ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

今まで調べたアウステン山の戦闘記録

見晴台持久戦を戦った歩兵第228連隊
第三大隊長・西山少佐の日誌は → こちら
第十中隊長・若林中尉の日誌は → こちら


現在地 ソロモン諸島ガダルカナル州 見晴台 展望哨南端高地  
現地時間 07:37  日本時間 05:37  



歩兵第二二八連隊第三大隊深田中隊(11中隊)
勝野 釮二 准尉 の記録概略
 歩兵第二二八連隊史より
昭和18年1月9日
17:00頃
ウマ陣地方向より敵大部隊が前進し前方イヌ台地後方凹地に集結するを認む。
中隊長に報告すると共に監視兵を増員し厳重なる監視を続く。

17:40
再度、敵重砲・迫撃砲の砲弾集中飛来、展望哨は文字通り砲煙弾雨に包まれた。
十数分で砲撃が止むと土砂をかぶり、埃にまみれ痩せこけた筒井兵長が笑みを浮かべ鉄棒をはずし「ここに破片が当たりました」とへこんだ鉄棒を見せる。
前方イヌ台地上では三台の砲隊鏡に群がり砲撃後の我陣地を監視している。

18:10
突然、敵砲弾数発我が頭上に於いて炸裂、耳をつんざき破片唸りを生じて我等身辺に散る。
台上監視中の筒井上等兵「残念」と大声で叫び台上より転落。
続いて溝口兵長全身に破片を受け血が吹き出ている。
私も右腕と手指に負傷し血が流れているが軽傷だ。

溝口兵長を引きづり降ろし筒井とともに止血処置をし服を裂いて仮包帯するも両名余りの重傷に施す術なし。
金岩上等兵に介抱を命ずるも金岩また全身に破片を受け服のあちこちに血が滲んでいる。
台上に配置せる水野軍曹以下は幸いに負傷者なし、よく遮蔽し監視継続を命ず。
右腕・背部に破片創を受けるも比較的元気な鈴木伍長を中隊長へ展望哨の状況報告、増員要請。
時に18:50

負傷者を介抱しながら補充員を待つが十二時一時待てども補充員は来ない。
二時、三時遂に来てくれない。
監視を継続し苦しむ負傷者の呻きを聞きながら看護して夜を徹す。



現在地から撮った眺望


①白線が我々の登坂して来たルート


②ギフ高地方面

昨日お邪魔したヒル30、ヒル27が確認出来る。
展望哨を守る勝野准尉の目には砲弾の炸裂煙が写っていた筈・・・


③シーホース方面

日本軍はギフ高地・シーホースをアウステン山陣地と称した。


④西方マタニカウ川が左下を流れている。

展望哨南端高地の頂上はなだらかな平地が広がる


⑤ヒル51右奥が深田中隊位置、さらに奥が大隊本部位置と思われる。



⑥南端高地より見た勝野准尉の位置

左下は崖となっている


⑦ヒル54・55方面

ヒル54は昨日南緯九度の太陽に撤退を余儀無くされた若林中隊・竹内小隊陣地
ヒル55は若林中隊・中野小隊陣地


⑧マタニカウ川河口方面

左ヒル50と右サル高地に挟まれたこの一帯マタニカウ川流域で数次の激闘が繰り広げられ多くの戦没者を出したのであります。


⑨イヌ・サル高地

勝野准尉の記録ではこのサル高地の台上で砲弾の着弾を修正していたとある。

さらに右に視線を移すと撮影起点となる。


⑩現在地展望哨南端高地より西方ヒル51の中間凹地より勝野准尉の位置を見ると・・・

この通り崖となっており此処に横穴を掘ったと思われる。
この位置は現地では把握しておらず偶然撮った一枚なのであります。




1月10日
東の空が白みがかった頃、遠く敵陣より太鼓を連打するような発射音、左下ジャングル内の若林第二・第三陣地で熾烈物凄い砲弾の炸裂音が朝の静寂を掻き乱す。
凡そ三十分総攻撃の援護砲撃である。

僅かな間に数百発の砲弾が若林隊陣地に吸い込まれジャングルは片端から崩れ荒野と化す。
砲煙陣地を包み凄惨な様子が忍ばれ若林隊頑張れと祈る。
砲撃が止むと同時に敵戦闘機・爆撃機の爆音が大空一パイに轟かせ我展望哨、若林隊陣地に銃爆撃を繰り返す。

展望哨の前後に五発、十発、山は崩れ砂と石が飛んで来て頭など上げられるものではない。
時々、負傷者に声を掛ける。
「大丈夫です」と答えるが傷だらけで動けない。
筒井と溝口が顔を歪めながら「准尉殿、気をつけてください」と励ましてくれる。
ようしやるぞ!! 最期の時来るを知る。

04:30頃(恐らく日本時間で現地時間は06:30)
敵機が一機去り、二機去り一瞬静寂が戻る。
台上へ上がり敵陣を監視するや前方台上より展開した敵二箇中隊以上の大部隊が我展望哨へ、また他の二・三箇中隊が若林第二・三陣地に群がるように攻撃前進するを見守る。
台上、水野軍曹も此の状況を詳知、「一兵至るまで陣地を死守せよ!!」
私は負傷者の銃を持ち展望台斜台上へ金岩を右二十米屈折部に配置、僅か六名で二箇中隊以上の敵と対決せんとす。

数分を経ずして我展望台前十数米に迫り英語で号令しているのが手に取るようだ。
「撃て!!弾のあるだけ撃て!!」
敵の手榴弾が一斉に飛んでくる。
来るは来るは幾らでも投げて来る、が幸いなる哉敵の手榴弾はみな後ろの崖下に落ちて爆発する。
私も遂に手榴弾を投げ尽くす。
台上の岩陰から斉藤上等兵が手榴弾をくれと手真似で合図する。
負傷者の手榴弾を集め投げてやるが全部で六発のみ。
金岩も負傷者の弾丸を集めて射ちまくる。


木にあたって足許に落ちた敵手榴弾を掴んで返投・・・
グァーン
大きな喚き声がする。
また一発・・・爆発と共に英語で喚く。
台上の水野分隊も手榴弾を投げつくし軽機関銃と小銃だけで応戦、目前二・三十米の敵を片端から倒していく。
斜右の山陰から射ちまくる金岩上等兵の一発必中の射撃により少なくとも四十以上の死傷者を出した。


敵はあちこち大声で騒ぎたてる。
英語なので何を言っているか判らないが、兎に角喚き声が乱れ騒ぎに騒いでいることは良く判る。
死傷者を収容するためか一瞬手榴弾の投擲が止む。

この時展望哨左頂上に敵指揮官双眼鏡にて本部方面を望遠しあり。
最初水野分隊の者かと躊躇するも鉄帽が違う。
僅か三米そこそこ、一発で射殺せり。
これを機に敵は遺体を収容し一斉に撤退を開始す。

台上水野分隊も地の利を得て敵に猛射を浴びせ多大な損害を与えたるも軽機関銃射手河野兵長頭部に銃弾を受け壮烈なる戦死、また狙撃手として来襲する敵を狙撃、接近する敵に手榴弾を投擲奮戦する三林留一等兵また敵弾に倒れる。

敵来襲より二時間余り寡兵良く戦い大いなる戦果を挙げたり。
地の利を得たりとはいえど今此処に生あるは将に天佑なり。

昨晩報告出た鈴木伍長一晩密林に迷い07:00深田中隊長へ昨晩の戦況報告。
深田中隊長真新しい軍服に身を固め戦闘に堪え得る全員(横井少尉以下十四・五名と記憶す)を指揮し展望哨陣地へ急行08:00頃到着

勝野准尉、今朝からの戦況報告し展望哨監視を交代す。
以上、歩兵第二二八連隊史より

其の後、勝野准尉と生存者は戦死者を埋葬し負傷者を連れ中隊本部で待機している。
その日の午後、中隊本部に深田中隊長以下全滅の報が勝野准尉にもたらされた。
深田中隊の残った兵力は勝野准尉以下健康者七名、マラリア患者等十三名とある。
(竹島小哨の竹島小隊除く)
これが映画シンレッドラインの題材となり米軍と戦った日本軍深田中隊の総兵力だったとは驚くばかりでありました。


ここまで歩兵第二二八連隊史の記録を元に展望哨の戦いを辿ったので次回米軍資料より展望哨の戦いを追ってみたいと思います。

つづく


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