社団法人と年功序列の両輪 | 吉原馬雀の奇妙な冒険

吉原馬雀の奇妙な冒険

元・三遊亭天歌でしたが、吉原朝馬門下となり、高座名が変わりました。

吉原馬雀(よしわら ばじゃく)です。

 

 

 

 

 

こんにちは。元・天歌です。

落語協会は一般社団法人です。今回は、世間ではなじみのうすい社団法人という仕組みを通して、改めてこの業界を考えてみます。


社団法人とは、営利法人たる株式会社と構造が非常に似ています。


会社は誰のものですかという問いに対して、社長と答える人は今の世の中もう少ないのではないでしょうか。答えは、出資者たる株主のものです。株主が株主総会で役員を選任し、会社の業務にあたらせているのです。

この理屈で社団法人を考えると分かりやすいです。

社団法人では会員が会費を払い、総会により理事が選任され各種業務が執行されています。つまり落語協会は誰のものかという問いに対して、答えは会員ひとりひとりのものとなります。



ところが現在の落語協会でその点、会員のひとりひとりが組織が自分たちのものという意識が希薄となっています。

それは落語協会の一員である前に、師弟関係があるからです。これは当事者にとってごく当たり前の感覚です。

誰も落語協会の会員になるべく弟子入りするのではありません。弟子入りして、ついでにその師匠が落語協会の会員だから、弟子も落語協会の会員になるにすぎません。

そして落語界のルールである年功序列の世界に、ひとりひとりが組み込まれ、そこではあまたいる「先輩の言うことが絶対である」という価値観に馴染んでいきます。

この年功序列を我々は「香盤」と呼びます。

香盤では、上にいるひとりひとりが、悪く言えば所謂マイルールを持ち出し下に命ずることが可能です。



ところが香盤のシステムは、社団法人に馴染みづらくねじれが生じます。

本来、階級が二ツ目以上の者は、落語協会では会員となり議決権のうえでは平等な権利と義務を負いますが、この香盤がまず当然という価値観では、この議決権や理事に対する監視が機能しにくくなっているわけです。

実際過去の総会では、会員から「理事の選挙制」や「協会にきた仕事の割り振りを平等にすること」について質疑がありました。私は正直もっともな質問だと思いました。しかし残念ながら、首脳陣より会員一同が納得しうる誠実な回答はありませんでした。

そればかりか他の会員の中には、質問者をあざ笑う者がおりました。すごく残念なことです。社団法人のいち会員が勇気を振り絞り組織を良くするための疑問を、香盤が押しつぶしてしまった結果です。




今回、長年のハラスメントに苦しみぬいた私は、現在この組織の在り方に疑問を持っています。

自分たちの世界のルールと、社会の責任とどちらが大事でしょうか?



香盤には法が及びません。しかし、社団法人には、民法や一般社団法人法、税法や労働法などもろもろの法律の責任が問われます。

もちろん香盤も大事ですが、確実に言えるのは、いくら香盤が大事だと言っても社会的責任はないがしろにすることはできません。

私が伝えたいのは、まず社会的責任を大事にしましょうよという事です。



いくら弟子だからと言って、指導の名のもとに暴言暴力嫌がらせが許されるはずがありません。人には基本的人権があり、民事裁判では人格権という権利として主張が許されます。

いくら落語協会だからと言って、改正パワハラ防止法を無視していいはずがありません。仮にその適用を受けたくないのであれば、落語協会は事務員を雇うべきではありません。

人を雇うという自分たちの都合のいい事だけ権利を主張し、適正な相談体制を構築するという都合が悪いことに対して法を無視していい道理などありません。法の下の平等はこの業界にも及びます。



今までこの業界は、あまりに法をないがしろにしてきました。それは法を使う人が少なかったからです。法に救いを求めることさえ、この業界のルール違反と感じていたのでしょう。

でも本当は逆です。人や組織は法をまず守り、その上にこの業界のルールはあるべきです。落語家もいち社会人なのです。
今までの人権を無視したやり方はこれからの時代通用しません。



さらにこの業界の人権を考える時に「修行」について思うことがあります。

自分の師に対して何のための慣習なのか目的を問うことさえ許されなかった空気感がありました。

昨年2月20日の寄席の楽屋で、私は師に「どうして何も言わずに手をあげるのですか?」と、弟子入りして十数年が経つ中ではじめて指導の意味を問いました。

それに対し師は「師匠に逆らうのか?」と言うばかりです。

私は今俯瞰して見てあの時を思うと、師匠自身が弟子に課している修行の意義を考えるのを、あまりに放棄している気さえするのです。

人権さえない世界では説明が不要だから、本当は命令している本人も説明できないのに、その修行を押し付けてないでしょうか?

私は、修行の本質って『考える』ことではないかと思うのです。

己で己を問うことが修行の本質だと私はそう考えます。

その質問がたまたま弟子から投げかけられた時に、以前の師にはその答えがなかったのでしょう。

現在の民事裁判で元師匠からの持論でいっぱいの答弁書を見ても、その答えは残念ながら見つかりません。


落語家とハラスメントの問題を取り上げた今こそ、その修行の本質を考え、間違いがあるならそれを正すべき潮目に来ていると感じます。

まずは落語協会がマイルールを社会に押し付けず、まずは当方の質問状で尋ねているように、法を純粋に履行されることを深く望みます。




署名を開始して60日となりました。

[署名]#落語協会にハラスメント対策の徹底を求めます!

☝ 現在落語家ではないのですが、引き続き落語協会会員である不思議な私の身の上話にも触れてますのでぜひともご一読くださいm(__)m

 

現時点が5556名様のご賛同ありがとうございます。

 

 

 

 

 

【今までの主な記事】

 

★対加害者の記事 (時系列順)

 

週刊新潮を読んだ感想

 

[民事裁判]私の訴状

 

[民事裁判]加害者の答弁書

 

[民事裁判]私の意見陳述書

 

[民事裁判]裁判ウォッチャーさんによる感想

 

※第2回期日:2023.1.30 (zoom審理のため非公開)

 

 

 

★落語協会関連 (時系列順)

 

落語協会のハラスメント説明会に参加した感想

 

ハラスメント説明会を経て、署名をどうするか考えた

 

落語協会とは裁判してないって話

 

落語協会からの回答書

 

落語協会の弁護士に告ぐ

 

根本的な問い

 

再度、質問状を送りました ←new

 

 

 

★その他

 

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弁護士に依頼する際に気をつけること

 

ハラスメントは「人」が「人」にするべきではない

 

組織に必ずハラスメント相談窓口が必要な理由

 

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署名サイトchange.orgを利用しての実感