ガダルカナル戦書籍一覧


*********************************************************************
2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

今まで調べたアウステン山の戦闘記録

見晴台持久戦を戦った歩兵第228連隊
第三大隊長・西山少佐の日誌は → こちら
第十中隊長・若林中尉の日誌は → こちら

現在地 ソロモン諸島ガダルカナル州 見晴台 展望哨南端高地  
現地時間 07:44  日本時間 05:44  



展望哨南端高地よりヒル51へ
我々の進んだ方向を矢印で書き入れてみました。


K隊員に塹壕を発見したら指差すようにと頼んだのですが・・・

帰国後熟慮の末、K隊員に指差して貰った穴は総て米軍の砲弾により掘られた穴だとの結論に達しました。
此処までで既に二~三十の穴を指差して貰い「随分と塹壕があるなあ・・」と現地で疑問に思い始めた位置でもあります。

穴位置より南渓谷の下はマタニカウ川・・・

この見下ろす渓谷の何処かに深田中隊竹島小隊が配置された竹島小哨がある筈。
シーホースを護る福岡歩兵第124連隊西畑大隊と見晴台の間隙となるマタニカウ川を監視していたのだと頷ける位置であります。

さらに前進


黙々と・・・


坂を降りきった位置よりK隊員に指差して貰った方向は・・・


このような盆地

右が展望哨の西側で崖となっており左手は高台となっております。

振り返って我々が歩いて来たルート


進行方向、正面右上の高台がヒル51で間違いないと思う。


ヒル51の手前、高台でサンディが何やら発見したらしい・・・


米軍の物と思われる薬莢を発見

ヒル50、展望哨南端高地では発見出来なかったレリック(戦争遺物)
米軍戦史の記録ではヒル51までは無抵抗で進んだとあるが日本軍の監視哨があったのかも知れない。

そして百メートル程先には

米軍の小銃弾・・・
先程薬莢位置より射撃したものではなかろうか・・・

愈々ヒル51


最後の急坂・・・ 


ヒル51頂部で我々を出迎えてくれたのは砲弾の穴と米軍の小銃弾でありました。


そして手榴弾の破片・・・


拡大してみる

薬莢、小銃弾、手榴弾片と米軍がヒル51に対し攻撃を加えながら占拠した事が窺える。

レリック(戦争遺物)の発見位置と我々の辿ったルート


現地のヒル51から振り返って書き込むと↓こうなる。


ヒル51からの眺望

シーホース→キブ高地→手前展望哨→奥にウマ・イヌ・サル高地→鉄底海峡を挟んでフロリダ諸島→展望哨北端の左はヒル54→ヒル54の左密林が若林中隊の陣地→そして高台が続く


米軍戦史では現在地ヒル51よりヒル52を迫撃砲で砲撃したとの記録が残る。

果たしてヒル52は眺望できているのだろうか・・・

ヒル51より西方の高台
一見、一つの台地のようにに見えているが・・・よく見てみると手前の台地の奥にもう一つ

では奥の台地がヒル52なのか・・・
この距離なら目視も出来、迫撃砲弾も届く・・・のだろうか???


↓の位置が正しいとすれば・・・

さらに奥の可能性もある。
もう少し歩を進めて見なければ確定には至らない。

ヒル51頂部
現地時間 08:08  日本時間 06:08
マイケル氏宅より 約一時間半
展望哨南端高地より 約25分の道程でありました。 

南緯九度の太陽はまだまだ優しい時間帯であります。

つづく


にほんブログ村


**********************************************************************

歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 公式ブログ。
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal