殻を破る-福島 伸のブログ
  • 01Nov
    • 管理者が忘れがちなこと

      意外に知られていないのですが、1960年代にハーズバーグがモチベーションの源泉は仕事そのもの、その達成感、さらに言えばそれを周囲が承認することにあると実証しています。自分を振り返れば、なるほどそうだよなと肯定する人は多いでしょう。しかし、この点に留意して仕事をさせている管理者は少ないというのが私の実感です。なぜなら、管理者研修などでハーズバーグの理論を説明すると、怪訝な表情、あるいは戸惑った表情をする方が少なくないからです。90年代以降、成果主義が導入されたためか、成果を上げるための方法にばかり目を向けて、人がなぜ動くのか、どうしたら気持ちよく働いてもらえるのか、人の心や感情に目を向けることを忘れてしまっている方が以前に比べると多くなってしまったように感じます。企業における管理者教育でも、成果をあげる方法論や技術論が中心で、人を扱う文学、哲学、心理学などの視点でマネジメントを考えることはめったにないでしょう。マネジメントとは、管理・統制するだけでなく、人に気持ちよく働いてもらい、最大の成果を生むための支援・促進行為であるはずで、その点を考えるためには人文学の視点は不可欠のはずなのにです。マネジメントにおいて人文学の視点が乏しいのは、ひとつには人の問題は複雑で難しいため扱うのが困難だからです。科学的なアプローチでは完全に解明することは難しく、唯一絶対の解がないために、特に論理思考が強い人にはある種の気持ち悪さがあるのかもしれません。しかし、難しいからこそ避けずに中心課題として扱い続けなければなりません。“見えざる手”で有名なアダム・スミスは、『国富論』を著す前に、『道徳感情論』を著しています。アダム・スミスというと、市場経済における自己利益追求の推進者というイメージですが、実際には道徳哲学者であり、『道徳感情論』の冒頭でこんな言葉を残しています。“いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力が含まれている。”人間は自分が一番大切であり、利己心がまず先にあり、それにより経済が活性化することをアダム・スミスは積極的に認めていますが、一方では、人間には利他心もあり、それは“共感”から始まり、他者が喜ぶことを基準に行動すべきであると主張しています。マネジメントにおいては、部下の満足に“共感”することがすべての出発点と言えるのではないでしょうか。

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  • 08Sep
    • 360度評価にはご注意を

      上司だけの評価では客観性に乏しい。そんな考えから、評価をより客観的に公正に行うために、直属上司ではない上位者、関係者、部下などからも評価する所謂『360度評価』を導入する会社も少なくありません。考え方としては一見道理が通っているように思えますが、事はそう単純ではありません。私も人事部のマネジャー時代に、『これからは360度評価だ!』とトップの理解を得ながら先頭にたって推進していました。しかし、実際に行ってみると見えてくることがあります。一言で言うと、「360度評価は客観性のあるもの」ではありません。運用に慎重を期さないと、単なる「好き嫌い評価」に堕落し、不要な混乱、へたをするとモチベーションの低下を招くことがあり、本末転倒の結果を生じかねないのです。人事評価における客観性とはいったい何でしょうか。客観性を単に異なる視点で見るという解釈をすれば、360度評価は評価者が増えるので客観性は増すと言えますが、人事評価における客観性とはそんな単純なものではありません。人事評価は論理的には、事実を一定の基準に基づいて評価するということですが、そもそも事実をどう解釈するかで結果が異なってきます。歴史の解釈が様々で時には論争にまで発展するのは、そもそも事実の観方が違う、収集した事実が異なるなど、唯一の事実というものが存在しない点にあります。歴史を持ち出さないまでも、我々は経験的に事実の観方は人によって異なることを知っています。そういった常識からは、人事評価における客観性を担保することの困難さは容易に想像できます。だからこそ、人事評価では評価者研修を行い、最終評価を決定する際には慎重な検討を行っているのです。また、よくあるケースですが、360度評価では部下が上司を評価することがあります。正確に分析したわけではありませんが、上司にへつらい無難な評価をする者が半数、逆に日頃の不満をぶちまけるように、とんでもなく悪い評価をする者が数パーセント、とんでもなく悪いとは言えないまでも感情のままに評価とは言えないような悪い評価をする者が2割程度、良い部分と改善して欲しい部分をメリハリある形で評価する者が1割程度、また、部下から良い評価をもらうために、部下に媚を売る上司も現れてきたりします。客観性の難問に加えて、このような状況では、『360度評価』を本来の目的である、昇給・昇格、人材育成に活かすことは困難でしょう。『360度評価』は結果の活用方法を慎重に考えた上で行わないと、無用な混乱を招き、メリットよりもデメリットのほうが多くなってしまうのです。

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  • 15Feb
    • 理財は卑(ひく)きもの!?

      会社は何のためにあるかと問われれば、多くの人が、お客様、社会、従業員のためにあると答えるのではないかと思います。日本では今でも、近江商人が言った「三方よし」の観念が社会に浸透しています。ところが、同じ問いをアメリカ人に投げかけるとだいぶ様相が違います。数年前にテレビで見ましたが、株主のためと答える人が圧倒的でした。株式を持つ株主に報いることが会社の存在意義の主たるものなのです。では、株式とは何でしょうか。言うまでもなく、それは会社を回すための資本、つまり手段であって、けして目的ではありません。バブル期には、会社が株式投資に走り一時的には大儲けをし、バブル崩壊により結局大損したところが少なくありませんでした。経営者が会社の存在意義を忘れ、目先の利益に目がくらみ、目的と手段をはき違えた好例です。新渡戸稲造の『武士道』に興味深い一文があります。“武士道においては、(中略)一貫して理財の道をば卑(ひく)きもの――道徳的および知的職務に比して卑きものと看做すことを固執した。”その理由は、人は「お金」に目がくらみやすいからです。当時も「お金」は藩の運営には不可欠であり、勘定奉行などという役職があったのですから、その重要性は十分に認識されていました。しかしながら、“多くの藩において財政は小身の武士もしくは御坊主”に任されていたのです。「お金」の深みにはまらぬよう、上位者は「お金」に近づかないための工夫があったのです。現代の資本主義を基本とする社会では、理財を道徳的、知的職務と比べて低いものとは容易に考えられません。しかし、健全なガバナンスを構築、維持するためには、理財と適正な距離を保つ工夫が必要なのだと思います。

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  • 11Jan
    • 恐怖心の克服が叡智につながる

      「恐怖心の克服が叡智につながる」英国の哲学者バートランド・ラッセルの言葉です。恐怖心と言っても、ここでいう恐怖心は身動きができなくなるよう大きな出来事や障害に対して感じるものではなく、未知の事物へのちょっとした恐怖心、不安や心配と言い換えてもいいくらいのものです。未知の事物に対して、我々はそれに近づくか近づかないか、あるいは保留するかのいずれかです。近づく場合には問題ありませんが、近づかない場合、保留の場合はどうでしょうか。それを否定したり、無視したり、また攻撃的になってしまうことも時々あります。そうなると、恐怖心も百害あって一利なし、叡智につながるどころか、自ら限界を作り出すだけでなく、他者に対して害を及ぼしてしまうことにもなりかねません。恐怖心は生きるためには必要なもので、恐怖心を失った世界など想像もできませんが、ちょっとした恐怖心はよく考えてみる必要があります。とりわけ無意識下にある恐怖心には要注意です。ちょっとした恐怖心、気づかぬ恐怖心を克服することが、次への一歩を生み、一歩一歩の積み重ねがやがては叡智となって結晶するとラッセルは言いたいのだと思います。ちょっとした恐怖心は、いやな感じや違和感を覚えた時に潜んでいます。そうした時には、一歩立ち止まること、立ち止まる勇気といってもいいでしょう。即座に反応しないことが肝心です。自分の感情を吟味するということです。ラッセルは、恐怖心の克服はその恐怖心を徹底的に考え抜くことだと言います。私はその前に恐怖心の自覚が必要であると付け加えます。特に無意識下に潜む感情を自覚する習慣を身につける必要があると思います。普段と違う自分を感じた時には、一歩立ち止まること。このプロセスこそが叡智を生む第一歩だと思うのです。

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  • 19Oct
    • 本当の自分にはなかなか気がつかない

      私もマネジャー時代、日々悩んでいました。               ・               ・               ・日々チームをリードしているリーダーやマネジャーの皆さんの悩みはいろいろとあります。・成果をあげるために目標を明確化し、ミーティングや日頃のコミュニケーションを通じて徹底するようにしているが、・・・。・チームワークを向上させようと雑談や飲み会など仕事以外のコミュニケーションも大切にしているが、・・・。・部下のモチベーション向上のために、良いところを見つけては褒めているが、・・・。これらは日頃リーダーの皆さんからお聞きする現状です。日々奮闘されているのがよくわかります。かく言う私もマネジャー時代は同じように日々奮闘しかつ悩んでいました。リーダーに必要な資質のうち最も大切だと思われるのがリーダーへの信頼です。我々は信頼を感じられない人とは一緒に仕事したくありません。信頼を裏切らないように常々気を配ってもいます。しかしながら、本当の信頼を得るには普段あまり気がつかない点にも留意する必要があるのです。それは意識化にはなかなか現れない本当の気持ちです。上記の例で言えば、・目標の明確化 ⇒ 自分が有能だと思われたい。・多様なコミュニケーション ⇒ 影響力を発揮したい。・褒める ⇒ 嫌われたくない。右の部分はそれぞれ少なからずの心の中にあることではないでしょうか。良かれと思ってとった行動がなかなか効果を現わさないのは、部下からするとこのような心の中が透けて見えており、信頼に影を落としているのです。上記の行動そのものには全く問題なく、むしろ積極的に行うべきものでしょう。しかしながら、そこにリーダー自身の利益を得るためであることが感じられると、部下は白けます。不思議なもので、これらは自分では気がつかないのですが部下からはよく見えるのです。自分のリーダーシップがうまくいっていないと感じる場合、普段の自分の振る舞いの奥にある心理を振り返る必要があります。行動が自分の自尊心や自己肯定感を得るためのものなのか、そうではなく何かを創るための「思い」や「願い」なのかを確認するのです。普段気がつかないことでもありますから、深く内省する必要があるかもしれません。気心の知れた仲間と一緒に振り返るのもお薦めです。リーダーシップとは行動が始めにありきではなく、本当の自分を知ることが始めの一歩と言えるでしょう。

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  • 12May
    • 環境が人間をつくる

      スタンフォード大学教授のジェフリー・フェファー氏がその著書「悪いヤツほど出世する」で組織と権力について語っています。フェファー氏によれば、集団を効果的に機能させるというリーダーの使命と、リーダー自身にとっての利益すなわち権力の強化や拡大との間には、つねに緊張が生じ、リーダー自身が生き延びるために、リーダーは往々にして自分の利益を優先することがある、と言います。また、世の中のリーダーシップ研修を見渡すと、このような緊張の現実を扱っていないため、状況が改善されないとも指摘しています。確かに世の中を見渡すと、リーダーの自己利益優先と思われる行動によりひずみが生まれ、ひいては不祥事に発展することが繰り返されています。最近の例で言えば、東芝が挙げられるでしょう。東芝のリーダーは、売上を上げる方策に知恵を絞ることを命じています。これ自体は組織利益を考えれば当たり前の行動ですが、チャレンジと称して、短期間に売上を上げることを命じたところから怪しくなってきます。このような無理な要求からは、組織利益というより、経営者としての体面や株主やアナリストからの評価を気にする自己利益優先の影を感じます。経営会議でどなり散らしていたという報道が事実であればなおさらです。人間は自己の存在が脅かされると感情的になることは容易に想像できます。そして、さらに悪いことに、こうした状況では本人がそれを自覚することが難しくなるものです。東芝の例を挙げるまでもなく、リーダーの自己利益優先の度が過ぎれば、組織存続の危機に陥ってしまう可能性は高くなります。組織存続の危機に陥らないためには、リーダーの自己規律の育み方が重要なテーマでしょうが、フェファー氏が言うように、既存のリーダーシップ研修ではそういった側面をほとんど扱っていないのです。リーダーシップ研修では、組織のパフォーマンスを高め部下の士気を高めるリーダー像を語ることにとどまっており、いわば理想論に終始してしまっています。研修でリーダーの使命とリーダー自身の利益に生ずる緊張を扱うのもひとつの方法ですが、それよりも厳しい局面での認知のあり方を、日常の活動において育むことが鍵になると思います。人間は悪い状況になると、過度に自分に意識が向かい防御本能が頭をもたげてくるため、そうした場合に、自分に意識が向くことを出来るだけ減らす工夫が必要だと思うのです。ある企業では、失敗を善しとしやり直しを歓迎する風土を築いています。また、トヨタの“なぜを5回繰り返す”は、背後にある本質的な事象に目を向けさせてくれ、失敗から学ぶことはもちろんのこと、前向きな風土の構築に貢献しています。このような風土で育てば、悪い状況に立ち向かわなければならない時にも、過度に自分に意識を向けることなく、組織に必要なことを優先する姿勢が培われ、自己利益優先の行動を恥ずかしく感じるようになると思うのです。環境が人間をつくる。いかなる組織でも忘れてはならない原則です。

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  • 01May
    • 「フィードバック」のツボ

      最近人材育成の現場でよく語られるようになったキーワードに「フィードバック」があります。「フィードバック」を定義すれば、“成果や進捗について何かを返して、相手に考えるきっかけを与えること”といえるでしょう。仕事の現場では、日常的に行われているコミュニケーションです。いくつかの研究から明らかになっていることは、フィードバックを受ける相手は、自身の見方とフィードバックの内容が近い場合には更に考えることを継続しますが、遠い場合には拒否したり無視したり他の根拠を求めたりするということです。ということは、フィードバックする場合には、相手をよく理解したうえで行ったほうがよいということになります。例えば、新しい企画をミーティングで決定した後にまとめる仕事を部下に命じたところ、事前に同意したはずのコンセプトとずれている資料を作ってきた場合、皆さんはどんなフィードバックをするでしょうか。全くずれているやり直し、と一刀両断に切り捨てたり、ポイントを具体的にあげてやり直しを命ずることは簡単ですが、それではなかなか部下の成長に寄与しません。どういう考えで資料を作ったのかをまず問いかけ、部下の見方を知り、考え方を認めたうえで、さらに必要なポイントがないかを問いかけます。相手の見方から始めるということです。上司は部下の仕事の出来映えや進捗については頻繁に観ているといえるでしょう。しかし、その時にどれだけ部下自身の見方に気を配っているでしょうか。フィードバックに時間をかけて考えを及ぼすことは、指導能力を高めフィードバック反応力も高めます。但し、明らかに誤った方向に向かっている場合やそもそも土台となる知識やスキルがない場合などはフィードバックより指導が有効です。フィードバックはあくまで次を見据えてのものであり、その際には強力な武器となるものなのです。自戒を込めて、フィードバックについてはよく考えて、仕事の出来映えというよりも利他の心をもって行いたいものです。

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  • 07Apr
    • 働き方の意識改革

      報道等でご存じの方が多いと思いますが、政府の働き方改革実行計画が3月末に発表されました。この取り組みは、日本社会をもっと活力あるものにするために、重要な視点の1つである働き方の改革からアプローチするものです。(http://www.kantei.go.jp/jp/headline/ichiokusoukatsuyaku/hatarakikata.html#headline)新聞・テレビなどの報道では、長時間労働の是正と同一労働同一賃金に偏っており、また生産性向上の観点が抜けているなどと批判的な向きもありますが(生産性向上については、促進するための助成制度充実を図る旨の記載があります。)、中身をよくみると、日本社会の活性化に貢献し、ひいては生産性向上に資する施策が目白押しです。但し、これらを実現していくためには、従来の働き方にとらわれない、1人ひとりの意識改革が不可欠であり、言うまでもなくリーダーやマネジメント層の深慮が求められます。電通の社員が自殺した件に関して、企業出身の大学教授が、長時間労働で自殺するなど嘆かわしい旨の発言し批判を受けましたが、自分が育った時代の価値観に縛られている人には抵抗を覚える施策があるかもしれません。施策に通底する考え方をひと言でいえば、“柔軟な働き方、1人ひとりの労働価値観を尊重する社会の実現”といえます。雇用形態や就業場所、方法の多様性はもちろん、女性や若者、障がい者、高齢者活躍の場の拡充、転職活性化、高等教育無償を目指す施策など、従来からの施策充実はもとより、様々な観点から働き方の多様性を実現し、社会参画への可能性拡大と能力向上を支援する国の覚悟を感じます。組織での活動は協働が基本ですから、就業時間や場所が異なる人と協働することの難しさはあるでしょう。また、多様な価値観をもちながら、共通の目的を遂行することの難しさもあるでしょう。しかし、そういった難しさを乗り越えることが人間性の本質にあると思うのは私だけではないはずです。人はもともとそれぞれ違う存在であり、違いを認め合うことで近代社会は成り立ってきました。そういった原理原則にたてば、働き方にもそれぞれ違いがあって当然であり、それを管理上難しいとか、当社の価値観に合わないといった理由で排除することは、実は組織の可能性を自ら減じているのだと私は思います。働き方改革実行計画が目指すことは、人間として至極当たり前の生き方を官民あげて支援することであり、1人ひとりが活き活きと働き、充実感に満ちた人生の実現に他なりません。

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  • 01Nov
    • 認知を変える?

      先日、お世話になっている企業のご厚意で、広島カープの元監督、ミスター赤ヘルの山本浩二さんの話を聞くことができました。自分を育ててくれたのは、チームであり、ライバルであり、対戦した投手であり、一球で勝負するという強い気持ちで毎打席臨んでいたことを、実際の場面をもとに楽しくお話しされ、日常の仕事にも参考となる視点満載の講演でした。その中で、山本さんの選手現役時の印象に残る話をひとつご紹介します。名古屋のチームの某投手は、めっぽう早いボールを投げるがコントロールが悪く、デットボールが多かったそうです。野球のボールは固いですから当たると非常に痛いですよね。へたすれば骨折です。しかし、怖がると体が反応し、理想の動きよりほんの少し早く肩が開き、構えている手元が前に出て、ボールをうまくヒットできなくなる、ヒットしても力が半減するのだそうです。これを防ぐには、怖がらない、不安を払拭する精神力が必要です。そのためには、集中力を高めることが必要なのかと思いきや、山本さんがとった方法は、その投手と食事し親密度を上げること。名古屋のチームには、学生時代からの親友がいます(マウンド上でよく吠えていた、監督時代には鉄拳制裁でも有名な方)。その親友を通じてコントロールの悪い問題の投手と会食したそうです。一緒に食事した相手にはぶつけにくくなるだろうと、勝手に考え、勝手に安心したのだそうです。集中力強化ではなく、相手への認知を変える発想です。視点をずらし、安心材料をつくる。さすがミスター赤ヘルです。野球選手は結果がすべてですから、結果を残すためにひたすら技術を磨けばいいと考えるのは普通で、一流選手はそれを超える発想をしているのですね。自分の認知を変えることで局面打開する。あらためて確認した次第です。

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  • 27Oct
    • 脳にやさしいこと

      脳の活動は科学的にはわかっていないことが多く、断言できるものではないですが、多くの心理学者が支持している記憶のメカニズムから脳活動について少し考えてみたいと思います。記憶には、短期記憶と長期記憶があると考えられています。短期記憶はその名の通り数秒から長くても数十秒で消えてしまうものです。PCでいえばワーキングメモリーのような働きをしています。長期記憶はエピソード記憶、意味記憶、手続き的記憶に分けられます。エピソード記憶は、「昨日、パーティー会場で、旧知の高橋さんに偶然出会った」というように、「パーティー会場で出会った」という文脈を伴って記憶され、状況を土台にして記憶することをいいます。意味記憶は、文脈とは関係なく知識となった記憶です。エピソード記憶とは別に、脳内の辞書ネットワークのようなところに保存されていると考えられています。手続き的記憶は、ある状況をもとに記憶される反応であり、同じ状況が整うと無意識に行うことができる仕組みと言えます。我々は物事を考える時、長期記憶にあるエピソード記憶と意味記憶をつなぎ合わせて行っていることが多いと思います。したがって、思考のメカニズムはずいぶんとエピソード、つまりストーリーに根ざしていると考えてよいでしょう。だから我々はストーリーに心地よさを感じ、何かを話したり、伝えたりする時にストーリーで行うことが多いのです。文字のない時代に、語り部がストーリーによって、重要な教えや歴史を伝えていたことは、脳の活動に沿った方法と言えます。しかしながら、昨今のビジネスの現場では、ストーリーで何かを伝えることは軽視され、論理性、分析などが重視されている感があります。論理や分析は大切な思考形態と言えますが、私にはどうも脳の一部しか使っていない感じがして、物足りなさが残るのです。新しい発想が求められる場合に、論理と分析では限界があると感じている人も多いと思います。ビジネスの現場でもっとストーリー思考を活用していきたいものです。

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  • 24Oct
    • 無意識を意識する!?

      ある船長と船乗りたちの話しです。荒くれ者で、近眼のうえに少し耳が遠い船長がいました。船長は船の進路を決める時、いつも船乗りたちと多数決で決めていました。実はこの船には、星を見て船の位置を割り出すことにかけては達人の航海士が乗っていましたが、引っ込み思案で、あまり皆から支持されていませんでした。ある日、進路を見失ってパニックに陥った船長と船乗りたちは、多数決の結果、いちばんカリスマ性があって能弁な乗組員の主張に従って進路をとりました。その有能ではあるけれど引っ込み思案な航海士の意見は相手にされませんでした。結局、船は陸地にはたどりつけず、全員が飢え死にしてしまったのです。いかがでしょうか。人には得意分野があってそれを周りの者が認めることの重要性、カリスマ性や能弁の魔力に潜む危険性、多数決の危うさなどを考えさせられます。日頃から慎重な思考と行動を心がけることが求められますが、“言うは易し、行うは難し”で、慎重に過ごすのは案外難しいものです。危機の時などはなおさらで誰かにすがりつきたくも、多数の意見に頼りたくもなります。脳科学で言われているのは、意識と無意識には大きな隔たりがあって、我々は通常意識下で思考し、行動していると思い込んでおり、無意識下での思考や行動にはほとんど気づいていません(無意識ですから当たり前ですが)。しかし、無意識下での脳活動は意識下でのそれと比べると、どうやら膨大なものであるということです。なんとなく違和感を覚えるというのは、そういった無意識下の脳からのメッセージです。この船長のストーリー、カリスマ性や能弁に対して違和感はありませんでしたか?何か感じるものがあれば、それが正しい選択につながることを教えてくれています。

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  • 12Sep
    • 職場における学びとは

      職場における学びとはどう定義されるのでしょうか。知識やスキルを修得することはもちろんですが、職場の学びはとは、他者との関係性を土台にして学び方を体得することではないかと思います。ウェイブとレンガ―が“伝統的周辺参加”と表現して職場における学び方の実態を指摘しました。新人は始めに周辺業務から経験し、慣れるにしたがって徐々に中心業務を担当するようにして習熟していきます。そこには体系的なマニュアルはありません。言語で伝えるにはあまりにも多くの事項が職場には溢れているからです。大切なことは言語で理解するのではなく、経験を通じて体得するものでしょう。しかしながら、職場の学びというと、学校教育の影響からか、職場を離れて学ぶ“研修”を頭に思い浮かべる人が多いように思います。私は長く企業で人材育成を担当していたのですが、人材育成には研修を充実させるべきと唱えるマネジャーが多かったと記憶しています。もちろん、研修の意義はあると思いますが、研修が学びの中心とはいえないでしょう。働く場で様々なことを経験してそこにある“何か”を掴むことが重要で、さらにいえば、“何か”を掴む方法も体得する。それが職場における学びではないでしょうか。そう考えれば、上司や経験者は下位者や未経験者に対して経験する機会を与えて、小さな成功体験を積ませ、自信を与えながら自分なりの考え方と方法論の形成を支援することが学びの支援といえそうです。知識・技術を伝えることは必要ですが、それだけでは不十分ということです。マネジャーが新人研修直後に、「うちの新人は研修で何も学んできていない、研修で何を教えていたんだ。」とクレームを言ってきて困ったとある企業の人材育成担当者がこぼしていました。働いたこともない新人が研修でどこまで理解できるものか、期待値にもよりますが、多くを期待できるものではありません。上司や経験者は、職場における学びとその支援にもっと注力して欲しいものです。自転車に乗れない子供に、乗り方を説明するだけで済ませる親はいません。最初は補助輪付きに乗せ、慣れてきたら補助輪を外し、後ろを持って倒れないようにしながらバランス感覚を身につけさせ、状況を見ながら徐々に支える力を軽くしていくものです。親であれば自然に出来ていることを職場になると出来なくなる。なんとも不思議です。職場には、人間として普通にできることができなくなる魔力が潜んでいます。人間性を省みて、もっと優しく、職場の学びを考えたいものです。

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  • 23Jun
    • 想定外って何?

      いつの頃からでしょうか、想定外なる表現が使われ始めたのは。 最近、何か事件や事故があると、責任者が「想定外でした」と言い訳がましく、開き直りともとれる言葉を使うことが多いように思います。何ごともすべて想定できれば事件・事故を防げるという非現実的な考えを前提にしているようで、こちらが恥ずかしくなるような気持ちがするのです。人間は完璧ではないので、完全に想定することなどそもそも困難です。困難ななかでもできるだけ可能性を考慮して様々な方策を講じているはずです。航空機のフェールセーフ設計などがその代表でしょう。そうしたなかで、想定外でしたとあっさり言われると何とも言えない違和感が残ります。様々な可能性を考慮して対応しましたが、力及ばず申し訳ありませんでしたと謝ったうえで二度と起こさぬよう原因を追究し対応すればいいのです。想定外なる言葉を使い始めた人は誰かわかりませんが、責任を逃れようとする姑息な考えが垣間見えて、なんともいやな気がするのです。 企業や組織で言い訳のうまい人が責任ある立場になかなか立てないのは、どこでも同じだと思います。責任逃れをしていれば周りはすぐにわかり、白けたり、場合によっては怒りを買うでしょう。事あれば責任をとる人が信頼されるのであり、そんなことは社会では常識のはずですが、なぜか集団となると、想定外などと責任逃れの思考、表現が闊歩し始めるのです。防衛意識がそうさせているのでしょうが、そんな安直な防衛意識は早晩批判され大きなしっぺ返しをくらうことくらい頭ではわかっているはずなのに、です。 こうしたケースでは、おそらく責任者の判断が大きく影響しているのでしょう。責任を認めて原因追求に集中したい関係者は多いはずですが、上位層にいる人が素直に責任を認めたくないと、想定外などともっともらしい表現で対応してしまうのでしょう。響きがよい表現の魔力にはまってしまうのです。想定の逆を想定することは、大きく想定の幅を広げることになると思うのですが、こうした人たちにはそういった発想はないのかもしれません。

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  • 02Jun
    • 三日坊主はよいことだ

      三日坊主とは通常ネガティブな言葉で、思い立って着手したがすぐに頓挫してしまう様を揶揄した表現です。そこには続けることに価値があり、続けられないのは意思の弱い未熟者だとの考えが見え隠れしています。しかし、続けられないことを本当に望んでいるかというと甚だ疑問です。思い立つきっかけは、最近ではITネットワークからが多く、仕事で毎日使いますからいやでも様々な情報が目に飛び込んできます。特にSNSからの情報は知人からなので余計に価値あるものに見えてしまいます。そして良さそうだと思い、思いつきであれやこれやとやり始めたりします。いろいろとやることで予定がいっぱいな人も多いでしょう。断捨離が流行るのもうなずけます。三日坊主を断捨離風にポジティブにとらえると、三日坊主とは無意識下では自分にとって本当に必要ではない選択をしていると考えることができます。実際、本当に望んでいることは三日坊主では終わりません。誰にもそういった経験はあるはずです。そして続くことの中には我を忘れる、いわゆるフローの状態になる類のものもあります。それらは真に自分が望んでいるものであり、しっかりと脳細胞に刻まれ続け習熟度が上がってくるものです。それが自分の能力であり、さらに続けることでより研ぎ澄まされ、その人独自の高度な能力体系が出来上がるのです。良さそうなことをやってみて続かなくても落ち込んだりせず、自分に必要なことではなく、自分発見に役立ったと考えればよいのです。自分を知ったと思えば、進歩した気にもなります。そう考えると三日坊主は悪いことではなく、特に若いうちにはどんどん三日坊主を経験すべきでしょう。人はそれぞれの道を歩むべきであり、そのための選択手段として三日坊主はけして悪いことではなく、ましてや良さそうなことがどんどん目に飛び込んでくる昨今ですからなおさらです。あれやこれやと試しながら自分のやりたいことを見つけて楽しみながら深めていく。当たり前ですが、それが自分を成長させ、無二の自分を形成していくのです。

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  • 08May
    • 脳は怠ける

      ノーベル経済学賞を受賞した認知心理学者ダニエル・カーネマンが書いた「ファ-スト・アンド・スロー」の中で、脳の活動はステップ1とステップ2があり、多くの時間我々はステップ1を使い、脳活動を省力化しているとあります。簡単に言えば、ステップ1はそれまでの経験、知識などをもとに深く考えずに判断することを言い、ステップ2は慎重に思考することを言います。異論もあるのですが、心理学者のなかでおおむね支持されている考え方です。医学的にみれば、脳活動には多量のエネルギーが必要とされ、摂取した糖分の3分の1は脳活動に費やされているという説もあり、生命維持に必要なエネルギーを効率的に活用するためなのかもしれません。実際に我々は日々の生活を様々な思考を行いながら過ごしていますが、いちいちステップ2を使っていたら疲れてしまいます(想像もできませんが。)ステップ1は進化の過程で人類が生み出した生きるための術なのかもしれません。しかしながら、仕事の場ではこの生きるための方策が障害となる例が少なくありません。ステレオタイプ思考、思い込みなどが典型的な例です。他にも、いわゆる認知バイアス(カーネマンも前記の著書のなかで数多く例をあげています)もステップ1の落とし子ではないかと思います。このようにいわば怠ける脳に対してどのように対処すればよいかは、仕事の様々な場面で意識しなければならないでしょう。カーネマンは怠ける脳は治らないと言いますが、そうだとすればなおさら対応策を考えなければなりません。仕事を組織や集団で行うのは対応策の最たるものですが、ここにも落とし穴があります。組織や集団でステップ1に陥ってしまうことも少なくないのです。この悩ましき脳の習性の犠牲にならないためには、我々は常にステップ1を多用している意識をもつこと、そして意識するだけでなく実効性の高い方法を心がける必要があるのです。実効性の高い方法でおすすめは対話です。対話は議論やディベートと異なり、他者の視点を認める、受け入れることが前提になるため、脳の奥深くにあるいわば無意識の部分にも作用し深い思考を呼び覚ましてくれます。対話を行うことでステップ2を楽しみながら行うことができるのだと思います。怠ける脳を考える時、私はいつもアインシュタインの至言を思い出します。“常識とは18歳までに獲得した偏見のコレクションである” ********************************************5月22日(日)に「自己探求」をテーマにワークショップを開催します。このワークショップは、組織のリーダーや人材開発、組織開発に関わる方を対象と掲げていますが、人と関わりながら働く方(起業家、クライアントをお持ちの方など)もぜひご参加いただきたい内容です。詳細はこちら → ご案内 お申込みはお早目にどうぞ。

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  • 20Apr
    • 知恵と知識は違うもの

      知恵と知識は違うものです。知識は言語化しやすく伝えやすいですが、知恵は言語化が難しく伝えにくいものです。知恵は心と体、感性にも関係するものであり、経験がないと持ちえないものでもあります。知恵は自分しか再現できない“何か”なのです。“習うよりは慣れろ”という言葉は知恵の修得について見事に表現していますが、知恵の修得に必要な取り組みや体制を充分に整えている組織は少ないのではないでしょうか。情報化社会ということもあり、知恵よりも知識を重視する風潮があるように思います。知識はもちろん必要であり、それがなければ知恵も生まれませんが、知識があったからといって必ずしも価値を生み出す行動ができるとは限りません。たとえば、営業を例にとると、自社の製品の説明ができれば売れるかといえば、そうでないことは明らかです。顧客との信頼関係を構築し、顧客にとって必要十分な情報を提供するためには知識だけではとうてい無理で、信頼関係をどうしたら構築できるか、相手に合わせた関係構築や、顧客がどういった情報を求めているか聞き出すための知恵が必要です。知恵を修得するには、周辺業務から職場に参加し、仕事に関係する様々な業務を経験し、熟達者の様子を観察し、何をどう学ぶかを自分なりのいわば“上達の術”を確立する必要があります。こういったことは多くの職場で OJT という言葉で語られていますが、新人にメンター制度など導入していても、他の職級には特に対応せず、リーダーに対して上手くやれと半ばぶん投げというのが現実ではないでしょうか。また他の現実として、もっと手っ取り早く知恵を修得する方法はないのかといった要請に対して、“○○を短時間で修得するためには”、“□□のための5つ(3つでも7つでもいいですが)の方法”などと書籍や研修でうたっているのを見ると、要請する側も提供する側も知恵と知識を混同しているような気もします。知恵は言語化や可視化にはなじまず、書籍や研修などで修得できるものではないと思うのですが、ビジネスでは効率的に行うことが尊重されるため、知恵の知識化といったような現象が起きるのでしょう。伝えることが難しいこと、言語化・可視化が難しいことに価値を見出さない世界に限界を感じるのは私だけでしょうか。知恵をもっと大切に扱い、知恵の修得を昔からの教えを大切にしながら考え続ける必要があるのではないでしょうか。

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  • 05Apr
    • 人事評価制度はどこへ行く

      組織では、評価制度によって処遇(給与、職責)を決定していることが多いと思います。組織がある程度の規模になれば、処遇の公平性や決定に至る過程の公正さを保つため、一定の考え方に基づき制度化することは必要でしょう。しかしながら、評価という行為は視点を変えれば結果も変わってしまうというナイーブさを常に孕んでいるため、様々な問題が生じます。評価を適正に行うために評価軸をいくら厳密につくっても、評価するのは人間ですから厳正な評価などなかなか難しいものです。実際、「評価者研修などを一生懸命行っても満足のいく結果はなかなか得られない」という人事担当者の声も多く聴きます。私は、評価の限界を評価者、被評価者とも甘受し、もっと育成面にフォーカスして評価という行為を行っていくべきだと思います。多くの評価書は基準に照らして点数やS,A,B,Cなどの評語で記載しますが、評価される方は評価の内容よりも、むしろその点数や評語などの見えるように記載された結果にとらわれがちです。納得度が低い場合などは反発すら覚えるのが現実です。そんな光景は生産的とはいえません。評価行為は被評価者がより良くなるためのプロセスと考え、被評価者が掲げた目標に対して、方法と結果がどうだったのか、自ら振り返るとともに、上司や関係者からもコメントをもらう。コメントは、あくまでより良くなるためのアドバイスに特化する。すなわち、点数や評語ではなく、心の通った言葉で行うことが肝要ではないかと思います。人間のコミュニケーションには評価の要素が多くありますが、それを点数で表現することはまずありません。言葉で行っているはずです。しかし、人事制度になった途端に点数化が始まる。いかにも不思議な現象です。結果を集計し、処遇に反映するためには何らかの数値化が必要ということでしょうが、数値化ありきで制度設計するのは無理があるのです。それでは処遇を決定できない、決定根拠があやふやになる、組織が大きくなればなおさら、といった反論もあるでしょう。あるいは結果をわかりやすく伝えるためという意見もあるでしょう。しかし、人間が人間を評価することはそもそも根拠が様々で矛盾に満ちたものです。多くの評価制度はそういった本質に蓋をしているように思えてならないのです。評価は真摯な言葉で行い、処遇の決定は関係者が話し合いで決定する。評価は、もっと丁寧に、手間と時間をかけるべきではないでしょうか。

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  • 14Mar
    • 「社員意識調査」は自分ごと

      組織の活性化や業績向上のために、社員意識調査を行っている企業は少なくないと思います。調査の目的は、組織の状況を多面的に把握し、様々な施策に取り組むためなのですが、調査を行っているものの、充分な対応策を講じていない例を時々耳にします。その理由のひとつに“平均とらわれ病”があります。全体平均で悪くないスコアだと、そこそこうまくいっていると判断し対策を検討しないのです。平均といっても実態は様々で、部署間でのばらつきが著しく、全社的に“平均”スコアが低い項目は対応するのでしょうが、“平均”スコアが低くない項目は、ばらつきがあっても棚上げして十分な対応をしないケースがあります。調査したのにうちの会社は何もしないと社員の不興をかってしまう例は、このような場合に生じることが多いと思います。ばらつきなど意識していたら全社対応など不可能だと言う意見もあるでしょう。しかし、そこにもうひとつの落とし穴があります。ばらつきを考えたら、そもそも意識調査は人事部や経営企画部といった担当部署だけで対応するには無理があるのです。当然のことですが、自部署の問題は自部署で深く考える必要があります。全体平均とかい離が大きい項目などは要注意です。結果をメンバー全員で共有し、どういった点に改善余地があり、どのように対応していけばよいかを検討する。上長を前にして言いにくいことがあれば、はじめは上長を除いて検討するのもよいでしょう。皆で検討し決定し、皆でアクションする。自部署の問題をつくっているのはメンバー全員の責任であるという認識の共有がなによりも重要です。全社的な取り組みにより自部署の問題が全社的に“格上げ”され、他責になってしまう。笑えない現象ですが、この罠に陥ってしまうケースは少なくありません。あなたは社員意識調査を経営や人事の問題だと突き放していませんか?

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  • 04Mar
    • コーチングは新興宗教?

      先日、あるプロコーチから、コーチングのトレーニングに企業からの派遣で参加してきた人が、“新興宗教のようで気持ち悪い”と途中で席を立ってしまったという話を聞きました。 そのトレーニングは10年以上の歴史があり、延べ受講者も5,000人は超えている日本でも有数の優れたコーチングトレーニングのひとつです。長い歴史のなかでも、そのようなことはほとんど起きたことはないようで、トレーニングリーダーはショックを受けたとのことでした。詳しいことはわかりませんが、途中退席した方は、日常ではあまり見ない光景、つまり知り会ったばかりの参加者が自己開示することに驚き、居心地の悪さを感じ、拒否・抵抗したのではないかと思います。企業からの派遣参加ですと、コーチングへの期待や理解も乏しくやらされ感で参加する場合もあるでしょう。よく知らない者同士が集団で時には感情を出しながら自己開示する姿にびっくりし、ここは洗脳の場ではないかと思うのも仕方がないかもしれません。しかしながら、コーチングを実りあるものにするためには、自己開示は不可欠で、自己開示に違和感を覚えるのは、いかに現実の日常がそうした世界から遠いかの証左でもあります。(もちろん、いつでもどこでも自己開示すればよいと言っているわけではありません。) コーチングでは、そもそも自分は今どこにいるのか、そもそも自分は何を目指しているのか、など、そもそも論になる場合も多く、痛みや葛藤を感じることが少なくありません。それらを避けるのは、自分を守る生得的メカニズムかもしれませんが、成長には一定の痛みを伴うことを私たちは知っています。また、経験したことのない世界に放り込まれた場合に、逃げたり避けたりせずに、いったんは身を置くと、違った世界が見えてくることも私たちは知っています。残念ながら、コーチングと称して法外に高額な会費を請求するビジネスもあるやに聞いています。それらの団体にも言い分はあるかもしれませんが、常識の範囲を超える場合は、疑問を持ち避けたほうが賢明でしょう。しかし、ほとんどのコーチング関連ビジネスはまっとうなものであり、避けることなく、むしろ積極的に近づいてもらいたいと思います。自己開示に不慣れな私たちは、コーチングに触れた当初は違和感や困難を覚えるかもしれませんが、必ず違った世界が見えてくるはずです。

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  • 27Feb
    • コーチングと関係性

      企業や組織でコーチングを取り入れているところはずいぶん多くなってきたと思います。企業の人材育成をお手伝いしているなかでテーマとして上がることが多く、10年前に比べれば格段に増えてきています。コーチングの意義や目的がよく理解され、広まってきた証ではありますが、コーチングスキル修得の前に忘れてはならないことがあります。それは相手との信頼関係です。どんなに効果的な問い掛けをしても、相手がそもそもコーチを信頼していなければ、聞く耳を持たず、自律的な行動につながる反応を期待できません。日頃の関わりの中で、お互いの信頼関係をどれだけ築けているかが重要です。逆に言えば、信頼関係が築けていれば、コーチングの経験が浅くとも、相手の心に届く対話を作り出すことができるものです。信頼関係の構築には、なにをおいてもまず相手を認めることが必要です。職場では、上司と部下という関係のなかで、経験が少ない部下の意見や判断を頭ごなしに否定する光景がよく見られます。経験や知識が少ない場合でも、人は自分の判断はベストだと思っているものです。それを言下に否定されたなら、部下はおそらくその上司を好きになれないでしょう。自分を認めてくれない人を認めるようには心のメカニズムはできていません。好きになれない人と信頼関係を築くのは難しく、ましてや心を開いた対話など論外です。“なるほど、そう考えるのか。もう少し詳しく聞かせてくれる?”日頃から部下を認め、心から興味をもって、この言葉を発することが信頼関係構築の出発点です。

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