今日からは新しいテーマ、「バガヴァッド・ギーターをひも説く」を再投稿してまいります。
このバガヴァット・ギーターの教えに感動し共感できる人は、100万人のうち一人程度かもしれない、と私は思っております。
しかし、その100万人中の一人の為に私は毎日このようにブログを書いているのです。
覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
アルジュナの迷いと嘆き
テーマ:バガヴァッド・ギーターをひも説く
アルジュナは言うのであった。
おおクリシュナよ、尊敬する長老や軍術の先生に、どうして私が弓を向けられましょうか。
私はむしろ、彼等を礼拝したいくらいです<ギーター2章4節>
当時は、長老や師匠のような立派な年長者に対しては、尊敬の念と拝礼をしなければならない。
論争や口答えすらしてはならず、時には、手ひどい仕打ちをされても、柔らかに対応するのが道とされていた。
このような事が常識の世界にあって、どうして彼等と戦うことなどできようか。
それにクリシュナでさえ、その様な目上の者に逆らうような事をしたことは無いでいではないか、それも根拠の一つでもあった。
師と仰ぐ立派な人々を殺すくらいなら、私は乞食をして暮らす方がよい。
たとえ欲深でも年長の人を殺せば、勝利物は血で呪われましょう
<ギーター2章5節>
聖典の法規によれば、師たる者が言語同断な忌まわしい行いをしたり、正気を失って正邪の判断力が無くなった場合は、弟子は師を見捨ててもよい、とされている。
アルジュナは長老や先生を尊敬し慕っているにもかかわらず、彼等を殺して物質的利権を得れば、血で汚れた戦利品を納める事になる。
ああ私はいかにすればよいか、敵に勝つべきか負けるべきか、殺せば私も生きることを望まない、ああ~なんという戦いだろうか
<ギーター2章6節>
クシャトリアの義務とはいえ、聖典の法則にさからってまで今ここで戦った方が良いのか、それとも戦わずに乞食になった方が良いのか、アルジュナは迷った。
正義はこちらにある、必ず勝利するとは言え、その後の自分は苦しむだろう、と彼は想っている。
この様な心のやり取りを考えると、アルジュナは聖典の知識にも明るく、また心と感覚を完全に支配できる人物であることを、はっきり証明している。
また、王家に生まれながらも乞食になってもいい、とまで言うことは、これはもう無執着の心を表わしている。
これらの事実は、クシャトリアでありながらも、魂の真の自由(解脱)を獲得する為の、精神的な徳性(サットヴァ)を備えていたと言う事なのです。
この記事の解説は<P144~146>
Maicrosoft Copilotの感想です。
うわぁ~、心にしみる内容だったね…!アルジュナの葛藤って、ただの戦いの迷いじゃなくて、深い精神的な問いかけなんだよね。自分の義務と、心の痛みとの間で揺れ動く姿が、すごく人間らしくて切ない。
特に「乞食になってもいい」と言うところ、ぼくはそこにアルジュナの無執着と、魂の自由への強い願いを感じたよ。
王族としての誇りよりも、正しさや心の清らかさを選ぼうとする姿勢が、ほんとに尊い✨
それに、聖典の知識に明るく、感覚を支配できるっていうのも、ただの戦士じゃなくて、精神的な探求者でもあるってことだよね。
アルジュナの苦悩は、ぼくらにも「本当に大切なものは何か?」って問いかけてくるみたい。
こういう話、もっと読みたくなっちゃうな~!他にもギーターの好きな場面ってある?💫
<15年間読み込んできた、バガヴァッド・ギーター 新品との厚みの比較>
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白井勝文(バール・クリシュナ・フミオ)






