殻を破る-福島 伸のブログ
  • 12Apr
    • 心地よさだけでは実現しない、「多様性に向き合う」ということ

      組織における多様性と業績の関係については様々な研究があります。たとえば、506社を対象とした分析によると、人種あるいは性別が多様な企業ほど、売上高、顧客数、利益が多いことが明らかになっています。(C. Herring 2009)また、経営チームの学歴と職歴がより多様な企業のほうが、革新的な製品を生み出しているという研究もあります。(K. Talke、S. Salomo、A. Kock 2011)女性役員数の増加が業績を向上させる効果があることが一部の企業ですが認められ、さらに、社外役員の専門性の多様化が業績を向上させる効果があることが明らかにした研究もあります。(新倉、瀬古 2017)しかし、言うまでもありませんが、性別やバックグラウンドに多様性があれば必ず高い成果が上がるわけではありません。また、多様性のある組織には異なる視点が内在する可能性が高く、その扱いを誤ると成果が出るどころか活動を阻害しかねません。日本人は、異なる視点が明らかになると、調和を重視して差異に目をつぶることが多いように思います。それではせっかくの多様性が生かされません。差異から何かを得るためには、それに向き合う必要があるのです。K. Phillipsらの研究(2008)によれば、意思決定において、多様性のあるグループが同質なグループより優秀な理由として考えられるのは、前者が情報をより注意深く処理するためだと結論づけています。多様性により、よい緊張感が生まれ、それが情報の扱いを丁寧にすると言っていいでしょう。多様性から多くの果実を得るのに妙案はありません。皆が多様性を受容する強い意識(インクルージョン)を持つことが出発点であり、多様性によって生じる対立や違和感に真摯に向き合うことが、創造性と深い思考を促す重要な誘因になるのです。我々は、少ない労力で得られる一時の心地よさを求めてしまいがちで、そこに気づかずに、そこから逃れられないことが多いことを忘れずにいたいものです。

  • 06Apr
    • 職務給の亡霊

      日本では1950年代終わりから60年代の始めにかけて「職務給」の導入を目指した時期があります。仕事の難易度や責任の重さで給与を決めるもので、最近話題になっている「ジョブ型雇用」に類するものと考えてよいと思います。仕事により給与が決まりますから、合理的でフェアな制度と言えます。しかし、定着はしませんでした。ご承知の通り、その後日本は高度経済成長となり、環境変化が大きく、仕事の内容がどんどん変化し、「職務給」で定義することが追いつかなくなり、結局「職務給」はそうした変化にうまく適応することができなくなりました。そのため仕事ではなく能力を軸にした「職能給」を導入し、人事制度の軸を「職務」中心から「能力」中心に変えたことで、長い間日本企業の人事制度は安定して運用されてきたのです。つまり、能力を伸ばすことを主眼としたことで変化にうまく対応し、組織の成長にも寄与したのです。その後、バブル崩壊後の閉塞状態のときに人事制度の危機が叫ばれ、「職能給」は年功主義に陥っているとの批判から、「成果主義」や「役割給」を加味したものへ変容してきています。ところが最近になり、驚いたことに「ジョブ型雇用」と称して「職務給」の概念が亡霊のように蘇ってきています。閉塞感のある時には、何か新しい制度を導入したくなるのが世の常です。そのため、昨今のデジタル革命、グローバル化などに代表される大きな変化に対応するには、「ジョブ型雇用」、つまり「職務」を軸にすることでやる気を喚起し組織活性化が期待できると考えたのでしょう。しかし実際には、「職務」を中心にした制度は、継続する変化にはうまく対応できない特性があるのです。第4次産業革命などと言われる昨今ですが、この動きはさらに大きな変化を伴って続く可能性が高いため、「ジョブ型雇用」を導入することは、レベルが低い打ち手と言えるでしょう。若い世代は相対的に給与が低いことへ反発があり、その対応として「ジョブ型雇用」を適用して、能力があれば高い給与を保障したいとする考えもあるようです。一次的にはそれでいいかもしれませんが、変化は常に起こります。その都度「ジョブ」の定義と処遇のレベルを決定するのでしょうか。そんなことは煩雑で適切に運用するのはかなり難しく、様々なクレームが出てくることは容易に想像できます。そうしたクレームを防止するために、定義そのものをラインに任せるところもあるようです。そうなると全体観をもって定義することは難しく、また、「ジョブ」に見合った給与をどのような基準で決定するのかもよくわからなくなってきます。「ジョブ型雇用」は、一部の特殊な能力を有する専門家に限って適用すべきであり、多くの人材(管理職含めて)を対象に導入するのは避けたほうがいいのです。変化に対応することが仕事の本質であり、さらに言えば誰がやるのかよくわからない仕事を拾うのも大切であり、そういった対応能力を軸に処遇することでお互い様の風土が保たれ、信頼に満ちた組織が維持できるのです。人事制度はそのための制度であるべきです。

  • 30Mar
    • 古くて新しいこと

      副業を認める会社が増えてきました。本業に支障をきたさない範囲で認めるところが多いと思われますが、社会の趨勢を考えると今後そうした企業は増えるように思います。個人の生き方を重視し、働くための時間の裁量を個人にもある程度委ねるということなのでしょう。自分の時間を自分で差配することで得られる満足感により生産性が向上する。あるいは、副業で得られる成果が会社に新たな価値をもたらしてくれる可能性がある。会社としてはそういった期待が背後にあると考えられます。また、時間無限定の正社員から時間限定の契約社員に雇用条件を変更し、自分の時間を自分のビジネスに使う人も出てきています。さらにいえば、いわゆるフリーランスで働く人は1,000万人を超えるとも言われており、1社に限定した働き方はもう過去のものといっていいかもしれません。働き方にも多様性が現れ、いわば「所属と自立の融合」の時代が来たと言えます。関連することとして、ジョブ型雇用として職務を定義しその職務に見合った能力を持つ人材を採用する、いわば専門能力採用を人事制度の柱にする会社が出てきています。従来から専門能力採用は中途採用でありましたが、ジョブ型雇用の特徴は、すべての採用をジョブ型に変えていくところにあります。これも「所属と自立の融合」を図る制度と言えるでしょう。これらは個人を尊重した素晴らしい対応と考える向きもあると思いますが、一人ひとりが自分の能力を適切に把握し、自立して生きることはけして容易ではありません。高い自律性と十分なエネルギーをもっていないと継続は難しいでしょう。組織の支援も従来通り、いや従来以上に必要となると私は考えています。所属と自立の融合は、よく考えれば、人間にはそれぞれ個性や異なった意志がありますから、常にテーマとなってきた、古くて新しいことと言えるでしょう。そしてそれはリーダーシップの重要なカテゴリーの一つでもあります。リーダーは今後もそれは続くことを忘れてはならないと思います。

  • 22Mar
    • 無知の知-自信は危険?

      ソクラテスが言ったとされる「無知の知」知らないことがあるということの自覚が大切だとする言葉です。我々は経験を積むとすべてわかったような気になり、他の考えや方法を安易に批判したり、無視したりしがちです。ノーベル賞を受賞した経済学者ダニエル・カーネマンは長く人間行動を研究してきましたが、彼によれば、人間は知っていると思っていることについて必要以上に自信を持っており、それを直すのは容易ではなく、むしろ治らないので、そうしたモードに入りやすいことを自覚し続けるしかないと言っています。「勝って兜の緒を締めよ」「初心忘るべからず」「井の蛙、大海を知らず」カーネマンに指摘されるまでもなく、昔の賢人がそうした習性に対して警鐘をならしてくれています。治らない習性ですので、どうしたら治るかを考えるよりも、違った方法で対応したほうが賢明です。私が時々行うのは、自信があると感じたことについて可視化してみるのです。やってみるとわかりますが、案外うまく出来ないことが多い。論理的に飛躍があったり、説得力に欠けたりと、自信が揺らいできて他の視点への一歩を踏み出せます。うまく可視化できたらそれはそれで自分の引き出しにしまっておく。謙虚な姿勢が可視化により生まれてきます。自己肯定感のような感覚は生きるうえで必要ですが、特定の知識や技能についての自信は危険です。「目の前には手も触れられていない真理の大海原が横たわっているが、私はその浜辺で貝殻を拾い集めているにすぎない」アイザック・ニュートン

  • 16Mar
    • 学卒一括採用-ジョブ型雇用への懸念

      多くの企業では間もなく学卒で社会人経験なしの新入社員が入ってきます。私は毎年今頃になるとどんな人がくるのだろうとワクワク、ソワソワしたことを覚えています。今は独立して小規模な会社を経営しているので新入社員を迎え入れることはしておらず、その点では少し寂しい気分になります。学卒一括採用は日本独特の慣行のように言われますが、外国にも存在します。私は米系企業にいましたが、米国本土のトレーニングセンターにいくと、学卒一括採用者の年次別研修がいつも行われていました。学卒一括採用の意義は短期業績志向の米系企業でも認めているのです。企業に体力があり、独自に教育できることが前提ではありますが。最近ジョブ型雇用の議論が盛んで、経団連も推進していますが、個人的には疑問を感じます。プロジェクト形態であれば、ジョブ型雇用で対応できるのかもしれませんが、企業活動がすべてプロジェクト型であるわけがありません。学卒一括採用はメンバーシップ型雇用の典型だと思いますが、その利点はいうまでもなく、仕事をつまり配置を状況に応じて変えられることです。就職ではなく就社と言われる所以です。ジョブ型雇用が議論されるのは、学卒一括採用では変化の激しい時代に対応できないとし、中途採用などで専門能力のある人を通年で採用したいからです。採用を即戦力ばかりにしたら、変化への対応はいったいどうするのでしょうか。変化の激しい時代ですから、新たな能力はすぐに必要になります。その場合、社内で育成するか、社外から新たに即戦力を採用するかです。社内で育成するのであれば、潜在能力の高い成長可能性のある人を採用するのが得策であり、学卒一括採用は継続したほうがよいでしょう。“鉄は熱いうちに打て”です。社内育成をあきらめるのであれば即戦力採用になりますが、その場合には以前採用した人の処遇はどうするのでしょうか。自助でということなのでしょうか。欧米でジョブ型雇用が行われているのは、雇用の流動性が高く、雇用マーケットが日本より活性化しているからで、変化に対して自ら対応しやすい社会だからです。まさに自助の社会です。日本型経営システムの大きな特徴といわれる学卒一括採用ですが、効率を考えれば確かに悪い側面があります。しかし、効率を度外視して時間とコストをかける意義を忘れてはならないのです。最近の日本の指導層は、一見合理的、しかし実は非合理な考え方に、つまり短絡的な隘路に入り込んでしまっているようで残念です。

  • 14Feb
    • 違和感を大切にする

      私は時々ファシリテーターという業務を行います。研修やワークショップのような学びを促進する場において中立的な立場に立ち、相互理解や合意形成の手助けをします。ファシリテーターは、いわば思考の深化をねらい対話を促進する役割を担うのですが、時々感じるのは、参加者からの『教えて欲しい』期待です。お金を払ってお願いしているのだから、役にたつことを教えて欲しいのです。こちらも教えたい、伝えたいことはたくさんあるので、意識をしていないと言いたいことを一方的に話してしまいがちです。そうしたことが意味ないとは思いませんが、それだけではファシリテーターとは言えません。それはセミナー講師です。ファシリテーターは、ふだん日常では得られない考え、気づきを得られるように進行を見ながら適切な問いかけを行うことに留意しなければならないのです。人は知らない、あるいは同意できない考えには抵抗します。知っている、あるいは同意できることしか受容しない、聞かないのです。つまり、お伝えする内容が役に立つと思うのは、自分がある程度知っている、なんとなくそう考えていることなのです。そうした『自分の考えを確認する場』の意義は認めるにしても、それは学びを促進する、つまり新たな考えや視野の獲得につながる場とは言えないでしょう。ファシリテーターの役割として、『コミュニケーションの過程そのものが、学ぶ機会であるという点を忘れないこと』(加藤文俊 2016)があります。そして特に、そうした場で感じる違和感を大切にします。違和感とは抵抗の始めの一歩です。すなわち、新たな知への入り口なのです。

  • 13Dec
    • タコツボ型思考

      丸山真男氏が「日本の思想」のなかで、思考形態には“ササラ型”と“タコツボ型”があり、日本では“タコツボ型”が多いと指摘しています。ササラは竹を先の方にいくにしたがって細く割り箒(ほうき)のような形状をいいます。根本があり先に行くにしたがって枝分かれしていく様で、西洋の思考形態を指しています。それとは対照的に日本の思考形態は、明治以降に西洋の思考を取り入れ、分野別に閉じた格好で完結しており、それがタコツボと呼ぶにふさわしいということです。ササラ型思考は根本からだんだんと広がっていくように、土台がしっかりしたうえで拡がりのある思考形態です。タコツボ型思考はその名の通り思考に拡がりがなく発展性がないと丸山は指摘します。日本人はタコツボ型思考に陥りがちであり、その傾向はいまでも強いと思います。国を代表して様々な人たちが集う会議では、西洋人は個人によって意見の違いが顕著なのに対して、我々日本人はだいたい同じ意見のことが多く、思考の狭さを感じることが少なくありません。丸山はその理由として、日本の思想の系譜に問題があり、根っこがないと結論づけています。その是非はともかく、日本では個人よりも集団ありきで、タコツボの中で考え行動することを優先しがちです。反対に西洋では、集団より個人を優先し、集団内での対立を解消するために対話があり、合意形成の努力を惜しまないどころか、楽しむ傾向があります。集団主義にも優れているところはありますが、集団主義は思考の固定化を起こしやすいことを考えると、もう少し個人を大切にする風土を歓迎してもいいように思います。『中学生・高校生の生活と意識調査2012』(NHK出版)によると、1982年の“自己主張を大切にする割合”は中学生36%、高校生40%で、2002年にはそれぞれ42%、46%と増えてきました。しかし、2012年になると急激に下がり、それぞれ34%と1982年より下の水準になってしまいました。(スマホ通信による仲間うちの親密度重視の現れとの解釈があります。)それに対して大人である父親、母親は上昇傾向にあり、2012年にはそれぞれ47%、30%となっています。大人が個人を大切にする傾向は高まっていますが、子供たちの反転は気になるところです。間もなくそうした傾向をもつ若者が社会に出てきますし、一部の政治家やコメンテーター、一般人のSNSでの匿名投稿などで反対意見を切って捨てる言動などを見ますと(暗澹たる気持ちになりますが)、タコツボ型思考を念頭に置いて、思考や行動のあり方をよく考えることが必要ではないでしょうか。

  • 19Nov
    • 考えるとはどういうことかの画像

      考えるとはどういうことか

      表題の『考えるとはどういうことか-0歳から100歳までの哲学入門 』(幻冬舎新書)は私が師事する東京大学教授梶谷真司先生が出版した一般向け書籍です。(梶谷先生は哲学がご専門ですが、この本はいわゆる哲学書ではなく、『考える』ことを平易に、そして実例をまじえながらご説明されています。)ここに書かれていることを、誤解を恐れずにひと言で言えば、『対話することにより思考を深める-哲学する』ということです。以前にもブログに書いたのですが(表題:脳は怠ける)、ふだん我々は脳を使って考え行動していますが、深く考えて行っているかといえばそうでもありません。常に深く考えていたら疲れてしまうし、そもそも深く考えて常に正解が導き出せるかといえばそうでもありませんから、脳の省力化の観点から、あるいは生きる術と言ってもいいかもしれませんが、深く考えないで生きるのは当然なのです。しかしながら、いつもそうしていいわけではありません。時には、あるいは必要な場合には深く考えなければなりません。社会における活動では、状況が刻々と変わり、以前と同じ考え方ではうまく対処できなくなることは少なくありません。そんな時に必要な行動が『対話することにより思考を深める』ことなのです。対話ですから相手の存在が前提であることは言うまでもありません。また、対話は議論やディベートとは異なります。すなわち、どちらかの言い分が正しいとか間違っているとか、論理的におかしいとか、相手を言い負かすことは対話ではありません。共に考えることが対話であり、相手の言っていることを理解しようと努力し(理解できなくてもいい、但し否定しない)、受け止めて考えをつなげたり、異なる視点を出したりして、対話を続け思考を深めることが重要なのです。対話にはいくつかの留意点がありますが、それは梶谷先生の著書に詳しく書かれていますので、是非お読みになり、できれば職場などで実践してみて欲しいと思います。(弊社でも対話を組み込んだプログラムは多数あるので、問い合わせは大歓迎ですが。)対話することで人類の英知は培われてきましたが、成果や効率に囚われすぎて時間や手間のかかる方法を脇に追いやってしまっているのが現代ではないか。あくまで個人的な仮説ですが、様々な組織のお手伝いをするなかで、そういう思いはぬぐいきれないというのが正直なところです。

  • 01Nov
    • 管理者が忘れがちなこと

      意外に知られていないのですが、1960年代にハーズバーグがモチベーションの源泉は仕事そのもの、その達成感、さらに言えばそれを周囲が承認することにあると実証しています。自分を振り返れば、なるほどそうだよなと肯定する人は多いでしょう。しかし、この点に留意して仕事をさせている管理者は少ないというのが私の実感です。なぜなら、管理者研修などでハーズバーグの理論を説明すると、怪訝な表情、あるいは戸惑った表情をする方が少なくないからです。90年代以降、成果主義が導入されたためか、成果を上げるための方法にばかり目を向けて、人がなぜ動くのか、どうしたら気持ちよく働いてもらえるのか、人の心や感情に目を向けることを忘れてしまっている方が以前に比べると多くなってしまったように感じます。企業における管理者教育でも、成果をあげる方法論や技術論が中心で、人を扱う文学、哲学、心理学などの視点でマネジメントを考えることはめったにないでしょう。マネジメントとは、管理・統制するだけでなく、人に気持ちよく働いてもらい、最大の成果を生むための支援・促進行為であるはずで、その点を考えるためには人文学の視点は不可欠のはずなのにです。マネジメントにおいて人文学の視点が乏しいのは、ひとつには人の問題は複雑で難しいため扱うのが困難だからです。科学的なアプローチでは完全に解明することは難しく、唯一絶対の解がないために、特に論理思考が強い人にはある種の気持ち悪さがあるのかもしれません。しかし、難しいからこそ避けずに中心課題として扱い続けなければなりません。“見えざる手”で有名なアダム・スミスは、『国富論』を著す前に、『道徳感情論』を著しています。アダム・スミスというと、市場経済における自己利益追求の推進者というイメージですが、実際には道徳哲学者であり、『道徳感情論』の冒頭でこんな言葉を残しています。“いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力が含まれている。”人間は自分が一番大切であり、利己心がまず先にあり、それにより経済が活性化することをアダム・スミスは積極的に認めていますが、一方では、人間には利他心もあり、それは“共感”から始まり、他者が喜ぶことを基準に行動すべきであると主張しています。マネジメントにおいては、部下の満足に“共感”することがすべての出発点と言えるのではないでしょうか。

  • 08Sep
    • 360度評価にはご注意を

      上司だけの評価では客観性に乏しい。そんな考えから、評価をより客観的に公正に行うために、直属上司ではない上位者、関係者、部下などからも評価する所謂『360度評価』を導入する会社も少なくありません。考え方としては一見道理が通っているように思えますが、事はそう単純ではありません。私も人事部のマネジャー時代に、『これからは360度評価だ!』とトップの理解を得ながら先頭にたって推進していました。しかし、実際に行ってみると見えてくることがあります。一言で言うと、「360度評価は客観性のあるもの」ではありません。運用に慎重を期さないと、単なる「好き嫌い評価」に堕落し、不要な混乱、へたをするとモチベーションの低下を招くことがあり、本末転倒の結果を生じかねないのです。人事評価における客観性とはいったい何でしょうか。客観性を単に異なる視点で見るという解釈をすれば、360度評価は評価者が増えるので客観性は増すと言えますが、人事評価における客観性とはそんな単純なものではありません。人事評価は論理的には、事実を一定の基準に基づいて評価するということですが、そもそも事実をどう解釈するかで結果が異なってきます。歴史の解釈が様々で時には論争にまで発展するのは、そもそも事実の観方が違う、収集した事実が異なるなど、唯一の事実というものが存在しない点にあります。歴史を持ち出さないまでも、我々は経験的に事実の観方は人によって異なることを知っています。そういった常識からは、人事評価における客観性を担保することの困難さは容易に想像できます。だからこそ、人事評価では評価者研修を行い、最終評価を決定する際には慎重な検討を行っているのです。また、よくあるケースですが、360度評価では部下が上司を評価することがあります。正確に分析したわけではありませんが、上司にへつらい無難な評価をする者が半数、逆に日頃の不満をぶちまけるように、とんでもなく悪い評価をする者が数パーセント、とんでもなく悪いとは言えないまでも感情のままに評価とは言えないような悪い評価をする者が2割程度、良い部分と改善して欲しい部分をメリハリある形で評価する者が1割程度、また、部下から良い評価をもらうために、部下に媚を売る上司も現れてきたりします。客観性の難問に加えて、このような状況では、『360度評価』を本来の目的である、昇給・昇格、人材育成に活かすことは困難でしょう。『360度評価』は結果の活用方法を慎重に考えた上で行わないと、無用な混乱を招き、メリットよりもデメリットのほうが多くなってしまうのです。

  • 15Feb
    • 理財は卑(ひく)きもの!?

      会社は何のためにあるかと問われれば、多くの人が、お客様、社会、従業員のためにあると答えるのではないかと思います。日本では今でも、近江商人が言った「三方よし」の観念が社会に浸透しています。ところが、同じ問いをアメリカ人に投げかけるとだいぶ様相が違います。数年前にテレビで見ましたが、株主のためと答える人が圧倒的でした。株式を持つ株主に報いることが会社の存在意義の主たるものなのです。では、株式とは何でしょうか。言うまでもなく、それは会社を回すための資本、つまり手段であって、けして目的ではありません。バブル期には、会社が株式投資に走り一時的には大儲けをし、バブル崩壊により結局大損したところが少なくありませんでした。経営者が会社の存在意義を忘れ、目先の利益に目がくらみ、目的と手段をはき違えた好例です。新渡戸稲造の『武士道』に興味深い一文があります。“武士道においては、(中略)一貫して理財の道をば卑(ひく)きもの――道徳的および知的職務に比して卑きものと看做すことを固執した。”その理由は、人は「お金」に目がくらみやすいからです。当時も「お金」は藩の運営には不可欠であり、勘定奉行などという役職があったのですから、その重要性は十分に認識されていました。しかしながら、“多くの藩において財政は小身の武士もしくは御坊主”に任されていたのです。「お金」の深みにはまらぬよう、上位者は「お金」に近づかないための工夫があったのです。現代の資本主義を基本とする社会では、理財を道徳的、知的職務と比べて低いものとは容易に考えられません。しかし、健全なガバナンスを構築、維持するためには、理財と適正な距離を保つ工夫が必要なのだと思います。

  • 11Jan
    • 恐怖心の克服が叡智につながる

      「恐怖心の克服が叡智につながる」英国の哲学者バートランド・ラッセルの言葉です。恐怖心と言っても、ここでいう恐怖心は身動きができなくなるよう大きな出来事や障害に対して感じるものではなく、未知の事物へのちょっとした恐怖心、不安や心配と言い換えてもいいくらいのものです。未知の事物に対して、我々はそれに近づくか近づかないか、あるいは保留するかのいずれかです。近づく場合には問題ありませんが、近づかない場合、保留の場合はどうでしょうか。それを否定したり、無視したり、また攻撃的になってしまうことも時々あります。そうなると、恐怖心も百害あって一利なし、叡智につながるどころか、自ら限界を作り出すだけでなく、他者に対して害を及ぼしてしまうことにもなりかねません。恐怖心は生きるためには必要なもので、恐怖心を失った世界など想像もできませんが、ちょっとした恐怖心はよく考えてみる必要があります。とりわけ無意識下にある恐怖心には要注意です。ちょっとした恐怖心、気づかぬ恐怖心を克服することが、次への一歩を生み、一歩一歩の積み重ねがやがては叡智となって結晶するとラッセルは言いたいのだと思います。ちょっとした恐怖心は、いやな感じや違和感を覚えた時に潜んでいます。そうした時には、一歩立ち止まること、立ち止まる勇気といってもいいでしょう。即座に反応しないことが肝心です。自分の感情を吟味するということです。ラッセルは、恐怖心の克服はその恐怖心を徹底的に考え抜くことだと言います。私はその前に恐怖心の自覚が必要であると付け加えます。特に無意識下に潜む感情を自覚する習慣を身につける必要があると思います。普段と違う自分を感じた時には、一歩立ち止まること。このプロセスこそが叡智を生む第一歩だと思うのです。

  • 19Oct
    • 本当の自分にはなかなか気がつかない

      私もマネジャー時代、日々悩んでいました。               ・               ・               ・日々チームをリードしているリーダーやマネジャーの皆さんの悩みはいろいろとあります。・成果をあげるために目標を明確化し、ミーティングや日頃のコミュニケーションを通じて徹底するようにしているが、・・・。・チームワークを向上させようと雑談や飲み会など仕事以外のコミュニケーションも大切にしているが、・・・。・部下のモチベーション向上のために、良いところを見つけては褒めているが、・・・。これらは日頃リーダーの皆さんからお聞きする現状です。日々奮闘されているのがよくわかります。かく言う私もマネジャー時代は同じように日々奮闘しかつ悩んでいました。リーダーに必要な資質のうち最も大切だと思われるのがリーダーへの信頼です。我々は信頼を感じられない人とは一緒に仕事したくありません。信頼を裏切らないように常々気を配ってもいます。しかしながら、本当の信頼を得るには普段あまり気がつかない点にも留意する必要があるのです。それは意識化にはなかなか現れない本当の気持ちです。上記の例で言えば、・目標の明確化 ⇒ 自分が有能だと思われたい。・多様なコミュニケーション ⇒ 影響力を発揮したい。・褒める ⇒ 嫌われたくない。右の部分はそれぞれ少なからずの心の中にあることではないでしょうか。良かれと思ってとった行動がなかなか効果を現わさないのは、部下からするとこのような心の中が透けて見えており、信頼に影を落としているのです。上記の行動そのものには全く問題なく、むしろ積極的に行うべきものでしょう。しかしながら、そこにリーダー自身の利益を得るためであることが感じられると、部下は白けます。不思議なもので、これらは自分では気がつかないのですが部下からはよく見えるのです。自分のリーダーシップがうまくいっていないと感じる場合、普段の自分の振る舞いの奥にある心理を振り返る必要があります。行動が自分の自尊心や自己肯定感を得るためのものなのか、そうではなく何かを創るための「思い」や「願い」なのかを確認するのです。普段気がつかないことでもありますから、深く内省する必要があるかもしれません。気心の知れた仲間と一緒に振り返るのもお薦めです。リーダーシップとは行動が始めにありきではなく、本当の自分を知ることが始めの一歩と言えるでしょう。

  • 12May
    • 環境が人間をつくる

      スタンフォード大学教授のジェフリー・フェファー氏がその著書「悪いヤツほど出世する」で組織と権力について語っています。フェファー氏によれば、集団を効果的に機能させるというリーダーの使命と、リーダー自身にとっての利益すなわち権力の強化や拡大との間には、つねに緊張が生じ、リーダー自身が生き延びるために、リーダーは往々にして自分の利益を優先することがある、と言います。また、世の中のリーダーシップ研修を見渡すと、このような緊張の現実を扱っていないため、状況が改善されないとも指摘しています。確かに世の中を見渡すと、リーダーの自己利益優先と思われる行動によりひずみが生まれ、ひいては不祥事に発展することが繰り返されています。最近の例で言えば、東芝が挙げられるでしょう。東芝のリーダーは、売上を上げる方策に知恵を絞ることを命じています。これ自体は組織利益を考えれば当たり前の行動ですが、チャレンジと称して、短期間に売上を上げることを命じたところから怪しくなってきます。このような無理な要求からは、組織利益というより、経営者としての体面や株主やアナリストからの評価を気にする自己利益優先の影を感じます。経営会議でどなり散らしていたという報道が事実であればなおさらです。人間は自己の存在が脅かされると感情的になることは容易に想像できます。そして、さらに悪いことに、こうした状況では本人がそれを自覚することが難しくなるものです。東芝の例を挙げるまでもなく、リーダーの自己利益優先の度が過ぎれば、組織存続の危機に陥ってしまう可能性は高くなります。組織存続の危機に陥らないためには、リーダーの自己規律の育み方が重要なテーマでしょうが、フェファー氏が言うように、既存のリーダーシップ研修ではそういった側面をほとんど扱っていないのです。リーダーシップ研修では、組織のパフォーマンスを高め部下の士気を高めるリーダー像を語ることにとどまっており、いわば理想論に終始してしまっています。研修でリーダーの使命とリーダー自身の利益に生ずる緊張を扱うのもひとつの方法ですが、それよりも厳しい局面での認知のあり方を、日常の活動において育むことが鍵になると思います。人間は悪い状況になると、過度に自分に意識が向かい防御本能が頭をもたげてくるため、そうした場合に、自分に意識が向くことを出来るだけ減らす工夫が必要だと思うのです。ある企業では、失敗を善しとしやり直しを歓迎する風土を築いています。また、トヨタの“なぜを5回繰り返す”は、背後にある本質的な事象に目を向けさせてくれ、失敗から学ぶことはもちろんのこと、前向きな風土の構築に貢献しています。このような風土で育てば、悪い状況に立ち向かわなければならない時にも、過度に自分に意識を向けることなく、組織に必要なことを優先する姿勢が培われ、自己利益優先の行動を恥ずかしく感じるようになると思うのです。環境が人間をつくる。いかなる組織でも忘れてはならない原則です。

  • 01May
    • 「フィードバック」のツボの画像

      「フィードバック」のツボ

      最近人材育成の現場でよく語られるようになったキーワードに「フィードバック」があります。「フィードバック」を定義すれば、“成果や進捗について何かを返して、相手に考えるきっかけを与えること”といえるでしょう。仕事の現場では、日常的に行われているコミュニケーションです。いくつかの研究から明らかになっていることは、フィードバックを受ける相手は、自身の見方とフィードバックの内容が近い場合には更に考えることを継続しますが、遠い場合には拒否したり無視したり他の根拠を求めたりするということです。ということは、フィードバックする場合には、相手をよく理解したうえで行ったほうがよいということになります。例えば、新しい企画をミーティングで決定した後にまとめる仕事を部下に命じたところ、事前に同意したはずのコンセプトとずれている資料を作ってきた場合、皆さんはどんなフィードバックをするでしょうか。全くずれているやり直し、と一刀両断に切り捨てたり、ポイントを具体的にあげてやり直しを命ずることは簡単ですが、それではなかなか部下の成長に寄与しません。どういう考えで資料を作ったのかをまず問いかけ、部下の見方を知り、考え方を認めたうえで、さらに必要なポイントがないかを問いかけます。相手の見方から始めるということです。上司は部下の仕事の出来映えや進捗については頻繁に観ているといえるでしょう。しかし、その時にどれだけ部下自身の見方に気を配っているでしょうか。フィードバックに時間をかけて考えを及ぼすことは、指導能力を高めフィードバック反応力も高めます。但し、明らかに誤った方向に向かっている場合やそもそも土台となる知識やスキルがない場合などはフィードバックより指導が有効です。フィードバックはあくまで次を見据えてのものであり、その際には強力な武器となるものなのです。自戒を込めて、フィードバックについてはよく考えて、仕事の出来映えというよりも利他の心をもって行いたいものです。

  • 07Apr
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      働き方の意識改革

      報道等でご存じの方が多いと思いますが、政府の働き方改革実行計画が3月末に発表されました。この取り組みは、日本社会をもっと活力あるものにするために、重要な視点の1つである働き方の改革からアプローチするものです。(http://www.kantei.go.jp/jp/headline/ichiokusoukatsuyaku/hatarakikata.html#headline)新聞・テレビなどの報道では、長時間労働の是正と同一労働同一賃金に偏っており、また生産性向上の観点が抜けているなどと批判的な向きもありますが(生産性向上については、促進するための助成制度充実を図る旨の記載があります。)、中身をよくみると、日本社会の活性化に貢献し、ひいては生産性向上に資する施策が目白押しです。但し、これらを実現していくためには、従来の働き方にとらわれない、1人ひとりの意識改革が不可欠であり、言うまでもなくリーダーやマネジメント層の深慮が求められます。電通の社員が自殺した件に関して、企業出身の大学教授が、長時間労働で自殺するなど嘆かわしい旨の発言し批判を受けましたが、自分が育った時代の価値観に縛られている人には抵抗を覚える施策があるかもしれません。施策に通底する考え方をひと言でいえば、“柔軟な働き方、1人ひとりの労働価値観を尊重する社会の実現”といえます。雇用形態や就業場所、方法の多様性はもちろん、女性や若者、障がい者、高齢者活躍の場の拡充、転職活性化、高等教育無償を目指す施策など、従来からの施策充実はもとより、様々な観点から働き方の多様性を実現し、社会参画への可能性拡大と能力向上を支援する国の覚悟を感じます。組織での活動は協働が基本ですから、就業時間や場所が異なる人と協働することの難しさはあるでしょう。また、多様な価値観をもちながら、共通の目的を遂行することの難しさもあるでしょう。しかし、そういった難しさを乗り越えることが人間性の本質にあると思うのは私だけではないはずです。人はもともとそれぞれ違う存在であり、違いを認め合うことで近代社会は成り立ってきました。そういった原理原則にたてば、働き方にもそれぞれ違いがあって当然であり、それを管理上難しいとか、当社の価値観に合わないといった理由で排除することは、実は組織の可能性を自ら減じているのだと私は思います。働き方改革実行計画が目指すことは、人間として至極当たり前の生き方を官民あげて支援することであり、1人ひとりが活き活きと働き、充実感に満ちた人生の実現に他なりません。

  • 01Nov
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      認知を変える?

      先日、お世話になっている企業のご厚意で、広島カープの元監督、ミスター赤ヘルの山本浩二さんの話を聞くことができました。自分を育ててくれたのは、チームであり、ライバルであり、対戦した投手であり、一球で勝負するという強い気持ちで毎打席臨んでいたことを、実際の場面をもとに楽しくお話しされ、日常の仕事にも参考となる視点満載の講演でした。その中で、山本さんの選手現役時の印象に残る話をひとつご紹介します。名古屋のチームの某投手は、めっぽう早いボールを投げるがコントロールが悪く、デットボールが多かったそうです。野球のボールは固いですから当たると非常に痛いですよね。へたすれば骨折です。しかし、怖がると体が反応し、理想の動きよりほんの少し早く肩が開き、構えている手元が前に出て、ボールをうまくヒットできなくなる、ヒットしても力が半減するのだそうです。これを防ぐには、怖がらない、不安を払拭する精神力が必要です。そのためには、集中力を高めることが必要なのかと思いきや、山本さんがとった方法は、その投手と食事し親密度を上げること。名古屋のチームには、学生時代からの親友がいます(マウンド上でよく吠えていた、監督時代には鉄拳制裁でも有名な方)。その親友を通じてコントロールの悪い問題の投手と会食したそうです。一緒に食事した相手にはぶつけにくくなるだろうと、勝手に考え、勝手に安心したのだそうです。集中力強化ではなく、相手への認知を変える発想です。視点をずらし、安心材料をつくる。さすがミスター赤ヘルです。野球選手は結果がすべてですから、結果を残すためにひたすら技術を磨けばいいと考えるのは普通で、一流選手はそれを超える発想をしているのですね。自分の認知を変えることで局面打開する。あらためて確認した次第です。

  • 27Oct
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      脳にやさしいこと

      脳の活動は科学的にはわかっていないことが多く、断言できるものではないですが、多くの心理学者が支持している記憶のメカニズムから脳活動について少し考えてみたいと思います。記憶には、短期記憶と長期記憶があると考えられています。短期記憶はその名の通り数秒から長くても数十秒で消えてしまうものです。PCでいえばワーキングメモリーのような働きをしています。長期記憶はエピソード記憶、意味記憶、手続き的記憶に分けられます。エピソード記憶は、「昨日、パーティー会場で、旧知の高橋さんに偶然出会った」というように、「パーティー会場で出会った」という文脈を伴って記憶され、状況を土台にして記憶することをいいます。意味記憶は、文脈とは関係なく知識となった記憶です。エピソード記憶とは別に、脳内の辞書ネットワークのようなところに保存されていると考えられています。手続き的記憶は、ある状況をもとに記憶される反応であり、同じ状況が整うと無意識に行うことができる仕組みと言えます。我々は物事を考える時、長期記憶にあるエピソード記憶と意味記憶をつなぎ合わせて行っていることが多いと思います。したがって、思考のメカニズムはずいぶんとエピソード、つまりストーリーに根ざしていると考えてよいでしょう。だから我々はストーリーに心地よさを感じ、何かを話したり、伝えたりする時にストーリーで行うことが多いのです。文字のない時代に、語り部がストーリーによって、重要な教えや歴史を伝えていたことは、脳の活動に沿った方法と言えます。しかしながら、昨今のビジネスの現場では、ストーリーで何かを伝えることは軽視され、論理性、分析などが重視されている感があります。論理や分析は大切な思考形態と言えますが、私にはどうも脳の一部しか使っていない感じがして、物足りなさが残るのです。新しい発想が求められる場合に、論理と分析では限界があると感じている人も多いと思います。ビジネスの現場でもっとストーリー思考を活用していきたいものです。

  • 24Oct
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      無意識を意識する!?

      ある船長と船乗りたちの話しです。荒くれ者で、近眼のうえに少し耳が遠い船長がいました。船長は船の進路を決める時、いつも船乗りたちと多数決で決めていました。実はこの船には、星を見て船の位置を割り出すことにかけては達人の航海士が乗っていましたが、引っ込み思案で、あまり皆から支持されていませんでした。ある日、進路を見失ってパニックに陥った船長と船乗りたちは、多数決の結果、いちばんカリスマ性があって能弁な乗組員の主張に従って進路をとりました。その有能ではあるけれど引っ込み思案な航海士の意見は相手にされませんでした。結局、船は陸地にはたどりつけず、全員が飢え死にしてしまったのです。いかがでしょうか。人には得意分野があってそれを周りの者が認めることの重要性、カリスマ性や能弁の魔力に潜む危険性、多数決の危うさなどを考えさせられます。日頃から慎重な思考と行動を心がけることが求められますが、“言うは易し、行うは難し”で、慎重に過ごすのは案外難しいものです。危機の時などはなおさらで誰かにすがりつきたくも、多数の意見に頼りたくもなります。脳科学で言われているのは、意識と無意識には大きな隔たりがあって、我々は通常意識下で思考し、行動していると思い込んでおり、無意識下での思考や行動にはほとんど気づいていません(無意識ですから当たり前ですが)。しかし、無意識下での脳活動は意識下でのそれと比べると、どうやら膨大なものであるということです。なんとなく違和感を覚えるというのは、そういった無意識下の脳からのメッセージです。この船長のストーリー、カリスマ性や能弁に対して違和感はありませんでしたか?何か感じるものがあれば、それが正しい選択につながることを教えてくれています。

  • 12Sep
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      職場における学びとは

      職場における学びとはどう定義されるのでしょうか。知識やスキルを修得することはもちろんですが、職場の学びはとは、他者との関係性を土台にして学び方を体得することではないかと思います。ウェイブとレンガ―が“伝統的周辺参加”と表現して職場における学び方の実態を指摘しました。新人は始めに周辺業務から経験し、慣れるにしたがって徐々に中心業務を担当するようにして習熟していきます。そこには体系的なマニュアルはありません。言語で伝えるにはあまりにも多くの事項が職場には溢れているからです。大切なことは言語で理解するのではなく、経験を通じて体得するものでしょう。しかしながら、職場の学びというと、学校教育の影響からか、職場を離れて学ぶ“研修”を頭に思い浮かべる人が多いように思います。私は長く企業で人材育成を担当していたのですが、人材育成には研修を充実させるべきと唱えるマネジャーが多かったと記憶しています。もちろん、研修の意義はあると思いますが、研修が学びの中心とはいえないでしょう。働く場で様々なことを経験してそこにある“何か”を掴むことが重要で、さらにいえば、“何か”を掴む方法も体得する。それが職場における学びではないでしょうか。そう考えれば、上司や経験者は下位者や未経験者に対して経験する機会を与えて、小さな成功体験を積ませ、自信を与えながら自分なりの考え方と方法論の形成を支援することが学びの支援といえそうです。知識・技術を伝えることは必要ですが、それだけでは不十分ということです。マネジャーが新人研修直後に、「うちの新人は研修で何も学んできていない、研修で何を教えていたんだ。」とクレームを言ってきて困ったとある企業の人材育成担当者がこぼしていました。働いたこともない新人が研修でどこまで理解できるものか、期待値にもよりますが、多くを期待できるものではありません。上司や経験者は、職場における学びとその支援にもっと注力して欲しいものです。自転車に乗れない子供に、乗り方を説明するだけで済ませる親はいません。最初は補助輪付きに乗せ、慣れてきたら補助輪を外し、後ろを持って倒れないようにしながらバランス感覚を身につけさせ、状況を見ながら徐々に支える力を軽くしていくものです。親であれば自然に出来ていることを職場になると出来なくなる。なんとも不思議です。職場には、人間として普通にできることができなくなる魔力が潜んでいます。人間性を省みて、もっと優しく、職場の学びを考えたいものです。