歴音 fun
音楽・歴史・映像を中心に想像をめぐらす、読みものコラム「歴音 fun(れきおん ふぁん)」です。
人生や仕事にちょっとだけ刺激を与えられる歴史の深層を探ってみます。
「音路(おんろ)シリーズ」では、「音楽の旅路の風景」を思い出してみます。
本コラムは、プライベートで、自由に縛りなく書いています。
時間のあるときに、読書気分で、どうぞごゆっくり…。

【執筆】
天乃 みそ汁 (あまの みそしる)
ライター*コラムニスト*音楽ライター(復帰?)*映像クリエイター(別名)*元編集長(経済ビジネス系雑誌)*歴史研究愛好家*男性*東京在住*名前由来「天のみぞ知る」




「音路(音楽の旅路)」は、音楽評論ではなく読みものです。
  


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    • 25Sep
      • 音路52. 信じてもいいですか?【前編】「青いスーパー」と「赤いグレイテスト」の画像

        音路52. 信じてもいいですか?【前編】「青いスーパー」と「赤いグレイテスト」

        スーパーマン、スーパーガール、グレイテスト・アメリカン・ヒーロー、アイアンマン、フラッシュ、クリストファー・リーヴさん、富山敬さん、Believe it or not、半信半疑と半神半鬼、ジョン・ウィリアムズ、ジェリー・ゴールドスミス、ジョーイ・スキャベリー、海外ドラマ、2004アテネ・オリンピック、映画音楽、サントラ、洋楽。   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら音路(52)信じてもいいですか?【前編】「青いスーパー」と「赤いグレイテスト」◇TRUST(トラスト)前回コラムまでの三回連載で、ロックバンドのローリング・ストーンズのドラマーでした、チャーリー・ワッツさんを追悼する内容を書きましたので、今回は、少し毛色を変えて、映画やドラマの有名な主人公たちのことや、その音楽について書いてみたいと思います。その中には、世界に知らない方はいないであろう、超有名な主人公もいます。私にとっても、皆、思い出深い主人公たちです。青い色のシャツ、赤い色のシャツ、赤い色のミニスカート…、そして、みな空を飛びます。私は、彼らに、何かしらの強い「TRUST〔トラスト〕」(信頼)を抱いています。私にとっては、信じて疑わない、圧倒的な信頼感を持つ、彼らかもしれません。* * *さて、世の中には、信じられること…、信じられないこと…、信じたいと思うこと…、信じたくないと思うこと…、信用していいこと…、信用してはいけないこと…、信頼していいこと…、信頼してはいけないこと…、信用はしているけれど、信頼まではできないこと…、信頼はしているけれど、時々信用はしていないこと…、などなど、正反対の感情を抱かせるような物事がたくさんありますね。人の中にも、物事を信じたいと思う人…、物事を信じたくないと思う人…、すぐに相手を信じてしまう人…、信じられるのは自分だけと言う人…、信じる自分でありたいと思う人…、信じる信じないではなく冷静に判断したいと思う人…、相手とすぐに信頼関係を築きたい人…、相手と冷静に向かい合ってゆっくりと信頼を築いていきたい人…、もともと、信じあうということとは別の思想の人…、信じたいと思う気持ちに偽りはないと言う人…、信じているほうが幸せだと言う人…、人の信じる気持ちを利用しようとする人…、たまには、ミステリアス・ロマン風な文章で…すべてを信じることに反する気持ちの私は、いつも半信半疑…。私は、半神半鬼のあなたを、信じてもいいですか…?* * *さまざまな組織や企業、集団グループなどでは、構成員たちが、ある意味、完全とはいわなくとも、一定レベルの「信じる」や、特定の条件の「信じる」でつながることで、助け合い、協力しあい、役割分担しますよね。社会全体でも、金融、保険、教育、医療、物流、ビジネス…、さまざまな「信じる」によって、世の中がつながり、上手く機能したりしますよね。あの人がつくる楽曲なら期待する…、あの人が出演するドラマなら見てみよう…、あの人がつくる料理なら安心…、あの人の言葉なら…、人は「何かを信じていたい」という願望をいつも持っているのかもしれませんね。今回のコラムに登場する、主人公たちは、さて、どのような者たちでしょう。◇「S字マーク」は、まさに信頼の証し!彼らは、いわゆる「超人」という、「人」を超えた者たちです。まさに、「信用・信頼」という理想像を私たちに感じさせてくれるヒーローでありヒロインです。ですから、必ずしも人間とはいえません。青いシャツを着て、その胸には「S」の文字…。物語の中の「スーパーマン」と「スーパーガール」です。笑ってしまうほどの超越した肉体的パワーと、その清廉な精神、猛烈な勇敢さ…。人間の域をはるかに超えた「超人」たちですね。「信じるに足る」者たちとは、まさに彼らのことなのかもしれません。* * *映画やドラマの中のスーパーマンやスーパーガールに対して、人間たちは、彼らの底知れぬ肉体的なパワーだけを称賛しているのではありませんね。その精神や勇敢さにこそ、「偉大さ」を感じ、それを称賛するのだろうと思います。信頼できる「超人」だからこそ、彼らをいつも信じている…。信じているとおりの行動だから、またさらに「信頼」は厚くなる…。S字マークのついた、青色のシャツを着ていれば、そのような存在になるかどうかは、わかりません。私も、胸元に、スーパーマンの小さなS字マークのついた、白地のシャツを持っていますが、それを着る時、やはり悪いことはできないと感じてしまいます。昔、何となく、欲しくなって買ってしまいました。S字は、もちろん「SUPER〔スーパー〕」の頭文字です。「SUPER〔スーパー〕」の意味は、すばらしい、一流、特別、特大、超越、ものすごい…などですね。役職の場合は、その現場のトップの管理監督官のような方々のことです。「supernatural(超自然)」、「superstition(迷信)」、「supervisor(スーパーバイザー)」などの単語もありますね。「supermarket(スーパーマーケット)」って、どれだけすごいお店の呼び名でしょう。* * *よく似た意味あいの用語で、「ウルトラ」というものがありますが、こちらには、「あなた、ちょっと、やり過ぎだろ」感が少し含まれていますね。同じ超越した意味ではありますが、日本人と西洋人では、少し印象が違うようです。日本人は、「ウルトラマン」は「スーパーマン」のように感じますが、たしかに変身した後の姿には、人間の雰囲気や感情をあまり感じないかもしれません。日本のヒーローキャラには、あまり人間の顔のような表情がありませんね。顔が固まって…。ただ、ウルトラマンにも、いつの頃からか、「父母」や「兄弟」など、家族感が出てきましたね。「ウルトラマンタロー」って、「あんた日本人か…」と思ってしまいます。世の中の「太郎」さんたちは、さぞ、うれしかったでしょうね。さて、今、どこかの太郎さんは超越できるのか…?信頼や信用は、そうそう簡単には…。今、日本では、さまざまな言葉や説明、理想や目標、数値や根拠などが、入り乱れていますね。ネット上にも、よくわからない「儲かります」「大金を手にできます」などのCM動画が乱発しています。やり過ぎや巧妙な内容も多くある気がします。人が、何を信じるか、信じないかは自由ですが、危険もいっぱいですね。「スーパーマン、スーパーガール… ヘルプ・ミー!」。スーパーマンの胸の「S」の文字は、日本では、「信頼のS」、「信用のS」、「信じているのS」なのかもしれませんね。◇青いシャツの超人男!さて、「スーパーマン」と耳にして、皆さまは、どのような姿や映像をイメージされるでしょうか?年齢や世代によっても、大きく異なるのだろうと思います。漫画本の中のヒーロー…、米国アニメの中のヒーロー…、映画の中のヒーロー…。時代によっても、微妙に描かれ方が異なりますね。その中で、1978年の米国映画「スーパーマン」は、まさに世界中で大ヒットし、これぞスーパーマンという姿を見せてくれました。スーパーマン役は、俳優のクリストファー・リーヴさんでした。その顔立ち、髪型、体型…まさに、これぞスーパーマンのイメージです。* * *リーヴさんは、この映画シリーズの後、落馬事故により生命の危機を長くさまよいますが、私たちの前に車椅子の姿で、戻って来てくれました。事故当時、世界中の人たちが、「スーパーマンが死ぬはずがない」と、気持ちの半分は本気で思っていましたね。復帰時は痛々しい姿ではありましたが、彼は、しっかりと私たちの前に戻ってきてくれました。「やはりスーパーマンはすごい!」と、私も感じたものです。リーヴさんは、事故から復帰後、映画の世界で、作品制作や後継者育成などにも尽力し、車椅子姿で俳優として出演もされました。2004年5月に、ギリシャのアテネオリンピックのCM映像を撮影し、8月にアテネ五輪が開催され、同年10月10日に心不全で急に亡くなってしまいました。バルセロナ、アトランタ、シドニー…、90年代から2000年代のオリンピック開会式は、金に糸目をつけない、信じられないような最大級の演出がなされていた時代で、ド派手な壮大さという意味では、今の時代ではなかなか太刀打ちできませんね。まさに、スーパーマン級の信じられない「アテネ五輪」の開会式でしたね。動く古代ギリシャのスーパーマンたち…(下記映像の14分あたりから40分あたりまで)、巨大な腕が聖火を人間から受けとり、聖火を高く掲げると、それは巨大な翼をひろげた火を吹く不死鳥となる…(3時間18分あたりから)2004年のアテネ五輪開会式リーヴさんの、アテネ五輪CM動画です。リーヴさん出演のCM動画(2004)* * *生涯の後半に、たいへんな障害と闘ったリーヴさんですが、彼の言葉を思い出します。「ヒーローとは、どんな障害にあっても、努力を惜しまず、耐え抜く強さを身につけていった、ごく普通の人のことです」。「僕は、身体的な障害に、生き方なんて左右されない。治してやるんだと思っていれば、希望はいつもそこにある」。さすが、スーパーマンの言葉です。◇音楽で奮い立つ!私は、ストレスがたまった時や、何かモヤモヤして、やる気が出ない時などに、何も考えず、ただただ「痛快感」を感じることができ、やる気を取り戻せるような映画を観ることがあります。映画「スーパーマン」は、その何本かのうちの一本です。私以外にも、この映画のテーマ曲を聴くと、なぜか奮い立つという方も少なくないと思います。この楽曲の作者は、映画音楽の巨匠であるジョン・ウィリアムズさんです。映画の名シーンが散りばめられた下記の音楽動画を、コロナ禍からの復活が少しずつ見えてきたこの時期に、ぜひどうぞ…。クリストファー・リーヴさんを感じてみてください。♪映画「スーパーマン」のテーマこんな赤ちゃん…どこかにいませんか?映画「スーパーマン」よりWho are you ? … a friend!「友人」だなんて… ステキ!こんな言葉を、こんな場面で男性から言われたら、そりゃ、気絶もする…。映画「スーパーマン」より飛行機の機長の台詞「fly… don't look just fly… we got something. I am saying what it is just trust.」。絶対の「トラスト(信頼)」がそこにある!映画「スーパーマン」より* * *スーパーマンは何度でも戻ってくる!下記の映像は、2006年の映画です。ロイス(恋人役)は、やっぱり、定番の気絶をしなくちゃね…。すべり台落下のおまけ付き…。それにしても、信じられないド派手なシーンばかり…。スーパーマンは、やはり野球のスタジアムがよく似合う…。映画「スーパーマン・リターンズ」より◇青いシャツの超人女!さて、次は、青いシャツの超人女「スーパーガール」です。男性のスーパーマンにも負けない、スーパーパワーの女性です。二人とも、クリプトン星の出身。こちらも迫力満点の1984年の映画と音楽です。スーパーガール役は、女優のヘレン・スレイターさん。テーマ曲の作者は、やはり映画音楽の巨匠のジェリー・ゴールドスミスさんです。「スーパーマン」のテーマ曲にも負けない、優雅でチカラ強い楽曲です。両映画のテーマ曲の闘いも「スーパー」でしたね。* * *この映画には、敵役で、女優のフェイ・ダナウェイさんが、まさかの登場をしています。フェイ・ダナウェイさんは、映画「俺たちに明日はない」のあの女優さんです。彼女は、モナコ公妃のグレース・ケリーさんと並んで、女性への言葉表現「クール・ビューティー」を世の中に定着させた女性ですね。当時、お父さんたちは、映画「スーパーガール」で、彼女の姿が見たくて、スーパーではなく映画館にまっしぐら…。♪映画「スーパーガール」のテーマ* * *2015年の米国テレビドラマ「スーパーガール」では、スーパーガール役は女優のメリッサ・ベノイストさんです。テレビドラマで、これだけのド迫力とは…、スーパードラマです。超人たちは、やっぱり飛行機を救出…。これぞ… Come on (カモーン)!これ以上の「カモーン」の場面は、そうそうないですね。ドラマ「スーパーガール」よりすさまじい女性どうしの戦い…、男たちには、まずクチをはさめない…。いろいろ戦え…女性たち!ドラマ「スーパーガール」より◇青いシャツの超人カップルと、赤い服の男たち「スーパーマン」と「スーパーガール」がタッグを組むと、まさに最強!どこかにいませんか?…こんなスーパーカップル!ドラマ「スーパーガール」よりまさに、無敵カップル!ドラマ「スーパーガール」より* * *スーパーガールは、赤いシャツのフラッシュとも…Who are you?… I'm the Flash!面白動画「赤いシャツ」も、なかなか やるな!いつか近い未来に、こんな「高速走りスーツ」が作られそうな気もします。その時に、オリンピックは、どんな風景に…?でも、こちらの方が先に作られるのかも…?「鋼鉄製の赤い服」…映画「アイアンマン」より・鋼鉄スーツ装着シーンIron Man | EVERY SUIT UP SCENES (ENDGAME included) (2008-2019)≡FAQ's≡→ My name is Aude.→ I'm 17. (born on the 4th of August)→ I use Sony Vegas Pro 13.→ I'm French.≡FANDOMS≡→ One Direction.→ Little Mix.→ Marvel Cinematic...www.youtube.com映画「アイアンマン」より・戦場シーンアイアンマン役の、俳優ロバート・ダウニーさんが、ある少年の元を訪れました。アイアンマンの手をプレゼント高齢のお年寄りの方々が、赤い服を着て、農作業や土木作業、林業を行なう時代は、そう遠くないのかもしれませんね。スーパー・ジィジ!スーパー・バァバ!* * *ちなみに、スーパーマンのクリストファー・リーヴさんも子供たちと…。CMで、映画のシーンが再現されています。やっぱり、スーパーマン、ウルトラマン、プロスポーツ選手、お相撲さんは、子供と一緒に撮らなくちゃ…。CM「キヤノンのビデオカメラ」◇赤いシャツの高校教師と、グレイテスト声優さて、もうひとり…、最高の高校教師をご紹介します。パッと見は、スーパーマン風ですが、赤い色の服を着ています。実は、高校の先生…。ひょんなことから、宇宙人から「赤い服」を託されてしまいますが、説明書をなくしてしまい、悪戦苦闘します。普段はさえないズッコケ先生ですが、この「赤い服」を着たとたん…。1981年(日本では1982年放送)の米国テレビドラマ「グレイテスト・アメリカン・ヒーロー」です。日本でも人気でしたね。主人公ラルフの着る赤色のシャツの胸には、「S」の文字ではなく、漢字の「中」のようなマークがあります。実は、これは文房具のハサミをモチーフにしたデザイン…。何それ!?たしかに、わが家の冷蔵庫には、あんな形のハサミが、磁石ではり付いている…。* * *スーパーマンは着替えを他人に見られることはありませんが、この主人公ラルフは、「じゃまだから、どこか、そっちで着替えてろ…」。主人公の少しマヌケな言動と、失敗の数々…、でも最後はスーパーパワーで何とかなってしまいます。下記は、日本版のドラマのオープニング映像です。主人公ラルフの声とナレーションは、56歳の若さで亡くなった、声優の富山敬(とみやま けい)さんです。タイガーマスク、侍ジャイアンツ、キャンディ・キャンディ、グレンダイザー、宇宙戦艦ヤマト、ちびまる子ちゃん…など、優れた声作品がいっぱい…。洋画の吹き替えも数知れず…。まさに、記憶にも歴史にも刻まれた「グレイテスト」な声優さんでしたね。ラルフの相棒のビルの声は小林修さん、恋人パムの声は戸田恵子さんでした。日本でのこの番組のヒットは、この声優さん方のチョイスにあった気がしますね。オープニング映像(富山敬さんの声)ドラマ「グレイテスト・アメリカン・ヒーロー」第1話(英語)Greatest American Hero 1981Pilot Episode ...www.youtube.com* * *前述の「スーパー」や「ウルトラ」に似た言葉に、「great(グレート」がありますね。すごい、偉い、大きい、優秀、素晴らしい、とても優れた…、などの意味あいですね。「ファンタステック」、「ブリリアント」とも少し似ています。「great(グレート)」の中でも、最大級のものが「greatest(グレイテスト)」でしょうか。「グレート」の中のグレート…それが「グレイテスト」なのかも…。「グレイテスト・アメリカン・ヒーロー」というタイトルは、どのくらいすごいヒーロー表現なのかということですね。「グレイテスト」以上の「グレート」は、もはや超越した「スーパー」や「ウルトラ」しかありませんね。◇ BION( believe it or not )このドラマ「グレイテスト・アメリカン・ヒーロー」の主題歌は、ジョーイ・スキャベリーが歌った「ビリーヴ・イット・オア・ノット(Believe it or not)/ グレイテスト・アメリカン・ヒーローのテーマ)」です。当時、この主題歌が、米国でも日本でも大ヒットしました。私は、ドラマよりも、この楽曲のほうに先に出会いましたが、タイトルも歌詞も面白く、何しろメロディが温かい…、それにヒーローもののドラマだというのに、何とも、のどかな雰囲気の楽曲です。私は、この楽曲が大好きになり、それからドラマにも興味を持ちました。♪グレイテスト・アメリカン・ヒーローのテーマ(ビリーヴ・イット・オア・ノット)* * *この楽曲のタイトル「ビリーヴ・イット・オア・ノット(Believe it or not)」という言葉表現は、時折、映画やドラマだけでなく、世の中の多くの場面で見聞きします。日本的な言い回しで訳しますと、信じられないだろうけれど…、信じようが、信じまいが…信じられないかもしれませんが…信じられないような話ではありますが…こんなことを言っても信じてもらえないだろうけれど…といったところでしょうか。西洋では、「BION」と略されて表現されることもありますね。日本にも、似たような長文表現の略し方がありますよね。「たなぼた、たられば、だめもと、まゆつば、やぶへび、ちょべりば、いみしん、こいばな、アニヲタ、安保理、アラカン…」など山ほどありますね。洋の東西を問わず、必殺の「略四文字」!* * *「ビリーヴ・イット・オア・ノット / グレイテスト・アメリカン・ヒーローのテーマ」の和訳この楽曲のサビの部分の歌詞に次のようなものがあります。Who could it be?Believe it or not, it's just me.〔私の意訳〕誰が、そんなことできるかだって…?信じられないだろうけれど(信じてくれないだろうけれど)驚かないで!それは、ボクさ!ヒーローものなのに、なんとも、かわいい歌詞です。今なら、「BION… it's just me.」かな…。* * *とはいえ、ズッコケ高校教師の彼は、「グレイテスト」な存在です。超越した肉体的パワーを上手に使いこなすことはできませんが、勇敢さ、清い精神は、スーパーマンにも負けません。彼の生きる姿勢こそが、「グレイテスト」であり、「アメリカン・ヒーロー」なのだろうと感じますね。◇ It's just me!「青いシャツ」と「赤いシャツ」は、パッと見、服の色は異なりますが、「青いスーパー」と「赤いグレイテスト」のめざすところは、同じなのかもしれませんね。人間が想像できるものの中には、「信じられないもの」はありません。どこか果てしないところから、「信じられないもの」は突然やってきます。「スーパー」や「グレイテスト」も、信じられないところからくるものですが、信じていい存在でもありそうです。でも、「スーパー」や「グレイテスト」を信じるか、信じないかは、あなたの自由…。あなたのシャツの胸にも、さあ、今こそ「S」のマークを…。「信じている」の「S」であっても、もちろんグレート!人は、「スーパー」にも「グレイテスト」にも、きっと なれる… BION(Believe it or not)!* * *本日9月25日は、1952年にクリストファー・リーヴさんが、米国のニューヨークで誕生した日です。「スーパーマン」は、これからも未来永劫、何度でも戻ってきてくれますよね!私は信じています。あなたの近くにも、きっと来ます!いやいや、落ち着いて、「just」考えてみたら…ちょうど目の前にいる、あなたこそが… Believe it or not, it's just me!♪スーパーマン(ロイヤル・リバプール・フィルハーモニック・オーケストラの演奏)* * *次回は、後編として「ビリーヴ(信じる)」の洋楽曲のことを書きます。コラム「音路(53)」につづく2021.9.25 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら

    • 18Sep
      • 音路51. ローリング・トライアングル【3】永遠 ~ クラッシュ・オン・ユーの画像

        音路51. ローリング・トライアングル【3】永遠 ~ クラッシュ・オン・ユー

        ローリング・ストーンズ、チャーリー・ワッツさんご逝去、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、夜をぶっとばせ、シーズ・ア・レインボー、ミッドナイト・ランブラー、ギミー・シェルターほか。ドラム奏法。ロック、洋楽、ジャズ。   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら音路(51)ローリング・トライアングル【3】 永遠 ~ クラッシュ・オン・ユー(チャーリー・ワッツさんを偲んで)◇打つ!前回までの二回のコラムで、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、チャーリー・ワッツという、ローリング・ストーンズの「トライアングル」のこと、ストーンズの足跡や人間ドラマのこと、チャーリー・ワッツさんのことなどを、ごく一部だけですが、自論とともに書いてきました。今回のコラムが、チャーリー・ワッツさん追悼の三回連載の最後となります。コラム「音路(49)ローリング・トライアングル【1】三人よれば…」『音路49. ローリング・トライアングル【1】三人よれば… (チャーリー・ワッツさんを偲んで)』ローリング・ストーンズ、チャーリー・ワッツさんご逝去、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、サティスファクション、ジャンピング・ジャック・フラッシュ、スタート…ameblo.jpコラム「音路(50)ローリング・トライアングル【2】転がる石のごとく」『音路50. ローリング・トライアングル【2】転がる石のごとく(チャーリー・ワッツさんを偲んで)』ローリング・ストーンズ、チャーリー・ワッツさんご逝去、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、スタート・ミー・アップ、ハッピー、悲しみのアンジー、ホンキー・トン…ameblo.jpローリング・ストーンズは、基本的にロックミュージシャンですから、その楽曲の多くが、社会批判、抵抗、反骨、不満、不安、迷い、勇気、闘争、恋愛、孤独などの内容であったりします。まさにロック音楽ですね。ただ私には、彼らの音楽の中に、「勇ましい闘いの中であっても、何か寂しさが漂う男…」、「社会の中で抵抗はするが、むなしく、はかない思いの中で暮らす女…」、「孤独感にさいなまれ、暗闇から抜け出せない辛さ…」、「理解し合いたいが、なかなかそうできない人間関係…」、…そんな泥臭い人間像が多く見えてきます。ストーンズは、声高に、理想や夢を語ったりはしません。汚れたものを汚いままに…、むしろ より汚く…。寂しいものを寂しいままに…、むしろ より空虚に…。もちろん、悪になりきれない不良っぽい内容のものも…。見え難いものや、その事象の先を、聴く者にしっかりと考えさせる…、そんな楽曲が多いと私は感じます。チャーリーの明確なドラム音は、私たちの心に、それらを、ビートとしてしっかり響かせ、伝えてくれたのかもしれません。* * *ローリング・ストーンズは、本当にたくさんの刺激を、世の中の人たちに与えてくれました。まだ、完全に消滅したわけではありませんが…。強烈なデザインの、あのベロのマークは、もちろん、ミック・ジャガーのクチと舌です。チャーリーは、元グラフィック・デザイナーで、ストーンズのさまざまなデザイン関連にも関与しました。ストーンズは、60年という長い歳月にわたり、音楽として、ビジュアルとして、存在として、生き方として、私たちに多くのものを届けてくれた気がします。* * *バンドの歴史が60年にもなると、大半のファンは、途中から、ストーンズの世界に入ってきます。もちろん、デビュー時から現在までという筋金入りのファンも相当な数でいると思います。ずっと聴いてはいなかったとしても、ある一定期間だけ、かなり、のめり込んだというファンもおられるでしょう。ある年齢から、ストーンズの音楽からご無沙汰しているという方も少なくないかもしれません。ストーンズの音楽は、どの時代からでも入りやすく、ファンそれぞれに、自身の「ストーンズ像」がありますね。好きな楽曲も、さまざまなはずです。とはいえ、彼らの音楽の中心は、いつの時代も、ミック、キース、チャーリーの、あの「トライアングル」のように私は感じます。* * *チャーリーのドラム演奏は、今現代の若い世代からすると、少し前の時代のドラム演奏に感じる人も少なくないですが、だからこそ、古代から打楽器が本来 持っている「打つ」パワーを存分に感じさせてくれたように感じます。「打つ」は、「弾く、吹く、はじく」などとは間違いなく、別のものですね。彼の「打つ」は、何か「音」とも違う、私たちの心を打つものだったと感じます。誰でも、そうそう簡単に打てるものではないと感じます。人間が人間の心を「打つ」、打楽器の奥深さを教えてくれたチャーリーだったと、私は思っています。◇ずっと、いっしょ!下記の動画は、1967年のストーンズです。この2年後に、ブライアン・ジョーンズは、ストーンズを追放され、亡くなります。帽子をかぶるブライアンも演奏する、下記の映像です。この時代、日本の若者の夜は、ラジオの深夜放送の時代へまっしぐら…、夜はラジオといっしょ!この曲を聴くと、深夜放送時代を思い出す方も多いはず…。♪夜をぶっとばせ(レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー)* * *下記は、まだ無名だった女優のアンジェリーナ・ジョリーが出演したミュージック・ビデオで有名になった楽曲のライブ映像です。紳士のチャーリーは、きっとミックに思っていたでしょう。「ミックは、女性を見つけるのが、さすがに早いな。それにしても、女性のことを歌った歌の種類も数も多過ぎだぜ。ドラム音も、つばも出ないほど、カラッカラッに響かせてやるぜ…」。前述の楽曲「夜をぶっとばせ」の映像の約30年後(1998年)の彼らの姿です。♪エニバディ・シーン・マイ・ベイビー* * *キースは、60年代後期に残した、サイケ風の楽曲たちを、ストーンズの「負の遺産」という主旨の話しを、昔 したことがありましたが、下記の楽曲は好きだったようです。ようするに、楽曲が優れていれば、流行を追ったバンドの過去など吹き飛んでしまいますね。♪シーズ・ア・レインボー今のアップル社があるのは、ストーンズのおかげ…?1998年に超大ヒットしたパソコンのCMですが、たしか七色はなかった…。当時、似たような形状やカラーリング、スケルトン商品が世の中にあふれていましたね。当時で30年も前(今から約50年前)の楽曲でも、若者世代にこれほどの刺激を与えるのかと、たいへん驚いたのを覚えています。今、日本でも、「昭和歌謡」にはまる若者世代が増えていますね。たしかに、未知の音楽との遭遇かもしれません。「i マック」PCのCMストーンズは、60年代当時のサイケ風サウンドを、本来のストーンズ調と織り交ぜて、現代にも蘇らせました。下記は、1990年の東京ドーム公演の映像です。ストーンズの音楽の多様性・柔軟性を感じる楽曲ですね。プログレッシブ ロック・バンドのような演奏です。♪2000光年の彼方に* * *「トライアングル(ミック、キース、チャーリー)」のストーンズとしての終盤の時期の本格スタジオアルバム「ア・ビガー・バン」(2005年)は、キースとチャーリー(一部、ロン・ウッドも)が、ミックの自宅に長期間こもって、昔のような意気込みで制作されたアルバムです。本人たちいわく「まるで60年代後半の頃のようだ」。久しぶりに、和気あいあいとした時間だったかもしれませんね…。ロックンロールのチカラ強さに満ちあふれた作品でしたが、このような力作(りきさく)は、これが最後になりました。このアルバムから、2006年のライブ演奏です。今から15年ほど前ですから、チャーリーは65歳ですね。♪オー・ノー・ノット・ユー・アゲイン* * *昨年の2020年には、世界がコロナ禍で苦しむ中、その嘆きを歌った歌詞と、人のいない街の映像で、彼らの楽曲が世界中で話題になりましたね。苦しい庶民の嘆きを代弁し、苦労をまさに共感しあいながら、皆が同じ境遇にあることを歌っています。そして、この苦境を乗り越えようという意志を感じる楽曲です。ストーンズらしい、チカラ強さは健在…、チャーリー79歳。♪リビング・イン・ア・ゴーストタウンストーンズは、楽曲の歌詞の中に、それぞれ各時代の社会性を盛り込むことが非常に多かったミュージシャンでしたね。私は、ストーンズと、ここまで長くつき合ったからには、私自身の最期まで、ストーンズの音楽と「いっしょ」に過ごすのだろうと思います。◇チャーリーに任せとけ…「任せとけ…、どんなタイプの音楽でも、叩いちゃうよ」…チャーリーが言ったとか、言わなかったとか…。時代を織りまぜて、少しだけ…♪ドゥーム・アンド・グルーム♪ユー・ドント・ハブ・トゥ・ミーン・イット♪オールモスト・ヒア・ユー・サイ♪メモリー・モーテル♪ギミー・シェルター♪ゴーイング・トゥ・ア・ゴーゴー♪ホエン・ジ・ウィップ・カムズ・ダウンThe Rolling Stones - When The Whip Comes Down (Live) - OfficialOrder Bridges To Bremen on a variety of audio/visual formats: https://the-rolling-stones.lnk.to/BridgestoBYTThis is the full-length show performed by the Rol...www.youtube.com♪ビッチThe Rolling Stones - Bitch (Live) - OfficialOrder Bridges To Bremen on a variety of audio/visual formats: https://the-rolling-stones.lnk.to/BridgestoBYTThis is the full-length show performed by the Rol...www.youtube.com♪ミッドナイト・ランブラー♪ブラウン・シュガー♪ジャンピング・ジャック・フラッシュ* * *下記の動画は、コロナ禍の中、ストーンズのメンバー4人が、リモートで私たちに届けてくれた楽曲です。チャーリーは、笑顔で、エアードラム!たしか昔、チャーリーは、家族に怒られるので、自宅にドラムセットは置かないと言っていた気がします。やっぱり、チャーリーは、好きな茶色のお衣装…。昨年2020年4月の姿です。それにしても、それぞれのメンバーらしいお部屋だこと…。♪無情の世界* * *ミスター・チャーリー・ワッツ(1)ミスター・チャーリー・ワッツ(2)ミスター・チャーリー・ワッツ(3)◇二人はまだまだ…下記はミックとキースの茶飲み話し…?ふたりの会話ご高齢男性二人による、こうした光景は、路地や公園で、時々 見かけますね。さあ、どんな会話でしょう…。〔注〕こちらで創作した仮想会話です。(ミック)  チャ―リーが逝っちまったぜ。(キース) 何だって、よく聞こえねぇ。(ミック)  逝っちまんだよ!(キース) 俺には聞こえねぇ!認めねえぜ!(ミック)  待ってたって奴は来ないぜ! お前、代わりにドラムたたけるか。(キース) バカ言え!おまえこそ…。(ミック)  俺に、チャーリーの代わりができるわけねぇだろ!(キース) あたりめぇだぜ!(ミック・キース) 俺たちゃ、もうちょっと演るか…。60周年だしな…。(キース) その前に、「ジャック・チャーリー・ダニエルズ」を一杯やるか…。♪友を待つ(ウェイティング・オン・ア・フレンド)* * *ロックスターのままの二人…、チャーリーの分まで、まだまだ頼みますよ!♪ハウ・キャン・アイ・ストップHow Can I Stop (Remastered)Provided to YouTube by Universal Music GroupHow Can I Stop (Remastered) · The Rolling StonesBridges To Babylon℗ 2009 Promotone B.V., under exclusive licence ...www.youtube.com♪ドント・ストップ* * *チャーリーが、ミックらに頼み込まれて、ストーンズに加入した時、彼は言いました。「こんなバンド…、もって一年だな」。それが、チャーリーが支えたことで、60年も続き、まだ終わっていません。「チャーリー・ワッツさん…、あなたのおかげですね。素晴らしい音楽を本当にありがとうございました。ストーンズのトライアングル、決して忘れません」。チャーリー…、あなたに「クラッシュ・オン・ユー(あなたにメロメロ)!」。♪アイヴ・ゴット・ア・クラッシュ・オン・ユーCharlie Watts - I've Got a Crush on YouTrack 1 of 14.www.youtube.com♪ロング・アゴー・アンド・ファー・アウェイCharlie Watts - Long Ago and Far AwayTrack 2 of 14.www.youtube.com* * *♪I won't forget to put roses on your grave…お墓にバラの花を忘れない…。♪デッド・フラワー♪I'm riding down your moonlight mile…「月あかり」って、もの悲しいし、帰りたくなる…。チャーリー、テイラー、ミックで、この曲つくったよね…。♪ムーンライト・マイル♪I won't cry when you say goodbye…♪アウト・オブ・ティアーズチャーリー・ワッツさん、ARIGATO(ありがとう)!安らかに…。* * *コラム「音路(52)信じてもいいですか?【前編】青いスーパーと赤いグレイテスト」につづく『音路52. 信じてもいいですか?【前編】「青いスーパー」と「赤いグレイテスト」』スーパーマン、スーパーガール、グレイテスト・アメリカン・ヒーロー、アイアンマン、フラッシュ、クリストファー・リーヴさん、富山敬さん、Believe it or…ameblo.jp2021.9.18 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら

    • 11Sep
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        音路50. ローリング・トライアングル【2】転がる石のごとく(チャーリー・ワッツさんを偲んで)

        ローリング・ストーンズ、チャーリー・ワッツさんご逝去、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、スタート・ミー・アップ、ハッピー、悲しみのアンジー、ホンキー・トンク・ウィメン、ダイスをころがせ、ハーレム・シャッフル ほか。ストーンズ足跡、バンド解散危機、ミックとワーグナー、ロック、洋楽。   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら音路(50)ローリング・トライアングル【2】 転がる石のごとく(チャーリー・ワッツさんを偲んで)◇転がる石前回コラムで、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、チャーリー・ワッツという、ローリング・ストーンズの「トライアングル」のことを書きました。コラム「音路(49)ローリング・トライアングル【1】三人よれば…」『音路49. ローリング・トライアングル【1】三人よれば… (チャーリー・ワッツさんを偲んで)』ローリング・ストーンズ、チャーリー・ワッツさんご逝去、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、サティスファクション、ジャンピング・ジャック・フラッシュ、スタート…ameblo.jp今回は、三回の連載の第二回を書きたいと思います。* * *この「ローリング・ストーンズ」というバンド名は、米国のシカゴブルースの黒人歌手であるマディー・ウォ―ターズの楽曲「ローリング・ストーン」からとられたものです。初期のリーダーであったブライアン・ジョーンズが名付けたものです。♪ローリング・ストーンこの曲の原曲は、「キャットフィッシュ・ブルース」という古くからのブルース曲です。マディーが、この曲をとりあげ、一躍この曲が有名になりました。「キャットフィッシュ」とは、魚のナマズのことです。「ナマズ」とは、アフリカからアメリカに連れてこられた黒人たちを意味したりもします。この歌の歌詞の中に、このような歌詞があります。Well, my mother told my father,Just before hmmm,I was born,“I got a boy child’s comin’,Gonna be,he gonna be a rollin’ stone,Sure ‘nough, he’s a rollin’ stoneSure ‘nough, he’s a rollin’ stone”「子供が生まれるのよ。その男の子の名は、ローリング・ストーン。転がる石よ」…そういう内容です。この「転がる石」をどのように解釈するかはさまざまです。まさに自由そのものであったり、過酷な運命であったり、転がり続けても尚も強い石のような生命力や意志であったり…。「ローリング・ストーン」とは、転がっても転がっても、ビクともしない、不死身の生命力や意志をイメージします。その石は、転がるほど角がとれ、丸みをおびますが、その頑強さは増していきます。ちょっとやそっとの衝撃で壊れるなど、考えられませんし、許されない気もします。ただものではないのが、この「ローリング・ストーン(転がる石)」なのです。* * *下記の動画は、1981年に行われた、ストーンズとマディーの共演です。それにしても、この動画のように、いきなり飲み屋にストーンズ御一行様が来店し、隣のテーブル席についたら、それはビビるでしょうね。東京や大阪では、意外と、こうした体験は起きますね。♪ベイビー・プリーズ・ドント・ゴーミックとキースの音楽は、こうした音楽にも原点があります。もともとローリング・ストーンズ結成時のリーダーであったブライアン・ジョーンズは、さまざまな問題で、バンド活動を一緒に行なうことが難しくなり、バンドを追放され、直後に死去します。そうして、ミック、キース、チャーリーが、ストーンズの「礎石」「石柱」となっていくのです。◇チャーリーさて、前回コラムでも書きましたが、ステージの後ろから、前方で動き回るミックとキースの二人に、「何をちんたら演っているんだ。しっかりやれ!」とチャーリーがドラムで叱っているように、私は感じる時があります。世界中どこを探しても、チャーリー以外に、ミックとキースという大御所の尻をたたける人間がいるでしょうか…。「オレのドラムに、しっかりついてこい!」「世界トップのロックスターだというなら、オレのドラムの上で、魅せてみろ!」「おい、チャーリー… 後ろから あおるなよ~!」♪ハッピー♪リトルT&A♪悲しみのアンジー* * *チャーリー・ワッツという人物は、ロック・ミュージシャンとはまるで感じさせないような、落ち着いた口調と雰囲気で、ものを語ったりします。時に、人を食ったような半笑いのような表情も見せます。何か達観したような目線で、まるで何が来ても動揺しそうにない…そんな風にも見えるときもあります。世の中には、こうしたタイプの人間を苦手にする人も少なくないですが、時に、こうしたタイプの人物がいてほしいことも人生にはありますよね。社会の中でも必要でしょうね。ミックも、キースも、そのことを、よくわかっていたはずだと思います。二人は、時々言っていたかもしれません。「まったく、チャーリーは頑固ジジィだぜ! ちったあ妥協しろよ!」。「うるせえジジィだけど、俺たちを、上手におどらせるぜ!」。二人は、自分たちにとって、チャーリーは絶対に離れさせてはいけない存在だと思っていたのだろうとも思います。音楽活動においても…、人生においても…。そして、チャリーも、同じように感じていたのかもしれません。私の個人的な印象ですが、ストーンズには、この三人の人間的な関係性を感じるような楽曲が少なくないと感じています。ビートルズでは、ジョンとポールのそれぞれ異質の音楽性が、絶妙にバランスよく調和して、数多くの名曲が誕生したように、このストーンズでは、三人の関係性がバランスよく調和して、名曲たちが生まれてきた気がします。ストーンズにとって、チャーリーのドラムは大黒柱だったと感じます。◇ストーンズ ここにあり!次の曲も、キースとチャーリーがいなければ、まず誕生してこなかったであろうという楽曲です。♪ホンキー・トンク・ウィメンこの楽曲の原曲は、ストーンズ自身の1969年の楽曲「カントリー・ホンク」です。この楽曲は、別のミュージシャンのライ・クーダーとキースの間で、少しゴタゴタした問題曲ですが、ある牧場で作られたカントリー調の楽曲です。ミュージシャンどうしですから、そりゃ、いろいろあるでしょう…。キースいわく「トイレの水を流すたび、その音に驚いて黒いカエルが飛び出してくる」…そんな場所で生まれてきた楽曲です。原曲のほうが好きだという音楽ファンも少なくないですね。下記は、近年に、ミックとキースの二人で歌った映像です。年齢を重ねた二人の、味わい深い映像です。♪カントリー・ホンクRolling Stones - Country Honk from Olé Olé, Olé! documentaryFrom Blue Ray OLé, OLé, OLéwww.youtube.com♪カントリー・ホンク「カントリー・ホンク」までなら、キースのチカラだけでも生まれてくるでしょうが、ここにチャーリーのドラムが加わることで、キースのギターも、ミックの歌い方も、大きく変化します。このカントリー調の楽曲が、あの大ヒット曲「ホンキー・トンク・ウィメン」へと変化しました。この楽曲が、もはやカントリー曲だとは誰も思いませんね。私は、原曲のゴタゴタはさておき、この「ホンキー・トンク・ウィメン」を生んだのは、キースとチャーリーの力量であろうと感じています。ストーンズには、原曲がすでにあり、それをストーンズ調にカバーし、大ヒットさせた曲が少なくありません。それを実現させたのは、ミック、キース、チャーリーの三人のアイデアと力量であることは言うまでもありません。* * *楽曲「ホンキー・トンク・ウィメン」と同様に、彼らの原曲を、その後に見事に作り変え、名曲になった楽曲があります。原曲が下記の曲です。♪グッド・タイム・ウィメン1969年から1974年頃まで、ストーンズには、有名な音楽プロデュサーのジミー・ミラーがついており、ストーンズの代表曲の陰にジミーありともいえる時期でした。ジミーは、実はドラマーであり、多くの打楽器の使い手です。前述の楽曲「グッド・タイム・ウィメン」を作り直したストーンズの裏側にいたのが、まさに彼です。チャーリーとジミーが、この曲のドラム演奏部をつくり上げました。その曲こそが、あの「ダイスをころがせ(タンブリング・ダイス)」です。当時、ミックはこの曲が好きではありませんでしたが、今では、彼らの代表曲のトップクラスに入る曲ですね。前述の原曲からは、想像もできないほどカッコよく変化しました。ドラマーのセンスの「なせる業(わざ)」ですね。当時、世界中が、この曲の独特な雰囲気に、はまりましたね。前述の「ホンキー・トンク・ウィメン」と「ダイスをころがせ」で、ストーンズの音楽のつくり変えのセンスのスゴさを、まざまざと見せつけられました。♪ダイスをころがせ* * *星の数ほどあるロックバンドの中で、これほど長い年月、最前線に存在し続けるバンドなど、そうそう思いつきません。一線を退いた旧友仲間バンドなら たくさんいても、こうした刺激的な三人(ミック、キース、チャーリー)のトライアングルを維持し続けてきたバンドは、私は、ストーンズだけだろうと思っています。どんなに人気のロックンロール・バンドが登場してきても、ロック界のどこかにストーンズがいると思ってしまいます。テレビや映像で目にしない時でも、なぜか、そこにストーンズが君臨している気がするのです。* * *とはいえ、この三人は、強烈に個性の強いミュージシャンたちです。そうそう長く、団結が上手くいくはずはありません…。◇トップならではのプレッシャー(ミックとワーグナー)この音路シリーズコラムでは、クラシック音楽界の大作曲家たちの楽曲も紹介していますが、私は個人的に、ミック・ジャガーと、ドイツの大作曲家ワーグナーのイメージがだぶってきます。クラシック音楽ファンの方々には異論もあると思いますが、ここは我流で、少し強引に書きます。猛烈なパワーを持った数々の楽曲、情感たっぷりの泣きの楽曲、すぐれた音楽的な眼力、すぐれたビジネスマン、女好き、激しい闘争心、身勝手にも見える行動力、ある意味の権力志向、大胆な決断力、柔軟な発想力、そして猛烈な存在感…、何か共通するものを多く感じます。ワーグナーが、もし今現代に生きていたら、ミック・ジャガーのような圧倒的な存在感ではなかっただろうかと、いつも感じてしまうのです。ワーグナーは、決して今の時代のクラシック界の音楽家のような落ち着いた存在感ではなかっただろうと思っています。派手なロックスターのような存在感をイメージします。ワーグナーの最大のライバルのブラームスのほうは、どちらかというと、昔ながらの大御所タイプの重鎮をイメージさせますね。以前のコラムでも書きましたが、個人的には、シューベルトがジョン・レノンで、ワーグナーがミック・ジャガーです。ベートーヴェンは…、モーツァルトは…、ご想像にお任せします。歴史に残る大作曲家たちの中には、その時代の音楽の「革命児」だった人物も少なくありません。まさに、今のロックミュージシャンを越えるほどの、猛烈な改革者であり、エネルギーの持ち主であったはずだと、私は思っています。私は、ストーンズのトライアングルにも、それに似たエネルギーを感じるのです。ともあれ、ワーグナーには、ブラームスという、お互いの実力を認め合ってはいても、音楽的にも、ビジネス的にも、政治的にも、とてつもないライバルであり、宿敵がいました。それぞれの周囲には、王様や大富豪、利権の絡んだ取り巻きがいて、大派閥抗争を繰り広げていました。ワーグナーは、激しい闘争心だけでなく、猛烈なストレスとプレッシャーの中にあったのだろうとは思います。彼の楽曲の猛烈なパワーは、まさにこうした闘争の中から生まれてきたのだろうと感じています。* * *ミック・ジャガーも、70年代前半には世界の音楽界の頂点に立ち、トップ・ミュージシャンならではの猛烈なプレッシャーと、ソロ活動への欲望が目覚め始めます。70年代前半までの猛烈なバンド活動期を経て、ギタリストの核のひとりが、ミック・テイラーからロン・ウッドに変わります。1976年の出来事です。とてつもない実績を残したミック・テイラーの脱退後の、猛烈なギタリスト・オーデションを、ロン・ウッドが勝ち抜いたかたちです。ロンは、あのジェフ・ベックの推薦もありましたし、楽曲「イッツ・オンリー・ロックンロール」の実質的な生みの親で、本人も昔から ストーンズに入りたくて仕方がないというギタリストでした。性格も、演奏も、ご陽気そのもの…。このメンバーチェンジで、ストーンズのバンドの色あいが大きく変わります。* * *リードギターのミック・テイラーが去った後、もうひとりのギタリストであったキース・リチャーズの存在感が、より際立っていきますが、新しいギタリストには、そんなキースとの組み合わせがどうかというのが、最大の問題かとも思います。新加入のギタリストであるロン・ウッドとのギターコンビとなり、キ―スの味わいがより増していき、ある意味、ミックとキースのコンビの素晴らしさが、それ以前よりも表に表現されてきた気もします。ロン・ウッドという人選は、まさに大成功といえますね。そして、時代の影響もありますが、音楽性が少し変化し、楽曲も多彩になっていきます。アルバム「ブラック・アンド・ブルー」からのお話しです。ですが、1977年から80年までの時期は、スマートなヒット曲は何曲も生まれますが、何か、かつてのストーンズの豪快なパワーが落ちてきた感じがしないわけではありませんでした。これまで積み上げてきた実績と、ミック・テイラーが残した偉大な音楽性を、他のメンバーで、さらに向上させられるのか…。より大きな実績を残せるのか…。一度、頂点を極めてしまったバンドがぶつかる「壁」のような時期だったのかもしれません。* * *自身たちは、60~70年代の偉大なミュージシャンとはいっても、時代は、80年代の猛烈な音楽旋風のきざしが見え始めた頃です。次々に、次世代の若いイキのいいミュージシャンが登場してきて、メンバーたちは、さまざまなプレッシャーを周囲から受けていたことでしょう。このまま、新しい勢力に追いやられてしまうのか…。メンバーたちの多くが、酒やドラッグにどっぷりと染まり、バンド活動が上手くいかなくなっていきます。特に、ミックとキースは、派手なフロントマンとして、ロック音楽のトップミュージシャンとして、大きなプレッシャーを感じていたかもしれません。70年代後半から80年まで、ストーンズは、時代の音楽の流行を取り入れたようなサウンドが増えていきます。ヒット曲を生み出すには、どうしたら…、トップスターの座はつらいよ!時代の流行を取り入れたとはいっても、ただ、そこはストーンズですので、彼ら独特の味付けは見事です。ファンたちも、まだまだそんな彼らに大きく期待していましたね。「ストーンズなら、きっと、ド派手でカッコいい不良たちの音楽にしてくれる…はず!」。* * *70年代のニューソウル! ニューファンク!チャーリーの髪型がヤバい!♪ホット・スタッフ「こんな変な曲で、ドラムを叩かせやがって…でも、完全にストーンズの世界だ!」と、チャーリーが言ったとか、言わなかったとか…。♪エモーショナル・レスキューさすが女好きのミック…離婚も見事な曲にしてしまう!そんな風に、ジョン・レノンに言わしめた曲。でも、そんなところを褒められても…。♪ミス・ユーとはいえ、こうしたタイプの曲も、ストーンズを語る上では、はずせない名曲たちですね。ワーグナーなら、きっと言うでしょう。「そうさ、そうさ…、トップに立ったからには、新しいことに臆することなく、強い意志で前に進むしかないのさ…」。◇チャーリーが引っ張るさて、ストーンズの1981年のアルバム「刺青(いれずみ)の男〔タトゥ・ユー〕」は、その前の数年で、ある意味、若干まんねりぎみになってきたストーンズ音楽に、喝を入れるようなアルバムでした。それまでの数年は、時代の音楽の流行を取り入れながらも、独自のストーンズ色を堅持してきたのですが、ファンとしては、ストーンズが何か流行に流されている気がしないでもありませんでした。「このままで、ストーンズはだいじょうぶか…」。このアルバム「タトゥ・ユー」は、ストーンズのロック音楽の原点に回帰するような、チカラ強いアルバムとなります。ある意味、前期、中期に続いて、これ以降のストーンズ後期のスタイルの時代がここから始まったような気がします。* * *このアルバムの一曲目の楽曲が、あの「スタート・ミー・アップ」です。このアルバムは、まさに音楽のアイデア満載、パワー全開の内容ですが、このサウンドを引っ張ったのが、まさにチカラ強く、多彩なチャーリーのドラムです。アルバムの多くの楽曲が、まさにドラムに引っ張られていくように聴こえてきます。チャーリー・ワッツが、優れたセンスと能力のドラマーだということは、前回コラムでも書きましたが、もうひとつの特徴として、ストーンズの数多くの名曲たちの中で、そのドラム音が、その楽曲のメロディの一部として、それも重要な要所に確実に聴こえてくることです。まさに楽譜にあらわしたとしても、そのドラム音が主旋律になることがあるのです。聴いた人は、確実にドラム音をメロディと思って記憶します。このアルバム「刺青の男〔タトゥ・ユー〕」は、まさにチャーリーの存在感満載のアルバムですね。ストーンズの音楽における、チャーリーの存在の大きさに再認識させられたアルバムに感じます。「時代の流行の音楽に流されることなく、俺たちは俺たちの道を、もう一度 つき進むぞ!」。そんなメンバーたちの言葉が聞こえてきそうな気がしました。* * *強力なドラムのリズムで、新生ストーンズが始まりました。当時、この楽曲で、自身の人生の「再スタート」をきった方々も多かったはずですね。♪スタート・ミー・アップお隣さんは、このチャーリーのドラム音に激怒する…覚醒する…♪ネイバーズこの頃には、ミックの歌唱法は、まさに変幻自在、千変万化、天下無双!ミックは表情でも歌っています。本人も笑っちゃってますね…。ギターの二人の適当な演技も含めて、変なコント劇団みたい!60年代や70年代までの、何か近づきにくい、怖い外見のストーンズの雰囲気の中に、ユニークな面白さが加わり始めた時期です。♪ハング・ファイア彼らのミュージックビデオは、本人たちは大真面目に作っているとは思いますが、何か笑えるようなユニークさが感じられる場合が多くあります。この妙な面白さが、ファンが離れない要因のひとつでしたね。◇闘いと解散危機実は、この1981年のアルバム「刺青(いれずみ)の男〔タトゥ・ユー〕」の大成功の後、たいへんな「解散危機」の状況に入っていきます。何かの迷いから覚め自信満々のミックと、キースやチャーリーなど他のメンバーたちとの間で、確執が激化します。このアルバムの後、ミックは、キースがドラッグ治療を終えて復帰してくる頃になると、それまでのメンバーへの態度と大きく変わっていたようです。ストーンズの中で、まさに王様のような言動になっていくミックを、他のメンバーはおさえられません。ミックは、かねてから希望するソロ活動への比重を増大させ、ストーンズのメンバーとは上手くいかなくなります。ミックは、ソロアルバムも成功し、さらに自信をつけ、ストーンズ以外の活動をますます増やし、他のメンバーもソロ活動を活発化させます。その頃につくられたストーンズとしてのアルバム「アンダーカバー(1983年)」や「ダーティ・ワーク(1986年)」は緊迫感や不協和感がいっぱいです。* * *アルバム「ダーティ・ワーク」の楽曲の多くは、ミックとキースの壮絶な戦いの内容です。このアルバムでは、元レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが、せっかくギターソロを何曲も弾いてくれているのに、二人の激闘のほうがメインになってしまい、何か影が薄くなっていますね。さすがのペイジも、この壮絶なバトルに尻込み…?このアルバムの中の楽曲「ワン・ヒット」のミュージックビデオの内容は、演出ではなく、当時のバンドの雰囲気、ミックとキースの対立を、そのまま映像で表現しています。個人的には、ツェッペリン色全開で曲をつくり上げてほしかったです…。チャーリーは、ツェッペリンのドラマーのジョン・ボーナムを高く評価していましたので、一度くらい、「ボンゾ風」を真似たドラム演奏を聴いてみたかった…。♪ワン・ヒット楽曲「ファイト(戦い・けんか)」の歌詞は、ミックとキースがそれぞれに向けた壮絶な歌詞内容です。* * *ですが、このアルバム「ダーティ・ワーク」の中では、妙な古い楽曲もカバーしています。1963年に、ボブ・アンド・アールが、そこそこヒットさせた楽曲「ハーレム・シャッフル」です。それを1986年にストーンズがカバーし、原曲よりも大きくヒットさせます。♪ハーレム・シャッフル(ボブ&アール)♪ハーレム・シャッフル(ストーンズ)ストーンズのミュージックビデオでは、かわいい猫のアニメなどでカムフラージュしていますが、相当にヤバい内容の歌です。これ以上は書きません。もともと、ニューヨークのハーレムで流行ったダンス曲です。当時のハーレムは、今とは別世界です。こんなヤバい曲をヒットさせられるのも、ストーンズの不良イメージの「なせる業」…。この選曲はキースの発案ですが、ミックにピッタリだと彼に進言したようです。ミックはオーケーします。ミュージックビデオでは、ストーンズのメンバー全員が色違いのスーツを着ていますね。とても、めずらしい気がしますが、何か、みなお似合いです。私は、何かの「雪解け」の雰囲気も感じました。* * *このアルバム「ダーティ・ワーク」は、ミックが自身のソロアルバム制作と同時並行で行なっていたため、ミックはとっとと収録スタジオを去ってしまい、他のメンバーは怒りでカンカン!実は、このアルバムでは、ドラムの音の使い方にも、かなり手を加えましたので、おそらくチャーリーも、別の意味でカンカン!その影響なのかどうかわかりませんが、キースのボーカルの曲が2曲入ります。奇しくも、キースのバラードボーカルの魅力が再認識されます。これ以降のアルバムでは、キースのボーカルの曲が必ず数曲入るようになります。特に、キースのバラード曲の歌唱は、年齢を重ねるごとに、味が増していきますね。結果として、ミックのボーカル曲とは別に、キースのボーカル曲が、ストーンズの二本柱となった気がします。♪スリッピング・アウェイ* * *ファンの中には、さまざまな「怒り」が詰まったアルバム「ダーティ・ワーク」を特別に好きな方も多くいますね。この80年代半ば頃が、ストーンズの「解散危機」の時期です。メンバーの中で、ミックとキースの関係性が特に悪化し、ストーンズはライブ活動から8年ほど離れることになります。ただ、ストーンズとしてのアルバムは出続けます。とはいえ、この80年代の、メンバーそれぞれのソロアルバムも、みな素晴らしい内容です。ストーンズの音楽とは異なり、それがまたファンたちには、たまらないものでもありましたね。◇チャーリー・パンチ!そんな危機の時期に、メンバ―内でたいへんな事件が起きます。アルバム「アンダーカバー」の後の頃の話しのようです。すでに関係が悪化していたミックとキースが、酒に酔いながら言い争いをしていた際に、ホテルの別の部屋にいるチャーリーに電話をかけて呼び出そうとします。その時に、ミックは、チャーリーに向かって「俺の(専属の)ドラマーさん」という言葉表現をします。自身の部屋でテレビを見ていたチャーリーは、部屋を出て、その二人の部屋に向かい、ドアを開けるなり、ミックを殴り倒しました。「俺は、お前のドラマーじゃねぇ!。俺の歌い手のクセに!」。普段から短髪で、ネクタイをするような正装も多い紳士のチャーリーですが、怒らせたら、相当なものです。転がり倒れるミックを、キースが助けます。後に、キースはこんなことを言ったそうです。「その時に、チャーリーに言われたよ。何で、あんな奴(ミック)を助けるのだと…。俺は言ってやったよ。ミックの着ていた上着は、俺の上着だったって…」。解散危機の時期の猛烈な内容のエピソードではありますが、何か、いいオチがついている気もしますね。キースとは、こんな人物なのでしょう。ケンカしていても、相手から離れていきません。キースは、それ以降も、チャーリーが「もう、やめる やめる」と言う時に、説得する役回りとなります。世の中に、こういうタイプの人間って…いますよね。キースは、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジャック・スパロウであると同時に、本当は救世主か…?◇重要な人物の死前回コラムで、デビュー当時から、メンバーではなく(実際には、デビュー前にバンドメンバーからはずされた)、サポートメンバーとしてキーボードを演奏していたイアン・スチュワートのことを書きました。レコード会社側から、突然、メンバーからはずされたにもかかわらず、彼は、バックミュージシャンとして、ストーンズを背後から強く支えていたのです。残ったメンバーたちは、彼に同情しながらも、会社には従わざるをえません。あのミックとキースが従う…はずがありませんね。私の推測では、イアンが、ストーンズの成功のために、彼らの行動を止めていた気がします。実は、イアンは、ストーンズの中の人間関係のもめごとを、一手に引き受け、解決させてきたと言われています。初期のリーダーのブライアン・ジョーンズと、他メンバーとの確執は、それは のっぴきならない状況で、普通なら、その時点でバンド解散だと感じます。ブライアンの思わぬ死で、バンド解散は回避できたとは思いますが、メンバーたちの精神的なショックはたいへんなものだったでしょう。ミックも、キースも、チャーリーも、イアンに絶大な信頼をおいていました。まさに、ストーンズの精神的な柱が、イアンという人物の存在であった気がします。おそらくは、それまでにも、アルコール、ドラッグ、女性問題など、多くの問題がバンド内で起きていたと思いますが、いつもイアンが解決の方向に導いていたのかもしれません。そんな彼が、1985年に心臓発作で急死します。アルバム「ダーティ・ワーク」が世に出る前年です。イアンは、「ダーティ・ワーク」の制作に途中まで加わっていました。イアンは、ストーンズの正式メンバーではありませんでしたが、彼の死後、急にバンド内の確執が表面化し、まさに解散危機の状況に陥っていきます。最終的に、このアルバム「ダーティ・ワーク(1986年)」は、メンバーではなく、スタッフの手で完成までたどりつきました。その後、1989年のアルバム「スティール・ホイールズ」までスタジオ収録アルバムは作られません。ライブ活動もすでにストップした状況でした。* * *この頃に、各メンバーは、ソロ活動を活発に行なっています。おそらく各メンバーは、イアンのことを思い出し、考えたことでしょう。名前の入らないメンバーとして献身的にストーンズを支えた彼なら、この解散危機の際に、どうするだろうか…。私は、きっと彼なら、今までのように、自身のためではなく、ストーンズのために行動するのだろうと感じます。* * *結局、ストーンズのメンバーは、この解散危機の時に、バラバラにはならず、もう一度、グループとしてやり直す決断をします。重要な仲間であったイアン・スチュワートが亡くなった今、ミック、キース、チャーリーの三人は、もう一度「トライアングル」を壊すことなく、1989年の傑作アルバム「スティール・ホイールズ」で見事に復活します。そして、「スティ―ル・ホイールズ・ツアー」という大規模な世界ライブツアーに出発します。そのツアーで、初めてのストーンズ来日公演を果たすことになります。解散していたら、実現しませんでしたね。この「スティール・ホイールズ・ツアー」は、「亡きイアン・スチュワートに捧げるライブ」という位置づけになりました。* * *ともあれ、80年代のそれぞれのソロ活動は、いい意味で、彼らに別の刺激を与え、ストーンズの活動に良い影響を与えたと私は感じます。そして何より、バンドとしての団結力が相当に強まったと感じます。もはや、今後は、解散危機など起きないような気もしました。この解散危機の時期に、この三人は、自信の不満や不安を、それぞれにも、周囲にも隠そうとしません。むしろ、その場から去ることなく、はっきりと相手に示しています。そのことも、功を奏したのかもしれません。チャーリーのパンチは、いい意味で、効果てき面だったのかもしれません。あそこで、チャーリーが、ミックに屈したり、なだめていたら、本当に解散したかもしれませんね。前述したとおり、「ローリング・ストーン(転がる石)」は、やはり相当に強固ですね。「しょうがねぇけど、腐れ縁だぜ!このまま転がるか…。イアンも喜ぶし…」。この時、何か これまでとも違う、いい感じのオヤジ三人組になっていた気がします。* * *ストーンズに入るのがずっと夢で、エリック・クラプトンともお友達、ストーンズには途中参加組の、ご陽気な性格のロン・ウッドも、まだまだ元気で、60歳をとっくに越えて、また再婚って…、いつまでもお幸せに…。彼は、ご陽気で気さくな性格であることもあり、とにかく音楽界にお友達が多く、彼を通せば、たいていの有名ミュージシャンとつながったりします。トライアングルにいい音を奏でてもらうには、彼は欠かせない存在ですね。解散危機を脱する時にも、明るい彼の存在は大きかったのかもしれません。* * *解散危機を乗り越えた後は、各メンバーとも、ストーンズの活動を中心に、ソロ活動をバランスよく こなしていくことになります。年齢による疲労も、休息期間を置きながら回復させ、ほどよいペースでライブ活動が行なわれていくことになります。とはいえ、年齢から考えると、かなり精力的な活動に感じますね。まだまだ「転がる石たち」の話しは続きます。次回のコラムは、もう少し、ストーンズとチャーリーのお話しを…コロ コロ コロ!〔参考〕90年までの、ストーンズの主なスタジオ収録アルバム名を参考に書きます。◎がアルバム名です。◎ローリング・ストーンズ(1964)◎ローリング・ストーンズ2(1965)◎アウト・オブ・アワ・ヘッズ(1965)◎アフターマス(1966)◎ビトゥイーン・ザ・バトンズ(1967)◎サタニック・マジェスティーズ(1967)◎ベガーズ・バンケット(1968)*ブライアン・ジョーンズ追放・死去〔1962~68年の主な楽曲〕カム・オン(デビュー曲:チャック・ベリーのカバー曲)/ 彼氏になりたい(レノン&マッカートニーの曲)/ テル・ミー / イッツ・オール・オーバー・ナウ / リトル・レッド・ルースター / タイム・イズ・オン・マイ・サイド / ハート・オブ・ストーン / ラスト・タイム / サティスファクション(1965)/ 一人ぼっちの世界 / アズ・ティアーズ・ゴー・バイ / 19回目の神経衰弱 / 黒くぬれ / マザーズ・リトル・ヘルパー / ルビー・チューズデイ / 夜をぶっとばせ / シーズ・ア・レインボー / 悪魔を憐れむ歌 / ストリート・ファイティング・マン◎レット・イット・ブリード(1969)〔1969年頃の主な楽曲〕ジャンピン・ジャック・フラッシュ(1968)/ ギミー・シェルター / ミッドナイト・ランブラー / モンキーマン / 無情の世界 / ホンキー・トンク・ウィメン*ミック・テイラー正式加入◎スティッキー・フィンガーズ(1970)◎メインストリートのならず者(1972)◎山羊の頭のスープ(1973)◎イッツ・オンリー・ロックンロール(1974)〔1970~1974年の主な楽曲〕ブラウン・シュガー/ ビッチ / ワイルド・ホース / ロックス・オフ / リップ・ディス・ジョイント / ダイスをころがせ / ハッピー / オール・ダウン・ザ・ライン / ソウル・サバイバー / 悲しみのアンジー / ドゥー・ドゥー・ドゥー / ダンシング・ウィズ・ミスターD / イッツ・オンリー・ロックン・ロール / ダンス・リトル・シスター / タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン*ミック・テイラー脱退 / ロン・ウッド正式加入◎ブラック・アンド・ブルー(1976)◎女たち(サム・ガールズ)(1978)◎エモーショナル・レスキュー(1980)〔1976~1980年の主な楽曲〕愚か者の涙 / ホット・スタッフ / クレイジー・ママ / ミス・ユー / ビースト・オブ・バーデン / ホエン・ジ・ウィップ・カムズ・ダウン / シャッタード / ジャスト・マイ・イマジネーション / リスペクタブル / エモーショナル・レスキュー / シーズ・ソー・コールド / ダンス◎刺青の男(タトゥ・ユー)(1981)◎アンダーカバー(1983)*重要なサポートミュージシャンのイアン・スチュワート死去(1985)◎ダーティ・ワーク(1986)〔1981~1986年の主な楽曲〕スタート・ミー・アップ (1981) / 友を待つ / リトルT&A / ネイバーズ / ハング・ファイア / アンダーカバー・オブ・ザ・ナイト / シー・ワズ・ホット / トゥ・マッチ・ブラッド / ハーレム・シャッフル / ワン・ヒット / ファイト / ダーティ・ワーク*解散危機◎スティール・ホイールズ(1989)◎ヴードゥー・ラウンジ(1994)◎ブリッジズ・トゥ・バビロン(1997)◎ア・ビガー・バン(2005)◎ブルー&ロンサム(2016)この頃に多数のライブアルバムを発表〔1989~現在の主な楽曲〕ミックスト・エモーションズ / ロック・アンド・ア・ハード・プレイス / サッド・サッド・サッド / オールモスト・ヒア・ユー・サイ / コンチネンタル・ドリフト / キャント・ビー・シーン / ユー・ゴット・ミー・ロッキング / アウト・オブ・ティアーズ / フリップ・ザ・スイッチ / エニバディ・シーンン・マイ・ベイビー / アウト・オブ・コントロール / オールウェイズ・サファリング / ラフ・ジャスティス / レット・ミー・ダウン・スロー / イット・ウォント・テイク・ロング / ドライビング・トゥ・ファスト / リヴィング・イン・ア・ゴースト・タウン* * *コラム「音路(51)ローリング・トライアングル【3】」につづく『音路51. ローリング・トライアングル【3】永遠 ~ クラッシュ・オン・ユー』ローリング・ストーンズ、チャーリー・ワッツさんご逝去、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、夜をぶっとばせ、シーズ・ア・レインボー、ミッドナイト・ランブラー、…ameblo.jp2021.9.11 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら

    • 03Sep
      • 音路49. ローリング・トライアングル【1】三人よれば… (チャーリー・ワッツさんを偲んで)の画像

        音路49. ローリング・トライアングル【1】三人よれば… (チャーリー・ワッツさんを偲んで)

        ローリング・ストーンズ、チャーリー・ワッツさんご逝去、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、サティスファクション、ジャンピング・ジャック・フラッシュ、スタート・ミー・アップ、黒くぬれ、無情の世界、イッツ・オンリー・ロックンロール、ブラウン・シュガーほか。ドラム奏法。ティナ・ターナー、ロック、洋楽、ジャズ。   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら音路(49)ローリング・トライアングル【1】 三人よれば…(チャーリー・ワッツさんを偲んで)◇チャーリー・ワッツさん、ご逝去先般、2021年8月24に、ローリング・ストーンズのドラマーとして有名なミュージシャン「チャーリー・ワッツ」さんが、80歳で亡くなられました。ストーンズでは、およそ60年にわたり、ドラマーとして、バンドの中心人物のひとりとして、活躍されました。海外報道での大きな扱はよくわかりますが、日本のNHKの定時の全国ニュースでも大きく報道されたのには、少し驚きました。個人的には、有名な世界的ロックバンドとはいえ、日本ではまだまだ知名度の低かった、ひとりのドラマーが、しっかり評価されていて、たいへんうれしい気持ちになりました。ミック・ジャガーでもなく、キース・リチャーズでもない、このチャーリー・ワッツに、これほどの敬意をもって、日本で報道されたのが、非常にうれしいです。今回のコラムから、急きょ、三回の連載で、彼を偲んで書いてみたいと思います。* * *この「音路(音路)」シリーズコラムは、ロック音楽に普段あまりふれることのない方々も読んでくださっていますが、どうして世界がこれほど、チャーリーの逝去を大きく扱うのか不思議に思っている方も少なくないかもしれません。世界の大物ミュージシャンたちをはじめ、政治家や文化人の方々が、こぞって弔意のコメントを発表されていますね。売上の推移、ファンの人数、ヒット曲の数、テレビでの露出量、受賞歴、音楽性の質などだけでは、世界のトップにはなれません。やはり「畏敬の念」と、その功績への「尊敬」がなければ、世界のトップクラスにはなれませんね。今回は、三回にわたり、チャーリーのことを中心に、ローリング・ストーンズが世界のポピュラー音楽界のトップの地位に、今でも君臨している理由について、少し自論も含めて書いていきたいと思います。ストーンズファンは、各自みなそれぞれのストーンズ論を持っていますが、その中のひとつだと思ってください。あわせて、ドラム奏法のこと、今も昔も どのバンドでもよくある「バンドあるある」の内情話し、そして、トップミュージシャンならではの苦悩のことなども、少しだけ書きたいと思います。ローリング・ストーンズは、バンド歴が約60年もあり、その歴史の中に多くの「人間ドラマ」が残っています。解散することなく、これだけ長く活動し、そして音楽界のトップの座に君臨し続けているのには理由があるはずです。少しだけですが、メンバー間の「人間ドラマ」もご紹介していきます。私たち個々の人生にも、何か参考にできることがあるかもしれませんね。◇ストーンズ初来日90年代頃までの日本では、さまざまな事情で、それまで来日を果たせなかった外国のロックミュージシャンが結構います。ローリング・ストーンズもそのひとつで、1990年が初来日となります。70年代の武道館ライブが直前に中止になってから、20数年間、来日が果たせませんでした。ようするに、70年代当時の、ドラッグ問題と犯罪の問題、ロック音楽文化などに対する、日本の統治や音楽文化の考え方を象徴しているともいえますね。* * *実は、ストーンズの初来日の2年前の1988年に、ボーカルのミック・ジャガーが、ソロとして来日コンサートを実現させています。80年代終盤までに、ストーンズのメンバーたちは、ドラッグ使用やアルコール依存から脱却しており、関連した犯罪とは無縁の状況にありました。はてさてストーンズ人気は、日本でどのくらいのものか…といったお試しソロ来日のミックのライブだったのですが、これが予想をはるかに越える大盛り上がりでした。その当時は、ミック・ジャガーのソロ活動が活発に行なわれていた時期で、その流れでの来日公演でした。とはいえ、ライブでの演奏楽曲の大半は、ストーンズの楽曲でした。ファンたちは、ミック単独ライブではあっても、その中にストーンズを見ていた気がします。ミックの、そのソロコンサートでは、ちょうど来日中の女王「ティナ・ターナー」を東京ドームに呼び寄せ、たいへんな盛り上がりになりました。私も、ティナまで見れて、お得感いっぱいでしたね。当時、ミックは45歳、ティナは49歳…、中年パワー炸裂!ミックとティナによる、ストーンズの代表曲のひとつ…その時のライブです。♪イッツ・オンリー・ロックンロールたしか、完成したばかりの東京ドームでの、最初の洋楽ミュージシャンのライブだったと記憶しています。東京の武道館は、音質の良い録音ができる会場として、世界に知られた会場でしたが、さて東京ドームはどうでしょう…。初日の冒頭は、東京ドーム内での、その音質が若干 安定しませんでしたが、次の日には、まさに完璧な音に仕上げてきたことに、さすが世界トップクラスの音楽スタッフだと、私はたいへん驚いた記憶があります。東京ドームのライブの音質は、当初、今のような安定した良質なものにすることが、たいへんだったと思います。私も、もちろん観客席にいましたが、ライブ後半の、東京ドームの3階席で、興奮した多数の観客がゲートを越えて前方になだれ込む光景は、テレビでも放送されましたね。東京ドームの音楽ライブコンサートで、私は、これ以降、そうした光景を知りません。筋金入りのストーンズファンたちが、長年の想いを爆発させたかのように、東京ドームに集まり、あまりの興奮の状況に、ミックも笑ってしまっていましたね。1962年にローリング・ストーンズがデビューし、初来日が1990年とは、どれほどファンたちは待ち望んでいたことか…。ミックの単独ライブとはいえ、初めて、ストーンズの音が日本にやって来たのです。私には、忘れることのできない思い出です。これなら、次は、ストーンズ全員で来日してもだいじょうぶ!その2年後の1990年に、ストーンズの初来日公演が実現しました。その後、計6回のツアーで、来日しています。◇中高年パワー炸裂のライブ会場実は、私は、もはやストーンズは来日できないものと思っていましたので、ストーンズのライブを観るだけの目的で、80年代に、何度か外国に観に行きました。後にも先にも、私がこうした行動をとったロックバンドは、ストーンズだけです。他のバンドは、たいてい待っていれば来日してくれました。とにかく、これだけの興奮のライヴパフォ―マンスができるミュージシャンは、当時、世界に数えるほどしかいませんでした。実は当時、そうした行動をとった日本人ファンは、相当な人数でいました。外国の会場で、日本人らしきファンを見つけると、まさに冒険旅行のような風で、やっとの思いで、ライブ会場にたどり着くのです。たいてい日本から一日以上かけてやって来ます。まさに執念でしたね。下記動画は、アルゼンチンでのライブ冒頭ですが、たいてい どこの国でも、ストーンズのコンサートの前は、ストーンズならではの異様な雰囲気が漂います。観客席に、老若男女が入り乱れているのが理由なのか、何かの執念なのか、世代を越えた何かのパワーを感じますね。特に「中高年パワー」が充満し、若者世代を圧倒します。あなたも観客のひとりとなって、さあ、スタートです!♪スタート・ミー・アップこのライブは2016年ですので、ミックとキースが73歳、チャーリーは75歳です。この年齢で…ちょっと信じられません。◇ご長寿だが、生きた「ストーンズ」ローリング・ストーンズのデビューは1962年ですから、約60年前です。若干のメンバーの出入りはありましたが、一度も解散をしていません。彼らはまだ現役バリバリです。過去の栄光にしがみつく、哀愁漂う年老いたロックバンドではありません。新曲を出し続け、その内容も、感覚も、センスも、音楽界の最先端にあり、生きたエネルギーを持ち続けています。まさに生きた「ロックンローラー」の姿がありますね。* * *今のメンバーとしては、ミック・ジャガーが、1943年生まれの、78歳。キース・リチャーズが、同年生まれの、78歳。ロン・ウッドが、1947年生まれの、74歳。そして、チャーリー・ワッツが、1941年生まれの、80歳。あなたのお近くの「喜寿(77歳)」、「傘寿(80歳)」前後の方々とくらべて、いかがでしょうか…?60年代、70年代に生まれてきたロックスターは、まさに怪物たちの宝庫ですね。いったい、彼らをつき動かせるものは何でしょうね…?また、別の機会に書きたいと思います。* * *さて、このほど、チャ―リー・ワッツさんが旅立ってしまいましたが、生涯の最後のギリギリまで、現役の「生きた」ドラマーでしたね。ストーンズとして最後にステージで演奏した楽曲は、あの「サティスファクション」です。2019年です。チャーリーが78歳の時でした。最後の「サティスファクション」は、本人にとって、満足だったでしょうか…。* * *下記の音楽動画は、2013年の演奏です。チャーリー72歳、ミック70歳、キース70歳です。高齢だろうと何だろうと、まだまだ多くの人たちを「大満足」させてくれます!こんなにも、エネルギーを持ち続けられるなんて、素晴らしい!私は、彼らが適当に手を抜いたライブなど見たことがありません。日本でも、まったく手を抜きませんでした。たいていは2時間から3時間のライブを行ないます。そして、彼らは、たいてい笑顔で楽しそうにライブを終えるのです。60年あまり、どの時代の「サティスファクション」を見ても、そのパワーは変わりません。なんて男たちなのでしょう…。見ている こちらのほうが、酸欠で倒れそうな年齢になっているのに…。世の高齢の現役のミュージシャンの方々…、彼らに負けてはいられませんね!ミックやキースより先に引退なんてしないでくださいね!下記の動画にある、演奏終了後の中高年の楽しそうな笑顔の集団を見ていると、なんともほほ笑ましい、うれしい気持ちになります。4人に交じって、真ん中に立つ男性は、体型がすっかり変わった、かつてのメンバーのミック・テイラーです。70年代に不平不満で脱退していったミック・テイラーでしたが、今や再び、いい仲間になっていますね。歳をとることは、いいこともありますね…。♪サティスファクション◇やめてやる…ローリング・ストーンズは、よくビートルズと比較され、論評されることも多いのですが、ビートルズは、6~7年間しか実際には活動しておらず、解散してから50年あまり経ち、もはや30歳台以下の若者ではバンド名しか知らない人も多いですね。私からすれば、不良の度合いは、両者でそれほどの違いは感じません。両者のすべてのメンバーの中で、もっとも過激だったのは、ジョン・レノンでしょうね。ビートルズは、有名な楽曲を多数残し、70年代以降のポピュラー音楽に多大な影響を残したのは事実ですが、解散してから、かなりの年数が経過しました。その後のジョン・レノンやポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンの大活躍は言うまでもありませんが、解散後の活動は、ビートルズではありませんね。* * *ローリング・ストーンズは、解散せずに、なんと今現代まで、トップバンドとして、60年あまり君臨し続けています。パッと見で、遊びほうけていそうなメンバーたちの風体ですが、この大ベテランたちほど、長い年月、精力的に活動するバンドを他に見たことがありません。刺激的な楽曲を世に出し続け、とにかくライブコンサートが大好き…。音楽活動を長く演り続けることができたとしても、楽曲や演奏で、世の中に刺激を与え続けることなど、そうそうできることではありません。彼らは、音楽が変遷する各時代において、多くのミュージシャンたちに、さまざまな影響を与え続けてきましたね。ミック・ジャガーの「目利き」もたいへんなもので、周囲の反対を押し切って、彼が世の表舞台に引っ張り上げ、その後に大成功した有名ミュージシャンは数知れません。ビートルズに関しては、あの時点で解散したことで、その後の時代に、メンバーたちがそれぞれに、素晴らしい音楽をたくさん残すことができたようにも感じます。ストーンズについては、解散しなかったことで、さらに多くの、素晴らしい音楽をたくさん残していけたようにも感じます。どの道が正しかったかどうかは、大した問題ではない気もします。みな、それぞれに大きなものを残してくれましたので、それだけで十分な気がします。* * *ドラマーのチャーリー・ワッツは、ストーンズのライブツアーが終わるたびに、「もう、こんなたいへんな音楽活動はやめてやる」と毎回クチにしながら、実際は、一度も止めずにここまできました。ミック・ジャガーとキース・リチャーズという、ものすごい音楽好き、ライブ好きにつき合いながら、80歳まで、きてしまいました。なぜ彼は、言葉通り、止めなかったのか…。そもそも、本気で言っていたのか…。◇偉大なトライアングルさて、成功した有名なバンドには、必ずといっていいほど、名コンビ、名トライアングルがあったりしますね。そうでなければ、単独で成功するミュージシャンとなり、バックバンドを引き連れることになります。ビートルズなら、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの黄金コンビ。レッド・ツエッペリン(ZEP)なら、ジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ボーナム、ジョン・ポール・ジョーンズという偉大な四角形です。ビートルズは、メンバー間の仲間割れと、ジョンとポールの音楽の方向性のズレで解散。この二人がそろっていないビートルズは、もはやビートルズサウンドではありませんね。ZEPは、ドラマーのジョン・ボーナムの死去により、ZEPサウンドが作れなくなって解散。ジョン・ボーナムのドラムではないZEPは、周囲のファンもZEPと認めないだろうと思います。他者ドラマーの評価には厳しいチャーリーでさえ、ジョン・ボーナムのドラムを称賛していましたね。* * *私は個人的に、ローリング・ストーンズは、ミック、キース、チャーリーという偉大な三角形「トライアングル」が、しっかりと機能し続けていたことで、このバンドがここまで長くやってこれたのではないかと思っています。この三人も、もちろんバンド活動とは別に、ソロ活動をしっかり行なってきましたが、それぞれのサウンドは、ローリング・ストーンズとは内容が異なります。三人が集まった時にしか、ストーンズサウンドは生まれてきません。それぞれ才能が異なる、この三人が集まるからこそ、ストーンズの音楽が生まれてくるのは間違いないだろうと思います。この三人も、もちろん、それをよく理解しています。ですから、ビートルズやZEPのケースとは異なります。この「三角形(トライアングル)」とは、音楽的な意味だけでなく、人間関係のことでもあります。とはいえ、この60年あまりのストーンズの歴史の中で、「解散危機」がなかったわけではありません。このトライアングルの三人による壮絶なバトルの歴史があります。そのお話しは、次回のコラムで書きますが、結果的に、その危機を乗り越えたことで、その後の精力的な活動や、名作の数々が生まれてきたことになります。乗り越えられなかったら、世の中に出てこなかった音楽作品が膨大にあったわけです。乗り越えられて、本当によかったです。おそらく、このような出来事は、プロでも一般でも、音楽界には山のようにあるはずです。結果的に生まれてこなかった、生まれてきたはずの楽曲が、たくさんあったのでしょうね。私の感じるところ、チャーリーは、キ―スからの説得を、いつも待っていたのかもしれないと感じます。「キースなら、俺の脱退を止めにくる…」。この領域の関係性になるには、ある程度の年齢的な歳月が必要ですね。* * *実は、ミックとキースは、もともと幼なじみです。現在のローリング・ストーンズで、デビューからいるメンバーはこの二人だけです。ですが、デビュー直後の1962年と63年初頭には、ドラムのチャーリーと、ベースのビル・ワイマンが加わっていますので、この二人はバンド誕生初期メンバーと考えていい気がします。特に、チャーリーは、ミックやキースが説得し、頼み込んで加入してもらいました。* * *チャーリーは、お金や名誉ではなく、音楽そのものを追求するタイプのミュージシャンであると、私は感じています。そのためなら、結構、無理をしてしまうタイプにも、彼の行動から伺えます。彼はよく、血まみれの手でドラムを叩き続けましたね。それに、他人から本気で頼まれたら、結構断れないタイプかもしれません。チャーリーは、「やめる、やめる」と何十年も言い続けながら、やめずにストーンズに在籍し続けていましたね。やめてしまったら、新しいストーンズサウンドが、この世に生まれてこなくなることを、もっとも理解していたのが、ミック、キース、チャーリーの三人ではなかっただろうかとも思います。それに、チャーリーからしたら、いつも酒臭いあいつが説得に来やがる…。* * *あいつ気にくわない…、あの野郎 勝手なことを…、他のメンバーを踏み台にしやがって…、自分のことしか…、ストレスがたまっているのはお前だけじゃねぇ…など、いつの時代も、プロでも一般でも、バンドでも、音楽ユニットでも、何でも、グループの中では、さまざまな問題が発生します。それを乗り越えるのは、そうそう簡単ではありません。でも、それを何とか乗り越えた時、その先に、すごい音楽世界があることがあります。それがローリング・ストーンズだと、私は思っています。◇ドラム、ギター、ボーカルのトライアングルローリング・ストーンズには、ロン・ウッド、ミック・テイラー、ビル・ワイマンなどの「一時期参加組」もいましたが、個人的には、このトライアングルに色あいをつけ加えた、素晴らしいミュージシャンたちだと思っています。彼らのチカラが、それぞれの時代に、ストーンズの「トライアングル」をより輝かせたと感じています。ここで、ひとりストーンズにとって、重要なミュージシャンのことを書きます。イアン・スチュワートというキーボード奏者で、実はストーンズがレコードデビューする直前まで、ストーンズのメンバーだった人物です。レコード会社の指示でメンバーから強制的にはずされます。ところが、その後も1985年に死去するまで、彼は、ストーンズの強力なサポートメンバーとしてレコーディングに参加します。ストーンズのメンバーではなく、あくまでサポートミュージシャンとしての立場です。彼は、広い心で、それを受け入れたのです。彼がいかに重要な存在であったかは、次回のコラムで書きますが、ミック、キース、チャーリーは、彼から学んだことが多かったのだろうと思います。* * *ミック、キース、チャーリーの三人の「トライアングル」と聞かされても、なんのことやらと思われている、ストーンズファンでない方も多いはずです。ここで、人間どうしの「トライアングル」ではなく、音楽としての「トライアングル」のことを書きます。2005年の楽曲「イット・ウォント・テイク・ロング」をご紹介します。この楽曲を聴いていると、ミックのボーカル、キースのギター、チャーリーのドラムの三角形「トライアングル」を感じていただけると思います。三者のどれかが際立ちすぎることなく、それでも、それぞれの魅力を随所に強く感じさせながら、ひとつのサウンド音楽として融合しているように感じます。ボーカル、ギター、ドラムが、それぞれのスタイルで踊っている光景を想像します。人間が演奏する楽器の音というのは、機械仕掛けの音とは異なり、たとえ同じ楽器でも個性がまったく異なりますよね。ドラムは、単にリズムを刻む楽器ではなく、ボーカルやギターと同じように、情感をしっかり伝えてくれる楽器です。この楽曲でも、ドラムが、ボーカルやギターに負けることなく、音楽を豊かに表現しているのがよくわかりますね。どうぞ、ストーンズの「トライアングル」を耳で感じてみてください…。♪イット・ウォント・テイク・ロング(2005年)この楽曲の歌詞は、「お前のことなんか忘れるのに、時間はかからねえよ」という内容です。ある意味、親父たちの、やせ我慢の歌、カッコつけの歌です。でも、さすがにチャーリーのことは忘れることはできませんね…。◇チャーリー、はッ!私は、チャーリー・ワッツというドラマーは、非情に情感豊かに音を表現するドラマーだと、昔から思っています。そして、非常に多くのドラム演奏の表現手法を持っているドラマーだと思っています。チャーリーは、かつて、このような主旨の話しをしたことがあります。「ロック音楽には、その表現に限界があり、音楽の進化は、ジャズ音楽の中にある」と。今回、少しやわらかい文章表現をしましたが、実際には、もっと強烈な言葉です。チャーリーいわく、「ロックなんて子供の音楽だぜ…!」…自分が演ってるのにです。それには異論を持たれるロックファンも多いと思いますが、チャーリーは、そう言いながら、ロック音楽から離れませんでした。彼のこの主旨の言葉を、そのまま受けとっていいかは少し疑問です。* * *よく、時代劇で、剣術の名士の武士が、「たかが剣…」と語ることがありますが、その意味するところは…。戦国時代の巌流島の決闘を描いた、吉川英治の小説「宮本武蔵」の最後の文章に、次のような一節があります。「 波騒(なみざい)は、世の常である。 波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い、雑魚は踊る。 けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。 水の深さを」。チャーリーの言葉に、私は、この一節を思い出しました。◇チャーリーの音楽彼のドラム志向は、実はロック音楽だけでなく、ジャズ音楽にもあったりします。彼は、ストーンズでの音楽活動がない時に、さまざまな別のスタイルの音楽活動を行なっています。その中心は、ジャズ音楽です。チャーリーは、「私は、ロックドラマーではなく、ジャズドラマーだ」とも言っていました。この言葉表現の意味は、もう少し別の深い思いがあるものと、私は感じます。でなければ、ストーンズのメンバーでいるはずはないとも思います。* * *チャーリーの好む、やわらかな優雅さと華やかな気品を漂わせるジャズ演奏です。チャーリーが演奏すると、永遠のジャズの名曲たちは、このようになります・♪ホワッツ・ニュー♪テイク・ザ・A・トレイン♪ストッピン・アット・ザ・サヴォイ♪アイヴ・ゴット・ア・クラッシュ・オン・ユーチャーリーが演ると、何かカッコつけた、独特の華やかな雰囲気を感じますね。* * *私は個人的に、彼の偉大さは、ストーンズのようなロック音楽も、ジャズ音楽も、同時並行して行なったことであり、それらを融合させ、調和させたことだと思っています。ロックでもない、ジャズでもない、チャーリーだけの唯一無二のドラム演奏だったのかもしれません。* * *数多いロックバンドの中には、ドラマーの存在を軽く扱ってるバンドも少なくありません。私は、ドラマーこそが、そのバンドのサウンドの中心にあると思っています。時に、地味な存在に見えることもありますが、ボーカルでも、ギターでも、ベースでも、キーボードでも、まずはリズムを刻むドラムが不安定だと話しになりません。ある意味、そのバンドのサウンドの色あいを決定づける大切なパーツのひとつです。ドラム音が、しっかり音楽を奏でていないバンドなど、単なる…です。小さな子供たちにこそ、ドラムのスティックを実際に手に持って、叩いてほしいですね。人間が楽器を手にして演奏する姿を見せないと、子供たちは音楽を好きにならないかもしれませんね。ストーンズは、自身たちのドラムの音を、強い「衝撃」として、しっかりと聴衆に届けようとしたバンドだと、私は強く感じています。ドラムの音に、情熱をのせて…。◇歌うドラムここで、ドラム演奏のテクニックについてのお話しになりますが、チャーリーのドラム奏法の解説動画を下記にご紹介します。この動画では、ドラムのチャーリーと、ギターのキースのリズムの取り方が同じだと解説しています。その通りで、このリズムの取り方が、キースのあの独特の演奏スタイルにつながっています。少しマニアックな内容ですが、音楽の演奏法にご興味のある方は、ぜひどうぞ…。♪チャーリーのドラム奏法の解説【ドラムの神々に学ぶ④】チャーリー・ワッツのリズムの取り方とフォームを解説!【ローリングストーンズ】今回はローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツです。その独特なグルーヴはどのように形成されているのか、リズムの取り方とフォームから紐解いていきます。リズム感を鍛えたい方、グルーヴについて深く学びたい方、バンドの完コピを目指している方はぜひ最後までご覧ください。note「Moyashi先生のリズム攻略室...www.youtube.com乾いたドラム音、独特なスネアドラムやシンバルの使い方、シンプルなのに適確なフィルイン、正確な刻み、意外とドラマチック…など、彼のドラムは華やかさを感じる軽快な演奏だと感じます。「売れるバンドに、個性的な名ドラマーあり」ですね。この解説動画の中では、「にごり」のない乾いたドラム音についても解説されていますが、下記の音楽動画のドラム演奏は、まさに「ストーンズ・トライアングル」の一角を聴いている感覚になります。これぞ偉大な「トライアングル」の一角です。ロックあり、ジャズありの、10年ほど前のセッション演奏です。♪セッション演奏(1)♪セッション演奏(2)このドラムが、ロック音楽、リズム&ブルース音楽の、ミックとキースに出逢うと…、それはまさに華やかで、壮大!もたもた…、暗~い…、重た~い…、ではストーンズの楽曲に似合いません。ストーンズのドラムは、やっぱり、派手に飛び跳ね、閃光が点滅しなくちゃ…!そう…電光石火!♪ジャンピング・ジャック・フラッシュ♪オール・ダウン・ザ・ラインこの動画で見られるように、あのミックとキースを前に立たせて、後ろから尻をひっぱたくようにドラムを叩く…この醍醐味!ミックとキースが、時折、自分のもとに確認しにくる感じ…お前ら、なかなか いいじゃねぇか!ドラマーにしか味わえない、この感覚…そりゃ、やめられない!* * *チャーリーは、時に激しく、時に情感たっぷりに、歌うようにドラムを叩くことも多くありました。彼はまさに、歌う表現力を持ったドラマーだと私は感じます。どうぞ、ドラムの歌声を…♪モンキーマン(チャーリーだけの映像)♪ジャスト・マイ・イマジネーションその場の空気感を見事に演出するドラム演奏ですね…♪無情の世界(ユー・キャント・オールウェイズ・ゲット・ホワット・ユー・ウァント)これぞ70年代のロックンロール演奏です!♪ブラウン・シュガー下記は音質がよくありませんが、ミック・テイラーのリード・ギター、キースのノリノリのリズムギター、チャーリーの若々しいドラムが炸裂する70年代初頭の…♪ブラウン・シュガー◇ミック、キース、チャーリー、三人よれば…私は、ミックやキースが、絶対にチャーリーを離さなかったのは、彼が筋金入りのジャズドラマーだったからだとも思います。演奏の正確性と安定性、シンプルなドラム構成、あのシンバル音、華やかさを感じさせるドラム演奏…、ミックとキースは、彼に絶大な信頼を置いていた気がします。そして、何より二人が気に入っていたのは、、チャーリーが「ロック音楽が嫌いだ」と公言し、ロックを小バカにしている人間だったことだとも感じます。チャーリーの高い理想と探求心に、ミックとキースは惚れ込んでいたのかもしれませんね。* * *ミック・ジャガーという人物は、音楽アーティストであると同時に、まさにロック音楽界トップクラスのビジネスマンです。私は、「ミックは、『ストーンズはロックを越える』ことを目指している」と感じています。音楽性はもちろん、存在意義、ビジュアル、ビジネス面もしっかり考えるタイプのミュージシャンです。もちろんロックスターですから、派手な一面もありますが、まさにトップビジネスマンの印象も受けるミックです。大病をしても、一年後には、音楽の最前線に戻ってくる、猛烈なエネルギーも持ち合わせています。健康管理も欠かしません。酒、薬、女、金、ギャンブルにおぼれて、最終的に音楽も手放すような人物ではありません。だからこそ、ミックは高齢の今でも、しっかり活動できています。自分の甘さ、弱さ、迷い、誘惑はすぐそにある。もう俺にはいらない!すべて黒く塗りつぶすのさ!というような主旨を含む歌詞内容の、ミックの決意の歌…。今のコロナ禍の時代に、聴きたくなるような楽曲…。こうしたミックの社会性のある視線は、今でも健在!ちょっとエッチな曲、ちょっとおバカな歌詞の曲も健在!チャーリーのドラムも、力感(りきかん)たっぷり!チャーリーも、叩きながら、実に幸せそう…。ドラム音がするたびに、黒いペンキが飛び散ります!これぞ、これからも長く生き続けるだろう「ロック音楽」の真髄!♪黒くぬれ(ペイント・イット・ブラック)* * *キースは、音楽への情熱が「ハンパ」なく、先入観なく広範囲に音楽への興味を示すタイプのミュージシャンだと私は感じています。ミックの強靭さに対して、何か柔軟で少し適当なキースにも感じます。キースの音楽に対するさまざまなアイデアは、高齢になっても衰えることがありません。キースのステージ衣装や、動きの特徴が、大ヒット映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」の、ジャック・スパロウ(演:ジョニー・デップ)のモデルになったことは有名な話しですね。あくまで個人的な目線ですが、映画の中のジャック・スパロウの「調子のよさ」「柔軟な姿勢」も、キースがモデルなのかも…?キースは、この映画シリーズに出演もしています。彼の突発的とも思われる音楽のアイデアは、後ですごいことになることが多かったですね。キースの発想の豊かさが、この楽曲を生みました。♪悪魔を憐れむ歌(シンパシィ・フォー・ザ・デビル)この楽曲については、「音路」シリーズでも、つい先日書いたばかりでした。コラム「音路(44)魔王のささやき ~ 投下の日『音路44. 魔王のささやき ~ 投下の日』シューベルト「魔王」、ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」、シューベルトとジョン・レノン、原爆の日、黒い雨、第六天魔王の織田信長、天使のささやき、ガンズ・…ameblo.jp* * *この二人の横に、ロック音楽をあざ笑うかのようなチャーリーが、時に、この二人の尻をひっぱたくのです。メンバーの中で唯一、離婚歴のない、何か英国紳士を思わせる、寡黙で、家庭思いのチャーリーです。ですが、相当な「頑固者」であろうとも感じます。「なんだ その演奏は…、なんだ この楽曲は…、前にいる二人とも しっかりやれよ…」。私には、ミックとキースに、そんな言葉を投げかけるチャーリーの姿が見える気がします。* * *私は、この三人の関係性を考える時、日本の昔からの言い回し「三人よれば…」を思い出します。この三人がタッグを組めば、ロックでも、ジャズでも、ブルースでも、カントリーでも、フォークでも、何でも越えていけそうな気がしてきます。ストーンズの中には、見事な三角形「トライアングル」があり、そのトライアングルの中から、見事な楽曲や演奏がたくさん生まれてきたのは、奇跡というよりも、この三人の情熱と努力の賜物であろうとも感じています。そして、このトライアングルの創出に欠かせなかった存在が、前述しました、亡きミュージシャンのイアン・スチュワートだったのだろうと感じます。次回コラムで、ミュージシャンどうしの複雑な「人間ドラマ」について書きますが、人間の「トライアングル」は、そうそう簡単につくり上げることはできないということが、よくわかります。ミックのチカラ強いド派手なボーカル、キースの気だるく刺激的なギター、チャーリーのシンプルで華やかなドラム…。利発な不良、やさしい不良、英国紳士…。女好き、酒好き、家庭思い…。この三人は、きっと こう思ったはずです。「この三人がそろっていれば、天下を取れるぞ!」。予感は的中!私は、この三人が、幾度となく解散危機を乗り越えた要因は、まさにこの黄金の「トライアングル」にある気がしています。* * *「ここで、チャーリーがドラムを使って、ミックとキースの尻をひっぱたいているような演奏シーンを…」と言いたいところですが、すでに長文にもなっていますので、この続きは、次回のコラム「ローリング・トライアングル【2】転がる石のごとく」で書きます。ミックとキースからしたら、「チャーリーのやつ、俺たちの尻を、ドラムでひっぱたきやがって…」です。「紳士のチャーリーを怒らせたら、この三人の中で、一番怖いぞ! キース…どうか彼を説得して…! イアンだったらどうする…?」という話しも書きます。次回コラムも、ストーンズの名曲たちを並べます。それにしても、来年の2022年は、ストーンズ60周年の大コンサートが企画されていたのに、残念でなりません。大追悼イベントになるのかも…。* * *〔追伸〕日本の田舎に暮らす蛙のチャーリーのご主人様の、素敵なアメブロ記事です。「ちゃっちゃと一皿料理人」で、音楽写真詩人の翠さん…、いつも感動的な「お料理叙事詩」を、どうも ありがとうございます。天国のチャーリーも、喜んでくれていますね。東京の老いぼれ蛙のチャーリーも… この記事に、イエス! サティスファクション!翠さんの記事「お空のチャーリー」『お空のチャーリー』The Rolling Stones - Start Me Up - Official Promoローリングストーンズのドラマーチャーリ…ameblo.jp* * *次回コラム「音路(50)ローリング・トライアングル【2】転がる石のごとく」につづく『音路50. ローリング・トライアングル【2】転がる石のごとく(チャーリー・ワッツさんを偲んで)』ローリング・ストーンズ、チャーリー・ワッツさんご逝去、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、スタート・ミー・アップ、ハッピー、悲しみのアンジー、ホンキー・トン…ameblo.jp2021.9.3 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら

    • 26Aug
      • 音路48. ありがとう… 昭和のお父さんの画像

        音路48. ありがとう… 昭和のお父さん

        名古屋市、名古屋弁、千葉真一さん、キイハンター、吉田拓郎「今日までそして明日から」、ばんばひろふみ「SACHIKO」、吉幾三「ともこ」、河島英五「時代おくれ」、岡林信康「山谷ブルース」「復活の朝」、神野美伽「手紙」、オリエンタルカレー、河村たかし市長、愛知県名古屋市、岐阜県岐阜市、昭和歌謡、歌謡曲。   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら音路(48)ありがとう… 昭和のお父さん◇昭和のお父さん、また やっちまった!今回のコラムも、ずっとお約束しています「天使の音楽」のお話しの前に、急きょ、ある昭和のお父さんの大失態のお話しを書きます。それは、あの「金メダルかじり虫」…愛知県名古屋市の「河村たかし」市長。あの強烈な名古屋弁と、強烈なキャラクターで、全国の皆さまもよくご存じの方も多いはずですね。名古屋の有名な紙業会社一族のご長男で、大学を卒業後、会社員を経て、自民党、日本新党、新進党、民主党…、そして今は名古屋市長です。私は、河村氏が民主党時代の国会議員の時代に、少しだけお見かけしましたが、その時も、猛烈な存在感と独特のバイタリティをお持ちでしたね。その経歴をみても、相当に活動的な方だということがわかります。名古屋市長は、もう何期目なのでしょう。私は東京で、名古屋の公式行事のテレビニュ―スを見るたび、いつも河村市長の派手なパフォ―マンスと、強烈な名古屋弁に触れているような気がします。あの強烈な名古屋弁は、あえて使われているのだと思いますが、私は東京に住んでいると、普段、名古屋弁を耳にすることがまずありません。この1~2年間でも、河村市長以外の方の名古屋弁に接した記憶がありません。関西弁(大阪弁)は、東京でもしょっちゅう耳にしますが、河村市長の言葉は、名古屋弁を耳にする貴重な機会であるのは確かです。* * *私は個人的に、名古屋の味覚文化が大好きなこともあり、河村市長の顔とその濃厚な名古屋弁にふれるたび、あの八丁味噌、味噌煮込み、餡トースト、えびフリャイの濃厚なフレーバーを思い出してしまいます。どれも、まあ濃い、濃い、濃い…さすが濃尾平野の名古屋です。歴史ファンにとっても、戦国時代の中心人物の輩出地は、まさに「尾張(おわり)」や「三河(みかわ)」の愛知県や、「美濃(みの)」の岐阜県ですね。天下人を生む地!名武将たちの宝庫!愛知県・岐阜県の城郭の多さは、他県を圧倒しますよね。この地域が嫌いな歴史ファンなどいないでしょう。歴史研究愛好者の私としては、きっと尾張(愛知県西部)出身の戦国武将の織田信長も、河村市長のような強烈な名古屋弁を話していただろうと想像しています。私の想像する信長のふるまいは、基本的にサービス精神いっぱいで、「感動演出」大好き人間、そしていつも、何かウケをねらっている、そんな人物であったと思っています。今回の河村市長の「金メダルかじり」の大失態と不適切発言、その後の謝罪会見の失敗は、確かに、今の時代に許される内容ではありません。今は、昭和から、平成を経て、令和の時代です。天正年間の織田信長なら、もし金貨をかじっても(戦国時代は実際に金貨をかじってその含量を確認していた)、女性軽視発言をしても、怖くて信長に文句を言える人はひとりもいなかったでしょうが、今の令和時代では、「昭和世代のお父さんが、また調子に乗って、やらかしたわ」だけでは、すまされませんね。* * *日本のオリンピック選手は、外国人記者たちから、金メダルをかじってほしいというリクエストがあっても、たいていは、かじりません。金メダルにキスをしたり、頬ずりする程度です。日本人には、西欧とは違う精神性がしっかりと根付いており、「金メダル」に対する想いが相当に違いますね。日本では、ひょっとしたら、「金メダル」の中に、神様や多くの人たち、何かの命が宿していますね。そんな日本で、本人のことわりもなく、いきなり「ガブッ」とは…。おまけに女性軽視の不適切発言…。私は個人的に、この大失態は、織田信長の「比叡山焼き討ち」、「恵林寺焼き討ち」に相当するような、大失態だったようにも感じています。一生の不覚…、やり過ぎもやり過ぎ…。とんでもない多くの人たちから恨みを買う行為ですね。子犬といえど、幼児のわが子を甘噛みした犬の飼い主を、噛まれた子供の親は、絶対に許しません。愛知県の大先輩、徳川家康がその場にいたら、きっと言います。「やり足りないのはいけないが、やり過ぎはもっとだめ!」。トヨタ自動車が、家康の代わりに、烈火の如く叱ってくれました。名古屋市には、河村市長を支持する方々も多いと思いますが、他の地域の人間からみると、まさに名古屋の大きなダメージに感じてしまいます。それに、あの最初の謝罪会見…、あなたは信長か?ここまでで、この問題の「火消し」となったかどうかはわかりませんが、近年は、テレビの中でも、昭和世代のお父さんたちの暴言、失言、迷言のオンパレードですね。何が間違っているのかさえ、ピンときていないご様子…。クチにする前に、少し勉強や情報収集をしておけば、そんな言動は…。でも、昭和のお父さんたちが、みな、わからず屋の傍若無人たちというわけではありません。中には、こんなにも健気で、無クチで、がまん強く、やさしいのか…という「昭和時代ならではのお父さん」たちもたくさんいます。今回のコラムでは、そんな「昭和のお父さん」たちが、まさにクチにしそうな歌詞の邦楽曲を集めてみました。* * *この「音路(おんろ)シリーズ」では、洋楽曲の歌詞の内容をご紹介することも多いのですが、実は、日本には、「昭和のお父さん」目線の歌詞の音楽分野がしっかりとあります。私の知る限り、人気洋楽曲に、このようなタイプの歌詞は少ないように感じます。日本の「昭和のお父さん」ならではの、哀愁漂う、何とも味わい深い、音楽世界があります。「平成のお父さん」世代の若いお父さんたちとは、明らかに違っている気がします。ただ、若いお父さんたちも、歳をとっていくにつれ近づいていくのかもしれません。「昭和世代のお父さんが、また、やらかした!」と言う前に、少しだけ、加齢臭漂う、魅惑の中年男性音楽の世界を、ちょっとだけ、のぞいてみたいと思います。◇やさしい「昭和のお父さん」まずは、「こんなにも、やさしい昭和のお父さん」という楽曲です。娘を想うお父さんの優しさに満ち溢れた歌詞です。「ばんば ひろふみ」さんの楽曲。♪「SACHIKO(サチコ)」この「SACHIKO」は、おそらく漢字で「幸子」と書くのだと思います。昭和の時代は、世の中に、たくさんの「幸子」という名の女性がいましたね。戦後、わが子の「幸せ」を願う親が、いかに多かったかということですね。歌詞の中には、次のようなフレーズが登場します。♪幸せを数えたら、片手にさえ余る♪不幸せ(ふしあわせ)数えたら、両手でも足りない(略)♪そして心が傷付いたら、泣きながら帰っておいで* * *人生では、「不幸せ」の数が、「幸せ」の数よりも多かったりします。「平凡」であれば、それだけで幸せと感じる方も少なくありませんね。この歌は、「幸せ」に向かって、「がんばれ、がんばれ」と応援するのではありません。父が娘に、「不幸せ」に出会ったときには、帰っておいでと、やさしく語る歌です。クチ数の少ない、こんな、やさしいお父さんが、昭和の時代には、たくさんいましたね。泣きながらでもいい…、何も聞かないから…、戻っておいで…、娘よ。やさしすぎるくらいの「昭和のお父さん」です。◇忘れようとしない「昭和のお父さん」「さちこ」さんの次は、「ともこ」さんです。ちょっとエッチなくせに、自己表現が苦手で、奥手のお父さん…、そんな昭和のお父さんもたくさんいます。愛する女性に気にいってもらえるように、ついつい やり過ぎる「昭和の男」たち…。いつまでも、忘れようとしない、「昭和の男」たち…。「昭和のお父さん」たちは、妙な長い「語り」も、大好き。だから「昭和のお父さん」は、話しが長い…?吉幾三(よし いくぞう)さんの楽曲「ともこ」です。女性の出産は、いつの時代も、本当にたいへん…。楽曲「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞が、日本で入れ替わった…?♪ともこ◇時代おくれの「昭和のお父さん」「昭和のお父さん」たちは、ひとりで、酒をおともに、歌を聴いて涙するのも大好き…。この歌の歌詞に出てくるような生き方の「昭和のお父さん」がいかに多かったことか…。「時代おくれの何がいけねェんだ…うん、話しを聞こうじゃねェか」。「昭和のお父さん…間違ってません」。河島英五(かわしま えいご)さんの楽曲。♪時代おくれ◇ジャジーなジー様「昭和のお父さん」次は、日本のフォーク音楽界のレジェンドです。岡林信康(おかばやし のぶやす)さんの、1968年の楽曲「山谷(さんや)ブルース」です。まさに、「昭和のお父さん」歌手の語りとノリのコンサート…♪山谷ブルースと思いきや、同じ曲が、こんなに「ジャジー(ジャズっぽい雰囲気)」に…。昭和世代は、こうしたアレンジが大好き。ジャズなのか、フォ―クなのか、演歌なのか…、「昭和のお父さん」には、まあ「ジャジーなジー様(爺様)」なら何でもかまわない…。♪山谷ブルース岡林さんは、昨年2020年、なんと20数年ぶりに新曲を出しました。まさに復活した「昭和のお父さん」!♪復活の朝◇泣かせる「昭和のお父さん」日本の歌謡曲には、いい歳の親父たちが、彼らの母親に感謝したり、謝ったりするような歌詞内容の歌も、結構 多いですね。海援隊の楽曲「母に捧げるバラード」、すぎもとまさと さんの「吾亦紅(われもこう)」も、そうした歌ですね。「昭和のお父さん」は、時に、自分の奥様に、こんな泣かせる台詞も言うのです。「僕のこと、忘れていいよ…」。楽曲「手紙」は、女性歌手の神野美伽(しんの みか)さんの歌唱ですが、歌詞内容は「昭和のお父さん」の心の声です。忘れることなど、できるはずがありません…♪手紙◇これが「昭和のお父さん」あなたの周囲に、こんな「昭和のお父さん」たちはいませんか…。えっ、あなたも…。◎ひと言多い「昭和のお父さん」…、◎ひと言足りない「昭和のお父さん」…、◎ちっとも、わかってくれない「昭和のお父さん」…、◎他人の話しを聞かない「昭和のお父さん」…、◎「もう一度言って」と自分で言っておきながら、二度目も聞いていない「昭和のお父さん」…、◎疲れて、勝手に自分の話しを途中できりあげる「昭和のお父さん」…、◎アレの、アレが、アレで、アレして…で、話しを続ける「昭和のお父さん」…、◎アレが通じないと、怒り出す「昭和のお父さん」…、◎家族が髪型変えても気がつかない「昭和のお父さん」…、◎いつもより料理が一品増えても気がつかない「昭和のお父さん」…、◎「醤油(しょうゆ)」と文字で書いてないと、目の前にあっても気がつかない「昭和のお父さん」…、◎食べ物の匂いをかぐ「昭和のお父さん」…、◎缶ビールと瓶ビール、どちらでもいいわけではない「昭和のお父さん」…、◎食卓に「はし」がない時、人差し指と中指の二本で食べ始める「昭和のお父さん」…、◎食卓で、声をかけず、チラッチラッと娘を見ている「昭和のお父さん」…、◎「今日は何の旗日(はたび)だ」とすぐに聞いてくる「昭和のお父さん」…、◎テレビに向かって文句を言う「昭和のお父さん」…、◎テレビに向かって「誰だこいつ」と家族に名を聞き、再び同じ人物に「誰だこいつ」と言う「昭和のお父さん」…、◎アイドルの顔の識別ができない「昭和のお父さん」…、◎大河ドラマをろくに見ずに、テレビの前でウンチクを語り出す「昭和のお父さん」…、◎愛犬と会話し、犬に向かって「お前はえらい、お前だけだ」と言う「昭和のお父さん」…、◎愛犬と同じ姿勢で並んで昼寝する「昭和のお父さん」…、◎「よく寝とけよ」とよく言う「昭和のお父さん」…、◎「ちょっと寝不足かな…」と言いながら、たっぷり昼寝している「昭和のお父さん」…、◎病院で自分の名が呼ばれる時に限って、たいてい寝ている「昭和のお父さん」…、◎思いつきで、突然、家族をドライブに誘う「昭和のお父さん」…、◎「ドライブに行かない」と答えると、ふてくされる身勝手な「昭和のお父さん」…、◎「ら抜き言葉」は大嫌いと言うくせに、「ナウい」「しょぼい」を使いまくる「昭和のお父さん」…、◎「トイレの紙がきれてるよ」と家族に報告する「昭和のお父さん」…、自分で補充しろ!◎携帯電話、パソコン、ステレオ、自動車の歴史をつぶさに語れる「昭和のお父さん」…、◎自動車の「坂道発進」を自慢する「昭和のお父さん」…、◎「ジュースの自販機といえば、やっぱりオレンジの噴水だろ」と言う「昭和のお父さん」…、◎「マジックショーといえば、あの曲だろう」と言う「昭和のお父さん」…、◎「もーれつ」と言えば…アタロー、「潮来の」…イタロー、「ゲゲゲの」…キタロー、「三っつ みにくい浮き世の鬼を退治てくれよう」…モモタロー、と間髪入れずに「何タロー」と答えられる「昭和のお父さん」…、ついでに、ランラン…カンカン、リンリン…ランラン、オーヤン…フィフィ!◎野球の用語「ナイター」が通じる「昭和のお父さん」…、◎「横浜ベイスターズ」をまだ「大洋」と言い間違える「昭和のお父さん」…、ソフトバンクをまだ…、もういい!◎家電の言葉「デンスケ」が通じる「昭和のお父さん」…、◎「パナソニック」を「ナショナル」と呼ぶ「昭和のお父さん」…、◎「ベネッセ」を「福武書店」と呼ぶ「昭和のお父さん」…、◎「デズニーランド(ィ抜き)」と呼ぶ「昭和のお父さん」…、小さい「イ」を言わない!◎「エアコン」を「クーラー」と呼ぶ「昭和のお父さん」…、◎「とりあえず赤チン塗っとけ」とすぐに言う「昭和のお父さん」…、赤チンは消滅した。◎「大は小を兼ねる」とすぐに言う「昭和のお父さん」…、本当は兼ねない。◎「アルコール消毒」とか言って酒を飲む「昭和のお父さん」…、本当は消毒できない。◎爪切りするのか、下に敷いた新聞を読むのか、はっきり決めない「昭和のお父さん」…、◎もっとも買わなければいけないものを、いつも買い忘れてくる「昭和のお父さん」…、◎トイレ掃除はしないくせに、墓掃除だけは妙にていねいな「昭和のお父さん」…、◎お風呂に入って、頭髪を洗い忘れる「昭和のお父さん」…、◎お風呂にある、違う液で、身体を洗う「昭和のお父さん」…、◎メガネをかけて、メガネを探す「昭和のお父さん」…、◎ダジャレのネタをメモに記し、そのメモをなくす「昭和のお父さん」…、◎肝心なものがポケットの中になく、ポケットの中に、いろいろなゴミがたまってる「昭和のお父さん」…、◎鼻をかんだティッシュを、いつまでもポケットに入れている「昭和のお父さん」…、◎自分の耳や指の匂いをかぐ「昭和のお父さん」…、◎自分の鼻毛を、テーブルの上に並べる「昭和のお父さん」…◎家族にハンカチをいつも借りる「昭和のお父さん」…、◎「オレはここに何しに来た」と家族に聞く「昭和のお父さん」…、◎さんざん回って、結局、一件目の食堂に入る「昭和のお父さん」…、◎味が濃いだの、薄いだの、やたらにうるさい「昭和のお父さん」…、◎結局、醤油(しょうゆ)をかける「昭和のお父さん」…、◎カレーに、ウスターソースをかける「昭和のお父さん」…◎香辛料の名前を覚えず、赤いやつ、白いやつ、茶色のやつとか色名で呼ぶ「昭和のお父さん」…、◎同じ雑誌を二回買う「昭和のお父さん」…、◎前に買ったと思っていたら、買っていなかった「昭和のお父さん」…◎本屋に行くと、まずトイレを探す「昭和のお父さん」…、◎その時の流行語を一度はクチにしないと気が済まない「昭和のお父さん」…、◎「みんさん、やってますよ」という言葉に弱い「昭和のお父さん」…、◎「病歴自慢合戦」で、自分の病気が軽いとムキになる「昭和のお父さん」…、◎やたら医療の「民間療法」に詳しい「昭和のお父さん」…、◎やたら「心霊スポット」に詳しい「昭和のお父さん」…、◎病院で、相手の医者の健康を心配する「昭和のお父さん」…、◎急に、家系図に興味を持ち始める「昭和のお父さん」…、◎ある年齢頃から、急に、「青空」が好きになる「昭和のお父さん」…、◎ある年齢頃から、急に、「雨の日」も悪くないと言い出す「昭和のお父さん」…、◎「よーし今日は、釣り行くか、競馬場行くか、公園行くか」と三者択一を孫に迫る「昭和のお父さん」…、◎「お前にはまだ早い」と孫に言いながら、自分はその年齢でとっくに経験していた「昭和のお父さん」…、◎街のカラスにからかわれる「昭和のお父さん」…、◎予定もないのに、「天気予報番組」を見たがる「昭和のお父さん」…、◎やたらに、各放送局の「お天気お姉さん」に詳しい「昭和のお父さん」…、◎やたらに、「閉店」「店じまい」の文字が気になる「昭和のお父さん」…、◎花束を手にした中年男性を街で見かけると、すぐに「退職だな」とクチにする「昭和のお父さん」…、◎「これが最後の〇〇かも…」と、突然、売り場で涙ぐむ「昭和のお父さん」…、◎昔の同級生と、ハラスメントぎりぎりの「あだ名」で呼び合う「昭和のお父さん」…、◎映画館で、作品一本をほとんど通して観ることができず、一部のシーンがいつも欠落する「昭和のお父さん」…、寝ているのだ。◎「今、見てたのに…」は、たいてい見ていない「昭和のお父さん」…、◎「今、手をつけるところだったのに…」は、たいてい、今 気がついたばかりの「昭和のお父さん」…、◎「この話し、前にしたかな」と聞いておいて、結局、毎回話し始める「昭和のお父さん」…、◎「そうそう、これこれ」と言いながら、ほとんど肝心な内容を知らない「昭和のお父さん」…、◎「いろいろあって…」と言いながら、ほとんど大した話しでもない「昭和のお父さん」…◎「自分のことは自分が一番知っている」と言いながら、知っているのは自分自身の気持ちだけの「昭和のお父さん」…、◎「今でしょ」とか言いながら、他人に催促する「昭和のお父さん」…、あんたこそ今だ!◎指図だけして動かないのに、逆ギレされて指図を受けると、すぐに従う「昭和のお父さん」…、◎「ちゃっちゃと、やれ!」と言うが、自分ではちゃっちゃとやれない「昭和のお父さん」…、◎誰も求めず、決めていないのに、「俺の役目だ」と自分で決める「昭和のお父さん」…、◎「それはお前の役目だ」と勝手に決める「昭和のお父さん」…、◎「誰かが何とかするだろう」と言う「昭和のお父さん」…、◎ニヤニヤしながら、時々 現実逃避に走る「昭和のお父さん」…、◎「どっちもいいよ、ステキだよ」と、とりあえず「その場しのぎ」「責任回避」に走る「昭和のお父さん」…、◎心配し過ぎるくせに、心配する方向が微妙にズレてる「昭和のお父さん」…、◎「俺の気も知らないで…」と言うが、あんたも相手の気を知らない「昭和のお父さん」…、◎「今の若いもんは」と言いながら、自身にも若い時代があったことを忘れている「昭和のお父さん」…、◎自分だけは歳をとってきていないと思っている「昭和のお父さん」…、◎「俺には、わからない」という言葉は、たいてい、わかっていて反対している「昭和のお父さん」…、◎使いにくいものを、使いにくいまま使い続ける、面倒くさがり屋の「昭和のお父さん」…、◎急いでも、急がなくても、回り道しない「昭和のお父さん」…◎実は、ものを理解しにくいのではなく、理解するのが面倒くさいと思っている「昭和のお父さん」…、◎「結論だけ先に言え」とすぐに言うが、その後を、まず聞かない「昭和のお父さん」…、◎こだわりは減るが、頑固さは増える「昭和のお父さん」…、◎金は増えるが、残り時間は減る「昭和のお父さん」…、◎暇と文句は増えるが、金と腹が減る「昭和のお父さん」…、◎マニュアルを読まない、書かない、「昭和のお父さん」…、◎墓場まで持っていってほしいことほど、持っていかない「昭和のお父さん」…◎ある時、急に、キャンピングカー、オープンのスポーツカー、ハーレーダビッドソンに目覚める「昭和のお父さん」…、◎ある時、急に、「筋力増強」や「登山」に目覚める「昭和のお父さん」…、◎ある時、急に、「戦国武将」を意識し始める「昭和のお父さん」…、◎ゴールまでの道をたくさん知ってる「昭和のお父さん」…、◎ゴールなどには、特にこだわらなくなる「昭和のお父さん」…、◎ゴールよりも、バトンタッチを大切に思う「昭和のお父さん」…、◎肝心な時に、バトンタッチのバトンを落とす「昭和のお父さん」…◎失敗や不都合は見なかったことにする、でも気になって眠れなくなる「昭和のお父さん」…、◎相手のミスも見なかったことにしてあげる「昭和のお父さん」…、◎「引き出し」が開きにくくなる「昭和のお父さん」…、◎「そりゃそうだ」が言えるようになる「昭和のお父さん」…、◎振りかえろうとするが、忘れたことも多い「昭和のお父さん」…、◎ほんのささいなことを忘れていなかったことにも気づく「昭和のお父さん」…、◎いろいろな人の言葉を思い出す「昭和のお父さん」…、◎もう会うことのない人に、心の中で「どこかでがんばれ」と応援する「昭和のお父さん」…、◎心と反対のことを言う「昭和のお父さん」…、◎やせ我慢の「昭和のお父さん」…、◎やさしさ隠す「昭和のお父さん」…、◎悲しみ隠す「昭和のお父さん」…、◎老いた身体は隠さない「昭和のお父さん」…、◎若者には、ぜんぜん意味わかんねェ「昭和のお父さん」…、◎「意味」をよく知っている「昭和のお父さん」。本当は、みんな、感謝していますよ…、昭和のお父さん!◇何かが違う実は、今回のコラムを書こうと思ったきっかけは、私のアメーバブログの「ブロ友」さんのある記事でした。にっさんさんの記事『私の中の河村たかし!』武漢ウイルスの猛威・大雨のニュースなどでかき消された感がありますが、「河村たかしメダルかみ事件」について考えます。何かの記事で読んだのですが、非難ばかりせず…ameblo.jp岐阜県 岐阜市に暮らす、金華山に日参する「筋肉武将」の「にっさん」さんです。自分の中にある「ちっちゃな 河村たかし」という内容の彼のブログ記事を読んで、「昭和のお父さん」を感じる、いい記事だなと思いました。あえて「にっさん ちゃん」と書きます。* * *にっさんちゃんから、今回 頂いたコメントです。「(他人の)悪いところばかりをクローズアップし、徹底的に打ちのめす昨今の風潮に昭和のオッサンは何か違うなと思っています」。たしかに、今は、社会の中で、何かの集団ストレス発散のように、極所的に猛攻撃するようなニュースに接することも少なくありません。芸能人はもちろん、一般の人々にも、その矛先は向かいます。その矛先は、為政者や政治家にも、もちろん向かいます。世のたいていの政治家は、人並み外れた「権力欲」を持った人たちばかりだと、私は経験から感じていますが、それが、良い方向に向かえばいいのですが、時に、傍若無人の横暴な言動も引き起こします。選挙を勝ち抜くという、もともと戦闘的な一面を備えている、たいていの政治家は、周囲からキツい言葉を多少言われても、ビクともしません。ビクつくのは、自身がチカラを失いそうになった時かもしれません。前述のような「極所攻撃」の矛先が、為政者や政治家にも当てはまるのかどうかは、政治家本人によりけりかもしれませんが、そのあたりは、一般の人々とは少し違うかもしれませんね。文句や批判を周囲から言われてこその、大政治家ともいえます。彼らには、社会からの「プレッシャー」は、乗り越えるべき壁でもありますね。この社会からの「プレッシャー」が、政治家の横暴な言動や暴走を抑えたりするのも確かです。昭和時代は、プレッシャーをものともしない、まるで猛獣のような、大きな岩のような政治家が多かったのは確かですね。今回の河村市長のケースは、彼の中の、何かのサービス精神があの行為をさせた気もしないわけではありませんが、まったく逆の効果をもたらし、時代と逆行する行動、そしてまさに政治家自身の野心と慢心がそこに見えると、一般の人々は感じたのかもしれません。織田信長が、自身の野心のためだけの行動に移行し始めたとき、周囲は、結束して立ち向かい始めました。自身の野心と、民衆の願いがズレたとき、彼のその状況が生まれましたね。にっさんちゃんの言う「何かが違う」が起き始めた時、時代や社会は変わっていくのかもしれませんね。◇情報更新とメンテナンスちょうど今、米国のメジャーリーグでは、大谷翔平選手が大活躍していますね。先日、米国内でのテレビ野球中継放送中に、元メジャーリーガーの永久欠番にもなっている選手が、野球解説の中で、アジア人がしゃべる独特な英語発音を面白おかしく誇張し語ったことで、「人種差別」として米国内から大きな批判を受け、その元メジャーリーガーは、放送での無期限出演停止となりました。これは、よほど英語力のある日本人でなければわからないのかもしれません。私も、そう言われて、何度 聞き直しても、よくわかりません。問題の背景や本質を知らないと、この問題がよくわかりません。ただ、米国内では、悪意ある「人種差別」ととらえられても仕方のないことなのでしょう。似たケースで、今年、お笑い芸人がテレビ番組内で、北海道のアイヌ民族を扱ったお笑い表現がありました。日本人なら、その表現の悪質さの意味を理解することができます。年齢が若い、アイヌ民族の歴史をまったく知らない、人種差別問題を知らない、すぐに本人や周囲が謝罪するなどで、比較的、寛大な処置に終わったのかもしれません。とはいえ、テレビタレントとしては、かなりのダメージかもしれません。日本のプロ野球界でも、最近、北海道日本ハムファイターズが、ある主力選手を「暴力事件」で解雇しました。これらの問題は、数十年前の世の中なら、問題にならず、素通りする内容だったかもしれません。今は、世界各国が、さまざまな「差別」「迫害」「暴力」と戦うことを鮮明にしている時代ですから、こうした内容に非常に敏感に反応しますね。ましてや、プロスポーツ界、テレビ放送という、公の場での話しです。家庭の食卓、仲間うちの飲食の場ではありません。今の時代は、企業や団体が、問題を起こした所属する人物に対して、どのような対応をしたかを、社会全体が見ている時代です。特に世界は、甘い対応の多い日本に厳しい目を向けています。オリンピック絡みの多くの問題で、日本は身に染みて感じていますね。北海道日本ハムファイターズは、大谷翔平選手や、ダルビッシュ選手などを米国に送り出し、渡米を希望する選手たちに応えるチームです。日本のプロ野球界の中でも、世界や未来を見ている球界のトップ企業でもありますね。そんな企業が、「暴力」問題を甘く考えるはずがありません。監督は涙していましたが、今の時代なら、企業として仕方のない判断だと感じます。* * *もし、問題を起こした本人たちに強い悪意がなかったとしても、横暴な言動が、世の中の「差別」や「暴力」の問題とつながりやすい時代であるのは間違いありません。今は、「横暴な言動」や「言葉の暴力」と、「差別」や「蔑視」が、心底のどこかでつながっていると連想されます。今の世界にある「差別」や「暴力」の切実な問題は、その場の盛り上げ、リップサービス、人気取り、ささいなトラブルなどとは比較にならないほど、重要視される問題でもありますね。今のアフガニスタン情勢を見れば、歴然ですね。「昭和のお父さん」の軽い気持ちの「ジョーク」や、スキンシップや愛情表現のつもりの行為の中に、さまざまな危険性をはらんでいることを自覚しなくてはいけないような気もします。そして、大事なことは、「時」と、「場所」と、自身の「立場」ですね。自戒を込めて、このコラムを書いていますが、「昭和のお父さん」たちにとっては、なかなか難しい課題のようにも感じますね。「私は関係ない」とは言いきれませんね。その「オヤジギャグ」…だいじょうぶ!?危なっかしい「昭和のお父さん」たちのことが、心配で、心配で…。* * *前述のアジア人蔑視の問題で「救い」だったのは、その元メジャーリーガーは、その後しっかりと、「人種差別」や「言葉の暴力」に関する講習会を受け、自身の誤りに気づき、考えを改めたことを発表したことです。その番組中でも、すぐにことの重大さに気づいて、謝罪コメントをしたそうです。おそらくは、その時の周囲の者からアドバイスがあったのでしょう。前述の日本プロ野球での問題でも、その選手は現役引退まではいかず、別のリーグのチームに移籍するという救済が行われました。まだまだ、現役でやれる選手です。周囲は、彼の改心に期待し、新たなチャンスを与えたのでしょう。その選手は、何らかの講習を受けたでしょうか。きっと、この問題は、今の高校野球界にも大きな影響を及ぼすのでしょうね。ひょっとしたら、この両問題は、本人たちの単なる認識不足、知識不足、情報不足、何らかのストレスなどから生まれたものかもしれません。米国のケースの「差別意識」については、わかりません。実は、今回の名古屋市の河村市長も、すぐにそれに関連した講習会を受け、自身の誤りに気がついた旨を、会見で発表しました。市長が、あの場所で金メダルをかじる意味が、どこにあるのか…、一般の多くの人々は、市長の目的をすぐに理解したはずですね。「金メダルかじり」と、女性選手への不適切発言という一連の問題の中で、もし「救い」があるとしたら、市長がすぐに講習会を受け、自身の目的のために横暴な言動を行なった誤りに気づいたこと…、金メダルの存在意義のこと…、そして、世界が、「差別」、「迫害」、「暴力」と戦う方向に向かっているということを、多くの人が知ることになったことですね。* * *日本人は、世界からよく言われます。「日本人は、大人になるまでは よく勉強するのに、大人になって世の中に出てからは、ほとんど勉強しない。情報や思想が更新されず、昔の学生時代のまま…。世界の流れの中で、日本はある時から止まったままだ」と。耳の痛い内容ですが、たしかに、近年のオリンピック関連騒動をみても、そうした一面があるかもしれませんね。昭和のお父さんたちの「時代おくれ」の生き方も、それはそれでいいとも感じますが、頭の中の情報更新や、自分自身の意識のメンテナンスを、時々はしてもいいのかもしれませんね。河村市長の本音はわかりませんが、ともあれ、彼の情報更新のチカラは、まだまだ健在ということでしょうか…。◇明日からも私は、にっさんちゃんのブログ記事を、いつも楽しく読んでいます。これぞ「昭和のお父さん」、「昭和の頑固親父」、「根はまじめで、やさしすぎる昭和のお父さん」…、それを楽しんでいます。「根はやさしくて、チカラ持ち(気はやさしくて、チカラ持ち)」という日本に昔からある「桃太郎」像が、にっさんちゃんのような「昭和のお父さん」に息づいている気がしますね。* * *私は、今回の執筆にあたり、にっさんちゃんに、好きな曲を尋ねてみました。還暦をむかえた今、吉田拓郎さんの楽曲「今日までそして明日から」に共感を感じるというお答えをいただきました。この楽曲は、やはり20歳台で聴いた時の印象と、還暦をむかえた時に聴いた印象は、大きく異なるのだろうと思います。さすが、昭和のお父さんの、素晴らしい選曲!さすが、骨太!さすが、金華山の筋肉武将!さすが、還暦!この楽曲「今日までそして明日から」も、まさに「昭和のお父さん」の、男の生き様を歌った歌ですね。苦しい昭和時代を、しぶとく、粘り強く、迷いながら生きてきた、男たちの想いが、この歌の中に描かれています。そんな生き方が、良いも悪いもありません。私は思います。「昭和のお父さん」たちは、平成であろうと、令和であろうと、その先であろうと…♪明日からも、こうして、生きていくだろうと…。♪今日までそして明日からにっさんちゃん…還暦、誠におめでとうございます。今回のご協力に深く感謝いたします。♪明日からも、こうして、生きていきましょう!* * *日本には、「時代おくれ」などと言われようとも、「昭和のお父さん」という素敵な音楽分野がありますね。昭和の「東京タワー」も、平成の「スカイツリー」も…、実は「昭和のお父さん」たちがつくりました。苦境や困難は、専門分野!がんばれるはずだ!昭和のお父さん!ありがとう…昭和のお父さんたち。◇愛を込めて「名古屋弁」を最後に、深く愛を込めて、「名古屋弁」のお話しを…。私は、名古屋では、手で行なう「じゃんけん」を「いんちゃん」、「カエル(蛙)」を「ぎゃあろ」、「自転車」を「けった(けったマシン)」、「狭くてギューギュー」は「狭くてキュンキュン」だと聞いて、面白くて、ひっくり返りました。「ギューギューづめ」と「キュンキュンづめ」は、何か違った風景に見えてきますね。「そんなことはない」は、名古屋弁で「そんなことあらすか」って…、有るのか無いのか、どこの国…親父ギャグ?愛すべき「お国言葉」のオンパレード!私は、名古屋人の方が時々「だもんで」と会話に挟んでくると、もう頭がおかしな方向に向かっていき、内容が頭に入ってきません。「だもんで」とは、何かを「もむ」のではなく、「だからね…」という意味です。にっさんちゃんは、大阪人に「もんで星人か」と言われたそうです。「おっぱい星人」の親戚かも!?「もんで星人」…いいじゃないですか。差別でも蔑視でもありません。ウルトラセブンにも負けません。* * *にっさんちゃんからは、こんな話もお聞きしました。「東京の親戚と、東京で食事会を行なった時の話です。焼酎とお湯割り用のお湯を注文したら、お湯がぬるかったので、『これぬるいがネ、もっとチンチンのやつ持ってきて』」と叫んだら、周囲の人たちがビックリ仰天してました」。チンチン…?!液体が沸騰して熱い状態を、中部地方では「チンチン」と表現するのです。これは、長野県出身の私も使います。ホット(熱い)の意味の「チンチン」はどのあたりの地域まで使うのでしょうか。そういえば、ドリフターズの加藤茶さんの名ギャグに「うんこチンチン」というのがありましたね。たしか70年代に、お尻を上下させる動作で、小学生から一般社会まで大流行したギャグです。ようするに、「…したて」で湯気が出ている状態ですね。中部地方の方は意味がすぐに理解できましたが、ひょっとして他の地域の方々は、どのような意味だと思っていたのでしょうか…。今になって、少し不安になってきました。いや、ひょっとして二重の意味…?ついでに思い出しました。よく昭和の時代劇ドラマで、侍たちが「ご無礼(ぶれい)」とか言って、片手を上げるシーンがありましたが、実は昔、この言葉を、愛知県や岐阜県、そして離れた熊本あたりの方々が、実際に今でも、普段に使っていると聞いたことがあります。そして、この「ご無礼します」は、「失礼します」としっかり使い分けられていると聞いたことがあります。さすがに「ご無礼つかまつりました」は言わないと思いますが…。でも、「無礼」「失礼」「非礼」などは、ニュアンスがしっかりと違いますね。そういえば、熊本城で有名な加藤清正は、愛知県の出身ですね。さすがの名古屋弁も、九州の地で、あの熊本弁を圧倒することはできなかったのでしょう。「熊本の皆さま…、ちょっとだけ、名古屋弁でご無礼いたします」だったのでしょうね。ともあれ、今現代に、相手に「ご無礼いたします」と言われたら、ちょっとビックリしますね。戦国時代か…!でも、さすが尾張・三河・美濃の、戦国武将地域ですね。この無礼もの!どうか、ご容赦を…。にっさんちゃんからは、「ご無礼」はもちろん、「ござる」も当たり前に使うと聞きました。「あっ、部長がござった」、「社長がござるで片付けな」などと使うそうです。恐るべき戦国時代が続く、愛知・岐阜の地域です。「誠に、ご無礼つかまつりました」。* * *ちなみに、にっさんちゃんによると、「〇〇してちょー」はお願いのニュアンスがあり、「〇〇でよ」はその内容を強調する時に使うそうです。昔の昭和の流行語「ハヤシもあるでよ」(オリエンタルカレーのテレビCMで、コメディアンで俳優の南利明さんが出演)は、そういうことだったのかと、今頃わかりました。もし「ハヤシもあるよ」という言い方だったら、絶対に流行語になっていませんね。株式会社オリエンタルは、もともと昭和20年に、名古屋市の個人創業から始まった企業です。今 考えると、この名古屋弁CMが全国で放送されていたかと思うと、強烈なインパクトですね。全国の日本人が「でよ」に出会った瞬間です。70年代頃のオリエンタルカレーのCMあのキムタクの大ヒットテレビドラマの流行語「あるよ」が、もし「あるでよ」だったら、どうなっていたのか…!?名古屋弁だけのテレビドラマを、無性に見たくなってきました。ともあれ、本物の「ご無礼」、「ござる」、「あるでよ」を聞きに、愛知県・岐阜県に行かなくちゃ!* * *何言っとるだ…、へぇ まわし しやぁよ!へぇ、いりゃあせ! たあけが!時代は、えりゃあ、進んどるでよー!「舌ベロ」出しちょるばっかで、いかんでかんわ!行こまいか! やろーず!がんばりゃあよ!〔注〕上記の「へぇ」は、「は」と「へ」の中間のような発音のようです。…そんな発音、名古屋人以外 できるか!〔女性言葉で標準語訳〕何を言っているのよ…、早く支度しなくちゃダメよ!早く来て! このバカ!時代はとっても進んでいるのよ!舌を出してるばっかりでは、ダメよ!行きますよ! やるよ!がんばるんだよ!* * *ここまで、差別や蔑視ではなく、私の「名古屋愛」を込めた文章です。河村市長も、次の市長も、その次の市長も…、よそ者の私としては、強烈な「名古屋弁」をずっと聞いていたいなあ…。少しくらいの暴言失言も、よそ者たちには、意味がよくわからず、楽しんで聞いてもらえそう……ダメですか?名古屋弁でもダメですか…、そりゃあダメだがね!それにしても、織田信長が何か違って見えてきました。名古屋の方は、日本のどの地域よりも正確に信長のキャラクターを理解できているのきゃも…。♪そうきゃも、そうきゃも、何でゃあも…(名古屋甚句の一節より)* * *再度…、私 どえりゃあ「名古屋弁」愛してます。ここから名古屋の面白動画を少しだけ…。名古屋弁・名古屋名物・名古屋名所が満載の「MC TETSU」さんの楽曲…。タッポンタポン…、チンチコチン…、名古屋巻きの名古屋嬢…、ワヤ!♪名古屋のオカン愛知県等で昔 放送されていた「あみりゃーと(?)」のCMです。全国放送だったかはわかりません。金鳥アミライトCM(1)信長編金鳥アミライトCM(2)おばちゃん編* * *70年代の昭和の名作テレビドラマ「キイハンター」に出演していた、女優の野際陽子さんは、NHKの元アナウンサーで、名古屋放送局にも勤務、「伊勢湾台風」を中継されたそうです。名古屋の自宅で強盗にも…。NHK退社後、パリに留学、当時最新流行の「ミニスカート」で衝撃の帰国後、「キイハンター」に出演されました。近年の放送局あがりの元女性アナウンサーでも、ここまでド派手な経歴はありませんね。千葉真一さんは、オリンピック出場有力候補の体操選手でしたが、跳馬の練習中の怪我で断念、その後「アクションスター」俳優になりました。先頃、千葉さんは最後に、今の日本のコロナ禍の私たちに、大きな「アクション」を促してくれたのかもしれませんね。心よりお悔やみ申し上げます。ありがとう…「昭和のお父さん」千葉真一さん。千葉さんも、野際さんも、非凡な素晴らしい「昭和の大スター」でしたね。大霊界の丹波さん、探検隊長、おしどり夫婦、仮面ライダーV3も出演していたドラマ「キイハンター」。このテーマ曲の作曲は、仮面ライダーなどヒーローものが多い菊池俊輔さん。ちょっとだけ「仮面ライダー」と同じ匂いがする… 昭和のアクション名作ドラマでしたね。キイハンター今回のコラムは、これで…しみゃあ!天乃「八丁」みそ汁…でした。* * *先般、2021年8月24に、ローリング・ストーンズのドラマーとして有名なミュージシャン「チャーリー・ワッツ」さんが、80歳で亡くなられました。NHKの定時の全国ニュースでも、大きく報道していましたね。次回コラムは、急きょ、彼の特集で書きたいと思います。書かずにいられません…!コラム「音路(49)につづく2021.8.26 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ 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    • 18Aug
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        音路47. ここは天国?… 夢じゃない

        映画「フィールド・オブ・ドリームス」、ムーディー・ブルース「ジェミニ・ドリーム」、ダリル・ホール「ドリームタイム」、ヴァン・ヘイレン「ドリームス」、ハート「ディーズ・ドリームス」、天地真理「虹をわたって」「水色の恋」、、トヨタ自動車CM「G's」、プロ野球、性差別と人種差別、アメリカ・メジャーリーグ、シカゴ・ホワイトソックス、シンシナティ・レッズ、ブラックソックス スキャンダル、ケビン・コスナーさん、ブルーインパルス、ロック、洋楽、昭和歌謡、歌謡曲。   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら音路(47) ここは天国? … 夢じゃない◇虹をわたって今回のコラムも、ずっとお約束しています「天使の音楽」のお話しの前に、急きょ、ある野球のイベントのお話しを書きます。その前に、前回コラム「音路(46)赤い風船~きっとまた来てくれる」につきまして…。『音路46. 赤い風船 ~ きっとまた来てくれる』浅田美代子「赤い風船」、天地真理「ひとりじゃないの」、「恋する夏の日」、「ふたりの日曜日」、「虹をわたって」、「水色の恋」、「若葉のささやき」、「想い出のセレ…ameblo.jpその本文中で、昭和歌謡の天地真理(あまち まり)さんの楽曲2曲をとりあげましたら、マリちゃん世代の方々から、たくさんのメッセージを頂戴しました。「マリちゃんパワー」健在に、たいへん驚きました。そこで、その本文中に、もう5曲を追加しました。「マリちゃんの歌声を聴くと病気が治りそう」という50歳台以上の方々…どうぞお楽しみください。その本文でも、70年代の花柄成長期の話しを書きましたが、彼女の楽曲の中にある、あのメルヘンチック(かわいらしい雰囲気)いっぱいの、未来志向の世界は、今の楽曲には、なかなかない音楽世界ですね。楽曲「虹をわたって」の中にある歌詞…♪虹をララララ わたり♪愛を胸に あなたのもとへ♪とてもきれいな 雨あがり♪あなたを想って 歩くのよ♪虹をわたって (1972年)今のコロナ禍や、毎年のような洪水被害を思う時、書けと言われれば書きますが、さすがに私も、この手のタイプのメルヘンチック(かわいらしい雰囲気)の文章を書けと言われても、なかなかその気になれません。だいたい、歳をとって、こんな青春真っ盛り、恋愛どっぷりの気持ちを忘れてしまっています。歌詞にあるような、雨上がりのすがすがしい空気の中を、ルンルン気分で、デートに出かける…、あまりにも遠い記憶で、思わず、傘を落としそうになりました。でも、今の10歳台や20歳台の、恋愛真っ盛りの世代は、コロナであろうと、オリンピックであろうと、悪天候の雨嵐であろうと、相手のもとに行きたいと思ってしまうかもしれませんね。とはいえ、それが自然のこと…。今の時代が、いかに異常かということですね。恋愛中は、虹をながめて思います。そこを渡って、いとしい恋人のもとへ…。今の私は、虹を渡って、無事に天国に行けるかな…。でも、恋することに遅すぎることはないですけどね…。私の親戚のお姉さま…、もう80年くらい、恋したまま…。おそらく恋したまま、虹を渡っていく…。◇映画「フィールド・オブ・ドリームス」さて、今回のコラムは、虹を渡っていくようなお話しです。以前のコラム「音路(40)ビッグフライの瞬間~オオタニさん、ベーブ、You Rock!」の中で、ご紹介しました、1989年の米国映画「フィールド・オブ・ドリームス」の野球の試合の再現が、先日の2021年8月12日(米国日時)に行なわれました。コロナ禍で一年延期され、米国のアイオア州で開催されたものです。その「音路(40)ビッグフライの瞬間…」の中の文章の一部を抜粋し、ここに載せておきます。* * *◇フィールド・オブ・ドリームス(略)…もうひとつだけ、大いなる「ドリーム」を…。昨年2020年に計画され、新型コロナの影響で開催が延期された、米国野球界のプロジェクト「フィールド・オブ・ドリームスの再現」です。1989年の米国映画「フィールド・オブ・ドリームス」は、野球経験者や野球ファンはもちろん、多くの人が涙した名作中の名作でしたね。特に男性には、ロマンあふれる、たまらない世界観です。まさに野球映画の最高峰といっていいと私は感じます。その映画に登場した畑の中の小さな野球場が再現され、そこに本物のメジャーリーガーが登場するそうです。予定では、2021年8月12日、シカゴ・ホワイトソックスと、ニューヨーク・ヤンキースが試合をするそうです。場所は、シカゴ近郊の田舎町です。それにしても、米国野球界はやることがビッグですね。時代を越えた、時空を越えた、壮大な演出を期待しています。現役を退いた、イチロー選手、野茂選手、松井選手も、トウモロコシ畑の中から登場してほしいですが…。映画のように、はたして私の目に、選手たちの姿が見えるのかどうか…。ベースボールも…、野球も…、なんと夢のあるスポーツなのでしょう。きっと元野球選手たち…、生まれ変わっても、野球の夢を追うのでしょうね…。プロ野球選手は、野球に生涯をかけ、ずっと夢を追っているのですから…。ヘイ、ルーキー…You Rock!映画「フィールド・オブ・ドリームス」よりField of Dreams (6/9) Movie CLIP - Doc Saves Karin (1989) HDField of Dreams movie clips: http://j.mp/1Ja20LzBUY THE MOVIE: http://amzn.to/rPcyVpDon't miss the HOTTEST NEW TRAILERS: http://bit.ly/1u2y6prCLIP DESCRIPTIO...www.youtube.com以上、ここまでが、「音路(40)」で書いた内容です。〔注〕 上記の「You Rock」の意味や、米国の大選手「ベーブ・ルース」のこと、大谷翔平選手のことは、下記コラムに書いています。コラム「「音路(40)ビッグフライの瞬間~オオタニさん、ベーブ、You Rock!」『音路40. ビッグフライの瞬間 ~ オオタニさん、ベーブ、You Rock!』クイーン「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、サーティー・セカンズ・トゥ・マース「ドゥ・オア・ダイ」、ベット・ミドラー「愛は翼にのって」、ドリス・デイ「フライ・ミー…ameblo.jp* * *この文章のとおり、先日の2021年8月12日(米国日時)に、米国のアイオア州で、この再現の試合が実際に行なわれました。私は、映画が公開された時に、この映画を観て、まず、自身の子供の頃の、父親とのキャッチボールを思い出しました。今でこそ、小学校あたりでは、サッカーのほうが野球よりも人気があります。今は、野球の経験はおろか、ルールを知らない小学生も相当にいますね。私の子供の頃は、小学校のいちクラスに50名以上の生徒がいて、私の小学校では、いち学年に18クラスありました。大きな校庭が二つ…、学校の広大な敷地内には行ったことのない場所も…。今から思うと、生徒数は「超密(ちょうみつ)!」…、でも先生の目の届かないところで自由気ままに、そして学習は自分で計画し、自分で学んでいくものという環境だった気がします。クラス内に男子だけでも25名程度はいて、そこには野球チームが2~3チームはありました。校庭では、そこら中に野球の試合会場が勝手につくられ、毎日野球ざんまいです。長島選手の守備のものまね、王選手の一本足打法のものまね…、まさに野球天国の時代でしたね。今は、サッカーに入れ替わった「感(かん)」と「観(かん)」があります。元野球少年たちの夢を乗せた映画が、この1989年の米国映画「フィールド・オブ・ドリームス」でしたね。* * *今回のこの夢の再現(実現)では、この映画内容の再現を知っているというだけでは、面白さ半分ですので、この映画の背景を少しだけ書きたいと思います。◇野球の人気低下問題この映画「フィールド・オブ・ドリームス」は、米国野球界に起きた実際の事件の内容に、ファンタジー性を持たせ、野球というスポーツの持つ素晴らしい側面を…、人間が抱く夢を…、そして親子愛を描いた内容です。今、日本に限らず、米国でも、野球人気の低下は問題視されていますね。オリンピックでも、男性と女性の両者が共通に行なえない種目は無くしていく傾向にあります。そのような種目は、今やわずかです。男性しかできないスポーツ種目は、オリンピックから いつか絶滅するでしょうね。新種目は、確実に男女ともあります。今の世界は、「性差別」「人種差別」と戦うという強い意志の中にいますね。今回の東京オリンピックからは、選手による「思想」の主張が、限定的な範囲で認められるようになりました。スポーツの世界は、時代とともに、確実に歩んでいますね。野球とソフトボールは、一見 似ていますが、その実は相当に違いますね。ソフトボールとは別に、プロの女子野球界もありますが、今のままでは女性の身体的なケガが絶えません。何とかしないといけないかもしれませんね。* * *野球は、見ているのと、実際にやってみるのとでは、その楽しさで雲泥の差があります。野球経験者には、プロでも一般の方でも、生涯忘れることのない、一球、一打、勝利の瞬間が、ほぼ確実にありますね。初めて打った変化球、初めて投げた豪速球、初めてとった三振、初めて成功させた盗塁…。忘れることのない「感動のキャッチボール」もあります。そうした「感動」や「記憶」が、生涯、野球から想いを離そうとさせません。野球の人気低下の要因はたくさんありますが、その対策として、まずは、野球から生まれる「夢」や「感動」の素晴らしさを、一般の多くの人に実感してもらうことこそが大切のようにも思います。「夢」があり、「愛」があり、「心」があり、「技」があり、「知恵」があり、「チカラ」があり、「団結」があり、「友情」があり、「挑戦」が、野球にはありますね。そして「金(マネー)」や「栄光」も…。野球から「夢」をとったら、単なる娯楽スポーツになってしまいますね。どのスポーツにも言えることではありますが、冒険心、野心、技能、ゲーム性、ビジネス面だけでは、なかなか多くの人の支持は得られない気がします。「夢」、「あこがれ」、「感動」を、いかにその中に残していくのか…、それが関係者の夢かもしれませんね。* * *下記の動画は、トヨタ自動車のCMですが、この映像のように、いつか男性のプロ野球選手を、完膚(かんぷ)なきまでに ノックアウトする女性野球選手が登場してくるのは間違いないと、私は思っています。テレビの野球中継番組も、この動画のように、野球選手の闘争心のすごさを、野球のプレイのすごさを、もっとしっかり伝えてほしい…。巨人にいたクロマティさんが…、タレントの稲村亜美さんが…イチローさんなら、運転しながら、本当にボールをキャッチできそうな気がしてくる…そんな… トヨタCMマジヤバイ!街中で野球をするトヨタのCMが凄い!あの外国人選手も出演!街中で野球をする、トヨタのG'sスポーツカーの新CMが話題となっています。600万回再生を突破したこのトヨタ野球CM動画。野球でお馴染みのシーンを、おそらく野球経験者であろう一般の人たちが演じることで、リアリティーをものすごく感じてしまいます。野球のハイライトシーンさながらに、疾走感を保ったまま、CMはクライマッ...www.youtube.comそれにしても、このCM動画の制作スタッフは、「野球愛」いっぱいの、相当な野球好きたちでしょうね。おそらく、ルンルン気分でノリノリで撮影したことでしょう。実は、本物のプロ野球選手のすごさは、このCM動画なんてものじゃありません。私は、やり方次第で、野球人気を回復させることは、十分に可能だと感じています。「野球愛」の大人たち、かつての高校球児たちが、この窮地に立ちあがったら、ものすごいはずですね。世の中で、起死回生の「大ホームラン」を かっ飛ばすことは可能だと思っています。◇ここは天国なの?さすが野球の本場の米国です。今回のこの「フィールド・オブ・ドリームス」イベントは、単なるお祭りイベントではなく、れっきとした「公式戦」です。重要な意味のある場所での、重要な試合なのです。最新の大球場にも、負けることのない球場なのです。私は、その「試合」でも、その特別な演出力に脱帽しました。* * *試合終了後すぐに、下記のような、素晴らしい出来栄えの映像が世界中に配信されるのも、さすが米国野球界です。まるで映画のような映像編集です。日本のプロ野球も、米国のメジャーリーグも大好きな私は、泣きそうになりました。さすが、スポーツ文化も、映像文化も、成熟している気がしますね。この映像を百年後の、野球ファンたちが見たら、まさに映画「フィールド・オブ・ドリームス」の続編ですね。過去の幻の名選手たちを、映画の中で見るような感覚になるでしょう。8月12日の模様Kevin Costner leads the Yankees and White Sox out of the cornfield at MLB at Field of Dreams!Kevin Costner led the Yankees and White Sox out of the cornfield for an entrance like no other.Don't forget to subscribe! https://www.youtube.com/mlbFollow u...www.youtube.comイベント冒頭にトウモロコシ畑から登場したのは、予想したとおり、映画に主演した俳優のケビン・コスナーさんです。彼が、どのような俳優で、どのような映画作品に出続けているかは、もはや書くまでもないと思います。イベント冒頭での、ケビン・コスナーさんのスピーチの中に、映画の中の台詞を引用した部分もあり、ゾクッとした瞬間でしたね。「Is this heaven?」で始まる部分です。実際の映画の、その言葉の部分を下記に書きます。映画「フィールド・オブ・ドリームス」よりField of Dreams - Playing Catch (High Quality)Ray Kinsella plays catch with his father John at the end of Field of Dreams. Starring Kevin Costner.www.youtube.com映画の内容に関しては、ここで書きませんが、この映像の3分21秒からの部分です。(野球選手)Is this heaven?(ケビン)It's...Iowa.(野球選手)Iowa?(ケビン)Yeah(野球選手)I could have sworn it was heaven.(ケビン)Is...is there a heaven?(野球選手)Oh, yeah. It's the place where dreams come true.(ケビン)Maybe this is heaven.ちょっと私なりに意訳してみました。(野球選手)ここは天国なの?(ケビン)いや、アイオアですよ。(野球選手)アイオア?(ケビン)ええ…。(野球選手)天国のはずだと思ったんだけどな…。(ケビン)天国なんて、あるのですか?(野球選手)もちろん あるさ。夢が叶う場所さ。(ケビン)それじゃあ、ここは、たぶん天国ですね。ケビンが扮した役の人物の「夢」とはいったい…?そんな映画です。今回、米国野球界は、この映画の「夢」を私たちに見せてくれたのです。◇シンシナティの「赤い靴下軍団」ここからは、この映画の背景にある、実際にあった事件について書きます。上記の映画映像の冒頭に、野球選手が登場し、「If you build it, he will come.(それをつくれば、その人はやって来る)」という台詞を残して、トウモロコシ畑に消えていきますね。この選手のモデルは、実在した野球選手です。「シカゴ・ホワイトソックス」に在籍した中心選手の、ジョゼフ・ウォーカー・ジャクソン(1887~1951)です。ニックネームは「シューレス・ジョー・ジャクソン」です。1919年の米国メジャーリーグの「ワールドシリーズ」では、シカゴ・ホワイトソックスと、シンシナティ・レッズが対戦しました。「ワールドシリーズ」とは、日本プロ野球の「日本シリーズ」と同じで、その年の両リーグがぶつかる年間優勝チームを決める、最大8試合のことです。先に5勝したチームが優勝です。この1919年は、事前予測で、圧倒的にシカゴ・ホワイトソックスが優位でした。ですが結果は、5勝3敗でシンシナティ・レッズが優勝します。* * *ちなみに、日本の野球でもそうであるように、野球の世界では、ある時から長めの靴下をはくスタイルが定着します。チーム名に、色名のついた「靴下」名を入れるようになり、当初は「ストッキング」でしたが、「ソックス」にかわり、現在に至ります。今は、「シカゴ・ホワイトソックス」、「ボストン・レッドソックス」が残っていますね。1869年に米国初のプロ野球チーム「シンシナティ・レッドストッキングス」が誕生し、その数年後に、同じ都市シンシナティに「シンシナティ・レッズ」が生まれますが、レッズは数年で消滅。その後「シンシナティ・アウトロー・レッズ」が生まれますが、これも消滅。名門「シンシナティ・レッドストッキングス」は、1876年のナショナルリーグ創設時にそのリーグに入り、名称を「シンシナティ・レッズ」に変更します。レッズは、リーグ規則に違反し除名されますが、その後復権します。もともと、古い時代は、結構 荒っぽい球団経営をする球団だったのかもしれません。後で書きます、大事件にも絡んでくる球団です。* * *この時代は、有力なオーナーたちどうしや、ナショナルリーグとアメリカンリーグによる、壮絶な球場外の闘争があったようです。今現代でも、両リーグ間の競争、各チームの本境地争奪戦がありますね。不振に陥った都市から、元気な都市に、チームの本拠地が移転したりもします。米国では、個人オーナーや、オーナー企業も、結構入れ替わりますね。* * *さて、前述しました米国初のプロ野球チーム「シンシナティ・レッドストッキングス」の最初のレギュラー選手9人を「ファースト・ナイン」と呼びます。後で、この「ファースト・ナイン」によくに似た別のフレーズをご紹介します。「ファースト・ナイン」は、1871年に、選手の一部がチームを離れ、米国東部の都市ボストンに行き、「ボストン・レッドストッキングス」がつくられます。「ボストン・レッドストッキングス」は、今の米国ナショナルリーグの「アトランタ・ブレーブス」です。ナショナルリーグ傘下のマイナーリーグであった、いちリーグが、1900年に「アメリカン・リーグ」となり、1901年にはメジャーの野球リーグとなります。その年から、米国プロ野球は、ナショナルリーグとアメリカンリーグの運営体制になります。アメリカンリーグにいたボストンのもうひとつのチーム「ボストン・アメリカンズ」が、今の「ボストン・レッドソックス」です。米国野球の古豪名門の証し「靴下軍団」名は、ボストンの街から離れることはありませんでした。* * *1998年には、「ミルウォーキー・ブルワーズ」がアメリカンリーグからナショナルリーグへ移籍、2013年には、「ヒューストン・アストロズ」がナショナルリーグからアメリカンリーグに移籍しましたね。ナショナルリーグには、指名打者制(「DH(Designated Hitter)」と呼ばれ、投手の代わりにバッター専門で選手が出る制度)がなく、アメリカンリーグは「指名打者制(DH)」を採用しています。大谷翔平選手が、渡米時に、アメリカンリーグに入っている「ロサンゼルス・エンジェルス(エンゼルス)」を選んだ理由がそこにもありましたね。ですが、今年から、大谷選手は「ナショナルリーグでもやれる」ということを、完全に証明してみせましたね。これで、大谷選手は、全米のどのチームにも移籍できますね。日本プロ野球のセリーグにも…。◇ブラックソックス・スキャンダルさて、話を 「シカゴ・ホワイトソックス」に在籍した中心選手の「シューレス・ジョー・ジャクソン」に戻します。この当時の「シカゴ・ホワイトソックス」のオーナーは、とにかくケチだったようで、選手たちは、相当に低額の年俸で働かされていた上、ユニフォ―ムの洗濯代まで選手の自腹でした。そのため白色のはずのユニフォ―ムは、いつも汚れており、ホワイトソックス(白い靴下軍団)ではなく、「ブラックソックス(黒い靴下軍団)」と、以前から揶揄(やゆ)されていました。そんな事情からかどうかはわかりませんが、ホワイトソックスの選手8人が、マフィアのギャングから金を受けとる条件で、前述の1919年の「ワールドシリーズ(シカゴ・ホワイトソックス VS. シンシナティ・レッズ)」の試合で、八百長をし、チームは負けるのです。相手チームは、前述しました、あの荒っぽい過去を持つ「シンシナティ・レッズ」です。怪しい匂いがプンプンしますね。実際には、仲介した賭博グループが金を持ち逃げし、ホワイトソックスの選手たちには金が入らなかったようです。選手たちの家族の身を脅すような手グチだったようです。ある意味、選手たちの困窮につけこんだ、暗躍集団の犯罪のようにも見えます。ただ、八百長で試合に負けた事実は残りました。ホワイトソックスは、優勝はしなくとも3勝しましたが、猛烈に打ちまくって勝っています。つまりは、やはり実力どおりであったなら、ホワイトソックスが優勝したのかもしれません。その八百長に加担した8選手のひとりが、まさに中心主力選手の「シューレス・ジョー」でした。* * *米国野球の「ワールドシリーズ」での八百長は、日本でいえば、高校生の「甲子園野球大会」の優勝決定戦で八百長をするようなこと…、大相撲の優勝決定の取り組みで八百長をするようなことに近いものですね。他のスポーツの、日常のいち試合ならともかく、絶対に許されない試合です。その国にある「神聖なもの」を冒すようなことですね。世間からどれほど非難を浴びる内容か、想像できますね。この8選手は、米国野球界から永久追放になります。本当は「ホワイトソックス」の事件なのですが、そのユニフォ―ム色も、裏取り引きの内容も、まさに黒い内容から、この事件は「ブラックソックス・スキャンダル」と呼ばれるようになります。ホワイトソックスのそのオーナーは特におとがめなし、困窮にあえいだ選手8人だけが、永久追放になったのです。そのオーナーは、いったい、どちらが勝つほうに賭けていたのでしょうか…?市民や周囲から、その8人への同情が集まり、彼らは「アンラッキー・エイト(悲運の8選手)」と呼ばれるようになります。ですが、復権はされませんでした。前述の「ファースト・ナイン」と「アンラッキー・エイト」…、似た呼び方ですが、天国と地獄ほど違いますね。* * *この時に、裁判所から出てきたシューレス・ジョーに、ファンのある子供が駆け寄り「本当のことじゃないよね、ジョー」と叫んだという、ある記者の記事が有名になり、それが後に、さらに「嘘だと言ってよ、ジョー」に脚色されます。この一連の内容は、マスコミによるまったくの捏造内容だったようです。どこの世界にも、「ブラック」はいますね…。ただ、この「嘘だと言ってよ」という、ものすごいインパクトのある感情あふれる言葉表現が、世の中で有名になり、定着し、その後のメジャーリーグ内で起きる、黒いスキャンダラスな事件の時に、この言い回しが使われるようになり、現在でも、結構見かけます。音楽界でも、この言い回しのタイトルや歌詞が結構ありますよね。いずれにしても、感情に満ちあふれた、哀愁漂う、この言葉「嘘だと言ってよ」は、素晴らしい言葉表現ですね。「嘘だろう!」「嘘つくな!」ではなく、「嘘だと言ってよ」と言われたら、心に突き刺さりますね。「嘘だと言ってよ」、「知りたくないの」、「聞きたくないの」…男性のクチからは、あまり聞かないフレーズです。女性の皆さま…、男性には「嘘でしょ」ではなく、「嘘だと言って…」のほうが効果てきめんですよ。男性に多いのは、「そんなことは言ってない」、「そんなことは言ったおぼえがない」、「そんな意味では言ってない」、「まんざら嘘でもない」など…。こんな男性フレーズでは、歌の歌詞にもなりませんね。* * *さて、このシューレス・ジョーこそが、この映画「フィールド・オブ・ドリームス」の舞台である野球場を、映画の上で、ケビン・コスナーさんが扮する人物につくらせた人物です。映画の中で、シューレス・ジョーが語った言葉「If you build it, he will come.(それをつくれば、その人はやって来る)」には、さまざまな意味が込められていますね。「he」が誰のことなのか…、どうぞ映画を見ていない方は、ぜひ一度…。◇それは畑の中から映画の中だけでなく、今回実際に、トウモロコシ畑の中に球場がつくられ、選手もファンも、大勢がこの野球場に集まってきました。まさに「フィールド・オブ・ドリームス」の実現です。映画の中では、ケビンが扮する人物がキャッチボールをする相手の野球選手は、ニューヨーク・ヤンキースのユニフォームを着ています。つまり、今回の実際の対戦は、「シカゴ・ホワイトソックス」対「ニューヨーク・ヤンキース」というわけです。当初の予定は、間違っていたら申し訳ありませんが、私の記憶では、「シカゴ・ホワイトソックス」対「シンシナティ・レッズ」だったように思います。つまり、あの事件の「ワールドシリーズ」の復活です。それはそれで、今度こそ、正真正銘の決着にはなりますが、映画とは少し違ってしまうかもしれません。昨年のイベント中止延期から、ヤンキースの「男気(おとこぎ)」を少し感じます。これからは、毎年、開催すると決まったようです。「シカゴ・ホワイトソックス」対「どこかのチーム」ということなのでしょうか。* * *今回のイベントで、ホワイトソックスとヤンキースの選手たちは、なんと映画と同じ…、トウモロコシ畑の中から登場しました。おそらく、その意味は…。今回の試合で、まさかプロの野球選手が、トウモロコシ畑の中にホームランを叩き込む光景を見れるとは思っていませんでした。草野球ならまだしも、プロ野球です。でも、きっと選手たちは思い出したはずです。少年の頃に、畑や川に、ホームランを次々に放り込んでいたことを…。* * *8月12日のこの試合は、9回表に、ヤンキースが、ジャッジ選手とスタントン選手のホームランで逆転し、9回裏に、ホワイトソックスのアンダーソン選手が、逆転サヨナラホームランを放ち、ホワイトソックスが勝利するという、とんでもない結末の試合でした。まさに野球ファンが夢見ても、そうそう起こるような内容ではありませんね。今 思うと、この試合に出ていたホワイトソックスとヤンキースの選手たちは、本当に今の時代の現役選手だったのでしょうか…?そうです…彼らはトウモロコシ畑の中からやって来たのです。1919年に、ワールドシリーズで不本意に負けていった「ホワイトソックス」の選手たちの意地が、この大逆転サヨナラ勝利を呼び込んだようにも感じてしまいます。名選手「シューレス・ジョー」が、その場にいたのかもしれませんね。まさに「夢だと言ってよ」の「フィールド・オブ・ドリームス」でしたね。私は、久しぶりに、野球の試合を見て、涙が出ました。* * *こうした内容は、日本でいえば、現役選手から戦地に向かい、太平洋戦争に散っていった、巨人の沢村栄治(さわむら えいじ)、阪神の景浦 将(かげうら まさる)を始めとする多くのプロ野球選手たちが、戻ってくるようなことですね。今の時代でも、病で去っていった選手もいます。彼らの雄姿は、多くの人たちの記憶の中に生きていますね。◇フィールド・オブ・ドリームスたしかに、今も昔も、プロスポーツ選手が、それを職業として生きていくには、「夢」や「理想」だけでは食べていけません。実際に、「ブラックソックス・スキャンダル」のような事柄もたくさん起きます。ですが、野球場から「夢」がなくなったら、それは野球場ではないのかもしれません。日本では、「グラウンドには銭が落ちている」と語った方もいましたが、私は、これからも、野球場には「夢」が落ちていてほしいと思っています。どの種目のスポーツでも、スポーツの試合会場は、いつの時代も、「フィールド・オブ・ドリームス」であってほしいと思います。◇ドリーム音楽この「音路(おんろ)」コラムは、音楽コラムですので、ここで「ドリーム」の洋楽を、映画「フィールド・オブ・ドリームス」と同じ80年代から少しだけ…。まずは、ロックバンド「ムーディー・ブルース」の1981年の楽曲「ジェミニ・ドリーム」です。このタイトルを日本語に訳せば「ふたご座の夢」。西洋でも、東洋でも、ふたご座は、仲の良い二人の人物のことですね。「Long time no see(ロング・タイム・ノー・シー:お久しぶりね)」という言葉で始まる歌です。「俺たちは、まだまだここにいるよ。二人(ミュージシャンとファンたち)の夢は、まだまだ続くよ、どこまでも」というような歌詞の、列車の出発進行のような曲です。プログレッシブ・ロックの時代からの、大ベテランロックバンド…。♪ジェミニ・ドリーム* * *次は、妖艶姉妹のロックバンド「ハート」の、1986年の楽曲「ディーズ・ドリームス」。「私のために、ろうそくを残しておいてね。あなたのことを、もっと はっきりと、この目で見たいの…。私は、暗闇にいる、針のない時計の上の女。私は夢とは別の世界を歩いていくの…。夢の中の王子様は、夢の深い霧の中へ…」というような、ちょっとゾクッと背筋が凍る歌詞内容です。♪ディーズ・ドリームス(フルバージョン)* * *次は、男性デュオ「ホール&オーツ」の、ダリル・ホールの1986年のソロ楽曲「ドリームタイム」です。もちろん、日本のあの曲よりも、こちらが先…。でも、どちらの曲も素晴らしい。ダリル・ホールは心が広い!「そこの彼女…夢の時間にばかりいないで、いいかげん目覚めなさいよ。まだそこにいる気…」というような歌詞の曲。ダリル・ホールさん…言っちゃって、言っちゃって!♪ドリームタイムDaryl Hall - Dreamtime"Dreamtime," performed by Daryl Hall from the album Three Hearts in the Happy Ending Machine. Listen to Hall & Oates on Spotify - http://smarturl.it/HaO_Sptf...www.youtube.com◇ドリームは、高く高く…洋楽の最後は、ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」の1986年の楽曲「ドリームス」。「君の涙が、君の夢をつくる。俺たちが暮らすこの世界が強くなくては、夢は生まれない。絶対に自分を見失うな。しがらみを全部捨て去って、さあ夢に向かって、飛びたつんだ! 高く、高く、もっと高く…。もっと高くだ!」。そんなような内容の、勇気凛々の猛烈な歌詞です。* * *下記の動画は、その楽曲に、コロナ禍での「ブルーインパルス」飛行の映像をあわせた、ものすごいパワー映像です。自衛隊の飛行機「ブルーインパルス」は、今の時代は戦闘機ではありません。50年代に、「F86」という当時の米国の最新戦闘機で、朝鮮戦争にも使われました。今は、戦闘機の役目を終え、「航空ショー」などのデモンストレーション飛行など、平和利用として使われています。それが、このコロナ禍という、人類とコロナとの戦いの中で、人々を勇気づける目的や、医療従事者への感謝の意味で、日本各地の大空を飛行することになりました。国どうしの戦争ではなく、人類の共通の敵と戦うための、武器を持たない戦闘機の役目となりました。自国民にコロナとの戦いで勇気を持てるように、各国で、こうしたジェット機の飛行が行なわれています。毎回、オリンピックの開会式でも、戦いや勇気の象徴として飛行しますね。今回のコロナ禍での日本各地の飛行では、予想以上の効果があり、涙する医療関係者や市民が続出しました。* * *私は個人的には、こうした超高速ジェット機を、緊急物資輸送とか、緊急医療搬送とかに、使用できないものかと昔から思っています。一般市民による宇宙旅行が開始した今、なぜ地球上で、問題を乗り越え、それが実現できないのだろうかと感じてしまいます。今、日本では新幹線での物資輸送がやっと少しだけ開始されました。新幹線は、通常、時速270~300km程度。開発中のリニア新幹線は、最高時速500km程度。旅客機は、最高時速800km程度。ブルーインパルスは、通常、時速1000km程度。かつてあったフランスの旅客機「コンコルド」は、時速2100km。今の日本の主力戦闘機「F15」は、時速3000km程度。大国の最新戦闘機は、おそらく4~5000km程度か?今後、戦闘機は宇宙を飛びます。「大陸間弾道ミサイル(ICBM)」は、速度の詳細は不明ですが、アジア東岸からアメリカ東部まで、おそらく40分程度で到達するといわれています。おそらく宇宙旅行は、時速1000km程度か…。もはや、高速飛行の世界は、核の世界と同様に、限度を越えている気がしますね。こうした高速技術が、平和利用にのみ活かされたら、どれほど世界に有効でしょう。世界の「遠い夢」かもしれません。世界は、何千年も戦国時代のまま…。それぞれの国は、それぞれの時代を生きている…。それぞれは、みな違う「夢」をみている…。「共通の夢」をみる時代が、いつか来るのかどうか…、私には わかりませんが、「共通の夢」は残しておきたいものですね。* * *いずれにしても、コロナ禍で、不安に打ちひしがれている方も多い昨今です。この平和の「青い衝撃」、ブルーインパルスの飛行映像で、スカッとしてください。ブルーインパルスを、さらに上空から見ると、なるほど、こんなふうに見えるんだ!映像には復興する熊本城の様子も出てきますが、私たちには、いずれもう一度立ち上がる時期がきますね。夢は、夢で終わらせない…、その時が来たら、さあ、高く飛ぶぞ!♪ドリームス(和訳付き)VAN HALEN - DREAMS(歌詞・和訳)Blue Impulse flight /βillyMix.Vol.195・VAN HALEN - DREAMS(歌詞・和訳)・熊本復興飛翔祭2017 復興祈念飛行。・医療従事者等に対する敬意、感謝を示すための ブルーインパルスによる飛行。www.youtube.com* * *それはそうと、こんな高速飛行映像を見ていると、私は、下手な宇宙旅行よりも、地球上での超高速遊覧飛行のほうが乗ってみたい気がします。前述の「F15」なら、東京から大阪まで10分、東京から札幌まで17分だそうですね。いったい、どんな車窓の光景なのか、どんな体感なのか…?「This is heaven. This is dream.」なのかも…。◇それは夢色今回のコラムは、冒頭に昭和歌謡の「白雪姫」、天地真理(あまち まり)さんの楽曲のことを書きました。彼女のデビュー曲は、1971年の大ヒット曲「水色の恋」です。この楽曲の中には、ある「白雪姫」が登場します。彼女は、この曲の衝撃の大ヒットの後、空前のス―パーアイドルとなり、「白雪姫」と呼ばれるようになります。多くのアイドルたちには、天(国)から地(獄)まで、波乱万丈の人生がつきものですが、当時の彼女の「白雪姫」のような美しい印象は、多くの昭和世代の脳裏に焼き付いていますね。コラムの最後は、この楽曲「水色の恋」の一節を…♪あの人に さよならを言わなかったの♪さよならは お別れの言葉だから♪あなたの姿 あなたの声は♪いつまでも 私の想い出にあなたの「白雪姫」、あなたの「白馬に乗った王子様」は誰ですか…。あこがれの野球選手、初恋の人、育ててくれた恩人、愛する家族、愛するペットたち…。お姫様も、王子様も…、きっとトウモロコシ畑の向こうから、あなたを見守っています。「さよなら」は言いません。永遠に「お別れ」はありません。それは、きっと夢じゃない…。♪水色の恋天地真理 - 水色の恋www.youtube.comそれでは、今夜はメルヘンチックに…日本中の「白雪姫」と「白馬の王子様」に…今夜も、夢の中で虹を渡って…あなたのもとに…Sweet Dreams!(いい夢見てね。それじゃあ、おやすみ!)* * *コラム「音路(48)ありがとう…昭和のお父さん」につづく2021.8.18 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら

    • 13Aug
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        音路46. 赤い風船 ~ きっとまた来てくれる

        浅田美代子「赤い風船」、天地真理「ひとりじゃないの」、「恋する夏の日」、「ふたりの日曜日」、「虹をわたって」、「水色の恋」、「若葉のささやき」、「想い出のセレナーデ」、ドラマ「時間ですよ」、逆境に立ち向かう、お盆の迎え火、コロナ禍、銭湯、昭和歌謡、歌謡曲。    今後の予定曲は最新目次に  *ブログ トップページはこちら音路(46)赤い風船 ~ きっとまた来てくれる◇立ち向かえるの?前回コラム「音路(45)あの球体の中に…(TOKYO 2020)」の文末で、次回のコラムこそ「天使」の音楽のお話ですと書いたのですが、急きょ、今回の内容を書きたいと思います。それは、アメーバブログを通じて、この音楽コラム「音路(おんろ)シリーズ」を読んでくださっています、音楽療法士の方のアメブロの記事内容に、少しショックを受けたからです。音楽療法士「りょうこ」様のブログ記事『音楽は必要?。』とにかくたくさん降る雨昨日から警報も出始め、週末にかけて、災害が起こらないことを願うばかりです。最近、ずっと考えていること。「音楽は本当に必要?」音楽療法…ameblo.jp* * *私の周囲にも、今のコロナ禍で、たいへんな苦境をむかえている音楽関係者がたくさんいます。音楽の道を離れる者、挫折して夢をあきらめる者、喪失感・挫折感から何も手につかなくなってしまう者、高額の楽器を手放す者、誰からも救済してもらえない者、こんなたいへんな時に音楽などするなと心ない暴言を受けている者…、老若男女こうした人たちが少なくありません。私も、手をかえ品をかえ、言葉をかえて、彼らを励ましています。* * *人には、放っておいても、逆境に立ち向かっていけるタイプの人がいますね。臆病の「お」の字も感じさせません。すぐに戦闘態勢に入れるのです。無鉄砲なのか、鈍感なのか、怖いもの知らずなのか、あまりにも勇猛果敢なのか…、それは、毎日ご飯を食べるように、自然な行動なのです。「余計な助けや支えなどいらないよ」くらいの人もいますね。実は、それとはまったく真逆なタイプの人たちもたくさんいます。いくら周囲が励ましても、助けても、まったく動けなくなってしまう人も少なくありません。理由などありません。良いも悪いもありません。そういうタイプなのです。先ほど書いた「無鉄砲(勇敢?)」な者たちは言うかもしれません。「何をそんなに心配するのだ。何も考えず、前に進めばいい」と。「自分の居場所…、そんなものなくなったら、また新しく作ればいい」と。不安や悲しみに打ちひしがれた彼らからしたら、それができるくらいなら、そうそう落ち込まないし、心配はしませんね。暴言を発する者は、受ける側のダメージのことを深く考えていないケースもあります。不安とは、人によって、その大きさも、内容も、質も違いますね。不安に平気で立ち向かっていける人もいれば、不安に押しつぶされそうになって、心を閉ざしてしまう人もいます。他方、立ち向かえなくとも、他人の不安を和らげ、助けてあげられる人もいます。不安で震える人たちに、温かく寄り添うことのできる人もいます。人を助けることができる特別なチカラを持っている人は、世の中にたくさんいるはずだと私は思っています。* * *私は、この音楽療法士の方のブログ記事を読んで、音楽医療や介護にたずさわる専門従事者であっても、コロナ禍で、さまざまな不安に悩んでいることを、あらためて強く感じました。まさか音楽医療のプロが、音楽の存在意義に悩まされるとは…。たしかに、専門分野だからこそ、深く迷い悩んでおられたのかもしれません。お話ししたわけではありませんが、メッセージのやり取りから、この方は、逆境にめげずに前進できるタイプの方とお見受けしています。ぜひ、音楽医療の前線に戻って、ご自身の特別なチカラを発揮し、がんばっていただきたいと思います。以前に、テレビニュースで、病院の看護師さんたちの中で、うつ病になる方が激増しているというニュースを見ました。相当な人数の離職者もいたようです。気持ちはよくわかります。何とかならないものでしょうか…。今のコロナ禍は、専門家であろうと、その道のプロであろうと、周囲から勇敢だと思われている人であろうと、多くの不安を抱いているはずですね。積極的に前に進んでいるように見える人たちではあっても、不安を抱えていない人間など いないのかもしれません。それでもコロナに立ち向かってくれている医療従事者や関連業務の方々には、エールを送り、支えていきたいものです。* * *これだけやっているのに…、目標が見つけられない…、たいへんな道がこの先にあるかもしれません。アルファ株、デルタ株、ラムダ株、カクテル治療薬、ネーザルハイフロー、感染者や自宅療養者の急激増…刻々と、コロナ関連の状況や情報は変化します。早過ぎる展開に、なかなか ついていけません。あきらめてしまう自宅療養者が増えやしないか心配でなりません。何かの「希望」、「支え」、「救い」が、早く見えてくればいいのですが…。「音楽」は、何かの支えにならないものでしょうか…。◇「赤い風船」の時代ですよさて、気分をかえて、ここからは音楽のお話しに…。私は、音楽療法士「りょうこ」さんのこのブログ記事を読んで、ある楽曲を思い出しました。1973年の、日本の大ヒット歌謡曲です。浅田美代子さんの楽曲「赤い風船」です。♪赤い風船(歌詞付き)浅田美代子 / 赤い風船1973年の歌です。浅田美代子さんの公式サイトは次のリンクです。https://www.t-poche.jp/artist/asada_miyoko/www.youtube.com1965年から1990年まで、断続的にテレビ放送されていた超人気ドラマ「時間ですよ」の中の挿入歌の一曲です。銭湯を舞台にした愉快で温かいホームドラマでしたね。私は、後にも先にも、銭湯(お風呂屋さん)が舞台のテレビドラマなど思い出せません。ちなみに、これに続く1974年からのドラマ「寺内貫太郎一家」も、墓石などを扱う石材店が舞台という、今では想像もできない設定です。「時間ですよ」の銭湯という設定に、大人も子供も、男性たちが、こぞってドラマを楽しみにしていましたね。おかみさ~ん、時間ですよ~!このフレーズとともに、男性たちがテレビの前に集まってきました。お目当ては…?♪時間ですよ「時間ですよ」のテーマ曲www.youtube.comこのドラマの脚本は、橋田壽賀子さん、向田邦子さんほか、多くの有名な方々がされました。17代の中村勘三郎さん、森光子さん、船越英二さん、堺正章さん、樹木希林(悠木千帆)さんなど、相当な人数の俳優さんが登場されました。相当な人数の歌手も登場しましたね。その中に新人歌手タレントの浅田美代子さんがいました。「ミヨちゃん(浅田美代子さん)」、「マリちゃん(天地真理さん)」ほか、多くの歌手や俳優、お笑い芸人さんが、このドラマで大出世していきましたね。まさに、70年代前半のすさまじい「マリちゃんブーム」の時代です。テレビ放送では、毎日「マリちゃん番組」がありましたね。* * *ここで、天地真理(あまち まり)さんの多数のヒット曲から2曲だけ…。まずは、1972年の3枚目のシングル「ひとりじゃないの」です。この音楽動画のマリちゃんと同じ髪型の女性が、当時そこらじゅうに…、今でも近くにいる?当時は1970年に大阪万博が終わり、世の中は、さらに華やかに大成長していく時代です。家の中に、花柄模様の家電品があふれ、テレビもカラーが増えていきました。この70年代前半に日本を席捲した独特の花柄模様は、言葉では難しくて説明できません。まるで花びらが、家の部屋の中に舞い始めた時代です。とにかくマリちゃんの音楽世界は、花びらが舞うような明るく爽快な世界観の楽曲が多かったですね。この映像は、何かの「マリちゃん番組」のひとコマのように感じますが、昔のことで思い出せません。歌詞の一節…♪二人で行くって、素敵なことね、いつまでも、どこまでも…男性たちは、もうメロメロでしたね。みなさん… ひとりじゃないよ!♪ひとりじゃないの天地真理 ひとりじゃないのwww.youtube.com次は、1973年のヒット曲「恋する夏の日」です。マリちゃんの、このアクションも大流行。当時、流行のエレキギターの音色ですね。シカゴもカーペンターズもこんな音…。テニスも大ブーム。マリちゃん系の顔立ちのアイドルは、各時代に代々誕生し、今でも「マリちゃん顔」のアイドルは健在ですね。日本の歌謡曲の歴史の中で、その時代を動かすほどの女性トップアイドルという人物は、数人程度に限られますが、彼女は確実にそのひとりでしたね。♪今年の夏は忘れない…♪恋する夏の日天地 真理 恋する夏の日(Full Chorus)今更ですが、フルコーラスで・・・www.youtube.com70年代の、こんな花柄の大成長時代は、おそらくこれから数十年は日本にはやって来ませんね。こんな曲たちが、まさかの銭湯ドラマを飾っていました。【文章追加】上記2曲を、当初紹介しましたところ、予想外に、マリちゃん世代の多くの読者の方々から、他の曲もというご意見やメッセージをたくさん頂戴しました。「マリちゃんパワー」健在には驚きましたが、メッセージを誠にありがとうございました。マリちゃんの声を聞くと、病気が治る気がするという、50歳台以上の方のご意見も結構ありました。天地真理さんは、たしかある時期に病気をされ、結構長く休業されたと記憶しています。つきましては、彼女の数々の昭和の名曲の中から、5曲を追加しておきます。お盆休みに、ゆっくりお楽しみください。そして、彼女の歌声で病気が治りますように…。がんばれ中高年!当時、このイントロパターンの歌謡曲がたくさんありましたね…。天地 真理 ふたりの日曜日 (Full Chorus)この頃の真理さんは正に ♥The・天地 真理♥前回は映画の挿入歌でした。 今回はフルコーラスで・・・「コミュニティ」も 宜しければご覧ください。https://www.youtube.com/channel/UC0o_vNV1qC470ltotJE4Xew/communitywww.youtube.comこの映像には、タイガースやショーケンも登場します。天地真理★虹をわたって★天地真理★虹をわたって★www.youtube.comファンの中でも人気曲ですね。天地真理 ☆ 若葉のささやき1973年3月21日にリリースされた、天地真理さんの6枚目のシングル曲です。5枚目のシングル「ふたりの日曜日」で惜しくも途切れてしまった連続オリコンシングルチャート1位も、この「若葉のささやき」で見事復活! 真理さん人気の凄さが窺えますね。(^^)v「第15回 日本レコード大賞編曲賞」受賞曲。この曲を高音質でお聴...www.youtube.comファンの中でも人気曲ですね。想い出のセレナーデ - 天地真理www.youtube.com1971年の大ヒット・デビュー曲。天地真理 - 水色の恋www.youtube.com* * *このドラマ「時間ですよ」からは、ヒット曲も次々に生まれましたね。挿入歌として使われたのは、♪街の灯り、♪涙から明日へ、♪昭和枯れすすき、♪天地真理さんの一連のヒット曲など…、ものすごい音楽ドラマでもありましたね。最近は、このような音楽だらけのテレビドラマは見かけません。あ、そうだ…少し前のNHKの朝ドラ「エール」が近い存在でしょうか。* * *1973年に、このドラマ「時間ですよ」の中で、屋根の上で「ミヨちゃん(浅田美代子さん)」が歌って、大ヒットしたのが、楽曲「赤い風船」です。浅田さんの歌声が、まさにピッタリはまっていましたね。今聴いても、他の歌手では、むしろ何かもの足りません。音楽は理屈じゃないですね。私は当時から現在まで、実社会で、家の瓦屋根の上で歌っている人を見たことがありません。ビートルズ、U2など、ビルの屋上で歌うミュージシャンは多数いましたが…。おそらくは、このドラマだけでしか瓦屋根の勾配の上で歌う人間を見たことがありません。さすが日本は瓦屋根の上!でも、屋根の勾配の上が、なぜか不思議に感じない…、そんな「おかみさん、時代ですよ~!」。屋根の上の♪赤い風船73'「赤い風船」 浅田美代子 堺正章 天地真理あの~子は どこーの子♪73'「赤い風船」 浅田美代子 堺正章 天地真理 みんな歌ってました。www.youtube.com◇「赤い風船」という存在この楽曲「赤い風船」は、日本の昭和歌謡らしい、素晴らしい歌詞ですね。私のような昭和生まれの親父たちには、この歌詞を聴いただけで、今でも涙が出てきそうです。こんな、たわいもない単純な玩具の「風船」に涙してしまうのは、年齢的に、たくさんの不安や挫折を乗り越え、たくさんの人たちに出逢って別れてきたせいなのかもしれません。子供時代は、赤い風船を、よく追ったものです…。私の赤い風船よ、大空高く、どこまでも…。あの時の赤い風船は、今どこに…。中高年世代には、この楽曲の歌詞にある「赤い風船」のような存在の特定の人物もいるはずですよね。* * *この楽曲「赤い風船」の作詞は、安井かずみ さんです。この歌詞の誕生の裏話を、私は知りませんが、個人的な想像では、1956年のフランス映画の小作品「赤い風船」が大きな影響を与えているのではと感じます。今、ちょうど夏休みですから、下記の映像作品を親子でご覧になってみてはいかがでしょうか。きっと、大人の目に映るものと、子供たちの目に映るものが、大きく異なるでしょう。大人からしても、自身が子供の頃だったら、今の自分の目に映るものとは違うものが見えていただろうと想像します。子供たちにとって、「風船」は、ただの たわいもない玩具ではありませんね。大人たちから見たら、たわいものない単純な玩具「風船」のはずなのに…この映像作品の「赤い風船」は生きた存在です。映像作品「赤い風船」赤い風船(1956年)赤い風船(原題:Le Ballon Rouge)フランスで1956年に公開 日本語字幕www.youtube.com◇きっとまた、来てくれる日本の多くの地域では、2021年8月13日が、お盆の「迎え火」の日ですね。あなたのところに「赤い風船」たちは戻ってきてくれるでしょうか…。きっと、あなたの心の中にも「赤い風船」がいてくれるはず…。そして、あなたも、いつか誰かの「赤い風船」になってください。* * *最後に、楽曲「赤い風船」の歌詞の一節を…♪こんな時、誰かがほら♪もうじきあの、あの人が♪来てくれる、きっとまた♪小さな夢持って…。♪あの人が、優しい♪歌 うたってくれる私は、人も、音楽も、明るい日々も、きっとまた来てくれると信じています。♪赤い風船(歌詞付き)浅田美代子 / 赤い風船1973年の歌です。浅田美代子さんの公式サイトは次のリンクです。https://www.t-poche.jp/artist/asada_miyoko/www.youtube.com* * *音楽療法士「りょうこ」様… この度のご協力に深く感謝申し上げます。そして、このコラムを病床で読んでくださっている方々…あなたの「赤い風船」はきっとやってきます。もう少しだけ、がんばってください。多くの仲間たちが風船を手に、あなたの帰りを待っていますよ。* * *コラム「音路(47)ここは天国?…夢じゃない」につづく『音路47. ここは天国?… 夢じゃない』ムーディー・ブルース「ジェミニ・ドリーム」、ダリル・ホール「ドリームタイム」、ヴァン・ヘイレン「ドリームス」、ハート「ディーズ・ドリームス」、天地真理「虹をわ…ameblo.jp2021.8.13 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.「今後の予定曲」はこちら…あの曲、あの動画は…*ブログ トップページはこちら    ケロケロネット

    • 09Aug
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        音路45. あの球体の中に…(TOKYO 2020)

        宮沢賢治「星めぐりの歌」、ドビュッシー「月の光」、デニス・デ・ヤング「デザート・ムーン」、東京オリンピック閉会式、原爆の日、核兵器禁止条約 発効、広島、長崎、TOKYO2020、クラシック音楽、ロック、洋楽    今後の予定曲は最新目次に  *ブログ トップページはこちら音路(45)あの球体の中に…(TOKYO 2020)◇8月8日だからこそ…前回コラム「音路(44)魔王のささやき ~ 投下の日」の文末で、次回のコラム内容は、魔王に続き「天使のささやき」ですと書きましたが、急きょ、今回の内容を書きたいと思います。それは、今回の東京オリンピックの閉会式の最後で、聖火が消される時の演出をテレビで見ていて、歴史好き・音楽好きのライターとしては、どうしても書きたいという衝動にかられたためです。いろいろな妄想が、私の頭の中を駆け巡ってしまいました。* * *オリンピックの開催については賛否両論真っ二つでしたが、その開催の影響はともあれ、なんとか、スポーツの祭典自体は最後の日までたどり着きました。8月8日の「閉会式」のセレモニーの最後に、聖火の消灯が行なわれましたね。星や光、宮沢賢治の詩、女優の大竹しのぶさん、ドビュッシーの「月の光」、そして聖火の消灯、そしてあの白い球体…、いったい、この不思議な世界は何を描こうとしたのでしょうか?閉会式は8月8日…。私は、前回コラム「音路(44)魔王のささやき ~ 投下の日」で、1945年8月6日に広島に原爆が投下されたこと、同年8月9日に長崎に原爆が投下されたことを書きました。8月8日は、ちょうど両日に挟まれた日ですね。東京オリンピックの各会場では、「ヒロシマ原爆の日(8月6日)」に、黙とうを行なわない決定はすでにされていました。* * *私は、個人的に、この聖火の妙な球体には、当初から何か違和感を抱いていたのですが、まさか、これは…?まさか…、この球体は「リトルボーイ」か「ファットマン」…?まさか…、炸裂からの鎮火?、炸裂の封じ込め?、時空の逆回転?まさか…、こんなかたちで、何かの思いを世界に伝えた?歴史妄想好きの私の勝手な想像かもしれませんが、日本人は、昔から、こうした二重表現が大好きな国民性がありますね。。大竹しのぶさんは、最近、原爆に関連した発言を多くされていました。最近の「黒い雨訴訟」問題に関する動きも、何年も動いてこなかったのに急に…。もし私の妄想が本当なら…なかなか やるな、日本人!でも表現が、日本人らしく、あまりにも控えめ…。こんな微妙な表現なら、日本人しか気がつかないはず…。とはいえ、当局は誰も「そうです」とは絶対に言わないはず。私の妄想のし過ぎ…かな?でも、そう想像させてくれただけでも、富士山の噴火の光景の想像よりは、ずっといい…。◇星めぐりの歌今回の聖火の消灯セレモニーでは、星や光が重要な役目を果たしていましたが、まさかこれは、何かの魂たちを描いていた…?ステージでは、女優の大竹しのぶさんと子供たちが、明治時代から昭和初期の文豪である宮沢賢治が作詞作曲した歌「星めぐりの歌」を歌いました。宮沢賢治(みやざわ けんじ)は、東北の岩手県出身で、「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」を書いた詩人・作家ですね。「雨ニモマケズ、風ニモマケズ…」で始まる詩は、知らない者がいないほどの、有名な日本の詩ですね。今や、世界にも知られています。この歌詞は、もちろんタイトルのとおり、夜空の星座たちを示した内容です。この歌詞は星のことを歌っているとはいえ、それらは何かの魂ととらえることもできますね。今回の東京オリンピックは、「東日本大震災 復興五輪」という視点にもなっていましたね。この歌の選曲には、何か鎮魂や慰霊の思いが込められたものだったのでしょうか…。震災の犠牲者たちは、星となって、夜空から、このセレモニーを見ていてくれたのかもしれませんね。♪星めぐりの歌『星めぐりの歌』 宮沢賢治 Star Circling Song 輝野和昭宮沢賢治の童話『双子の星』『銀河鉄道の夜』に登場する「星めぐりの歌」を、宮沢賢治が大好きだった交響楽風にアレンジしました。「星めぐりの歌」はなぜ作られたのか?https://www.aoshimarecords.com/teruno/star-circling-song-kenji-miyazawa/林風舎 宮沢...www.youtube.com◇月の光この「星めぐりの歌」に続いて奏でられたのは、クラシック音楽のフランス印象派音楽の代表格の作曲家であるドビュッシー(1862~1918)の楽曲「月の光」です。次回の夏季オリンピックの開催国は、ドビュッシーの出身地のフランスです。会場に流された音楽は、1974年に世界的に大ヒットした、冨田勲(とみた いさお)さんのバージョンでしたね。「印象派音楽」のことは、コラム「音路(43) 子供みたいね… シューマンちゃん(子供の情景&アンセム)」で少しだけ書きましたが、ドイツの様式美の「古典派」や、その後に誕生したオーストリアの心の「ロマン派」とはまた違った、さまざまな心のあり様を、フワッとした夢幻の中に包み込んで表現する、フランス流の優雅でアンニュイ(神秘的)な「印象派音楽」の世界とでもいえるのかもしれません。「印象派」を言葉で表現するのは難しい印象ですね。* * *ドビュッシーは、フランスの詩人ヴェルレーヌの詩集「雅(みやび)なうたげ」におさめられた「月の光」という詩が好きで、この世界観を音楽にしました。彼は、自由で、率直すぎる、恋多き男性でもあったようで、さまざまな迷いや葛藤の中で生きていました。自身の心の中にある、さまざまなモヤモヤを、モヤモヤのまま表現しようとしたのかもしれません。さらに、ドイツ、オーストリア、イタリアなどとも違う、新しい音楽世界をつくろうとしていたということもありましたね。ドイツ、オーストリア、イタリアは、かつての「神聖ローマ帝国」で、ひとつの団結勢力…、フランスはそれに加わりませんでした。当時から、この4か国は、音楽の交流はあっても、芸術対決は激しいものがありましたね。ある意味、今現代でも同じですね。ドビュッシーは、この楽曲「月の光」で、実際に月の光に映し出される、目に見える光景を音楽にしようとしたのではなく、淡く、寂しく、弱々しい月の光に、ぼんやりと映し出されるような感覚の、混沌とした迷い、むなしさ、心の葛藤、かなわぬ愛、将来の不安、そして自分自身の弱々しく不安定な心を表現しようとしたのかもしれません。* * *ヴェルレーヌの詩「月の光」の部分の和訳は、さまざまなものがありますが、本当に要点だけをザックリと書きますと、このような内容です。愛、栄光、幸せ、歌声、悲しみ、人生…、それらは月の光の中に…。静かに、悲しげに、あまりにも美しい月の光の中に…。ヴェルレーヌの「月の光」和訳* * *ドビュッシーの楽曲「月の光」を聴くと、そのとおりの世界観だと感じますね。この楽曲は正確には、ドビュッシーの楽曲「ベルガマスク組曲」の第3曲「月の光」です。前述のヴェルヌーレの「月の光」の詩の中に「ベルガマスク(イタリアのベルガモ地方の舞曲のこと)」が登場します。それにしても、この甘く切ない楽曲「月の光」を、日本人は異常なほどに好きですね…。♪月の光(ピアノ)ドビュッシー:月の光 (2019Remaster)Provided to YouTube by NexTone Inc.ドビュッシー:月の光 (2019Remaster) · 丹 千尋眠りのピアノ~月の光~Released on: 2020-01-22Auto-generated by YouTube.www.youtube.comヴェルレーヌの「月の光」の詩に登場する「リュート」とは、今現代の「ギター」に近い楽器です。昔の日本では「洋琵琶(よう びわ)」と表現しました。♪月の光(ギター)Clair de lune - Debussy (guitare)Clair de lune de Claude Debussy, arrangement pour la guitare de James Bishop-Edwards Interprété par Roxane, Paris 2016.Follow me on Instagram : https://www.i...www.youtube.com◇あの球体の中に…宮沢賢治の「星めぐりの歌」からドビュッシーの「月の光」へ…。それは、東日本大震災の鎮魂と慰霊、混沌としたコロナ禍の世界を意味しているのかもしれませんね。東北…、東京…、そしてフランスのパリへ…。「閉会式」の「聖火の消灯」の場面では、音楽と夜空のチカラで、日本からフランスへということかもしれません。* * *原爆をも思い起こさせてしまう謎の球体と聖火…。この聖火の炎は、ひょっとしたら、日本にとっては、星となった多くの震災犠牲者や原爆犠牲者への鎮魂・慰霊の「迎え火」と「送り火」でもあったのかもしれません。聖火の消灯の瞬間、私は、消された聖火を取り囲んだ球体は、「月」だと思ったのですが、実は違うのかもしれません。さまざまな思い、願い、夢の詰まった、未来への贈りものなのかもしれませんね。「TOKYO 2020」の、みんなの思い出も、あの球体の中に…。あの球体が、もう一度開けられる日は来るのでしょうか…。◇デザート・ムーン最後に、米国のロックバンド「スティックス」のボーカルだったデニス・デ・ヤングの楽曲「デザート・ムーン(砂漠の月)」を…。この歌の歌詞の最後部には、こうあります。大切な時は一瞬に過ぎ去っていく…時はどんどん先へと進んでいくんだよ。でも、そこに夢はしっかり残っているんだ。そこに夢を追う者たちがいる限り、そこに夢がある限り…。さあ、デザート・ムーンに向かって…。(和訳:天乃みそ汁)* * *被爆国の日本でオリンピックが開催された2021年、同年1月22日、「核兵器禁止条約(Treaty on Prohibition of Nuclear Weapons(TPNW)」が発効しました。署名(署名だけで法的義務はなし)国は86か国、批准(各国国会で認定し宣言済み)国は55か国です。月までほどの遠い目標ではありますが、少しずつ 少しずつ、人類の夢に向かって進んでいますね。さあ今夜は、月をながめながら、広島と長崎に思いをはせ、音楽を聴いて、夢でも見てみますか…。* * *下記の音楽動画でも、登場人物たちは、それぞれの夢に向かっていきます…♪デザート・ムーンDennis DeYoung - Desert MoonMusic video by Dennis DeYoung performing Desert Moon. (C) 2005 A&M Recordswww.youtube.comそれにしても、あの球体型の聖火キャンドル…どこかに売っていたら、欲しいな…。こんなコロナの時代に、何か希望を持てるかも…。* * *コラム「音路(46)赤い風船~きっとまた来てくれる」につづく『音路46. 赤い風船 ~ きっとまた来てくれる』浅田美代子「赤い風船」、天地真理「ひとりじゃないの」、「恋する夏の日」、「ふたりの日曜日」、「虹をわたって」、「水色の恋」、「若葉のささやき」、「想い出のセレ…ameblo.jp2021.8.9 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.「今後の予定曲」はこちら…あの曲、あの動画は…*ブログ トップページはこちら    ケロケロネット

    • 05Aug
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        音路44. 魔王のささやき ~ 投下の日

        シューベルト「魔王」、ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」、シューベルトとジョン・レノン、原爆の日、黒い雨、第六天魔王の織田信長、天使のささやき、ガンズ・アンド・ローゼズ、インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア、武田信玄、クラシック音楽、ロック、洋楽。    今後の予定曲は最新目次に  *ブログ トップページはこちら音路(44)魔王のささやき ~ 投下の日前回コラム「音路(43)子供みたいね…シューマンちゃん(子供の情景&アンセム)」に続くかたちで、今回のコラムでは、シューベルトの歌曲「魔王」と、ロックバンド「ローリング・ストーンズ」の有名な楽曲「悪魔を憐れむ歌」をとりあげます。「歴音fun(れきおん ふぁん)」は歴史コラムでもありますので、歴史ファンの方々に向けて、少しだけ日本史のお話も加えます。◇新たな試練さて、これは音楽業界の話だけではありませんが、今はどの業界も、コロナという「魔王」や「悪魔」に自由を奪われ、彼らに好き放題にされていますね。ひと言でいうと、大半の業界が暗澹(あんたん)たる状況で、今はどの業界の関係者も、不安と苦労の連続かと思います。今のコロナ禍では、コロナ禍以前には起きなかったような さまざまな問題が、目の前に、巨大な壁となって立ちふさがっていますね。巨大な壁の上で、魔王や悪魔が、何やら ささやきながら、こちらを見ながら、笑っているようにも感じます。彼らを引きずりおろしてやりたい…そんな気持ちにもなってきます。立ち直りの兆しが、少しだけ出てきた頃だったのですが、この数週間、再び爆発的なコロナ感染拡大が始まり、新たな試練の時期をむかえそうです。首都圏では、「自宅療養者」という名の、コロナ感染医療を現実には受けられない患者が、すでに数万人レベルになりました。何とも、強すぎる「魔王」や「悪魔」たちです。* * *今、くやしさ、怒り、悲しさ、むなしさが入り混じった、複雑な感情の方々も少なくないと思います。職場で、学校で、通勤で、買い物で、家庭で…、不安で不安で、いてもたってもいられないという方も少なくないでしょう。コロナの犠牲になってしまった方々のご家族におかれましては、さぞ無念かと思います。今回の東京オリンピックでも、直前に身内をコロナで失いながらも金メダルをとった外国選手がいました。人々の努力や精神力だけでは乗り越えられない巨大な壁が、まさに私たちの目の前に立ちふさがっていますね。* * *日本中の多くの人たちが、今、さまざまな喪失感の中にあることは間違いありませんね。今後、コロナ禍以前の平凡な日常の中のビジネス環境や社会環境に戻ることは、そうそう簡単ではないと思います。大きな経済的喪失はもちろん、人々の心に残った喪失感・挫折感・虚無感は、はかりしれないものがあります。そうした中で、ささやかな楽しみや喜び、希望を見つけることは、たいへんな作業です。戻ることのできない道を、目的地のないまま、前に歩かされているようにも感じてしまいます。そして、いつも、頭の片すみのどこかで、「魔王」や「悪魔」がこちらを見て笑っているように感じてしまうのです。◇天使のささやき音楽業界ひとつをとってみても、たいへんな状況です。私は、昨年、コロナ禍での各種音楽教室などの状況を調査する仕事のお手伝いをしたのですが、あまりの惨状に驚くばかりです。個人的には、飲食業や観光業と同じか、それ以上の被害ではないかと感じています。学校の中での、生徒たちの音楽活動にも深刻な影響が出ています。各地のオーケストラは、今後維持できるでしょうか…。ライブハウス、楽器店、音楽教室などの廃業数の多さにも驚きます。そして、なにより、ミュージシャンたちや、音楽を目指す若者や子供たちの、心のダメージが非常に大きいと感じます。音楽が仕事や目標ではない人には、この時期に、自宅で気分転換に音楽CDでも聴いていればいいのでしょうが、仕事や目標となると、そうはいきません。音楽は本当に「不要不急」なのか…、音楽は医療活動の中に入らないのか…、まさに、頭の中をいろいろな思いが堂々巡りしてしまいます。* * *昨年の外国での例ですが、コロナ感染し入院したプロのバイオリニストが、無事に回復し退院する時に、懸命に看護してくれた医療関係者にバイオリン演奏を披露した映像がありました。回復直後ですので、しっかりとした演奏ではありませんでしたが、疲弊しきっていた医療関係者たちは、その演奏に拍手し、涙し、次の患者のもとへ向かっていきました。音楽が、医療行為とつながっていないはずがないと、私は強く感じました。音楽を仕事としていることは、医療関係者と同じように、本人にとってだけでなく、周囲の社会にも、非常に意義のある重要なことですね。* * *このコロナ禍でも、一部には、タフなミュージシャンや音楽教室が、しっかりとがんばっておられますが、これから来る強力なコロナ危機はだいじょうぶか、本当に心配です。身体はもちろん、経済的にも、精神的にも、相当なタフさが求められることになるのかもしれません。音楽教室の中には、同業者どうしで協力したり、連携したり、励まし合っている様子も見受けられます。ひょっとしたら、業種の境を越えると、もっと助け合えるのではという気もしています。* * *音楽を生業(なりわい)としている人たちは、仕事のできる場所や機会がないと、自身の音楽のチカラを発揮することができません。生徒がいなければ、音楽教室は成り立ちません。音楽を聴いてくれる人がいて、聴いてもらえる場所がないと、ミュ―ジシャンは演奏できません。あまりの喪失感・虚無感の中からは、なかなか新しい音楽作品も生み出せません。音楽に理解のある一般の方々や、国、役所、公的機関、音楽業界の主力企業などが、彼らを支えていかないと、日本社会の中で、その重要な存在とチカラを失っていくことにもなりかねません。どんな時代であっても、人間社会の中に音楽家がいなくていいはずがありませんね。彼らは、周囲が理解し応援してあげると、それに音楽で必死に応えようとする人たちが大半です。音楽に人生を捧げる人たちも少なくありません。もはや、彼らだけで「コロナ禍から復活してこい」という状況ではないと思います。どの業界でもそうですが、危機の際に、その業界の中の一部のトップの者たちだけが生き残れば、それでいいというものでもありませんね。業界ピラミッドの底辺部が大きく広いほど、人材の層の厚い大きなピラミッドが出来上がり、大きなビジネス市場が生まれます。音楽などの芸術分野であれば、優れたアーティストや、素晴らしい作品が生まれてきますね。今は、音楽環境が縮まった状況で、新しいチカラも、なかなか生まれてこない状況です。まずは、人間社会を脅かす、コロナという魔王や悪魔たちの「ささやき」と動きを、全力で封じ込めること…。そして、復活させることのできる「天使」をどこかから連れて来ること…。多くの音楽家たちに、以前のような「天使のささやき」を奏でてもらうには、一般の私たちの「天使の支え」が欠かせないのだろうと感じます。コロナ禍以前と同じことをしていては、復活はできないのかもしれませんね。音楽業界に限らず、さまざまな業界が、今、苦境をむかえていますが、もう少し耐え忍んで、いつか来る「天使のささやき」を待っていたいと思います。* * *今回のコラムは、魔王や悪魔たちの「ささやき」に、まんまと飲み込まれないために、クラシック音楽からシューベルトの楽曲「魔王」を…、ロック音楽の分野から、ローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」を、とりあげてみたいと思います。歴史ファンの方々に向けて、少しだけ歴史のお話も加えます。◇織田信長と武田信玄本ブログ「歴音 fun(れきおん ふぁん)」は歴史コラムでもありますので、少しだけ歴史のお話しを書きます。「歴史や織田信長の話はちょっと…」という方は、小見出し「シューベルトの魔王」にお進みください。* * *日本でもっとも有名な「魔王」といえば、おそらく大勢の方は、戦国武将の織田信長と答えるかもしれませんね。日本史の中には、魔王的な暴君が何人かいました。平清盛、足利義満などもそうした人物でしょう。でも、周囲が陰で「魔王」と噂するならまだしも、自身を自ら「魔王」と呼んだ人物は、織田信長しかいないと思います。戦国時代から、「魔王」といえば「信長」ですね。ですが、言ってみれば、なりゆきで生まれた「魔王」というフレーズなのです。織田信長が「魔王」と呼ばれるようになった「いきさつ」を書きたいと思います。* * *織田信長は、身の危険のあった足利義昭を助け、「室町幕府」第15代将軍につかせます。それにより、信長は、畿内地域を掌握した後、自身に味方しない仏教勢力への攻撃を始めます。信長は、当時の最新兵器を大量に抱える、京都の日蓮宗の本能寺を自身の軍事基地として、武力での支配の拡大を行ないます。これまで公家や寺社が持っていた利権や特権も、自身のもとに集約しはじめます。すると、公家や武家、寺社など、信長に反感を持つ「反信長勢力」がどんどん増えていきます。反信長勢力は、「信長包囲網作戦」を何度か構築しようとしますが、みな失敗します。信長の武力攻撃から身を守るには、もはや最強軍団の甲斐国(山梨県)の武田信玄に頼るしかありません。信長打倒の決戦として一大「信長包囲網作戦」を実施し始めたばかりの時に、信玄は京都に向かう途中、今の名古屋の手前のあたりで、病気で亡くなってしまいます。胃癌(いがん)といわれています。信玄が亡くなる直前、信長に味方する家康は、信玄にコテンパンにやられました。家康本人が討たれなかったのが不思議なくらいです。さすが戦国時代最強の「幸運男」です。武田信玄こそが、反信長勢力の軍事行動の中心であり、彼のもとに多くの仏教勢力、公家勢力、武将たちが集結し、信長を打倒する計画でした。* * *信長は、信玄の病死後、天台宗の比叡山延暦寺、浄土真宗(一向宗)の本願寺、真言宗の高野山を攻撃、そして源氏武士たちにとって大事な臨済宗の恵林寺にまでも手を出し破壊します。大昔から存在する仏教界の大拠点を次々に攻撃するという、まさに「魔王」にしかできないような「罰あたり」にも見える所業です。日本のさまざまな権力構造を、根底からつくり直すという、信長の信念からくる行為でもありましたね。同時に信長は、次々に敵の戦国武将たちも撃破していきます。毛利元就も、上杉謙信も、信長と直接対決する前に病死し、信長には、もはや大した強敵はいなくなります。武田信玄はすでになく、甲斐国に残っていた武田家は信長に滅ぼされました。源氏のトップである足利将軍家は、実質的に大した軍事力を持っておらず、源氏の雄であった甲斐国の武田家もなくなり、もはや強力な源氏武士は見当たりません。上杉謙信も亡くなり、毛利家は代がわりしたばかり…。小田原の北条氏や、バラバラの九州勢では、信長に歯が立ちません。とはいえ、禅宗である臨済宗の拠点のひとつで、甲斐源氏の拠り所であった甲斐国の恵林寺を焼かれ、禅宗に敵意を向けた信長を、源氏を先祖とする日本中の武将たちが黙っているとは思えません。源氏武士にとって、禅宗、特に臨済宗は特別な教えです。比叡山や本願寺を攻撃するのとは、意味がまったく違いますね。一応、平氏の子孫だと名乗り、「魔王」平清盛を尊敬していた織田信長は、源氏の流れの有力武家だらけの日本で、地雷を踏んだのかもしれません。いにしえからの源平合戦を甘く見てはいけませんね。さすがに、団結した源氏勢力を敵に回すと、たいへんな目にあいます…。武田も、朝倉も、浅井も、もういない…。家康ではまだ、信長に歯が立たない…。さあ、源氏武士の誰か…立ち上がれ!そうだ…、正統派のバリバリの源氏武士のあいつが、信長のすぐ近くにいるぞ!甲斐国の恵林寺焼き討ちの二ヵ月後に、その大事件は起きます。信玄の亡霊が、京都までやって来た…?一応、信長と信玄の末期の関係性や流れは、このような内容です。最大の強敵であった信玄の死によって、信長の黄金期が一気にやって来ました。◇「天台座主沙門」信玄さて、前述の「信長包囲網作戦」を実行に移し、いよいよ武田信玄が、信長打倒に向けて進軍を開始する頃のお話です。武田信玄は、信長の強さを十分にわかっていましたので、信長を倒す「信長包囲網作戦」に相当に時間をかけ準備を行ないます。信長の宿敵である天台宗の比叡山や、大坂(大阪)の本願寺は、信玄と密接に連携し、その時を待ちます。浅井氏、朝倉氏、六角氏などの源氏系エリート武将も連携します。信玄は、信長に、ギリギリまで明確な敵意を示しません。準備が整った段階で、ある時、ビシッと最後通告(宣戦布告)を手紙で叩きつけることになります。その宣戦布告の通達文書の中で、信玄は自身のことを「天台座主沙門(てんだいざす しゃもん)」と表現しました。「天台座主」とは、天台宗の総本山である比叡山延暦寺のトップの役職名です。天皇家や摂関家、将軍家の者が就任することもあるほどの地位で、還俗(げんぞく)して将軍になった者もいる重要な地位です。「天台座主沙門(てんだいざす しゃもん)」とは、その「天台座主」に従う修行僧のことです。この手紙の場合は、言ってみれば、一番弟子、親衛隊長、軍事部門の総司令官という意味にとらえていいと思います。仏教界を代表して戦う「軍人」「軍神」「武神」という意味あいもあるかもしれません。この部分の文章の意味あいとしては、「天台宗の比叡山、ひいては仏教界はオレが守ってみせる」という信玄の決意表明です。「これからお前(信長)のところに行くから、首を洗って待ってろ」…という意味あいもあったと思います。* * *この頃の織田信長の能力であれば、信玄は十分に勝算があると思っていたと感じます。後世の人間から第三者的にみると、信長に対して、これだけの挑発文言は、相当に危険ですね。個人的には、戦闘能力という点では、信玄よりも、信長のほうが少し上だったと感じます。というよりも、戦い方に関する、時代の最先端の発想ができたのが信長といえます。最先端の音楽やファッションを好んだ信長だったからこその発想といえますね。新兵器、新戦法、連合軍思想、心理誘導作戦、専門職業軍人、ニセ情報乱発の情報戦、スパイ諜報活動、大規模土木工事作戦、陸軍と海軍の連携、防衛拠点網の構築、お手柄の廃止、高価値の名品外交、各種専門職人集め、女性の活用、神頼みではない医薬品・医療の思想、新市場構築で軍資金集め…、新しいことだらけですね。今現代の戦争形態にも通じる、近代兵法を行っていたのは信長のほうです。信玄の「戦いの思想」の時代は、終わりかけていたようにも感じます。もはや、騎馬軍団と大要塞、巧妙なワナだけ…、まして単独軍隊では、戦争に勝てない時代になっていましたね。戦争の勝因は、戦術と情報、組織力、そして発想の転換という時代になっていたのかもしれません。織田軍の人材の多様さと豊富さ、新人材が生まれやすい環境は、他の軍団では到底かなわないものだった気がします。奇しくも、今、東京オリンピックが開催されていますが、こうした国どうしのスポーツ競技の戦いでも、個別のあの選手との金メダルをかけた戦術と、相手国の選手強化総合戦略に打ち勝つための国家戦略とは、まったく別の思想ですね。信長は、基本は後者で、戦場の現場では前者でしたね。戦国時代の武将たちは、その時ばかりの「金メダル」を獲ることではなく、一族が、軍団が、「生き残る」ことのほうが優先でしたね。* * *信長は、当時、最強軍団と言われた武田騎馬軍団と、武田家の独特な山岳軍事戦術を、徹底的に調べ上げ、その弱点を探していたのは確かだと思います。信玄の心理的な弱点もわかっていたと思います。武田家内部にある人間関係の弱点も、当然探っていたはずです。信長は、敵内部にある人間関係のスキを突くのが、それはそれは絶妙でしたね。織田信長の戦い方は、とにかく、敵の軍事的・組織的・経済的・精神的な弱点を見つけ出し、そこを徹底的に突きます。武器は最新か…、その量は…、食糧備蓄は…、海戦はできるか…、城の防衛力や形態は…、戦う時に作戦におぼれすぎないか…、軍団内に悪質なライバル競争はないか…、派閥争いはないか…、主従関係にもつれはないか…、一部の者だけの優遇はないか…、一族の団結力は…、跡継ぎ問題はないか…、世代間争いはないか…、軍団の平均年齢は…、女性問題はないか…、親子問題はないか…、重大な男女のもつれはないか…、兵に肉体的な無理をさせていないか…、兵の武器使用の能力の高さは…、戦争が農繁期に影響されていないか…、その国に地勢学的な問題点はないか…、大将に健康的な問題はないか…。少しだけ列挙しましたが、これらはすべて、織田軍が優位の、武田軍の弱点です。信長は、自身の織田軍内では、これらの対策をしっかり行なっています。ただ、武田家の甲斐国は、財力、築城術、山城戦略網、馬の量産、水害対策、富士山の絶景、風林火山の旗は、万全でしたね。織田軍は、最強と言われた武田軍団を打倒した際に、ことごとく、そうした弱点を突き、まさに完全勝利といえます。どう転んでも、信玄のいない武田軍に勝利は想像できません。信長は、信玄が家臣たちに遺言で残した「もし信長と戦うことになったら、絶対に甲斐国内で戦え」にまさに反し、自身は絶対に甲斐国内には入りませんでした。甲斐国内にワナを張りめぐらせた後、信長の調略まみれの甲斐国内に、織田軍団だけを向かわせます。信玄が長生きしていたなら、絶対にそうはさせず、信玄のワナまみれの甲斐国内に、信長本人を誘い込もうとしたでしょう。甲斐国内の山岳地帯や原野なら、まだまだ武田の騎馬軍団が負けるとは思えません。実は、この信長の戦術は、すでに静岡県で、信玄のいる武田軍に対して実験済みで、神奈川県での別の武田軍の戦闘内容も、信長は十分に調査分析済みだった気がします。これで信長は、武田軍団や、信玄の心の弱点を見抜いたと私は思っています。個人的には、この時の情報と分析が、「長篠の戦い」と「甲州征伐」に活かされたと感じています。信長は、まさに恐るべき「魔王」…。この頃の両者はまさに、新時代の革命児の信長の前に、最後に立ちふさがった、威勢のいい中年プラス高齢の「親父集団」を率いた、余命少ない古株の大親分の信玄だった気がします。◇「第六天魔王」信長さてさて、話しを戻します。信玄からのその宣戦布告文書を読んだ信長は、大激怒します。信長は、信玄が「天台座主沙門(てんだいざすしゃもん)」と書いてきたため、対抗して、返書の中で、自分自身を「第六天魔王(だいろくてんまおう)」と表現しました。「第六天魔王(だいろくてんまおう)」は正確には、「第六天魔王波旬(だいろくてんまおう はじゅん)」といいます。それを略して、「魔王」、「天魔」などと表現します。「第六天(だいろくてん)」とは、欲にまみれた俗世界を意味します。人間社会にも通じる意味あいがあるとも思います。そこに君臨する支配者が「魔王」です。仏教にとって、「修行」とは「悟り」につながる非常に重要な事柄です。仏教の世界では、人間が行なう、その修行を妨げる邪悪な「魔物」こそが、この「魔王」なのです。信玄が天台宗の比叡山、仏教自体を守るというのなら、信長は「オレは第六天魔王(俗世界の王)となって、仏教の教えを忘れ、武装化し、俗まみれになった比叡山延暦寺を猛攻撃する」、「修行僧だという信玄の修行を止めてやる」という意味あいの返答を行ないます。二人とも、「勉強魔」で、相当に教養が高かったこともあり、このような問答が生まれましたね。強烈な内容のやり取りですが、知性やセンスもあって、さすが最強武将の二人です。「手紙戦争」は引き分け…。* * *私の個人的な解釈にはなりますが、信長の言う「魔王」は、「第六天(俗世界)」の支配者(魔王)であるのは間違いないのですが、信長からしたら、「正義感を持った絶対的な王」ともいえるかもしれません。「僧侶は、仏教や人間社会を守るべきはずなのに、今の僧侶たちは、その教えに背いている者たちばかりだ。オレが天誅(てんちゅう)を下す」…、「わが子(民衆)を守るためなら、時に、母は鬼にも蛇にもなる」…、信長にしてみたら、そんなことかもしれませんね?いずれにしても、徹底的な合理主義、現実主義の信長らしい思想と、迷いのない「魔王」表現ですね。* * *実は、この頃の信長には、後の、誰もが恐れる冷酷な「魔王」のイメージはまだありません。裏切りや不誠実を何度も体験し、ある頃をきっかけに、「冷酷な魔王」化していくのです。この頃はまだ、どちらかというと、やたら頭脳明晰で、やたら声のでかい、やたらダンス音楽好きの、やたら気配り上手の、やたら演出好きの、やたらリーダーシップの強い青年武将というイメージです。でも、「桶狭間の戦い」以降ですので、信長はその気になったら、やたらに怖く、無慈悲な鬼にもなるということは、周囲はわかっていたはずですね。この時期、信長が「魔王」という言葉を自身にむけて使ったということは、すでに「魔王」を肯定し、自分自身の中に、「魔王」の片鱗を感じていたのかもしれませんね。ひょっとして、魔王の「ささやき」を聞いていたのかも…。* * *「質問魔」の武田信玄は、会ったことのない、若い青年武将の信長のことを、人伝えにいろいろ聞いて、次のように言っています。(現代風意訳)あの若者は、何かよくわからん音楽を聴いて、変な衣装で踊っているらしい…新人類の妙な若者じゃな。でも、あの聡明さ、意志の強さ、細かいところまで見通す眼力、周到な備え、団体の心理や行動を自在にコントロールするチカラは、決してあなどれない。信玄にも、信長の「桶狭間の戦い」の見事すぎる作戦は詳しく伝わっていたはずですが、信玄の人間を見抜く「一隻眼(いっせきがん)」の見事さにも驚きます。信玄が、信長との戦いに慎重になったのも、よくわかります。信玄は言ったかもしれません。「あいつ、本当に魔王の生まれ変わりなのかもしれないな…」。こうして、信長、信玄、仏教、比叡山が絡んで、日本の有名な「魔王 信長」のイメージが誕生しました。信長が、単に悪逆非道の「魔王」だったと考えるのは、少し違う気がします。◇源さん(げんさん)それにしても、信玄の「天台座主沙門(てんだいざす しゃもん)」という修行僧身分の言い方では、破壊力抜群のお名前の「第六天魔王(だいろくてんまおう)」に少し負けてるかも…。だいたい…、「てんだいざしゅ…」って、言いにくい!でも、いずれ「魔王」は、源氏の別の「沙門」に退治されます。甲斐源氏でダメなら、今度は、土岐源氏(光秀)が相手だ…!もし、それでもダメだったら、次は三河源氏(家康)だ…。日本では、「源さん」こそが将軍であり、軍神!?「魔王(信長)」、「悪女(淀君)」、「マムシの娘(濃姫)」…怖いフレーズは、織田一族の独壇場…。(追)淀君…信長の妹の娘、信長の実子説も。濃姫…信長の正室、斎藤道三の娘。◇シューベルトの「魔王」そろそろ本題の音楽のお話しに…。前回コラム「音路(43)子供みたいね…シューマンちゃん(子供の情景&アンセム)」では、ロマン派音楽の作曲家シューマンの「子供の情景」のお話しを書きました。子供たちの振る舞いや、夢・心の情景を描いた音楽作品でしたね。「ロマン派音楽」の説明は、前回コラムで書きました。今回とりあげます、やはり「ロマン派音楽」の作曲家であるシューべルトの歌曲「魔王」の歌詞にも、子供が登場してきます。そして、前回コラムで書きました、現代の米国のロックバンド「トト」の楽曲「子供の凱歌(がいか)」でも使われていた音楽手法の「三連符(さんれんぷ)」を効果的に使用したのが、この楽曲「魔王」です。「魔王」の恐怖が、「三連符」手法で強烈に表現されていますね。* * *この楽曲の歌詞は、4人の人物の台詞で構成されています。ですから、ひとりの歌手が、4人の台詞を、4人の声色と歌唱で歌うことになります。場合によっては、4人の歌手が別々に、それぞれの歌詞を歌う場合もあります。歌詞内容は、ある父と息子が、嵐の中を、一頭の馬に乗り、ある場所を目指して疾走します。この父子は、ある会話をしながら突き進みます。その会話の中に、「魔王」が登場し、魔王の言葉が述べられていきます。そして、父子がたどり着いた時に…、という歌詞内容です。歌詞に登場するのは、父、息子、魔王、ナレーター(解説者)という4名です。下記は、和訳付きの音楽動画です。♪魔王(和訳付き)魔王[シューベルト版](Erlkönig)【歌詞和訳カタカナ付き】モインモイン!本日はシューベルトの歌曲、「魔王」です。「お父さん! お父さん!」が印象に残っている人も多いのでは?〈曲について〉 ゲーテが作詞したこの「魔王」という詩には、複数の作曲家が曲をつけました。中でも日本で有名なのはこのシューベルトが作曲した魔王です。シューベルトが18歳にして作曲したこの曲は、数時間とい...www.youtube.com下記は、4人の歌手とピアノ演奏です。♪魔王(4人歌手)Erlkönig - Schubert - Podium WittemanDaan Boertien & Nina van Essen (verteller)Raoul Steffani (vader)Jesse van den Hende (zoon)Jeroen de Vaal (Elfenkoning)Franz SchubertErlkönig, D.328--NTR: spe...www.youtube.com◇オレは、オーストリアのシューベルトこの楽曲は、シューベルトがなんと18歳である1815年に作曲されました。そして何度か内容が改変され、1820年に私的な夜会で初披露された後、一般に公表されます。今現代でいえば、超大ヒット歌謡曲といったところです。現代人にとっても、この楽曲は、相当に耳に残りますね。* * *シューベルトは、子供の頃、今のウィーン少年合唱団を、「声変わり」により退団した後、作曲家としての道に進みます。10歳台のうちに、なんと交響曲やミサ曲までつくります。何という才能でしょう。当時、音楽大学の例のあの有名な大先生が、「先人の大作曲家たちのマネをするな」と、またまた、ねたみ、やっかみです。一方、ベートーヴェンは、この若き音楽家の才能のすごさを語っていましたね。シューベルトのほうも、尊敬する偉大な作曲家のベートーヴェンにしっかり敬意をはらい、失礼なことはしませんでした。若きシューベルトにとって、ベートーヴェンは、越えたくても越えられない、偉大過ぎる「巨大な壁」でした。ですが、シューベルトは、ベートーヴェンのようなドイツ色の強い音楽を、あまり好みではなかったようです。やはり、ドイツ音楽とは違う、オーストリアの民族性を表現した音楽を、彼は目指したのかもしれません。彼も、音楽家にありがちな、束縛のない自由を強く求めるタイプの音楽家でしたね。「あまりにも偉大な先輩音楽家ベートーヴェンを越えることはむずかしいことだが、 オレならできるかもしれない」と、シュ―ベルトは思っていたのではないかとも感じます。「でも、オレは同じ土俵では勝負しない。得意分野で、独自の手法で越えてみせるさ…」。* * *前回コラムで、「神聖ローマ帝国」のこと、ドイツ系民族のオーストリア支配のこと、ベートーヴェンが「ロマン派音楽」の扉を開いたことなどを書きましたが、オーストリア出身のシューベルトは、モーツァルトやハイドンなどのオーストリア出身の音楽家の音楽のほうが好きだったようです。当時、同じドイツ中心の「神聖ローマ帝国」ではあっても、ドイツとオーストリアは、やはり音楽性が大きく違うといえますね。今現代でも、オーケストラの音色や演奏も大きく異なりますね。少しお堅く、暗く、荘厳なドイツ音楽よりも、自由で優雅なオーストリア音楽のほうが、シューベルトは好みだったと感じます。彼の音楽は、完全に、「オーストリアのロマン派音楽」の中にあったように感じます。◇シューベルトと、ジョン・レノン私の勝手な想像ですが、シューベルトの肖像画は、現代のミュージシャンである、あのジョン・レノンを思い起こさせます。髪型は違えど、何となく表情の雰囲気も似ています。シューベルトの数々の歌曲は、今現代の人気ポピュラーソング、ヒット歌謡曲のような存在にも感じます。今現代でも、クラシック音楽界の作曲家が、クラシック様式の音楽だけでなく、ポピュラーソングを作曲するケースがありますが、私は、シューベルトに同じような音楽家像をイメージしています。日本にも、昭和の「二刀流」音楽家、古関裕而(こせき ゆうじ)さんがいましたし、NHK大河ドラマの音楽をつくる音楽家の方々も、ポピュラーソングを作曲されますよね。古い時代の音楽様式から、最新のヒット曲様式まで、何でもこなす音楽家…、それがシューベルトだったのかもしれませんね。今現代でいえば、クラシック曲も、映画音楽も、子供向け曲も、演歌も、ロックも、ダンス曲も、そしてヒット歌謡曲も…といったところでしょうか。* * *シューベルトは、10歳台の頃から、音楽に関するさまざまな才能を開花させていた、まさに天才肌の音楽家ですね。彼は、音楽仲間を集めては、夜な夜な、音楽パーティーを開いて楽しんでいました。もともと合唱団あがりの人物ですし、音楽仲間がかなりいたようにも感じます。そうした夜会は「シューベルティアーデ」と呼ばれていました。大勢の仲間で、歌曲「魔王」を歌い、盛り上がっていたのかもしれませんね。ジョン・レノンも、自宅に音楽仲間を集めては、音楽パーティーやセッション演奏をしていたことでしょう。ジョン・レノンも、シューベルトと同じように、個性的な音楽性のヒット曲をたくさん残しましたが、私は、シューベルトとジョン・レノンが、だぶって見えてきて仕方ありません。この二人は、歌詞にも、かなり「こだわり」を持っていましたので、そうしたことも、よく似ていますね。強烈な皮肉や、思わせぶりな二重の意味のフレーズも大好きな二人でした。ひょっとして、ジョンは、シューベルトの生まれ変わり…?* * *シューベルトは、ベートーヴェンの葬儀に参列し、帰路の酒席で、こんなことを言います。(意訳)「偉大で不滅のベートーヴェンに…、そしてこの中で一番先に死ぬ者に…、献杯!」。シューベルトは、おそらく自身の病気の状況を把握しており、死の予感を感じていたことでしょう。彼は本来の病気だけでなく伝染病にもおかされ、この翌年の1828年に、仲間が近づけないまま亡くなってしまいます。シューベルトは、ずっと越えたかった偉大なベートーヴェンの死の翌年に、その後を追ってしまいました。享年31歳。◇楽曲「魔王」の歌詞さて、この楽曲「魔王」の歌詞内容の最後は、ハッピ―エンドではありません。死の淵で もがく息子に、父親は励まし続けます。息子の目の前には、魔王が何度もあらわれ、「ささやき」を続けます。まさに、むかえに来た「死神(しにがみ)」のようです。* * *こうした親から子への励ましという様子は、昔も今も、人生の中で幾度となく起きますね。何かにおびえ、何かを恐れ、何かと戦う…そんな者たちに、周囲のものは寄り添い、応援し、支えます。この楽曲の歌詞は、そんな場面や、人間の心を描いたものですね。「むなしさ」の中にも、何かを私たちに訴えてきます。* * *この詩を書いたのは、文豪ゲーテです。このゲーテの詩には、多くの音楽家が曲をつけたのですが、やはり、シューベルトが秀逸ですね。シューベルトは、自身が曲をつける詩の内容には、特に「こだわり」をもっていましたね。ゲーテ(1749~1832)の「人となり」については、ここでは書きませんが、「神聖ローマ帝国」時代のドイツのフランクフルトに生まれた、 詩人、劇作家、小説家、科学者、政治家、法律家、思想家でしたね。ベートーヴェン(1770~1827)が、クラシック音楽の「古典派」の代表なら、ゲーテはドイツ文学の「古典派」の代表です。シューベルト(1797~1828)は、古典派の影響を大きく受けた「ロマン派音楽」の代表ですね。* * *さて、世の子供たちには、一定の年齢までに、ものごとへの「怖さ」や「恐れ」を認識させることも大切なステップですね。人は、世の中に怖いものはない、恐れるものはないという、極端な「恐れ知らず」のままでは、自身の傍若無人さを抑えきれなかったり、他人を思いやる感情も育ちにくくなりますね。ある意味、恐怖心は、自身の身を守ることにもつながりますし、それを乗り越えることで「人間力」が成長していきますね。人には、若い年齢のうちに、認識しておかなければいけないことがたくさんありますね。どうしても できないこと…、やってはいけないこと…、やり過ぎないこと…、歯止めを利かすこと…、自身がすべての中心で最強ではないということ…、世の中には 恐れなければいけないものが存在すること…、「魔王」は存在し、それはいつでも、人間のすぐ近くにやって来ること…。そして、人間は、「魔王」や「悪魔」を払いのける「勇気」を持つことができること…。この楽曲の歌詞により、ゲーテは、私たちに、いろいろなことを語りかけてきますね。◇「魔王」の恐ろしさいつしか大人は、子供の頃の「恐れ」を忘れ、傍若無人に振る舞い始めます。「魔王」を見抜くチカラを失い、むしろ従ってしまう大人も出てきます。昔の人は、科学技術は知らなかったかもしれませんが、自然界に住む「魔王」、人間の中に住む「魔王」の存在を、よく知っていたのかもしれませんね。この楽曲「魔王」を、今、昔のように、日本の義務教育の現場で聴かせているのかどうかを、私は知りません。昔、日本のお寺には「地獄絵図」の本が、あたり前のように置いてあり、私も子供の頃に、怖いもの見たさで、よくその本を見たものです。そこから、「罰があたる」、「お天道様がどこからか、しっかり見ている」、「生きている時に、正しい行ないをしなかった者は地獄に落ちて、地獄でも苦しみを味わい続ける」などを、自然に身につけていったような気がします。「魔王」も、ちゃんと私たちを見ている…。* * *日本人は、「魔王」と耳にすると、日本人が抱く特有のイメージがあったり、前述した織田信長を思い起こしたりします。あまりにも恐ろしい魔王…、魔王に飲み込まれてはいけない…、魔王のささやきに従ってはいけない…、そんなことを思ったりもします。さまざまな恐怖や悪行に、慣れっこになってしまったり、無反応になってしまってはいけませんね。それこそが、魔王に飲み込まれるということかもしれません。「魔王」は、人間の心や社会にある隙間からやって来ます…。「魔王」の「ささやき」に、惑わされてはいけません…。「魔王」を近づけてはいけません…。「魔王」になってはいけません…。「魔王」は、本当に恐ろしい魔物ですね。いろいろなことを訴えかけてくる、シューベルトの名曲「魔王」です。ピアノと歌唱ではない、オーケストラと歌唱のバージョンで、もう一度…♪魔王Schubert & Goethe - Der Erlkönig (legendado)Nada melhor que juntar dois grandes artistas na mesma obra, refiro-me ao poema de Goethe unindo-se na música composta por Schubert. Pronto! Nasce uma obra pr...www.youtube.com◇悪魔を憐れむ歌さて、現代の英国のロックバンド「ローリング・ストーンズ」にも、「魔王(悪魔)のささやき」として有名な楽曲があります。楽曲「悪魔を憐れむ歌(Sympathy For The Devil)」 です。1968年に発表された、彼らの代表曲のひとつです。ロック音楽史の中の名曲のひとつともいわれていますね。当時から現在まで、彼らのコンサートでは欠かすことのない楽曲です。もう50年以上も、コンサートの度にアレンジを変え、毎回、相当に凝った演奏を聴かせてくれます。ストーンズファンの楽しみのひとつですね。* * *ボーカルのミック・ジャガーの作詞作曲ですが、曲が生まれた当初は、当時流行のフォ―クソング調の曲調だったのですが、ギターのキース・リチャーズのアイデアで、サンバ調のパーカッションを盛り込み、悪魔的・呪術的な雰囲気を全体に施しました。そうしたことで、あの有名なフレーズ「ウッフー(woo,who?)」の部分が生まれてきます。まさに悪魔的な雰囲気を、見事に表現したといえます。この独特な雰囲気が、音楽ファンの心をワシづかみにしました。今現代でも、古さを感じさせない見事な楽曲ですね。シューベルトの発想力やアイデアにも負けていませんね。彼が現代に生きていたら、同じような奇抜なアイデアを、きっと生み出したような気がします。* * *このサウンドアイデアを実現させたのは、この楽曲の独特な歌詞です。この歌詞は、すべて「悪魔」の言葉です。「悪魔」が、人間たちにむかって、これまでの世界史の中の有名な悪行の数々を自慢するのです。そして、人間たちに、こう語るのです。「お前ら、オレのことを知らないとは言わせない。オレに共感し、礼を尽くせ。オレの言葉に従わない奴は、魂を取ってやる」。「魔王 信長」の言葉かと思ってしまいました。おそらく世界史の中に、日本史の中に、同じような言葉を吐いた暴君たちはたくさんいたのだろうと思います。もちろん、この歌詞は、悪魔を礼賛するものではなく、その恐ろしさを伝える内容です。シューベルトの楽曲「魔王」に通じるものがありますね。ローリング・ストーンズらしい、いかにもロック音楽の歌詞です。この歌詞を、クラシック音楽界の声楽歌手が歌っても、おそらくは民衆に何も伝わりません。ボーカルのミック・ジャガーが、まさに悪魔に見えてくるような歌唱ですね。今年、ミック・ジャガーは、1943年生まれの、78歳。キース・リチャーズも、同年生まれの、78歳。ロン・ウッドは、1947年生まれの、74歳。チャーリー・ワッツは、1941年生まれの、80歳。まだまだ現役…この気力と体力は、まさに悪魔のような強靭さ!この悪魔たちなら、飲み込まれても、いいかな…。さまざまな和訳がありますが、下記は一例です…♪悪魔を憐れむ歌(和訳付き)THE ROLLING STONES SYMPATHY FOR THE DEVIL アラジン サンダルTHE ROLLING STONES SYMPATHY FOR THE DEVIL アラジン サンダルwww.youtube.com♪悪魔を憐れむ歌(2006年ライブ)The Rolling Stones - Sympathy For The Devil (Live) - OFFICIALWelcome to Goats Head Soup 2020. Featuring three unheard tracks, sitting alongside an all-new stereo mix of the original 1973 album, plus demos, outtakes, li...www.youtube.comなつかしい東京公演…♪悪魔を憐れむ歌(1990年 東京ドーム)The Rolling Stones - Sympathy For The Devil (Live at Tokyo Dome 1990)Song included in the DVD "From The Vault: Live At Tokyo Dome 1990" by The Rolling Stoneswww.youtube.com* * *この楽曲は、俳優のトム・クルーズやブラッド・ピットが出演した、1994年の衝撃的な内容の映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の主題歌に使われましたね。人間たちが次々に餌食になる、不死身のヴァンパイア(吸血鬼)のお話しでした。他の映画では なかなか見ることのない、トム・クルーズと、ブラッド・ピットの、ものすごい迫力の姿がありましたね。この映画の主題歌では、ローリング・ストーンズではなく、ロックバンド「ガンズ・アンド・ローゼズ」が演奏しましたが、そのバージョンも相性抜群の名演奏でしたね。実は、この楽曲カバーがもとでトラブルとなり、このバンドは空中分解します。やはり悪魔のチカラはすごい…。♪悪魔を憐れむ歌(ガンズ・アンド・ローゼズ)◇原爆投下の日先般、いわゆる「黒い雨・訴訟」と呼ばれる、戦時中の原爆被害者に対する救済に関する裁判で、国はそれまでの方針を転換し、救済の方向に動き出しました。まさに「悪魔」から「天使」への方針転換のようにも感じます。1945年8月6日は、広島に原爆が投下された日です。1945年8月9日は、長崎に原爆が投下された日です。これも「魔王」の所業でしょうか…。奇しくも、今、東京オリンピックが開催中ですが、日本が国際行事でも、気がねなく、原爆被害者への追悼や慰霊の意思表示をできる日が来ることを願っています。* * *魔王や悪魔を「憐れむ(飲み込まれ、共感し、同調する)」人たちは…、やはり、ウッフー(woo, who)!?あなたは飲み込まれてないですよね…。◇Woo, Foods!「魔王のささやき」のような楽曲「魔王」をつくったシューベルトは、実は、「天使のささやき」のような楽曲もつくっています。次回コラムでは、一転、「天使のささやき」の音楽をとりあげます。シューマンとシューベルト…、ロマン派の「ダブル・シューちゃん」の、お兄さんのほうのシューベルトに、次回もう一度、登場いただきます。さて、私は、悪魔の誘惑「シュークリーム」を食べて…、これから眠りにつこうと思いますwoo, foods(ウッフー)!* * *〔追伸〕蛙の「ケーロン君」の蛙友達「チャーリー」のご主人様のブログ記事をご紹介します。まさに虹色の素晴らしいブログ記事です。平和をかみしめながら、オリンピック中継番組を見て、麺をすすりたい…。女子ボクシングの入江聖奈 選手…やったぜ金メダルだケロ!『原爆忌』JS Bach - Sinfonia from Cantata 156 [1729] | Leo Duarte, AAM湧く雲や流れてしま…ameblo.jpコラム「音路(45)天使のささやき」につづく2021.8.5 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.「今後の予定曲」はこちら…あの曲、あの動画は…*ブログ トップページはこちら 

    • 29Jul
      • 音路43. 子供みたいね… シューマンちゃん(子供の情景&アンセム)の画像

        音路43. 子供みたいね… シューマンちゃん(子供の情景&アンセム)

        シューマン「子供の情景」「交響曲第三番 ライン」「交響曲第四番」、ハイドン「弦楽四重奏曲 第77番 皇帝」、神よ女王を守り給え(God save the Queen)、トト「子供の凱歌」、三連符のノリ、クラシック音楽の歴史、音楽の父と母、国歌対決、ベートーヴェンのペン、文豪シューマン、シューベルト、ブラームス、ロマン派音楽と古典派音楽、神聖ローマ帝国、ロック、洋楽。    今後の予定曲は最新目次に  *ブログ トップページはこちら音路(43)子供みたいね… シューマンちゃん (子供の情景&アンセム)学校が夏休みに入り、家庭や街なかで、子供たちの姿や表情を見る機会が増えましたね。東京オリンピックも始まりましたから、子供たちも、オリンピックのテレビ中継に釘付けではありませんか。普段なかなか聴くことのない、外国の国歌に興味を持ってはいませんか。今回と次回のコラムの中では、子供たちが登場する楽曲をとりあげてみたいと思います。クラシック音楽分野から、今回のコラム「音路(43)子供みたいね…」では、シューマンのピアノ曲「子供の情景」を…、次回のコラム「音路(44)悪魔のささやき」では、シューベルトの歌曲「魔王」をとりあげます。現代のロック音楽分野からも、同じテーマで人気楽曲をとりあげてみたいと思います。あわせて、「アンセム(国歌・凱歌・祝い歌…)」のお話しも書きます。* * *この「音路シリーズ」を読んでいただいている方々におかれましては、クラシック音楽を普段あまり聴かないという方もおられますので、シューマンとシューベルトという、二人の「シューさん」の楽曲のお話しを書くにあたり、彼らの時代の前後を含めたクラシック音楽の歴史の流れや、この二人が音楽史の中のどのような位置にいた音楽家だったのかを、先に、ごく簡単に書きたいと思います。◇クラシック音楽の歴史の流れ(シューマンとシューベルト)有名な音楽家であるベートーヴェンは、1770年、ドイツ生まれです。シューベルトは、1797年、オーストリア(当時は、ドイツを中心とした神聖ローマ帝国の一部)生まれです。シューマンは、1810年、ドイツ生まれです。ベートーヴェンは、シューベルトの27歳年上、シューベルトは、シューマンの13歳年上です。ベートーヴェンがお父さんなら、息子で長男のシューベルト、歳の離れた弟のシューマンといった感じでしょうか。(1)バロック音楽さて、1600年頃までのルネッサンス音楽時代の後、1700年代中頃まで、西欧では「バロック音楽」が隆盛となります。音楽家ヴィヴァルディ(1678~1741)は、後期バロック音楽の代表格ですね。ヴィヴァルディは、イタリア生まれの音楽家です。遠い古代からの芸術の中心地といえば、それはやはり、イタリアやギリシャあたりの地中海地域でしたね。建築はもちろん、絵画、彫刻、音楽、ファッションなど、ほぼ芸術の最先端は、この地域から生まれてきたといっていい気がします。かつてのローマ帝国の頃より、この地中海周辺地域が、軍事的、政治的、文化的な中心地域でしたね。時代を経る中で、政治的にも、有力勢力は、ヨーロッパの中央部に変わっていきました。ようするに、ヨーロッパ北中央部にいた、いわゆるゲルマン民族が猛烈にチカラをつけ、南下し、勢力を広げてきたともいえます。今のドイツとイタリア(ローマ教皇)を中心とする、キリスト教大帝国の「神聖ローマ帝国」は、800年から1806年まで存在します。この帝国は、いってみれば「古代ローマ帝国」がかたちを変えたものですね。最盛期は、イタリア北部・ドイツ・チェコ・ハンガリー・スイス・オランダ・ベルギー・フランス東部・ポーランド西部あたりまでを支配域にします。フランスは、「このイタリアやドイツの連合組織は、神聖でもなければ、神を守る軍団でもない、ローマ帝国でもない」と、この中に属することはありませんでした。今現代でいえば、「EU(欧州連合)」に入るだの、出ていくだのと、もめているのに似ています。音楽家バッハが生きた頃は、この帝国は縮小し、ドイツ・オーストリア・ハンガリーあたりが支配粋となり、その後は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」を経て、完全な「ドイツ帝国」となります。ドイツの野望の始まり…。ようするに、この帝国の領域こそが世界の「バロック音楽」の中心地となり、イタリア・ドイツ・オーストリアが、ヨーロッパの音楽界をリードします。著名なクラシック音楽の作曲家がこの地域から生まれてきます。優れた音楽家が生まれる環境、育つ環境、養える環境が、ヨーロッパ中央部にあったといえます。優れた音楽家は、芸術が愛される場所、自由な表現ができる場所、先人たちの古くからの芸術が存在する場所から生まれてくるのかもしれません。音楽家たちは、この領域内を何度も移動し、実力を身につけ、当初の王室おかかえ音楽家という立場から、音楽職業人として脱皮していきます。もちろん、英国、ロシア、西アジアなどにも進出し、さまざまな民族の音楽も吸収していきました。1700年代中頃までの100年間ほどで大成長した「バロック音楽」は、その音楽時代の後期には、イタリア勢からドイツ勢に、音楽の有力勢力が移行していった時代といっていいのかもしれません。* * *「バロック音楽」という呼称にある「バロック」とは、ローマのある北イタリアあたりが起源の芸術や文化の様式を指す言葉です。音楽に限らず、建築、美術、文学などにも使用される用語です。もちろん、当時はそのような用語はなく、後世の人たちが、芸術様式を指す用語としてつくり出したものです。当時の音楽家たちは、自身の音楽や、目指す音楽を、「私はバロック音楽だ」と強く意識していたわけではなかったと思います。今現代でも、音楽家自身の意識に関わらず、周囲が勝手に、あなたはクラシック音楽家だ…、ロック歌手だ…、演歌歌手だ…といっているようなものです。ヴィヴァルディさん… 生きていたらきっと言います。「オレって、後輩のバッハと同じ ”音楽分野のくくり” なの…。頼むよ…後世の人たち…」。「バロック音楽」という呼称は、かつて「神聖ローマ帝国」に入っていなかったフランスでは、別の言い方があったりもします。さすが芸術を自負する国です。いずれにしても、「バロック音楽」は、宗教的な声楽曲から器楽曲まで、いわゆるクラシック音楽が猛烈に進化した時代の音楽スタイルです。そのサウンドを聴けば、その特徴はすぐに誰でも共通のイメージを持つことになると思います。「バロック音楽」と聞いて、バッハやヴィヴァルディの音楽を、大まかにイメージされる方も非常に多いと思います。「バロック音楽」は、イタリアやドイツの「神聖ローマ帝国」で大流行した音楽には違いありませんね。クラシック音楽の歴史においては、「神聖ローマ帝国」が果たした役割は大きかったのかもしれません。フランスは…、「オレたちは、帝国も音楽も認めない」…(2)音楽の両親実は、バッハ(1685~1750)は、「バロック音楽」から、その後に来る「古典派音楽」の両スタイルの橋渡し役とでもいいますか、まさにその後のクラシック音楽に多大な影響を及ぼす存在になります。バッハは、国は違えど、同じ「神聖ローマ帝国」の領域であったイタリアのヴィヴァルディの音楽をよく研究し、その楽曲の一部を、自身でもたくさん編曲し、まさにバッハの音楽につくりかえます。音楽の授業で、バッハは「音楽の父」と教わりましたね。もう少し正確に表現すれば、「ドイツのクラシック音楽の父」ですね。でも、それは「世界のクラシック音楽の父」ともいえます。そんな偉大な音楽家のバッハですが、現代でもそうであるように、亡くなってしまうと、彼の音楽は忘れ去られてしまいます。ですが1800年代中頃にバッハの音楽は再評価され、見事に大復活し、現代に至ります。* * *一方、日本人はこういう表現が大好きのようで、父がいるのなら、「音楽の母」がヘンデル(1685~1759)です。母とはいっても、女性ではありません。バッハと同い年の男性の大音楽家で、やはりドイツ生まれです。この父と母は、まさにそれまでのバロック音楽や宗教音楽の集大成というだけでなく、音楽の新時代を切り拓いたような音楽家ですね。この二人の呼称の性別に意味はありません。17世紀から18世紀の中頃までに存在した、人間の両親のように重要で偉大な「音楽の両親」なのです。その後、多くの音楽の子供たちが生まれてきます。それじゃあ、祖父母は…、叔父さんや叔母さんは…?クラシック音楽の愛好家なら、そう聞かれて、なんとなく思い浮かぶ音楽家がいるはずですよね。(3)古典派音楽と、国歌対決さて、その音楽の子供たちが、「古典派音楽」の大作曲家たち…、「交響曲の父」と呼ばれるハイドン(1732~1809)、「神童」と呼ばれるモーツァルト(1756~1791)、「楽聖」と呼ばれるベートーヴェン(1770~1827)です。ちょうどいい感じに、誕生年がズレていますね。前述の「音楽の両親」の影響を強く受けた、18世紀中頃から19世紀前半の子供たちです。この三人の歴史的な大音楽家はみな、前述の「神聖ローマ帝国」内の、ドイツや今のオーストリアから生まれてきました。当時のオーストリアは、ドイツ系の「ハプスブルク家」のまさに帝国でしたね。バッハやヘンデルなき後も、ドイツ系の地域から、素晴らしい音楽家が続々と誕生してきて、クラシック音楽はドイツの独壇場といっていいのかもしれません。* * *当時のオーストリア(神聖ローマ帝国の一部)の国歌「神よ、皇帝フランツを守り給え(皇帝讃歌)」は、ハイドンの作曲した楽曲「弦楽四重奏曲 第77番 ”「皇帝”」の第二楽章です。ハイドンが作曲した「神聖ローマ帝国」の国歌は、後に、ドイツ国歌になります。この「神聖ローマ帝国」を象徴する楽曲を、ドイツが手放すはずがありませんね。今のオーストリア共和国国歌は、モーツァルトが作曲したという説もありますが、よくわかっていないようです。ハイドンの「弦楽四重奏曲 第77番 ”皇帝”」の第二楽章「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」…♪神よ、皇帝フランツを守り給え(皇帝讃歌)ハイドン: 弦楽四重奏曲第77番「皇帝」:第2楽章「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」[ナクソス・クラシック・キュレーション #特別編:サッカーW杯]ハイドン: 弦楽四重奏曲第77番「皇帝」:第2楽章「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」[ナクソス・クラシック・キュレーション #特別編:サッカーW杯][チャート] 癒し ☆☆☆☆☆切ない ☆☆元気 ☆☆ファンタジー ☆かわいい ☆カッコ良い ☆☆おしゃれ ☆☆ゴージャス☆☆コミカル ☆ロマンチック ☆☆☆ [人気...www.youtube.comオーストリア・ハンガリー帝国時代(1867~1918)の国歌…♪皇帝讃歌ドイツ国歌…♪ドイツの歌* * *この楽曲「神よ、皇帝フランツを守り給え(皇帝讃歌)」は、いってみればドイツ勢の象徴のような楽曲です。一方、今現在、事実上の英国国歌であり、英国とのつながりが続く多くの国々の王室歌となっています「神よ女王を守り給え(God save the Queen)」という楽曲がありますが、実はこの楽曲は、前述のドイツ勢の楽曲「神よ、皇帝フランツを守り給え(皇帝讃歌)」に、かなり影響を与えた楽曲です。つまり、イングランド勢に対して、ドイツ勢が対抗した象徴の楽曲として、この楽曲「神よ、皇帝フランツを守り給え(皇帝讃歌)」があったといえる気がします。楽曲の雰囲気も、よく似ていますね。英国国歌の「神よ女王を守り給え(God save the Queen)」の作曲者はわかっていませんが、ハイドンやベートーヴェンを始め、多くのクラシックの音楽家が編曲したり、引用したりしましたね。♪神よ女王を守り給え(God save the Queen)まさに、戦いの歴史、領土の奪い合いを行なってきたヨーロッパ地域です。民族や国の象徴であり、団結を生む国歌も、対抗しあい、くりかえし移転したりしていましたね。私たちは、今現在も、歴史の中で生きています。各国の国歌の歌詞は、日本の「君が代」も含め、どこの国も勇ましいものばかりですね。まるで戦国時代そのもの…。たしかに、世界は今も「戦国時代」そのもの…。戦場が、オリンピック会場だけであればいいのですが…。(フランス国歌とロシア国歌)今回の東京オリンピックでは、ロシアが、ドーピング問題などのペナルティで、国家としての参加を許されていません。「ロシアオリンピック委員会(ROC)」というかたちでの参加です。少しずつ緩められてきてはいますが、まだ国名、国旗、国歌の使用は許可されず、今回のオリンピックでは、国歌の代りに、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲 第1番」の使用を許可されました。テレビを通じて、実際に表彰式で何度か耳にしましたが、なかなか慣れません。初めてこの曲を聴いたのであれば、そんなものか…と思うのかもしれませんが、クラシック音楽ファンには、違和感いっぱいかもしれませんね。この楽曲は、プーチン大統領のお気に入りだそうでね。* * *今の「ロシア国歌」は、かつてのソビエト連邦国歌を復活させたものですが、かつて、ロシアは、今のフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を国歌として使用していた時期があります。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は、フランス革命歌です。かつて フランスを敵として戦争した国々には、敵であるフランスを象徴する楽曲です。「ラ・マルセイエーズ」は、歌詞を替えて、ロシア革命を象徴する歌であったこともあり、1918年まで、ロシア臨時政府とソビエト連邦の国歌でもありました。その後、ソ連の国歌は新しくつくられ、さらにソ連時代中に別の楽曲のスターリンを賛美する歌詞の楽曲に変わります。多くの人が知る、あのソ連国歌です。ソ連崩壊後に、ロシア国歌は新しくなりましたが定着せず、ソ連時代の後期の国歌の歌詞を替え、ロシア国歌として復活しました。世界の誰もが知る、あの「ロシア(ソ連)国歌」に戻りました。チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」は、「東京オリンピックの際に、国歌の代りとして使用された」と歴史には刻まれますね。私たちは、そんな歴史的瞬間の音楽にも触れています。* * *フランス国歌とロシア国歌は、何か似た雰囲気がありますし、英国国歌とドイツ国歌は、似た雰囲気を持っています。かつて激しい戦争を何度も行なった関係どうしですね。クラシック音楽において、英国、ドイツ、オーストリア、フランス、ロシア、イタリアなど、それぞれの国の音楽スタイルは、異なる特徴を有していますね。音楽でも、しっかりとライバル関係にあり、切磋琢磨しているということですね。今の日本では、各国の国歌は、国際スポーツイベントや、各国要人の招待行事程度でしか耳にしません。でも、この程度の頻度で十分なのかもしれませんね。(4)交響曲スタイル「国歌」の話しから、「古典派音楽」の話しに戻ります。ドイツ勢にとって、「古典派音楽」は、まさに世界の音楽をリードした民族の誇りともいえるのかもしれません。音楽の「三大B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)」はもちろん、ヘンデルも、ハイドンも、モーツァルトも、ドイツ民族の誇りなのかもしれません。オーストリアからすれば、ハイドンも、モーツァルトも、シューベルトも、「神聖ローマ帝国」時代とはいっても、彼らは我が国の偉大な音楽家だと言うと思いますが…。「ドイツ人とは、ちゃうで…。本当は、楽曲『神よ、皇帝フランツを守り給え(皇帝讃歌)』は、オーストリアの国歌のはずやで…」。なぜ関西弁?* * *まさに様式美を追求する「交響曲」という音楽スタイルは、はたしてドイツが生み出したもの…、オーストリアが生み出したもの…、どちらでしょう?私は、個人的には どちらでもいいですし、両国の融合の中から生まれ、猛烈な速さで完成までたどりついた音楽スタイルということで、いいように感じます。やはり音楽は、混ざり合って、新しいものが生まれてくるのかもしれません。いずれにしても、この「交響曲」という音楽スタイルは、まさに「古典派音楽」の象徴ですね。ベートーヴェンによって交響曲のスタイルは極まり、時代は「古典派音楽」から「ロマン派音楽」へと変化していきます。* * *クラシック音楽の「古典派」と「ロマン派」の違い、理論や技術的な違いのお話しは、小難し過ぎて、読者の皆さまも私も眠くなってしまいますので、ここでは書きません。学校の音楽の先生や、音楽教室の先生方に、尋ねてみてください。「私、ベートーヴェンは、顔も、髪型も、音楽も好みじゃないの…」と先生に言われたら、ネットや書物で調べてみてください。(5)ロマン派音楽「古典派音楽」から流行が移行した「ロマン派音楽」の「ロマン」とは、夢見るようなメロメロ「ロマンチック」というような意味ではありません。あくまで私の主観で、本当にザックリと書きますと、完成された究極の様式美・美の極致・音楽芸術の完成度など、かたちを求める「古典派音楽」に対し、より人間の心の内面に、感傷的に、幻想的・抒情的な自由の世界に…それが「ロマン派音楽」といえるのかもしれません。19世紀初め頃からの、「古典派音楽」から「ロマン派音楽」への時代の変化を、ひと言で表現しますと、「表面的なかたちの美しさから、人間や物事のの内面や本質へ」…そのような音楽スタイルの変化、新しい音楽スタイルの流行、音楽家たちの志向の変化といったところでしょうか。とはいえ、ロマン派音楽の様式は、自由そのものという音楽スタイルではなく、古典派から引き継いだ様式美を残していました。そして、こうした音楽の変化は、その時代の他の芸術、芸能、文化、哲学、思想、文学、政治、経済、ビジネススタイル、科学技術などに大きく影響されていました。もちろん、楽器の開発・改良からも、大きな影響を受けていたと思います。* * *この時代は、レコードやCDはまだ生まれていません。だいいち電気がありません。音楽自体をパッケージとして、大衆に販売することはできません。楽譜は販売できますが、王様でも大衆でも、生演奏を聴いてもらうのが音楽スタイルです。今回書きます、シューマンの父は出版社社長で本屋さん、母はピアノの先生で詩人です。音楽家が生まれるには、これほど良い両親の職業はありませんね。本や楽譜は読み放題、ピアノは弾き放題です。多くの詩から、豊かな感情表現や思想を身につけていけそうです。シューマンは、音楽家の才能と、文筆家の才能の両方を持っていました。* * *さて、ベートーヴェンは、「古典派音楽」の最後の巨人であり、「ロマン派音楽」への橋渡し役であった気がします。ベートーヴェンの交響曲やピアノ曲は、まさに様式美の極致にありながら、相当に内面的・抒情的ですよね。美しい自然の情景、心の微妙な「ひだ」が、激しい音楽表現の中から、ひしひしと伝わってきます。バッハが亡くなってから、わずか50年あまりで、これほど音楽が変わっていくのかと驚きます。(6)ダブル・シューちゃんベートーヴェンを尊敬してやまない、ひとりの少年が、今の「ウィーン少年合唱団」にいました。それがシューベルト(1797~1828)で、その少年は後に、ロマン派音楽の「歌曲王」になります。今現代でいえば、合唱団で歌手をしていた歌好き少年が、歌詞のある歌謡曲の名作者になったということですね。音楽の中に、より身近な歌詞や、より「物語性(ストーリー性)」が入り込んできます。歌詞は、それまでのような宗教色の強いものばかりではありません。歌詞で、人間の内面や深層心理を掘り下げていきます。次回コラムでご紹介します歌曲「魔王」は宗教歌ではありませんが、歌詞に、思想や哲学の色あいがたくさん入っています。何しろ、この「魔王」の歌詞は、文豪ゲーテの詩の一部なのです。今現代でいえば、その歌曲「魔王」は、シューベルトの超ビッグヒット曲なのです。次回コラムで書きます。* * *シューベルトの歌曲のピアノ伴奏をしていたのが、シューマン(1810~1856)です。シューマンは、モーツァルトの音楽でも、ベートーヴェンの音楽でも、すぐに吸収していく天才肌の音楽家で、さまざまな音楽スタイルの楽曲をつくりました。彼は、文章の執筆能力も高く、その文章表現は見事です。さすが出版業・本屋に生まれた息子です。彼は、音楽評論家でもありましたが、これはいいと感じたら、才能ある素晴らしい若手音楽家を、忖度(そんたく)なしに、どんどん紹介していきました。そんな中に、ブラームス、ショパン、パガニーニなどがいました。いつの時代もそうですが、いくら才能ある若者がいても、引き上げる大人がいなければ、彼らは世に出てきませんね。* * *ベートーヴェンやシューベルトが道筋をつくった「ロマン派音楽」は、シューマンなどの才能ある音楽家たちが受け継いでいくことになります。ですが、彼は、ある時期から精神的・身体的に病いとなり、46歳の若さで亡くなります。もし、もう少し長生きしていたら、相当な数のロマン派音楽の名曲を残しただろうと思います。(7)ブラームスショパンは、当初、世の中から低評価を受けた音楽家でしたが、シューマンは大絶賛しています。また、シューマンがその才能を惚れ込んだのが、ブラームス(1833~1897)です。ブラームスは、シューマンを尊敬しており、シューマンの終末期の病状を支えました。ブラームスは、崇拝するベートーヴェンの古典派音楽の様式美と、尊敬するシューマンのロマン派音楽の抒情美を、あわせもった音楽をつくります。それは「新古典派」と呼ばれました。言い換えると、江戸時代の「古典落語」と、昭和時代の「新作落語」のいいとこどりをして、令和時代に新しい「落語」をつくり出すようなことです。若い世代には、むしろ わかりにくいかな…。* * *ちなみに、ブラームスは、シューマンの病気療養中の頃から、シューマンの妻のクララ・シューマンのことを愛しはじめますが、彼女が未亡人となってから、ブラームスとクララは結婚することはありませんでした。クララのほうが、ブラームスよりも14歳年上です。実は、ブラームスは、クララよりも先に、シューマンとクララの間の娘の三女のほうに恋をしていましたが、見事にふられます。ブラームスは、生涯独身でしたが、「恋多き男性」であったのかもしれませんね。* * *亡くなってしまうシューマンと、妻のクララの最後の会話の言葉が、一応 残っています。そのシューマンの言葉がなんと…、「僕は知っているよ」です。えっ、いったい何を…!?私の勝手な想像ですが、本当はこの後に、何か言葉があったとも感じます。例えば、「私が死んだ後は、ブラームスのところに行っていいよ」とか なんとか…。あえて、その部分を、誰かが消し去ったのかもしれません。シューマンの死後、クララはブラームスの元には行かず、夫のシューマンが残した多くの作品の整理作業を行うことになります。* * *ブラームスは、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンの「ロマン派音楽」の特徴をしっかり受け継いでいきます。ブラームスは、ドイツ「三大B」の三つ目の「B」です。「ロマン派音楽」は、抒情的で、内面的な心理が非常に含まれていたりするため、その音楽表現でも、かなり抑揚のある激しい音楽部分があったり、それに相対するような、あまりにもロマンチックな音楽部分があったり、物語のようなストーリー性があったり、まさに風景や情景を思い起こさせるような表現があったりします。言うなら、古典派とロマン派は、「ザ・ドイツ音楽」の世界…。ここまでのお話しの中に、ドイツの「三大B」である、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスが登場してきましたね。まさにドイツ音楽は、クラシック音楽の王道の一本であるのは確かです。モーツァルトは、今のオーストリアのザルツブルク出身ですが、当時は「神聖ローマ帝国」という、ほぼドイツ領の一部です。シューベルトも、ハイドンも、モーツァルトと同じです。「三大B」はもちろん、シューマン、ヘンデル、ワーグナーも、ドイツの生まれです。どいつもこいつも、ドイツかよ…。(8)印象派音楽これに対して、後にフランスから生まれてくるのが、「ザ・ドイツ音楽」の「古典派・ロマン派」のガチガチ・ギトギト・メロメロではない、さらりとしたやさしい「アンニュイ」な雰囲気の音楽世界…、でも美しさと深さ、抒情性をしっかり兼ね備えている音楽…、ドビュッシー(1862~1918)を代表とする「印象派音楽」です。言うなら、こちらは「ザ・フランス音楽」の世界…。「荘厳さ」に「優雅さ」で対抗するようなこと…?「大教会や堅牢な城」に「ド派手な大宮殿」で対抗するようなこと…?フランスでは、ラヴェル(1875~1937)が「ドビュッシーより、オレのほうが先だ…」と言っていましたね。ラヴェルは、スペインに近い場所のフランス生まれですので、その作品に「スペイン色」も相当に入っていましたね。それはそれで、古典派の印象も残している「印象派音楽」でもありました。それにしても、ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア…、面白い音楽ライバル関係です。ロシアは、この少し後に登場…。イギリスとアメリカは、ずっと後に、ものすごい音楽スタイルを引っさげて登場してきますね。* * *クラシック音楽の歴史の流れは、今現代のポピュラー音楽と同様に、地域性や、その時代の人間心理や政治文化の流れなどに影響されながら、音楽家どうしが刺激しあって、音楽どうしが融合し、どんどん進化していきましたね。ザックリと、クラシック音楽の歴史のほんの一部だけを書きました。そんな音楽史の中での、シューマンとシューベルト… ロマン派の「ダブル・シューちゃん」です。今回と次回のコラムでは、物語性と情景がいっぱい詰まったドイツの「ロマン派音楽」の代表格、シューマンのピアノ曲「子供の情景」と、シューベルトの歌曲「魔王」をとりあげます。◇文豪シューマンさて、シューマンは音楽家であると同時に、すぐれた文筆家であったと前述しました。若手音楽家を見抜く才能もあり、彼らを世に出す行為もしています。ですから、子供たちの教育に音楽を使うことにも積極的でした。子供たちのピアノ練習用の楽曲もたくさん残しています。ですが、楽曲「子供の情景」は、子供たちのピアノ練習用につくられた楽曲ではありません。* * *シューマンのピアノ曲「子供の情景」は、彼が、まだ病気になる前の、1837年から1838年につくられた楽曲です。彼の年齢でいえば、27~28歳です。1837年は、シューマンがクララと結婚した年です。シューマンは、裕福なおぼっちゃま育ちで、女性遍歴が結構あり、それまでに婚約破棄の過去もあり、私生活では少しグダグダな面もあったようです。酒好きでもありました。音楽家だけではありませんが、今も昔も、男性には時折ある話しです。彼の病気の発端は、自由奔放で乱れた私生活の時期が原因であった可能性もあるようです。クララの実家は、二人の恋愛に大反対で、とにかく別れさせるように動きます。実は、当時は、ピアニストであったクララのほうが、シューマンよりも高名であったようです。かわいい人気女性ピアニストにつきまとう、無名の若手男性音楽家… お金持ちのクララの実家からすれば、心配になるのもよくわかります。シューマンは、とにかく売れっ子音楽家となって生活を安定させ、実家に認めてもらうように努力しますが、クララの実家の父親とは訴訟合戦にまで発展し、クララの父親を裁判で敗訴にまで追いやり、ドロ沼はさらに深くなっていき、シューマンは精神的にもまいっていきます。さらに、思うような音楽収入も得られません。シューマンは、肉体的にも、精神的にも、病気が相当に重いところまで進行してしまい、ライン川に入水自殺未遂をするまでになります。その時は、命はとりとめます。当時の音楽家たちは、壮絶な生涯が多いですが、シューマンは特に激しい一生でしたね。* * *シューマンとクララは、幼い頃からそれぞれ日記をこまめに書いており、結婚により、二人の日記を、ひとつにしたそうです。私は、日記の経験がまったくないので、よくわかりませんが、別々の人間の二つの日記の融合とは、よくあることなのでしょうか。このエピソードは、すぐれた文筆家による、クララの実家への、何かこれ見よがしの美談に見えなくもないですが…。ひょっとしたら、本当に、それほど「ラブラブ」だったのかもしれません。ちなみにシューマンは、「日記魔」であると同時に、「家計簿魔」でもあったようです。細か… コマカマン!* * *シューマンの美談といえば、こんな、でき過ぎたお話しもあります。シューマンが、尊敬してやまない、ベートーヴェンとシューベルトのお墓参りに行った際に、ベートーヴェンのお墓の前で、偶然にペンを拾ったというのです。このペンのおかげで、シューマンは、自身の「交響曲第1番」を1841年に書き上げることができたというのです。あたかも、「ベートーヴェンの第九交響曲につぐ交響曲は、私がつくった。私は選ばれたのだ。」と言わんばかりのお話しです。もしも、自身の楽曲の宣伝文句のような意味あいであれば、ビジネス的には相当によくできた内容ですね。感動的な文章表現が、非常に上手かったシューマンですから、何か、でき過ぎのエピソードに感じなくもありません。「おぼっちゃま」育ちで、調子のいい義理の息子の、こういう言動を嫌う、どこかの義理の父親も世の中にはいるかもしれませんね。でも、シューマンには、こうした文章表現に、特に「悪気(わるぎ)」や「悪意」はなかったのかもしれません。「普通のことだよ…、カッコいい音楽表現と同じさ」…。◇シューマンを聴いて、奮い立て!さて、シューマンは、病気になり、比較的 若く亡くなったこともあり、作曲した交響曲の数は4曲しかありません。ですが、どれも見事な作品ばかりで、私は個人的に、ベートーヴェンの交響曲と同じくらいシューマンの交響曲が好きです。二人とも、練って練って、熟考して、これでもかと熟考しまくって、ひとつの作品をつくるタイプの音楽家でした。見事な完成度の交響曲たちです。モーツァルトとは正反対の作曲の仕方ですね。シューマンの交響曲は、その派手さと華麗さ、イケイケの「おぼっちゃま」ぶりと「カッコつけ」では、ベートーヴェンを上回る(?)ような気もします。ベートーヴェンの「これでもか」という猛烈で壮大なパワーや「しつこさ」もすばらしいですが、シューマンの潔い「カッコつけ」も、私は大好きです。私は、何か勇気をふり絞ることが必要な場面の前に、シューマンの交響曲たちを聴くことが少なくありません。まさに、いろいろなパワーを与えてくれる交響曲たちです。* * *下記の「交響曲第3番」の呼称の「ライン」とは、「LINE(ライン)」のことではなく、ヨーロッパの大河「ライン川」のことです。シューマンは、雄大な雰囲気の第二楽章に、副題として「ライン川の朝」というタイトルをつけていたため、この第3番に「ライン」という名称が後世に付きました。第二楽章からは、まさにライン川の雄大な流れの情景を想像できます。第四楽章は、ドイツのケルン大聖堂の情景を描いたものともいわれています。* * *実は、第4番のほうが先に完成していたのですが、やはり「3番」で勝負したかったため、この曲「ライン」のほうが第3番になります。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の存在に憧れたものでしょう。「3番こそが英雄」説は、この頃から…?ベートーヴェンの交響曲の番号も、完成順ではなく、ベートーヴェン自身の強い「こだわり」から順番が決まりましたね。ドイツ人がつくった交響曲は、番号も非常に大事です。たしかに中途半端な番号を、自信作には、つけたくないですよね…。ドイツの音楽家は、作品数も番号も、壮大さも、めっぽう こだわる…?まさに、常識破りの自由奔放なシューマンらしい、音楽の新手法が満載の交響曲で、プロの作曲家はお手本にしないでねといわれる交響曲です。教科書どおりにつくっていては、プロは名作を残せない…?三拍子による、奮い立つ躍動感がたまらない…。現代人には、ビンビンとその躍動感が伝わってきます。♪シューマンの交響曲第3番「ライン」シューマン 交響曲第三番 - サヴァリシュ ドレスデン国立歌劇場管弦楽団シューマン 交響曲第三番 「ライン」ヴォルフガング・サヴァリシュ / ドレスデン国立歌劇場管弦楽団1972/9 ルカ教会SLS 867 英国盤第一 0:02第二 8:54第三 15:35第四 21:03第五 27:54www.youtube.com第4番のほうが好きという人も少なくありません。第三~四楽章を聴いて、さあ苦境に立ち向かえ!きっとシューマンも、自身の交響曲で、時に迷い弱気になる自分自身を、奮い立たせたであろうと思います。♪シューマンの交響曲第4番シューマン交響曲第四番 サヴァリシュ / ドレスデン国立管弦楽団シューマン交響曲第四番 ウォルフガング・サヴァリシュ / ドレスデン国立管弦楽団1972/9 ルカ教会 SLS 867 英国盤第一 0:00第二 10:18 (12:10 傷音)第三 14:30第四 19:52www.youtube.com◇子供みたいね…音楽で さまざまな「情景」を描くのが好きなシューマンだったと思います。先ほど、シューマンのピアノ曲「子供の情景」は、彼が、まだ病気になる前の、1837年から1838年につくられた楽曲だと書きました。彼の年齢でいえば、27~28歳です。1837年は、シューマンがクララと結婚した年ですから、ラブラブの時期ですね。クララがシューマンを見て発した言葉「あなた、子供みたいね」が、この楽曲の創作の発端といわれています。シューマンいわく、この「子供の情景」は、あくまで大人たちから見た、子供たちの振る舞いや言葉、彼らの心の情景を描いた楽曲なのです。* * *シューマンは、子供たち用のピアノ練習曲もたくさんつくっていますが、この「子供の情景」は、子供に聴かせたり、学習させるための楽曲では、本来ありません。30曲のピアノの小曲をつくり、その中から12曲を選び、そこにさらに1曲を加えて、全13曲による「子供の情景」という、大人たちに聴かせるための、ピアノ曲作品に仕上げました。この13曲の中で、「トロイメライ」(ドイツ語の「夢」の意味の言葉)は特に有名で、今現代でも盛んに演奏されますね。でも、この楽曲は、大人たちだけでなく、多くの子供たちの心もとらえることになりました。そりゃあ…子供である自分たちのことを歌った楽曲だと言われたら、子供たちは興味津々ですね。まさに、大人も子供も、「そうそう、子供って…こんな感じ」と感じさせる楽曲です。* * *同時期のロマン派音楽の作曲家でピアニストのリスト(1811~1886)は、シューマンの友人でもあり、彼はシューマンにこんな言葉を伝えます。(若干意訳)「この曲のおかげで、わが家は大喜びです。娘からは、週に2~3回、ピアノで この楽曲を弾いてみてと言われます。この曲は、娘を夢中にさせているだけでなく、それ以上に私もこの曲のとりこなのです。私は、しばしば、娘の希望で、その第一曲を20回も弾かされて、ちっとも先を弾かせてもらえません」。こうした内容は、今現代でも、ピアノ演奏家の「家庭あるある」かもしれませんね。この記録文章からはリストの娘さんが、「子供の情景」の第一曲を大好きだったことがわかりますね。この娘とは、後にワーグナーの妻となる、コジマ・ワーグナーのことかもしれません。◇子供の情景( Scenes from Childhood )この「子供の情景」という楽曲は、前述しましたとおり、大人から見た子供たちの風景であり、子供たちの心の情景を表現しています。「子供たちって、こんな風でしょ…」というシューマンの言葉が聞こえてきそうです。その楽曲からは、「大人から見た子供たちって、こんなことを考え、こんな夢を抱いているように見えるよね」というようにも聴こえてきます。でも実は、「子供みたいね…」と妻のクララに言われたシューマンが、自分自身の姿や心の情景を表現した音楽なのかもしれません。彼が、彼自身を思い、表現し、彼自身に向けたメッセージだったのかもしれませんね。本当は、「子供の情景」とは、心のおもむくままに行動するシューマン自身の「私の情景」だったのかもしれません。* * *下記の音楽動画は、ソニー音楽財団が、この楽曲「子供の情景」全13曲にあわせて、子供向けにつくった音楽動画です。映像は、紙芝居の物語で構成されており、主人公は二頭の子ヤギです。その映像物語では、子ヤギたちが、朝に目覚め、森に向かって冒険の旅に出ていきます。旅の中で、たくさんの種類の動物たちと出会います。さあ、どんな結末が待っているでしょう。楽曲「子供の情景」の音楽にあわせた、子ヤギたちの冒険が始まります。ここで、その音楽動画のとおり、13曲の「小見出し」タイトルを並べてみます。1.見知らぬ国から2.不思議なお話し3.おにごっこ4.おねだり5.満足6.大きな出来事7.トロイメライ(夢)8.暖炉のそばで9.木馬の騎士10.むきになって11.怖がらせ12.眠る子供13.詩人は語る前述の、リストの娘が大好きだった「第一曲」が、順番通りの「見知らぬ国から」なのかは、よくわかりません。また、最後に加えられた曲が、どの曲なのかも、わかっていません。シューマンも、この音楽動画のような一日を過ごしていた…?シューマンが、こんな穏やかな毎日と人生であったなら、よかったのですが…。最後の「詩人は語る」は、なにか非常に意味深のようにも感じます。詩人とは誰のことなのか…。何かの「思い出」なのか…、何かの郷愁なのか…、いったいどんな内容の「語り」なのか…?ひょっとして、「子供たちは、いいかげん、早く寝ろ…」という語りだったりして…。子供たちみんな… いい夢 見てね!* * *下記の音楽動画には「4~6才向け」と表記されていますが、あくまで映像の紙芝居の対象年齢であって、音楽の対象年齢には限定はありません。この音楽動画を見ていると、シューマンが描こうとしたもの、表現しようとした「心」や「夢」の情景が、何となく見えてくるような気がしてきます。どうぞ、親子で…、ひとりで…、情景動画をご覧ください。♪子供の情景聴く紙芝居 見る音楽『子供の情景』【4~6才向け】聴く紙芝居 見る音楽『子供の情景』【4~6才向け】企画・出演:西野智也(ピアノ)、黄色いもみじ(イラストレーター)<企画概要>ドイツの作曲家シューマンの代表作である『子供の情景』をウィーンの至宝であるベーゼンドルファーの80年前に製造されたヴィンテージピアノで演奏します。その音楽にイラストレーター《黄色いもみじ》...www.youtube.com◇子供の凱歌さて、ここからは、現代のロック音楽分野の楽曲「子供の凱歌(がいか)」について書きたいと思います。米国のロックバンド「トト(TOTO)」は、もともと、有名なミュージシャンたちをバックで支えていたスタジオ・ミュージシャンたちが集まってできたバンドです。ですから、各楽器の演奏力が頭抜けて高いミュージシャンたちでした。そんな彼らがデビューし、初めて世に出した音楽アルバム(レコード)が、ファースト・アルバム「宇宙の騎士」です。そのアルバムの一曲目が、ボーカル歌唱のないインストルメンタルの楽曲「子供の凱歌( Child's Anthem )」です。まさに、スゴ腕たちにもかかわらず、それまで子供扱いされていたスタジオ・ミュージシャンたちが、ヒット曲を引っさげて、凱旋してきたような意味あいなのかもしれません。これ以降の彼らの大活躍を考えると、まさに、それまでの音楽界の裏側での さまざまな戦いに打ち勝って、彼らが表舞台に凱旋してきたようにも感じます。* * *「Anthem(アンセム)」とは、何かを称える音楽、忠誠や献身を示す音楽を意味する言葉です。この用語は、国歌・讃歌・讃美歌・祝歌・応援歌・聖歌などの名称に使われたりしますね。「凱歌(がいか)」とは、戦いに勝利し栄光とともに帰還するときの称賛の音楽のことですので、この楽曲の日本語訳タイトルは最適だと感じます。今や、ロックバンド「クイーン」の楽曲「伝説のチャンピオン」も、「アンセム(凱歌)」の楽曲と呼んでいいのかもしれませんね。ちなみに、バンド名の「トト(TOTO)」という名称は、「オズの魔法使い」の少女ドロシーちゃんに寄り添う犬のワンちゃんの名前「トト」から来ています。多くのスター・ミュージシャンたちをサポートしていた、スタジオ・ミュージシャンたちの名前にふさわしいですね。♪子供の凱歌(TOTO)TOTO / Child's Anthemwww.youtube.com* * *実は、この楽曲は、クラシック音楽界のミュージシャンによるカバーも多い楽曲です。数十年後、さらに編曲され、クラシック(スタンダード)音楽分野の中の一曲になっているかもしれませんね。シューマンの「子供の情景」、シューベルトの「魔王」の後に、トトの「子供の凱歌」ということもあるかもしれません。♪子供の凱歌(ロック・ミーツ・クラシック)Intro - Childs AnthemIntro - Child's Anthem "Rock meets Classic 2010", Frankfurt - Jahrhunderthallewww.youtube.com♪子供の凱歌(石川綾子)♪子供の凱歌(デイヴィッド・ギャレット)◇三連符のノリこの楽曲「子供の凱歌」は、音楽手法である「三連符(さんれんぷ)」を巧みに使った、凝ったプロ好みのサウンドの楽曲でした。まさに、トトの、卓越した演奏力を示すために、デビューのファースト・アルバムの一曲目に持ってきたのかもしれません。「どうよ…、僕たちの音楽の力量とセンス…」とでも言っているような楽曲です。この凝った作曲手法と演奏の難しさが、ロック音楽界だけでなく、クラシック音楽界のミュージシャンたちの評価を得たのかもしれません。音楽手法のひとつである「三連符」を駆使できることは、まさに、スゴ腕ミュージシャンの証し…。これ以降のトトの楽曲も、凝った作曲手法、アイデアにあふれた さまざまな音楽手法、しっかりとした音楽理論、卓越した演奏技能が満載になります。楽曲「子供の凱歌」は、「子供たちによる凱旋」なのではなく、「高度専門技能を持つ音楽集団の凱旋」と言えるのかもしれませんね。でも、よくよく考えてみると、世の中の子供たちはすべて、ある意味、大人になってから、世の中に「凱旋」してくるのかもしれませんね。* * *「三連符」の手法は、クラシック音楽でも、ポピュラー音楽でも多用される音楽手法のひとつで、それにより、その楽曲の雰囲気を一変させることもできますね。手法の理論的な説明は、音楽教室の先生などに聞くか、今はネット上に、たくさんの方々が、独自に工夫した「三連符」説明動画を載せていますので、それを見てみてください。本当に、いろいろな説明の仕方があって、とても楽しめますよ。* * *実は、理屈は理解できても、その音楽手法を、作曲や演奏で使いこなすには、結構な習得期間が必要になります。中途半端な演奏技能ですと、演奏がグダグダになってしまいます。やっかいな問題は、楽器ごとに、その習得方法が異なることです。ピアノなどの鍵盤楽器、ドラムなどの打楽器、バイオリンなどの弦楽器、ギターなどの弦楽器、サックスなどの管楽器、もちろん声の歌唱…、みな習得方法、練習方法が異なります。ですが、こうした楽器の違いがあるからこそ、さまざまな魅力ある音楽が生まれてきますね。「三連符」を自在に正確に操れるようになったら、もはや素人の音楽家・演奏者の域ではないのかもしれません。今は、ネット上に、それぞれの楽器ごとに「三連符」の練習方法を説明した動画があったりします。便利な時代ですね。* * *「三連符」の手法で作編曲したら、急に魅力的な楽曲に大変身するということも、少なくありませんね。音楽家が、個性的で独特の疾走感のあるリズムやノリ、何か鬼気迫るような迫力ある音楽をつくりたい時にも、この「三連符」手法を使うことがあります。前述のトトの楽曲「子供の凱歌」も、勝利と凱旋の「凱歌」という迫力を出すために、この手法を使いましたね。クラシック音楽の作曲家シューベルトも、有名な歌曲「魔王」で、この手法を使っています。次回コラム「音路(44)悪魔のささやき」では、三連符で迫ってくる「魔王」について書きたいと思います。さて…、ひょっとして、子供たちが遊ぶ時のリズムって… 大人たちの意表を突いた、ノリのいい「三連符」?本日 7月29日は、シューマンちゃんの命日。シューマンちゃん… 見っけ!* * *コラム「音路(44)魔王のささやき~投下の日」につづく2021.7.29 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.「今後の予定曲」はこちら…あの曲、あの動画は…*ブログ トップページはこちら

    • 21Jul
      • 音路42. 愛の迷走【2】手にするのも、手放すのも、あなた…(愛も、幸せも、陽炎も、栄光も)の画像

        音路42. 愛の迷走【2】手にするのも、手放すのも、あなた…(愛も、幸せも、陽炎も、栄光も)

        シャーリーン「愛はかげろうのように」、エンニオ・モリコーネ「映画 ザ・ミッション・メインテーマ」、東京オリンピック、マチュピチュ、ナスカの地上絵、ペルー、逃げ水、陽炎とかげろう、アンデス文明、米子松陰高校、洋楽。    今後の予定曲は最新目次に  *ブログ トップページはこちら音路(42)愛の迷走【2】手にするのも、手放すのも、あなた…(愛も、幸せも、陽炎も、栄光も)前回コラム「愛の迷走【1】愛に生きる女 ~ 灯台の灯り」から「愛の迷走シリーズ」がスタートしました。今回は、第二回として、「愛」や「幸せ」を探し求める女性のことを歌った楽曲をご紹介します。その前に少し、今 話題の内容を…。◇当事者意識と、本当の姿2021年7月23日の東京オリンピックの開会式が近づいてきました。コラム本題を書く前に、直近に起きた、オリンピック絡みの「音楽」や「映像」に関連したお話しなどを書きたいと思います。音楽コラムの執筆者としては、書かずにいられない内容です。* * *まずは、オリンピックの開会式等の音楽部門のトップで、急転直下、辞任した あの男性人物に関してですが、音楽業界やマスコミの一部では以前から疑問視され、話題にあがっていた内容ですが、この数日の間に世界中の人が、その内容を知ることになりました。作者の言動とその創作作品の関係については、別ものと考える事例も時にはありますが、さすがに、今回の内容については、30年近く前の話しではあっても、経過年数に関わらず、相当な内容の話しだと思います。これは、世界中に伝わった際に、ほぼ例外なく許容できるものではないでしょう。差別・暴力・陰湿ないじめ などは、オリンピックでも重要なテーマのひとつですもう少し早い時期に発覚していたら、世界的な開催ボイコット運動につながっていたかもしれません。組織委員会は、このまま目をつむって逃げ切ろうとしましたが、さすがに日本政府が強力な口調でストップをかけました。外国のマスコミが、どんどん東京に入ってきており、このままでは、大きな国際問題になった可能性が高いでしょう。日本政府は、今回の件は、早くしっかり対応したと思います。ダメージには、スピード対応が命ですね。彼の音楽作品が、オリンピック・セレモニーで使用されることはないはずです。日本の音楽界へのダメージも回避できたのかもしれません。前回の東京オリンピックの音楽担当者であった音楽家の古関裕而(こせき ゆうじ)さんは、天国で嘆いておられるでしょうね。今回の問題の張本人もずっと気にしていたようですが、音楽家である前に、人間でなければなりません。彼に再起のチャンスがあるのかどうか… 私にはわかりません。彼次第かもしれません。* * *もうひとつ別の件です。日本を代表する企業のトヨタは、今回のオリンピックの大スポンサー企業の一社ですが、オリンピック期間中に用意した新CM(応援用?)の国内放送をすべて封印すると発表しました。放送したら、企業にとって、大きなダメージになるという判断です。ようするに、日本国民の中にこれだけ多数の開催反対者がいる中で、オリンピックを応援賛美する内容のCMを流すことは、企業にとって多大な影響を及ぼすということですね。ある意味、日本を応援することよりも、自社の生き残りを優先したとも考えられます。もともと、トヨタという企業は、CM提供する放送番組内容をしっかりチェックし、問題があれば提供を中止する企業ではあります。ある意味、放送業界の倫理観や思想・行動を、視聴率に関係なく、自社の目線ではあっても、チェックする役割を果たしているともいえます。自社にとって必要のない広告は、ばっさり中止し、別の方向に向かう企業でもありますね。今回のオリンピックは、スポンサー企業にとって、見返りが不透明な部分もあり、企業の規模や立ち位置、影響力、消費者ターゲット層などによって、各社の判断は分かれるはずですが、私は、トヨタであれば、今回の判断は正しいと感じます。今、世界は自動車分野で大戦争の最中にありますが、こうした、しっかりとした意識を持ち、判断を行うトヨタであれば、きっと生き残ってくれると感じます。世の中には、昔から、トヨタ社の自動車を好きにならない、一定数の自動車ユーザーがいます。トヨタは、それでも、地道に、王道で、彼らにアプローチしているように感じます。今回、トヨタは、コロナ危機の中であっても、「信頼」という金メダルを勝ち獲りにいったのかもしれません。トヨタに限らず、大企業ではこれに続くことも考えられますね。東京オリンピック後は、さまざまな分野で、訴訟問題が勃発するように思えてなりません。* * *さらに、こんなニュースも話題になっていますね。鳥取県の高校野球予選の際に、米子松陰高校(よなごしょういん こうこう)の学校関係者にコロナ陽性者が出ました。野球部員はすべて陰性で、濃厚接触者もゼロであるのに、野球部が予選に出場できず、不戦敗になりました。詳しくは書きませんが、その高校の校長は、試合当日の時間ギリギリまで、野球部が出場できるよう、見事に尽力します。ですが案の定、お役所である地元保健所と、地元の高野連は突っぱねます。結局、野球部は出場できず、不戦敗となりました。そして、野球部の主将が嘆きのツイートをすると、市民がそれに反応し、鳥取県知事も動きます。それを知った吉村大阪府知事の「権力者の皆さま…」のツイートも、相当に大きな影響を与えた可能性があります。吉村知事の発信力は、今や、相当な影響力ですね。聞いたところによると、地元ではない大元の高野連と朝日新聞社が何かの行動をとったようです。地元の権力者だけでは、物事は動かなかったかもしれません。不戦敗が、突如「出場・試合実施」となりました。やはり、重要な箇所で、的確ですぐれた判断機能が働くと、物事はいい方向に向かうということかもしれません。世の中がよく見えている、教育的にも、すぐれた対応処置だったと感じます。地元高野連も、対戦相手校も、すぐに了解してくれたようです。おそらく、他の県の高校野球の予選でも、他のスポーツ系の部活動の大会でも、音楽部などの文科系の部活動でも、同様のケースが多くあると思います。意識の高さ、粘り強い行動、的確な情報分析と判断、権力との上手な戦い方…、この鳥取県の例は、良い参考になると感じます。それでもダメなら、大人たちは、子供たちをしっかりフォローしてあげてほしいですね。部活動の子供たちも、周辺の大人たちも、最後まであきらめず、がんばれ!コロナ禍の今の状況下では、いろいろな人間の、「かげろう(幻想)」ではない、「本当の姿」が見えてくるものですね。◇あなたのミッションいよいよ本日21日から、オリンピック競技が始まります。1964年の東京オリンピックから 57年、夏のオリンピックが日本にやって来ました… 実に長かった。今回の大会は、特に、オリンピックに出場する選手も、大会運営に関わる職員やボランティアの方も、さまざまな不安や迷いの中での戦いとなりますね。まるで、戦場の最前線に向かう兵士たちであるかのようにも見えてきます。あなた方の挑戦や仕事は、日本の歴史に、世界の歴史に残るものです。そこに立っているだけでも、素晴らしいことです。後々、自分自身が後悔することのないよう、自分が自分自身に課した「ミッション(使命・任務)」を、全力で果たしてほしいと願っています。迷いを捨て、結果を恐れず、自分自身のためにチカラを出し尽くしてください。あなた方の挑戦や仕事を、「偉大なもの」「美しいもの」として、自身の記憶に、そして世界の歴史に残してください。今、この時、この音楽を贈ります。エンニオ・モリコーネが残した、偉大で美しい音楽です。1986年の映画「ミッション」のテーマ曲…♪ザ・ミッション・メインテーマEnnio Morricone - The Mission Main Theme (Morricone Conducts Morricone)Ennio Morricone - The Mission Main Theme (Morricone Conducts Morricone)www.youtube.comオリンピックとパラリンピックが、最後まで無事に完走できるのか非常に心配ではありますが、私は、日本国民のひとりとして、東京都民のひとりとして、静かに、でも熱く、見守りたいと思います。◇愛はかげろうのようにさて、本題の音楽のお話しを始めます。洋楽「愛はかげろうのように(I've Never Been to Me)」が、1976年に初めて世に出て以来、多くの女性歌手に歌われています。1976年から78年にかけて、短期間に、多くの歌手によってレコード化されたのは、おそらく最も適した歌唱表現が何かを、レコード会社が模索した可能性もありますね。どの歌唱バージョンも、そこそこ評価は得たものの、ランキング上位に入るようなことはありませんでした。女性歌手シャーリーンの歌唱バージョンにいたっては、この1977年時に、ビルボード最高順位97位です。この順位では、ほとんどの音楽ファンの耳に届いていないとっていいですね。それが、突如、1982年に大ブレイクします。世界各国で、ヒットチャート・ランキングのトップクラスとなります。それも、多くの歌手のバージョンがある中で、シャーリーンの歌唱バージョンだけが再評価されるのです。いったい何が起きたのでしょう…。私にもよくわかりませんが、言えるとしたら、1970年代後半と、1982年の間で、世の中の何かが変わったのかもしれません。特に、女性たちの意識が変わったのかもしれません。たしかに、70年代から80年代へは、世の中が大きく変化した記憶があります。時代が音楽に追いついたのかもしれませんし、この楽曲の歌詞が認められる時代がやって来たのかもしれません。重要なことは、この楽曲が、多くの女性たちの心を、突如つかんだということですね。まさに、「かげろう」のようなぼんやりとしていた楽曲が、急に目の前に鮮明にあらわれたような印象を持ちます。* * *他の歌手たちのバージョンも、音楽的に素晴らしいものが多いですが、サウンドや歌手の個性が際立ちすぎて、聴く人たちの心に、この独特な内容の歌詞が入ってきにくくなってしまったのかもしれません。やはり、シャーリーンのバージョンが、音楽スタイルの好みを越えて、歌詞の内容が、私たちの心にもっとも響いたのかもしれませんね。楽曲途中のあのダメ押しのような強烈な台詞も、効果満点だった気がします。日本人にも、おそらくはシャーリーンのバージョンが、もっとも受け入れられやすいと感じます。* * *この楽曲は、さまざまな国で、翻訳されたり、歌詞を替えたりして、それぞれの国の言語で歌われ、現在も多くの歌手が歌っていますね。中には、男性バージョンの歌詞を替え、男性歌手が歌っていますが、個人的には、そちらはどうも…。日本では、この哀愁のある美しいメロディのため、この楽曲を結婚式や卒業関連行事で流すことが多くありました。この歌詞内容なのに…と、私は少し微妙な気持ちにもなりましたが、英語の歌詞ですし、そこは雰囲気づくりということですね。今でもそうですが、結婚式で、時折、この歌詞内容の外国語曲はだいじょうぶなのかと思うことがありますが、たいてい結婚する本人たちは歌詞内容を知りません。日本語曲でもそうですが、別れの曲、失恋の曲を、結構 平気で流していますね。いや~な予感は、時折、当たります…。ようするに、前述のオリンピックの当局ではないですが、結婚も、意識と気配りの問題ですね。* * *私は、歌詞といい、メロディといい、この楽曲「愛はかげろうのように」は、女性のためにある楽曲だと感じます。もし、この楽曲について、女子会トークが行われていたら、男性はむやみに、そこに立ち入ってはいけないような気もしています。遠くない位置から、笑顔で眺めている…、それで十分であり、それ以上のことは男性には必要ないようにも感じてしまいます。その時点では、男性は、まさに「かげろう」のように、蜃気楼のように、女性の近くに存在していればいいのだろうと感じます。実は、この楽曲の作詞作曲の二人は、女性ではありません…。にもかかわらず、ここまで、女性の心理を繊細に、優しく表現しています。こんな歌詞は、普通の男性には、到底書けないのかもしれません。作詞作曲は、モータウンのヒットメーカー・コンビです。* * *この楽曲の日本語への歌詞和訳は、翻訳者次第で、大きく異なるのだろうと思います。歌詞の意味合いの方向性は同じでも、日本語表現は、それぞれ好きなように幾通りもつくることが可能ですね。翻訳者なりの、経験や想いを込めた、自由な日本語表現がとても楽しめる楽曲のひとつなのだろうと思います。一応、ひとつの翻訳例ではありますが、1977年にシャーリーンが歌って、1982年に世界中で大ヒットしたバージョンをご紹介します。どうぞ、 あなたがすでに手にしている幸せをかみしめながら…これから手にする幸せを想像しながら…、大切な人の幸せを願いながら…聴いてみてください。あなたへの呼びかけから、この楽曲は始まります。「ヘイ…、そこのあなたのことよ…」。1982年の大ヒット…、シャーリーンが歌う…♪愛はかげろうのように(和訳付き)愛はかげろうのように/シャーリーン(歌詞付)♬I'VE NEVER BEEN TO ME / CHARLENE 愛はかげろうのように/シャーリーン『対訳:西尾紀子』※映像提供サイト様:NHKクリエイティブライブラリーwww.youtube.com◇さまざまな「愛はかげろうのように」シャーリーン以外の歌手たちによるバージョンをご紹介します。ランディ・クロフォ―ドによる、1976年の最初の録音…♪愛はかげろうのようにI've Never Been to MeProvided to YouTube by Rhino/Warner RecordsI've Never Been to Me · Randy CrawfordEverything Must Change℗ 1976 Warner Records Inc.Bass: Anthony JacksonElectri...www.youtube.com1977年のナンシー・ウィルソンの♪愛はかげろうのようにI've Never Been To MeProvided to YouTube by Universal Music GroupI've Never Been To Me · Nancy WilsonI've Never Been To Me℗ 1977 Capitol Records, LLCReleased on: 1977-06-01Produc...www.youtube.com1978年のメアリー・マクレガーのバージョンは、30位前後までランキングされ、それなりに小ヒットしました。♪愛はかげろうのようにMary MacGregor - I've Never Been to Me (Radio Edit)Rare B-side single. The lyric "I spent my life exploring the subtle whoring that costs too much to be free" has been replaced by "I thought my heart would w...www.youtube.com1978年のマーティ・ケインの♪愛はかげろうのようにMarti Caine I've Never Been To Me 1978I do Not own the Copyright for the Audio. Just Enjoy. UK Pressing.www.youtube.com* * *ここからは、男性心理に替えた歌詞のバージョンです。「ヘイ・ミスター」で始まります。1977年のウォルター・ジャクソンの♪愛はかげろうのようにI've Never Been to MeProvided to YouTube by Believe SASI've Never Been to Me · Walter JacksonI Want to Come Back as a Song℗ Demon Music Group Ltd.Released on: 1977-01-01Music Pub...www.youtube.com1982年にテンプテーションズも歌ってました。♪愛はかげろうのようにTHE TEMPTATIONS - I've Never Been To Mewww.youtube.comあなたは、どの「かげろう」がお好みですか…。◇中南米の文明この「歴音 fun(れきおん ふぁん)」は歴史ブログでもありますので、コロナ禍で旅行がしにくい今、ここで少しだけ旅行気分の歴史のお話しを書きます。中米の国メキシコのすぐお隣にあるメキシコ湾からカリブ海にかけての地域や、南米大陸の西側の太平洋に面した地域は、紀元前の昔から、大きな文明がいくつもありましたね。メキシコのユカタン半島のつけ根あたりの地域には、巨大な石造りの人物頭部像で知られる「オルメカ文明」が、紀元前2500年頃から紀元初期あたりまで存在しました。今のメキシコシティあたりには、大規模ピラミッドや大都市があった「テオティアカン文明」が、紀元初期頃から700年頃まで存在しました。メキシコ中央部には、その後700年頃から1200年頃まで「トルテカ文明」があったと伝承されています。メキシコ南部には、さらに古い時代の文明が残っていたとか、メキシコ西部には、「タラスカ帝国」があったといわれています。他にも、1400年代から1500年代に栄えた「アステカ文明」や、ユカタン半島の「マヤ文明」は有名ですね。* * *一方、南米大陸の西側である太平洋側には、アンデス山脈のある地域の国々(ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、チリ)に、中米とは文化や風習を異にする文明がありました。いわゆる「アンデス文明」です。特に栄えた地域は、チチカカ湖(ペルーとボリビアの国境)周辺と、今のペルー国のあたりです。* * *ペルーの「カラル遺跡」は、紀元前3000年から紀元前2000年あたりだそうです。古代エジプトなら、王朝初期の初めての統一国家の頃です。日本は、縄文時代ですが、古墳時代や、倭国、邪馬台国よりも前の時代です。おそらくは、日本書紀や神話などとして残っている、九州や出雲、近畿、瀬戸内あたりでの、天皇家の先祖や、有力一族たちが争っていた時代ではないかと思います。東北や関東には、別の大勢力がいたはずです。その頃は、日本はまだ統一国家ではなく、天皇家や有力一族による全国制覇の直前の頃だと思います。* * *南米の「アンデス文明」とひとくちに言っても、多くの文明に分かれていますが、すべて文字を持たない文明ですので、詳細がわかっていません。別の記録方法があったようです。◇マチュ・ピチュ時代は進み、西暦1200年代頃から1500年代頃まで、ペルー・ボリビア・チリあたりには、アンデス文明の流れを受け継ぐ、ケチュア族の国家「インカ帝国(インカ文明)」がありました。スペインによる武力侵攻や、それまで南米になかった新型ウイルスの「天然痘」「インフルエンザ」「はしか」「チフス」、インカ帝国内の動乱などによって、この文明は滅びます。文明の滅亡において、新型ウイルスの影響は、相当なものであっただろうと想像できます。ペルーの首都は現在はリマですが、標高3400メートルにある街「クスコ」は、インカ帝国の首都だった都市で、標高2400メートルにある山奥の遺跡「マチュ・ピチュ」は、クスコの北西約70キロの地点にあります。「マチュ・ピチュ」という呼称は、後の時代につけられたもので、この遺跡についてはわからないことだらけですね。どのような役割を果たした都市なのか、単に、首都クスコの衛星都市のひとつだったのか、防衛用の軍事施設だったのか、よくわかりません。どうも、戦った痕跡はなさそうです。現代人の多くの想像で成り立っている、まさに「かげろう」のような都市遺跡「マチュ・ピチュ」ですね。下記の動画は、クスコの街からマチュ・ピチュへの、フライト・シュミレーション映像です。それにしても、マチュ・ピチュは、ものすごい山奥で、それも山のほぼ頂上ですね。日本でいえば、戦国時代前期の大規模な山城城郭のようです。たしかに、この場所なら敵からの攻撃、水害などには、チカラを発揮しますね。ただし、山の峰の構造次第では、逆に敵から一網打尽になりやすい…。この山奥の遺跡は、現代人の感覚からすると、山の一角を、一面コンクリートで固め、そこに大型プールをつくって、雨水を貯蔵し、そこに暮らすようなことかもしれません。そうなると、石材どうしの間に、大きな「すき間」など許されませんね。この地域は、今の日本の年間の雨量よりも多いので、生活水は雨に頼ったと思われます。張りめぐらされた水路からすると、相当な量の水を貯蔵したと思われます。もし乾季に渇水状況になった際は、はるか谷の底の川から水を引き上げなければなりません。* * *日本の「山城(やまじろ)」建設の発想と似ているかもしれません。日本の山城にも、プールのある城もありました。たいていは、山城敷地内に井戸が掘ってありました。一方、愛媛県の松山城などは、谷川の上に土を盛って尾根をわざわざつくって、谷川の水を井戸形式で汲み上げていましたね。地下水脈を探して井戸を掘り、それを利用する発想ではありません。地表の川を地下水脈に変えてしまったのです。人間は、せっぱ詰まると、ものすごいことを考え、実行しますね。マチュ・ピチュでは、真っすぐに切断できる建材用の石材の確保を、当然、重要視したはずです。貯蔵した水の煮沸消毒用の燃料である木材の大量確保も、当然考えたでしょう。マチュ・ピチュでも、現代の山小屋でもするように、大気中から特殊な布を使って、水分を集めるということも行っていたかもしれませんね。霧は、まさに空気中のプールです。綿のような花を持つ高山植物の多くは、自身の体表に付着するように、空気中から水分を集めますが、当時の人たちも同じようなことをすでに行ったかもしれません。個人的には、マチュ・ピチュが、谷川から、人力で徒歩で水を運び上げたとは思えません。何か驚くような科学的な手法を使ったのかもしれませんね。この都市のような遺跡が、ここまでの山の奥地であった理由を、当時の都市設計者に聞いてみたいものです。フライト・シュミレーションで、クスコからマチュ・ピチュへ◇ナスカの地上絵もうひとつ、ペルーには、太平洋に近い地域の、グランデ川の支流のナスカ川の地域に「ナスカ文明」というものがありました。紀元初期から800年あたりの、ナスカ人による文明で、アンデス文明の中でも初期の頃の文明です。ナスカは、砂漠と平原が広がる地域です。日本でもそうでしたが、こうした場所では、綿花の栽培や、家畜の放牧などが中心産業になったりします。ただ、ナスカ川やグランデ川が干上がったら、一大事であるのは間違いないですね。* * *ナスカには、有名な「地上絵」があることで、よく知られていますね。「地上絵」が描かれていた期間は、ナスカ文明の期間よりも長い可能性もあります。グランデ川の支流である、ナスカ川とインへニオ川に挟まれた、およそ500平方キロメートルの一帯に、 サル、ハチドリ、クモ、クジラ、人物などの絵や、三角形、台形、渦巻きなどの幾何学模様などが、いわゆる「一筆書き」で描かれています。もともと、ナスカ人は、高度な灌がい(かんがい)土木技術を持っていたようです。後世の南米の人たちが、マチュ・ピチュのような都市を建設するのですから、大昔の人たちが、優れた土木技術を持っていても不思議はありませんね。* * *「地上絵」が描かれた理由は、もちろん文字で書き残されていませんので、現代人が想像するしかありません。調査では、これらの絵は当初、岩場に描かれていたようで、後にさらに大規模なサイズで平地に描かれるようになっていったそうです。描かれた理由の説の中には、もちろん宗教的な意味もありますが、水との関連も説明されています。絵が描かれた場所には、地下水脈との関連性があるのかもしれません。または、「雨乞い」の意味合いが強いという説もあります。この場所は、重要な川に挟まれた地域でもあります。このナスカの平原は、年間5ミリ程度しか雨が降りません。だからこそ、地上絵が2000年近く残ったともいえます。◇逃げ水(にげみず)「地上絵」が描かれた説の中には、ある「かげろう」の話しもあります。私たちは、灼熱の平原や砂漠を遠くから眺めた時に、遠くに、湖のような多くの水が、ゆらゆらと揺らぐような風景を認識することがありますね。太陽により熱せられた地表からの猛烈な熱気が、大気を揺るがせます。日本でも、夏の暑い日中に、真っすぐな道路の先に、水がたまっているように見えることがあります。日本では、これを「逃げ水(にげみず)」と呼びますね。コラム冒頭の写真が、それです。これも、同じような現象です。事実、その場所に行ってみると、そこに水はありません。人間の目の誤作動…、誤作動というよりも、空気の揺らぎを、まさに水と感じてしまう誤認、錯覚という現象です。* * *科学技術が進んだ現代ですので、私たちは、そこに存在しているかのように見える水を汲みに行こうとは思いません。現代人であれば、人間の目の錯覚については理解しています。東京でも、今年の夏、大都会の道路で「逃げ水」を見ることができるでしょう。ペットのワンちゃんなら、逃げ水を見て、そこに走っていくかもしれませんね。古代の時代なら、人間が、水が欲しいあまりに、そこに水路を築こうと考えても不思議はありません。「一筆書き」になっている理由も説明できます。ただ、「地上絵」は本格的な水路の構造ではありませんので、最初から、この場所に雨など降らないことは百も承知だったかもしれません。ですが、この灼熱の平原には、水のように見える「かげろう」が幾度もあらわれ、それがまさに「水の神様」の存在のように感じたのかもしれません。雨は天から降ってきます。天にいる「水の神様」にも見えるサイズで、願いを込めた「地上絵」であったのかもしれません。神様なら、その地上絵の線に沿って、水を流してくれるかもしれません。ナスカ川の上流から、水を送ってくれるかもしれません。雨をたくさん降らせてくれるかもしれません。「古代人は、自身で見ることができないような巨大な絵を地表に描くという、なんて おかしな行動を…」と考えるのは、それこそ現代人の幻想かもしれませんね。当時のナスカ人には、民族の未来をかけた、命がけの行動だったのかもしれません。どこの国の古くからの神事もそうですが、それはみな本来、人間や、ましてビジネスのために行っているものではありません。それをご覧になるのは、みな神様たちですね。お祭りも、神輿も、花火大会も、お相撲も、みな本来は、人間が見るために行っていたわけではありませんね。* * *現代でも、人間は、せっぱ詰まった時…、欲しくて欲しくて欲望がおさえきれない時…、「逃げ水」のような幻想を追いかけようとしても不思議はありません。説明できなくても、根拠などなくても、幻想を追ってしまうかもしれませんね。水は逃げてしまっただけで、そこに絶対に水はあったと信じてしまうのも、人間ですね。「地上絵」の中に、人間の願い、欲望、迷いが詰まっているような気もしてきます。地上絵を、ネットで探す動画地上絵・遊覧飛行動画◇陽炎(かげろう)ここで、もうひとつだけ、日本の歴史の面白いお話しを…。日本には、どうしてこの漢字の熟語を、こんな読み方をするのだろうというものがたくさんありますね。「陽炎」という漢字を「かげろう」と読むのも、そのひとつです。「かげろう」という言葉は、「限る火(かぎるひ)」が変化した言葉で、太陽の陽ざしが減少した「日陰」の「日がかげる」と同じような現象を意味しますつまり、明るさが弱々しく減少した状況を示しています。その逆が「日が照る」です。「限る火(かぎるひ)」は、弱々しく揺らぐ火の明るさを意味します。一方、「陽炎」という中国から来た漢字は、太陽の日差しの熱で地表が温められ、その場所の大気が、まるで炎の揺らぎのように、風景が揺らいで見える様子をあらわした漢字です。文字通り、太陽によって引き起こされた地表の炎です。読み方は、当然、本来は中国語読みです。日本では、この漢字「陽炎」の揺らぎの意味を、その意味に近い「かげろう」という言葉で読むようにしたともいわれています。日本では、中国から来た漢字の本来の意味と、それまで日本にあった近い意味の発音を結びつけることが少なくなかったですが、その一例ですね。中国から来た漢字の「陽炎」と、日本語の発音の「かげろう(かぎるひ)」が、日本人の想像力で結びついたのだろうと推測します。日本では、西洋から来た外来英語を、日本独自の意味あいでの使用に変化させたり、あたかも英語のような新造語を生み出すことがありますね。そして、日本人は、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットを上手に使い分け、細かなニュアンスの違いを表現しますね。日本人は、昔も今も、上手に、器用に、言葉や熟語を変化させ、使いこなすのが得意なのかもしれません。◇めんどくせェ~さて、お話しを「愛」に戻します。男女の結婚前の恋愛時期は、とかく相手に会いたいと思うものですよね。ですが、異性である相手には、決して語ることなく、同性の友人などにしか語らない内容もありますね。私たちは、歌の歌詞や文章、今の時代ならブログなどのSNSで、思わぬ異性の本音を知ったりすることもありますね。たとえば、男性の多くは、デートに向かう際は、それほどの準備時間を要しません。昭和の時代であれば、男性は、適当に服を着て、金はあるか…、髪に寝ぐせはないか…、体臭が臭くないか…、せいぜいその程度で、あっという間に身支度できたものです。それよりも、相手の女性に早く会いたいな…でしょうね。私は、ずいぶん年月を経過してから、歌の歌詞や文章などで、女性はそうではないと知りました。お化粧は…、洋服は…、香りは…、バッグは…、靴は…、どんな話題を…、とにかく準備時間が男性とは比較になりません。下手をすると、前の晩から準備が始まります。「逢いたいのは山々だけど、めんどくせェ~」…こんなことが女性には相当に多いようですね。せっかく時間をかけて準備して、逢いにやって来たのに、(男性は)何も言わない…(怒)。でも女性たちは、「(笑顔で)…お待たせ。遅れちゃった」。男性は、相手の女性の心を気にもせず、「遅い…」、「化粧 濃くねェ」、「(本心とは逆に)いいよ、いいよ」。男性は、女性の「かげろう」を見ているのかもしれません。女性は、男性の「かげろう」を見ているのかもしれません。目の前にいるのは、真の姿…?いずれにしても、男性がまったく気づいていない、女性たちの苦労がたくさんありそうです。とはいえ、女性が「めんどくせェ~」と感じてきたら、何かの潮時(しおどき)なのかもしれませんね。相手が「かげろう」のうちに結婚してしまったほうがいい場合も…。男性は気をつけてくださいね。* * *この楽曲「愛はかげろうのように」の中の女性の歌詞は、そんな女性たちの声なのかもしれませんね。あなたでなくて、もうひとりの男性を選んでいたら…。本当は、もっともっと幸せになれたのかしら…。私はこれまで、本当に幸せだったのかしら…。私は今、本当に幸せなのかしら…。そして、これからも…。この歌詞の主人公は、何かの迷走の中にいるのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。彼女は、本当に、十分な「幸せ」に手が届いていなかったのでしょうか…?◇手にするのも、手放すのも、あなた…「愛」や「幸せ」が「かげろう(幻想)」だと考えることは好き好きですが、この楽曲「愛はかげろうのように」の主人公は、何かを待っていただけなのでしょうか…。歌詞の中の彼女は、そうではありませんね。愛や幸せを求め行動し、少なからず幸せの瞬間を味わってきました。そして、もっと上の幸せを、さらにより高みにある幸せを…、追いかけ続けているようにも感じます。たしかに、階段を登っていく若い年齢の時は、その先の高い大空しか見ていないこともよくありますね。愛や幸せが、すぐ手の届くところにあるのかもしれませんし、はるか遠くにあるのかもしれません。歌詞にあるように、幸せを…、自分自身を…、しっかり把握し、自覚するのは、そうそう簡単なことではないのかもしれません。時に人は、「幸せ」のど真ん中にあるのに、それに気がつかないことがあります。「幸せ」が去った時、失った時に、それに気がついたりすることもあります。「もっと もっと」と思っていると、なかなかやって来ないのも、愛や幸せであったりします。忘れかけた時、あきらめかけた時に、突然 どこからともなく、やって来たりもします。忙しすぎて…。疲れすぎて…。時間が足りない…。好きなことができない…。たった今、子供たちを怒鳴ったばかり…。傍らに、旦那が、子供が、ペットたちが…、ひとの気も知らないで、のん気にスヤスヤと眠っていたりします。ひょっとして、私は今、幸せの中にいる…?幸せの直前にいる…?手にできるチカラをすでに持っている…?私は、愛も幸せも、本当は「かげろう」などではないと思うのです。それらが自身の手から離れた時、それが「かげろう(幻想)」になるのかもしれません。本物の水が、「逃げ水」に変わってしまうのかもしれません。私には、この歌詞の主人公は、十分に幸せの中にいた…、今もその中にいる…、そんな気がします。そして、この主人公は、また別の新たな幸せの直前にいるのかもしれませんし、幸せを手放す直前なのかもしれません。* * *男性にとっては、女性が抱く「満足できないもの」がよくわからないことがありますね。ただ、時に「自分自身のことを つかめない。自分自身が何に満足していないのか、よくわからない」ということが起きるのは、男性も同じですね。私たちの中にある、「果てしない欲望」や「不満」は、「幸せ」や「愛」を遠ざけるのかもしれません。この楽曲は、どの時代にあっても、私たちに、何かを考えさせるチカラを持っているのかもしれませんね。「愛」や「幸せ」は、この世の中に、さまざまなかたちで、確かに存在しています。今「手にしている」のか…、「手にしていない」のか…の、どちらかかもしれません。それが「かげろう」や「幻想」になるのかどうかは、私たち自分自身次第なのかもしれませんね。* * *最後に、シャーリーンの歌唱映像を…。たしかに、このシャーリーンの姿は、社会で働く多くの OLさんたち…、子育て中の若いママさん…、学校を卒業して働き始めた若いレディたち…にも見えてきて、遠い存在には感じませんね。♪ヘイ・レディ…♪愛はかげろうのようにCharlene I've Never Been To MeCharlene Never Been To Mewww.youtube.comコラム「音路(43)子供たちがいる風景(子供の情景&子供の凱歌)」につづく2021.7.21 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.「今後の予定曲」はこちら…あの曲、あの動画は…*ブログ トップページはこちら    ケロケロネット

    • 15Jul
      • 音路41. 愛の迷走【1】 愛に生きる女 ~ 灯台の灯りの画像

        音路41. 愛の迷走【1】 愛に生きる女 ~ 灯台の灯り

        カーペンターズ「青春の輝き」、バーブラ・ストライザンド「ウーマン・イン・ラヴ」、スリー・ディグリーズ「ウーマン・イン・ラヴ」、マライア・キャリー「マイ・オール」、レイ・パーカーJr & ザ・レイディオ「ウーマン・ニーズ・ラヴ」、男性から男性への忠告、愛の中で生きる、ロック・洋楽。    今後の予定曲は最新目次に  *ブログ トップページはこちら音路(41)愛の迷走【1】 愛に生きる女 ~ 灯台の灯り◇「愛の迷走」シリーズ今、コロナ感染防止に関する政策、支援政策、経済対策など、さまざまな迷走が日本を包んでいますね。今回のコラムからは、そうした迷走の話ではなく、男女の恋愛の迷走について考えてみたいと思います。男女の「愛」について描かれた楽曲、女性の目線や意識を強く歌詞に表現した楽曲などを、少し連載でご紹介していきたいと思います。名付けて「愛の迷走」シリーズです。一応、今回から6回程度を目途に、ひとかたまりとして考えています。ネット掲載アップでは、連続ではなく、途中で別の内容が入ってくる場合がありますが、「愛の迷走」として番号を付してまいります。どの回の内容にも、洋楽の大ヒット曲、名曲がありますので、その歌詞を中心に見ていきたいと思います。* * *男の私が文章を書きますので、どうしても男性目線で歌詞を考える傾向があるかもしれませんが、女性の読者の方々には、そうした男性目線や思考も少し感じてみていただきたいと思っています。実は、とりあげる楽曲の作詞作曲のほとんどが男性なのです。今回 登場します、歌唱力が頭抜けた女性歌手たちは、男性が書いた その歌詞を納得し、見事に歌い上げています。ひょっとしたら、何かの歌詞修正をした可能性も十分にありますね。シリーズの中で登場する男性歌唱の楽曲は、歌唱表現は凛々しいものばかりですが、歌詞内容に、迷走や弱さを感じるものを選んでみました。男女の恋愛の感じ方の違いを、歌詞から見てみたいと思います。◇愛に生きる女 ~ 愛の扉今回のコラムは、「愛の迷走」シリーズの第1回として、さまざまなかたちの「愛に生きる女」の「女心(おんなごころ)」を描いた楽曲をとりあげてみたいと思います、「愛に生きる女」というイメージの楽曲は、洋の東西を問わず、昔からたくさんありますね。「愛に生きる男」というイメージの楽曲は、なかなか思い出せません。男性の恋愛観を表現する場合は、その歌詞から愛情を強く感じはしても、「愛に生きる」「愛のために生きる」というイメージが、なかなか わいてきません。男性の場合は、「愛」以上に、「勝負に生きる」、「戦いに生きる」、「ひたむきに生き、突っ走る」など、男性特有のイメージの楽曲のほうが多いかもしれません。* * *男性の心情を表現する場合は、「(特定の)恋人のために命をささげる」、「(特定の)恋人のためにこの身がある」、「(特定の)あなたがすべて」というような、対象が絞られ、そこに突き進むような表現の歌詞が多いかもしれません。反面、反動である「挫折」や「悲しみ」も、未練をいつまでも残しながら、相当に深く歌詞に表現されることも多いですね。「愛の中で、愛に包まれ、自身は生きる」というイメージとは、何か違う気がしてきます。もちろん女性にも、こうした傾向の歌詞はありますが、「母性愛」のような歌詞表現は、男性の中には生まれにくいのかもしれません。他方、男性に多いのは、相手への一途な想いが、意味を変えて同時複数的に発生することですね。ようするに「浮気心」も多く起きてくるのです。一部の彼らは、ことさら否定もしません。* * *日本の平安時代もそうでしたが、貴族の男性は、複数の女性の家に、それぞれ通うのが一般的な恋愛のスタイルです。戦国時代や江戸時代のような、男女の特殊な恋愛スタイルは、一族の存続、その地域の村の存続など、他の要因が絡んでいましたので、それとは異なる意味あいだと思います。女性たちは、貴族の男性たちが、自身の家にやって来るように、さまざまな手段を講じたり、相手に想いを伝えたりしていましたね。恋愛での、男女のかけ引きは、源氏物語などでも多く描かれてきました。通い婚、遠距離恋愛、片想い、かけおち、悲恋、不倫など、現代とほぼ同じですね。今回の「愛の迷走」シリーズを書くにあたって、歴史ブログでもある「歴音fun」ですので、武田信玄と、正室の「三条夫人」、側室で武田勝頼の母である「諏訪御料人(すわごりょうにん)」の、愛の三角関係の話を書こうかどうか迷いましたが、執筆の迷走は止めておきます。ただ、織田信長にその弱点を突かれて、武田家滅亡の遠因になったのは確かですね。信玄ほどの武将でも、解決できませんでした…。さすが「愛の心理戦」上手の信長です。遠い昔から、ほぼすべての男も、女も、愛とは無縁では生きられないといえますね。「愛に生きる」かどうかは別としても、一生の中のどこかで、必ず通過する、「愛の扉」です。◇男性の想像?今回とりあげます洋楽曲の大半は、実は、男性が作詞作曲したものです。歌手は全員、女性ですが、作詞は一曲を除いて、すべて男性です。言ってしまえば、「女心」といいながら、実は男性が、「女心」を想像して、代弁しているということになります。もちろん、楽曲が完成するまでには、女性陣による歌詞チェックはもちろん、実際に歌う女性シンガーたちの細かなチェックもあったはずです。女性シンガーたちが、この歌詞ならいいと納得したに違いありません。ですから、男性のひとりよがりの想像歌詞とは言い切れないとは思います。とはいえ、私には何か、男性による女性への希望、期待、別の要素が交じっているような気がしてきます。男性たちから女性を見ると、たしかに「愛に生きている」ように感じる場合も多くありますが、本当に「愛に生きている」のかどうか…?さらに私は、男性の書く「女心」の歌詞は、なんとなく、女性でも男性でも通用する内容が多いような気もしています。実は、男性としての本心を、女性という仮面をかぶって描いているといえるのかもしれません。たしかに、少し恥ずかしい、大胆な愛の表現も、女性の言葉の歌詞なら可能かもしれません。今回は、数曲だけですが、それぞれ違うタイプの「女心」をとりあげてみました。そして、女性シンガーたちの中でも、特に個性的な女性たちによる歌唱をとりあげてみました。マライア・キャリーの楽曲だけは、女性である本人による歌詞ですが、あとはすべて男性がつくった歌詞です。◇青春の輝きカーペンターズの1976年のヒット曲ですね。特に日本人が好む曲で、特に日本では周期的にヒットしますね。数年くらい前まで、テレビの有名な旅番組で毎回流されていましたので、記憶されている方も多いと思います。テレビドラマでも使われましたね。ご存じのように、カーペンターズは、兄のリチャード・カーペンターと、妹のカレン・カーペンターによる音楽ユニットですね。日本のテレビの歌番組にも結構出ていましたね。デビュー当時に、音楽評論家の多くから酷評された彼らでしたが、本人たちや、多くの音楽ファンが、その酷評を見事にはね返した典型的な例でしたね。* * *妹のカレン・カーペンターは、若くして、拒食症で亡くなってしまいました。過激なダイエットが拒食症の発端であったといわれています。今回のコラムでとりあげる楽曲の女性歌手たちは、たまたまみな、大きなコンプレックスを持ち、それを跳ねのけ大成功した方々です。三人組のスリー・ディグリーズについては、約15人の女性たちが、トップ三人に入るために、常に激しい競争をしていたグループで、トップの三人はよく入れ替わっていましたね。今の日本の女性アイドルグループの内部競争にも似ています。* * *さて、この楽曲「青春の輝き(I Need To Be In Love)」は、カレンが、カーペンターズの曲の中でも、かなりお気に入りの楽曲でした。ある女性が青春時代を思い出し、でも女として変わらない自身の姿を歌う歌詞ですね。印象的な歌詞内容がたくさん登場します。私は知っているのよ…自分には愛が必要ってことを…。「運命の人」「完璧な人」がどこかにいるって…バカな私はずっと思っているの…。私の自由奔放こそが、(男性に)「さよなら」を言わせているの…。たったひとつの希望にしがみついてる自分がいるの…。代償なしでは、何も得ることはできないのね…。こんな、かわいい歌詞は、男性からすると、ちょっと笑ってしまいそうになりますが、何とも微笑ましい、乙女心を感じる、愛にあふれる歌詞に感じます。まさに、邦題の「青春の輝き」を感じさせてくれる内容ですね。この歌詞を、中低音が魅力的なカレン・カーペンターの声で聴かされると、より感傷的に伝わってきます。この歌詞は、男性が書いたものですが、実は「女心」と言いながら、男性である自身の思いをつづったと考えられないこともありません。カーペンターズは、女性にも、男性にも、ファンがたくさんいたのも、よくわかりますね。* * *あのテレビの旅番組は、「青春の旅路」だったのか…?たしかに、「愛」を手にするには、数々の代償が必要な場合も…。映像には、ドラム演奏をするカレンの姿も…♪青春の輝き(和訳付き)Carpenters. I Need To Be In Love歌詞、和訳(mix)ドラムを打つカレンも素敵です✨✨✨www.youtube.com◇ウーマン・イン・ラヴ(1)楽曲「ウーマン・イン・ラヴ」といえば、1980年に、バーブラ・ストライザンドが大ヒットさせた曲を、まずは思い出します。この楽曲の作詞作曲は、あのディスコ音楽の帝王「ビージーズ」です。もちろん、あの男性3人組ですね。当然、あの女王バーブラ・ストライザンドが歌うのを想定してつくられた歌詞だと思います。バーブラは、ユダヤ系のロシア人とオーストリア人の血をひいており、苦労の末、トップスターの座を手に入れました。もともと女優志望だったこともあり、多くのヒット映画に主演していましたね。持ち前の根性と努力は、音楽活動だけでなく、社会政治活動でも発揮されていました。昔から、一種の風格を感じる女性でしたね。そんな彼女が歌う「愛に生きる女」の楽曲の主人公が、弱腰のはずがありません。自身の生き方が、そのまま愛の表現になっているような歌詞です。愛を手に入れるためなら何でもする…、すごい歌詞内容です。この歌の女性ほどの、愛への、とことんまでの執着と持続力は、男性にはないかもしれませんね…?男性には強烈な歌詞ですが、しびれる楽曲です…。ウーマン・イン・ラヴの和訳♪ウーマン・イン・ラヴBarbra Streisand - Woman In Love ~ With LyricsBarbra Streisand - Woman In Love ~ with LyricsSubscribe to my channel : https://www.youtube.com/channel/UCMzCzLcOoY-TrXWhlC8_Viw?sub_confirmation=1Το τραγούδ...www.youtube.com2013年のバーブラです。♪ウーマン・イン・ラヴBarbra Streisand Woman In Love Amsterdam 06-06-2013Barbra Live in Amsterdam Woman In Lovewww.youtube.com2019年のバーブラです。70歳台に入った彼女ですが、女王の風格は、今でも健在。♪ウーマン・イン・ラヴ ~ ノー・モア・ティアーズBarbra Streisand "Woman In Love" "Enough Is Enough" Live At MSG, NYC, August 3rd 2019Barbra Streisand Live At Madison Square Garden, NYC, August 3rd, 2019. "Woman in Love" and "No More Tears (Enough Is Enough)"www.youtube.com* * *2006年に、歌手のリズ・マクラーノンがカバーしてヒットした同曲も、当時のなつかしいサウンドや効果音が入っており、楽しめますね。♪ウーマン・イン・ラヴLiz McClarnon - Woman In LoveMusic video by Liz McClarnon performing Woman In Love. (C) 2007 AATWwww.youtube.com◇ウーマン・イン・ラヴ(2)同名の異曲ですが、こちらは女性三人組の「スリー・ディグリーズ」の「ウーマン・イン・ラヴ」(1978年)です。大まかな歌詞内容は、愛しの男性は私を愛してくれない…でも、私は彼につくして、つくして、つくしまくるの…私のこと普通じゃないと思ってるでしょ…もし万が一、私のことが必要になったら、私のすべてを捧げるわ…私はそれでいいの…あなたのそばにいるわ…この楽曲…演歌の世界か…。男性からすると、どうすりゃいいのさ…。この歌詞も男性が書いたものですが、体験談か、自身の気持ちか…。ウーマン・イン・ラヴの和訳* * *下記映像のスリー・ディグリーズのような衣装を、少し前の時代まで、テレビの歌番組でもよく見かけましたね。なつかしい気がします。男性にとっては、この美しいメロディで、歌詞の強烈さが少し和らぐ…?♪ウーマン・イン・ラヴA WOMAN IN LOVE - THE THREE DEGREES (1978)Trío disco, pop, soul formado en Filadelfia graba en el 78' su Lp New Dimensions del cual extraemos la versión extendida de A woman in lovewww.youtube.com◇マイ・オールここまでの三曲の「女心」の歌詞は、すべて男性が書いたものです。下記の楽曲「マイ・オール」も、前述のスリー・ディグリーズの「ウーマン・イン・ラヴ」と同じように、一途な女性の想いを描いた歌詞です。この楽曲の作者名の中に、歌ったマライア・キャリー自身の名が入っていますので、おそらく、歌詞は彼女自身の思いが込められていると思います。「マイ・オール」の歌詞も、翻訳者次第で、解釈が少し違ってくる気がしますが、下記に女性による和訳をご紹介いたします。アメーバブログで、洋楽和訳や愛の記事を書かれている「みるん」様のページです。この度の「みるん」様のご厚意に感謝いたします。マイ・オールの和訳『マライアのMy All は、孤独な夜を歌う、悲壮感たっぷりの歌(和訳付)』今日は、マライア・キャリーのMy All を和訳してみました。何とも悲しいラブソング。。彼を失って、寂しい独りぼっちの夜は、どうしても、こんな気分になりますよ…ameblo.jp* * *前述までの三曲の歌詞内容とは、かなり趣きが違う印象を受けます。おそらくは、この歌詞を女性が書いたからではないかと、私は感じます。下記の映像で、裏返しのボートの上のビーナス(マライア)は、遠くの灯台の灯りを見つめるだけ…。転覆したボートは、灯台を目指すことができません。一途な女心は、暗い波の上をただ漂うだけ…。前述の楽曲「ウーマン・イン・ラヴ」のような、強い女性もおられるでしょうが、実は、たいていの女性の一途な「女心」とは、こちらのほうかもしれませんね…。これも、男性による身勝手な妄想…?強さの反面、少し か弱い部分を感じさせる女性歌手のマライア・キャリーの大ヒット曲です。♪マイ・オールMariah Carey - My All (Official HD Video)Official music video for "My All" by Mariah Carey now in HD!Listen to Mariah Carey: https://MariahCarey.lnk.to/listenYDSubscribe to the official Mariah Carey...www.youtube.com♪マイ・オール(ライブ)Mariah Carey - My All (from Around the World)Music video by Mariah Carey performing My All. (C) 1998 Columbia Records, a division of Sony Music Entertainmenthttp://vevo.ly/SiHX8wwww.youtube.com◇男性から男性へのソフト忠告ここまでは「女心」の歌でしたが、最後は、ちょっと変わった歌詞の楽曲を…。男性が男性に「女性には愛が必要なんだよ。ちゃんと応えてあげなよ…」と忠告するという歌詞内容の楽曲です。大まかな歌詞内容は、男性がそうであるように、女性にも愛が必要な時があるよ…お前さんが浮気をするように、彼女だって浮気はできるのさ…お前さんは浮気はやめとけ…彼女の愛にしっかり応えておくことさ…そんなような歌詞内容ですね。とはいえ、かなりソフトな忠告です。忠告が、はたして届いたのかどうか…。一番 手放してはいけない女性の手を、しっかり握っていたのかどうか…。女性たちはみな、男性のことをお見通し…、そんな女子会トークをたまたま耳にした男性が書いた、小気味いい歌詞です。世の中、こういうアドバイスができる男性ばかりなら、平和なのですが…。♪ウーマン・ニーズ・ラヴRay Parker Jr., Raydio - A Woman Needs Love (Just Like You Do) (Official Music Video)Watch the official music video for "A Woman Needs Love (Just Like You Do)" performed by Ray Parker Jr. and RaydioMusic video by Ray Parker Jr. & Raydio perfo...www.youtube.com* * *いずれにしても、大なり小なり、居心地がよかろうが 悪かろうが、相思相愛だろうが 一方通行だろうが、女性も、男性も、ジェンダーも、人間である限り「愛」の中で生きているということなのかもしれませんね…。手放したくないもの…、手放してはいけないもの…。そうそう漂流したくはありません…。「愛の灯り」がしっかり灯ってこその灯台…。皆さまの灯台、しっかり灯っていますか…。* * *次回のコラムは、「愛の迷走」の第2回として、シャーリーンのあの超大ヒット曲「愛はかげろうのように」をとりあげます。世代や年齢に関係なく、どの時代でも、女性に大歓迎される、この楽曲ですね。男性がむやみに入り込めない、女性の音楽世界のことを書きます。コラム「音路(42)手にするのも、手放すのも、あなた…」につづく『音路42. 愛の迷走【2】手にするのも、手放すのも、あなた…(愛も、幸せも、陽炎も、栄光も)』シャーリーン「愛はかげろうのように」、エンニオ・モリコーネ「映画 ザ・ミッション・メインテーマ」、東京オリンピック、マチュピチュ、ナスカの地上絵、ペルー、逃げ…ameblo.jp2021.7.15 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.「今後の予定曲」はこちら…あの曲、あの動画は…*ブログ トップページはこちら    ケロケロネット

    • 09Jul
      • 音路40. ビッグフライの瞬間 ~ オオタニさん、ベーブ、You Rock!の画像

        音路40. ビッグフライの瞬間 ~ オオタニさん、ベーブ、You Rock!

        クイーン「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、サーティー・セカンズ・トゥ・マース「ドゥ・オア・ダイ」、ベット・ミドラー「愛は翼にのって」、ドリス・デイ「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」、大谷翔平選手、ビッグフライ・オオタニさん、ベーブ・ルースの来日、映画「フィールド・オブ・ドリームス」、映画「フォーエバー・フレンズ」、二刀流、オールスターゲーム、ホームランダービー、ロック・洋楽。    今後の予定曲は最新目次に  *ブログ トップページはこちら音路(40)ビッグフライの瞬間 ~ オオタニさん、ベーブ、You Rock!今回のコラムは、野球や大谷選手のお話しですが、野球に興味のない方々も、どうぞ読んでみてください。本当に書いているのは、「ドリーム(夢)」のお話しです。◇まさにドリームが…米国野球のメジャーリーグの球団「ロサンゼルス・エンゼルス」での大谷翔平選手の活躍は、もはやご紹介するまでもありませんね。あの偉大な野球選手ベーブ・ルース以来約100年ぶりの、ピッチャー兼主力バッターでのフル出場に挑戦する野球選手です。日本でも「二刀流」で活躍しましたが、今現代のメジャーリーグで本当に実現・通用するのかどうか、大いなる挑戦が行われていますね。大谷選手は、渡米してから、実績という意味では、投手部門単独、打者部門単独では、これまであまり結果は出ていません。それぞれ単独の分野には、大谷選手に並ぶ選手が山ほどいます。ですが、今年は、いよいよ打者として「ホームラン王(本塁打王)」のタイトルの可能性が見えてきています。約80試合が終わり、投手として4勝、ホームラン32本(7月8日現在)です。このホームランのペースは、残り80試合あまりを考えると、年間60本のペースです。一般的には、本塁打王になる選手は、後半戦に、猛烈にその数を増やしていきます。メジャーリーグの年間最高本塁打数は、バリー・ボンズの73本です。2002年以降、年間60本以上の打者は出ていません。今年、飛ばないボールにかえたのに、まさかの20年ぶりの「60本越え」か…?* * *私は、いくらなんでも、二刀流の片方で、「王(キング)」の称号を手にできる可能性が出てくるとは想像もしていませんでした。その可能性が、今年、出てきたのです。そうなると、「二刀流」として、投手と打者のそれぞれの分野で、そこそこの成績ということではなくなってきますね。今年、投手で10勝以上、ホームラン60本が夢ではなくなってきました。まさに「ドリーム」が実現するかもしれませんね。(後日追記:前半終了の7月12日現在で、投手で4勝、ホームラン33本です。)◇偉大なベーブ・ルースやはり選手時代の前半時期に「二刀流」であったベーブ・ルースの、打者と投手それぞれの年間最高記録は、1927年のヤンキース時代のホームラン60本(151試合出場・本塁打王・この記録は現在歴代8位)、1917年のレッドソックス時代の投手24勝(その年の最多勝は30勝のピート・アレクサンダー)、さらに、ベーブ・ルースの年間最高盗塁数は、1921年と1923年の「17」です。えッ!17!大谷選手の背番号…。今年2021年の大谷選手の盗塁数は、ここまで「12」…こりゃ、いける!あと80試合近く残っています。* * *ベーブ・ルースの打者としての生涯成績は、プロ22年間で、首位打者1回(3割7分8厘)、本塁打王12回、打点王6回。通算714本塁打(メジャーリーグ歴代8位 / 歴代1位はバリー・ボンズの762本)。生涯で、2873安打、123盗塁、打率3割4分2厘です。ベーブ・ルースの投手成績は、約10年間の実働で、94勝46敗、セーブ4、防御率2.28、最優秀防御率1回(1.75)。被本塁打は10年間で、なんと10本しかありません。ベーブ・ルースのボールの最速スピードはわかりません。大谷投手の最速は、ここまで165キロ。ちなみに現役投手の最速は、ヤンキースのチャップマンの170キロです。最速競争も楽しみです。大谷投手なら、越えられるかも…。ベーブ・ルースは、1918年、投手で13勝、11本塁打。1919年、投手で9勝、29本塁打。1920年からは野手に専念します。ですが10年後に、10年ぶりに投手マウンドにあがり、完投勝利します。ワールドシリーズで、バックスクリーンを指差し、ホームランを予告し、そのとおりホームランを打ちます。いつか、大谷選手にも、絶対に同じことをしてほしい…。実現しなかったとしても、挑戦してほしい…。現役時のベーブルースの体格は、身長188センチ、体重98キロ。大谷選手は身長193センチ、体重102キロですから、ベーブルースを、さらに ひとまわり大きくした体格ですね。ベーブ・ルースは、3球団で実働しましたが、ボストン・レッドソックスで育てられ、ニューヨーク・ヤンキースで大活躍した印象です。彼の背番号「3」はヤンキースの永久欠番です。つまり赤色のチームから、「ピンストライプ(ヤンキースのユニフォ―ムの名称)」に行きました。これはきっと、ヤンキースは「二匹目のどじょう」を狙ってきますね…。◇ベーブ・ルースの再来大谷選手がメジャーリーグに行って4年目となりました。そろそろ伝説が始まってもおかしくありません。多くの人たちが、今の現代に「二刀流」だけでも、たいへんな挑戦であることは理解しており、両部門でそこそこの成績を出すかもしれないと感じてはいましたが、現実に、ベーブ・ルースに並ぶような結果を出す可能性が出てきました。普通の選手にはできない、あの破壊力のホームランを次々に見せつけられ、その可能性を感じない人はいないだろうと思います。投手としては、まだ課題はたくさんあるのでしょうが、いつかは年間20勝を越える可能性も十分に感じますね。こんなすごい「二刀流」の挑戦が可能なのは、膨大な数のメジャーリーガーの中でも、大谷選手しかいません。* * *今現代の野球ファンの大半は、ベーブ・ルースを肉眼では見ていませんね。1948年に癌により53歳で亡くなってしまったベーブ・ルースですが、もし目の前にいたら、大谷選手のような存在感であったのかもしれません。前述しましたベーブ・ルースの生涯成績は、野球ファンでないと、そのすごさと偉大さはなかなか実感できないかもしれませんが、まさに「野球の神様」と呼ぶにふさわしい内容ですね。そのそも「二刀流」のプロ野球選手など、そうそう生まれてきません。ベーブ・ルースは、童顔であったため、赤ちゃんの「ベイビー」をもじって「ベーブ」と呼ばれましたが、顔のその表情までが、屈託のない大谷選手の表情とよく似ています。ひょっとしたら、生まれ変わり…?こんなことアリ…?日本人は、大谷選手がベーブ・ルースに挑戦していると考えるかもしれませんが、米国の野球ファンたちは、大谷選手が、伝説のベーブ・ルースに見えているのかもしれませんね。目の前に大谷(ベーブ・ルース)選手がプレーしているだけでも、興奮を止めることができませんね。◇ベーブ・ルースに恩返し戦前の1934年(昭和9年)、ベーブ・ルースは、メジャーリーグ極東遠征メンバーとして来日し、本場の米国プロ野球を日本人に見せてくれました。そして、その後の1936年に、日本では、日本職業野球連盟(今のプロ野球リーグ)が誕生します。39歳のベーブ・ルースは、率先して、プロ野球選手とは何かを示してくれました。そして、日本に「プロ野球」という夢を残していってくれましたね。下記に関連映像をご紹介します。1934年のベーブ・ルース来日と日本プロ野球の誕生日本プロ野球誕生秘話 ベーブ・ルース来日騒動記 5/6ベーブ・ルース プロ野球 巨人www.youtube.com1934年日米野球の映像1934年日米野球試合1934年11月4日www.youtube.com* * *今年のメジャーリーグのオールスターゲーム(日本時間7月14日午前)では、大谷選手のためにルール変更し、投手と打者の両方で出場させるそうです。もちろん、前日のホームラン競争「ホームラン・ダービー(日本時間7月13日午前)」の大本命は、大谷選手です。私は、過去の偉大な選手ベーブ・ルースの来日を思う時、今回の大谷選手の「オールスターゲーム」と「ホームラン・ダービー」への出場は、何か感慨深いものがあります。◇大いなる挑戦大谷選手が、20歳台前半という若い年齢で、日本から米国に渡った時は、まさに前例のない異例の事態で日本中が大騒ぎでしたが、あまりにも頑強な決意と、人並み外れた高い挑戦意識を持った大谷選手でなければ、まず実現しなかった気がします。こんなスポーツ選手は、日本には、そうそういませんね。当時、渡米や二刀流を反対した人たちは、今、何を思っているのでしょう…。メジャーリーグに行ってからも、さまざまな野球のルール変更などを行い、彼の大いなる「二刀流」挑戦に、みなが賛辞を贈り、後押しを行っています。今現代では、相当に難しい「二刀流」挑戦ですが、彼をはじめ数名にしか与えらていない特別な挑戦権に、皆が共通の夢を抱いていますね。私たちの目の前で、夢の実現を見せてくれ…歴史の瞬間を見せてくれ…ベーブ・ルースを見せてくれ…彼に託された、多くの人たちの夢は、あまりにも大きく、高いものです。彼は明らかに、単に記録を狙うのではなく、偉大な挑戦にこそ価値を感じるタイプの選手ですね。さらに、日本のプロ野球界、米国のメジャーリーグ界においても、努力を怠ることなく、自分流を貫き通すタイプであることがよくわかります。彼の言動、表情を見ていると、彼なら、夢の実現ができるのではと信じたくなってきます。野茂投手に託した夢…、イチロー選手に託した夢…、それらとはまた違う壮大な夢に、毎日、酔っている私たちがいます。今、彼の存在や結果は、単に野球界の出来事を越え、社会現象となってきています。挑戦の結果がどうなるかは、誰にもわからないかもしれませんが、大いなる挑戦の価値は、計り知れないものを私たちに残してくれるだろうと感じます。◇You Rock!さて、この音楽コラム「音路」では、今回、大谷選手に関連した音楽をご紹介したいと思います。今の日本では主に、NHKの衛星放送BSー1で、米国メジャーリーグの野球の試合を生中継を行っていますね。ほぼ大谷選手が出場する試合は中継しています。米国のメジャーリーグの球場で、野球観戦を体験した方は、日本の野球の試合とはかなり雰囲気が違うのを感じると思います。試合の面白さとは別に、観客席にいる一般の方々の、それぞれのあまりにも自由で感情豊かな応援行動は、それを見ているだけでも面白いですね。後方席に行くと、何だか妙に踊っている人もいますし、大量に何かを食べている人もいます。とにかく、やたらに自由に叫んでいますね。結構な年齢の女性たちの集団も多いですし、ホームランやファウルボールを待つためにグローブを手にしている人もやたらにいます。野球場が、野球観戦だけではない、エンターテイメントとはまた違う、スポーツを…人間を…楽しめる空間であることを強く実感できます。駐車場はやたらに広いし、一時滞在の私にも、知り合いから、一緒に野球観戦に行かないかとやたらに言葉をかけられました。* * *テレビで大谷選手の出場試合を見ていますと、観客席に、自由な応援プラカードがたくさん見られますね。最近は、「私と一度デートしてください」という日本語のプラカードを持つ、特定の米国女性が有名になっていますね。幼稚園か小学校低学年くらいの子供たちによる、熱狂的に大谷選手を応援する姿も、よく映し出されています。そんな中、ある日、テレビ中継を見ていましたら、あるプラカードに目が止まりました。そのプラカードには、「You Rock(ユー・ロック)」と書かれていました。ロック音楽が大好きな方でしたら、その文字に目が止まるに違いありません。「You Rock(ユー・ロック)」という言葉表現を、もし日本語に当てはめるとしたら、どんな表現がいいでしょう…?お前、やるじゃねえか!お前は最高さ、グレートだぜ!お前、本当にすごいぜ!あたりでしょうか。「Rock(ロック)」の使い方は、You rock!(お前、やるじゃねえか)。She rocks!(彼女って最高)。daddy rocks!(パパって最高)。Japan rocks!(日本って、やるじゃねえか)。などなど。大谷選手の出場する試合での観客席での「You Rock(ユー・ロック)」は、明らかに、他でもない大谷選手に向けたものに違いありません。「オオタニさ~ん、お前、やるじゃねえか。最高だぜ!」という意味ですね。◇We will rock youロックバンドであるクイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」の近年の大ヒットや、昔からサッカーの試合での応援歌であった影響もあり、野球などの他のプロスポーツの試合会場でも、クイーンの楽曲「ウィ・ウィル・ロック・ユー(We will rock you)」が流される機会が相当に増えましたね。この楽曲の歌詞は、その辺でたむろしてる若者たちに、「お前らも、自分の場所でしっかり戦え」と歌う内容です。この楽曲の歌詞の一部「ウィ・ウィル・ウィ・ウィル・ロック・ユー(We will We will rock you)」という言葉も、「俺たちは、やってやるぜ!」、「俺たちは、ひと旗あげるぜ!」という意味です。もちろん、クイーン自身たちだけでなく、この楽曲を一緒に合唱する全員による強い主張の言葉ですね。* * *クイーンのメンバーの中で、ひとりだけ風呂上りのようなフレディです…ライブ映像の♪ウィ・ウィル・ロック・ユーQueen - We Will Rock You • Live in Montreal 1981 Excellent QualityWe Will Rock YouQueen rockyou dvd.jpgDirected by Saul SwimmerProduced by Saul Swimmer, Jim BeachStarring Freddie MercuryBrian MayRoger TaylorJohn DeaconMusic...www.youtube.comこの楽曲が生まれた時、まさかこの曲が、ここまでの飛翔・飛躍を遂げるとは思いもしませんでした。この楽曲は、もはやクイーンの世界を飛び出して、異次元の世界へ…。1000人のミュージシャンによる…♪ウィ・ウィル・ロック・ユーWe Will Rock You - Queen / Rockin'1000 at Stade De France1000 musicians were needed for such a massive show. 1000 words wouldn't be enough to say how it felt.This's "We Will Rock You" by Queen performed by 1.000 mu...www.youtube.com* * *ロック音楽の「ロック(Rock)」の意味は、「(音や心を)ゆさぶる」「驚かせる」「衝撃的な」「頑強な意志」「感動させる」などの意味から来ていると言われています。ですが、「…やってやるぜ!」とも、同じ匂いがしますね。大谷選手の大いなる挑戦には、プラカードにあるとおり、「ロック(Rock)」という言葉が、実にふさわしい気がしますね。◇やるか、やられるかNHKのメジャーリーグ中継番組でも、よく流される、ある楽曲があります。中継番組のエンディングでもよく流される曲で、米国のロックバンドである「サーティー・セカンズ・トゥ・マース(Thirty Seconds To Mars)」の楽曲「ドゥ・オア・ダイ(Do Or Die)」です。NHKのメジャーリーグ中継番組の最後で、「ドゥ・オア・ダ~イ」という言葉に記憶はありませんか。この楽曲は、ロサンゼルス・エンゼルスの本拠地球場で、大谷選手が投手として登板する際の登場曲として使用される曲です。ちなみに、バッターとしての登場曲は、その年によって変わります。この楽曲は、まさに、大谷選手の大いなる挑戦にふさわしい歌詞内容で、そして新時代のロック感覚を持ったイカしたサウンドですね。ちなみに、この不思議なバンド名「サーティー・セカンズ・トゥ・マース(Thirty Seconds To Mars)」は、「火星まで30秒」という意味ですが、ある学者の科学論文からとられたもので、人類の持つ可能性を意味する言葉です。歌のタイトルの「ドゥ・オア・ダイ(Do Or Die)」を、日本的に言えば、「死ぬ気でやってやる!」「決死の覚悟だ!」「やるか、やられるかだ!」「生きるか死ぬかだ!」のような表現に近いでしょうか。今の大谷選手の立場や心境、大いなる挑戦には、バンド名も、楽曲名も、ピッタリですね。♪ドゥ・オア・ダイDo or Die- 30 Seconds to Mars Subtitulado al EspañolSuscríbete! 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Click to listen to Mr. Mister on Spotify: http://smarturl.it/MrMisterSpotify?IQ...As featured on The Be...www.youtube.comトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ♪ラーニング・トゥ・フライTom Petty And The Heartbreakers - Learning To Fly (Version 1)REMASTERED IN HD!Music video by Tom Petty performing Learning To Fly. (C) 1991 UMG Recordings, Inc.#TomPetty #LearningToFly #Remastered #Vevo #Rock #Official...www.youtube.com◇ Fly… Fly… Fly away!私にとって、何と言っても「Fly」の曲のトップは、ベット・ミドラーの「ウィンド・ビニース・マイ・ウィングス(愛は翼にのって)」です。この楽曲の歌詞の中で、「Fly」が何度も登場します。私が、この曲を初めて耳にしたのは、実は、ロサンゼルスから東京に戻る飛行機の機内放送です。窓の外に広大な雲海が広がり、朝日のオレンジ色が遠くに見えていました。この歌との出会いの感動の記憶は、生涯、忘れられません。その歌の歌詞…Fly… Fly… Fly away…私の翼を、大空へ吹き上げてくれる風…1988年の映画「フォーエバー・フレンズ」の主題歌です。下記映像には、映画シーンと和訳があります。新しいスタートをきる方…、夢を抱く方…、目標に向かう方…、偉大な挑戦に挑む方…Fly… Fly… Fly away!♪ウィンド・ビニース・マイ・ウィングス(愛は翼にのって)愛は翼に乗って/ Wind Beneath My Wings [日本語訳・英詞付き] ベット・ミドラー1988年公開の映画「フォーエバー・フレンズ」の主題歌。この曲で彼女は全米No1に輝き1990年にはグラミー賞最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞を受賞しています。名曲ローズのテーマと共に彼女を語る上で欠かせない一曲でしょう。この曲が作られたのは1982年の事で様々な人たちによってカバーされていますがここでは省略させて...www.youtube.com◇フィールド・オブ・ドリームス今回のコラムの最後に、もうひとつだけ、大いなる「ドリーム」を…。昨年2020年に計画され、新型コロナの影響で開催が延期された、米国野球界のプロジェクト「フィールド・オブ・ドリームスの再現」です。1989年の米国映画「フィールド・オブ・ドリームス」は、野球経験者や野球ファンはもちろん、多くの人が涙した名作中の名作でしたね。特に男性には、ロマンあふれる、たまらない世界観です。まさに野球映画の最高峰といっていいと私は感じます。その映画に登場した畑の中の小さな野球場が再現され、そこに本物のメジャーリーガーが登場するそうです。予定では、2021年8月12日、シカゴ・ホワイトソックスと、ニューヨーク・ヤンキースが試合をするそうです。場所は、シカゴ近郊の田舎町です。それにしても、米国野球界はやることがビッグですね。時代を越えた、時空を越えた、壮大な演出を期待しています。現役を退いた、イチロー選手、野茂選手、松井選手も、トウモロコシ畑の中から登場してほしいですが…。映画のように、はたして私の目に、選手たちの姿が見えるのかどうか…。ベースボールも…、野球も…、なんと夢のあるスポーツなのでしょう。きっと元野球選手たち…、生まれ変わっても、野球の夢を追うのでしょうね…。プロ野球選手は、野球に生涯をかけ、ずっと夢を追っているのですから…。* * *ヘイ、ルーキー…You Rock!映画「フィールド・オブ・ドリームス」よりField of Dreams (6/9) Movie CLIP - Doc Saves Karin (1989) HDField of Dreams movie clips: http://j.mp/1Ja20LzBUY THE MOVIE: http://amzn.to/rPcyVpDon't miss the HOTTEST NEW TRAILERS: http://bit.ly/1u2y6prCLIP DESCRIPTIO...www.youtube.com時空を越えた、父と息子の対面シーン…涙のキャッチボール…映画「フィールド・オブ・ドリームス」よりField of Dreams - Playing Catch (High Quality)Ray Kinsella plays catch with his father John at the end of Field of Dreams. Starring Kevin Costner.www.youtube.com* * *コラム「音路(41)愛の迷走【1】愛に生きる女 ~ 灯台の灯り」につづく2021.7.9 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.「今後の予定曲」はこちら…あの曲、あの動画は…*ブログ トップページはこちら    ケロケロネット

    • 03Jul
      • 音路39. 世界は何が支えてる【7 終】ウィ・アー・ザ・ワールド ~ 君のもとへの画像

        音路39. 世界は何が支えてる【7 終】ウィ・アー・ザ・ワールド ~ 君のもとへ

        USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」、マイケル・ジャクソン「ヒール・ザ・ワールド」「ワン・デイ・イン・ユア・ライフ」、クインシー・ジョーンズ、ライオネル・リッチー、スティービー・ワンダー、プリンス、二つでひとつの曲、世界を支えるもの、ロック・洋楽。    今後の予定曲は最新目次に  *ブログ トップページはこちら音路(39)世界は何が支えてる【7 終】ウィ・アー・ザ・ワールド ~ 君のもとへ前回コラム「音路(38)世界は何が支えてる【6】ひとつのバナナボートに…」では、米国の巨大音楽プロジェクト「USAフォー・アフリカ」の楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録スタジオに、ミュージシャンたちが集まるところまでを書きました。今回のコラムでは、「世界は何が支えてる」の連載の最終回として、この楽曲のスタジオ収録などについて書きたいと思います。この楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、決して過去の成功した音楽ではなく、今現在もしっかりと生き続けていることも書きたいと思います。今回も、ミュージシャンたちのお名前の敬称は、便宜上、略させていただきます。◇危機の際にやって来る音楽楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド(We are the world)」は、1985年、アフリカの飢餓救済支援活動の一環で行われた、米国のミュージシャンを中心とした音楽プロジェクト「USA フォー・アフリカ(USA for Africa):United Support of Artists for Africa」により誕生した名曲です。楽曲の作者は、音楽界のスーパースターである、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーです。スーパースター総出演の巨大音楽プロジェクトをまとめ上げたのは、あのクインシー・ジョーンズです。発起人は、名歌手で社会政治活動家であるハリー・ベラフォンテです。このプロジェクトに賛同し集結した大スターたちのすごさを考えると、このプロジェクトの後にも先にも、ポピュラー音楽の歴史上、これ以上のものはない気がします。この楽曲が誕生してから35年あまり経ちますが、この楽曲の発表以来、世界的な危機の際になると、いろいろなアレンジと、多くの有名歌手たちにより、この楽曲が歌われ始めます。日本の「東日本大震災」の際にも、いろいろかたちで、日本に向けて歌われました。もちろん今のコロナ禍の中でも歌われています。何かの危機が起きた時、この楽曲は、どこからともなく、私たちの前にあらわれてきますね。* * *この楽曲は、プロのミュージシャンだけでなく、一般の方々も、子供たちも、そして音楽分野以外の方々も、この楽曲の持つパワーに促されるように、歌われたり、演奏されたりします。少しだけですが、ご紹介します。♪ウィ・アー・ザ・ワールド(ブロードウェイ)Broadway United: We Are the WorldYael Silver (Tony-winning producer Once On This Island), Robin Carus and Van Dean (Broadway Records, President) today released “We Are The World,” a music vi...www.youtube.com♪ウィ・アー・ザ・ワールド(フォー・ハイチ)2010年We Are The World 25 For Haiti - Official VideoRecorded on February 1st, 2010, in the same studio as the original 25 years earlier (Henson Recording Studios, formerly A&M Recording Studios) "We Are The Wo...www.youtube.com♪ウィ・アー・ザ・ワールド(ファイト・コビット19 / 新型コロナ救済支援)2020年We Are The World 2020 (25 Various Artists) - Fight COVID-19 (Music Video)Of all the things happening today, we really need to stand as one, we need to help each other out and protect ourselves so we could fight and beat COVID-19 t...www.youtube.com♪ウィ・アー・ザ・ワールド(各国のサックス奏者たち)We are the world - Michael Jackson/Lionel Richie (Sax Cover) Cristian Romero Feat. Michael LingtonWe are the world - Michael Jackson/Lionel Richie (Sax Cover) Feat. Cristian Romero, Michael Lington, Andrey Chmut, Marquinho Sax, Felicity Saxophonist, Pedro...www.youtube.com♪ウィ・アー・ザ・ワールド(日本・吹奏楽)08 We Are The World第36回定期演奏会08 We Are The Worldアンコール(1)2010年5月29日(土)神戸文化大ホール撮影:AndEMwww.youtube.comこうした世界中の「ウィ・アー・ザ・ワールド」の原点が、1985年のスタジオ収録バージョンなのです。◇集結したミュージシャンたち1985年1月28日、米国ロサンゼルスのスタジオ収録には、下記のミュージシャンたちが集結しました。下記に、ソロパートのあった歌手名を書きます。(敬称略・公式音楽動画登場順)ライオネル・リッチースティービー・ワンダーポール・サイモンケニー・ロジャースジェームス・イングラムティナ・ターナービリー・ジョエルマイケル・ジャクソンダイアナ・ロスディオンヌ・ワーウィックアル・ジャロウブルース・スプリングスティーンケニー・ロギンススティーブ・ペリーダリル・ホールヒューイ・ルイスシンディ・ローパーキム・カーンズボブ・ディランレイ・チャールズみな一時代をしっかり築いたミュージシャンばかりですね。* * *公式音楽動画の中でソロパートはありませんでしたが、集団の中でコーラスをしている歌手や、楽器演奏で加わったミュージシャンも多数いました。下記は一部です。ハリー・ベラフォンテ、ボブ・ゲルドフ、ダン・エイクロイド、シーラ・E、リンジー・バッキンガム、ベット・ミドラー、ジョン・オーツ、ジェフリー・オズボーン、ポインター・シスターズ、スモーキー・ロビンソン、ジャッキー・ジャクソン、ラトーヤ・ジャクソン、マーロン・ジャクソン、ランディ・ジャクソン、ティト・ジャクソン、マリオ・チポリーナ、ジョニー・コーラ、ビル・ギブソン、クリス・ヘイズ、ショーン・ホッパー、ウェイロン・ジェニングス、ジョン・バーンズ、デヴィッド・ペイチ、マイケル・ボディカー、イアン・アンダーウッド、パウリーニョ・ダ・コスタ、ルイス・ジョンソン、マイケル・オマーティアン、グレッグ・フィリンゲインズ、ジョン・ロビンソン 他人気者だけでなく、分野や世代を越えた実力者たちが集まったのは、まさに奇跡の出来事に感じます。◇スタジオ収録の模様今回の楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、公式音楽動画の他にも、リハーサル映像など関連映像がたくさん残されています。前回コラム「音路(38)世界は何が支えてる【6】ひとつのバナナボートに…」でも、ハリー・ベラフォンテの楽曲「バナナボート」、ボブ・ゲルドフのスピーチ、アフリカのエチオピアから招待した女性、スタジオでのさまざまな取り組みなどを書きました。今回は、前回コラムに引き続き、スタジオ収録での中心人物(いわゆるホスト)である、クインシー・ジョーンズ、ライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、ケニー・ロジャースたちの、素晴らしいリーダーシップをご紹介します。スタジオ収録では、特に、このホストたちが、各ミュージシャンを上手くアドバイスし、フォローしています。それぞれのミュージシャンどうしも、話し合いながら上手く進めていますね。ほんの一部ですが、各ミュージシャンたちのソロパートの収録風景の映像をご紹介します。下記は、これまでのコラムでも紹介してきました、ジェーン・フォンダのテレビ番組映像の一部です。* * *レイ・チャールズのソロパート収録風景も映像には登場しますが、彼は、いつもあのようにレコーディングしていたのかと驚きました。盲目の彼のために点字譜面が用意されています。♪ウィ・アー・ザ・ワールド(レイ、スティービーほか)スティービー・ワンダーとダイアナ・ロス…、ノリノリのこの二人はすご過ぎます。♪ウィ・アー・ザ・ワールド(スティービー、ダイアナ)Diana Ross and Stevie Wonder - We Are The World SoloStevie Wonder and Diana Ross Recording base to The Music.www.youtube.comボブ・ディランは、当初から不安そうな表情を浮かべており、スティービーに助言を求めます。スティービーが、ボブ・ディランのものまね(?)風に歌うのも、非常に貴重ですが、さすがスティービーです。スティービー、クインシー、ライオネルが、ボブ・ディランをサポートしていきますが、みるみる素晴らしい歌唱になっていき、ボブ・ディランの素晴らしさが見事に表現されていきます。最後は、自信あふれるボブ・ディランの名歌唱が完成します。♪ウィ・アー・ザ・ワールド(ボブ・ディラン)Bob Dylan Rehearses "We Are The World"www.youtube.comどんな歌い方であろうとも、ブルース・スプリングスティーンは、常にあのブルース…。表情を見ているだけで、こちらもチカラが入ります。♪ウィ・アー・ザ・ワールド(ブルース)we are the world ブルース・スプリングスティーン ソロニコニコからかっこぃぃです!すごく優しそうな顔ですよねwww.youtube.comケニー・ロギンス、スティーブ・ペリー(ジャーニーのボーカル)、ダリル・ホール(ホール&オーツのひとり)は、歌うたびに雰囲気が違いますね。「引き出し」が山ほどあるボーカリストたちは、いろいろ試しながら、どんどんクオリティが上がっていきます。この三人の組み合わせは見事ですね。♪ウィ・アー・ザ・ワールド(ケニー・スティーブ・ダリル)Steve Perry ( Making of We Are The World )Steve Perry Making of We Are The Worldwww.youtube.comちょっと笑える映像シーンの三人組(ヒューイ・ルイス、シンディ・ローパー、キム・カーンズ)です。私が90年代に東京で見かけた時のヒューイは、田舎にいるような親戚のお兄ちゃんの気さくなイメージそのもので、チェック柄のボタンダウンシャツにごく普通のジーンズ、古い歌を鼻歌で歌っていました。そして、やたら装飾品の音をたててる派手なカナリアみたいな女性がいるなと思ったら、そこにシンディがいました。この映像のとおりです。マイケルに、こんなに何度もつき合わせて歌わせられるのは、この三人だけ…?マイケルには、ホストとしての自覚が十分…。マイケルはおそらく…「クインシーが納得するには、こりゃ時間かかりそう…」。この時、ボーカルオタクのスティーブ・ペリーが隣から声をかけてきますね。このスタジオにいる、どのミュージシャンが、ボーカルのことを語ってきても、それはそれは説得力抜群ですね。それにしても、親近感のわく、楽しそうな三人組です。この三人は、今は「アラウンド・セブンティ(70歳前後)」ですが、今でもみんな超元気。この三人のそれぞれ個性的な声を上手に組み合わせるとは、クインシーも、ライオネルも、やはりスゴ腕ですね。三人の歌唱は、みるみる素晴らしい仕上がりになっていきます。♪ウィ・アー・ザ・ワールド(ヒューイ・シンディ・キム)Cyndi Lauper Solo Recording We R the World 1985This was a Cyndi Lauper Solo Recording session in the making of the song We Are The World in 1985. Now if I may ask you for comments, wasn't she cute or what ?www.youtube.com下記は、日本で放送された番組映像です。映像自体は、前述のジェーン・フォンダの番組映像だと思われます。♪「ウィ・アー・ザ・ワールド」番組(進行:小林克也)◇プリンスは、どの部分だったの…?さて、これまでのコラムでも書いてきましたとおり、プリンスもこのスタジオに招待されていましたが、実際には、彼は来ませんでした。もし彼が、このスタジオに来ていたら、どの部分を歌ったのか…?一説には、ダリル・ホールのソロパートの後、ヒューイ・ルイスの前、マイケルがひとりで歌っている部分がありますが、その部分ともいわれています。* * *この歌の最大の見せ場で最重要な歌詞は、「ウィ・アー・ザ・ワールド、ウィ・アー・ザ・チルドレン…」のサビの部分ですね。この部分は、何組かの二人のスターの掛け合いか、あるいは全員での合唱になっています。マイケル・ジャクソンとダイアナ・ロス、スティービー・ワンダーとブルース・スプリングスティーン、そしてもう一組がレイ・チャールスとジェームス・イングラムです。大物レイ・チャールズと掛け合いをさせるのに、他の大物ミュージシャンをさしおいて、なぜジェ―ムス・イングラムなのか…。ひょっとしたら、ジェームスではない大物を想定していたのかもしれません。ひょっとしたら、プリンスではなかっただろうかとも、個人的には感じます。俳優のエディ・マーフィーも招待されていましたが、スケジュールのため、来れませんでした。まさか、ここにエディということはないと思いますが…。ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリンあたりも、レイ・チャールズとは肩を並べられる気がします。クインシーの友人たち…、フランク・シナトラ、マイルス・デイヴィスのトランペットでも、きっとカッコよかったでしょうね。ジェームス・イングラムは、クインシーの秘蔵っ子で、素晴らしいミュージシャンですが、緊急用バックアップだったかもしれません。下手に別の大物を組わせるのも、誰かの代理だとわかったら、後でたいへんですね。それなら「秘蔵っ子」のほうがいい気もします。* * *さらに、私の個人的な想像ではありますが、スティービーとブルースの掛け合いのサビの部分が、二人だけのパート部分としては長い気がします。後半は、ひょっとしたら、マイケルとプリンスの掛け合いが用意されていたということはないでしょうか…?神様ボブ・ディランには特別な場所が用意され、もうひとりの神様レイ・チャールズも後半に特別扱いです。この二人の存在感は、ホストのスーパースターたちとはまた違う、特別な意味を持たせることになりますね。ライオネル・リッチーは、冒頭初っ端、この楽曲のスタートを飾ります。もちろん、ハリー・ベラフォンテ、ボブ・ゲルドフ、クインシー・ジョーンズも、絶対に見落としそうにない印象的な映像場面に登場します。この公式音楽動画は、歌唱シーンだけですが、非常によく考えられた、完成された音楽動画だと感じます。この音楽動画がなかったら、詳細が世界に伝わらず、ここまで影響力を持つ楽曲にはなっていなかった気もします。◇マイケルは、特別な存在マイケルだけが、他のミュージシャンたちと比べて、銀色の手袋と靴下、金の装飾のジャケットなどの派手めの衣装ではありますが、これがなかったら、映像のインパクトがまるで違いますね。映像の視聴者も、この衣装のマイケルでなかったら納得しないだろうと思います。マイケルは、この楽曲の作者というだけでなく、この曲にとって、特別な輝く存在だったと思います。彼の輝く存在感こそが、この曲の歌詞にある精神性を強く表現していたようにも感じます。この楽曲の精神的な柱は、マイケルの思想と理想そのものだったことは確かですね。マイケルは、映像の中で、ひとりだけ輝いていていいのだと、私は思います。♪ウィ・アー・ザ・ワールド(和訳付き)We Are the World   歌詞、日本語訳付きWe are the worldの英語歌詞、日本語訳を付けた映像です。音質及び、画質が悪いかもしれませんが、お許しください・・・www.youtube.com◇クインシーのやり方実は、このスタジオ収録の際に、スティービーが、アフリカで使われている「スワヒリ語」をどこかに盛り込みたいと言い出します。ですが、一部のミュージシャンが反対します。特にカントリー界の大物であるウェイロン・ジェニングスが強硬に反対し、一時スタジオを離れてしまったようです。あくまで想像ですが、同じカントリー界のケニー・ロジャースとウィリー・ネルソンにソロパートがあるのに、なぜ俺にはないのかという、おさえていた感情が爆発してしまったのでしょうか…?ウェイロンは、音楽ジャンルの枠を非常に嫌うミュージシャンで、群れを嫌うアウトロー派としてもよく知られていましたね。彼にはソロバートがありませんでしたが、ある意味、こうしたかたちで自身の存在感をしっかり見せつけたともいえます。詳細はわかりませんが、ひょっとしたら、ケニー・ロジャースやウィリー・ネルソンが、彼を説得したのかもしれませんね。アフリカの一部地域で使われているこの言語の使用については、さまざまな考え方があるでしょうが、使用してしまうと、たしかに、特定の宗教色をにじませる気もしないではありません。前年の「バンドエイド」の教訓が機能したのかもしれません。日本人による日本国内プロジェクトでは、あまり重要視しない宗教に関わる内容ですね。結果的に、スワヒリ語は使用されませんでした。今回のスタジオ収録のスローガンのとおり、やはり個人の「エゴ」は、フロントに預けたままにしておきましょう…。* * *今回 このスタジオに集まったミュージシャンの半数以上が、すでにクインシーと一緒に仕事をした経験のある者たちです。彼の音楽のつくり方も、どうしたら最高指揮官の彼が納得するのかも、よくわかっている者たちだったと思います。今回のスタジオ収録では、「個人のエゴは許さない」という彼の思想が最優先されるのは当然だとも感じますね。一方、彼の強めのリーダーシップを和らげるような、ライオネルやスティービーの言動などを見ると、しっかりとした連携プレーが行われていたことを強く感じます。◇姉妹のような存在さて、コラム「音路(34)世界は何が支えてる【2】USA フォー・アフリカの始動 ~ エゴは預けて」のところで、「ウィ・アー・ザ・ワールド」には、兄弟姉妹のような楽曲「ヒール・ザ・ワールド」があることを書きました。マイケルは後に、自身の「ヒール・ザ・ワールド」という楽曲について語ったことがあります。マイケルが、「人生であと一曲だけ歌えるとしたら…」というインタビューに対して、この楽曲名を真っ先にあげたほど、この楽曲「ヒール・ザ・ワールド」はお気に入りの楽曲だったのです。何となく「ウィ・アー・ザ・ワールド」との共通性を感じるような世界観の楽曲です。彼の中には、作詞作曲するにあたって、こうした「世界」や「地球」、「次世代」という思想が、頭の中にしっかり存在していたように思います。♪ヒール・ザ・ワールド(和訳付き)Michael Jackson ~ Heal The World ~(和訳付き)🌎 H e a l t h e W o r l d 🌎~ M i c h a e l J a c k s o n ~L o v e M i c h a e l 🕺♪ / L o v e S e a 🌊 / L o v e D o l p h i n s 🐬www.youtube.com下記に、マイケルの死後につくられた「ヒール・ザ・ワールド」の音楽動画をご紹介します。世界各国の子供たちによる、歌と演奏です。日本人の少女ドラマーの佐藤 奏(さとう かなで)さんも登場します。彼女は、18歳以下の世界コンテストで優勝し、世界的に知られた少女です。♪ヒール・ザ・ワールド(子供たちによる演奏)Michael Jackson Tribute - Heal The World - Child Prodigy Cover | Maati BaaniChild prodigies across the globe come together to Heal The World! MaatiBaani - a world music duo from India pays a tribute to the King Of Pop- an artist that...www.youtube.com◇世界は何が支えてる本コラムでは、今回、「世界は何が支えてる」をタイトルに7回に渡って連載してきました。第1回は、 「(1)ふたつのエイド」で、英国・アイルランドを中心とした「バンドエイド」と、世界的な音楽イベント「ライブエイド」のこと…。第2回は、 「(2)USAフォー・アフリカの始動 ~ エゴは預けて」で、米国の巨大プロジェクト「USAフォー・アフリカ」の始動と、招待状のこと…。第3回から第5回までは、「(3)~(5)マイケルとクインシー(1~3)」で、「USAフォー・アフリカ」の楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の支柱となった、マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズの関係のこと、マイケルとプリンスのライバル関係のこと…。第6回は、「ウィ・アー・ザ・ワールド」のスタジオ収録までのお話し…。などを書いてきました。実は、「ウィ・アー・ザ・ワールド」のことを書くことは、実は、マイケル・ジャクソンのことを書くことと同じなのかもしれませんね。* * *この楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の歌詞和訳は、非常に多くの種類があり、やはりこの楽曲も、翻訳する人間次第で解釈が異なります。歌詞の一部である「ウィ・アー・ザ・ワールド、ウィ・アー・ザ・チルドレン」という、非常に重要な歌詞部分についても、これをどのように解釈するか、分かれるところですね。私たちこそ世界…、私たちこそが地球…、私たちは世界の子供…、私たちは地球の子供…。世界はひとつの地球…、地球という星に生まれた同じ子供たち…。私たちは、ひとつの世界(家族)に暮らす子供たち…。決めるのも、救うのも、行動するのも、未来をつくるのも、私たち自身…。クインシー・ジョーンズは次のような言葉を残しています。「私は、人類の向上のために、人々を結びつけることができる音楽の力を知っていますし、信じています。その例として“ウィ・アー・ザ・ワールド(We Are the World)”以上のものはないかもしれません。だからこそ、それが世界中で共鳴しました。今でもそうです」。* * *私は、下記の、子供たちによる歌唱の音楽動画を初めて見た時、感動で震えました。楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」と、楽曲「ヒール・ザ・ワールド」が融合し一曲になり、それを世界の子供たちが歌っているのです。やはり、この二曲は、兄弟姉妹だったと実感しました。ひょっとしたら、双子なのかもしれません。二つでひとつの楽曲かもしれません。本ブログは、歴史ブログでもありますが、洋の東西を問わず、何千年の人間の歴史を振りかえっても、最終的にこれまで何が世界を支えてきたかは明らかですね。皆さまも、すでに、よくご存じのはず…。あまねく、人は、支えるもの、支え合うものの一員であってほしいと思っています。これからの未来の世界を支える子供たちによる歌声…♪ウィ・アー・ザ・ワールド + ヒール・ザ・ワールドWe Are the World/Heal the World - Voices of Hope Children's Choir (Virtual Choir)Performed from home by Voices of Hope Children’s Choir / www.voicesofhopechildrenschoir.orgMusic and Lyrics by Lionel Richie and Michael JacksonArranged and ...www.youtube.com◇君のもとへ駆けつけるマイケル・ジャクソンが遺したこの二曲(ウィ・アー・ザ・ワールド / ヒール・ザ・ワールド)は、あまりにも偉大だと感じます。きっとこれからも、世界の大きな支えのひとつになってくれることだと思います。マイケルを思い出しながら、下記の曲で、この連載の最後を締めたいと思います。映像は、1976年のマイケルの姿です。マイケルは、世界が危機になると、楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」とともに、私たちのもとへ駆けつけてくれているのかもしれませんね。♪ワン・デイ・イン・ユア・ライフOne Day In Your Life「想い出の一日」www.youtube.com* * *次回コラムは、これからの世界の野球界の未来をつくってくれるのかもしれない、あの「ビッグ・フライ」の選手と、 大きく飛翔する「フライ」の音楽のことを書きます。コラム「音路(40)ビッグフライの瞬間~オオタニさん、ベーブ、You Rock!」につづく2021.7.3 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.今後の予定曲は最新目次に  *ブログ トップページはこちら    ケロケロネット

    • 02Jul
      • 音路 / 目次・曲名【第41~80話】の画像

        音路 / 目次・曲名【第41~80話】

           あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら音路(おんろ)シリーズ / 目次・曲名【第41~80話】新着順下記の「☛タイトル名」をクリックしてください。☛音路(51)ローリング・トライアングル【3】 永遠 ~ クラッシュ・オン・ユー♪ローリング・ストーンズ 「夜をぶっとばせ」♪ローリング・ストーンズ 「エニバディ・シーン・マイ・ベイビー」♪ローリング・ストーンズ 「シーズ・ア・レインボー」♪ローリング・ストーンズ 「2000光年の彼方に」♪ローリング・ストーンズ 「オー・ノー・ノット・ユー・アゲイン」♪ローリング・ストーンズ 「リビング・イン・ア・ゴースト・タウン」♪ローリング・ストーンズ 「ドゥーム・アンド・グルーム」♪ローリング・ストーンズ 「ユー・ドント・ハブ・トゥ・ミーン・イット」♪ローリング・ストーンズ 「オールモスト・ヒア・ユー・サイ」♪ローリング・ストーンズ 「メモリー・モーテル」♪ローリング・ストーンズ 「ギミー・シェルター」♪ローリング・ストーンズ 「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」♪ローリング・ストーンズ 「ホエン・ジ・ウィップ・カムズ・ダウン」♪ローリング・ストーンズ 「ビッチ」♪ローリング・ストーンズ 「ミッドナイト・ランブラー」♪ローリング・ストーンズ 「ブラウン・シュガー」♪ローリング・ストーンズ 「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」♪ローリング・ストーンズ 「無情の世界」♪ローリング・ストーンズ 「友を待つ」♪ローリング・ストーンズ 「ハウ・キャン・アイ・ストップ」♪ローリング・ストーンズ 「ドント・ストップ」♪ローリング・ストーンズ 「デッド・フラワー」♪ローリング・ストーンズ 「ムーンライト・マイル」♪ローリング・ストーンズ 「アウト・オブ・ティアーズ」♪チャーリー・ワッツほか 「ロング・アゴー・アンド・ファー・アウェイ」♪チャーリー・ワッツほか 「アイヴ・ゴット・ア・クラッシュ・オン・ユー」チャーリー・ワッツさんの映像CM 「i MAC」チャーリー・ワッツさんご逝去、ストーンズ足跡☛音路(50)ローリング・トライアングル【2】 転がる石のごとく♪ローリング・ストーンズ 「ホンキー・トンク・ウィメン」♪ローリング・ストーンズ 「カントリー・ホンク」♪ローリング・ストーンズ 「スタート・ミー・アップ」♪ローリング・ストーンズ 「ネイバーズ」♪ローリング・ストーンズ 「ハング・ファイア」♪ローリング・ストーンズ 「ハッピー」♪ローリング・ストーンズ 「リトルT&A」♪ローリング・ストーンズ 「悲しみのアンジー」♪ローリング・ストーンズ 「グッド・タイム・ウィメン」♪ローリング・ストーンズ 「ダイスをころがせ」♪ローリング・ストーンズ 「ホット・スタッフ」♪ローリング・ストーンズ 「エモーショナル・レスキュー」♪ローリング・ストーンズ 「ミス・ユー」♪ローリング・ストーンズ 「ワン・ヒット」♪ローリング・ストーンズ 「ハーレム・シャッフル」♪ローリング・ストーンズ 「スリッピング・アウェイ」♪ローリング・ストーンズ&マディー・ウォーターズ 「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー」♪マディー・ウォーターズ「ローリング・ストーン」♪ボブ&アール「ハーレム・シャッフル」チャーリー・ワッツさんご逝去、ストーンズ足跡、バンド解散危機、ミックとワーグナー☛音路(49)ローリング・トライアングル【1】 三人よれば…♪ローリング・ストーンズ 「サティスファクション」♪ローリング・ストーンズ 「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」♪ローリング・ストーンズ 「スタート・ミー・アップ」♪ローリング・ストーンズ 「ブラウン・シュガー」♪ローリング・ストーンズ 「黒くぬれ」♪ローリング・ストーンズ 「無情の世界」♪ローリング・ストーンズ 「イット・ウォント・テイク・ロング」♪ローリング・ストーンズ 「オール・ダウン・ザ・ライン」♪ローリング・ストーンズ 「モンキーマン」♪ローリング・ストーンズ 「ジャスト・マイ・イマジネーション」♪ローリング・ストーンズ 「悪魔を憐れむ歌」♪ミック・ジャガー&ティナ・ターナー 「イッツ・オンリー・ロックンロール」♪チャーリー・ワッツほか 「ホワッツ・ニュー」♪チャーリー・ワッツほか 「テイク・ザ・A・トレイン」♪チャーリー・ワッツほか 「ストッピン・アット・ザ・サヴォイ」♪チャーリー・ワッツほか 「アイヴ・ゴット・ア・クラッシュ・オン・ユー」チャーリー・ワッツさんご逝去、黄金のトライアングル、ドラム奏法☛音路(48)ありがとう…昭和のお父さん♪吉田拓郎「今日までそして明日から」♪ばんばひろふみ「SACHIKO」♪吉幾三「ともこ」♪河島英五「時代おくれ」♪岡林信康「山谷ブルース」、「復活の朝」♪神野美伽「手紙」♪MC TETSU「名古屋のオカン」♪キイハンターCM「オリエンタルカレー」CM「アミライト」名古屋市、名古屋弁、千葉真一さん、キイハンター、オリエンタルカレー、キンチョー「アミライト」、河村たかし市長☛音路(47)ここは天国? … 夢じゃない♪ムーディー・ブルース「ジェミニ・ドリーム」♪ダリル・ホール「ドリームタイム」♪ヴァン・ヘイレン「ドリームス」♪ハート「ディーズ・ドリームス」♪天地真理「虹をわたって」、「水色の恋」映画「フィールド・オブ・ドリームス」トヨタ自動車CM「G's」プロ野球、性差別と人種差別、アメリカ・メジャーリーグ、シカゴ・ホワイトソックス、シンシナティ・レッズ、ブラックソックス スキャンダル、ケビン・コスナーさん、ブルーインパルス☛音路(46)赤い風船 ~ きっとまた来てくれる♪浅田美代子「赤い風船」♪天地真理「ひとりじゃないの」、「恋する夏の日」、「ふたりの日曜日」、「虹をわたって」、「水色の恋」、「若葉のささやき」、「想い出のセレナーデ」♪ドラマ「時間ですよ」テーマ曲ドラマ「時間ですよ」、逆境に立ち向かう、お盆の迎え火、コロナ禍、銭湯ドラマ☛音路(45)あの球体の中に…(TOKYO 2020)♪宮沢賢治「星めぐりの歌」♪ドビュッシー「月の光」♪デニス・デ・ヤング「デザート・ムーン」東京オリンピック閉会式、原爆の日、核兵器禁止条約 発効、広島、長崎、TOKYO2020☛音路(44)魔王のささやき ~ 投下の日♪シューベルト「魔王」♪ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」♪ガンズ・アンド・ローゼズ「悪魔を憐れむ歌」シューベルトとジョン・レノン、原爆の日、黒い雨、第六天魔王の織田信長、天使のささやき、映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」、武田信玄☛音路(43)子供みたいね… シューマンちゃん(子供の情景&アンセム)♪シューマン「子供の情景」、「交響曲第三番 ライン」、「交響曲第四番」♪ハイドン「弦楽四重奏曲 第77番 皇帝」第二楽章「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」♪トト「子供の凱歌」♪「神よ女王を守り給え(God save the Queen)」クラシック音楽の歴史、音楽の父と母、国歌対決、ベートーヴェンのペン、文豪シューマン、シューベルト、ブラームス、ロマン派音楽と古典派音楽、神聖ローマ帝国、三連符☛音路(42)愛の迷走【2】 手にするのも、手放すのも、あなた…(愛も、幸せも、陽炎も、栄光も)♪シャーリーンほか「愛はかげろうのように」♪エンニオ・モリコーネ「ザ・ミッション・メインテーマ」映画「ザ・ミッション」、東京オリンピック、マチュピチュ、ナスカの地上絵、逃げ水、陽炎とかげろう、アンデス文明、トヨタ自動車☛音路(41)愛の迷走【1】 愛に生きる女 ~ 灯台の灯り♪カーペンターズ「青春の輝き」♪バーブラ・ストライザンド「ウーマン・イン・ラヴ」♪スリー・ディグリーズ「ウーマン・イン・ラヴ」♪リズ・マクラーノン「ウーマン・イン・ラヴ」♪マライア・キャリー「マイ・オール」♪レイ・パーカーJr & ザ・レイディオ「ウーマン・ニーズ・ラヴ」男性から男性への忠告、愛の中で生きる* * *執筆 : 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.   あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*今後の予定曲*ブログ トップページはこちら  

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        音路 / 目次・曲名【第81~120話】準備中

        申し訳ありません。本記事は準備中です。最新記事はこちら『音路39. 世界は何が支えてる【7 終】ウィ・アー・ザ・ワールド ~ 君のもとへ』USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」、マイケル・ジャクソン「ヒール・ザ・ワールド」「ワン・デイ・イン・ユア・ライフ」、クインシー・ジョーンズ、ラ…ameblo.jp

    • 26Jun
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        音路38. 世界は何が支えてる【6】ひとつのバナナボートに… そんな○○○!

        USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」、プリンス「パープル・レイン」、ハリー・ベラフォンテ「バナナボート・ソング」、ジェーン・フォンダの番組、アメリカン・ミュージック・アワード、グラミー賞、映画ビートルジュース、米国三大ネットワーク、バナナのお話し、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティービー・ワンダー、ケニー・ロジャース、クインシー・ジョーンズ、ロック・洋楽・ダンス音楽。     *ブログ トップページはこちら音路(38)世界は何が支えてる【6】ひとつのバナナボートに… そんな○○○!◇ここまでの概要ここまで、楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の誕生までを書くコラムシリーズ「世界は何が支えてる」の第1回から第5回まででは、「(1)ふたつのエイド」で、英国・アイルランドを中心とした「バンドエイド」と、世界的な慈善イベント「ライブエイド」のこと…、「(2)USAフォー・アフリカの始動 ~ エゴは預けて」で、米国の巨大慈善プロジェクト「USAフォー・アフリカ」の始動と、招待状のこと…、「(3)~(5)マイケルとクインシー(1~3)」で、「USAフォー・アフリカ」の楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の支柱となった、マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズの関係のこと、プリンスのことなどを書いてきました。これらの内容をふまえて、いよいよ「ウィ・アー・ザ・ワールド」のスタジオ収録のお話しを書いていきたいと思います。* * *コラム「音路(34)世界は何が支えてる【2】USAフォー・アフリカの始動 ~ エゴは預けて」では下記の内容を書きました。概要を書きます。この米国の巨大プロジェクトの「言い出しっぺ(発起人)」がミュージシャンのハリー・ベラフォンテで、1984年の年末頃に、彼から相談を受けた米国音楽業界の超大物ケン・クレーゲンが、自身の秘蔵っ子である ライオネル・リッチーとケニー・ロジャースにすぐに連絡し、快諾を得、さらにスティービー・ワンダーにも協力を頼み承諾を得ます。ライオネルとスティ―ビーが共同で作曲しようとしますが、多忙なスティ―ビーは、なかなか来ることができません。そこで、ケン・クレーゲンとハリー・ベラフォンテは、すでにマイケル・ジャクソンなどの大物ミュージシャンらとの共同作業で大成功していた、音楽界の大物ミュージシャンのクインシー・ジョーンズの元を訪れ、協力を頼みます。すぐに快諾を得られ、マイケルも加わり、マイケルは作曲にも参加したいと切望してきます。これで、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティービー・ワンダー、ケニー・ロジャースという中心的なメンバーが固まり、ケン・クレーゲンは、さらに大物ミュージシャンたちを集め始めます。壮大なプロジェクトのメンバー選びが始まります。* * *意欲満々で待ちきれないマイケルは、自身の手で「ウィ・アー・ザ・ワールド」のデモテープをつくりあげ、それを持って、クインシーとライオネルのもとを訪れます。クインシーとライオネルは、そのデモテープをベースに、修正を加え、パワーアップさせます。クインシー、ライオネル、マイケル、スティービーが、参加する各ミュージシャンたちに聴かせる音楽テープを、1985年1月22日に、ケニーのスタジオでつくり上げます。1月24日には、そのテープが、今回の楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」スタジオ収録に招待されたミュージシャンらに送られます。1月28日が、スタジオ収録の予定です。最終的に、どの程度の人数に、このテープが送られたか、私は知りません。* * *その音楽テープは、招待状とともに送られることになります。その招待状には、「(略)to accept this project with the pride and spirit of checking your ego at the door.」…、直訳に近く和訳すると、「スタジオの入口で、自身のエゴイズム(エゴ)を預けるスピリットとプライドを胸に、今回のプロジェクトを受け入れて…」というような文章が添えられていました。この米国ミュージシャン中心のプロジェクトに、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、フランク・シナトラ、プリンス、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン、ダイアナ・ロス、レイ・チャールズ、ポール・サイモン、ビリー・ジョエル、ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、マイルス・デイヴィス、ハードロック界の面々、AORの面々などのミュージシャンたちは、はたして参加してくれたのでしょうか…。* * *収録スタジオでの役割は、クインシー・ジョーンズが総司令官で、彼の「オーケー」が出なければ収録は終了しません。全体を進行させるのも彼です。クインシーとライオネル、補佐役でボーカル専門アレンジャーのトム・ベイラーが、各ミュージシャンへの歌唱アドバイスやフォローを行います。大物ミュージシャンたちのドタキャン用のバックアップには、クインシーの「懐刀(ふところがたな)」であり「秘蔵っ子(ひぞっこ)」たちのミュージシャンを、本人たちに伝えた上で、用意しておいたと思います。* * *そして、「Check your egos at the door(入口であなたのエゴを預けてください)」と入口に貼り紙された収録スタジオで、当日をむかえることになります。この言葉が、ミュージシャンたちに届いたでしょうか…。ここまでの話しや、各ミュージシャンの事情についてを、コラム「音路(34)世界は何が支えてる【2】USAフォー・アフリカの始動 ~ エゴは預けて」で書きました。コラム「音路(35)世界は何が支えてる【3】マイケルとクインシー【1】」からは3回に渡って、マイケルとクインシーの関係、マイケルとプリンスのライバル関係のことを書きましたが、周囲やマスコミは、プリンスが、このスタジオにやって来るのかどうか、大注目でしたね。* * *今回、スタジオ収録に招待されたミュージシャンたちは、民意を反映した人気投票や、何かの数値の実績で、選考されたものではありません。クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティービー・ワンダー、ケニー・ロジャースらだからこそ、集まったメンバーともいえます。ちょうどその当時の米国音楽界で、ヒット曲を連発していた旬のミュージシャンたちも含まれています。ミュージシャンどうしのつながりや、親密度、運のいいタイミングなど、まさに運命的な集結が実現したのかもしれません。まさに奇跡の集結だったと感じます。次回コラムで、そのメンバーのことは書きます。◇その日、その場所これまでのコラムで、この「USAフォー・アフリカ」では、エゴのかたまりのようなスターミュージシャンたちを集め、コントロールし、成功させるためのビジネス上の秘策がたくさん行われたと書いてきました。前述の招待状や、スタジオ入口の貼り紙もそうでしたね。収録スタジオでの指揮命令系統の確立や、クインシーやライオネルらの役割、マイケルの存在感も、もちろんそうしたものに含まれると思います。秘策について、ここからは収録スタジオの日程と場所について書きます。* * *スタジオ収録当日の1985年1月28日は、米国ロサンゼルスで、米国4大音楽賞のひとつである「アメリカン・ミュージック・アワード」の授賞式が、劇場「シュライン・オーディトリラム」で行われました。ちなみに、この劇場は、フリーメイソン系の劇場で、この授賞式は、テレビ放送局「ABC」が、「ABC」の元を離れた「グラミー賞」に対抗して創設した音楽賞です。この1985年の、男性最高賞はライオネル・リッチーで、女性最高賞はシンディ・ローパーです。この1985年の「アメリカン・ミュージック・アワード」のときに、ミュージシャンとして、あるいは楽曲が、各部門で最高賞をとったミュージシャン名を下記に書きます。ライオネル・リッチーシンディ・ローパーブルース・スプリングスティーンプリンスヒューイ・ルイス&ザ・ニュースティナ・ターナーポインター・シスターズホール&オーツケニー・ロジャースなどです。他にも多くのミュージシャンたちが、授賞式に集まりました。1985年の授賞式の映像Madonna Live from The American Music Awards, Los Angeles 1985American Music Awards, Los Angeles - 1985-28-01www.youtube.com* * *「ビルボード」は、近年、アメリカン・ミュージック・アワード受賞式での過去のミュージシャンのパフォ―マンスをランキングしました。その中で、1985年のプリンスの「パープルレイン」を1位に選出しています。♪パープル・レイン(1985年 AMA)Prince - Purple Rain - Live At American Music Awards 1985 (HQ)Remastered video and audio for better qualitywww.youtube.comちなみに「ビルボード」とは、「ラジオ&レコーズ」とともに、米国の二大音楽ランキングチャートのブランドのひとつで、ランキングのほか、音楽誌、イベント、コンサートなどを行うブランドです。米国には1970年から、「アメリカントップ40」という有名なラジオ番組がありますが、この番組のチャートは、ある時期まで、ビルボードの音楽ランキングチャートを使用していました。2020年から、ビルボードは、世界の数百ヵ国に向けた、音楽ビジネス「ビルボード・グローバル200」を展開しています。日本人ミュージシャンも一部、この中に組み入れられていますね。* * *さて、上記の受賞メンバーの中で、授賞式と同じ夜に行われた「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録スタジオにやって来なかったのは、プリンスのみです。「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録スタジオにやって来たミュージシャンたちは、その年ではなくとも、過去やその後に、この「アメリカン・ミュージック・アワード」で受賞した者たちばかりでした。ちなみに、翌年の1986年の「ソング・オブ・ザ・イヤー賞」は、「ウィ・アー・ザ・ワールド」になります。♪1986年の授賞式での「ウィ・アー・ザ・ワールド」Michael Jackson, Elizabeth Taylor and USA For Africa Artists singing We Are The World - 1986 AMA'sMichael Jackson along with Elizabeth Taylor,Diana Ross,Lionel Richie and various USA for Africa Artists singing We Are The World and Harry Belafonte receivin...www.youtube.comマイケルの隣にいる、水色のドレスの女優エリザベス・テイラーは、マイケルの呼称「キング・オブ・ポップ」の名づけ親です。* * *さらに ちなみに、1986年のグラミー賞の「レコード・オブ・ザ・イヤー」も、「ウィ・アー・ザ・ワールド」になります。1986年のグラミー賞授賞式での受賞シーン有名な「グラミー賞」のほうの放映権は、「NBC」から「ABC」へ、そして「CBS」へと、「アメリカ三大ネットワーク」を渡り歩きます。アメリカには、あと「FOX(フォックス)」と、CBSとワーナーがつくった「CW」という巨大ネットワークがありますが、さて今後は…?米国はさすがに、自由と競争のビジネス大国ですね。日本の「レコード大賞」は、TBSでずっと安定…、「紅白」はランキングや賞はないものの、その権威はNHKのもの…。* * *話しを戻します。ようするに、「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録は、この授賞式の後に、その流れで各ミュージシャンが、同じ市内のスタジオにやって来れるようにしたのです。ドタキャンしにくいようにし、気分よく、ある意味 興奮状態で、収録スタジオに来させる工夫だったと思います。* * *もちろん、プリンスにも、事前に音楽テープと招待状は届いています。マイケルとプリンスのライバル関係や確執については、これまでのコラムで書きましたが、プリンスは、もっともらしいトラブルを理由にスタジオには来ませんでした。そのかわり、プリンスファミリーのひとりである女性ミュージシャンの「シーラ E」を代理としてスタジオに行かせました。そして、専用アルバムのほうに、楽曲を提供します。プリンスは、ある意味、微妙な場所には、「シーラ E」を送り込むという上手い戦術(?)をとっていましたね。* * *授賞式の終了後、この「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録スタジオに、高級車が続々とやってきます。おそらくは、ボディガードたちも山ほど集結し、ボディガード界のサミット会議でも開けそうな状況ですね。気分を良くしたミュージシャンたち、お祝い気分で駆けつけてきた音楽仲間などが、続々とやって来ます。ここで、ひとつ ふたつ問題が…。みな、この慈善活動「USAフォー・アフリカ」の大前提である、「アフリカの深刻な飢餓状況」について理解しているのかどうか…?そして、スタジオの入口で、「Check your egos at the door(入口であなたのエゴを預けてください)」という貼り紙を目にしてはきたでしょうが、はたして、だいじょうぶでしょうか…?スタジオ内は、当初、何か緊迫感が少なかったともいわれています。そこで、次の秘策です。◇目的意識を持とう!前年の1984年に行われた、英国・アイルランドでの「バンドエイド」の仕掛人である、ミュージシャンのボブ・ゲルドフが、集まったミュージシャンたちの前にあらわれます。そして、アフリカの深刻な状況を語るスピーチを行います。このために、英国から招待されたのは間違いないと思います。このスピーチ内容をご紹介します。* * *下記の映像は、米国のテレビ番組の一部ですが、女優のジェーン・フォンダが案内役を務めています。有名な俳優一族のフォンダ一族のひとりで、名作の多い女優さんですが、俳優というだけでなく、筋金入りの社会活動家としても知られた人物でしたね。この楽曲のドキュメンタリー番組の案内役としては、まさに適任の配役です。下記の映像には、スタジオにやって来るミュージシャンたちの映像の後に、前述のボブ・ゲルドフのスピーチ映像が入っています。「アフリカの彼らの命の値段は…、(略)皆さんの想いを、この歌に表現できる」…すごい言葉ですね。下記映像の7分あたりからが、ボブ・ゲルドフのスピーチです。スタジオ収録冒頭映像We are the world -メイキング映像日本語訳付- 1/5RIP MJWe are the world のメイキング映像です。この歴史的楽曲がいかにして誕生したか、大変興味深い内容となっております。7:00あたりから始まるボブの台詞がとても印象的です。www.youtube.comこのスピーチで、特に、ブルース・スプリングスティーンと、ダリル・ホールの眼の色が変わったそうです。この二人なら、わかる気がしますね。こうした、ちょっとした事前の取り組みが、いかに大切かがわかりますね。このスピーチにより、お祭り気分で集まって来たミュージシャンたちに、目的意識がわき、共通の目標ができ、音楽家としてのスイッチが入ったのだろうと思います。もちろん、これには、英国・アイルランドの「バンドエイド」の功労者への尊敬とねぎらいの意味もあったものと思います。* * *この映像からは、クインシーの指揮官ぶりも、よくわかります。「業界用語」で、人間の立ち位置を決め、床に印をつけておくことを「バミリ」と言いますが、スーパースターたちではあっても、しっかり「バミリ」が行われています。指揮官のもとでは、特別はないということですね。◇発起人に敬意をボブ・ゲルドフに続き、米国の「USAフォー・アフリカ」の発起人であるハリー・ベラフォンテにも、敬意を示すことは忘れていませんでした。彼の大ヒット曲「バナナボート・ソング」を、皆で合唱するのです。* * *ハリー・ベラフォンテは、ニューヨーク生まれの黒人歌手です。1956年に楽曲「バナナボート・ソング」を、世界中で大ヒットさせました。その後も「マチルダ」、「ダニーボーイ(ロンドンデリーの歌)」など、昭和世代で、耳にしたことがない人はいないような楽曲がたくさんあります。今回の「USAフォー・アフリカ」では、ハリー・ベラフォンテと、ケン・クレーゲンの二人が、初期段階から重要な人物でしたが、この時期は音楽人というよりも、政治色や社会活動家としての印象が、この二人には強く感じられました。慈善プロジェクトという意味では、このプロジェクトの最前線にあまり顔を出さず、陰で支えていたことも、いい判断だったと思います。* * *楽曲「バナナボート・ソング」を全員で合唱したことは、ボブ・ゲルドフに敬意をあらわすのと同じように、ハリーに敬意を強くあらわしたものだと思います。この合唱では、特に、彼と同じ黒人ミュージシャンたちが盛り上げてくれます。私の勝手な想像ですが、この合唱を仕切った、ミュージシャンのアル・ジャロウには、事前に、クインシーあたりから何か話しをしてあったような気もします。ポップス界とジャズ界をまたにかけて活躍した、特別な美声のアル・ジャロウに仕切られたら、誰も文句は言えない気がしますね。スゴ腕指揮官のクインシーなら、こうした細かな配慮の大切さをわかっているような気がします。* * *ハリーは、その合唱の団体の最後列で、感極まったような表情を浮かべていますが、こうした光景を見るたび、音楽は言葉を越えるときがあると感じます。「皆で一緒にがんばろう」などの掛け声よりも、一緒に歌えば、言葉よりも強い団結力が生まれてきそうな気がしますね。皆で、ひとつの「バナナボート」に乗船したような気持ちになります。私は、これまで耳にした「バナナボート・ソング」の中で、最高のボートだった気がします。♪バナナボート・ソングUSA for Africa - Harry Belafonte Tributethe artists of usa for africa perform a spontaneous tribute to harry belafonte in the form of his own song - day-o (banana boat song)www.youtube.com◇エチオピアからの言葉まだまだ趣向は続きます。このプロジェクトの中心メンバー(ホスト)であるスティービー・ワンダーも、特別ゲストをこのスタジオに連れてきます。現地のアフリカから、女性たちを呼び寄せ、言葉を述べてもらうのです。おそらくはスティービーの私費でしょう。彼女らの隣にスティ―ビーが立ち、彼女の話しをミュージシャンたちが聞いたのです。彼女の言葉は、まるでスティービーが語っているのと同じですね。さすがスティービーです。ミュージシャンたちは、涙を流します。やはり、現地の人たちの顔を直接見るのと、見ないとでは、何かが違う気がします。ミュージシャンたちに、強い使命感が生まれたかもしれません。これで、自身たちの中の「エゴ」は吹き飛んだかもしれませんね。下記動画(前述のジェーン・フォンダ番組)の20分あたりに、その女性が登場するシーンがあります。ゲストの女性の映像We Are The World THE STORY BEHIND THE SONG(日本語字幕)The Making Of We Are The Worldwww.youtube.com* * *コラム「音路(33)世界は何が支えてる【1】二つのエイド」で書きましたが、特に、エチオピアの飢餓はひどく、干ばつ、内戦、国策の失敗などが原因とされています。下記の映像には、道路で倒れ込む人々がたくさん映されています。ここまでの惨状は、アフリカの歴史でも、そうそうありません。自然災害というよりも、人災に近いものです。もし、今の日本に生まれた私たちが、その時代のエチオピアに生まれていたらと思うと、言葉になりません。1984年のアフリカ・エチオピアの映像(NHKアーカイブス)◇細かな配慮この収録スタジオには、盲目のミュージシャンが二人いました。スティービー・ワンダーと、レイ・チャールズです。しっかりと、点字譜面の機器が用意してありましたが、彼らには、常人を越えるすごい耳がありましたね。この二人には、盲目は何の問題にはならないと思います。とはいえ、盲目の二人への配慮は、周囲の多くのミュージシャンたちの心に強く響いたと思います。前述しましたが、招待状の文面といい、スタジオ入口の貼り紙といい、バミリのセッティングといい、収録場所や日程といい、さまざまなスタジオ内での趣向といい、裕福で身勝手な者も多いスター・ミュージシャンたちへの特別な配慮として、彼らの心にしっかり響いたかもしれませんね。* * *先ほども書きましたが、下記動画(前述のジェーン・フォンダ番組)の20分あたりのエチオピア女性のシーンの後に、ライオネル・リッチーが、ミュージシャンたちに細かな指示を言います。さすが、ライオネル…、映像のこともよく考えてくれています。下っ端のスタッフではなく、あのライオネルに直接言われたら、言うことを聞くしかありませんね。このプロジェクトの中心メンバー(ホスト)である、クインシー、ライオネル、マイケル、スティービー、ケニーの牽引力は大したものです。若干 強めの総司令官クインシーは、言葉も時折強めです。おそらくは、現場の緊張感の維持と、最終権限の明確化が理由だと思いますが、スティービーがすかさず、「クインシー、そう怒るなって…」なんて言葉を吐きます。スティービーは、盲目でありながら、見えているかのように、ライオネルやクインシーを補佐しています。スティ―ビーの言動を、ライオネルもすぐに理解していますね。大した連携プレーです。次回コラムで、クインシーやライオネルらによる、個別のミュージシャンへの歌唱指導のことを書きますが、ここでも、すばらしい連携プレーを見ることができます。* * *中心メンバー(ホスト)のひとりで、白髭のケニー・ロジャースは、白色の、このプロジャクトのロゴ入りトレーナーを、かわいらしく着ています。さすが年季の入ったベテランです。ダイアナ・ロスも、女性スターでありながら、このトレーナーを着ています。マイケルの精神的なお姉さんとして、彼を強力に支えようという姿勢であることが、よくわかります。* * *マイケルは、他のミュージシャンたちよりも、少し派手めの衣装ですが、このプロジェクトの意義と大きさを考えると、この楽曲の作者として、また、この楽曲の精神性を示す意味で、マイケルの存在感たっぷりのふさわしい衣装だと、私は思います。さすが、映像作品「スリラー」をつくったマイケルです。映像作品になったときの効果を、すべてわかっていたと思います。「バンドエイド」の素朴な映像づくりからくらべると、非常に計算された、さすがエンターテイメントの国「アメリカ」を感じますね。下記動画の20分あたりから、今 書きました一連の光景を見ることができます。スタジオ内の映像We Are The World THE STORY BEHIND THE SONG(日本語字幕)The Making Of We Are The Worldwww.youtube.comこうしたひとりひとりに行き届いた細かな配慮が、各ミュージシャンたちの心に響かないはずはないですね。これほどまで、いろいろなものを目の前で見せられて、その気にならないミュージシャンはいないかもしれません。* * *コラム「音路(34)世界は何が支えてる【2】USAフォー・アフリカの始動 ~ エゴは預けて」では、人間の「エゴ」のことを書きました。スタジオの入口で、「Check your egos at the door(入口であなたのエゴを預けてください)」という貼り紙のこともご紹介しました。スタジオ内のある段階から、ミュージシャンたちは、自分たちの「エゴ」を預けるどころか、それぞれができる範囲で、できる何かの役割を果たそうという気運の中にあったようにも感じます。そんな空気感がスタジオを包んでいたとしたら、名曲に仕上がらないはすがありませんね。最後の決定打は、あの名歌詞です。歴史がつくられる瞬間というのは、こうしたものなのかもしれませんね。決して偶然ではないのだろうと思います。そこに、スーパースターたちの強い意志が存在し、それが上手に引き出され、そのチカラが惜しみなく発揮されたのだろうと思います。* * *すでに長文になっていますので、次回のコラムで、クインシーやライオネルによる、各ミュージシャンたちへの指導ぶりや、歌詞については書きたいと思います。名指導者と、名生徒(各ミュージシャン)にかかると、あっという間に名曲が生まれるということが、よくわかります。◇皆で、ひとつの「バナナボート」に…さて、あの黄色の「バナナボート」は、海の上で、自力では走行できませんね。それだけでは、ただの浮き輪と同じです。強力なモーターボートなどに、けん引してもらって初めて、大冒険ができますね。モーターボートは、さまざまな動きをしながら、バナナボートにたくさんの刺激を与えます。モーターボートに乗るミュージシャンたち…、バナナボートに乗るミュージシャンたち…、「USAフォー・アフリカ」がすごい「乗合いボート」だったことがよくわかりますね。◇歌詞にある「バナナボート」今回のコラムの最後は、さまざまな面白い「バナナボート」の音楽動画をご紹介します。浜辺にある黄色のレジャー用の「バナナボート」…、それを目にすると、何か、自然と高揚感がわいてきませんか…?クチでは説明できない、不思議なワクワク感を、私は感じてしまいます。前述のハリー・ベラフォンテの楽曲「バナナボート・ソング」も、まさにワクワク感いっぱいの、不思議な魔力を持った曲ですね。今でも、米国メジャーリーグの野球の試合中や、テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ」で、よく耳にします。* * *実は、この楽曲のテーマの「バナナボート」とは、レジャー用の黄色のバナナボートのことではありません。中央アメリカのカリブ海にあるジャマイカ国にあるバナナ園の、バナナ出荷用のボートのことです。当時、その船の色は、実は青色で、木像の小型運搬船といったところです。歌詞内容は、バナナ園で働く農夫たちの苦労や気持ちを歌ったもので、昔からの労働歌だったそうです。過酷で危険なタランチュラさえいる夜勤が終わった早朝に、早く家に帰りたいと叫ぶ、農夫たちの悲痛な叫びの歌詞内容なのですが、なぜか「ご陽気ソング」に聴こえてきます。実は、青色のバナナボートは、自身たちを、重労働から解放してくれる使者なのです。ワクワク気分になるのも、わかりますね。後でそのことは書きます。* * *印象的な言葉「デ~オ(デーヨ)」は、労働作業時に気合いを入れる掛け声のように聞こえてきますが、実は意味のある言葉です。もちろんこの言葉は、英語ではありません。西アフリカのナイジェリア国やトーゴ国に暮らす、西アフリカ最大の民族「ヨルバ族」の言葉だそうで、意味は「喜びが来る」ということのようです。ハリー・ベラフォンテはニューヨーク出身ですが、両親はカリブ海の国の出身です。前述したバナナ農園で働く労働者は、同じカリブ海の国トリニダード・トバゴからジャマイカに連れてこられた者たちです。トリニダード・トバゴ共和国は、トリニダード島とトバゴ島で形成されています。「トバゴ」の語源は「タバコ(煙草)」です。もともとこのカリブ海地域は、英国やスペインなどの欧州列強が植民地化で争い、各国が入れ替わり支配していた地域で、最終的に英国領になります。ジャマイカは現在も、エリザベス女王を君主とする「コモンウェルス・レルム」16ヵ国の一員です。そして、英国は大西洋を挟んだ西アフリカや、インドから、たくさんの労働者を連れてきました。ハリー・ベラフォンテ、カリブ海のジャマイカ、トリニダード・トバゴ、西アフリカ、ヨルバ族の言葉「デ~オ」、アフリカ民族を起源とする労働者、バナナボートが、これでつながりましたね。バナナを、早朝に「バナナボート」に積み終えたら、重労働は終わりです。そうです…ヨルバ語で言う「デ~オ」という喜びの時がやって来ますね。アフリカのヨルバ族に起源を持つ労働者が、トリニダード・トバゴからジャマイカに連れてこられ、バナナ農園で重労働を強いられ、バナナボートにバナナを積み終え、さあ朝日とともに重労働は終了、「デ~オ(喜びが来る)」ということですね。「早く家に帰りたい」という歌です。クイーンのフレディ・マーキュリーは、アフリカのザンジバル(当時英国領)の出身ですが、彼も、ステージでよく、「バナナボート・ソング」によく似た「デ~オ」の掛け声で客席と掛け合いをしていましたね。「デ~オ」…私も、早く大声で叫びたい!* * *この「バナナボート・ソング」は、ジャマイカでは「デイーオー(Day - O)」という名称でも呼ばれますが、ジャマイカ民謡には「メント」という音楽スタイルがあり、「バナナボート・ソング」は、実はメント・スタイルの代表曲だそうです。同じ中央アメリカのカリブ海には、トリニダード・トバゴ共和国に「カリプソ」という音楽スタイルがありますが、ジャマイカには当時「メント」がありました。後に、ジャマイカを中心にカリブ海音楽からは、融合スタイルの「レゲエ」が生まれてきましたね。* * *1956年、ハリー・ベラフォンテがカバーしたバージョン曲が、世界中で超大ヒット!もはや「バナナボート・ソング」といえば、ハリーの歌です。日本では、ある時期まで、なかなか買えなかった、高級品の果物の代表がバナナです。入院したときの高価なお見舞い品として、映画やドラマにも登場していましたね。今の感覚でいうと、バナナひと房が、5000円から1万円くらいの感覚でしょうか。60年代の昭和40年の頃から、急激に値下がりしていきました。値下げともあいまって、そりゃ、楽曲「バナナボート・ソング」でウキウキしちゃいますね…。今では、ひと房100円くらいのものでも、十分に「デ~オ」です。果物の中でも、好感度・人気度・親近感が最上位級のバナナ…、ス―パーにもしバナナがなかったら… そんなバナナ!(怒)。バナナ農園の農夫の方々… ありがとう!バナナボート・ソングの歌詞和訳◇バナナを片手に「デ~オ!」最後は、皆さまもバナナを片手に、「♪デ~オ」で楽しんでください!映画「ビートルジュース」の中で、険悪なテーブル会食の場で、バナナの魔法が…♪バナナボート・ソング映画「ビートルジュース」 Banana Boat Song日本語吹き替え版字幕版では「胃と手」や「みんなの頭がタランチュラ」など迷訳されていたことで有名。字幕出せます。www.youtube.com映像作品「ザ・レディ・イン・ザ・トゥッティ・フルッティ・ハット」の映像にあわせて…。奇想天外な映像展開にびっくり!最近は、こういう壮大な面白映像づくりが少ないですね…。バナナ娘とイチゴ娘の大ステージ…♪バナナボート・ソングHARRY BELAFONTE & CARMEN MIRANDA - DAY-O, BANANA BOAT SONGNesta edição, uma mistura para homenagear dois grandes artistas cujo negócio eram as bananas. Bom divertimento.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~In this edit...www.youtube.com元映像の、1943年のミュージカル映像作品はこちら…THE LADY IN THE TUTTI FRUTTI HAT1940年代の米国での、バナナの宣伝コマーシャルです。なんと太平洋戦争の頃に、この映像が流されていました。バナナCM映像* * *日米の野球界で大活躍した野茂英雄投手のテーマ曲でもありましたね…歌は、ディアマンテス。歌詞は野球にあわせて替えてあり、日本語バージョンもあります。♪ヒデ~オ野茂英雄のテーマ HIDE~O Eng.ver song byDIAMANTES野茂英雄のテーマです。www.youtube.com合唱サークルでも定番曲ですね…♪バナナボート・ソング楽器「ウクレレ」もピッタリ…♪バナナボート・ソングダンスサークルは「サンバ」で…♪バナナボート・ソングまさかの「ラップ・ミュージック」に…♪バナナボート・ソング1970年代に大人気だった「ゴールデンハーフ」…日本人と外国人のハーフの女性グループで、長野出身、札幌出身、神戸出身などなど…、獅子てんや・瀬戸わんやの名番組「家族そろって歌合戦」の映像です。♪「バナナボート・ソング」と「黄色いサクランボ」最後は、御大のハリー・ベラフォンテに…♪バナナボート・ソングHarry Belafonte - Banana Boat Song (live) 1997A fantastic performance of the Banana Boat Song. This concert was recorded in 1997 (State University Of New York at Purchase). The audience is great! :-)Don'...www.youtube.com* * *今年の夏…、浜辺でバナナボートに出会えるでしょうか…。最後に、昭和のギャグを言いたくて、書きたくて…、昭和の親父たちのメロディ付き定番ギャグ!お父さんたちは、職場で、家庭で、ギャグを言いまくっていましたね。♪ミセデ・ミセデ・ミセデ…、「見せて、見せて、見せて…」。♪イデデ・イデデ・イデデ…、「痛(いて)て、痛て、痛て…」。♪デ・ミセデ~オ…、「…で、見せて~よ」。…そんなバナナ!先を見通せない、これから数か月… そんな○○○!?* * *次回コラムも、「そんな○○○」の「ウィ・アー・ザ・ワールド」スタジオ収録のお話しです。コラム「音路(39)世界は何が支えてる【7終】ウィ・アー・ザ・ワールド~君のもとへ」につづく2021.6.26 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.音路シリーズの、音楽家別の曲探し今後の予定曲はこちら    ケロケロネット

    • 20Jun
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        音路37. 世界は何が支えてる【5】マイケルとクインシー【3】バッドvs.バットマン ~十三回忌

        マイケルの十三回忌。マイケル・ジャクソン「バッド」「アイル・ビー・ゼア」、プリンス「バットダンス」、クインシー・ジョーンズ、ジェームス・ブラウン、映画バットマン、THIS IS IT、つくられなかった別のバッド、永遠のライバル関係、ロック・洋楽・ダンス音楽。     *ブログ トップページはこちら音路(37)世界は何が支えてる【5】マイケルとクインシー【3】バッド vs.バットマン ~ 十三回忌前回コラム「音路(36)世界は何が支えてる【4】マイケルとクインシー【2】まさにオフ・ザ・ウォール」では、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ、ロッド・テンパートンの無敵のトライアングルのことや、アルバム「オフ・ザ・ウォール」と、楽曲「スリラー」のことを書きました。今回のコラムでは、マイケルとクインシーがコンビでつくったアルバム三部作の最後を飾る、アルバム「バッド」のこと、当時、マイケル・ジャクソンの最大の音楽ライバルであったプリンスとの関係などについて書きたいと思います。◇ライバルどうしの戦いが始まるさて、マイケルとクインシーによる、アルバム「スリラー(1982年)」と、二人による次のアルバム「バッド(1987年)」の中間である1985年に、楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」がつくられます。その2年ほど前の1983年、大御所の黒人ミュージシャンであるジェームス・ブラウンを挟んで、マイケル・ジャクソンとプリンスの戦いの火ぶたがきられました。「♪ゲロッパ」のジェ―ムス・ブラウンさん…、なんてことを…。マイケル、プリンス、いったい どうなっちゃうの…?* * *ここからのマイケルとプリンスの壮絶なバトルが、「ウィ・アー・ザ・ワールド」に影響を与えることになります。結果的に、二人の戦いは、楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」では行われずに、マイケルのアルバム「バッド」と、プリンスのアルバム「バットマン」に引き継がれていきます。楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」のスタジオ収録のお話しを書く前に、マイケルとプリンスの戦いについて、書ける範囲で配慮しながら書いてみます。二人のそれぞれの伝記映画の実現までには、まだまだ月日が必要かもしれませんね…。* * *一応、下記のような動画もありますので、二人の戦いのきっかけ(?)に興味のある方はどうぞ…。日本語訳がかなり雑なのは、自動の翻訳ソフトのせいだと思います。ですが、おおよそ内容はつかめると思います。マイケルとプリンス(動画)Michael Jackson & Prince Hated Each Other... But Here’s Why! | the detail.Michael Jackson and Prince, in terms of pop, the two practically defined the era and irrevocably altered the course of modern music. But with such dominant f...www.youtube.comジェームス・ブラウンのイベント(動画)James Brown calls Michael Jackson & Prince on the stage.The luckiest audience in history. 1983Established 1995, The Truth Radio has been a powerhouse for Entertainment, News and Sports.http://www.thetruthradio.com...www.youtube.comこのイベントでの、ちょっとしたプリンスの失態を、マイケルが言葉でなじってしまいます。プリンスは、敏感で競争心の激しいタイプの人間でした。その後、プリンスは、ある公衆の面前で、マイケルに演奏のふりをして仕返しをします。それぞれが、公衆の面前で屈辱を味わうという「きっかけ」はあったにしても、マイケルとプリンスは、それぞれが持っていない、とびきり優れた別々の才能を持っており、それをそれぞれがしっかり理解していたのは間違いないと思います。その時でなくとも、「きっかけ」は、いつかは生まれたかもしれません。* * *周囲の人間が「二人はライバルだ」と認める場合は、どういった分野でもそうですが、どちらか一方だけが実力が上の場合にはあまり起きませんね。どう見ても実力差がある…、一方が相手をライバル視していない…、どう見ても両者が低レベルの競争をしている…などの場合も、世間的にはライバルとは認めませんね。才能・実力・人気が、ハイレベルで同等のレベル…、それぞれがそれぞれに優位な面を持っていて、勝敗がつきにくいような場合の二人に対して、この言葉表現がされたりしますね。この二人の場合も、それぞれしか持っていない才能や優位性が、しっかり認識されていましたね。本人たちも、ライバルとして認め合うといった存在だったかもしれません。それだけに、妥協することのない戦いの火花が散っていたようにも感じます。ここでは、それぞれの音楽スタイルの優位性については書きませんが、皆さまがご想像しているとおりだと思います。* * *スポーツ界では、どの時代でも、あたり前のように、ライバル関係が存在していますよね。この関係性が、それぞれをさらに高みに引き上げ、戦いが激しさを増していきます。漠然とした、多勢の中からひとりだけが抜け出すというようなかたちではない、ライバルどうしの壮絶なバトルがそこにあったりします。音楽家どうしの場合は、その楽曲のクオリティやセンス、演奏やパフォ―マンスの技能や刺激度、売上数、観客動員数、人気などということになりますね。ミュージシャンで多いのは、「あいつが、あんな曲でヒットするなら、オレは、この曲をヒットさせてやる…」ですね。そして、音楽性では絶対に相手に引けをとらないと情熱を燃やすことです。相手が人気のエリートなら、オレは成り上がりの雑草魂だ…。昔、日本のプロ野球界でも壮絶なライバル関係がありましたね。長島、野村、王、村山、江川、西本、桑田、清原、松坂、上原…、みな強力なライバルがいましたね。イチロー、野茂には、また違った壮大な敵がいました。米国の音楽界の成功者は、エリートか、たたき上げか、両極端のタイプが多いかもしれませんね。そして、そこにはたいてい、強力なライバルがいました。◇強力な援軍マイケルにとって、クインシー・ジョーンズは最大の援軍です。周囲の多くの味方(家族・兄弟)に支えられ、小さい頃からエリートコースで、ダンスも歌も上手な天才マイケルと、たたき上げの成り上がりで、楽器を多彩に使いこなす孤高の天才プリンス…、そんな様子を思い浮かべます。プリンスは、比較的、孤高のアーティストのように思われますが、心を許したミュージシャン・ファミリーをつくっていきましたね。自身のつくった曲を、多くのお気に入りのミュージシャンたちに提供し、人数は増えていきました。プリンスは、自身の中に、さまざまな音楽性を備えていましたが、音楽の吸収力がすごく、どのような音楽スタイルでも飲み込んでいってしまうような面も持っていましたね。他のミュージシャンに提供した曲も、彼らに合わせた内容に仕上げていきました。プリンスのサウンドは、出身地のミネアポリスの音楽環境にも深く影響されており、プリンスのサウンドは、他の米国都市とは区別して「ミネアポリス・サウンド」として花開いていきましたね。米国には、このように特定の都市を中心に、固有の「サウンド」が形成されていくことがあります。日本でいえば、大阪、福岡、北海道、東北、沖縄など…その地域性を感じるような音楽サウンドですね。* * *実は、マイケルにとってのクインシーに似た存在が、プリンスにもいました。マイケルとクインシーの関係とは少し違い、こちらは険悪になりますが、プリンスというミュージシャンは、その人物がいなかったら生まれていなかっただろうというミュージシャンがいます。そのミュージシャンがまた、プリンス以上の、ものすごい「たたき上げ」で、自由奔放、豪快なロックスターそのもの…。私には、プリンスの姿の中に、彼の姿が生き続けています。でも、音楽性では、プリンスは彼を追い越していきました。そのお話しは、また別の回で書きます。* * *マイケルとプリンス…、バックボーンが違っていたとしても、それぞれを支える援軍がしっかりいました。ただ、それぞれのスターを上手に利用しようとする、ビジネス界の人間たちもたくさんいました。特に、マイケルは、後にマスコミの格好の餌食となります。ある意味、もはやライバルのプリンスにかまっている暇はない…周囲が敵だらけ…。二人に近い周囲の人間たちは、この二人が、利用され過ぎ、それぞれが孤独に陥ったときの危機感を感じていました。援軍の支えを失った時、人は孤独に陥りやすくなるものですね。孤独から立ち直り、再出発しようとしたときには、もはや身体がついてこないかもしれません。この二人は、生涯、援軍どうしにはなることはなく、ライバル関係のままでしたが、関係性が少し違っていたら、良き援軍になれたのかもしれません。共演作品をつくることもできたかもしれませんね。楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録スタジオに、この二人が並び立つ光景は生まれませんでした。◇つくられなかった、別の「バッド」さて、以前のコラムで、マイケルが、自身の楽曲「バッド」で、プリンスとの共演を考えて、行動をとったと書きました。先ほど、二人のバトルのことを書きましたが、その最中でのことです。結果的には、共演は実現しませんでした。* * *それにしても、その楽曲のタイトルが「バッド(悪:わる者たちの悪のこと)」とは…。もしこの曲の歌詞が、プリンスへの挑発というのが本当なら、マイケルも相当なものですね。やはり仕返しだったのか…?受けて立つプリンスの姿も見てみたかった…。* * *音楽ファンならずとも、クインシー、マイケル、プリンスによる共同制作の楽曲「バッド」を聴いてみたかった…。プリンスのことですから、歌とギターで参加したでしょう。大御所のジェームス・ブラウンでさえ、二人の険悪な関係の仲介はできなかったのだろうと思います。楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録は、関係改善のチャンスだったのかもしれません…。ひょっとしたら、楽曲「バッド」も、挑発でありながらも、関係改善の糸口になったかもしれません。ですが、交渉の末、プリンスは断りました。◇ザ・ビジネスマンマイケルも、プリンスも、優れたトップミュージシャンというだけでなく、ビジネスマンという側面も持っていましたね。巨額の富を使って、音楽だけでなく、さまざまなビジネスも展開しました。特にプリンスは、ビジネスの先見性があり、80年代にすでに、音楽配信ビジネスをかなりイメージしていたように感じます。いつかは、レコードやCDなどのパッケージ商品での多大な収益は見込めないと、予想していたかもしれません。音楽のストリーミング環境も予測していたかもしれません。ミュージシャンは、いつか演奏プラスアルファで稼ぐのが中心になると、予測していたのかもしれませんね。ただ、当時としては、ビジネス展開するには時期が早過ぎで、上手くいったとはいえません。彼は、自身の音楽だけでなく、いろいろな新しいビジネス手法に挑戦する、試してみるという改革派タイプでしたね。* * *一方、あくまで私の印象ですが、マイケルのビジネスは、巨額の資金を使って、少し荒っぽいビジネスをするタイプにも感じます。彼は、ある意味、ロックスターにありがちな浪費家の側面も少しありましたね。慈善活動にも熱心でしたが…。ビートルズの楽曲の権利に絡んで、大企業や、ポール・マッカートニーと、相当な戦いを起こしたりもしましたね。ビジネス上の政敵をつくりやすい面もありました。マイケルは、あのままだったら、いずれ破産したであろうともいわれています。でも、すぐに稼いで穴埋めするでしょうが…。実現しなかった、彼の世界コンサートツアーは、そのきっかけだったはずです。プリンスは先見性はあるが独善的で早過ぎ…、マイケルは荒っぽく支配的…、ビジネス面において、私はそんな印象を持っています。マイケルは、幼い頃から大スターでしたから、いたしかたないかもしれません。* * *私は、今も、米国が音楽ビジネスでも音楽著作権でも、世界の先端を走っているのは間違いないと感じます。米国の音楽界は、権利を上手くコントロールしながら、しっかり若い世代にもアプローチし、世代間ギャップを埋め、次の時代にも大きなビジネス市場がつくれる可能性をつなげていますね。若者世代の多くが、しっかり昔のスタンダード曲や、他分野の楽曲を理解しています。こうした取り組みは、音楽界だけでなく、米国のすべての米国経済ビジネス界に共通するものですね。一定の世代が、今あるビジネス市場を独占し続けるのではなく、次世代が、いろいろな分野で、大きなビジネス市場を新たに生み出していけるような環境を自国内に残していく姿勢がそこにあります。だからこそ、米国は常にナンバーワンのビジネス大国であり続け、新産業でも出遅れることはありません。新しい人材も次々に登場してきます。可能性とチャンスをつくる「投資の国」と、「貯蓄の国」の違いでしょうか…、どこかの国とは、かなりアプローチ方法が違いますね。金だけで危機は乗り越えられません。日本は、世界の音楽ビジネス界の先端を走る必要はないと思いますが、あまりにも置いていかれないでほしいですね…。日本の次世代にも、可能性とチャンスを…。* * *さて、二人とも、本業はミュージシャンでありアーティストでしたから、ビジネスには何人かのブレーンがいたでしょう。マイケルが、楽曲「バッド」に、プリンスを引き込もうとした理由は、さまざまにあったと思われますが、さすがに、プリンスのビジネス感覚はするどく、マイケル側の思惑を見抜いたのかもしれません。プリンスが、マイケル側の打診を断る際に、次のような主旨の言葉を残しています。「安心していいよ。私のチカラがなくとも、この曲は大ヒットするよ」。この言葉は、あまりにも深い意味が込められており、さまざまな解釈が可能ですね。多くの交渉が行われたと推察できます。このコラムでも、二人がそうであったように、これ以上の解説や言及は、あえてしないでおきます。ただ、一般的なビジネス感覚から推測するに、予測できそうなプリンス側への多大なダメージを回避し、二人のこれ以上の関係悪化と、マスコミの暴走を食い止めようとしたのだろうとも思います。プリンス側は、スマートに、静かに、さらりと受け流したのだろうと感じます。実際には、「バッド」の歌詞の差し替えなどでの交渉が行われており、一定段階までは進んだと思われます。マイケル側も、プリンスが断ってくることを、百も承知だったのかもしれません。マイケル本人はわかりませんが、マイケル側に、プリンス側と「これからは仲良くやりましょう…」という姿勢はまったく感じません。一部の人たちは、プリンスが断ってくれて、本当はホッとしたかもしれません。ライバル関係は、暗黙であったりすることも多く、実弾が飛び交うような戦いは稀です。本人どうしだけなら、そうそう激しい戦いにはならなくとも、周囲の大勢が関わった時点で、大戦争に発展することも少なくありません。マイケルも、プリンスも、一見 派手な見た目で、言動も華やかで大胆ですが、物事を非常に深く細かく考え、配慮し、言葉を選ぶミュージシャンでしたので、この時も、非常に優れた高度な判断をしたのだろうと思います。これ以上の、激しい戦いを避けたのかもしれません。マスコミは望んでいたでしょうが…。* * *マスコミや音楽ファンは、二人の共演を見たかったとは思いますが、さすがに、戦いや交渉に手慣れた米国のビジネス業界のようにも感じました。両者とも、なかなかのものたちですね。「面白いもの」が出来上がれば、何が起きてもいいというものでもありませんね。さすが、多くの荒波を乗り越えてきた両者です。二人のスーパースターに、実害や犠牲が出ない、いい意味の、ライバル関係・音楽対決は続くことになります。* * *この時期の二人の音楽アルバムの歴史です。1979年 マイケル「オフ・ザ・ウォール」1982年 マイケル「スリラー」、プリンス「1999」1984年 ジャクソンズ「ビクトリー」、プリンス「パープル・レイン」1985年 マイケルほか「ウィ・アー・ザ・ワールド」、プリンス「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」1986年 プリンス「パレード」1987年 マイケル「バッド」、プリンス「サイン・オブ・ザ・タイムス」1988年 マイケルの映画「ムーンウォーカー」、プリンス「ラヴ・セクシー」1989年 プリンス「バットマン」1990年 プリンス「グラフィティ・ブリッジ」1991年 マイケル「デンジャラス」…さらに続きました。◇バッド ~ Who's Bad ?さて、マイケルの楽曲「バッド(1987年)」の、スピード感・リズム感のある、それでいて悪党感いっぱいのサウンドも、クインシーでなければ、まず生まれてこなかったでしょう。クインシーの楽曲「アイアンサイド」(コラム「音路35.世界は何が支えてる【3】で紹介)に似た雰囲気が、「バッド」の中にもありますね。最後の殺し文句「フーズ・バッド ?(Who's Bad ?)」の台詞は誰のアイデアなのでしょう…。ここも「鬼警部アイアンサイド」のクインシーか…?* * *もし、プリンスが、楽曲「バッド」で共演していたら、どんなサウンド…、どんな映像…、になったのでしょう?クインシーは、プリンスをコントロールできたでしょうか…?本当なのかどうか真偽はわかりませんが、プリンスは、後にこんなことを語りました。「バッド」のミュージックビデオに登場する俳優のウェズリー・スナイプス(三人の相手ギャングの中央の黒人)の役は、オレ(プリンス)だったんだよ…」。配役のことなのか、オレ(プリンス)という存在のことなのかは、よくわかりません。もし役者としての登場が本当なら、ミュージシャンでの演奏シーンならともかく、プリンスは複雑な心境になるかもしれませんね…。クインシーは、言ったかも知れません。マイケルとプリンスの二人の関係…、「フーズ・バッド(Who's bad):悪いのはどっちだ? 本当の悪は誰だ?」。* * *下記の動画「バッド」には、楽曲の前後にストーリー映像があります。ここでは、さまざまな格差社会の中に渦巻く「悪」が描かれています。強者は弱者から搾取し、社会的弱者の中には武器にものを言わせる者もいます。でも悪の巣窟にも、夢や希望はあるはず…。中途半端な悪い者たちよ…、本当の悪を知っているのか…。本当の悪を見せてやる…。本当の悪はだれだ…?世界は変えられる…。この動画では、最後に、マイケルとウェズリー・スナイプスが握手して別れます。プリンスが語ったように、スナイプスの役をプリンスが行っていたら、それはそれで、とても素晴らしいシーンだっただろうと感じます。マイケルは、表向きには、プリンスを、敵対する強力なライバルとして扱っていましたが、心のどこかでは、スターどうしでわかりあえる…自身と同じ側の人間だと思っていたのかもしれませんね。私には、彼らの心の底や、共演依頼の真意までは、わかりません。本当の悪に立ち向かうマイケルの姿…♪バッドMichael Jackson - Bad (Official Video)“Bad” by Michael JacksonListen to Michael Jackson: https://MichaelJackson.lnk.to/_listenYDFor the first of nine short films for the “Bad” album, Michael Jack...www.youtube.com◇映画「バットマン」と、「バットダンス」マイケルの楽曲「バッド(1987年)」での共演を断ったプリンスは、その2年後、冗談のような話しですが、映画「バットマン(1989年)」のサントラをつくります。「バットマン」は、自身の中に闇を抱えた米国のヒーローですね。「悪(わる)」ではありませんが、心に「闇(やみ)」は抱えています。「バットマン」の物語には、バットマンの宿敵ジョーカーが登場します。1989年の映画「バットマン」では、俳優のジャック・ニコルソンが演じましたね。このジョーカーは、「Clown Prince of Crime(犯罪世界の道化王子)」とも表現される「悪のプリンス」です。* * *私は、当初、プリンスが、この映画のサントラを引き受けたことが不思議でなりませんでした。その時に、この映画の映像世界を見ていたとも思えません。映画監督のティム・バートンと、俳優のジャック・ニコルソンが、プリンスのファンだったからといって、彼がすぐに、コミックヒーローものの映画のサントラを引き受けるでしょうか…。ただ、背後に、マイケルとの猛烈なライバルどうしの戦い、「バッド」と「バットマン」、「悪のプリンス」といった映画内容があったことが、彼が引き受けた理由の中にあってもおかしくはないと、私は感じています。* * *下記の主題歌「バットダンス」の映像と歌詞…、マイケルへのものすごい挑発に見えなくもありません。そもそも、なぜ、タイトルが「バットダンス」などというダンス曲なのか…。下記の「バットダンス」の動画では、冒頭の笑い声といい、墓場のような場所といい、集団のダンスといい、まるでマイケルの「スリラー」への対抗のよう…。マイケルの楽曲「スリラー」の最後部は、男性の高らかな笑い声で終わります。「バットダンス」の冒頭には、その笑いをさらにあざ笑うような、男性の異様な笑い声で始まります。プリンスの道化の表情も、挑発そのもの…。マイケルの「スリラー」への、プリンスからの宣戦布告だったのかもしれません…?楽曲「バットダンス」の最後は、プリンスが笑い声を強引にストップさせます。「バットダンス」の映像には、バットマン支持派の女性軍団が登場します。マイケルの映像にはほぼ描かない、プリンス得意のセクシー路線も盛り込んできましたね。「バットダンス」は、プリンスの作詞作曲ですが、この歌詞は、マイケルへの挑発と解釈できないこともありません。歌詞の中の「バットマン」という名称は、いったい誰のことを言っているのでしょう…。プリンスの楽曲は、こうした暗に何かを指し示すような表現が非常に多かったですね。さすがプリンスです。◇「enema」と「butt」マイケルも、プリンスも、歌詞の中に、二重、三重の意味を込めているものが、非常に多かったですね。皆さまも、もしご興味がありましたら、マイケルの楽曲「バッド」と、プリンスの楽曲「バットマン」の歌詞を読んでみてください。それぞれの人物をイメージした、挑発曲と考えても不思議はない気がします。本コラムでは、歌詞和訳を紹介することが多いのですが、「バッド」と「バットダンス」については、世の中に、あまりにもたくさんのタイプの和訳があります。それだけ、解釈によって和訳が異なるということです。機会がありましたら、皆さまも、自身の和訳歌詞をつくってみたらいかがでしょうか。ひょっとしたら、英語、米国の社会問題、二人のライバル関係が、よくわかってくるかもしれませんね。でも、プリンスの楽曲の歌詞は、青少年の教育上ちょっと…。* * *「バットマン」の歌詞は、「意味深」過ぎて、クラクラしてきそうです。「バットマン」のことだけを表現するのに、このような歌詞に、はたして なるでしょうか…?バットマンの歌詞の中に、「enema(エネマ:かん腸の意味)」という用語がどうして必要なんだ…?なぜって…マイケルが楽曲「バッド」の中で「butt(バット:お尻の意味)」と言ったから…?それなら「バットマン」だ!「バットマン」は、まさかの「カンチョウ尻男」…。私のほうが、ちょっと強引かな…?お食事中の方…ゴメンナサイ。でも、この用語問題は、実際に、マイケル側とプリンス側で、大モメした部分のひとつです。◇バットダンス実は、先ほど書きました、楽曲「バッド」のマイケルと同じで、バットマンは社会の悪と戦うヒーローです。プリンスは、同じ方向性であることをマイケルに示したと考えられなくもありません。楽曲「バットダンス」は、マイケルの「バッド」への、いい意味での返答であったのかもしれませんね。♪バットダンスPrince - Batdance (Official Music Video)"Batdance" from 'Batman' (1989)☔️ Listen to more Prince here https://lnk.to/PrinceStream📺 Watch all the official Prince videos here http://bit.ly/PrinceVide...www.youtube.comマイケルとプリンスは、暴力や訴訟などではなく、ハイレベルの音楽で壮絶なバトルをしていたといっていいのかもしれません。音楽作品での戦いなら、周囲は大歓迎。ハイレベル過ぎて、何だか笑ってしまいます。「悪」でも、「尻」でも、「こうもり」でも、「かん腸」でも、何でもいいです…。この戦い方なら、平和的で、文化的…。競争心は、創造性をも成長させる…。マイケルにはプリンス…、クインシーにはモーリス・ホワイト…、やはり、強力なライバルがいることは、非常にいいことですね。壮絶なバトルが、アーティストたちを、さらに「高み」に導きますね。◇永遠のライバル ~ アイル・ビー・ゼアマイケル・ジャクソンは、1958年8月29日、米国インディアナ州の小さなゲーリー市(シカゴから南東約50キロメートル)に生まれました。彼は、故郷のゲーリー市に、大型の芸術劇場を建設する考えでしたが、実現はしませんでした。彼が今年 生きていたら、63歳です。彼は、2009年7月13日から2010年3月6日まで、英国ロンドンで、全50公演のライブ「This is It」を予定していました。おそらくその後に、数年かけて世界各地を回ったでしょう。彼の言葉を借りれば、それは彼の最後の世界ツアーだったかもしれません。リハーサルが重ねられている中、直前の6月25日に、マイケルは急死します。享年50歳。そのリハーサル風景は映像に残され、その後、大ヒット映画「THIS IS IT(ディス・イズ・イット)」になりましたね。* * *本コラムの最後は、彼の「ジャクソン5」時代の大ヒット曲「アイル・ビー・ゼア」をとりあげます。「ジャクソン5」のことは、コラム「音路(35)世界は何が支えてる【3】マイケルとクインシー【1】ビート・イット」でも書きましたが、1969年にデビューし、リードボーカルはマイケルでした。1970年には楽曲「アイル・ビー・ゼア」が大ヒットします。当時、マイケルは 12歳。日本でいえば、小学6年生か中学1年生です。下記の動画では、その曲にのせて、1970年から2009年までの彼の姿を見ることができます。♪アイル・ビー・ゼアMichael Jackson - I'll Be There 1970 to 2009If you are on mobile or tablet, you can see the video here : https://drive.google.com/file/d/0ByNuDobVi-5yMmVZWnhQbHZkUmc/viewThis is a little video editing ...www.youtube.com12歳のマイケルの声と、日本語訳のついた動画です。♪アイル・ビー・ゼアI'll be there Michael Jackson&The Jackson5 (日本語訳)ENG&JPN lyricswww.youtube.comこの楽曲で、マイケルは、「I'll be there(その場所に僕はかけつけるよ)」と歌っています。今はもう、彼の身体は、私たちのところにはやって来てくれません。でも、彼の魂は、変わらず、その場所にいるのかもしれませんね。* * *マイケルの死後、クインシー・ジョーンズは「弟を亡くした」と語りました。あのプリンスは、次のような主旨のことを言います。「愛する人を亡くすのは、いつだってつらいものだ…。(略)マイケルは小さい頃から(スターとして生きてきて)相当に苦労しただろう。そんな話しを、もっと彼としたかった」。私の印象では、マイケルの死後、プリンスは何か精彩(せいさい)を欠いていたように感じます。* * *プリンスも、マイケルと同じ1958年の米国生まれです。マイケルの死の7年後の2016年に、マイケルと少し似たようなかたちで、プリンスは死亡します。享年57歳。今度は、天国で、二人はバトルしているのかも…。あるいは、二人でよく話をしているのかも…。〔マイケル〕「プリンスよ…、バッド(悪:わる)の決着をつけてやる。 THIS IS IT(さあ、いよいよ、最後にここで決めてやるぜ)!でも、最強のライバルだったアンタなら、わかるだろ…オレの気持ち」。〔プリンス〕「マイケルよ…、オレは、あのバットマンだぜ!」。永遠のライバルは、二人とも、あまりにも早世…。そこまで競わなくても…。下記の動画は、2009年のリハーサル中の、死の直前のマイケルです。12歳の頃とまったく違う、大人のマイケルの歌声です。ここで兄弟たちの名を呼ぶなんて…。♪アイル・ビー・ゼア(2009年)Michael Jackson - I'll Be There ( This Is It )#MJ's This Is It rehearsal - I'll Be Therewww.youtube.com◇Who's Person ? ~ その人物は誰今回のコラムで、マイケルとクインシーの関係のお話しは終わりになりますが、1982年に、多くのミュージシャンを集めて、つくり上げたアルバム「ドナ・サマー」の実績や、マイケルとの仕事ぶりを評価され、プロジェクト「USAフォー・アフリカ」でも、クインシー・ジョーンズに白羽の矢が立ったのかもしれません。こんなクインシーだからこそ、「ウィ・アー・ザ・ワールド」をつくれたのですね。1985年の、あの楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、誰でもつくれる音楽だとは、到底思えません。他の誰でもなく、「クインシーとマイケルが、そこにいた」ということなのでしょう。プリンスにも、事前にこの楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」のテープが渡されており、彼に言わせたら、「この曲は好きじゃない…」でしたが、本当はどのように思ったでしょう…?〔プリンス〕「あいつ…、またクインシーと一緒に、やりやがったな」…?* * *マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズ…、この二人が、世界の音楽とダンスの一時代を支えたのは間違いないと感じます。この二人が残してくれた名曲の数々は、永遠に聴き継がれていくのでしょう。名曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の音楽世界を、誰ならつくることができたでしょうね…。Who's Person?* * *マイケルの命日(6月25日)が近づいてきました。2009年に永眠してから12年です。日本的に言えば、「十三回忌」。マイケルのことは、ずっと忘れません。You'll be there.* * *次回コラムは、いよいよ「ウィ・アー・ザ・ワールド」の「THIS IS IT」である、スタジオ収録当日のお話しです。コラム「音路(38)」につづく2021.6.20 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.音路シリーズの、音楽家別の曲探し今後の予定曲はこちら    ケロケロネット

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           あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*ブログ トップページはこちら「音路(おんろ)シリーズ」今後の掲載予定【近々、掲載の予定】*信じていいですか?【後編】*天使か悪魔か(1) ~聖母*天使か悪魔か(2) ~天使のささやき*天使か悪魔か(3) ~ 堕ちた天使*世界中の誰よりも*愛の迷走(3)どこに向かおうとしているのか、Do you know?*永遠の別れ…灯は風で消えた*腐草為蛍…だれのために光る(オールド・ラング・サイン)*愛の迷走(4)恋人と恋人のあいだ*愛の迷走(5)越えていけ*愛の迷走(6)アクの強いお父さんから、娘にひと言…*愛は直球勝負…*ダンスの分かれ道(ダンス動画集)【もう少し先】♪ミサ・ブレヴィスほか / キリエとグローリア(1)♪ミサ・ブレヴィスほか / キリエとグローリア(2)♪複数曲 / それってマジ(true)?♪複数曲 / コカコーラ飲んじゃうでしょ♪複数曲 / カップヌードルでなきゃOKしないよ♪複数曲 / Kiss したいの?♪複数曲 / 恋におちるの?おちないの?♪複数曲 / このイントロ…何かのコント? でも見事な昭和歌謡!♪月光ソナタ/ あの人は月光 ~ 僕の不滅の恋人(ベートーヴェン)♪月光ほか/ あなたはムーンライト・ファンタジー…さあ谷を越えていけ♪ムーンライト・シャドーほか / あの人は月影 ~ 楽器は本当に自分で歌う♪デザート・ムーンほか / 月を観ながら♪街角のカフェ、潮騒のメロディほか / 思わず立ち寄りたくなる「イージーリスニング・ミルズカフェ」♪ピーター・パイパー / 夢見るピアニスト ~ 早口言葉のような、ルンルン演奏♪オール・バイ・マイセルフほか / つくり直しても、やっぱり名曲♪コメディ音楽映像 / コメディアンにしかつくれない音楽世界♪こころたび ほか / 旅の歌は心の詩♪複数曲 / 夜のムーディーロックおとぎ話し♪複数曲 / 夏の夜は、ビーチでコパ!♪複数曲 / 私たち…おひとよしなもので【そのうち…】♪サン・シティ / アフリカの人種隔離政策と戦うぞ♪モニーモニー / 金で何でもできると勘違いしちゃいけない♪エンド・オブ・ザ・イノセンスほか/ 無邪気でいられた時代♪赤いスイートピーほか / 私、歌うことを絶対にやめないわ♪複数曲 / ブレークする曲 ~ ブレークスルーって、もはや死語?♪複数曲 / 魔性の男♪複数曲 / 好きでもないのに耳から離れない曲♪複数曲 /その気になってくれた?♪複数曲 / クラシック曲が、身近な流行歌に(1)(2)♪複数曲 / 私って、言われなくても突き進めるタイプなの♪複数曲 / フランケンシュタイン・コンプレックス & ダーティハリー・シンドローム♪複数曲 / 励ます言葉は、年齢によって違う♪複数曲 / 言葉以上の歌詞♪複数曲 / 夜が暗く長かった時代♪複数曲 / そんなこと私に聞かないで…♪複数曲 / 音楽とダンス…どっちとる? ~ プリンスを育てた王子さま(ダンス動画集)♪レッツ・ツイスト・アゲインほか / 音楽もダンスも、ひねりが肝心(ダンス動画集)♪複数曲 / 踊るの最高、見るのも最高、見なきゃ損だんす(ダンス動画集)♪複数曲 / 雨の日は名曲が生まれる♪複数曲 / 日本は雨の種類が多過ぎ…もはや判別できません♪複数曲 / 歌で風を吹かせてやる♪シンプリー・イレシスティブル / 女をはべらす普通じゃない男♪どんな歌でも料理してやるぜ…、俺がトム・ジョーンズだ!♪どんな歌でも料理してあげるわ…、私がマライア・キャリーよ!♪ザ・リバーほか/ 名曲なんだけど、ここで流すのはちょっと…♪ステップ・バイ・ステップほか/ あの時のあのブロックにいたアイドルたち♪ウィ・ビルトゥ・ディス・シテイ / ロックで都市をつくるだと…いったい何をつくる気だ♪イヤー・オブ・ザ・キャットほか / 私の猫のうた♪エッジ・オブ・セブンティーン / 17歳の私へ ~ 心のギリギリ♪ニアサイテッドほか/ 目はクチほどに歌を歌う♪セパレート・ウェイズほか / 気持ちとは逆の戦闘態勢の歌♪1枚のアルバム / 噂の中で、どの面さげて一緒に歌うのよ!♪ガール・ライク・ユーほか / 君みたいな女♪ロック・ディス・タウン / ニャニャー!ロカビリーのニャンたち♪ジョニーBグッド / ジョニー “J ” バック♪サルタンズ・オブ・スイング /ロックンロールの生みの親♪ドリームスほか/ 夢のうた♪マッカーサー・パーク / 公園も通りもマッカーサー真っ盛り♪移民の歌 / 叫ぶ彼らはどこへ行く♪ヴィーナス /ショックは続くよ、どこまでも♪愛のハーモニー /二つのシーカーズ♪25or 6 to 4(長い夜) /ラッパで時代を吹きまくれ♪カントリーワイン /そろそろ田舎に戻ろうよ♪ドント・テル・ミー・ユー・ラブ・ミー /仲良しツインギター、笑ってバトル♪フォトグラフ /片腕失ってもドラムを叩くぞ♪イエスタデイ・ワンスモア / お願いです…昨日に戻して♪ブルースはお好き /日本にある、もうひとつのブルース♪ハイウェイスター /うねってうねって、走って走って、ロックはドライブ感♪複数曲 / クイーンの交響曲♪複数曲 / 固定電話のある風景♪複数曲 / ひとのどこを、どのように褒めたらいいのだろうか…♪複数曲 / 息を吹きかえす重量級オヤジたち♪複数曲 / 息を吹きかえす絶叫オバサンたち♪複数曲 / Let's しましょう♪複数曲 / それは心から…♪複数曲 / オレがつくったバンドなのに♪敦盛ほか / 織田信長の「駄菓子を食ってから一曲踊るぞ…是非もなし」(クラシック)♪フライング・ダッチマン(さまよえるオランダ人) / クラシック音楽で戦国武将(ワーグナー)♪青少年のための管弦楽入門/音楽の師であること(ブリテン)♪フランス組曲 /歳の離れた花嫁さんは歌もお上手(バッハ)♪ベートーヴェンの交響曲 /人生も順番もオレが決める、つべこべ言うな♪モーツァルト / 管楽器は好きじゃないけど、オレに任せとけ♪ショパンの協奏曲/ショパンと謙信の「失意と孤独」執筆 : 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.  あの曲、あの動画はどこ… 音楽家別索引*ブログ トップページはこちら 

    • 12Jun
      • 音路36. 世界は何が支えてる【4】マイケルとクインシー【2】まさにオフ・ザ・ウォールの画像

        音路36. 世界は何が支えてる【4】マイケルとクインシー【2】まさにオフ・ザ・ウォール

        マイケル・ジャクソン「今夜はドントストップ」「ロック・ウィズ・ユー」「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」、ジョージ・ベンソン「ギブ・ミー・ザ・ナイト」、パティ・オースチン「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」、ブラザーズ・ジョンソン「ストンプ」、ヒートウェイブ「ブギーナイツ」、映画「カラーパープル」、クインシー・ジョーンズ、ロッド・テンパートン、ロック・洋楽。     *ブログ トップページはこちら音路(36)世界は何が支えてる【4】マイケルとクインシー【2】まさにオフ・ザ・ウォールコラム「音路(35)世界は何が支えてる【3】マイケルとクインシー【1】ビート・イット」では、マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズの出会い、クインシーの音楽世界などについて書きました。今回のコラムは、マイケルとクインシーがコンビでつくった幾つかの楽曲のこと、そして、当時、マイケルとクインシーをさらに支えた。あるミュージシャンのことを書きたいと思います。* * *前回コラムでは、マイケルとクインシーがコンビで初めてつくったアルバム「オフ・ザ・ウォール」の中におさめられていた楽曲「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」のことを書きましたが、今回は「オフ・ザ・ウォ―ル」のアルバムの中から、他の楽曲のことを書きます。◇スーパースターたちの世界制覇の瞬間読者の皆さまもそうだと思いますが、私も、スーパースターにいずれなるミュージシャンたちの、世界制覇のきっかけになるような衝撃的な瞬間に、何度となく接してきました。そうした衝撃的な瞬間というのは、いつまでも忘れないものですね。歴史的なヒット曲に初めて接したときとはまた違う、そのアーティストが大きく飛び立つときの大きな波動を感じるものです。まさに「オレが、時代の真ん中をこれから進むぞ、前を開けろ…」というような、アーティストたちの雰囲気です。人気ミュージシャンはたくさんいますが、そんなアーティストたちは、そうそういませんね。* * *プリンスなら、「ホエン・ダブズ・クライ(ビートに抱かれて)」。「パープル・レイン」でダメ押し。ペイズリー柄の服が世界中に…。マドンナなら、「ラッキー・スター」。「ライク・ア・バージン」でダメ押し。時代の女性のファッションリーダーに。ブルース・スプリングスティーンなら、アルバム「ボーン・イン・ザ・USA」の一連の大ヒット連発。アメリカの良心に…、ロック界の「ボス」の座に…。ドナ・サマーなら、「ホット・スタッフ」。押しも押されぬ「ディスコの女王様」に。ホイットニー・ヒューストンなら、「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」。その歌唱力で世界を圧倒!米国国歌は、彼女のまさに持ち歌に…。スティ―ビー・ワンダーなら、「スーパースティション(迷信)」。彼と楽器「モーグ・シンセサイザー」が音楽に新時代を…。個人的には、今でも、冒頭の音を聴いただけで興奮してきます。いずれ、スティービーと数々のスーパースターたちによる共演での「迷信」のことも書きます。ビージーズなら、「ステイン・アライブ」。夜の「フィ―バ―」は、彼らがつくった!ヴァン・ヘイレンなら、「ジャンプ」。超絶ギター演奏法の日本での呼び方は、ライトハンド奏法!さすが技術立国の日本では、当時、タッピング奏法とは微妙に区別しました。U2なら、「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」。生意気なアイドルたちは、まさに世界の大物ロッカーに…。このステップアップが、なかなかできない…。コールドプレイなら、「ヴィヴァ・ラ・ヴィダ」。パソコンとともに、地球全体が、この楽曲とネット社会につつまれた。カーペンターズなら、「クロース・トゥ・ユー」。日本での圧倒的な制覇は、「イエスタディ・ワンスモア」。「トップ・オブ・ザ・ワールド」で、歌のタイトルどおり、まさに舞い上がって有頂天!…このくらいにしますが、「トップ・オブ・ザ・ワールド」になったミュージシャンたちでしたね。まさに楽曲がヒットしただけでなく、世界が…、時代が…、彼らによって揺れ動かされた瞬間でした。上記の楽曲については、今後、「音路シリーズ」ですべて書く予定です。◇それは、まさに「オフ・ザ・ウォ―ル」世界制覇という意味では、マイケル・ジャクソンには、アルバム「オフ・ザ・ウォール」の中におさめられていた、大ヒット曲「今夜はドント・ストップ( Don’t Stop 'Til You Get Enough )」です。次のアルバム「スリラー」でダメ押し。あのダンスアクションで、世界を隅々まで完全制覇!小学生から大人まで「ムーン・ウォ―ク」の練習を…。実は私も、畳の上でスリスリ…、多くの人の靴底が減りました。* * *マイケルのアルバム「オフ・ザ・ウォ―ル」からは、当時の他の黒人ミュージシャンたちのサウンドにはなかった新しいサウンドを感じることができ、「いったい、このすごいサウンドは何だ…」と多くの人が感じたものです。この時点で、クインシー・ジョーンズの存在を知った方も多かったと思います。このアルバム「オフ・ザ・ウォール」で、マイケルが、スティービー・ワンダーに匹敵するような存在になる可能性を、多くの人が感じたと思います。クインシー・ジョーンズ自身も円熟期を向かえつつあり、まさに奇跡のコンビの誕生の瞬間でしたね。この組み合わせがなければ、その後の名曲たちや、ダンスのスーパースターは生まれていないと思います。コラム「音路(35)世界は何が支えてる【3】マイケルとクインシー【1】ビート・イット」でも書きましたとおり、クインシーには、アース・ウインド&ファイアーのモーリス・ホワイトを絶対に越えてやるという情熱がみなぎっていたことでしょう。彼は、新しい「音楽による衝撃」に挑戦していったのかもしれません。* * *下記のマイケルの動画からは、この時期に、その後のマイケルのダンスパフォ―マンスが完成に近づいていたことがよくわかります。あの白く光る靴下も、すでに履いています。あの高音の独特のマイケルの叫びや息づかいも、そこらじゅうに盛り込まれています。そこにいたのは、「ジャクソン5」の頃のマイケルとはまったく別人のマイケルでした。「ジャクソン5」のモータウンサウンドの雰囲気を若干残しつつも、そこに、さまざまなスタイルの音楽が融合したかのような、クインシー色の音楽世界と彼流の刺激が加えられ、そしてまさに、ディスコ音楽とは違う、新しいダンス音楽を目指す方向性を強く感じます。* * *「オフ・ザ・ウォ―ル(Off The Wall)」とは、日本語にすれば「普通じゃ考えられない」、「まさに型破りな」、「常識破りで普通じゃない」というような意味を示す時の英語表現です。当時のレコードジャケットでは、白く光る靴下を履いた、正装のマイケルが、レンガの壁の前で踊りだしそうな格好で立っています。今現代は、ジャケットを楽しむような時代ではありませんが、その両開きで一枚の写真になる、大型の紙ジャケットは、当時、まさに衝撃的な画像でした。今の若い世代には、小さなCDジャケットから、なかなか理解できないかもしれませんが、このLPレコードの大型紙ジャケットと、聴いたことのないサウンドによる、これほどの襲撃は、現代には誕生しにくくなった超スーパースターでなければ、なかなか味わうことができません。タイトルどおりに、「普通じゃ考えられない」ような衝撃度でした。個人的には、「スリラー」や「バッド」よりも衝撃的でした。* * *アルバム「オフ・ザ・ウォ―ル」から、クインシーとのコンビで計3枚のアルバムがつくられます。「オフ・ザ・ウォ―ル」(1979)、「スリラー」(1982)、「バッド」(1987)です。それぞれのジャケットには、成長していくマイケルの表情と姿が表現されています。この3枚のアルバムと、楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」が、クインシーとマイケルが組んだ、歴史的な偉業となりました。その後のアルバム「デンジャラス」からは、別のプロデューサーや、自身でのプロデュースとなりますが、かつてのクインシーとの三部作のような勢いは失われていきます。ある意味、「デンジャラス」までが、彼の成功作品となります。個人的には、もう少しクインシーと一緒に続けてほしかった気もします。彼の人生も違ったものになったかもしれません。マドンナのような永続性を、マイケルもつくることができたかもしれませんね。マイケルは事故をきっかけに整形や脱色をはじめ、結婚と離婚、映画製作、数々の裁判を重ねるなど、彼の人生には暗雲が立ちこめてきます。個人的には、マイケルとクインシーのコンビは、マイケルのためにも、もっと長く続けておくべきだったと感じています。離れてから、その大切さがわかってきますね…。* * *今の時代に聴けば、「オフ・ザ・ウォ―ル(普通じゃない)」とは いかないかもしれませが、マイケルとクインシーの世界を感じながら、どうぞ…。80年代初頭の「音楽への挑戦」の匂いがしてきます…。♪今夜はドント・ストップMichael Jackson - Don’t Stop 'Til You Get Enough (Official Video)“Don't Stop 'Til You Get Enough" by Michael JacksonListen to Michael Jackson: https://MichaelJackson.lnk.to/_listenYD"Don't Stop 'Til You Get Enough" was the...www.youtube.com♪ロック・ウィズ・ユーMichael Jackson - Rock With You (Official Video)"Rock With You" was Michael Jackson's second short film, filmed in 1979 for the second No. 1 hit single from 'Off the Wall.' The Bruce Gowers-directed short ...www.youtube.com♪オフ・ザ・ウォールMichael Jackson - Off the Wall (Audio)“Off The Wall" by Michael JacksonListen to Michael Jackson: https://MichaelJackson.lnk.to/_listenYDSubscribe to the official Michael Jackson YouTube Channel:...www.youtube.com◇スリラーアルバム「オフ・ザ・ウォール」の次のアルバムが、あの「スリラー」です。名曲「スリラー」は、ゾンビ、恐怖をテーマにした「おとぎ話」のような楽曲ですが、どうしてあれほどワクワクさせてくれる、楽しいダンス音楽に感じるのか…?世界の音楽職人たちには、クインシーのチカラこそ…、「スリラー」でしたね。マイケルとクインシーでなければ、つくることのできなかった音楽世界だったと思います。* * *この楽曲「スリラー」(1982年)のおかげで、世界中で、どれだけビデオデッキが売れたことか…、家電メーカーや家電量販店にとっても、まさにスリラー現象…。そして、世の中のミュージシャンたちは、猫もしゃくしも、「ミュージックビデオ」の時代に突入します。前年の1981年、「MTV」が米国で開局します。同じ年、日本では、ブリヂストンと博報堂が、小林克也さんの「ベストヒットUSA」(今でも継続中)というテレビ音楽番組を誕生させます。1位は、あの曲…テレビ番組「ベストヒットUSA」ベストヒットUSA 2003 / 80's COUNT DOWN USA / 1980年代ベスト202003年新春に放映された ベストヒットUSA 2003 から1980年代ベスト20www.youtube.com日本では、他にも、ミュージックビデオを放映する音楽番組が、たくさん作られました。ピーター・バラカンさん、マイケル(マイコー)富岡さんも、テレビに登場してきましたね。マイケル・ジャクソンの「スリラー」は、どれほど「ミュージックビデオ時代」の創成に貢献したことか…。すさまじい「モンスター・パワー」でしたね。* * *アルバム「スリラー」は、世界でもっとも売れたアルバムとして、ギネス記録となっています。一応、約6600万枚ですが、一説には全世界で1億枚以上ともいわれています。違法の複製品を含めたら、さらに ひとケタ多いかもしれません。今現代は、日本などのアジアや、欧州の一部くらいでしか、CDやレコードは売れません。売上の大半は日本だと思います。日本では、カセットテープでの販売も残っている、消費者にやさしい国ですね。近年は、ストリーミング(ユーチューブ視聴など含む)が急速に拡大し、そのうち音楽ダウンロード販売もなくなる可能性が高いですね。昭和のレコード世代やCD世代からみたら、別世界のようです。今 音楽ブログを書く人間や、かつてレコードを買えなかった者たち、音楽の勉強をしたい若者たちにとっては、ありがたい今のストリーミング環境です。音楽環境は、これからも大幅に変化していきそうですね。今は、CDなどのパッケージ商品の売上は、全世界でも、1億枚もないかもしれません。そのうち、マイケルの「スリラー」単体の枚数を下回るでしょう。音楽ビジネスのかたちは、マイケルが全盛期だった80年代とは大きく変わりましたね。また別の機会に、このモンスターアルバム「スリラー」のことは書きます。♪スリラーMichael Jackson - Thriller (Official Video)Michael Jackson's official music video for "Thriller"Listen to more Michael Jackson: https://MichaelJackson.lnk.to/Stream!toMichael Jackson's 14-minute short...www.youtube.com◇ロッド・テンパートン今回のコラムでは、ここまで、「今夜はドントストップ」など数曲をご紹介しましたが、この楽曲らの中で、マイケル自身が作詞作曲したのは、「今夜はドントストップ」のみです。あとの、「ロック・ウィズ・ユー」、「オフ・ザ・ウォ―ル」、「スリラー」は、別のひとりの人物がつくった作品です。彼は、アルバム「オフ・ザ・ウォール」とアルバム「スリラー」の中でも、別の曲をつくっています。彼の名は、英国のミュージシャンの、ロッド・テンパートンです。この時期のマイケルを音楽面で支えた人物は、クインシーと、このロッドです。この二人がいなければ、マイケル・ジャクソンのこの時期の音楽は、間違いなく、あのかたちで、つくられていません。マイケルとクインシーを陰で支えた、もうひとりの天才音楽家…それがロッド・テンパートンです。マイケル・ジャクソンが三部作で、世界を席捲する時期に、ちょうどロッド・テンパートンも円熟期をむかえます。それでも、ロッドは、マイケル用に300曲ほど書いて、実際に採用された曲が、10曲あるかどうか程度だったそうです。その中に、前述のマイケルの代表曲の三曲があります。* * *ロッドは、「ヒートウェイブ」というディスコバンドのメンバーでしたが、あまりにも卓越した作曲能力を持っていたため、ある時期から、作曲家、音楽プロデュ―サーに専念するようになります。クインシーは、早くから、ロッドの作曲能力に惚れ込み、クインシーが世に出すミュージシャンたちの楽曲の多くをロッドに依頼し、見事にヒット曲を生み出していきます。「スリラー」を作詞作曲した人物…、まさに彼の名刺代わりの一曲でした。前回コラムでは、クインシーの代表作品を紹介しました。実は、その中の、甘い甘~いバラード曲の「シークレット・ガーデン」と「ベイビー・カム・トゥ・ミー」も、ロッドの作曲です。ここで、ロッド・テンパートンが作曲した他の代表曲を少しだけご紹介します。ディスコ音楽ファンの方々でしたら、「そうそう、この曲…」と言いたくなる楽曲たちですね。まずは、ヒートウェイブ時代の曲です。音楽のセンスが、すでにあらわれていますね。♪ブギ―ナイツ(1976年)Boogie Nights (1976)Heatwave-Too Hot to Handle (1976)www.youtube.comジョージ・ベンソンの♪ギブ・ミー・ザ・ナイト(1980年)George Benson - Give Me The Night (Official Music Video)You're watching the official music video for George Benson - "Give Me The Night" from the album 'Give Me The Night' (1980). "Give Me The Night" reached No. 4...www.youtube.comブラザーズ・ジョンソンの♪ストンプ(1980年)The Brothers Johnson - Stomp!Explore more of The Brothers Johnson's best songs here: https://www.udiscovermusic.com/stories/brothers-johnson-in-20-songs?utm_campaign=uDYT&utm_medium=yout...www.youtube.comパティ・オースチンの♪ドゥ・ユー・ラヴ・ミー(1981年)Do You Love Me? - Patti Austin -Do You Love Me? - Patti Austin -www.youtube.comどの曲も、マイケル・ジャクソンが歌っても様になりそうな、さらに魅力が引き出されそうな楽曲ばかりですね。欲張り過ぎはよくありませんが、できれば全部、マイケルが歌うオリジナル曲であったなら…どれだけ…。マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ、ロッド・テンパートンの三角形のトライアングルが、いかに相性がよかったがわかります。この三角形に気づいて、それをつくりあげたのが、クインシーだったように感じます。カーペンターズの音楽を支えた作詞家のジョン・ベティス、ハードロック界の数々の有名ギタリストたち、映像面では、映画「ブルース・ブラザース」や「トワイライトゾーン」、エディ・マーフィものの映画などを手がけたジョン・ランディスが、マイケルを支援したのは、皆さまもよくご存じですね。とにかく、少年マイケルを、超スーパースターに育て上げるために、多くの分野のプロフェッショナルたちが集められましたね。マイケル自身の才能や努力も当然あったと思いますが、これだけのサポートを受けて、超スーパースターに育たないはずがないようにも感じます。「金のタマゴ」は、しっかりと立派な「鳳凰(ほうおう)」になりましたね。マイケルのところには、大成功の後、集まってほしくない連中も、金の匂いに誘われて膨大な数で押しかけ、マイケルは、非常に厳しい心理状況・精神状態になっていきますが、そのお話しは、また機会がありましたら…。* * *今回のコラムでは、アルバム「バッド」のこと、マイケルとプリンスの関係について書く予定でしたが、すでに文章が長くなっていますので、マイケルの最大の音楽ライバルであったプリンスのお話しは、次回のコラムで書きます。マイケルとクインシーのコンビによる「三部作」の最後を飾るアルバム「バッド」のお話しと、プリンスの「バットマン」の対決です。ここに楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」が絡んできます。この時期の、マイケルとプリンスの壮絶なバトルは、音楽ファンからしたら、ゾクゾクするような緊張感と、ハイレベルの音楽合戦で、もう たまりませんでした。現代音楽の歴史をみても、現代のミュージシャンどうしのライバル関係をみても、これほどのミュージシャンどうしの戦いは、思い当たりません。売上競争、人気くらべなど、音楽以外での意地の張り合いなら、たくさんありました。ですが、これほどのハイレベルの音楽バトルを、他のミュージシャンどうしで見た記憶がありません。そんなお話しは次回に書きます。さあ、クインシーさん…どうします、この二人?Who's Bad ?◇カラーパープルさて、コラムの最後は、クインシー・ジョーンズとロッド・テンパートンが一緒に手がけた、ある映画のサントラをご紹介します。スピルバーグ監督作品である映画「カラーパープル(1985年)」のサントラは、クインシーが音楽仲間を集めてつくったサントラですが、ロッドが手を貸した作品がこれです。♪カラーパープルのメインテーマ(1985年)Main Title (From "The Color Purple" Soundtrack)Provided to YouTube by Universal Music GroupMain Title (From "The Color Purple" Soundtrack) · Quincy JonesThe Color Purple℗ 1986 Qwest Records, Inc. under ex...www.youtube.comこの曲は、ジョン・ウィリアムスが指揮をして、クラシック界のイツァーク・パールマンがバイオリンを弾いた、見事なバージョンもあります。♪カラーパープルのメインテーマ(パールマンのバイオリン)The Color Purple (OST) - Main TitleThe Color Purple (1985)Music by Quincy JonesConducted by John WilliamsViolin Itzhak PerlmanIMDb: http://goo.gl/8FO1ocwww.youtube.comデヴィッド・フォスターの演奏もたまらない…♪カラーパープルのメインテーマ(デヴィッド・フォスター)Theme from the Color Purple (Mailbox / Proud Theme)Provided to YouTube by Atlantic RecordsTheme from the Color Purple (Mailbox / Proud Theme) · David FosterDavid Foster℗ 1986 Atlantic Recording Corporation fo...www.youtube.com以上の三つの演奏は、同じ曲なのですが、まるで別々の曲のように聴こえてきます。同じ「カラーパープル(紫色の有色人種)」でも、その色あいはまるで違っていますね。映画「カラーパープル」の中の下記の楽曲も、今も歌う歌手が大勢います。ジャズ系の歌手たちを刺激する曲で、歌手たちの歌唱力の見せ場ですね。下記の楽曲は、ロッド、クインシー、ライオネル・リッチーの合作です。♪ミス・セリーズ・ブルースMiss Celie's Blues (Sister)Provided to YouTube by Universal Music GroupMiss Celie's Blues (Sister) · Quincy JonesThe Color Purple℗ 1986 Qwest Records, Inc. under exclusive license to U...www.youtube.com下記の予告編のナレーションは、あのFMラジオ番組「ジェット・ストリーム」の初代機長の城達也さんかも…。映画「カラーパープル」の予告編(日本公開1986年)『カラーパープル』日本版劇場予告編カラーパープルTHE COLOR PURPLE日本公開日:1986/09/13配給:WB監督:スティーブン・スピルバーグwww.youtube.com近年は、この手の社会派の映画が少ない気がします。クインシーもロッドも、マイケルのダンス音楽、センスの良いブラックミュージックをつくる一方、こうしたスタンダードな音楽もつくっていましたね。モーツァルトやベートーヴェンもそうであったように、得意分野でなくても、好きな分野でなくとも、その気になれば、まさに「オフ・ザ・ウォ―ル(Off The Wall)意味:普通じゃ考えられない」、至宝のような作品をつくり上げてしまう…それが天才音楽家たちなのかもしれませんね。彼らには、「壁(Wall)」など見えていないのでしょうね。さて、冒頭画像に、「壁」は見えましたか…。* * *コラム「音路(37)」につづく2021.6.12 天乃みそ汁Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.音路シリーズの、音楽家別の曲探し今後の予定曲はこちら    ケロケロネット