小説『やがて海へと届く』(2016)は、東日本大震災で遺された者が深い喪失感からどう再生していくかを描く。
作者の綾瀬まるは東北を旅行中に震災に遭遇し、その体験をリアルなルポルタージュとして書いた作家である。
映画は2022年公開
監督:中川龍太郎
脚本:中川龍太郎 梅原英司
出演:岸井ゆきの 浜辺美波 杉野遥亮
今回もまず映画を観ていく。
ホテルの最上階にあるダイニングバーでフロアチーフとして働く、28歳の湖谷真奈(岸井ゆきの)。
3年前の東日本大震災の日に東北を旅していたはずの親友すみれ(浜辺美波)の行方は、今もわからない。
ある晩、すみれの恋人だった敦(あつし・杉野遥亮)が、真奈の職場を訪ねてきた。
敦とすみれが暮らしていた部屋で、すみれの持ち物を整理する。
整理した残りをもって二人ですみれの実家を訪ねるが、すみれの母親(鶴田真由)も敦もすみれを死んだ者として扱うのが、真奈には耐えられない。
自分の中にすみれは確かにまだ生きているのに……。
同じ大学に入学してまもなく二人は仲よくなり、すみれが真奈の部屋に居候していた時期もあった。
雷の鳴る夜、二人で手をつないで眠った。
二人で旅に出ると、すみれはどこまでも歩いていくのが好きだった――。
真奈が生きる現在の物語と並行して、すみれとの記憶のシーンがよみがえる。
すみれを演じる浜辺美波の輝く笑顔が印象的だ。
最初の30分。いったん映画を中断して、原作を手に取った。
彩瀬まる『やがて海へと届く』 講談社文庫 2019
真奈の一人称で、しばしば心のつぶやきをからめながら出来事を語っていく。
映画と同じように現在の物語が進行しつつ、すみれとの記憶のシーンが描かれる。
いや小説ではもうひとつ、真奈が見た夢なのか、生々しい幻想の世界が独立した章節として挿入されている。
白昼夢か、あるいは悪夢か。不思議な夢幻世界である。
睡眠時の夢のようにすみれや敦など現実の人物が登場することもあるが、やはり夢らしく不可思議な展開を見せる。
この幻想世界にどう入り込めるかで、この作品の好みは分かれるのではないか。
真奈が喪失感を乗り越えていくプロセスはストーリーとして自然に読めるが、挿入される夢幻の世界が真奈の内面をより深く映し出す。
実際、小説の結末も象徴的なイメージの場面で終わっている。
小説としては満足して読み終えたが、夢幻的なイメージの部分には、正直、消化不良の感が残った。
その部分を埋めてくれるものを漠然と期待しながら、映画の続きを観た。
すると、映画はほぼ原作通りのストーリーを描き、真奈とすみれの過ごした時間がより具体的なエピソードで映像化されている。
そして後半、小説で真奈が前に進むきっかけとなる職場の同僚男性国木田との小旅行の行く先が、小説と違って東北の被災地になっている。
真奈たちは防潮堤の建設が進む海岸を歩き、震災で家族を喪った人々と出会う。
原作よりもストレートに核心に迫っていて、真奈が喪失体験を乗り越えていくプロセスをわかりやすくする映画らしい脚色だと、先の展開に期待をふくらませた。
……だが、必ずしもそうはならなかった。
結末近くなると、過去の場面がすみれ視点で再生され、何やらすみれの心の秘密が暗示される。
しかし、明確な伏線回収はないまま、あいまいなエンディングへとつながっていく。
ネタバレは避けたいが、私が期待した「映画らしいわかりやすさ」は、残念ながらそこにはなかった。
では、この作品は読むのがよいか、観るのがよいか。
どちらも、喪失からの“癒しと再生の物語”の感動を期待すると、必ずしも保証できない。
小説では真奈の喪失感に共感できるし、彼女が悩み紆余曲折の末に心許せる相手ができることには安堵し、心から祝福を送りたくなる。
ただ、物語の随所に挿入される夢幻世界の部分が重い。
映画では真奈(岸井ゆきの)とすみれ(浜辺美波)の対照的なキャラクターの友情に好感が持てるし、場面場面は美しい。
ただ、結末の感動は、私には味わえなかった。
あとは、読者の皆様にお任せしたい。