皆さま、こんにちは!
昨日は会津若松市に行ってきました。
地元小学校の修学旅行の記念DVDを制作するために、
撮影目的での同行でしたが…
今の小学校の修学旅行って、
見知らぬ土地で移動する力を養うための
自由行動の時間があるのですよね。
小人数のグループに分かれて予定していた目的地を周るのですが、
移動の手配も食事もすべて子供たちの自主判断なのです。
中には、途中で予定のバスに乗り遅れたり
食事に予想外の時間がかかったりした子たちもいたようですけど、
旅にはハプニングが付き物、これも旅の醍醐味ですよ。
子供たちよ、旅に目覚めよ!
今日は牟岐線・北河内(きたがわち)駅の訪問記です。
北河内駅は昭和14年、牟岐線が開通した際に開設された駅。
北河内駅は錦川鉄道錦川清流線にもありますけど、
あちらの読みは「きたごうち」で、こちらは「きたがわち」でした。
牟岐線には「河内駅」が無く、なぜ「北河内」なのかと思いましたけど、
駅が所在する地名が「北河内」だったみたいですね。
北河内駅は単式ホームに上屋があるだけの駅です。
ホームにはこちらのスロープを伝ってイン。
こちらが北河内駅の単式ホームでした。
灰皿の真上に「禁煙」のステッカー、トイレの中では喫煙しちゃいけないってことですよね?
とってもとってもシンプルな駅構造の北河内駅でしたけど、
昭和34年までは貨物の取り扱いがあったそうです。
国鉄→JR移行期前後までは、有人駅時代の木造駅舎もあったみたいで。
この駅のどこで貨車が留置されていたのかが気になり、
古い航空写真をチェックしてみたところ…
ありました!
昭和23年に撮影された写真ですが、駅の西側に貨物ホームと、
今は無き木造駅舎の姿も写り込んでおりましたよ。
さっそく、それらの遺構を求めて駅前をうろついてみたのですけど、
駅前にあるのは、まるで庭園のように整えられた樹々と…
2本が絡まって、まるでリア充ぶりを見せつけるような木があるのみ。
いやいや、ありました。
ここに見えるコンクリートが駅舎の土台跡なのでしょう。
こうしてみると、意外に小さな駅舎だったのかも。
そして貨物ホームですが…
ホームの裏側(上の画像の左側)に貨物ホームがあったはず。
手前の駐車場になってる辺りですね。
ここをホームから眺めてみると…
!!!
あったわ。
使われなくなった貨物ホーム、今でもしっかりと残ってました。
貨物の取り扱いが廃止されたのは昭和34年前のこと。
60年近くも放置されてたのですから、樹々もこんだけ育って当然ですね。
駅前側から貨物ホームを眺めました。
ここにも建物が建っていたようですけど、どんな使われ方をしてたのでしょ?
穀物を荷役するには狭すぎますし、
なによりも、この建物跡の間取り自体が謎すぎます。
コンクリート製の土台まで残っているので
単なる上屋ではないことは間違いないと思うのですけど…
北河内駅の貨物ホーム、気になる!
…などということは考えずに、
この日はホームの階段を昇り降りして遊んで帰ってきました。
それにしても、こんだけ立派な仕様の貨物ホームは
マジで珍しいと思います。
このホームの真の用途、ご存知の方はご口授くださいませ。
牟岐線(阿佐室戸シーサイドライン)
↑(徳島駅方面)
(臨)田井ノ浜駅(平成27年5月20日) ・営業日の様子(令和元年8月4日)
北河内駅(平成27年5月20日)
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