イ・プー、LGBTQ、ジェンダー、くまのプーさん、ロビー・ファッキネッティ、ピエール、ペトロ、性的マイノリティ、セクシャル・マイノリティ、イタリア、ロック、洋楽。

 

 

歴音41.マスクの下のあなた(虹のかなたに.1)

 


今回のコラムから、4回にわたり、「性的マイノリティ」「ジェンダー」をテーマにした連載「虹のかなたに」を書きたいと思います。

連載「虹のかなたに」の第一回は、数年前に書いたコラムに加筆修正して掲載させていただきます。


◇LGBTQ

毎年5月17日は、「多様な性にYESの日」です。

この呼称は、日本での言い方ですが、正確には「International Day Against Homophobia, Transphobia and Biphobia(LGBT嫌悪に反対する国際デー)」と呼ばれる、世界的な国際記念日です。

英語を直訳すれば、「ホモフォビア・トランスフォビア・バイフォビアに反対する国際記念日」といったところでしょうか。
この「フォビア」とは、嫌悪感・恐怖心・偏見などのような意味です。

さらに、毎年6月は「プライド月間」とされ、世界各地で「LGBTQ」などの権利尊重を啓発するための活動が行われる期間です。

* * *

「LGBTQ」とは…
◎L…レズビアン(女性同性愛者)
◎G…ゲイ(男性同性愛者)
◎B…バイセクシュアル(両性愛者)
◎T…トランスジェンダー(自身の身体的な性別と、精神的な性が一致していない者)
◎Q…クエスチョニング(自身の性について、気がついていない、わからない、気づこうとしないような者。クィアは思想や概念そのものをさします)

それぞれの英語の頭文字を並べた用語で、さまざまなタイプがある「性的マイノリティ(性的少数者)」の中の一部です。
もともと「性的マイノリティ」には、他にもさまざまなタイプがあります。

◎I…インターセックス(男性にも女性にも属すことのない身体的な特徴を持つ者)
◎A…アセクシュアル(男性にも女性にも、誰にも恋愛感情や性的欲求を持たない者)
◎L…リスロマンティック(相手に恋愛感情を抱くが、相手に自身を愛してもらいたくはない者)
◎L…リスセクシャル(相手に性的感情を抱くが、相手には性的感情を持ってもらいたくない者)
◎+…プラスアルファ(その他の多くのタイプ)

他にも、たくさんの種類の分類分けがあり、それぞれの用語があります。

今の時代は、それぞれが少ない人数ではあっても、「マイノリティ(少数派)」として認識され、それぞれの悩みに対応できる世の中になってきました。

今は、性に悩む方々が、自身がどのようなタイプなのかをきちんと把握し、しっかり生きていける時代ですね。

人間には、男性と女性しかいないという思想は、今や「時代遅れ」「見当違い」です。
「多様性」とは、人間の身体や心にも適用される時代ですね。

* * *

ここで、昨今 使用されることが多くなってきた、もうひとつ別の用語「アライ(Ally)」をご紹介します。
「性的マイノリティ」とは少し意味あいの異なる用語です。

「アライ(Ally)」の本来の意味は、「味方・仲間・同盟」などですが、この場合は、「理解者・支援者」を意味しています。

「性的マイノリティ」の方々に誹謗中傷・暴力を行わないのはもちろん、むしろ「性的マイノリティ」の方々の感情に寄り添い、共感し、フレンドリーに接し、差別意識を持たないで、彼らを支える活動を行うような人たちのことを、「アライ」と呼びようになりました。

世の中に、「アライ」さんが増えています。
私たちは、考え方次第で、いつでも、誰でも、「アライさん」に なることができますね。

人は、性に限らず、職業にせよ、趣味にせよ、暮らす場所にせよ、思想にせよ、生き方にせよ、何らかの「マイノリティ(少数派)」に属しているのかもしれません。

人間は、他者を理解し、認め、共存できる「生きもの」でもありますね。


◇ジェンダー

世の中には「ジェンダー」という用語もありますね。

この用語は、広い意味あいで使われていることもあり、何か漠然とした印象を受け、人によって使われ方が違っていたりもします。
「性的マイノリティ」と混同して使用されることも少なくありませんね。

「ウィキペディア(ネット上のフリー百科事典)」に、今現在どのように説明されているか調べてみました。

ジェンダーとは、生物学的な性とは異なる多義的な概念であり、性別に関する社会的規範と性差を指す。
性差とは、個人を性別カテゴリーによって分類し、統計的に集団として見た結果、集団間に認知された差異をいう。
ジェンダーの定義と用法は年代によって変化する。
ジェンダーという概念は、性別に関して抑圧的な社会的事実を明らかにするとともに、ジェンダーを巡る社会的相互作用をその概念自身を用いて分析するものである。

このように記されていました。

この説明文の中でキーになる部分は、次の内容かと思われます。
◎生物学的な性とは異なる概念
◎社会的規範と性差
◎それぞれの「性別カテゴリー集団」間に認知の差異
◎抑圧的な社会的事実
◎社会的相互作用

なるほど5つとも、現代社会において、実際に感じることの多い内容です。

* * *

今 現在、世界的に、「性的マイノリティ(性的少数派)」への誤解・嫌悪・偏見・差別・蔑視・嫌がらせ・脅迫・暴行などが大きな問題となっています。
前述の「ジェンダー」に関する理解や認識、差別問題が背景にありますね。

国によって、宗教、歴史文化、教育などが異なるように、性や愛に関する内容も、各国の対応はまちまちです。

同性愛を否定したり罰したりする国や地域は、依然として多く存在するのが現実ですね。


◇時代は変わる

昭和の時代の日本では、前述の「LGBTQ」などの方々の存在を認識してはいても、ほぼ無関心、無配慮、無対応であったのは間違いありません。

昭和の時代の公のテレビ放送の番組の中では、「笑いごと」「お笑いのネタ」にされていた風潮もありました。
今現代の時代でしたら、お笑いのネタにでもしようものなら、その芸人は永久追放ですね。

* * *

昭和の時代の世の中にも、そうしたことを「ひた隠し」にし、ひとり問題に悩む方々が、これほど たくさんいたことを、私は まったく知りませんでした。
無知・無関心であったということです。

80年代くらいから、さまざまな分野の「LGBTQ」の当事者たちが、自身のクチで大きく発言するようになり、海外諸国で法整備や大きな取り組みが行われるようになってきたことで、それまで無知・無関心であった人々が、やっと深刻な社会問題として認識し始めました。

テレビ報道でも、関連する さまざまな法整備や環境整備のニュースが、大きく流れるようになりました。
今では、大半の一般市民の方々が、この問題を認識する時代になりましたね。
近年、急速に、世界での動きが、さらに活発になってきたようにも感じます。

日本の場合は、世界が… 時代が… 変わってきたから、日本人の意識も変わってきたのかもしれません。
世代に限らず、年齢に限らず、自身の意識を変えることはできるのだろうと思います。

正しい理解を…、
理想的な未来社会の構築を…、
いずれにしても、時代は大きく変わってきましたね。


◇マスクが必要のない世界

さて、この数年はコロナ禍でたいへんな状況でした。
とはいえ、新型コロナは現在進行中…。

日本の場合、ほとんどの方が、外出時や勤務中にマスクを着用していましたね。
マスク姿で入学し、卒業式もマスク姿という中学生・高校生も少なくありませんでした。
同級生の素顔を知らないまま、三年間を過ごしたという、信じられないようなことが起きていました。

コロナ禍初期の頃、テレビ番組などでも、出演者が、顔が半分見えなくなってしまうくらいの大きな白いマスクを着用していましたね。

顔の下半分の表情が見えないということが、どれほど人間関係に影響するのかということを実感しましたね。

コロナ禍が長くなってくると、マスクを着用しなくてもいいように、透明のフェイスシールドを顔に装着するケースも出てきました。
透明のフェイスシールドなどでは、相手のクチ元が見えるため、その表情がしっかりわかるようになりました。
この安心感は、白いマスクの着用時には ないものでしたね。

相手の表情が見えることが、どれほど安心感につながるのか、気持ちを伝え合うのに絶大なチカラがあるのか、実感できました。

* * *

人間が、自身の一部を隠すことは自然なことですが、それが その人物のもっとも核心の部分であったり、隠すどころか、偽りの外見を見せなくてはいけないとしたら、どれほど辛いことか…。

コロナ禍の数年だけでも、これほどたいへんであるのに、それが数年、数十年、ひょっとしたら生涯となったら、まるで、人格や存在を否定されているような気持ちになってしまうでしょう。

何かを ひた隠しにしなければならないという「マイノリティ(社会的少数派)」の方々の苦悩は、想像をはるかに超えることなのだろうと感じます。

* * *

生涯にわたって、一日中、自身の何かを、マスクで隠して過ごさなければいけない…。

もともと悪気のない方々に、いわれのない そんな苦痛を味合わせたままでいいはずがないとも思います。

宗教、思想、歴史、文化などは、もちろん社会にとって大切ですが、社会全体で考えなければいけないような 人間本来の問題はたくさんありますね。

マイノリティに向けてだけではありませんが、すべての弱者に対する、誤解・嫌悪・偏見・差別・侮蔑・嫌がらせ・脅迫・暴行などは、人の意識の変化で変えることができるのだろうと思います。
社会全体で、弱者を守ることもできるでしょう。

いつまでも「無知」「知らんぷり」のままでいていいものではありませんね。

* * *

世の中に、「性的マイノリティ」としてのさまざまな苦悩、人間どうしの理解、苦悩の中にいる方々への応援などを歌った楽曲は たくさんあります。

今回のコラムは、三回にわたり、「性的マイノリティ」へのさまざまな差別偏見などと闘いながら、ミュージシャンとしても成功をおさめた方々のお話しを、楽曲とともにご紹介したいと思います。

相手の…、自身の…、「マスク(仮面)の下の素顔」を想いながら、どうぞ聴いてみてください。

「マスクが必要のない世界」は、もうすぐ そこまで来ています…。


◇ピエール

まずは、イタリアのロックバンド「イ・プー」の名曲「ピエール」です。

「イ・プー」は、1966年(昭和41)に結成されたバンドで、2016年(平成28)に50周年をむかえ、一旦、活動を停止したようです。

このバンド名の「プー」とは、黄色のクマのキャラクターの「くまのプーさん」のことです。

「ウィキペディア」には、「イタリアン・ポップス史上最高のバンド」と書かれていました。
たしかに、私にとっても、イタリアのポップスのミュージシャンと聞いて、まず思い出すのが、このバンド「イ・プー」です。

活動期間の長さもさることながら、イタリアの雰囲気いっぱいの名曲ぞろいです。
日本にも、結構「隠れファン」が多い気がします。

名曲ぞろいの中から、特別なこの一曲のことを書きます。

* * *

まず、「ピエール(Pierre)」とは、フランス語圏の男性で使われる名前です。
新約聖書の使徒の「ペトロ」に由来するそうです。

ペトロは、イエス・キリストの弟子たちのリーダー的な存在でしたね。
イタリアの「バチカン市国」にある「サン・ピエトロ大聖堂」の名称に残る、あのペトロです。

英語のピーター、イタリア語のピエトロ、スペイン語・ポルトガル語のペドロ、ドイツ語のペーター、ハンガリー語のペーテル、ポーランド語・ロシア語のピョートルも、同じ仲間のようです。

この曲はイタリア語の歌です。
「M Naomi」さんが、日本語に翻訳されていますので、よろしければ下記をご覧ください。

「M Naomi」さんの和訳ページ

* * *

ここでは、その歌詞内容の概要を書きます。

学生時代に、仲の良かった二人の男性がいました。
ただ、ひとりは、その頃から相手に何か違和感を抱いていたのです。
そして学生時代特有の「からかい」がありました。
そのひとりは、今でいう「LGBT」「性的マイノリティ」だったのです。

いつしか二人は離れ、成長し、いい歳の大人になります。
そして、「LGBT」ではない男性が、ある時、あるパーティ会場で、ある女性に目が止まります。
「あれ…」。

その女性は、目を伏せ、逃げるように立ち去るのです。
男性は、その時は半信半疑でいましたが、いくら女装し化粧していても、彼女が、あの学生時代の友人の男性だと後で気づきました。

歌詞には、次のような内容があります。
「すぐに気がついてあげらなかったことを許して…」。
「男性という外見に屈していないよね…」。
「私は、もうすっかり大人になったよ。(あの頃の未熟で無知な学生ではないよ)」。
「君のことを誇りに思うよ。君は、そのままの君でいいんだよ。君ならだいじょうぶだよね」。

そういう歌詞内容です。

下記は、イ・プーの、当時の楽曲「ピエール」です。
♪ピエール(1976・昭和51)

 


◇イ・プー

この楽曲「ピエール」は、1976年(昭和51)の「プー・ラバー」というアルバムに入っています。

当時、私は、イタリア語の歌詞の内容を知りませんでしたが、その美しいメロディに酔っていました。
すでに1976年(昭和51)に、こうした歌詞が書かれていて、この曲は世界中で人気だったのです。

* * *

イ・プーは、この当時、日本では、なぜか、ピンク・フロイドやイエスなどの「プログレッシブ・ロック」の範疇(はんちゅう)に入っていました。
たしかに、当時の「プログレ人気」はすさまじく、それに便乗する戦略だったのもよくわかります。

でも、いずれ、その偽りの外見(ビジネス戦略)は、彼ら自身によって打ち破られました。

イ・プーは、まぎれもなく、プログレとは違う「イ・プー」だけの音楽世界だと感じます。
イタリアはもちろん、日本でも、世界中でも人気になりました。

近年の日本のラジオ放送などでは、彼らの多くの名曲たちが紹介されることは、まずありません。
これだけ世界的なバンドで、名曲ぞろいなのに…残念です。

後で、その中心的メンバーの、ロビー・ファッキネッティさんのことも書きます。


◇ピエールはどこに…

実は、前述した歌詞内容にあわせたドラマ仕立ての、秀逸な「音楽ドラマ動画」があります。
いつ頃 制作されたのかは知りません。
下記がそれです。
より歌詞内容をイメージできると思います。

♪ピエールの音楽ドラマ


この音楽ドラマは、この楽曲の歌詞のとおり、若い頃に友人どうしだった二人の男性が、大人になってから再会する物語です。

LGBTではない男性は、黒のスーツをきっちり着こなす典型的なサラリーマンになっていました。

LGBTのほうの男性は、大人になって、女性の姿で、女性の写真を撮る仕事をしているのです。
ようするに、社会的な外見上は、女性の写真家です。

ただ、映像内では、イタリアの男性の若者でさえ、彼女(彼)には声をかけません。
おそらく、彼らは、わかっているのだろうと思います。
彼女(彼)は、その若者たちを、チラッとにらみつけ、通り過ぎます。

そして、LGBTではない男性が、ある時、あるパーティ会場で、ある女性に目が止まります。
「あれ…」。
その女性は、目を伏せ、逃げるように立ち去るのです。

男性は、「あれっ」と思いながらも半信半疑です。
男性は自宅に戻り、昔の写真を探し出し、よくよく ながめます。
そして、若い頃の友人の彼だと確信します。

男性は、彼女(彼)がどんなに女性の化粧をしていようと、彼だと感じたのです。
そして、彼女(彼)のアパートを尋ねるのです。

その後、二人はさまざまなことを語り合い、ある橋の上で、理解し合います。
そして彼女(彼)は去っていきます。

* * *

この音楽ドラマは、ほぼ歌詞のとおりに、ストーリーが展開します。
ただし、音声による台詞はありません。

ですが、この歌の歌詞のとおり、最後の別れ際に、その男性は、彼女(彼)に「君なら だいじょうぶだよ」と声をかけたのかもしれません。

* * *

ここで、私の、もうひとつの想像を書きたいと思います。
この歌のタイトルは「ピエール」です。
LGBTの人物の名が「ピエール」です。
つまり、キリスト教の使徒「ペトロ」に重なっているのかもしれません。

イエス・キリストの弟子たちのリーダーのペトロは、イエスに問いました。
「主よ、あなたはどこに行かれるのですか…」。

ここではペトロの殉教の歴史のことを書きませんが、このドラマの彼女(彼)も、この先「茨(いばら)の道」を歩んでいくのかもしれません。

「あなたはどこに行くの」…この音楽動画の彼女(彼)の後ろ姿には、何か、そんなことも感じさせます。

その男性は、彼女(彼)の後ろ姿に、何かの「さみしさ」を感じたのかもしれません。


◇握りこぶし

この音楽ドラマは、音楽に沿うかたちでストーリーが進みますが、音楽はあるところで終了します。
ですが、ここで、この音楽ドラマは終了ではありません。
この続きがあります。

そのLGBTではない男性は、会社の自分のデスクに戻り、デスクの上にある、自身と息子が一緒に写る写真を眺めるのです。

そして、悲しげとも怒りとも見えるような表情で、握りこぶしをデスクに叩きつけるのです。
これで音楽ドラマは終了します。

* * *

男性の最後の「握りこぶし」のシーンは、はたして何なのか…。

この「握りこぶし」は、学生時代の頃からの友人なのに、その頃から、彼をきちんと理解してあげられなかった自身への怒りなのかもしれません。

人の外見だけを見て、その中身を理解しようとしない社会全体への怒りでもあるのかもしれません。

この男性自身も、そうした社会の中に、しっかりとつかっていたと、自身で気がついたのかもしれません。

なにより、その写真の中の自身の息子のことを、自身が本当にわかってあげられているのか…。
情けなさ、悲しさ、怒り…、入り混じった「握りこぶし」なのかもしれません。

とても素晴らしい「音楽ドラマ」だと思います。

* * *

この楽曲が生まれた1976年(昭和51)から、今は、かなり世の中の状況が変わってきています。

でも、それはまだ、人間の外見や仮面(マスク)の奥まで理解できるほど、成熟した人間社会ではないのかもしれません。

この楽曲は、悲しげなギターの旋律で始まります。
仮面(マスク)の下にある「悲しみ」は、今現代も、彼らから消えていないのだろうと感じます。


◇君なら だいじょうぶ

通常は、人は、好き好んで、マスクや仮面をつけているわけではありません。
男性というマスク…、女性というマスク…。
他にも、さまざまなマスクがありますね。

楽曲「ピエール」の音楽ドラマの彼女(彼)も同じなのかもしれません。

マスクの下に、それぞれの人の苦悩と悲しみの表情があることを忘れないでいたいものです。
そして、マスクの下の、真の表情を、しっかり想像したいものです。

そして男性は、化粧した相手の顔の下にある、もうひとつの表情も、しっかり見つめてあげないといけませんね。

「君なら だいじょうぶ」と、やさしく声をかけるのは、見えていない、もうひとつの表情のほうなのかもしれません。


◇ピエール(オーケストラ屋外演奏)

さて、このバンド「イ・プー」の中心人物が、ロビー・ファッキネッティさんです。
1944年(昭和19)生まれといいますから、今、80歳です。
現役のミュージシャンです。

* * *

このロビー・ファッキネッティさんは、数年前のコロナ禍のイタリアの惨状を見て、ミュージシャンとして立ち上がりました

「ピエール(ホーム・エディション)」をネット上にアップしてくれました。

そして、クラシックのオーケストラを呼んで、屋外でソーシャル・ディスタンスをとりながら演奏し、この「ピエール」を私たちに届けてくれました。

オーケストラの方々は、通常の演奏会場ではない、音響設備もない…そんな屋外で演奏されています。
その気概に本当に敬服します。
困難に立ち向かう姿勢を、彼らは、その身で示してくれました。

人は、困難と遭遇した時に、どのような行動をとるかで、その勇気が試されますね。

下記にその動画をご紹介します。
おそらく4~5年前の演奏風景です。

♪ピエール(オーケストラ屋外演奏)



◇ピエール(ホーム エディション)

下記の「ピエール(ホーム エディション)」の動画映像は、メンバーがそれぞれの家で演奏しているようですが、まさに一堂に会したような、臨場感たっぷりのライブ感覚です。

おそらくメンバーはみな、演奏時、70歳台後半だと思いますが、まさに「いぶし銀」の素晴らしい味わいを感じさせてくれます。

♪ピエール(ホーム・エディション)


* * *

ホーム エディション映像も、オーケストラ屋外演奏も、その素晴らしさに、涙が出そうになりました。
さすが、イタリアは音楽文化の先進国です。

おそらくは、ロビー・ファッキネッティさんのリーダーシップによる実現だったと思います。
70歳台になろうと、80歳台になろうと、ミュージシャンとしての魂の火は消えていませんね。

ミュージシャンは、最後まで、「音楽魂」を持ち続けてほしい!


◇イタリアのファンタジスタ

イタリアの男性といえば、女性へのアプローチの情熱さやカッコよさで、よく知られていますね。

日本人が、何かにつけ、「どうも」とクチにしたり、何度もお辞儀したりしますが、イタリア男性の場合は、それと同じように、女性にさりげなく、でも情熱的に、さまざまな言葉をかけるのが、日常のマナーなのかもしれませんね。
声をかけないことは、女性への冒とく、侮辱と考えるのでしょうか…。
ちょっと他の国の男性とは違う気がします。

* * *

ロビー・ファッキネッティさんの下記の音楽動画を見ても、彼の音楽への情熱だけでなく、「女性にも情熱的なイタリア男性ここにあり」を感じます。

それにしても、御年77歳(当時)…、Bravo(ブラボー)! Bravissimo(ブラビッシモ)!

下記は、女性の美しさと、男性の情熱が、際立つ音楽動画です。

♪Fammi Volare(ファミー・ボラーレ)



◇生まれかわれる

最後は、コロナ禍の中で、救済のために作られた彼の音楽動画を紹介します。

喜寿の年齢…77歳の人間が、当時、ここまでの行動を行いました。
たしかに彼には、才能も地位もあります。

彼が、イエス・キリストの一番弟子「ペトロ」にも見えてきますね。
ペトロは、たしかイエスよりも年上だったと思います。
イエス・キリストの死後、多くの弟子たちを引っ張ったのはペトロだったようですね。

「リナシェロウ・リナシェライ(私は生まれ変わるだろう、あなたは生まれ変わるだろう)」という楽曲です。

♪リナシェロウ・リナシェライ


今、困難な境遇にある、さまざまな「マイノリティ(社会的少数派)」の方々…、
社会も、あなたも、きっと 生まれかわれる日がきます!

* * *

イタリアの「くまのプーさん」を引っ張ったロビー・ファッキネッティさんに、最後に、もう一度…。

Bravo(ブラボー)!
素晴らしい! お見事!

Bravissimo(ブラビッシモ)!
素晴らしい! 最高です!

* * *

もうじき11時だ!あっ、プーさんが来た!

プーだよ!ちょっと ひとくち!
このハチミツ… おいし~!
黄土色の全身マスクと赤いシャツ… 僕 気に入ってるんだ!

人間は、むかし むかしのその昔、地球の生きものたちの中の「マイノリティ」だったのは間違いありませんね!



 

コラム「虹のかなたに.2」につづく…。

 

2024.5.16 天乃みそ汁
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