ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

今まで調べたアウステン山の戦闘記録

見晴台持久戦を戦った歩兵第228連隊
第三大隊長・西山少佐の日誌は → こちら
第十中隊長・若林中尉の日誌は → こちら


現在地 ソロモン諸島ガダルカナル州 レレイ村 見晴台 ヒル54頂上  
現地時間 11:59 日本時間 09:59


南緯9度の太陽が容赦なく襲い来る見晴台ヒル54 
唯一の逃げ場である日陰など全く無い山頂でありました。
体感温度は40℃ いや・・・次は温度計持参で確り計測させて戴きます。

この地から360度の写真を撮ってみました。


①サボ島が目印となるので起点としました。

正面の丘はヒル56その向こう側にはヒル66が隠れておりその地が第一拠点となります。
ヒル56手前の谷底が若林中隊・中野小隊の布陣位置と推定されます。

②正面の丘がヒル55

中野小隊の監視哨壕があると思われます。
この丘の向こうに堺台が隠れております。

③マタニカウ川河口方面

この川を挟み数次に渡る戦闘が行われ多くの将兵が散華されたのであります。
後方にはツラギ守備隊が玉砕されたツラギ・ガブツ・タナンボコのあるフロリダ諸島・・・

④後方海に突き出した岬はルンガ河河口ルンガ岬

資料によりマチマチなのですが・・・
正面の丘が日本軍呼称サル高地
堺台をサル高地としている資料もありますが、此処では歩兵第228連隊史の資料に沿って行きたいと思います。

⑤左の丘はサル高地で右の丘がイヌ高地

このサル高地とイヌ高地の間の渓谷が舞鶴道となり第二師団総攻撃の際、仙台歩兵第四連隊・福岡歩兵第124連隊が海岸線陽動作戦時の進撃路となります。

⑥同方向視線を下げるとレレイ村の集落

当時は家などある筈も無く密林でありました。

⑦アウステン山ギフ高地方面

中央奥の右に伸びる草原がヒル30、午前中にお邪魔した地点となります。

⑧少しだけ右に視線をズラすと右上、岡部隊の慰霊碑があるヒル27

右側の丘からシーホースにかけての密林が福岡歩兵第124連隊主力が布陣した狼陣地がある筈・・・

⑨中央から右へ延びる丘はアウステン山シーホースヒル44

後方にそびえる山がアウステン山と思われるのですが・・・未だアウステン山がどの山なのか特定出来ず。

⑩ギャロッピングホース・ヒル51方面

右よりの丘が多分ヒル51、この丘の向こう側谷底のマタニカウ川に間隙を埋める為、歩兵第228連隊・深田中隊の竹島小隊が配備され竹島小哨と呼ばれていた。

⑪丘に囲まれた盆地が深田中隊の宿営地と村人は説明するが・・・

このように暴露された地点を宿舎としたとは考えづらい。

⑫正面の丘の向こう側密林手前に激戦地の米軍呼称シムズ・エクストンリッジが隠れていると思われます。

後方雲間に見える山々の奥に第二師団総攻撃の際に切り開かれた丸山道がある筈

⑬レレイ村を背にする位置

この正面に見える密林は谷底となっており若林中隊の宿営地と推定される。

⑭ ⑬に引き続き若林中隊の守備担当地域

とすると現在地に若林中隊の監視哨壕がある筈

一周廻ってサボ島方面


グーグルアースに推定布陣位置を書き込むとこうなります。


現地では何となく「この方向は深田中隊の位置でこっちは若林中隊の筈なのだが・・・」と悩みながら眺めていたのですが帰国し各資料と照らし合わせやっと正確な位置が判明した次第。

これは凄い資料が出来たと自画自賛なのでありますが・・・
果たしてこの資料を欲する方がいらっしゃるのかどうか・・・いやいや若林東一中尉の「後に続くを信ず」であります。

ガ島を訪れる日本人が増える事を祈りつつ・・・

つづく


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お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 公式ブログ。
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