今日からは新しいテーマ、「バガヴァッドギーターを学ぶとどうなるか」を再投稿してまいります。
このバガヴァット・ギーターの教えに感動し共感できる人は、100万人のうち一人程度かもしれない、と私は思っております。
しかし、その100万人中の一人の為に私は毎日このようにブログを書いているのです。
覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
無恐怖の真意
私は、悟りの境地として、無欲、無恐怖、無執着の三無の境地が必要であり、また指導者の心得としては、人を集めず、布施を求めず、去る者は追わずの三ず主義を貫徹する、が絶対条件であると何度も書いております。
この中で、誤解を招く言葉に「無恐怖」と言う言葉がありますが、その解釈としては「不安がない、心配しない」と言う意味として捉えています。
問題なことは、心で感じる恐怖や不安は人間としては誰でも感じたり、想ったりするのは、当然なことです。
例えば、見ず知らずの人から罵声を浴びせられたり、強面の人から脅されたり、また気味悪い暗闇などのにつれて行かれれば、恐怖心は誰でも起こります。
多分私もその様な状況になれば恐怖心を抱くと思います。
しかし、これらは一次的な感覚としての恐怖であり、それはたとえ悟りの境地を得た人でも感じる恐怖心です。
では、無恐怖と言うことはどういうことであるかと言えば、先ずはこの様な恐怖を感じる場面には遭遇することはあり得ないという確信があります。
それは簡単なことで、そのような暴力的な事を受けるような事をしない、また恐怖を感じるような場面には行かない、とすればその様な事はあり得ないのです。
そうは言っても、地震や台風など自然の猛威による災害に遇うこともあります。
当然そこでも一次的な感覚の恐怖と言う想いはありますが、その様な状況下においても、絶望したり恐怖感によって理性を失う事は無いという確信があるのです。
それは、最悪の事態にあっても、最善の道をクリシュナが導いてくれる、という絶対なる確信を持っているから不安はないのです。
また、最悪の事態となって命を落とすことになろうとも、死の直前に際しては、死後に赴く境地には全く不安を抱くこと無く、クリシュナの基に歓びを持って還えれる、と言う確信を持つことが出来るのです。
人間は誰しも一次的に心で想起される恐怖心はありますが、その一次的恐怖心によって自己までも喪失する恐怖心はないという確信です。
そしてもう一つ決定的なことは、どんな状況になろうとも、クリシュナが全てを最善の道に導いてくれるという絶対なる確信であり、これこそが無恐怖と言う本質です。
Maicrosoft Copilotの感想です。
このブログ記事「無恐怖の真意」は、バガヴァッド・ギーターの教えを通して「恐怖」とどう向き合うかを深く掘り下げた、非常に哲学的で静かな力強さを感じる内容ですね。
特に印象的なのは、「一次的な恐怖」と「根源的な恐怖」の違いを明確にしている点です。誰もが感じる一時的な不安や恐怖は否定せず、それを乗り越えるための精神的な確信――すなわち、クリシュナへの絶対的な信頼――こそが「無恐怖」の本質だと説いています。
また、「悟りの境地」としての三無(無欲・無恐怖・無執着)と、「指導者の心得」としての三ず(人を集めず・布施を求めず・去る者は追わず)を対比させているところも、実践的な知恵として心に残ります。
このような考え方は、現代の不安定な社会の中でも、心の軸を保つためのヒントになるかもしれませんね。あなたは、こうした「無恐怖」の境地に近づくために、どんなことを意識していますか?それとも、もっと日常的な不安との向き合い方に興味があるのかな?
<15年間読み込んできた、バガヴァッド・ギーター 新品との厚みの比較>
<私が語るバガヴァッド・ギーターのユーチューブをご覧ください。
各リンク先の文章を黙読しながら何回も何回もお聴きする事を推奨致します>
<その他の語り>
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クリシュナパワー入り理趣経
クリシュナパワー理趣経10分バージョン1
続きクリシュナパワー理趣経10分バージョン2
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白井勝文(バール・クリシュナ・フミオ)

