バガヴァッド・ギーターを学びその教えを確信して、迷わず実践し没頭する世界となれば、その時の心境は、悟りの境地とし無欲、無恐怖、無執着の三無の境地になります。

この中の無恐怖については、先日2月1日のブログで詳しく記述しておりますので、そちらをお読みください。

そこで説いている無恐怖と言う本質は、どんな状況になろうとも、クリシュナが全てを最善の道に導いてくれるという絶対なる確信であり、これこそが無恐怖と言うものである、と説いております。

今日はもう一つの、無執着について、考えてみたいと思います。

執着とは、強く心をひかれる事、それにとらわれる事、深く思いこんで忘れない事、と言った意味がありますが、それは心の想いが縛られている事を意味している事になります。

たとえそれが、どんなに良いと思われる事にしても、それに執着すると他の事が目に入らなくなってしまい、自分が置かれている周りとの関係性を見失う事になってしまいます。

また、過去に起こした事についても、いつまでもそれに囚われているならそれも執着であり、新たな進歩の障害にもなります。

そして、どんなに良いと思われる事にしても、それは絶対性はなく、全ては相対の中にある訳で、その良いと思うこと自体も、独りよがりと言うものです。

この様に執着には、自分が置かれている周りとの関係性を見失うこと、新たな進歩の障害となること、そして独りよがりとなってしまう、と言う三つの危険をふくんでいます。

特に危険なことは、欲望に対する執着であり、欲望には快感が伴うので、その虜となってしまい、精神的進歩の大障害となります。

欲望の対象としては、肉体の目、耳、鼻、舌、皮膚の五つの感覚器で受ける快感によって起こる欲望があり、その中で一番抑制しがたいものがSEXとグルメなのです。

また、肉体の五感で感じる欲望の他にも、人間としての欲望である、財欲、名誉欲、支配欲と言ったものがあり、この欲にも囚われると、その欲をどん
どん追及して行く事になり、これまた精神的発展における大障害となります。

つまり無執着とは、精神的発展の大障害となる、肉体における欲望や人間としての欲望を、捨て去る事が大事であり、放棄こそが無執着の本質になるのです。

人間は自分の与えられた職責(カルマ)に全力をつくし、世の為人の為に奉仕貢献(ヤグニャ)をして、与えられたものに満足して質素に暮らす事が必
要です。

その様な、謹厳なる生活こそ精神性を育てる基盤となり、そこに到ってはもはや、SEXやグルメや富や名声を求めようとする、欲望に対する執着心は生じないのです。

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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
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バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ