以前、組織のメカニズムには潜在的に「命令と服従の原理」が埋め込まれており、誰もがそれに盲目的に陥ってしまうリスクがあり、「命令と服従の原理」に囚われないためには、精神性の独立が鍵になると書きました。
最近話題になった、ビッグモーターの数々の法令違反や倫理的に問題のある行為についても、私は「命令と服従の原理」が見事に悪い形で実現されてしまっていると思います。
「命令と服従の原理」は、ハンナ・アーレントが「アイヒマン裁判」を傍聴して導き出した論理ですが、組織に生きている人にとって役立つヒントが存在します。

アーレントはアイヒマンを「思考の欠如した凡庸な男」として描写します。これだけですと、能力の低い人間を想像しがちですが、彼はけしてそうではなく、無思考の紋切り型の文句を使い、現実から身を守っていたのです。つまり、もともと思考力が低いのではなく、身を守っているうちに本当に思考が欠如していってしまったのです。
自分の行為が多くのユダヤ人の命を奪うことに耐え切れなくなり、そこから逃れる術として無思考を選択し、行為を継続していったのです。

また、アーレントを支持したダニエル・ベルは、「必然、あるいは義務として遂行される時、悪は悪として感じられなくなる」と言っていますが、ビッグモーターの数々の行為も、それを行った人々の間では、必然であり「悪として感じられなく」なっていたのでしょう。
アーレントの親友であるメアリー・マッカーシーは、「アイヒマンはヒトラーの命令を遂行することは、自分の価値を証明する意義ある貢献だと見なしていた」と論じています。
こうしたことも無思考を助長します、組織に生きていると自分の評価を上げたいために行いがちな行為です。

そうした悪事に自分は手を染めないと思っていても、自分の身を守るために、案外簡単に陥ってしまうのが、「命令と服従の原理」なのです。
「命令と服従の原理」には悪につながる道が隠されており、このことに自覚的になることがビッグモーターのような悪の道に無自覚な経営者が表れた時には有効です。
ビッグモーターの経営者がなぜ簡単に悪の道への扉を開いてしまったのか、については別の問題として論じる必要がありますが、こうしたとんでもない経営者が目の前に表れた時に、我々はどうしたらいいのでしょうか。

一般的には戦うか逃げるかという選択肢になりますが、その前に自分の感情や行動に自覚的になり、悪の道へのプロセスを遮断することが大切です。そして、悪の道に迷い込むことが自分にもあり得るのだと言い聞かせることが最も大切な態度のように思います。
自分は絶対大丈夫だと思わないことが肝心なのです。