ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
丸山道第一野戦病院への渡河を後日の予定に組み込み本日一日他の戦跡を巡る事となったのですが、昨年お邪魔した際あまりの熱気に撤退を余儀なくされた見晴台北部台地をどうしても先にお邪魔せねばとレレイ村のマイケル氏を訪ねる事としました。

現在地はギフ高地少し南方、我々のベースキャンプ・ノニゲストハウスであります。

ガ島八日目の目的地は見晴台であります。

本年一月新日蘭の友人へ送った見晴台の要図

※赤丸、御遺骨発見地点。
ヒル54は2012年に、ヒル50からヒル51・52、シムズリッジ・エクストンリッジへは2014年にお邪魔しました。
残るはヒル55・56・57、そして飛び地になりますがヒル53が我々の目的地であります。

此の地は思い出深い場所で、カメラのトラブルで画像を残せなかった2012年。
ヒル54に登った自分は延々と連なる見晴台の丘陵に圧倒されながら自分の勉強不足を痛感したのでありました。
予想を超えた見晴台の広い丘陵地帯を眼前にして何処を歩くべきなのか判断する予備知識が欠落していたのです。
何処にどの部隊が布陣していたのかさえ把握しておらず、南緯九度の太陽に焦がされながら無闇に歩けば熱中症間違いなし。
唯々呆然と見晴台の丘陵を眺めていたのでありました。

ヒル54より望むヒル52方面

2014年撮影

そして2014年、同じ轍は踏まじと研究を重ね概ね布陣位置を特定。
2012年とは打って変わって内容の濃い御慰霊巡拝が出来たのでありました。
以下、2014年の見晴台南方丘陵地帯、歩228・深田中隊布陣位置の記事。
見晴台1 ヒル54
見晴台2 ヒル54-2
見晴台3 ヒル54-3
見晴台4 ヒル50展望哨1
見晴台5 ヒル50展望哨2
見晴台6 展望哨3
見晴台7 展望哨4
見晴台8 展望哨5 疑問
見晴台9 ヒル51
見晴台10 ヒル51西方無名高地
見晴台11 
見晴台12
見晴台13 エクストンリッジ~シムズリッジ
見晴台14 ウォーターホール
見晴台15 御遺骨
見晴台16 ヒル52北端高地からの眺望
見晴台17 撤退
最期の記事が「撤退」とは情けない事この上なしではありますが身体の危険を感じる熱暑だったのであります。

そして本年2015年、昨年廻りきれなかった歩228第三大隊・西山部隊の主力の布陣した北方丘陵地帯、軍神・若林東一中尉(戦死後大尉)の散華された地の御慰霊行であります。

此の地について簡単に説明しますと・・・
昭和17年8月7日、日本軍設営隊が造成した飛行場を米軍が上陸占領。
昭和17年8月21日未明、一木支隊第一梯団飛行場奪還の為総攻撃・全滅。
昭和17年9月13日、川口支隊飛行場奪還の為総攻撃・頓挫。
昭和17年10月24・25日、丸山道を踏破し第二師団総攻撃・頓挫。

以上の経緯を経て次の総攻撃の為上陸したのが第三十八師団でした。
三八師団の戦力で歩兵連隊は三個連隊。
歩228 概ね上陸成功。
歩229 上陸時米軍の空爆激しく一部しか上陸出来ず。
歩230 第二師団総攻撃の際、右翼・東海林支隊として参戦。

歩229は後方予備隊として前線苦戦の際、小出しに増援され部隊としての戦闘はありませんが多くの戦死者を出しました。

歩230は、丸山道踏破総攻撃の後、東海岸コリ岬へ転進、其の後再び丸山道を踏破し西海岸へ・・・
この難行軍で戦闘能力は激減し歩229同様小出しに前線へ増援されたのです。
ルンガ渡河点警備隊関谷大隊は歩230でコリ岬より戻る途中残置された警備隊であります。

歩228と歩230の一部しか新鋭部隊が上陸出来ず(歩兵連隊だけ見て)糧秣弾薬の揚陸芳しくなく次の総攻撃は実行に至らず昭和17年11月中旬よりガ島の戦いは持久戦へと移行したのでありました。

↓2013年2月作った要図なのでかなり大凡ですが

昭和17年11月下旬、持久戦の布陣位置が確定した頃の布陣位置。

海岸線、第三拠点は「小川陣地」とも呼ばれ第二師団・仙台歩兵第四連隊・新発田歩兵第十六連隊・会津若松歩兵第二十九連隊の担当。
歩四の第二大隊は川口支隊で青葉大隊として先行上陸、本隊到着の後10月マタニカウ川の戦いで大きく損耗。
歩二十九は二師団総攻撃の際、尖兵連隊として突撃の後、軍旗・連隊長共に行方不明で捜索の為最期まで突撃地点に残り、其の後負傷者担送・機関銃運搬を経て西海岸に転進した頃には戦闘力は激減。
歩十六は二師団突撃の際、予備隊で10月25日の総攻撃二夜目に突撃するも砲撃激しく前進不可、歩四・歩二十九より損耗がいくなかったので小川陣地守備の主力でありました。

第一・二拠点は11月に上陸した三八師団の精鋭、愛知・岐阜編成歩兵第228連隊第一大隊の担当。
防衛線が広範囲だった為、第三大隊より増援を受けております。

見晴台は歩228第三大隊、第一・二拠点へ増援している為、歩兵は若林・深田の二個中隊での布陣です。

シーホースは福岡歩兵第124連隊・岡部隊。
川口支隊総攻撃の主力部隊であります。

ギフ高地、歩228第二大隊・稲垣大隊。
11月に上陸した精鋭でありました。

昭和18年2月のガ島撤退時、シーホースとギフ高地には撤退命令が届かず歩124の半数と稲垣大隊は取り残され、捕虜となった一部の将兵しか生存者が居ないのであります。

長くなりましたが持久戦に移行した後の見晴台は第一線の中央に位置する重要な陣地だったのであります。

現在地ギフ高地やや南方ベースキャンプより望むサボ島


現地時間07:47

見晴台へ向けて出発であります。

つづく


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