LGBTQ、性的マイノリティ、ジュディ・ガーランド、ジョージ・マイケル、ボーイ・ジョージ、ヴィレッジ・ピープル、リッキー・マーティン、オズの魔法使い、東京レインボープライド、プライド月間、映画音楽、レゲエ、洋楽。

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歴音44.オーバー・ザ・レインボー(虹のかなたに.4)



毎年5月17日の「多様な性にYESの日(International Day Against Homophobia, Transphobia and Biphobia:LGBT嫌悪に反対する国際デー)」と、6月の「(LGBTQ+の権利啓発活動のための)プライド月間」にちなんで、4回の連載で、「性的マイノリティ」「ジェンダー」をテーマにした連載「虹のかなたに」を書いてきました。

今回は、連載「虹のかなたに」の第4回(最終回)「オーバー・ザ・レインボー」です。


◇ジュディ

6月10日は、映画「オズの魔法使い」や、楽曲「オーバー・ザ・レインボー」でよく知られた、女優・歌手 ジュディ・ガーランドの誕生日です。

1922年(大正11)6月10日、米国ミネソタ州の都市グランド・ラピッズに生まれ、7歳の1929年(昭和4)には、二人の姉とともに、三人の歌手グループ「ガム・シスターズ」としてデビューします。
「ガム」は一家の本名。

芸名「ジュディ」は、名曲「スターダスト」や「ジョージア・オン・マイ・マインド」などの作曲で知られるホーギー・カーマイケルの楽曲「ジュディ」からとられました。

ホーギー・カーマイケル
♪ジュディ

 

ガム・シスターズの1929年(昭和4)の映像です。
一番小さい女の子が、ジュディ。

 

* * *

連載「虹のかなたに」の第2回「黄昏のレンガ路(虹のかなたに.2)」で、ジュディ・ガーランドの主演映画「オズの魔法使い」(1934・昭和14)のことを書きましたが、ジュディは、この映画でまさに世界のトップスターになりました。

ジュディは、子供の頃から、レコード会社より ダイエットのために薬物使用を強要されており、プロポーション維持や精神安定のための薬物依存が、生涯 続きました。

彼女は、1969年(昭和44)6月22日、47歳の若さで亡くなりましたが、自死ではなく、長期間の薬物依存からくる突発的な死であったともいわれています。

子供の頃から「スター」としての役目を背負わされた者たちの多くは、最初は強要や必要からでも、いつしか薬物に依存してしまうことが少なくありません。

周囲から、さまざまな「プレッシャー(圧力)」が過剰に長く続くことは、有名無名、仕事、分野、年齢に関わらず、良い影響を与えないのは確かですね。
他人事(ひとごと)では、ありませんね。

* * *

本コラムの最後に あらためて書きますが、ジュディは、さまざまなプレッシャーを受ける「性的マイノリティ」たちにとっても、「LGBTQ」の権利啓発活動としても、まさに象徴的な存在となっています。

ジュディ本人だけでなく、彼女が主演した映画「オズの魔法使い」に関連した「虹(レインボー)」が、重要な存在となっています。

今回は、連載「虹のかなたに」の最終回として、この「レインボー」について、文末に書きたいと思います。

そして、今回も、「性的マイノリティ」として、大成功をおさめた海外ミュージシャンたちを紹介してまいります。


◇ジョージ・マイケル

さて、英国の歌手 ジョージ・マイケルは、ワム時代はもちろん、20歳台の途中まで、自身が「ゲイ(男性同性愛者)」であることに気がついていなかったようですが、1998年(平成10)に それを公表し、それ以降、ジェンダー(社会的な性差)問題に関する発言や支援、さまざまな慈善活動を行いました。

同じ立場の多くの人たちに勇気を与える存在になりましたが、2016年(平成28)、52歳の若さで亡くなりました。
ポピュラー音楽史の中でも、特筆すべき才能を持っていた彼でしたね。

彼の名曲群の中から、3曲だけ…。

* * *

♪君が、僕の人生に割り込んできて、僕は自分の正直な心に気づいたんだよ!驚きだよね!
♪僕は、陽のあたる場所に向かって、歩み出したんだ!


♪アメイジング〔Amazing〕(2004・平成16)

 

「フローレス」とは、傷ひとつない状態…という意味。
人は、家に帰ったら、みんな こんなようなもの… ♪みんな美しい!たぶん 完璧!
♪みんな、神から与えられたものを持つ、隠れたスターたち!


♪フローレス〔Flawless〕(2004・平成16)

 

ジョージ・マイケルは、2016年(平成28)12月25日、睡眠中に、心不全で亡くなりました。
53歳の若さでした。
以前から、拡張型心筋症で心臓が弱っていたそうです。

* * *

彼の生前のラスト・シングル曲は、奇しくも、「ホワイト・ライト」という楽曲です。

この場合の「ホワイト・ライト」とは、死の直前に見る白い強い光を意味し、歌詞では、その白い光の世界から戻ってきて、生きることを決意するという内容でした。

♪Breathing breathing breathing
息をしろ、息をしろ、息をするんだ!
♪Got to keep on Got to keep on Got to keep on
続けろ、続けろ、続けるんだ!

強烈な歌詞が、まさか…。

自伝映画の準備中だったようですが、ホワイト・ライトの中に、ひとり行ってしまいました。

♪ホワイト・ライト(2012・平成24)

 

ワム時代の大ヒット曲「ラスト・クリスマス」が世界中で流れているその日に、ジョージ・マイケルは旅立ってしまいました。

ですが、彼の残した多くの名曲は、社会にさまざまな訓示を与え、LGBTQの方々に勇気を与えたのだろうと思います。

そして何より、世界中の多くの人々に、素晴らしいクリスマスの思い出を残してくれましたね。

彼の「ラスト・クリスマス」は、きっと 美しい「ホワイト・ライト」に包まれていたでしょう。


◇ヴィレッジ・ピープル

さて、「YMCA」とは、キリスト教青年会のことですが、1970年代の米国の裏社会では、「ゲイたちが集まる発展場(はってんば)」という意味があったそうです。
今は、そうした意味はありません。

70年代当時に、米国市民が認識していた「裏イメージ」であったようですが、日本でも、この「YMCA」の四文字を知らない人がいないくらいの有名な名称になりました。

この楽曲「YMCA」は、日本では、キリスト教の布教の意味あいを消し、さわやかな歌詞に替え、「ヤングマン」というタイトルで西城秀樹さんが歌って超大ヒット!
英語の4文字アクションが、世界で、不動の地位を得ましたね。

そして、この6人組の衣装も、「不動の人気スタイル」となり、世界を席巻しましたね。
1970年代後半から80年代にかけて、米国のグループ「ヴィレッジ・ピープル」は、メンバーを入れ替えながらも、この衣装は変わっていません。

ポリスマン、カウボーイ、道路工事人、GI(軍人)、レザーマン、インディアンのコスプレ姿は、当時、「なんだこりゃ」と誰もが驚きましたね。
この衣装が「ゲイ」をあらわす伝統的な米国の仮装だと聞かされても、私にはよくわかりませんでした。
今の時代は、まったく関係ないでしょう。
当時は、てっきり、米国の男性を象徴するような仕事着ファッションだと思っていました…。

* * *

いずれにしても、この勇敢な6人の村人「ヴィレッジ・ピープル」は、それまで隠されてきた「村の秘密」を、表舞台に解き放ったのかも…?

さあ、おらが村も、解き放つぞ!
そこの、ヤングマンたちも、心を解き放て!

ヴィレッジ・ピープル
♪YMCA(1978・昭和53)

 

本来は、布教のための、純粋な歌詞の意味…。
♪YMCA(和訳付き)

 

今や、ニューヨーク・ヤンキースの「ヤンキー・スタジアム」の名物…。
動画


◇ボーイ・ジョージ

世界の音楽界には、今も昔も、「LGBTQ」のミュージシャンがたくさんいますね。

1970年代頃まで、彼らの多くは、そのことを ひた隠しにし、自身の本来の姿を見せませんでした。
もちろん公表はせず、自身の音楽曲の歌詞で公然と表現することもありませんでした。

* * *

そんな中、1983年(昭和58)の英国で、女装した男性歌手ボーイ・ジョージが登場しました。

LGBTQのことを歌った彼の楽曲が、次々に世界中でヒットしたことで、世界の何かが変わった気がしました。

彼のその衣装姿は、隠すものではなく、はっきりと周囲に認識させるもので、世界に大きな衝撃を与えましたね。

ボーイ・ジョージは、コラム「虹のかなたに.3」で紹介しましたレディー・ガガと同じで、男性も女性も愛せる「バイセクシャル」です。

* * *

彼は、バンド「カルチャー・クラブ」のボーカルとしてのデビュー時から、堂々とその衣装を着て、歌詞にも、バイセクシャルとしての赤裸々な内容を盛り込み、真っ向から、世の中の「タブー(破っていはいけない、決まり事)」に斬り込んできたのかもしれません。
私は、そのような印象を持っています。

彼のサウンドは、ロック音楽のような強力なサウンドではなく、レゲエ音楽のサウンドにも通じる、あまりにも軽いサウンドのポップスでしたが、その音楽の持つ破壊力は、ハードなロック音楽に引けをとらないものでしたね。

まさに、カルチャー・クラブの登場は、「LGBTQ」の蜂起(ほうき)のようにも感じました。

彼は、世界の音楽界のトップにまで上がってきて、そのチカラで「既成概念」「既成権力」をねじ伏せたのかもしれません。

ボーイ・ジョージの登場が、1980年代の世界に与えた影響は、はかりしれないように感じます。

その後、次々に、LGBTQをカミングアウト(公表)するミュージシャンが増え、彼らの楽曲の歌詞にも、どんどん それが表現されるようになりました。


◇カーマは気まぐれ

さて、80年代の日本のコンビニでは、店内で洋楽曲などをたくさん流していましたが、重厚なロック音楽は流さなくても、ボーイ・ジョージが率いるバンド「カルチャー・クラブ」の軽快なヒット曲たちは、いやというほど流れていましたね。

カルチャー・クラブの、1983年(昭和58)の大ヒット曲「Karma Chameleon(カーマ・カメレオン)」も、そのひとつでしたね。

この「カメレオン」とは、あの変色する爬虫類の「カメレオン」と同じです。
多くの爬虫類の仲間の中でも、相当に進化した新世代爬虫類!

英語発音では、「カメレオン」ではなく、「カミィーリアン(chameleon)」。

♪カマ カマ カマ カマ カマ カミィ~リア~ン!
♪カム カム カム カム セブッ イレェ~ブ~ン!

カルチャー・クラブ
♪カーマは気まぐれ〔Karma Chameleon〕(1983・昭和58)

 

「カーマ(カルマ:karma)」とは、仏教でいう「業(ごう:言動の意味)」を意味し、自身の行いと、そこから生じる結果を意味する「因果応報(いんがおうほう)」の意味も含んでいます。
自身の善い行ないに対する良い報いを「good karma」。
自身の悪い行ないに対する罰の報いを「bad karma」。

一方、ヒンズー教の「愛の神様」は、美男子だったともいわれる「カーマ・ディーヴァ」です。
「カーマ」とは「愛」も意味しますが、この美男子の神様が何かと恋の悪さを行い、最後は、シヴァ神から処罰を受けます。

「カーマは気まぐれ〔Karma Chameleon〕」とは、気まぐれに、さまざまな色に変化する、美男子の神様「カーマ」の因果応報も さしています。

実は、ボーイ・ジョージにとっての「カーマ」こそが、彼の恋のお相手である、気まぐれな男性を示しているのです。
なんと、同じバンドの中にいました。

* * *

下記の音楽動画の中では、泥棒のイカサマ師が、自身の悪行の報いを受けるというオチになっています。

実際の爬虫類のカメレオンは、気まぐれに身体の色を変えないと思いますが、人間の「カーマ」なら わかりませんね?
人間の性別に関係なく、気まぐれカーマは、いつの時代も、どこの世界にもいますね。

下記映像は、字幕設定で和訳表示ができます。
♪カーマは気まぐれ〔Karma Chameleon〕(1983・昭和53)

 

* * *

その他に、二曲だけ…。

LGBTQのミュージシャンからの切実なメッセージに、世界が初めて気がついた…。
下記映像の字幕設定で和訳表示ができます。

♪君は完璧さ〔Do You Really Want To Hurt Me〕(1982・昭和52)

 

社会が抹殺しようとする「犠牲者(victim)」であってはいけません。
下記映像の字幕設定で和訳表示ができます。

♪ヴィクティムズ(1983・昭和53)

 

ボーイ・ジョージがボーカルをつとめるバンド「カルチャー・クラブ」の出現は、性的マイノリティの存在や、ジェンダー(社会的な性差)の認識を、世の中に、はっきりと認めさせたのは間違いないように思います。

そして、それだけでなく、西洋文化に対抗しようとした「レゲエ音楽」などの「アフリカ文化」の存在を強く認識させるものでもありましたね。


◇多様なカルチャー

ボーイ・ジョージが率いるバンド「カルチャー・クラブ」のメンバー4人は、それぞれに文化が異なる民族の血を受け継ぐ者たちでした。
さまざまな 民族カルチャー(文化)が融合したバンドといえます。

メンバーの中には、ジャマイカをルーツに持つ ジャマイカ系英国人の者もいました。

ジャマイカという国は、中米カリブ海にある小国ですが、カリビアン独特の「レゲエ音楽」は、今や世界に知らない人はいませんね。

* * *

カルチャー・クラブの音楽のベースには、カリビアンのレゲエ音楽があります。
メンバーのファッションなどの色使いにも、アフリカ文化を象徴する「ラスタ・カラー」が意識されていたようです。

「ラスタ・カラー」とは、赤、黄、緑、黒の配色を指し、アフリカのエチオピアなど、国旗の色として組み合わされて使用されています。

この配色は、「アフリカ回帰思想」から生まれた思想「ラスタファリアニズム」に深く結びついており、ある意味 西洋文明に対抗する意味あいも含んでいます。

この配色は、レゲエ音楽のファッションにもよく使われますが、もともとは、アフリカ回帰思想から生まれた「ラスタファリアニズム」に通じています。

ただ、今は、思想とは切り離され、レゲエ音楽という「音楽スタイル」だけを楽しむ方が、世界には たくさんいますね。


◇レゲエ・カルチャー

2024年(令和6)のちょうど今、レゲエ音楽の巨星ミュージシャンのボブ・マーリーを描いた映画「ワンラブ」が映画館で上映されている最中ですね。
70年代のレゲエ音楽を思い出された方も多いと思います。

ボブ・マーリーの登場までは、世界でもマイナーな音楽の「レゲエ」でしたが、70年代に入り、エリック・クラプトンなどのスターミュージシャンを通じて、レゲエ音楽に初めて触れた方も少なくありませんでしたね。

私も、クラプトンから、レゲエ音楽に初めて接したひとりです。
そこから、ある期間に、カリビアンのレゲエ音楽に相当に はまりました。

* * *

70年代のレゲエ音楽と、今現代のレゲエ音楽は、見え方が 結構 違います。

70年代の「ラスタファリアニズム」や「レゲエ音楽カルチャー」は、「LGBTEQ」やジェンダーとは、まったく相いれない部分もありました。

それなのに、バンド「カルチャー・クラブ」は、なぜ レゲエ音楽やラスタ・カラーを取り入れていたのか…。

ここで、ボブ・マーリーのこと、ラスタ・カラーのこと、レゲエ文化とジェンダーの関係性のこと、そして、さまざまな困難を乗り越え、レゲエ音楽という新しい武器をひっさげて復活してきたエリック・クラプトンのお話しを書こうと思いましたが、長くなりそうなので、別のコラムで、あらためて書きたいと思います。

困難や苦境、差別や偏見からの脱却という意味では、ボブ・マーリーやエリック・クラプトンから学べるものは多い気がしますね。

後で、「ラスタ・カラー」に似た「6色レインボーカラー」のお話を書きます。


◇リッキー・マーティン

さて、歌手のリッキー・マーティンは、自身で自伝を書くにあたり、自身が「ゲイ(男性同性愛者)」であることを、2010年(平成22)に公表しました。

彼は、若い頃、長く 自分を自分で否定し続けていたそうです。
「俺は違う!」
本来の自分を認めることができず、同じタイプの人間たちを あえて攻撃し続けていたそうです。

自分自身を、自身で否定することは、自身にとっての最後の味方を失うことに等しいですね。
絶対に、自身を、否定・拒絶してはいけません!

彼は、子供を持ったことをきっかけに、ファンの前で、子供の前で、本来の自分、正直な自分でありたいと願うようになります。

今の彼は、本来の自分自身をしっかり受け入れ、他者への攻撃を止め、前に進んでいるようです。

「(自身を自身で否定するような)クレイジーな人生は、もう やめだ!」ということなのかもしれません。

* * *

スペイン語の「Livin' la Vida Loca(リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ)」は、英語に訳すと「Livin' the Crazy Life」、日本語の訳なら「クレイジーな人生を生きている」。

それにしても、クレイジーなほどの世界的な超大ヒット!
これだけ超大ヒットしたら、人生が狂いそう!?

リッキー・マーティン
♪リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ(1999・平成11)

 

プロ・スポーツの世界に、LGBTQの選手がたくさんいるのは、皆様もよくご存じだと思います。
実は、歴史上の戦国武将にも、少なくありませんでした。

サッカーに…、スポーツに…、性差別など不要だ!
自身を信じない選手は、絶対に試合にも勝てない!

ここは、スペイン語バージョンで!
リッキー… まさかの、NHK「スペイン語講座」の先生!

リッキー・マーティン
♪ザ・カップ・オブ・ライフ(スペイン語バージョン)(1998・平成10)

 


◇2022 サッカー・ワールドカップ

2022年(令和4)のサッカー・ワールドカップのカタール大会では、「性的マイノリティ」の問題が大問題となり、開催の中止の可能性も相当にありましたね。
ギリギリまで、たいへんな状況でした。
私もサッカーの大ファンですので、開催直前までヤキモキしました。

中東諸国の中には、宗教的に「同性愛」が禁止・違法・犯罪となる国も多くあります。
刑罰も相当に重いケースもありますね。
ワールドカップ開催国の中東のカタールも、基本的に、彼らは入国させません。

そのワールドカップでは、LGBTQの選手でも、特別に入国を認めましたが、一部関係者や応援団などは入国させませんでした。

一部の国の代表選手たちが、「レインボー・カラー」の靴や装身具などを身に着け、それに抗議の意思を示したのは記憶に新しいところです。

FIFA内部の欧州のサッカー覇権国の間での権力闘争とも絡んで、これは大会中止もやむなしかと 私は思いましたが、西欧諸国と親交のあるカタールでの開催であったことが、不幸中の幸いでした。
相当な条件闘争があったようですが、無事に開催に こぎつけました。
ただ、この問題が、各国代表チームのプレーや結果に影響した可能性はありますね。

* * *

今後、ワールドカップやオリンピックなどの国際大会の開催地選びにおいても、この「性的マイノリティ」に関する問題は、確実に重視されますね。

G7の七か国において、飛びぬけて環境整備や取り組みの遅い日本も、例外ではないでしょう。
日本政府の本気度が、今、世界から試されています。
「口先だけ…」「文化の違い…」は、もはや 世界に通用しませんね。


◇レインボー・メッセージ

「LGBTQ」や「性的マイノリティ」、「ジェンダー」に関する概要説明は、コラム「マスクの下のあなた(虹のかなたに.1)」で書きました。

そして、彼らに対する さまざま支援や応援の意思を示す際の象徴であったり、さまざまな権利啓発活動の象徴であったりするのが、「レインボー・フラッグ(旗)」や、「レインボー・カラー」です。

前述のサッカー・ワールドカップの際に、性的マイノリティに否定的な中東諸国に対する抗議の意味で、西欧諸国のサッカーチームの選手たちが、身に着けていたのが「レインボー・カラー」の品々でしたね。

* * *

「レインボー・フラッグ」という旗は、1976年(昭和51)に作られ、1978年(昭和53)より使用されています。

当初、この「レインボー・フラッグ」は8色で作られましたが、世界での製造や普及のしやすさを考慮し、今は6色で作られています。
各国で、技術的加工が難しい色を削除したのだろうとも思われます。

6色の「レインボー」です。

赤:生命
橙(オレンジ):癒し
黄:太陽
緑:自然
青:調和
紫:精神

* * *

この「レインボー・フラッグ」は、7色ではなく、6色の組み合わせで作られていますが、自然界の「虹」をイメージしたものであることは間違いありません。
世界の誰もが、見た瞬間に、自然界の「虹」を思い起こすはずです。
そして、「虹のかなたにある希望の世界」も…。

もともと「虹の7色」は、英国の科学者ニュートン(1643~1727)が、音楽の音階の7音と結びつけて定義づけたものですが、厳密には、自然界の虹は無数の色の組み合わせで構成されていますね。
実際の自然界には、白色だけの「白虹」も存在します。

基本的には、虹の7色と、音階の7音は、何の関係性もありません。
「レインボー」は、何色(なんしょく)であっても、いいのです。

この6色を身につけることや、デザインしたものを示すことは、「性的マイノリティ」への支援や応援を意味し、その団結の象徴のようになっています。
希望や愛を示す、誇り高い6色ですね。

そう、そこにいるのは、まさに、レインボー・メッセンジャー!
レインボー・サポーター!
レインボー・プレゼンター!
虹の使者!


◇ジュディ・ガーランド と「レインボー」

コラム「イエロー・ブリック・ロード(虹のかなたに.2)」では、映画やミュージカルで大人気になった物語「オズの魔法使い」のお話を書きました。

映画の中の楽曲「オーバー・ザ・レインボー(虹のかなたに)」は、1934年(昭和14)の映画や、その後のテレビ放送などの影響もあり、世界中の人が知る名曲にまで なりました。

物語の主人公の少女ドロシーを、映画で演じたのが、コラム冒頭で書きました、女優・歌手のジュディ・ガーランド(1922~1969)です。

* * *

彼女は、性的マイノリティへのそれを含め、さまざまな差別や偏見が堂々とまかり通っていた時代において、「私の歌を聴いてくれるのなら、誰の前でも喜んで歌うわ」という主旨の発言をし、性的マイノリティたちから大きな支持を受けました。

「私たちにも、歌ってもらえるの…。聴かせてくれるの…。」

実は、ジュディ・ガーランドが主演した映画「オズの魔法使い」を制作した映画プロデューサーは、当時、社会的な批判を多く受けながらも、就職がなかなかできなかった性的マイノリティたちを、相当に採用し、仕事を与えていた人物だったようです。

当時、性的マイノリティたちは、ジュディ・ガーランドの言動や、映画「オズの魔法使い」に大きく魅了され、彼女や映画への支持が ますます大きくなっていったようです。

* * *

ジュディが、性的マイノリティたちから大きな支持を得られたのには、それ以外にも、次のような要因もあったのではともいわれています。

彼女は、女優・歌手として、ビジネスサイド側からの大きなプレッシャーをかけられ、それにより薬物依存が進み、自殺未遂、不遇の結婚生活など、生涯にわたり、多くの困難と闘うことになりました。
まさに、ショービジネス、音楽ビジネス、映画ビジネスに、心身ともに翻弄され、その身を削っていたのかもしれません。

とはいえ、トップスターとしての不屈の闘志や、苦しみながらも努力する姿、相対する者たちを平等に扱う、彼女のその姿に、社会からプレッシャーをかけ続けられている「性的マイノリティ」たちは、たいへんに勇気づけられたのだろうとも考えられています。

今の時代でいえば、大谷翔平選手が、日本や米国に与える影響にも似ているのかもしれません。

* * *

虹の橋を目指し、それを渡って、自身の夢を実現させようとしたドロシー(ジュディ)!

映画「オズの魔法使い」で、重要な意味を持つ楽曲「オーバー・ザ・レインボー」と、ジュディ・ガーランドという存在、そして「虹(レインボー)」の存在こそが、1976年(昭和51)の「レインボー・フラッグ」の誕生や、6色の「レインボー・カラー」の誕生に、大きく影響したとも考えられているそうです。

その「レインボー」の誕生の起源については、正確には判明していないようですが、そんなことよりも、もっとも大切なことは、そこに「レインボー」が存在していること…!


◇オーバー・ザ・レインボー

楽曲「オーバー・ザ・レインボー(虹のかなたに)」の歌詞には、「まだ見たことのない世界、夢がかなう場所が、虹を超えた先にある」と歌われています。

「(幸せや愛を届けてくれる)青い鳥たちは、そこに行けるのに、どうして私には行けないの…。きっと私にも行けるわよね」とも歌われています。

虹(レインボー)の先に、美しい希望の世界があるような気がしてきますね。
誰もが たどり着きたい、夢がかなう世界…。

和訳歌詞付きピアノ演奏
♪虹のかなたに(オーバー・ザ・レインボー)

 

* * *

70年代頃まで、性的マイノリティたちは、社会の中に居場所がなく、家庭の中にも居場所がないという人々も たくさんいました。
ひょっとしたら、自分の心の中にも、居場所がなかった方々も…。

今現代は、70年代までとは、大きく変わりました。
少しずつではあっても、居場所が確実にでき、居場所が増えていることでしょう。

* * *

東京都は、国に先駆けて、地方自治体のひとつとして、「東京レインボー・プライド」という活動を行っています。
日本の大企業の多くも協賛していますね。

 

 

地方自治体は、直接に、地域住民と接し、地域住民の暮らしや仕事を守るべき存在でもあります。
地域に存在する「差別」や「偏見」、その弊害を、身近で見聞きしているはずです。
東京に限らず、日本各地の自治体や団体が、独自に立ちあがり始めました。

さらに、ある意味、テレビ放送よりも、市民の身近な存在として、ひとりひとりに寄り添えるチカラを持つラジオ放送では、テレビに先駆けて、ジェンダー(社会的な性差)や、性的マイノリティの抱えるさまざまな問題などを、真面目に、真剣に扱う番組を増やしています。
ラジオ放送は、テレビ放送にできないことを、先駆けて行えるチカラを持っているはずですね。

昭和の戦後復興を見ても、日本人は、気がつけば、知ることさえできれば、自ら動くことのできる民族性を持っていると私は思っています。

時代の変化は、どこかから与えらえるものではなく、私たちがつくるもの!

自分たちのチカラで、虹のかなたに 歩みを進めなければ、夢の世界に、理想の世界には、たどりつけないのでしょう。

私たちの中には、誰しも、ドロシーがいるのかもしれません。
誰しも、ドロシーになれるのかもしれません。

ドロシーは、「虹のかなた」に、しっかり たどり着きました。

次は、私たちの番です!

* * *

映画「オズの魔法使い」より
ジュディ・ガーランド
♪オーバー・ザ・レインボー

 

エリック・クラプトン
♪オーバー・ザ・レインボー

 

ローレン・オルレッド

♪オーバー・ザ・レインボー

 

アンドレ・リュウ・オーケストラ
♪オーバー・ザ・レインボー

 

6月10日は ジュディの誕生日、6月22日は ジュディの命日。
6月27日は、米国ニューヨークで「ストーンウォール事件(LGBTQらと警官隊が衝突)」が起きた日で、この事件は、ジュディが亡くなった直後の1969年(昭和44)に起きました。

そうです…、6月は、世界中のLGBTQたちを守り支援する「プライド月間」なのです。

* * *

今回の第4回で、連載「虹のかなたに」は終わります。

最後に、1934年(昭和14)の映画「オズの魔法使い」の物語の中での、呪文ような英語の台詞を…。
「There's no place like home.」

大切な夢や希望は、私たちの すぐ近くに、すぐ足元に、ありますね!

ほら、窓の外に、あなたの虹が…。

 

* * *

 

2024.6.18 天乃みそ汁
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