東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』 (1996 講談社文庫)。
なんというベタな題名だろうと思うが、「新本格」と呼ばれる謎解きメインのミステリー小説がブームになった頃の作品である。
それが、最近になって実写化された。
映画『ある閉ざされた雪の山荘で』(2024)
監督:飯塚健 脚本:加藤良太 飯塚健
出演:重岡大毅 中条あやみ 岡山天音 西野七瀬 堀田真由 戸塚純貴 森川葵 間宮祥太朗
今活躍する若手俳優たちが、顔をそろえている。
劇団 “水滸”の次回公演キャストとしてオーディションを通過した7人の男女。
彼らは、劇団主宰の演出家から人里離れたペンションで3泊4日の合宿を命ぜられる。
雪に閉ざされ、孤絶した山荘で起こる殺人事件という設定で、その謎を解いた者が主演の座を獲得するという。
外部への連絡は禁じられ、脱落した者は出演の機会を失う。
与えられた設定の中で実際に仲間がひとり、ふたりと消え、殺害の方法を書いたメモが残る。
彼らは演出家の指示で姿を隠したと思われていたが、血の付いた凶器が見つかるに及んで、「もしかしたらほんとうに殺されているのかも……」という疑念が募り始める。
いったい犯人は誰なのか……。
まず映画を30分ほど観て、それから原作を読み始める。
通勤電車で数日読み進めたら、その週末、読んだところまで映画を観る。
再び小説に戻って、謎解きと人間ドラマを楽しみながら、最後まで読み切った。
そのあとで映画の残り40分を、これもまた楽しんで観た。
この手の小説はまず、登場人物名を覚えるのに難儀する。
しかし、映画を観て風貌のイメージができているので、キャスト表を見て名前を確認しながら読み進めたら、頭の中ですぐ整理がついた。
そして、物語にとっぷりと浸って謎解きのプロセスを味わうことができた。
本格ミステリの醍醐味はやはり、うまく騙されることにある。
巧妙なしかけにミスリードされて謎が深まり、結末で真相が明らかになると、パズルのピースがつながって全体像が見え、カタルシスを味わう。
それだけに、小説を読み終えて観る映画も、映画を観終えて読む小説も、ネタバレしていて面白味は半減する。
しかし、私流の「観ながら読む」方式だと、結末がわからないまま、両方とも楽しむことができる。
また、原作に忠実に作られた映画でも、たいてい結末にアレンジを加えてあるので、小説を読み終えたあとに観る映画の残り30分は、これもまた興味深い。
だがふつうは、小説を読んでから映画を観るので、自分なりにイメージした世界との違いに戸惑い、つい批判的に観てしまう。
すると、映画を素直に楽しめない。
だからこそ、私流「観ながら読む」やり方がおススメなのである。
まず映画の冒頭30分を観てイメージを頭に入れてから小説を読み始めれば、映画の影響を受けつつイメージを作っていくので、あとで映画の続きを観ても違和感がない。
小説の読み始めも、先に映画のつまみ食いでイメージを入れておけば、物語の世界にすんなりと入っていける。
そうして “読みながら観た”この映画。
探偵役の謎解き・伏線回収が冗長にならないよう、いくつか設定を変更したほかは、かなり原作通りに作られている。
そして、結末は原作のテイストを活かしながら、さらに映画らしい鮮やかなエンディングが用意されている。
それも小説を読んで真相を知っているからこそ、楽しめるアレンジである。
今回の作品で、私流の「観ながら読む」方法は、謎解きミステリーの小説と映画の両方を楽しむことができる「究極の裏技」であると、あらためて実感できた。