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 長年、図書館の司書をやってこられた方の著作。北九州、ニューヨーク、アイルランド、韓国、ニュージーランドの5都市を巡った内容が書かれているけれど、図書館関連というよりは単なる旅行記みたいな旅の記録になっているところが少なくない。実体は雑記本である。2000年5月初版。

 

 

【昔の図書館は、「貸し出し」制度がなかった!】
 1963年といえば、図書館界では記念すべきことが起こっていた。「中小都市における公共図書館の運営」 という報告書が日本図書館協会から出されたのだった。 ・・・(中略)・・・ その戦略的方法は 「貸し出し」。それまで図書は、図書館の館内から持ち出せず 「閲覧」 という方法でしか利用できなかった。(p.30-31)
 へぇ~~~である。
 貸し出すようになった頃は、裏表紙側の内側に、紙の貸し出しカードを差し込むようになっていたけれど、今はもう、それもなくなりバーコード読み取りやICチップ装備になってしまっている。
             【本のない図書館】

 

 

【学習室考】
 こういう過去の図書館運営状況を認識しているからかどうか分からないけれど、この本には学生が利用する学習室の存在に対して、否定的な見解がところどころに記述されているのが気になる。私などは、読書室ないし学習室があるからこそ図書館を利用するのであって、そうでなければ図書館なんかはほとんど利用しないだろう。読みたい本のすべてが図書館の限られた蔵書の中に揃っているなんてありえないのだから、持ち込み図書を利用できる空間がなかったら図書館なんて存在する意味がない。
 都内の図書館など夏休みになれば開館前から行列ができていて、全ての机はたちまち学生達に占拠されてしまう。だもんで一般利用者の私などは夏休み期間中は受難の期間と思い定めているけれど、勉強しようとする学生は人類の宝物である。決して文句を言うことはない。むしろ、余剰空間を最大限に利用して学生や利用者のために提供しようと工夫する意志など「ぜ~~~んぜん」ない管理者側の公務員的石頭発想に呆れかえるだけである。
 昔に比べて住宅環境が良くなり、図書館の学習室を利用する人は減っているかもしれない。それでも、自分の家より図書館を利用したがる人々は、 “図書館という場には、大勢の人の書物に向かう意識のエネルギーが蓄積されているが故に集中しやすい” という効果を知っているから、わざわざやって来るのである。
 1963年を境に、図書館運営が閉鎖系から開放系へ転じた如く、さらなる開放系へむけての智恵が必要なのではないだろうかと思っている。そうでなくてもデジタル図書へと移行してゆきつつある時代に、図書館が従来通りの利用環境しか提供しないのなら、図書館など利用者は減り続け存在価値が希薄化してしまうのはハッキリしている。 「図書館とはこういうもの」 という、年配のお偉いさんの手前勝手な固定観念に呪縛されたまま、率先して新しい時代に適応しようとしない石頭では困るのである。

 

 

【北九州市立中央図書館】
 磯崎新氏によって設計された北九州市立中央図書館に関して、図書館業界の機関誌に掲載された文章を引用した後に、著者の見解が書かれている。
 独創的な建築家だかなんだか知らないが、芸術家ぶって奇抜でありさえすればいいような変な建物をこさえやがって。中で地道に市民生活のために働いている図書館員の身にもなってみろ、こんな使いにくい建物! といった舌打ちが聞こえてくるようだ。(p.44)
 上海には奇抜な形状の高層建築が多いけれど、それらの建物はとても使いづらいので殆どの日本企業は敬遠して入居しないという。使う立場で考えてみれば容易に推察できることである。
 構造的にも材質的にも視覚的にも磯崎氏の建築は人間を “癒す” のとは反対の効果があるのではないだろうか。磯崎氏の頭の中には 「都市に対する思想」 はあるのだろうけれど 「人間に対する愛」 がないのである。それがあるならあんな人相はしていないはずである。図書館の設計を磯崎新氏に依頼したこと自体が、そもそもの誤りだったのである。

 

 

【ブレイユ】
 「19世紀フランスのルイ・ブレイユがこの点字を発明した」 というところで、前のページの書架にあった 「ブレイユ」 という文字の意味がわかった。ブレイユという人の名前が点字図書の意味で使われているのだ。(p.93-94)
 63個の点の組み合わせで文字や数字や句読点を表現する方法を考案したブレイユさんは点字図書の元祖。

 

 

【ニューヨーク公共図書館】
 映画 『ゴースト・バスターズ』 の撮影場所となったニューヨークで一番有名な図書館。二匹のライオン君がトレードマークになっている。この本に書かれているのは11年前の状況だけれど、インターネット検索による情報開示はかなり進んでいたらしい。
 アメリカ議会図書館の住所(といってもコンピュータ上の)LOCIS. LOC. GOV と打つと、自分の家にあるコンピュータが世界最大のアメリカ議会図書館の真っただ中にあるのと同じように動き出すのである。(p.112)
 LOCIS.  とは、ライブラリ オブ コングレス インフォメーション システム。
 LOC.  とは、ライブラリ オブ コングレス。
 GOV  は、ガバメント。

 

 

【ドラクエの源流】
 ついでに、日本人が世界中で流行らせたPCゲームのドラゴン・クエストについて、書かれていたから書き出しておいた。
 ドラクエが 「ウィザードリィ」 と 「ウルティマ」 というアメリカ生まれのコンピュータ・ゲームを下敷きにしていたのは製作者たちも認めている。(p.97)

 

 

【アイルランドの守護聖人】

 ニューヨークでもっとも古い聖堂(カテドラル)があって、その名が聖パトリック寺院だった。(p.119)

 本国であるアイルランド島には、約3百万ほどの人口しかないのだが、 ・・・(中略)・・・ アメリカ合衆国には、約4千万いると言われているのである。
 キリスト教は普通徹底的に異教的な土着の神々を排斥するものだが、この聖人だけはそれをしなかった。それで土着の神々が妖精と呼ばれ、キリスト教と共生できたのだ。(p.119-120)

 

 後世に名を遺したアイルランド人はたくさんいるけれど、フォード自動車のフォードさんもその一人。

 《参照》  『アメリカに車輪をつけた男』  飛田浩昭  JAMCA

             【新天地を求めて】

 

【ハーパー】
 初期ケルトの吟遊詩人の象徴とされるこのハープは、・・・中略・・・アイルランドの硬貨に刻まれています。
  ・・・(中略)・・・ 
 (※ ちなみにハーパーといえば 「語り手」 を表わしている。ギネスのラベルにもハープが刷られている。シャムロックとともにハープはアイルランドの象徴なのだ。(p.150)
 25ページほど費やして書かれているアイルランドの旅記録の中に、図書館のことなんてほんの僅かしか書かれていない。予約なしでB&Bを泊まり歩くレンタカーの旅って、制約なしに自由に行動できて楽しいだろうなぁ~~。そんな風にアイルランドを旅してみたいと思う。誰か閑な人、誘ってくれませんか。
   《アイルランド関連》   『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』  村上春樹  平凡社

 

 

【韓国の国鳥:カササギ】
 かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける   大伴家持

 小倉百人一首の一首だが、この歌のころ、日本にカササギはいない。・・・中略・・・。百済は新羅に滅ぼされ、大和政権は百済に応援して兵を出すのだけど、結局敗れ、たくさんの百済人は飛鳥に逃げてくる。日本にいないカササギが歌に出てくるのはそういう教養が海を渡ってきたからだった。(p.166)
 このことを教えてくれたのは李夕湖先生。
 
 
【百済人】
 李夕湖先生は日本生まれの日本育ち、枚方で生まれて京都で育った。家は両班という貴族だったが没落して、日本に渡ったらしい。
 小学生のころ眩目麗しい美少女に 「チョーセンジン!」 と罵られ傷ついたそうだ。ガキ大勝のスズキにも 「黙れこのチョーセンジン!」 と言われるとぐうの音も出なかったという。そして李先生は 「自分自身も、親戚への使いなどで朝鮮人部落へ行くと汚いし、差別されても仕方ないと思っておったのです。しかし、歴史の先生に 『百済から日本に文化がもたらされた』 と教えられ、その後チョーセンジンと罵られても、『百済人だ』 と返すと相手も沈黙した。これが百済と私の最初の出会いでした」 とおっしゃる。(p.167)
 なかなか、いい話である。
 どの国であれ、どの民族であれ、必ず誇れるものはある。誇りを失うということは、心の中に場所を確保できないということであり、国を失い、民族を失うことに等しい。戦後の日本の教育は、日本人の誇りを失わせるようなことばかりやってきたから、日本の若者達の心の中に日本は存在していないらしい。まさに亡国的である。

 

 

【ニュージーランドのキャプテンクッカー】
 ニュージーランドで一番怖い野獣は、キャプテンククックが持ってきたブタがイノシシ化した黒豚で、「キャプテンクッカー」 と呼ばれているらしい。(p.201)
 サクサク美味しそうなクラッカーではない。

 

 

【志賀重昂】
 94年日清戦争勃発の年に《日本風景論》を刊行、同じ年に出た内村鑑三の《地理学考》とともに、明治の二大地理書と呼ばれることがある。 ・・・(中略)・・・ 当時としては比類のない大旅行家でもあった。(p.213)
 ニュージランドで会ったラブ博士のスピーチで、初めて 志賀重昂 のことを知ったと書かれている。私も始めて聞く名前である。国粋主義者の系譜にある人々は、戦後抹殺され続けてきたという事情があるから、ほとんど知られていないのはやむを得ないことなのである。

 

 

【オークランド市立図書館にて】
 児童書のところに日本の出版の図書が見られない。このとき、前にも書いたが、至光社の国際版絵本のような英語日本語併記の絵本がもっと出版されていればなあとますます思った。(p.223)
 日本のマンガが海賊版などで一般に普及しているとはいえ、正統な経路として海外の図書館に2カ国語の日本の絵本や児童書があった方がいいと、誰しも思うことだろう。
 こんな誰でも思うことを、どうして政府は率先してしないのだろうか?

 

 

<了>