
小牧山城
愛知県小牧市 史跡小牧山公園
令和5年(2023年)8月31日㈭ 撮影
画像は小牧市巡回バス「こまくる」の停留所、「小牧山前」から見た小牧山、ノボリが立つ辺りは「桜の馬場」

小牧・長久手の合戦の堀・土塁 案内板

小牧・長久手の合戦の堀に・土塁

史跡 小牧山公園入口

*小牧山
愛知県小牧市にある標高86mの山。かつて織田信長の居城であった、小牧山城があった。現在は山全体が公園となっており、桜の名所としても知られる。公園の分類は「史跡公園」。 なお現在、山頂にある天守閣風建物は、1967年(昭和42年)に建てられたものである。
平野の真中にある為、山の頂上にある小牧城からは周囲を見渡す事ができる。 山の大きさは、東西約600メートル、南北約400メートルである。 山全体の総面積は、約21ヘクタール。 かつてこの山の頂上には、織田信長の命令により、山城が建てられていた。この城は、後に徳川家康が小牧・長久手の戦いで使用した事で有名である。 公園内には、かつての城跡や、曲輪(くるわ)や井戸の跡、土塁を復元した物などの歴史的資料が展示されている。 全国にある城下町の嚆矢といわれる。
小牧山城
織田信長が美濃攻めの拠点として築城し、後の小牧・長久手の戦いでは、徳川家康の陣城となった。 濃尾平野の独立峰である小牧山に築城された城で、織田信長が美濃攻めを終えるまでの4年間しか使用されなかった。このため、急造の砦に近いものと想像されていたが、近年の発掘調査の結果で、城郭を取り巻く三重の石垣(三段の石垣で一番下の段は腰巻石垣)が発見された。そして城の南部の発掘調査では、小牧山築城によって移転してきた住民によって営まれた町割も発見された。これにより小牧山城は戦時急造の城ではなく、清洲城に代わる新たな拠点として築かれた城郭であることが判明した。現在は小牧山城が後に織豊系城郭と呼ばれる城郭体系の原点であるとされる。 南山麓から本丸のある頂上に向かう位置には防衛に不向きな大手道が設けられている。途中の中腹から折れのある道へと変化しており、後の安土城の縄張りとの類似性が指摘されている。
wikipediaより引用
