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 世界が注目している日本のポップ・カルチャーであるマンガの世界的な状況と、それを日本の資産として活かす方法が記述されている。2006年2月初版。

 

 

【アニメブームはアメリカよりもヨーロッパの方が早かった】
 フランスでは、1980年代に日本のアニメからマンガへと広がっていくブームが起こった。きっかけは 『めぞん一刻』。多少カットされた部分はあったようだが、基本的にアニメがそのまま放送されて、たいへんな人気を博した。 ・・・(中略)・・・ (p.27)
 注目すべきは、本質的にこの作品が日本人同士の心の機微を背景にした壮大なすれ違いの物語である点だ。 ・・・(中略)・・・ 。つまり 『めぞん一刻』 の世界には、日本文化そのものが凝縮されていた。(p.28)
 チャンちゃんは 『めぞん一刻』 を見たことがない。古い下宿館が舞台で、竹箒などが描かれているようなものだという。なのに、フランス人は日本製アニメということを自覚せずに見ていたのだという。

 

 

【アメリカで流行ったアニメ】
 アメリカで最初に放送されたテレビアニメは、先にも述べたように1963年、 ・・・(中略)・・・ 『鉄腕アトム』 だった( 『アストロボーイ』 と改題されて英語に吹き替えられていた)。
 あまりヒットしなかったと聞いていたのだが、実際にはかなりの人気番組になったらしい。ニューヨークやロサンゼルスなどの都市部では、裏番組をことごとく凌駕したそうだから、人気は本物だろう。(p.36)
 『アストロボーイ』 って、近年リメイクされて放映されていたものとばかり思っていたら、日本とほぼ同時に放映されていたことになる。へぇ~~~である。
   《参照》   『アトム・ジェネレーション』 小池信純 文芸社
 日本で 『マッハGO!GO!GO!』 を知っているのは40代以上だろうか。再放送が繰り返されたという話も聞かないが、アメリカでは繰り返し放送されたさしく、20歳そこそこの学生から、大人の研究者まで 『スピード・レーサー』 は良く知られていた。(p.34)
 『マッハGO!GO!GO!』 なんて、タイトルは聞いたことがあるけれど見たことはない。それでもアメリカ人が好みそうなアニメであることは想像できる。
 アメリカでは、40年以上も前、手塚治虫その他のアニメによって、「クール・ジャパン」 に憧れる地ならしができていたことになる。
 ところで、日本でマンガ週刊誌が登場したのは1959年の 『少年マガジン』 『少年サンデー』 が最初だという。アメリカの日本化は、日本のアニメ文化の進展と、殆ど同時に進行していたことになる。この事実にちょっとビックリするけれど、日米共に、日本のアニメに影響を受けた世代は、既に親の世代にまで達していることになる。

 

 

【世界的な人気を博しているマンガ家】
 フランスでブームになっていた 『めぞん一刻』 の作者、高橋留美子の別の作品
 『犬夜叉』 は、近年のアメリカで爆発的な人気を得ている(p.41)
 と書かれている。チャンちゃんは 『うる星やつら』 しか知らなかったけれど・・・。
 その他で、世界的な人気を博している作品は、大友克洋の 『AKIRA』 や、松本零士の 『銀河鉄道999』 だという。
 何と言っても、「マンガの量的質的厚み」 は日本だけのものなのだから、過去に作られたものの中を丁寧に探してゆけば、まだまだ、いくらでも素晴らしい作品はあることだろう。

 

 

【日本マンガが海外で価値を持った理由:タブーのなさ】
 奥深いストーリーを、独特の絵で表して人に伝えるという手法は、どこにもない。それをこの市場規模の中で発展させている国はどこにもない。
 その決定的な要因が、日本社会のタブーのなさだったのではないかと、私はにらんでいる。(p.111)
   《参照》   『数年後に起きていること』 日下公人 (PHP研究所)
           【 “無宗教” は “理性なき野蛮人” と理解するヨーロッパ人】

 欧米においてキリスト教社会が押しつけているタブーは、日本の仏教や神道などの宗教の比ではない。神道には、そもそもからしてタブーなどないだろう。
 日本人はタブーのなさを自覚しないまま、自由にアニメを描いていたのだけれど、それゆえに、諸外国から見れば興味深いものになっていたのである。
 日本発のカルチャー用語として世界の共通語となっている 「オタク」 などという言葉は、正にタブーのなさが生み出したものであることに間違いない。タブーのなさは、あらゆる分野においてマニアックを生みやすいだろうけれど、これこそ 「日本の文化力」 なわけである。

 

 

【タブーなきことの実例】
 例えば、ジャズに関して、アメリカではレイシズム(人種差別主義)という感情を伴ったタブー故に、黒人が演奏する古いジャズは白人によって無視されることがあったそうである。しかし、日本人のジャズ収集家にはそんなタブーはないから、
 アメリカ人も驚くような全集ができるのだ。
 日本のCDショップで、品揃えを見て 「黄色い人たちが、こんなに全部そろえてくれてありがとう」 と、涙ながらに感激する人もいるのである。(p.130)
 また制服は、一般に宗教的、規律的な装いとして始まったものであるけれど、日本人のマンガ家は、そのようなタブー的な視点をとらない。
 「エロティシズム」 も 「かわいらしさ」 も、日本がセーラー服に与えた 「意味」 であり、海外からすると 「その手があったか」 と気づくのだ。(p.124)
 『セーラームーン』 は、海外いたるところでヒットしたけれど、タイでは、生徒の集まらなかった学校が、制服を日本のセーラー服に変えたら、生徒はひと頃の10倍になったという。