2023年公開の映画『エゴイスト』には、小説の原作がある。
今回も小説を用意しておき、映画から観始めた。
監督:松永大司
脚本:松永大司 狗飼恭子
出演:鈴木亮平 宮沢氷魚 阿川佐和子 柄本明 中村優子 ドリアン・ロロブリジーダ
華やかな女性モデル撮影の現場を仕切る編集者の斉藤浩輔(鈴木亮平)。
場面は変わり、飲み会で楽しく盛り上がる浩輔と数人のメンバーは、その話し方、話の内容から、ゲイの仲間たちであることがわかる。
故郷の田舎町に降り立った浩輔は、ブランド服を鎧としてまとい、自分をいじめたかつての同級生たちを見下して実家に帰る。
今は父だけが暮らすその家で、仏壇で笑う母は浩輔が中学生のときに亡くなった。
仲間たちのつてで出会ったパーソナルトレーナーの中村龍太(宮沢氷魚)は、美貌の青年である。
病弱な母を支えるために高校を中退し、働いてきたという。
二人は惹かれあい、まもなく同性愛の関係になる――。
しかし、裸の男同士が絡み合い、激しくキスをするシーンは衝撃的である。
いつものようにジムでスロージョギングしながらiPadで観ていた私は、公衆の面前ではやばい……と、あわてて画面を変えた。
あとは部屋で一人で、とりあえず30分まで映画を観た。
そこでいったん中断し、小説を読み始める。
高山真『エゴイスト』(2022 小学館文庫)
映画でゲイのセックスシーンをリアルに演じていることには、正直、戸惑った。
ゲイの世界を描いた作品だと思った。
だが小説を読んでみると、そうではなかった。
とても切なく、感動的な物語だった。
ゲイであることは日常であり、背景であって、そこに展開する恋人同士あるいは親子の愛に変わりはない。
主人公の愛情表現の不器用さ、そしてそんな自分を「エゴイスト」ではないかと悩む彼の誠実さに打たれる。
この作品は映画化をきっかけに文庫化され、そのあとがきは主演の鈴木亮平が書いている。
高山真はエッセイ集など複数の著書があるが、初めての小説『エゴイスト』に自身の経験を結実させた。
しかし残念ながら、その後、亡くなったという。
鈴木はこの映画を主演するにあたり、高山の家族、友人を訪ね、話を聞いていく――。
鈴木のあとがきを読んで若くして逝った作家の遺作と知り、私は小坂琉加の『余命十年』を読んだときと似た思いにとらわれた。
また、作者の遺族らに話を聞きにいくという鈴木亮平の役に向き合う真摯な姿勢に感心する。
そして、鈴木がどんなふうに浩輔を演じるのか、楽しみに映画の続きを観た。
冒頭部分を観たときは気づかなかったが、カット編集が少なく、長回しのシーンでできている。
いや、よく観ると手持ちのカメラで撮影しているのがわかる。
すると、龍太(宮沢氷魚)と母妙子(阿川佐和子)が暮らすアパートの場面など、取材のカメラが家庭に入って、日常をルポしているようなリアリティがある。
そして、鈴木ら俳優たちのやりとりも、一般人がカメラの前でぎこちなく会話しているみたいに “自然”なのだ。
著者高山真の遺した世界をそこに具現化しようと、スタッフもキャストも丁寧に、誠実に作品づくりに向き合っているのを感じる。
そしてラストシーンは劇的でなく、自然でなにげない会話で終わる。
しかしそのあとを想像させ、余韻を残す。
奇をてらったところのない、とても優しい映画だと思う。
そう考えると、「ゲイのセックスシーン」も、あるがままを描いたと言える。
それを本気で演じている鈴木亮平と宮沢氷魚には、役者としてのプロ意識を感じる。
だた、観る側にしてみると、見慣れないのでショックが大きいのだ。
ふつうにあるものを隠さずにありのまま映像化した、その真摯なチャレンジをまずは称えたい。
そしてこうしたシーンはやがて、『ホテルアイリス』の倒錯性愛場面のように、うっとりする美しい映像表現へと進化していくといいと思う。
そんな映画がいつか出てくるのではないか。
それが楽しみだ。
この作品、やはり最初の30分か予告編を観ておいて、「読んでから観る」。
それがおススメだ。