで読み切った。

 

 ユーモラスで、ほのぼのとして、じわっときて、元気をもらえる。

 「いろんな家族の形があっていい」というメッセージが、スッと心に入ってくる。

 好感度100%の小説。

 

 そして、映画の続きを楽しみに観た。すると……。

そして、バトンは渡された

 

 終盤45分の展開がほぼ原作に沿いながら、いくつかのアレンジを加えて、より感動的な物語に仕上げている。

 それでいて、原作のテイストはしっかり残している。

 この脚色は、見事というほかない。

 

 瀬尾まいこの文章はとてもイメージしやすく、映画化に向いている。

 しかし、映画と小説に違和感がないのは、原作通りに映画を作ったからではない。

 映画製作者側が原作をリスペクトし、その世界を尊重しつつ、映画表現ならではのオリジナリティを追求したからだ。

 

 例えば、優子と森宮さんのああいえばこういうの掛け合いが小説では長く続くが、映画では俳優の演技で自然に伝わるように、かなり会話を書き直している。

 そのおかげで、永野芽郁と田中圭のちょっとずれたやりとりから、愛情と感謝がじわりと染みてくる。

 

 映画と小説の表現の違いについてこのブログでも何度か書いてきたが、小説も映画もそれぞれの持ち味を存分に発揮することによって、こんなにも見事なコラボ作品ができあがる。

 

 何と幸せな出会いであろう。

 その稀有な例を、今回は見せられた気がする。

 

 この作品こそ、「観ながら読む」のが断然おススメだ。

 ①まず映画の前半(1時間15分 優子の卒業式まで)を観る。

 ②次に小説を読む。最後まで。

 ③それから映画の残りを楽しみに観る。

 

 これで映画も小説もネタバレなく、両方の良さを存分に楽しむことができると思う。

 もちろん、私のようにどきどき映画をつまみ食いしながら小説を読み進むのも、また一興である。

 ぜひ、お試しあれ。

 

 

 

 

 観ながら読んだ『ムーンライトシャドウ』のつながりで、吉本ばななの『白河夜船』を観ながら読むことにした。

 

 「白河夜船(しらかわよふね)」は、古くからあることわざである。

 京都の白河について訊かれ、地名と知らず川の名前だと思って「夜に船で通ったから知らない」ととぼけたため、京都に行ったという嘘がばれた、という小話に基づく。

 

 そのため「知ったかぶり」の意味もあるが、ここでは「ぐっすり眠り込んで、何が起こったか知らないことのたとえ」の方だろう。

 「いつから私はひとりでいる時、こんなに眠るようになったのだろう。」で始まる、眠りをモチーフにした恋愛小説である。

 

 映画は2015年公開
 監督:若木信吾   脚本:若木信吾 鈴本櫂
 出演:安藤サクラ 井浦新 谷村美月

 

 

白河夜船

 

 ベッドで眠りをむさぼる寺子(安藤サクラ)は、岩永(井浦新)からの電話で目覚めては、会いに出かけていく。

 年上の男性岩永と、寺子は不倫の恋をしている。

 岩永の妻は交通事故で脳を損傷し、病院のベッドで昏々と眠り続ける。


 また、2か月前に自殺した親友しおり(谷村美月)と過ごした日々の回想がときおり、浮かんでくる。

 学生時代、二人は一緒の部屋に住んでいたほどの仲よしだった。

 

 卒業後、しおりは二人の部屋を出て、“添い寝”の仕事をしていた。

 おそらくは深い淋しさを抱えた顧客のために、天蓋付きの豪華なベッドで一晩、傍らに寝るだけの仕事。

 しおりは、顧客が眠りから覚めたときにけっして淋しく思わないように、一晩中眠らないようにする、それがプロだと語る。

 

 ほとんど寝てばかりいる寺子一人の場面、ベッドシーンなど寺子と岩永の逢瀬の場面、そしてしおりと過ごした日々の回想場面、ほぼその3つで進行していく。――

 

 例により30分ほど映画を観て中断し、原作を開いた。

 

 

白河夜船

 

 

 読んでみると、映画で寺子が話したりつぶやいたりしていたことばは、ほぼ原作通りだということがわかる。

 脚本家は、原作のことばを大切に扱ってシナリオの中に封じ込めているように感じた。

 

 映画では眠ってばかりの寺子を外から撮っているので、何ともだらしなく、しどけない印象をもってしまうが、小説で寺子の一人称語りを読んでいくと、彼女の眠けすら実感でき、共感できる気がする。

 一人称の小説というのはやはり、映画では表現できないきわめて主観的な世界を描いているのだ。

 

 また、添い寝の仕事にプロ意識を持っていた親友しおりが、他人の孤独を引き受け続けた結果、自殺するほどの淋しさを自分自身の中に蓄積してしまったのではないかと、思えてくる。

 

 そして、岩永が好きで好きでたまらない寺子は、愛することの孤独の中に身もだえしつつ、未来を描くことなく、ただ今の恋に身を任せていく。――

 

 大きな物語展開はないが、やはり一人称語りの味わいで読ませてしまう小説だ。

 文庫本70ページは、その味わいに浸っているうちに読み終えてしまった。

 

 そして、映画の残りを観た。

白河夜船

 

 正直、退屈な映画である。

 

 原作では一人称の語りから読者は、内面と外界を同時にイメージして主人公とともにあり、その思いを感じていく。

 一方、映画では、寺子の内面語りがナレーションで流れることもあるが、大半は、表情や態度という「演技」で表現される。

 

 安藤サクラの表現力は評価に値するが、表現を求められている中味自体が、演技しきれないものなのではないか。

 愛や孤独について深い真実を暗示するしおりの語りも、映画のセリフとして聞くと、長すぎて意味を追うのはかなりしんどい。

 

 初めは原作のことばを大切にしていると感じたシナリオも、実は怠慢なのではと、少し腹が立ってきた。

 原作のことばに依存し、俳優の演技に依存し過ぎた脚本・監督は、あまりにも工夫がなさすぎる。

 

 残念ながら、それがこの映画に対する私の評価である。

 

 ひるがえって思うと、先に酷評した映画『ムーンライトシャドウ』の見方が変わってくる。

 

 エドモンド・ヨウ監督と脚本家高橋知由氏は確かに、原作の内面世界を深く受け止め、独自の世界として、映像の中に再構築しようとした。

 そのチャレンジ精神と創造性はリスペクトに値する。

 

 そう思えたのは、『白河夜船』を「観ながら読」んでみたおかげである。

 もしかしたらエドモンド・ヨウ監督は、『ムーンライトシャドウ』(2021)を撮る前に映画『白河夜船』(2015)を観て、「反面教師」にしたのかもしれない。

 

 

 

 吉本ばななの小説 『ムーンライトシャドウ』は、「日本大学芸術学部の卒業制作として発表したもの」(Wikipedia)だという。

 1987年日本大学芸術学部長賞、1988年に泉鏡花文学賞を受賞した。

 
 この作品は、『キッチン』(2002 新潮文庫)に収録されている。

 今回も本を用意しておいて、まずは映画を観始めた。

 

 『ムーンライトシャドウ』 2021年公開

 監督:エドモンド・ヨウ
 脚本:高橋知由
 出演:小松菜奈 宮沢氷魚 佐藤緋美 中原ナナ 臼田あさ美 他

 

ムーンライト・シャドウ

 

 マイクの前に座ったさつき(小松菜奈)が、しばらくためらったあとで、「鈴の音が耳を離れないんです」と語り始める。

「あの鈴の音には、等(ひとし)と過ごした時間が全部詰まっている」……と。

 アップの顔は疲れ、やつれ果てていて、輝きも美しさもない。

 

 その鈴の音から、川べりでの等(宮沢氷魚)との出会い、二人で重ねた日々の場面が続いていく。

 

 そして、等の弟 柊(ひいらぎ・佐藤緋美)、その恋人ゆみこ(中原ナナ)と四人で過ごした楽しい時間。

 井戸のより深く、深いところでつながっている地下水脈や、死んだ人と再会できるという都市伝説「ムーンライトシャドウ」についての語りあい……。

 

 そこまで30分ほど観て、いったん中断した。

 冒頭のさつきの語りから、等との死別が予感されるが、まだはっきりとは出てこない。

 

 それにしても、ストーリー性が弱く、場面やそのつながりが象徴的・暗示的で、わかりにくい。

 正直なところ、エンタテインメント映画を観慣れてしまった頭には、何とも難解な映画に感じられる。

 

 そこで『キッチン』を開き、最後に収録されている『ムーンライトシャドウ』だけをとりあえず読んだ。

 

キッチン

 

 読み始めたら引き込まれて、一気に最後まで読んだ。

 これはすばらしくよかった。

 

 愛する人との死別の苦しみに悶える心を、どうやって癒し、前に進むことができるか。

 それを描いている。

 

 さつきの一人称の文章は、てらいのない素直な語りで、情景も感情も、こちらの心にスッと入ってくる。

 この処女作で、吉本ばなながその才能を絶賛されたのも、むべなるかなと思う。

 

 この作品をモチーフにして、おそらくはテーマも原作を引き継いで、エドモンド・ヨウ監督は独自の映像世界を作り上げている――。

 冒頭30分を観ただけでそれははっきりと感じられたので、原作と比較しないことを肝に銘じて、映画の残りを観た。 

 ……すると、

ムーンライト・シャドウ

 

 場面から場面への不可解・不可思議なトーンは、最後まで変わらなかった。

 その分、盛り上がりもない。

 

 とくに、愛する人との奇跡の再会の場面――。

 残念ながら、私の心には沁みてくるものがなかった。

 

 死者の再生の物語については、このブログでも私のこだわりを何度か書いてきた。

 現実の死の重みと残された者の苦しみがリアルであればこそ、たった一つのファンタジーが、一服の癒しとなる。

 しかし、全体的に夢かうつつか、そのあわいを漂っているようなこの映画のトーンの中で、感動的なはずの“奇跡”は埋もれてしまう。

 

 そんな影(現実)と光(ファンタジー)の関係を、エドモンド・ヨウ監督はどう考えたのか。

 もしかしたらこれは、文化的な好みの違いかもしれない。

 この映画は実際、カラフルな色彩にあふれている。

 

 ところで、これを機会に、新潮文庫『キッチン』に収録された二作品『キッチン』と『満月―キッチン2』も読んでみた。

 

 

キッチン

単行本の表紙

 

 これらもすばらしかった。

 いずれも、愛する人の死から始まる再生の物語。

 

 ここでは、奇跡もファンタジーも起こらない。 

 生きている人と人との関わりが、再び前に進む力となる。

 

 そのことを、いっそう飾らない文章、自然な物語展開でみごとに描きだした。

 その意味では、『ムーンライトシャドウ』、『キッチン』、『満月』の順で読むのがおススメだ。

 

 おやおや、いつもと違う「おススメ」になってしまった――。

 

 PS 実はその後、吉本ばなな原作つながりで、映画『白河夜船』(2015)を観たら、映画『ムーンライトシャドウ』への評価が変わってしまった。よろしければ、そちらもご覧ください。 →観ながら読んだ吉本ばなな『白河夜船』