砥上裕將の小説『『線は僕を描く』は、水墨画i家の世界で成長していく若者を描き、2018年に第59回メフィスト賞を受賞した。
2020年の本屋大賞にもノミネートされている。
作者自身が水墨画家であり、その経験が存分に活かされた作品である。
映画は2022年公開
監督;小泉徳宏 脚本;片岡翔 小泉徳宏
出演;横浜流星 清原果耶 三浦友和 江口洋介 富田靖子
例によってまず映画を観ていく。
大学生の青山霜介(横浜流星)は、展示会場設営のアルバイトで初めて水墨画に接し、魅了される。
そこで、そうとは知らず斯界の巨匠篠田湖山(三浦友和)と言葉を交わし、見た水墨画について思ったままを話したところ、別れ際に「私の弟子になりなさい」と言われ、入門することになる。
一番弟子と思しき西濱湖峰(江口洋介)は、それらしくなくいつも頭にタオルを巻いて、湖山先生の身辺雑用や湖山邸の庭仕事をしている。
湖山先生の孫娘である篠田千瑛(ちさと・清原果耶)は近寄りがたい雰囲気を持つ美女で、水墨画の道を究めようと日々精進している。
霜介は湖山先生の教えを受けて次第に水墨画の魅力にのめり込んでいくが、なぜか、翌年の湖山賞を賭けて千瑛と勝負することになってしまう――。
映画を30分ほど観ていったん中断し、原作を読み始めた。
砥上裕將 『線は僕を描く』 講談社文庫
主人公青山霜介の一人称「僕」で書かれている。
物語の流れは映画とほぼ同じだが、細かな設定や展開は少しずつ違う。
主人公霜介は、高校生のときに交通事故で両親を同時に亡くした。
ぽっかりと穴のあいた心を抱えた霜介は、周囲の勧めるままエスカレーター式で大学に入り、何の目標もなく生きていたのだ。
それが前提で小説は展開していくが、映画の前半でそれは明かされていない。
小説を読み進めると、霜介は湖山先生に導かれるまま、素直に練習に取り組んでいく。
その間に、湖山先生、千瑛、あるいは兄弟子たちの作品や描く姿に触れていくのだが、その観察眼があまりにも鋭い。というより、ことばが詳細で的確すぎる。
気になりだすとますます鼻についてしまい、「一人称の霜介が専門的な眼で見ているのは不自然だ。霜介目線の三人称で書けばよかったのに」と、創作経験の浅い著者の技量を値踏みしてしまった。
しかし読み進めていくと、両親を突然に喪い、生きる羅針盤を失った霜介は、自分を守るガラスの壁を通してしか世界を見られなくなっていたのだとわかる。
もって生まれた観察眼が、心の中にある透明な壁のおかげでことさら際立つことになったのだろう。
そう気づくと、霜介が水墨画を見る内面語りも自然に読めるようになった。
すると、思いつきで弟子入りを提案したように見える湖山先生の行動にも、うなづけるものがある。
孤独に沈んでいた青年が師匠や仲間たちと交わりつつ、水墨画への精進を通して自分自身を見つめ、成長していく。
予定調和的なラストとはいえ、水墨画の魅力を伝える瑞々しい文章から、主人公霜介の思いが伝わり、彼の将来を心から祝福したくなる。
トーマス・マンやヘルマン・ヘッセなどドイツ文学でいう「ビルドゥングスロマン(=教養小説 主人公の内面的な成長を描く物語)」ということばを思い出させてくれる、読後感のよい小説である。
読み終えてから、映画の残りを観た。
この脚本は、小説を踏襲しつつも細部の設定や人物のセリフを小説に依存せず、独自に書き起こされているのがわかる。
そして、原作とは異なるドラマチックな展開のアレンジが随所に効いていて、とても魅力的な映画に仕上がっている。
霜介を演じる横浜流星は、今までこのブログで取り上げた『アキラとあきら』、『流浪の月』での役柄と違って、純粋で素直な青年を好演している。
千瑛役の清原果耶は、ストイックな厳しさの中に繊細な心を秘めた表情が魅力的だ。
三浦友和の湖山先生は凛として可愛いおじいちゃんで、江口洋介演ずる湖峰先生は軽さの奥に深みがあって、実にカッコいい。
そして、終盤に明かされる霜介の家族の悲劇は、設定を変えて近年多い災害死とすることで、時代をも写し込んでいる。
終盤のクライマックス、霜介と千瑛が、それぞれ描くべきものに目覚め、集中して水墨画に取り組む姿は、とても凛々しく、美しい。二人の姿が同時並行で進む映像づくりは見事である。
勝負の行方はほぼ小説に沿うが、彼らの魂の成長が実感できる。
ところどころで、水墨画の心である「自然と命」を描く風景や場面の映像が美しい。
さらにエンドロールでは、流れるような水墨画が次々とアニメーションで展開する。
最後の最後まで眼が離せない。
この作品はもちろん、“読んでから観る”。
それが断然おススメだ。
だが、私のように映画の最初30分ほどを先に観ておくとよい。
その映像が記憶にあれば、水墨画の作品とそれを描く手わざをありありとイメージして読むことができる。
そうして小説を堪能したあとに映画を観れば、よりドラマチックな展開や映像づくりの巧みさを存分に楽しむことができるはずだ。