ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

今まで調べたアウステン山の戦闘記録

見晴台持久戦を戦った歩兵第228連隊
第三大隊長・西山少佐の日誌は → こちら
第十中隊長・若林中尉の日誌は → こちら


現在地 ソロモン諸島ガダルカナル州 見晴台  ヒル52北端高地
現地時間 13:02  日本時間 11:02


現地では位置も判らず黙々と歩いていたのですがヒル52北端高地から体力の限界をヒシヒシと体感しレレイ村マイケル氏宅へと撤退している場面であります。

前から二人目サンディの背中には御遺骨。


途中、位置も判らず撮り散らかした写真も・・・
新資料、第25歩兵師団の記録 25th Infantary Division History の要図

↑の要図のおかげで貴重な画像となりまとした。

撮影位置は↓


概ねヒル52の前景を捉えております。



此れに要地とレリック(戦争遺物)書き込むと・・・



↑では小さいので↓拡大版



数ある台地の一つを指差し、あれがヒル52ではなかろうかと会話しているのでありますが・・・

新資料により此の場所から南方を指差せば全ての台地がヒル52だったのであります。

丘を下ると水の流れが・・・

日米両軍兵士の喉を潤した小川か・・・たまたまサイクロンの豪雨で一時的な川なのかもしれません。

南緯九度の太陽は容赦なく降り注ぎ
進行方向左に見えるこの密林・・・

この密林こそ軍神・若林東一中尉の布陣した密林・・・
この距離の密林に足を延ばす体力が無いのであります。

振り返ればヒル54


そして眼下にマタニカウ川とレレイ村


レレイ村の木陰に到着して行き倒れる事凡そ20分。

カメラのデータは↓画像に飛んでおりました。

現地時間 14:17  日本時間 12:17
カイバーで冷えた現地コーラをがぶ呑みしている場面であります。


昨年七月に公開した見晴台日本軍布陣図

マイケル氏宅位置が大きく間違えております。

そして今回の見晴台巡拝コースをグーグルアースに書き込むと↓となります。

新資料によりヒル51の位置が移動してしまいました。

レリック(戦争遺物)の位置と新資料から読み取れたのは・・・
見晴台8 展望哨5 疑問 で公開した

が日本側の展望哨激戦の地で深田中隊長の戦没地。
が米軍の記録に残る日本軍部隊約30名を壊滅させた位置。

でもでもなく

↓赤丸位置が深田中隊主力が散華された位置との結論に達しました。


戦争遺品を調査されているホームページで公開されている深田中尉戦没位置とほぼ合致したのであります。

見晴台9 ヒル51で公開した、ヒル51からの眺望

この位置が深田中隊が散華された位置だと思われます。

今回の見晴台巡拝を終え資料と比較検討し深田隊の散華された展望哨位置の特定が出来た事は大きな収穫でありましたが・・・

今回お邪魔したのは日本軍呼称「見晴台」の深田中隊が担当した南方丘陵地帯だけで若林中隊ほか大隊主力が潜んでいた北方密林地帯に足を踏み入れる事が出来ませんでした。

次の機会を得る事が出来たとすれば「見晴台」北方密林地帯へお邪魔せねばと反省しきりなのであります。

見晴台の御慰霊巡拝の記録は此処までとなり冷えたコーラで体力を回復した我々は再びギフ高地へと向かったのでありました。


つづく


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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
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お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 公式ブログ。
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