吉本ばななの小説 『ムーンライトシャドウ』は、「日本大学芸術学部の卒業制作として発表したもの」(Wikipedia)だという。
1987年日本大学芸術学部長賞、1988年に泉鏡花文学賞を受賞した。
この作品は、『キッチン』(2002 新潮文庫)に収録されている。
今回も本を用意しておいて、まずは映画を観始めた。
『ムーンライトシャドウ』 2021年公開
監督:エドモンド・ヨウ
脚本:高橋知由
出演:小松菜奈 宮沢氷魚 佐藤緋美 中原ナナ 臼田あさ美 他
マイクの前に座ったさつき(小松菜奈)が、しばらくためらったあとで、「鈴の音が耳を離れないんです」と語り始める。
「あの鈴の音には、等(ひとし)と過ごした時間が全部詰まっている」……と。
アップの顔は疲れ、やつれ果てていて、輝きも美しさもない。
その鈴の音から、川べりでの等(宮沢氷魚)との出会い、二人で重ねた日々の場面が続いていく。
そして、等の弟 柊(ひいらぎ・佐藤緋美)、その恋人ゆみこ(中原ナナ)と四人で過ごした楽しい時間。
井戸のより深く、深いところでつながっている地下水脈や、死んだ人と再会できるという都市伝説「ムーンライトシャドウ」についての語りあい……。
そこまで30分ほど観て、いったん中断した。
冒頭のさつきの語りから、等との死別が予感されるが、まだはっきりとは出てこない。
それにしても、ストーリー性が弱く、場面やそのつながりが象徴的・暗示的で、わかりにくい。
正直なところ、エンタテインメント映画を観慣れてしまった頭には、何とも難解な映画に感じられる。
そこで『キッチン』を開き、最後に収録されている『ムーンライトシャドウ』だけをとりあえず読んだ。
読み始めたら引き込まれて、一気に最後まで読んだ。
これはすばらしくよかった。
愛する人との死別の苦しみに悶える心を、どうやって癒し、前に進むことができるか。
それを描いている。
さつきの一人称の文章は、てらいのない素直な語りで、情景も感情も、こちらの心にスッと入ってくる。
この処女作で、吉本ばなながその才能を絶賛されたのも、むべなるかなと思う。
この作品をモチーフにして、おそらくはテーマも原作を引き継いで、エドモンド・ヨウ監督は独自の映像世界を作り上げている――。
冒頭30分を観ただけでそれははっきりと感じられたので、原作と比較しないことを肝に銘じて、映画の残りを観た。
……すると、
場面から場面への不可解・不可思議なトーンは、最後まで変わらなかった。
その分、盛り上がりもない。
とくに、愛する人との奇跡の再会の場面――。
残念ながら、私の心には沁みてくるものがなかった。
死者の再生の物語については、このブログでも私のこだわりを何度か書いてきた。
現実の死の重みと残された者の苦しみがリアルであればこそ、たった一つのファンタジーが、一服の癒しとなる。
しかし、全体的に夢かうつつか、そのあわいを漂っているようなこの映画のトーンの中で、感動的なはずの“奇跡”は埋もれてしまう。
そんな影(現実)と光(ファンタジー)の関係を、エドモンド・ヨウ監督はどう考えたのか。
もしかしたらこれは、文化的な好みの違いかもしれない。
この映画は実際、カラフルな色彩にあふれている。
ところで、これを機会に、新潮文庫『キッチン』に収録された二作品『キッチン』と『満月―キッチン2』も読んでみた。
単行本の表紙
これらもすばらしかった。
いずれも、愛する人の死から始まる再生の物語。
ここでは、奇跡もファンタジーも起こらない。
生きている人と人との関わりが、再び前に進む力となる。
そのことを、いっそう飾らない文章、自然な物語展開でみごとに描きだした。
その意味では、『ムーンライトシャドウ』、『キッチン』、『満月』の順で読むのがおススメだ。
おやおや、いつもと違う「おススメ」になってしまった――。
PS 実はその後、吉本ばなな原作つながりで、映画『白河夜船』(2015)を観たら、映画『ムーンライトシャドウ』への評価が変わってしまった。よろしければ、そちらもご覧ください。 →観ながら読んだ吉本ばなな『白河夜船』