ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

今まで調べたアウステン山の戦闘記録

見晴台持久戦を戦った歩兵第228連隊
第三大隊長・西山少佐の日誌は → こちら
第十中隊長・若林中尉の日誌は → こちら


現在地 ソロモン諸島ガダルカナル州 見晴台 ヒル50展望哨 
現地時間 07:12  日本時間 05:12  




此の地見晴台を守るのは第三八師団歩兵第228連隊第三大隊・西山大隊。
歩兵四個中隊、機関銃中隊、大隊砲中隊の編成ながら第九中隊は軍旗中隊として連隊本部へ、第十二中隊は堺台へと取られ実質歩兵二個中隊と機関銃・大隊砲部隊しか居りませんでした。

そして此の地見晴台分哨高地=展望哨は第十一中隊・深田中隊の担当であります。
昭和17年11月20日、見晴台に進出した西山大隊、病魔・飢餓と戦い此の地に約一月半・・・
昭和18年1月6日より、この展望哨へ米軍の砲撃が始まった。

第十一中隊長 深田 大尉
第一小隊長  竹島 少尉
第二小隊長  長谷川 少尉
第三小隊長  横井 少尉

以下、歩兵第二二八連隊史より概略引用

第十一中隊 勝野准尉 記

昭和18年
1月3日午後よりアウステン山第二大隊・稲垣部隊方面(ギフ高地)に銃砲声激し。

1月6日18:00
突如として敵の砲撃我陣に飛来、至近弾壕の前後に炸裂山をゆさぶり壕を埋める。
一晩中我陣の前後に爆裂音、爆発光、壕に突き刺さる破片の音、大木の倒れる不気味な轟音、破裂の度に山が動き共に身体が浮き全く一睡の余地も無い。
昨夜来心配していた展望哨は健在、大塚軍曹以下と交代無事帰隊せり。

1月8日
土本曹長以下十一名展望哨へ、各方面に激しい銃声を聞くも我陣平穏なり。
正午過ぎた頃より我陣地に砲撃盛んなり。
この日展望哨に対しても盛んに砲撃を繰り返し土本曹長以下砲火を浴び土砂にまみれてなおよく監視を継続せり。
この砲撃により土本曹長右腕に受傷するも克く任務を遂行せり。

血に濡れる展望哨
1月9日
展望哨の編成以下の如し
展望哨長 勝野 釮二 准尉
分隊長  水野 欣二 軍曹
鈴木 二一 伍長
三林 留一 兵長
溝口 晃  兵長
河野 敏資 兵長
筒井 薫  兵長
金石 和雄 上等兵
斉藤 清一郎 上等兵
上記編成により土本曹長以下と交代す。

土本曹長より申し送り
「今朝来俄かに敵の移動激しくなり、その行動極めて活発になりました。何時もと動きが違いますので十分注意してください。総攻撃の可能性が十分あります。」
申し送りを受け、展望哨陣地に、勝野准尉・鈴木兵長・鈴木兵長・溝口兵長・金岩上等兵・筒井兵長を、台上監視哨に水野欣二軍曹・河野兵長・三林兵長・斉藤上等兵を配置、監視継続中数回に亘り展望哨陣地に集中砲撃を受け全員頭から土砂をかぶりながら陣地にへばりついて監視を続ける。
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この記述では展望哨と台上監視哨二つの陣地があると読み取れます。


同じ場面で雑誌「丸」エキストラ版18・ガダルカナル攻防戦(昭和46年9月15日発行)の「若林奇襲隊の最期」の項「血塗る展望哨」で・・・
(従軍記者・森川賢司 執筆)

1月9日
勝野准尉以下七名の死守せる展望哨位置は言語に絶する凄惨さで巨弾は前後左右に炸裂し、全くこの世ならざる地獄を現出し、修羅の巷と化した。
(中略)
展望哨は頂上近く西側斜面に横穴を掘って陣地とし、台上には常に三人または四人の歩哨を立てて、敵状を監視し警戒に努めていた。
陣地と監視哨の立つ頂上とは切り立った八尺以上の岩石で、交替や連絡には縄梯子を使用していた。
これに反して敵に面したほうは、なだらかな草原となり、ジャングルとなり、絶壁となってマタニカウ川に落ち込んでいた。
敵の陣地や敵兵たちの右往左往するさまが一望の下見えるけれども、それだけに敵のほうから睨まれている危険な場所でもあった。


こられの記述を熟読、現地の写真と照らし合わせ・・・
戦争遺品調査されているホームページに掲載されている展望哨戦闘図をグーグルアースに重ねて見ると↓こうなります。


ヒル50が展望哨と思い込んで居たのだが、陣地と監視哨の立つ頂上とは切り立った八尺以上の岩石で、交替や連絡には縄梯子を使用より展望哨陣地は↑図の水野軍曹以下四名の位置となる。
梯子を必要とする位置は、其処しか見当たらないのである。

嗚呼・・・横穴を掘った陣地・・・素通りしてしまっている(ノ_-。)
つっ 次こそは・・・と後悔しきりなれど現地の我々はそんな事とはつゆ知らず黙々と歩き黙々と写真を撮り続けていたのでありました。

我々の現在地は白矢印先端・・・
なんと金岩上等兵殿の位置にすら達していない・・・

とすると先程、村人が塹壕と言っていた穴は、砲弾の炸裂痕の可能性も出て来てしまう。

雑誌「丸」の数行の記述で場所の特定は出来たが・・・横穴位置が・・・(:_;)



気を取り直して現地の様子
米軍方面より振り返ってこれから進む方向

書き込んだ位置は現地での我々が把握するところではないが・・・正しく米軍の侵攻方向と同じ方向、同じ視野で展望哨へと進んでいる事が今頃判ったのでありました。

ヒル50は独立した大きな丘ではなく通過点のポイントで、より大きい日本軍の展望哨にはヒルナンバーが付けられていない事に驚く。
見晴台戦闘経験者が冥府へと旅立たれている今、聞く事は叶わない。
現地に来て、複数の資料を重ね合わせて行かなければ位置の特定は不可能であります。

監視哨の位置が判明しただけでも大きな発見だと自画自賛!!

そして・・・ この広範囲な線を食無く痩せ細った一個分隊・・・それも欠員により分隊半数の兵力で監視していたのかとあらためて驚かされました。


再度、気を取り直して監視哨へ進む我々・・・

勿論、気分は「此処が監視哨か・・・」と感動しながら・・・

黙々と

まだまだ監視哨には辿り着いていない。


振り返ればこのような眺望

イヌ・サル高地が前面に見える。
此の高地東方より米軍銃砲の砲弾が飛来して来たのであります。



つづく


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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



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