小川洋子の『ホテル・アイリス』(1996)は、少女と初老の男との倒錯的な性愛を描く「官能小説」だという。
2021年に日本・台湾の合作で映画化された。
監督・脚本 奥原浩志
出演 永瀬正敏 陸夏(ルシア)
まず映画を観ていく。
ホテルアイリスは、古びたレンガ造りのホテル。
そこの娘マリ(陸夏 ルシア)は、一日中、ホテルで働く。
父は亡くなり、ホテルを経営する母親は派手な身なりでダンスパーティーによく出かける。
母親はマリを小間使いのように扱うが、マリの豊かな黒髪を櫛けずるときだけは優しい。
マリが近所の人々とやり取りすることばは中国語のようだが、マリと母親は日本語で話している。
ある晩、売春婦を怒鳴りつけ、殴りつけて、雨の中に出て行った初老の日本人客(永瀬正敏)。
マリはその男を再び街で見かけて気になり、あとをつける。
干潮時だけ海の中から現れる、島へ渡る石の道で、男はふり向いて、マリに話しかける――。
海岸沿いの石造りの街で、古びた市場や沖の島へと延びる道。
強烈なインパクトがある風景で、見知らぬ異国の、いつとも知れぬ時代にタイムスリップした感覚がある。
ここはどこなのだろうと調べてみたら、ロケ地は台湾の金門島だという。
30分ほど映画を観て、原作を開いた。
『ホテル・アイリス』(1998年 幻冬舎文庫)
ホテルアイリスの娘マリは17歳だが、高校も辞めて家業を一日中手伝い、友だちもいない。
そんな彼女が、初老の男、沖の島に独りで暮らす自称ロシア語の翻訳家と恋に落ちる。
実は男は、売春婦が「筋金入りの変態だ」と罵ったように、嗜虐的な性欲の持ち主だった。
しかしマリは男の求めに従順に応じ、むしろ胸ときめかせ、男との逢瀬を心待ちにする――。
常識では理解しがたいマリの行動は、孤独で退屈な日々ゆえと想像してもみたが、理解は必ずしも必要ないのかもしれない。
独特の妖しい世界に果てしなく酔いしれる感じで、ときどき映画をつまみ食いしながらも、最後まで読み飽きることのない小説だった。
映画で観た海岸の街のイメージが鮮やかに浮かび、とっぷりとその世界に浸ることができた。
読み終えて映画の続きを観ると、またその映像美に目を瞠る。
風景もそうだが、マリと男との性愛場面の描写が限りなく美しい。
下着姿のマリの肌をなでる鋭いハサミの切っ先。
やがてその下着を切り裂いていく。
真っ白な下着と肌の色のコントラストがとてもきれいだ。
小説ではこれでもかと赤裸々な描写が続くが、映画は確かにその場面を描きながら、しかし、映像の美しさが徹底されている。
マリは何度も全裸になるが、エロティックな部位は自然に隠されていて、映り込まない。
観ていて欲情を掻き立てられることはなく、うっとりするほどの美しさに息を呑む。
映画後半の展開・結末は小説と少し違い、幻想的で暗示的な映像で終わる。
エンディングには謎も残るが、造り手の独りよがりなイメージを押しつけられている感覚はない。
バイオリンの低音を基調としたテーマ曲もあいまって、美的感覚を揺さぶられる。
脚本から手掛けた奥原浩志監督の芸術的センスはすばらしい。
下手をすれば低俗なエロティシズムに墜ちてしまいかねない題材を、こんな美しい映画に仕上げるとは。
今回は、映画を観てから小説を読む。
それが断然、おススメだ。