ウォッシュ・ウェストモアランド監督、キーラ・ナイトレイ、ドミニク・ウェスト、エレノア・トムリンソン、アイーシャ・ハート、フィオナ・ショウ、デニース・ゴフ、ディッキー・ボウ、レイ・パンサキ、ジョニー・K・パーマー、ジュリアン・ワダムほか出演の『コレット』。2018年作品。PG12。

 

1893年、パリ南東の小村サン=ソーヴル=アン=ピュイゼ出身のシドニー=ガブリエル・コレット(キーラ・ナイトレイ)は14歳年上の“ウィリー”ことアンリ・ゴーティエ=ヴィラール(ドミニク・ウェスト)と結婚し、パリに移り住む。やがて彼女は自らの表現者としての欲求の芽生えによって、また夫にもうながされて自叙伝的な小説「学校のクロディーヌ」を執筆する。それがウィリーの名義で出版されると、本は評判となり飛ぶように売れた。しかしウィリーの浮気や浪費癖は続き、そして何よりコレット自身の意識の変化によって次第に彼女の心は夫から離れていく。

 

キーラ・ナイトレイ主演の歴史物っぽい映画、ということぐらいしか予備知識がないまま予告篇も観ずに鑑賞。恥ずかしながらフランスの作家“コレット”の存在も知りませんでした。

 

ちょうど先日、やはりナイトレイ主演の日本未公開映画『アラサー女子の恋愛事情』をDVDで観たばかりだったんですが、僕が劇場で彼女の主演映画を観るのはこれが初めて。

 

これまで文芸物やコスチューム物に何本も出演してることは知っていたけど、『アラサー女子』の方は完全な現代劇だったから同じ女優さんの異なるテイストの作品を続けて観られたのは楽しかったです。

 

キーラ・ナイトレイって「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズで顔と名前が売れた人だけど、今では結構きわどい役も演じてるんですね。

 

…といっても彼女の“貧乳”は有名だし、体型はヒョロッとしてて一見あまりエロティックな感じはしないんだけど(でもよく見ると太ももにはしっかりお肉がついている)、『アラサー女子』でもその魅力が全開だったようにコメディもイケるユーモアのセンスがあって、また中性的な雰囲気もあるから、男性も女性も魅了したコレットを演じるのにはピッタリな女優だな、と。

 

時たま半開きになる口もそうだけど、「顔」の動きでエロさを表現する人だなぁ、と思います(セクハラ発言ではありません。褒めてます!)。キーラ・ナイトレイは顔が“パントマイム”をしている。

 

僕は事前には知らなかったんだけど、監督のウォッシュ・ウェストモアランド(男性)はパートナーが同性だし、この映画は劇中で同性愛やバイセクシュアルなどLGBTQについて描いてもいる。これもあとで知ったんですが、やはり女性の同性愛を描いていた『キャロル』のスタッフが再結集して作った映画だったんだな(『キャロル』も『コレット』も原題通りのシンプルな邦題で、よくありがちな余分な副題がついていないのがいい)。

 

ムーラン・ルージュの舞台上でヒロイン役のコレットと“男装”したトランスジェンダーの貴族ミッシー(デニース・ゴフ)がキスをすると、客席から物を投げつけられて罵声を浴びせられたりもする。

 

舞台「エジプトの夢」のコレットのダンスを劇中で再現する際に、ウェストモアランド監督はドイツの名匠フリッツ・ラング監督の『メトロポリス』(1927)でロボット・マリアが「ヨシワラ」で見せるストリップダンスから着想を得ている。おっぱいをペロンっと見せるパフォーマンスもほんとにやってたようで写真も残っている。またコレット本人も映画とかかわりがあった。

 

ミッシーとコレット(本人)

 

そういう部分で、ある種の人々の関心を惹くだろう映画であると同時に、また別のある種の人々からは敬遠されるタイプの映画かもしれない。つまりフェミニズム的な要素が濃厚だということ。

 

コレットという作家自身が先進的で自ら「性の自由」を実践した人でもあるのだから、彼女を題材にしている時点でそのような要素は当然入ってくるでしょう。意識せずにそういう映画を選んだ自分にもちょっと面白さを感じたし。なんだか興味のある題材に自然に引き寄せられてるみたいで。

 

フランスを舞台にご当地の国民的な作家が主人公の映画にもかかわらず、監督や主演のキーラ・ナイトレイをはじめ出演者のほとんどが英国人というのが不思議だし、全篇英語なので(ロケやセット撮影も多くは英国やハンガリーのブダペストなどで行なわれている)最初のうちはかなり違和感があったんだけど、出演者たちの好演のおかげでだんだん気にならなくなりました。

 

作劇上の効果を考えてコレットが登場人物たちとそれぞれかかわる時代が史実と変えられているところもあるけれど、描かれていることは概ね事実なのだそうで。

 

ちょうど「プロヴァンス物語」シリーズと同じぐらいの20世紀初頭、ベル・エポックの時代。コレットが同性愛的な関係を結ぶアメリカ人のジョルジー・ラオール=デュヴァル(エレノア・トムリンソン)の別宅には、彼女のお気に入りのアール・ヌーヴォー様式の調度品が飾られている。

 

 

 

ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』で描かれたように、まるであの時代にタイムスリップしたような感覚。

 

劇中では同性愛や異性装が描かれるけど、トランスジェンダーとシスジェンダーの役に実際はそれとは逆の俳優を配したり脇役のキャスティングにも工夫を凝らしたようで、史実では白人だった人物の役にあえてアジア系やアフリカ系の俳優を配しているのは『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』を思わせる。

 

コレット自身が男性とも女性とも恋愛や性的関係を持っていた人なので、これは題材と手法が合致してもいる。単に昔の時代を描いたノスタルジックな物語ではなくて、とても現代的な内容なんですね。

 

ウェストモアランド監督はパートナーのリチャード・グラッツァー(2015年死去)とともに何年もかけてこの映画の脚本を書き続けてきたそうなので念願の企画だったわけだし(グラッツァーの他界後の共同脚本家はレベッカ・レンキェヴィチ)、やはり時代を先取りしていたコレットの人物像に大いに魅せられたんでしょうね。

 

それまでは自然の中で植物や虫たちに囲まれた生活をしていたコレットは、大都会パリのサロンに集う上流階級の人々や芸術家たちの気取って見栄っ張りなところに最初のうちは馴染めなかったが、小説を書き自ら舞台に立ってパントマイムの巡業を始めるようになると、新しい価値観を積極的に取り入れてそれを私生活や作品の中で表現するようになる。性の方面でもより奔放に振る舞うようにも。

 

 

 

男装したコレット(本人)

 

小説やダンスなどの表現手段を得て、もともと彼女の中にあったものが開放されたということかもしれない。その後、多くの後進の芸術家たちに作品が愛され彼女自身が憧れの存在として仰ぎ見られたのも、コレットが先駆者としての輝きをずっと放ち続けていたからでしょう。まだ『ローマの休日』に出演する前の無名時代のオードリー・ヘプバーンを見出したのが彼女だったことも今回初めて知りました(そのエピソードは映画では描かれませんが)。

 

ちなみに現在再放送中の朝ドラ「おしん」の主人公・おしんは1901年(明治34年)生まれという設定だけど、それはちょうどコレットが活躍し始めた頃。当時の日本はまだまだ女性が経済的に自立することは難しかったが、やがて成長したおしんは「男に頼らずに手に職をつけるため」髪結いの修行をすることになる。この映画と同じようなテーマが扱われていますね。

 

コレットもまた夫に頼らず自分で働いて稼ぎ、やがては彼女を見出したウィリーと、彼との共同作であった小説のヒロインでかつての自分をモデルにしたクロディーヌを“超えていく”。

 

 

 

 

ウィリーとコレット(本人)

 

映画の中ではウィリーが「クロディーヌ物」の権利を第三者に売ってしまい、ふたりで作り上げた“大切なもの”を彼がないがしろにしたことが離婚の決定的な原因として描かれているけれど、僕はコレット本人の回顧録は読んでいないので実際はどうだったのかわかりませんが、ふたりの結婚はある時期から破綻していたようなので別れは時間の問題だったんでしょう。離婚後は互いに接触もなく、コレットはウィリーの葬儀にも出席しなかったんだそうで。

 

人と人との関係って、切れてしまうとそれっきりということがしばしばあるけれど、何か切ない。

 

ウィリーの描き方がとても面白くて、浮気はするし妻を部屋に閉じ込めて無理やり小説を書かせ、ゴーストライターとして使って手柄を自分のものにしてしまったり(僕は観てないけど、最近もそういう映画がありましたね)とヒドいんだけど、一方では人々の求めるものを熟知していてやり手のビジネスマンだった彼の先見性は観ていて小気味よいものもあって、またその陽気でユーモラスな振る舞いには人間的な魅力が溢れてもいる。

 

紛れもなくコレット(他の作家たちさえも)を搾取して彼女を「手綱」で縛りつける不届き者ながら、ただの悪人とはいえない二面性がある。そして人間とはしばしばそういうものだ。

 

何かといえば「男の性(さが)」と言い訳して浮気を正当化するウィリーにコレットがブチギレる場面があるけど、同じことを言ってる男性は今でもいますよね。変わってないよな^_^;

 

演じるドミニク・ウェストはちょっとスティーヴン・ボイドを思わせる顔立ちと腹から響いてくるようなイイ声で、うら若きコレットが惹かれたのもしかたないと思わせるチャーミングさを持ち合わせたこの男を見事に演じている。ドミニク・ウェスト本人は太っていないので、実際のウィリーの体型に合わせてファットスーツを装着していたのだそうな。夏場の撮影で暑くて大変だったらしい。

 

 

 

監督が最初からコレット役に希望していたキーラ・ナイトレイはもちろんだけど、この映画の面白さの半分を担っているのは言うまでもなくドミニク・ウェストだろう。

 

脚本での描き込みとウェストの好演によって、「自立を目指す女性」の夫婦間の問題を描いたありがちな話以上の女と男の複雑で時に滑稽でもある関係が非常に興味深く描かれている。

 

この映画がオスカーのどの部門にもかすりもしなかったのは納得いかないですね。作品賞や脚本賞、脚色賞などでノミネートされても不思議ではなかったし、主演のキーラ・ナイトレイ、助演のドミニク・ウェスト、衣裳や美術などもとても素晴らしかったのに。

 

まぁ、賞を獲ったかどうかは必ずしも作品の良し悪しとは関係ないですが。素敵な映画なら、口コミで評判が広がって多くの人たちに観てもらえればそれでいい。

 

妻が夫の名前で本を出版──というと、去年観た「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリーを描いた『メアリーの総て』を思い浮かべますが、メアリー・シェリーと同じようにコレットはやがて自分の名前で作品を発表するようになる。彼女を見出した男性を超えていくのだ。

 

そういう物語が今いかに必要とされているか。それは『ワンダーウーマン』や『キャプテン・マーベル』の人気からもうかがえる。しかもコレットはアメコミヒーローと違って実在の人物で、今から120年も前に活躍していた人。その事実は多くの人たちの勇気を奮い立たせるとともに、あれから世界ではどれほどの進歩があったのだろう、と溜息をつかせもする。

 

社会や男性に引かれた「手綱」を振りほどいて軽やかに時代を駆け抜けていくひとりの女性の姿に、頼もしさと憧憬の念を抱く。

 

劇場パンフレットには劇中の登場人物や時代背景について丁寧に解説がしてあって、作品の理解をより深める手助けをしてくれます。

 

僕はファッションにまったく疎いのでキーラ・ナイトレイがファッション・アイコンのような立ち位置の人だったことを初めて知ったし、彼女が芸術的なものへの関心が強い知的な人であることもインタヴュー記事を読んで知りました。

 

ごめんね、『アラサー女子』観て「顔が面白い」とか言って^_^; 

 

この映画では10代から30代までを演じているけれど、初々しさの中にこだわりや一本筋の通ったものを持ったコレットの強さや可愛らしさ、エロティックな部分などさまざまな面を表現している。

 

その演技には安定感があって、やはり芸達者なドミニク・ウェストとのコンビネーションは見応えがありました。

 

ちなみにキーラ・ナイトレイとドミニク・ウェストは、ともにかつて『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』(1999)に出演している。ナイトレイはナタリー・ポートマン演じるアミダラ女王の影武者役。ウェストは義勇軍(戸田なっちの字幕では“ボランティア軍”)の兵士役で、アミダラの控え室のドアの前で幼いアナキン・スカイウォーカーと言葉を交わす。ナイトレイとウェストの二人が同じ場面で共演していたかどうかは覚えていませんが。

 

(左)K・ナイトレイ (右)N・ポートマン

 

意外とナイトレイがあの影武者役だったことを知らない人って多いんだよね。まぁ、まだ有名になる前だし、顔も白塗りだったから気づかない人がいて無理もないけど。

 

あれからしっかり“主役”を務める女優さんに成長しましたね。

 

「生真面目過ぎてフランス人っぽくない」「キーラ・ナイトレイがキーラ・ナイトレイにしか見えない」といった批判もあるようだけど、僕はコレットご本人のことを知らないから気にならなかったし、ただシリアスなだけではなく随所にユーモアも交えた爽やかな後味の映画でしたよ。

 

 

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