葉真中顕(はまなか あき)の小説『ロスト・ケア』(2013)は、第16回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した。
2023年に映画化されたタイトルは『ロストケア』。
監督:前田哲
脚本:龍居由佳里 前田哲
出演:松山ケンイチ 長澤まさみ 鈴鹿央士 坂井真紀 柄本明
例によって、まずは映画を観ていく。
どこにでもありそうな、高齢化が進む田舎町。
八賀ケアセンターのワゴン車で訪問介護に回る3人のスタッフ。
ベテラン看護師の猪口真理子、新人介護士の窪田由紀、そしてハンドルを握るのはまだ30過ぎなのに白髪の介護士斯波宗典(しばむねのり・松山ケンイチ)。
3人はお年寄りの家を訪問しては優しく声を掛け、てきぱきと身のまわりのケアをして行く。
とくに斯波の丁寧な介護ぶりは徹底しており、新人の由紀はそれを尊敬のまなざして見つめる。
一方、八賀地方検察庁の検事 大友秀美(長澤まさみ)は休日に、高級なケア施設に暮らす高齢の母と面会する。
母はそこで快適に過ごしているようだが、その言動から既に認知症が進んでいることがわかる。
ある晩、八賀ケアセンターの所長団元晴が利用者宅で頭を打って死亡しており、利用者のお年寄りも亡くなっていた。
防犯カメラの映像から、深夜に近隣を車で走っていた斯波が容疑者として逮捕される。
大友検事はその取り調べを担当するが、やがてケアセンター訪問先の高齢者40数人を斯波が殺害した疑いが浮上する――。
30分ほど観て映画を中断し、原作を開いた。
葉真中顕 『ロスト・ケア』 (2015 光文社文庫)
この作品は節ごとに人物名と年月が掲げられ、その視点から描かれる。
読んでいくと、映画で長澤まさみ演じる検事 大友秀美は、原作では男性の大友秀樹である。
また、映画には登場しない大友の旧友佐久間功一郎という人物が、重要な役どころを担う。
佐久間は八賀ケアセンターが末端に属する介護事業グループ「フォレスト」の営業部長であり、大友の父親のために系列の高級高齢者ホームをあっせんする。
大友は認知症を患う自分の父を楽園のような施設に預けて、自らは介護問題の安全圏にいながら、地獄のような介護現場で起きた犯罪を追及することになる――。
事件は2007年に起き、2011年の判決前後の場面が序章と終章に描かれている。
序章で既に、介護現場で43人の命を奪った犯罪だと明かされている。
しかし、その罪を犯した「彼」は、斯波とは別の視点人物になっていてやや謎めいている。
とはいえそれも見え透いていて、そこにミステリーの巧妙なしかけはない。
むしろ、介護家庭の実態が赤裸々に描かれる場面で、亡父の介護をした経験のある私には、身につまされる描写がいくつもあった。
介護の現実を、リアリティを持って描き出している。
だが、犯罪の動機は大方の読者が想像する通りで、物語の展開も予想の範囲内である。
映画ではそっくり割愛されている佐久間功一郎の視点も含めて、小説全体として介護ビジネスの実態や介護保険制度の問題点などを浮き彫りにしているのは、見事だと思う。
その意味で少子高齢化を迎えた現代社会への痛切な問題提起の小説であるが、どこまで裏づけを持って書いているかという疑問が残る。
小説を読み終えてから映画の残りを観たが、ときどき映画もつまみ食いしていたので、ラストまで45分。
映画なりのオリジナルな解釈や結末はあるのだろうかと、興味深く観た。
映画は、介護ビジネスの一面を示す佐久間功一郎のエピソードをすべて割愛し、大友と斯波の対決を軸として進む。
それによって斯波の犯罪が提起する問題を、より鮮明に浮かび上がらせる。
見どころは斯波(松山ケンイチ)と大友検事(長澤まさみ)の取り調べのやりとりである。
斯波は自分の正しさを譲らず、「あなたならどうするのか」と、大友の人間性にむけて容赦ない問いを突きつける。
大友検事は個人の感情を揺さぶられながらも、検事の役割を全うしていく。
そして、判決。……いや、その後日談。
描かれるのは、権力をもって上から断罪していた検事が、容疑者の突きつけた問いに、人として同じ地平に下りて応えようとする姿。――
老人介護の極限状況で露わになる、不完全な人間が生きる不完全な社会の大いなる矛盾。
そこに救いがあるとすれば、社会正義などではなく、人と人とが互いの弱さを認め合い、許し合える、ということなのではないか。
この映画の結末は、そう伝えているように思える。
この作品は「読んでから観る」。
それが断然、おススメだ。