今年の夏の甲子園は107年振りに慶應高校が優勝し、慶應ナインの爽やかさが印象に残りました。爽やかさはどこから来るのか、私は彼らの自由な髪形や豊かな表情から来ているように感じましたが皆さんはどのような印象をもたれたでしょうか。
先日の日経新聞に慶應高校野球部監督の森林氏のインタビューが掲載され、髪型について以下のように発言されています。
「いまだにそんなことが話題になるのかと残念に思う一方、これを入り口に(変化への)議論が進めばそれでいい、と思った。問題は髪形そのものより(無思慮に前例に従う)思考停止、旧態依然、上意下達の部分。高校野球はこういうものだという枠を誰かがつくり、枠の中でずっとやってきた。今年の優勝で、一石を投じることはできたかと思う」
高校野球でおなじみとなっている坊主頭について、ハフポスト日本版は甲子園出場校を対象に調査を実施しています。野球部の髪型が「坊主」と回答したのは43校で、全体の87%です。実際にはほとんどの高校が髪型を自由としていますが、選手が自主的に坊主にしていると説明し、「伝統」や「慣習」などが理由だということです。
自主的ということですが、そこには森林氏のいう思考停止、旧態依然、上意下達のメカニズムが潜んでいるように思います。
今夏の甲子園出場校のうち坊主ではない学校は慶應高校以外に5校ありますが、その理由は以下の通りです。
北北海道 旭川大高:野球でも考えてプレーすることが求められるので、普段の生活から自分で考える習慣を身につけて欲しい。自主的に考えさせる結果が坊主の禁止
岩手 花巻東:理由は分からない。自由。昨夏から坊主をやめようと、みんなで伸ばし始めた。坊主を選択している人もいれば、坊主ではない短髪の生徒が多い
秋田 秋田中央:主体性を持って判断させるため。4月から禁止に近い。放っておくと坊主にしてしまうので、坊主以外でふさわしい頭髪を自分たちで考えるようにさせている
西東京 国学院久我山:スポーツ刈り。強制ではなく自主的
山梨 山梨学院:スポーツ刈り。強制や推奨はしていない
放っておくと坊主にしてしまう生徒が多いので、坊主は禁止または禁止に近いということです。このことから坊主頭は多くの高校球児に受け入れられている実態がわかります。
髪型などどうでもよい、それよりも練習や試合におけるプレーにより多くを学ぶのだと言う意見もあるでしょう。確かにそうした意見にも一理はありますが、自主的に皆が坊主にすることは集団思考の典型であり、そこには思考停止が潜んでおり、教育現場では大いに注意しなければならない現象のはずです。
思考停止した結果の行動は、美化され継承されることが多く、それが思わぬ結果を生むことがあります。
戦争はその典型でしょう。最近話題となっている宝塚歌劇団のいじめなども同じような現象です。
坊主頭は何も悪さをしませんが、そこに潜む思考停止は十分に注意しなければならないことなのです。
高校生らしくいいではないか、と言う人もいますが、○○らしさは集団で作り上げたある種の偶像です。そこに物事の価値を置き始めたとたんに思考停止が始まります。
〇〇らしさは自分で思っているだけで、他者に同意を求めてはいけないのです。