数年前あるセミナーで企業における理念の浸透について学ぶ機会があり、参加者のあいだで意見交換したのですが、企業理念の浸透度は実は低く形骸化しており、理念なくとも仕事はできる、と言われた方が大半でした。
理念浸透を企業で担当していた私は、ある程度の予想はしていたものの驚いたのを覚えています。
確かにそういう現実はあると思います。通常、仕事はやり方が確立され、周囲の者と協力すればこなしていけます。目標も共有され、少し困難な仕事でも皆で知恵を出し創意工夫すれば、そこそこのレベルで行えるのであって、そこに企業理念など入る余地はないのでしょう。少なくとも、そんなことを考えなくても仕事はできるのです。

一方、経営学では、高業績企業の特徴として理念の具現化がある、と考えられています。理念を在り方=Beingと捉えてそれを共有することで、メンバーの能力をより向上させ成果を生み出す方法は、古今東西で普遍性がある方法なのだと思います。
理念が共有されている状態とは、理念を「自分ごと」にしている状態、すなわち、日々の行動の拠り所が理念にあり、それをみんなで共有し、同じようなベクトルとエネルギーをもって行動している状態でしょう。

日本の企業で時々朝礼などにおいて経営理念を唱和するという風景があります。毎日念仏のように唱えていればそういうものかなと心に浸みてくるのかもしれません。上司や先輩が理念の具現化となるような武勇伝でも語れば、理念がさらに近づいてきて、どうしたら自分もそうなれるのかと考え始めます。
この状況は、理念の自然な浸透と言えますが、理念教育などと言い出すと理念浸透が目的化し始めて、本来の自然な浸透とは様相が異なってきます。
理念教育ですからそのための特別の「場」が用意され、それなりのゴールが設定され効果測定なども行われるようになります。浸透度合いは60点でまだまだです、などと担当者が言い出したら危ないと私は思います。
いわゆる手段の目的化になっていくのです。

理念は在り方=Beingですから、無意識下に存在しなければならないものです。
最初は意識して行うのでしょうが、慣れるにしたがって意識の下に移っていき、自分を支える土台のようなものに変質していくのです。
したがって、理念=在り方は教育的なアプローチではなく、どう捉えてどう活かしていくかを各自に委ねておいたほうがいいと思います。
但し、目標設定など方向性を決める時や、判断を迷う時など、重要な局面では理念を念頭に決める、判断することが大切です。
理念の形骸化の危険性は常にあるので、目に触れる状態にしておく、理念を大切に扱う風土を維持することが肝要です。
何もしないで理念は浸透しません。自然に浸透するような「仕掛け」は必要です。