《中編》 より
 

 

【日本マンガの世界伝播】
 韓国の40代以下の人たちは、基本的に日本のマンガ、アニメで育った世代なんです。彼らが子供だった時代の韓国では、著作権を無視して日本のマンガをどんどん韓国語に翻訳しては、日本製であることを隠して出版していました。ですから、彼らは日本のマンガやアニメをずっと韓国製だとばかり信じて読んできたのです。(p.209)
             【韓国の経済発展を創出した日本】
 マンガやアニメは子供たちに対して日本文化を伝える強力な道具だったのだから、著作権無視もあえて言挙げせずに、日本人は過去の事実を受け入れることだろう。アメリカも韓国も台湾もはたまたヨーロッパも、マンガやアニメによる日本文化進出は、日本国内とほぼ同時進行だったのである。
   《参照》   『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』 杉山知之 (祥伝社) 《前編》
             【アメリカで流行ったアニメ】

 

 

【日本は世界に類例のない「夢のような国」】
呉  幕末・明治初期にかけて日本を訪れた西洋人は、 ・・・(中略)・・・ 親和感に満ちた調和的な社会に、強烈な羨望の眼差しを向けています。日本は世界に類例のない「夢のような国」、そういう印象を綴った人たちがたくさんいます。 ・・・(中略)・・・ 。
 いまは日本のよいところがなくなってしまったといわれます。日本人自身からすればそうなのかもしれませんが、私には日本はいまなお「夢のような国」の資質を失っていないと感じられます。私に限らず多くの外国人が、本音では同じように感じているはずなんです。ですから私は、日本人自身が、そのことに気づくこと、つまり大切なものを再確認すること、そこが本格的な日本復興へのスタート地点になると思います。今回の大地震で、多くの日本人がそうした再確認をしたのではないかと思います。(p.113)
 日本に長く住んでいる著者さんのような方が、こう言ってくれるのは心強くかつ嬉しいことである。海外で長いこと生活している日本人の皆さんも、同じように思っていることだろう。
 国際文化比較や日本文化に興味が向き始めた大学生あたりがこの読書記録を発見してくれたら、ついでにいろいろ辿れるように、いっぱいリンクしておいた。この読書記録を踏み台にして、多くの日本人の若者たちも、“呉善花さんの夢”に負けないよう、各自でさらに日本と日本文化に関する高度な教養を培ってほしい。
   《参照》   『帰化日本人』 黄文雄・呉善花・石平 李白社 《後編》
              【呉善花さんの夢】
   《参照》   『なぜ勉強するのか?』 鈴木光司 (ソフトバンク新書)
              【自分を表現すること】

 

 

【精神文化としての日本文化】
呉  たとえば外国人の間でも人気が高まっている日本の茶道は、中国のように茶の味を楽しむ知覚文化ではなく、明らかに精神文化ですね。茶道イコール禅という感じで、とても気持ちが落ち着くというあたりが焦点になっています。華道は北欧でも盛んになっていて、教える先生が足りないほど流行っていると聞きました。精神的な渇望が進んでいるのにどこでも精神文化が衰退していて、多くの人たちが精神を豊かにしてくれるものを探していくなかで、日本文化と出会っていったと思います。(p.213)
 香港やタイなどの国際的な観光地で、無言のまま何ものかを感受しようとしているかのように一か所に長時間留まっているのは、明らかに欧米の人々である。ノイズメーカーのようにおしゃべり好きな中国人や台湾人とは違って、異文化の精神に対して意識を凝らしているかのような欧米人の態度に出会って、観光地の風景よりも見いってしまうものだけれど、彼らは異なる精神文化に対して明らかに深い興味を抱いている。
 なのに日本人が、奥深い泉のような自国の文化を実践したこともなければ説明もできないというのでは、ホトホト困ってしまうのである。
   《参照》   『ニッポン人には、日本が足りない』 藤ジニー (日本文芸社)
              【生け花】
   《参照》   『日本のおもてなし心得帖』 藤ジニー 幻冬舎
              【着物生活】
              【茶道の所作】
   《参照》   日本文化講座 ⑥ 【 茶道 】

 

 

【日本人自身がやってくれるから・・・】
呉  ジュネーブで世界のセレブたちが集まってくるホテルなどには必ずスパがあって、そういうスパには日本人がやっているエステサロンがずいぶん増えているということです。それもお客さんたちは、単に日本風とか日本式だからというんじゃなくて、日本人自身がやってくれるから受けたいと、そういうことなんですね。日本人のあの丁寧なサービスを受けることが、ジュネーブのセレブたちの間では、一つのステータスになっているそうです。(p.216)
 近年、中国市場で取材されたネイルアート・ビジネスの報道番組を見たことのある人なら、中国人には丁寧な対応が「普通にできない」という事実にビックリしつつも、よく分かったことだろう。中国人に限らず、日本人以外は、おしなべてサービスにおいて繊細さ丁寧さというのが基本的に欠落しているのが普通である。
 茶道経験ありという日本人女性は、国際的なサービス市場で高い価値を持つようになることだろう。

 

 

【上質なお客として毎年世界一の日本人】
竹田  日本のお客さんはホテル側からしてみれば最上のお客さんなんですね。その理由がアンケートに出ているんですが、日本人というのは、もてなす側だけでなく、もてなされる側のお客さんも、お店に対して気遣いをする、ということなんですね。(p.238)
 日本人としてみれば、「そんなの、あたりまえじゃん」なんだけれど、階級社会としての根深さが残っている諸外国においては、これが当たり前ではないのである。
 中国旅行のパッケージツアーに参加したことのある人なら経験があるだろうけれど、大きなレストランで食事の終わった後のテーブルの状況を見れば、日本人か否かはすぐに分かるものである。初めて経験する人なら、中国人の食後のテーブルを見て間違いなく唖然とする。一事が万事である。
 こういったお店に対してですら気遣いをする日本人の行動様式を、外国人に対して説明しようとするなら、以下の呉善花さんの解釈が相応しいだろう。

 

 

【美の道を行く日本人】
呉  キリスト教文化圏や儒教文化圏の人たちは、基本的に善悪、正義を基準にして物事を考えていますから、日本人の価値観がなかなかわからないんです。日本人自身もそのへんをはっきり意識しているとはいえないように思います。もちろん日本人にも正義や善悪についての考えはあるわけですが、それはとても相対的なものですね。 ・・・(中略)・・・ この普遍的とか絶対的とかいう考え方を多くの日本人は好かないんですね。正義とか善悪とかいっても、人それぞれで違うとか、場合によって違うとか、いろいろな考え方があっていいとかいうわけです。
 ・・・(中略)・・・ 外国人がよくいう「日本人の価値観がよくわからない」とはそういうことなんですね。かつての私にしてもそれは同じことでした。
 たいていの日本人はカッコよく生きたいと思っていますね。カッコ悪い生き方やみっともない生き方だけはしたくないとよくいいますし。多くの日本人が人生で目指すところは、どういきるのが正しいか、どう生きるのが善なのかではなく、どう生きるのが美しいかなんですね。正義の道を行く、善の道を行くというのではなく、美の道を行くのを理想としているのが日本人だと思います。(p.248-249)
   《参照》   『歩を「と金」に変える人材活用術』 羽生善治・二宮清純 (日本経済新聞社)
             【「打ち歩詰め」という禁じ手】

 

 

【日本が輸出すべきもの】
竹田  工業製品から始まってアニメやマンガになってきたところを、さらに落とし込んで軽工業品へ、さらには日本語へと、より深いところへもっていく努力をすべきではないかと思います。そのためには、国家が日本語を輸出商品とすることに力を入れていかなくてはなりませんね。(p.253-254)
 世界商品として有望な日本の軽工業製品として、竹田さんは、ルイ・ヴィトンより遥かに歴史のある「甲州印伝」を挙げている (p.221) けれど、軽工業製品の内に、日本人が愛好する日常生活物資を含めてもいいだろう。細やかな便利さを惜しみなく追求する日本人が生みだした安価な商品、具体的には100円ショップにあるようなミニ・ドライバー・セットのような便利な小物が欧米の市場で売れ出しているという。
 また、地球規模の風水法則(ガイアの法則)に照らしても、日本語を世界展開させるという視点は相応しい。いずれ世界経済の動向に則しても、そうなって行くのである。
   《参照》   『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
              【経度0度と経度135度の文明的特徴】
   《参照》   『図書館のある都市への旅』 堀田穣 (鹿砦社)
              【オークランド市立図書館にて】

 

 

【「あとがき」に呉善花さんが書いていること】
 竹田さんは難しいことを実に平易に語られます。深いところまで理解が届いているからこそできることに違いありませんが、聞く者には和やかなうち解けを求める心の働きが伝わってきます。(p.257)
 最初の一文はリップサービスだろう。
 竹田さんが明治天皇の玄孫であり日本人をテーマにした対談だからといって、呉善花さんより20歳近くも若い竹田さんが、日本に帰化して日本文化を深く研鑽し理解している呉善花さんより日本文化に関する解釈が深く平易であるわけがないのである。
 我々一般人読者が、この対談を読んで得るところが多いのは、明らかに呉善花さんの発言の中にあるもののはずである。
 国際文化比較の観点でも、純粋な日本文化の観点でも呉善花さんの著作は参考になる記述が非常に多い。

 

 

<了>