江戸末期の初代駐日公使であるタウンゼント・ハリスが、当初領事館を置いた伊豆半島の下田について書いています。
「柿崎(注:下田近郊)は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏につきものになっている不潔さというものが少しも見られない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている。」
「ここの田園は美しい。(中略)できる限りの場所が全部段畑になっていて、肥沃地と同様に開墾されている。これらの段畑中の或るものを作るために、徐岩作業に用いられた労働はけだし驚くべきものがある。」
「私はこれまで容貌に窮乏をあらわしている人間を一人も見ていない。子供たちの顔はみな満月のように丸々と肥えているし、男女ともすこぶる肉付きがよい。彼らが十分に食べていないと想像することはいささかもできない。」
下田は小さな漁村であり、貧しさは見受けられるものの、人々の清潔さや健康度、労働状況について驚いていることがわかります。

また、オランダ以外の外交代表として始めて江戸入りする時の様子についても書いています。神奈川宿を過ぎた辺りの印象です。
「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ富者も貧者もない。これがおそらく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、はたしてこの国の人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。」

当時の外国人は自分たちの利益にために鎖国していた日本に開国を迫り、貿易はもとよりあわよくば植民地としての日本を思い描いていたのでしょう。そこにはおのずと日本は後進国であるとの思い込みがあったことは容易に想像ができます。しかしながら、実際に日本を訪れてみると、想像とは違うことに驚くのです。ハリスだけでなく、日本を訪れた多くの外国人が、日本社会の健全さに驚きの声をあげ、様々な感嘆の記述を残しています。

当時の欧米はすでに工業化が始まり、物質的豊かさと経済的繁栄が実現し始めた一方で、富者と貧者の格差が大きくなり、貧者の窮乏や不健康な生活が問題化してきたと思われます。
その状況と日本の状況との比較において、日本に対してある種の羨望を感じたのです。
現在では日本も工業化が進み、また資本主義の行き過ぎた結果として経済格差が顕著になってきています。しかし一方で、ハリスが書いたような日本がいろいろな所に残っていると思うのは、ノスタルジックな、あるいはちっぽけな愛国心からくる思い込みでしょうか。
リーダー層には一部例外者がいると思いますが、日本の人々の多くは、少し前の日本と同じように、本当の幸福とは何かを追及することを忘れていないと私は思います。