嫉妬や「羨ましい」は
「自分の願望を知るためのコンパス」
なのですが
それと共に
「自分には無い、自分には叶わない」
という思い込みを教えてくれる
ネガティブ観念発見器
でもあるのでした。
私はまだまだ
沢山のネガティブな観念を持っていますが
変える事ができた観念も沢山あります。
その結果
「寂しい」という感情が消えました。
「寂しい」という感情は知っていますが
その感覚になる事はもうできません。
これはもう本当に
未だに不思議な感覚なのですが
「そういう事では無い」
という事が分かったら、消えました。
*それについては「天国体験」系統の
記事のどこかに書いてあると思います
孤独感の塊のような人だったのですが
観念が変わるというのはこういう事・・・
本当に「別人になる」という事なのだなぁ
と実感しています。
「嫉妬」や「羨ましい」も同じで
ほぼ消えました。
「ほぼ」と言うのは・・・
(自覚していようがいまいが)
「やりたいのにやっていない事」がある時
「それ」を見た時に心の中が
「チリッ」とします。
*この「チリッ」が嫉妬の火種です
そのまま放っておくと「嫉妬」になります
そうすると私は
「ネガティブな反応が出た」
「私はこれがやりたいんだな」
「やりたいのにやっていないから・・・」
「出来ないと思い込んでいるから・・・」
「だからチリッとしたんだな」
と分析して
「では、やりましょう!」
「コレ(見たもの)をモデルにしよう!」
(やった、いいモデル見つけたぞ!!)
と思って
今見ている「それ」を
「自分の未来のカタログ」にします。
なので・・・・・
こうして書いてみると
「嫉妬」とは呼べない感じですが
そんな感じの「チリッ」はあります。
たぶん
「チリッ」の矛先が「外」に向くと
「嫉妬」になるのでしょう。
「チリッ」を放置すると
「嫉妬」「凹む」「焦る」などの
嫌な気分になるのでしょう。
*「無い」にフォーカスするとこうなる
*ネガティブな角度から見るとこうなる
そして
「チリッ」の矛先が「自分」に向くと
「そうか!これをご所望なのか!」
という
「ただのお知らせ」になるのでしょう。
私の「チリッ」の感覚は
心の中で「一寸法師みたいなヤツ」が
「オイ!コレだぜ!!」
「おいらコレやりたいぜ!!
「おいらコレ欲しいぜ!!」と言って
「チクッ」とやっているような感覚です。
なのでそこですぐに
「ハイハイ了解」
と受け取ればそこで解決。
もう、心は晴れやかです。
「妬み」にはならない。
焦りや凹み等の嫌な気分にはならない。
これは、非常に「楽」です。
また
「羨ましい」という感覚についても…
「羨ましい」と感じる前に
「あ、それイイね!私もやろう」
という方向に変わるので・・・・
「羨ましい」は出てこない。
コミュニケーションとして
「いいな~」とか「羨ましい!」
という言葉を使う事はありますが
「イイね!!」
「それイイね!私もそうする!」
「良かったね!!」
「素晴らしい!おめでとう!!」
という意味で使っています。
「羨ましい」という気持ちで
胸がシューンとすることは無い…
という感じです。
これも
もともとそうだったわけではありません。
変わりました。
観念が変わると
(フォーカスを変えると)
現実に受け取り方(感じ方)は
根っこからすっかりガラッと変わるんです。
根っこから変わるというのは、本当に
やせ我慢とか、フリをするとかではなくて
すっかりサッパリ変わるという事です。
観念が変わるという事は
「心が自由になる」
という事です。
嫉妬や羨ましさ
焦りやガッカリ感に振り回されず
自分のペースで、今を楽しみながら
自分の願いを叶えられるようになる
という事です。
そして観念は必ず変える事が出来ます。
*その作業はとても自由で楽しいものです
だって「自分を解放する」作業だから
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