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歴音43. Show Must Go On(虹のかなたに.3)
毎年5月17日の「多様な性にYESの日(International Day Against Homophobia, Transphobia and Biphobia:LGBT嫌悪に反対する国際デー)」と、6月の「(LGBTQ+の権利啓発活動のための)プライド月間」にちなんで、4回の連載で、「性的マイノリティ」「ジェンダー」をテーマにした連載「虹のかなたに」を書いています。
内容量が多いので、連載回数を、急きょ、3回の予定から、4回に増やしました。
今回は、連載「虹のかなたに」の第3回「Show Must Go On(ショー・マスト・ゴー・オン)」です。
「ショー・マスト・ゴー・オン(ショーは、やり続けなければならない)」は、もともと舞台演劇の用語で、「一度 幕を開けた舞台は、千秋楽まで、絶対にやり遂げなければいけない。中断は許されない。」という意味で使われます。
コラム後半で、そのことを書きます。
* * *
第3回では、「性的マイノリティ」として、自身の性とも、さまざまな社会の壁とも闘いながら、世界の音楽界で大成功した、ロックバンド「クイーン」のフレディ・マーキュリーや、女性ミュージシャンのレディー・ガガ、「YMCA」の6人組グループ「ヴィレッジ・ピープル」などのことを、少し書いてみたいと思います。
彼らの生きざまと楽曲は、きっと今の時代にも、「マイノリティ(少数派)」として苦悩する さまざま分野の方々に、勇気や希望を与えてくれているのだろうと思います。
◇クローゼットは、狭くて 暗い
1960年代から70年代においても、世界には「性的マイノリティ」のミュージシャンが少なくなかったいわれています。
ただ、その大半が、自身から世間にカミング・アウト(自ら世間に公表)することはせず、噂されていても、はっきりと否定も肯定もせず、なんとなく「うやむや」になっていました。
今でも、宗教によっては、「性」や「愛」に関して、かなり厳格な部分を残していることも多いですが、70年代までは、それは厳しいものでしたね。
70年代には、同性愛者を揶揄(やゆ)・罵倒するような歌詞内容の歌がヒットすることもありましたし、まだまだ世間の風当たりが強く、当事者たちは、隠すしかないような状況であったと思います。
作詞者も、上層部から、「同性愛」ではなく「異性愛」に歌詞を書き直させられたり、テレビやラジオでも、歌詞内容によっては放送禁止扱いになっていました。
80年代になると、ある特別なミュージシャンが登場し、その状況が一変しますが、そのお話しは「虹のかなたに.4」で書きます。
* * *
今の世界は、人間の肌の色による「人種差別」が、一応表面的には、完全に撤廃されました。
日本は昔から鎖国時代も長く、日本人は、肌の色で差別する思想を持っていませんので、海外からはたいへん驚かれますね。
ただ、見聞きする経験が少ないため、人種差別に対する問題意識が少し希薄なのかもしれません。
「性」や「愛」に関する差別意識も、人種差別と同様に、いつかは表面的に完全撤廃の方向に向かうのかもしれません。
とはいえ、「女性保護」「弱者保護」「人格人権保護」などの保護意識や区別は必要ですね。
今は、鉄道での「女性専用車両」に対する「男性専用車両」の必要性や、公共トイレの性区別などに関する問題など、新しい問題意識も生まれてきています。
人格、権利、保護…、これからも、時代によって思想は変わっていくのでしょう。
* * *
ちなみに、「カミング・アウト(coming out)」という言葉は、日本でも、近年 多く使われるようになりましたね。
もともとは、「LGBTQ」の当事者が、周囲にそのことを告げる意味でした。
「coming out of the closet(身を隠していたクローゼット〔押し入れ〕から外に出てくる)」という表現の中の「coming out」です。
「カミング・アウト」していない状態は、「in the closet(クローゼットの中にいる)」です。
今では、もっと広く、プライベートな秘密を公表するような場合にも「カミング・アウト」が使われていますね。
日本語による、似たような意味あいの漢字表現としては、公表・発表・表明・公言・告白・自白・自供・白状・告解・吐露・クチを割る・打ち明ける・公にする・コクる… いろいろな表現がありますね。
いずれにしても、何かの呪縛から解放されるような意味も含んでいますね。
どうか 心の縛りを解いて、身も心も軽く!
無理をしない、無理をさせない、無理のない カミング・アウト!
何にせよ、クローゼットは、狭くて、暗い!
◇スーパー応援団の登場!
実は、80年代になると、「性的マノリティ」ではないミュージシャンの一部が、「性的マイノリティ」を否定するミュージシャンや社会勢力に対抗するように、「性的マイノリティ」を肯定・応援する内容を含んだ楽曲を発表し始めます。
スーパースターが、歌で、チカラ強く応援してくれたら、彼らは、どれほど勇気を持てることでしょう!
強い援軍を得て、世の中の状況は変わってきました。
女性スーパースターたちは、ベテランの年齢になってくると、肝の座った歌詞を歌ってくれますね!
ちょっとだけ、歌詞を私的解釈した私の補足文を入れました。
* * *
世界に知らせなくちゃ!世界に見せなくちゃ!
ジェンダー平等の時代が来たのよ!
あなたは、あなただと言うのよ!さあ!
ダイアナ・ロス
♪カミング・アウト(1980・昭和55)
この楽曲… 社会も、ステージもひっくり返りそう!
ダイアナ・ロス&マイケル・ジャクソン
1980年(昭和55)のステージ。
♪アップサイド・ダウン
* * *
マドンナの1990年(平成2)の大ヒット曲「ヴォーグ〔Vogue〕」!
あなたの内面にあるインスピレーションが、あなたの夢の扉を開けるのよ!
あなたの新しい人生が始まるのよ!
あなたは、もう 知ってるわよね!
やるべきことは、わかってるはずよね!
2012年(平成24)の米国の「スーパーボール」のハーフタイムショーの一曲目も、Vogue!
時代は、性にこだわらない…Vogue!
「Vogue(ヴォーグ)」とは、フランス語で「流行・人気」の意味。
もちろん、あのファッション誌のタイトル!
男性ミュージシャンが かなわない…まさに、マドンナの新時代!
* * *
恋人もいなくて、愛がなくて、充実した人生だなんて、本当にいえるの?
そんなに強くもないくせに…。
愛する人が、傍にいなくちゃ、あんたは生きていけないわよ!
私はひとりでもやっていけるけど、あんたには 無理よね!
あんた、強くないもん!
あんた、正直に言いなさい!
そして、私に まかせな!
当時、年齢も性別もわからなかった姉御(あねご)の…シェール!
シェール
♪ビリーブ(1998・平成10)
シェールは、娘が息子になったという経験を持っていますが、彼女のことですから、どうってことないでしょう。
シェールの名言「私は大金持ちだから、大金持ちの男なんて いらないわ!」
…ある意味、貧富平等! 女性の中でも、ものすごい少数派!?
◇レディー・ガガ
ロックバンド「クイーン」の大ヒット曲「レディオ・ガガ」から、自身の芸名をとった「レディー・ガガ」は、同性愛者のコミュニティから大きな支持を得ているミュージシャンとして知られていますね。
彼女は、自身が、男性も女性も愛せる「バイセクシャル」であることを公表しています。
レディー・ガガの2011年(平成23)の楽曲「ヘアー」です。
「ゲイ」であることで学校でいじめられ 自殺した14歳の少年の話しをし、熱唱するガガ!
♪ヘアー
レディー・ガガは、ニューヨーク州の裕福な家庭で生まれたお嬢様で、名門音楽大学に合格し、音楽の才能はあったものの、一風変わった服装や言動であったことや、富裕層一家の生まれであったことなどで、若い頃から相当に、嫉妬ややっかみ、いじめの対象になったそうです。
富裕層家庭とはいっても、歴史ある名門超富裕層からみたら、ポッと出の なり上がりの裕福な家庭とみなされ、超えられない壁があったのかもしれません。
米国には、底辺から天井のさらに上まで、果てしないような貧富の距離がありますね。
ガガは、巨万の富を手にしても、階段を上がったり下がったりする人生に抵抗感を抱かない、強じんな人物なのだろうとも感じます。
莫大に稼いで、社会貢献活動に莫大に費やすのが、彼女の流儀!
彼女の猛烈な行動力には 頭が下がります。
さまざまなマイノリティ(少数派)の部分を持つ 彼女の波乱万丈な人生が、今の彼女のパワーの根源になっているのは、確かだろうと感じます。
ひょっとしたら、ミュージシャンとして成功する前のガガは、自分を理解してくれる人を、ずっと探していたのかもしれません。
成功した今では、相手(弱者)を理解できる自分自身でいつづけようとしているのかもしれません。
* * *
彼女は、性的マイノリティだけでなく、いじめ、暴力、貧困、エイズなど、多くの社会貢献活動にも非常に熱心で、日本の東日本大震災への救援にも、すぐに立ち上がってくれましたね。
まさか、NHKの紅白歌合戦で、この楽曲「ボーン・ディス・ウェイ」を歌うとは…。
「性的マイノリティ」が登場する強烈な歌詞が、若干 ソフトに変更はされましたが、この紅白への出演は、日本からガガへの御礼だと、私は受け止めました。
そして、NHKは、ジェンダー平等に前向きだと受け取ったのは、私だけ…。
この名台詞…?
「Cause God makes no mistakes(神様は、失敗しないので…)」
ここで、歌詞を、勝手にちょっと拡大解釈した補足文を…
人は、成功も失敗もします。
人なら、それでもいいのでしょう。
失敗してもいいんです!
そう生まれてきたのだから…。
神様がそう作ってくださったのだから…。
性的マイノリティたちは、自分の道を行けばいいのよ!
他に道はないのよ!
そう生まれてきたのだから…。
試練なんて、知れん!
わが道を ゆけ!
神様が作った人間たちを、人間が勝手に分類し差別している…。
レディー・ガガ
♪ボーン・ディス・ウェイ(2011・平成23)
日本の音楽番組で、歌詞を変更する必要がなくなる時代も…。
日本人が、周囲の反応や反発を気にしすぎて、強烈なメッセージを発信することを避けるようになったら、日本は世界から消えるだろう!
今の日本も、レディー・ガガのように、すでに、「I'm ready !(アイム・レディー:準備オッケ~!)」のはず!
あなたも… Are you ready?
あなたも…レディー・ガガに!
* * *
「言葉や行動で、世界をリードする」とは、まさに 彼女のようなことでしょう!
下記映像は、2017年(平成29)の「スーパーボール」のハーフタイムショーです。
地球上のどれだけの人数がこれを見たことでしょう!
ものすごい13分間!
世界が「性的マイノリティ」の彼女のとりこに…。
さて、彼女が、クイーンのヒット曲「レディオ・ガガ」から芸名をとったのは、もちろん、彼女と同じ「性的マイノリティ」の この方の存在があったからに違いありませんね。
◇フレディ・マーキュリー
クイーンのフレディ・マーキュリーも、ゲイ(男性同性愛者)だったことは知られていますね。
あの大ヒット映画でも描かれました。
クイーンの他のメンバー3人は、ある時期に認識していたようですが、70~80年代、そのことは公表されませんでした。
フレディは、自身が「エイズ」を患ってから、3人のメンバーに「今までとは何も変えない。何も話す気はない。最後まで、しっかり音楽をやりたい」と告げたといわれています。
すでに超有名スターになっていた彼が、世間に公表するには、80年代は、まだ相当にリスクの高いことだったように思います。
社会全体が しっかり受け止められる時代にはなっていませんでしたので、非公表の判断は、決して間違いではなかったと思います。
きっと、今の時代であれば、彼のクチで何かをしっかり語ったでしょう。
とはいえ、さまざまな噂は広まっており、彼の音楽作品の中では、それとなく表現されていましたね。
* * *
下記映像では、フレディだけでなく、あえて4人で女装…。
でも、クチヒゲだけは剃らない…。
俺は自由になりたい!なりたい!なりたいだけなんだ!
神様は、俺が自由になりたいことを知っているはず…。
自分で何とか しなくちゃいけないんだけど、一人じゃムリ!
そろそろ俺を解放してくれ!
クイーン
♪ブレイク・フリー(1984・昭和59)
* * *
世間への公表をしなかったフレディでしたが、周囲はみな知っていました。
世間の一部も、ほぼ わかっていました。
フレディ本人は、相当なプレッシャーの中で、最後まで生きていたのかもしれません。
彼の楽曲で、しっかり気持ちが伝わってきましたね。
そりゃあ、プレッシャーだらけに決まってらぁ!
世の中の、大きな仕組みのチカラからのプレッシャー!
誰か助けてくれよ!
クイーンとデヴィッド・ボウイによる 1981年(昭和56)の大ヒット曲。
クイーンのライブで…
♪アンダー・プレッシャー
* * *
1990年(平成2)2月、クイーンは、「ブリット・アウォード」という音楽賞を受賞し、授賞式に4人で出席しました。
フレディの生前の最後の姿となりました。
当時の医療技術では、エイズは手の施しようのない病気でした。
おそらくは、4人とも覚悟をしていたでしょう。
フレディ存命中のクイーンの最後のアルバムは「イニュエンドゥ」です。
1989年から1990年(平成2)にかけて制作されましたが、フレディの体調が悪く、発表は1991年(平成3)2月に延期されました。
フレディは、1991年(平成3)の夏頃に、ほぼ寝たきりの状態になり、同年11月24日、45歳の若さで亡くなりました。
◇神の啓示
フレディ存命中のクイーンの最後のアルバム「イニュエンドゥ」は、まさに最後のお別れを示唆しているような楽曲がたくさん入っています。
* * *
フレディは、猫をたくさん飼っており、その中でも愛猫「デライラ」がお気に入りで、その愛猫に向けた楽曲を、アルバムにどうしても残したいと希望しました。
溺愛し、愛猫にメロメロのフレディが、この世に おいていくデライラへの最後の感謝が歌われています。
♪デライラ
* * *
フレディが存命中に制作されたクイーン4人でのラストアルバムが「イニュエンドゥ」ですが、世界のファンたちは、「クイーンの最後のアルバムになるのだろう」とみな感じていましたね。
フレディと、ドラムのロジャー・テイラーが作詞作曲した同名楽曲「イニュエンドゥ」の歌詞には、このような内容があります。
「人間は、狂気、欲望、迷信、伝統、宗教など、正しくても、誤っていても、いろいろなものに支配されている。
でも、人は、自由に、なりたいものになれるはず…。
僕たちは、最後のその瞬間まで、挑戦し続けるよ」。
フレディが以前にも語った言葉「最後まで、音楽をやりたい」が、そのまま最後部の歌詞となっています。
「イニュエンドゥ」とは、この場合、「(神様からの)啓示」という意味であろうと私は思います。
楽曲の途中のフラメンコ・ギターのソロは、ロックバンド「イエス」のスティーブ・ハウが演奏しています。
神様の「イエス」ですね…。
フレディが最後に制作に関わったアルバム「イニュエンドゥ」から
♪イニュエンドゥ(1991・平成3)
◇ザ・ショー・マスト・ゴー・オン
アルバム「イニュエンドゥ」のラストの楽曲「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン」は、フレディ以外のメンバー3人で作詞作曲された楽曲です。
まさにフレディへの感謝と、3人の決意が歌になっています。
残されることになる3人は、この歌を、どうしてもフレディの声で残してほしいと願ったのかもしれませんね。
和訳付き
♪ザ・ショー・マスト・ゴー・オン(1991・平成3)
フレディの衣装に描かれている猫は、前述のデライラです。
♪ザ・ショー・マスト・ゴー・オン
* * *
「ショー・マスト・ゴー・オン(ショーは、やり続けなければならない)」は、もともと舞台演劇の用語で、「一度 幕を開けた舞台は、千秋楽まで、絶対にやり遂げなければいけない。中断は許されない。」という意味で使われます。
フレディは、自身の生涯を、この歌のように、最後の最後まで、ミュージシャンとして、ショーマンとしてやり遂げましたね。
そして、「性的マイノリティ」として、「エイズの犠牲者」として、永遠に旅立ったフレディが歌声として遺したこの言葉「ショー・マスト・ゴー・オン(ショーは、やり続けなければならない)」は、あの映画となって結実したのかもしれませんね。
* * *
映画のチカラもあり、世界の多くの人たちが、「性的マイノリティ」「エイズの犠牲者」のミュージシャンとして、まず思い起こす名が、フレディ・マーキュリーでしょう。
最後の最後まで闘い続けた、彼の姿は、「性的マイノリティ」たちだけでなく、すべての人たちに感動や勇気を与えたのだろうと思います。
おそらく、これから後の時代も、そう あり続けるでしょう。
◇最後までショーマン
フレディは、自身の最後の瞬間の時のことも、コミカルなタッチの映像にして、私たちに残しました。
最後まで、ショーマンに徹してくれたフレディでしたね。
フレディの最後の大芝居!
♪狂気への序曲(I'm Going Slightly Mad)(1991・平成3)
♪狂気への序曲(I'm Going Slightly Mad)
病の中、フレディの最後のお仕事…
下記の楽曲の作詞作曲は、ドラムのロジャー・テイラーですが、まさに フレディへの感謝の思いがにじみ出ていますね。
フレディも、ファンの方々に向けて、気持ちよく歌えたのではないでしょうか…。
(和訳付き)
♪輝ける日々(These Are The Days Of Our Lives)(1991・平成3)
フレディの最後のMV(ミュージックビデオ)。
おだやかな表情で歌うフレディに、なにかホッとします。
♪These Are The Days Of Our Lives
フレディが亡くなってから33年が経ちました。
クイーンのメンバーの他の3人は、ジョン・ディーコンを除くお二人、ブライアン・メイとロジャー・テイラーは、今も元気に音楽活動をされていますね。
昨年、NHK紅白歌合戦に出演されましたね。
ジョンは音楽界を引退し、表舞台には出てきませんが、息子さんが、映画「ボヘミアン・ラプソディ」に出演されました。
クイーンは、メンバー4人とも、もともとインテリ層の出で、音楽にも 誠実に取り組み、4人とも音楽曲を作る高い能力を備えていました。
こだわりをしっかり残しながら、時代の変化にも順応していきました。
まじめに、深く、長く、でも派手に…が、私のクイーンの印象です。
本当に 音楽に誠実に取り組む、本ものの音楽志向のミュージシャンたちだったと 私は思っています。
ですから、フレディ亡きあとも、3人がバラバラにならずに、フレディが生き続けているかのように、クイーンという存在が忘れ去られることがなかったのだろうと思います。
クイーンの4人は、「クイーン・ショー」という舞台を、映画などを含め、最後まで しっかり やり遂げてくれたのだろうと思います。
素晴らしい「The Show」でした。
◇手をとりあって…
私個人にとっても、クイーンは特別なバンドです。
音楽専門誌に掲載された、私の音楽記事の最初は、クイーンのアルバム「クイーンⅡ」に関する文章だったからです。
私の音楽に関する執筆は、クイーンから始まりました。
ホワイト・クイーンとブラック・クイーンのお話しと、レコードの私的評だったと思いますが、内容はよく憶えていません。
ただ、そのアルバムを大絶賛したことだけは憶えています。
* * *
昭和の当時は、クイーンファンは、日本では、完全にマイノリティ(少数派)でしたが、かなり熱狂的で個性的なファンばかりでしたね。
この時代の まさにクイーンファンの絶対的岩盤層が、今の時代まで残っていたからこそ、今の時代の大規模ファン層が築かれたといっていいのかもしれません。
クイーンは、私にとって、永遠に特別な音楽とミュージシャンです。
同じ時代を生きてこれて、とても幸せでした。
フレディら、メンバー4人には、何度も言いたいです。
「お世話になりました。ありがとう!」
* * *
日本という国を、こよなく愛したフレディでしたね。
デビュー当初から、根強いファン層がいた日本に、彼は特別な想いを持っていましたね。
このスキャット歌唱は、日本の民謡がベースなのでは…。
下記は、歌詞の一部に日本語が使われた1976年(昭和51)の楽曲です。
来日時のステージで…
♪手をとりあって
上記映像には、空港に殺到する日本人女性ファンの光景が映っていますが、当時は、「レッド・ツェッペリンも好きだし、プログレも好きだが、実は、クイーンも好き」という音楽好きの熱狂的な男性ファンも少なくありませんでしたね。
「何だよ、(男の)お前もクイーンを聴いているのか!実は、隠してたけど、俺もさ!」
当時から、日本人って… そんなとこ あるある!
なぜ、隠してた!早く言ってよ!
「♪When I'm gone…(僕が去りゆく時に…)」で始まる歌詞の名曲です。
素晴らしい日本語歌詞を付けた、当時の通訳の実力にも感謝!
手をとりあうような、クイーンと日本の関係性に、特別な感慨を抱きます。
クイーン
♪手をとりあって(1976・昭和51)
◇永遠に…
今回のコラムの最後は、クイーンのこの曲にしました。
ギターのブライアン・メイが作詞作曲した楽曲「リヴ・フォーエバー(Who Wants To Live Forever)」。
クイーンの1986年(昭和61)の作品です。
和訳付き
♪リヴ・フォーエバー(Who Wants to Live Forever)(1986・昭和61)
人間には、永遠の人体はありませんね。
生きた生命体を、永遠に愛し続けていくこともできません。
私たち ひとりひとりの生涯には、時間に限りがあります。
人生というショーには、いつか必ず「千秋楽」が来ます。
でも、私たちそれぞれに与えられた時間と場所での出来事は、どこかの「永遠」へとつながっているのかもしれませんね。
その身は滅んでも、永遠に生き続けてほしい… きっと 誰もが願っているのでしょう。
1986年(昭和61)のライブ演奏です。
♪リヴ・フォーエバー
* * *
連載の次回も、「性的マイノリティ」として、大成功をおさめた海外ミュージシャンを紹介します。
さて、「性的マイノリティ」の権利啓発活動には、ある特別なものと色があります。
前回の「虹のかなたに.2」で書きました 女優歌手のジュディ・ガーランドに関わる内容です。
そのお話しは、連載の次回「虹のかなたに.4(最終回)」で書きます。
2024.5.30 天乃みそ汁
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