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 心情的に “eBook(電子ブック)なんて嫌いよ!派“  だったけれど、この本を読んで、やはり少々時間はかかるにせよ、世界は間違いなく ” 紙の本“ から ” eBook“ に変遷してゆくことだろう、と思った次第。2004年2月初版。
 2003年2月にテレビ東京の 『ガイアの夜明け』 でeBookビジネスが紹介された(p.76) と書かれている。それから既に7年経過した今日、徐々にではあるけれど、浸透しつつあるのは確かなようだ。
 私自身、インターネットの無料サイトで 『ガラスの仮面』 を3巻まで読んだことがあるし、最近買い換えた電子辞書には、数多の辞書以外に小説が100本も収録されている。

 

 

【本のない図書館】
 2003年7月、 ・・・(中略)・・・ 「いしかわシティカレッジ」の中に、デジタルライブラリーが開設されたのである。石川県では未来に向かっての新しいネットワーク図書館をイメージしており、その最初の試みとして、「本のない図書館」 が開かれることになったのだ。このネットワーク図書館には、通常のパソコンのほかに、松下のシグマブック3台が全国で初めて導入された。 ・・・(中略)・・・ 。読書サービスを提供する側(公共図書館なら自治体)が、コンテンツの提供者に対し、ライセンス数(同時に利用できる人数)と作品数に応じて、月単位や年単位で定額を支払う。そのため利用者は、無料でコンテンツを読むことができる。(p.80)
 このような先進的な図書館が存在しても、既存の図書館は、紙媒体の図書館として半永久的に維持されるはずである。紙の本を愛好する人間の性は、そう容易には変わらないはずだからである。
 現在の図書館には、ICチップで管理している処もあるけれど、大方はバーコード管理なのだろう。昔ながらの貸出カードがカバー内側のポケットに差し込んである図書館というのは、果たして現在どの程度残っているのだろうか。
 岩井俊二の名作 『ラヴレター』 がヒットしたのは僅かに10年ほど前なのだけれど、あの小説のラストシーンを理解するために、現在の子ども達には、ほんの少し前までの図書館システムに関する前振り説明が必要になることだろう。
 既存の図書館が、本のない図書館へと直ちに変遷することなどありえないけれど、仮に電子図書化しても貸し出し用のスペースは要さないのだから、紙と電子は併用されるはずである。読書室の電子化対応なら直ぐにでもできる。

 

 

【図書館の設備考】
 それよりなにより、たいていの図書館の書架の中にある “ちょっと掛け椅子” は、どうしてどこもかしこもあんなに中途半端に低いのか? あの高さは数十年前の日本人の体型を考慮して作られているはずである。都内の近距離電車は5年くらい前から新車両に刷新され始めたのを機に座席は高くなり、2年ほど前までに座席の低い旧車両は既になくなっている。図書館のあの低い椅子は何とかしてもらいたい。足を投げ出し読んでいたら他の利用者にも迷惑ではないか。10cm程度高くするなど、付加修繕の低予算で直ぐに出来ることである。
 既にIT化されて、管理する人員など減らせる筈なのに逆に人員を増やして人件費に無駄使している事実はよく分かっている。そんな無駄使いをする予算があるのなら、利用者の読書環境を整えるために、椅子の高さを高くする程度の費用など訳ないはずである。
 また、読書室の4人掛けテーブルに何の仕切りもない図書館は、中央に高さ60~70cmほどの磨りガラスを立てるだけで、利用者は最低でも5割増えるはずである。公共施設の有効利用というのは、“いかに多くの住民に利用してもらうか“ という点に尽きるはずである。公務員に利用者の視点でものを考えるという習慣があれば、あんな机で読書や学習ができるわけないと、普通に気付くはずである。ところが気付かない。単なる木偶の坊の集団である。

 

 

【コピーではなくムーブ】
 コンテンツは、常に一つしか存在しない。そのため、コンテンツを移す機能は 「コピー」ではなく 「ムーブ」 と呼ばれる。(p.90)
 購入時には、SDカードで受け取り、家に帰ってSDカードからPDS(パーソナル・デジタル・アシスタンス:例えば読書専用端末など)なりPCへ移動する仕組みで、複数のコンテンツが存在しないようにすることで著作権は守られる。
 違法コピーがITシステムにおいて完全に駆逐されれば、電子図書化の推進に協力的なのは、利用者より著作権利者側になるはずである。

 

 

【書籍の返品率】
 1997~2003年までの統計が表示されている。
 書店に並んだ本の4割は、売れずに返ってくるのである。 ・・・(中略)・・・ 。果たして世の中に、こんな商品がほかにあるだろうか。(p.101)
 嗜好に合わせてジャンルが多様化していることや、製本に関するスケールメリットゆえに過剰出荷が生じているのだろうけれど、くだらない内容のジャンク本が多過ぎるのではないかと思うことが良くある。
 昔の本が、活字ビッシリだったのは、限られた資源を有効に用いるためだったそうであるけれど、今日出版されている本はたいそう緩やかな活字量になっている。エコと言われている割には資源の節約は眼中になくて、出版側は内容を吟味する必要すら感じていないのではないかと思うことがある。長期間の研究の成果であるような中身の濃い書籍と、20歳前後の若者の口述がそのまま製本されているようなものが、同じ1300円程度の新刊として売られているから、これで知性を尊重する国家が維持できるわけはないと思うけれど、個人出版もたいそうな流行を見せているようだし、書籍は殆どファッション化しているように思えて仕方がない。
 ところで、返品という流通在庫は、経営する立場では資産として計上されるから、倉庫料まで賄って保管していたら企業は倒産する。故に返本されたものは、決算期の直前に、裁断されて資源ごみへと変身させられるのである。世間一般ではエコエコと叫ばれているけれど、書籍業界の資源の無駄使いは、エコとは程遠い実態であることが良く分かる。
 書籍のeBook化は、エコ問題の顕著な解法にもなっている。

 

 

【文庫版より四六判】
 四六判の本は、紙代も、印刷代も、製本代も、運送費も、倉庫代も、すべて文庫よりコストがかかってしまう。それにもかかわらず、なぜ新刊は四六判で出版されるのか。その大きさが一番読みやすいからである。ここを忘れてはいけない。(p.119)
 eBook(電子ブック)を作成する場合でも、小さすぎると利用者に好まれないという主張のために、このように記述されているのだけれど、携帯が日常ツールとなっている今日、それを読んでいる若者たちは、大人たちほどに大きさには拘らないはずである。それに、今日の機器は、活字の大きさを自在に変えることができる。

 

 

【テキスト(文字情報)化 vs 画像(視覚情報)化】
 テキストでの電子化だと、1文字1円として200ページの書籍の電子化費用は、1冊につき約20~30万円かかる。しかし、
 画像による電子化の作業は、スキャナーで読み込むだけである。そのため、電子化の費用もテキストデータ化の10分の1のコストで済む。これはかなり大きな差ではないか。(p.144)
 画像による電子化のメリットは、費用が安いことの他に、作業を人件費の安い国に発注することが可能であり、未だにフォント(活字書体)のない発展途上国の言語地域の希少本を直ちに電子化できること。そして、テキストデータ化のメリットは、文字検索が可能ということ。
 漫画の場合、比較の要もなく画像化になるけれど、問題は活字書籍の場合である。一長一短であるけれど、近い将来、画像で取り込んでおいたものをテキストデータへと読み変える技術など容易に出来るはずである。だから、画像で電子化しておいて、後にテキスト化をするという2段作業になっても、最初からテキストデータ化するより費用は安くなることだろう。

 

 

【電子ブックの伸展】
 実際にアメリカでも、日本でも、電子出版が全出版物に占める割合は、今も1%に満たないのが現状です。電子ブックが登場したころは、まるで、それがすぐにでも紙の本の世界に置き換えるかのようにいわれながら、現実にはまったくそうならない、という状況が続いてきたのです。(p.213-214)
 主因は、人間が着するのは “目に見えない電子情報“ ではなく ” 物(実体)“ だから、ということではないだろうか。同じ活字量の書籍でも、読後の達成感が得られるからという理由で、厚い本の方か売れるという。
 そうはいっても紙の書籍は溜まると保管に難儀するし、古本として売却せずとっておいたにしても再読するのは、せいぜい1%程度である。実家に場所はいくらでもあるし、DIYショップで部材を買ってきて書棚を作る程度の日曜大工は好きだからそうして保管してはいるけれど、この本を読んで、流石に平積みで溜まっている既読本を整理するための書架を新たに作るかどうか躊躇してしまった。
 二束三文で古書店に売却するより、どこかの自治体が 「ローテク古書図書館」 を開設するという趣旨で、書籍を募集していたら殆どを送ってしまうかもしれない。
 
<了>