ザ・ビートルズ、レット・イット・ビー、Let it be、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、アレサ・フランクリン、英国、アビイロード、キリスト教、聖母マリア、マルコムX、ロック、洋楽。

 

 

歴音38.きっと、ちゃんと Let it be!



今回は、数年前に書いたコラムを加筆修正するかたちで掲載させていただきます。

5月8日は、ビートルズの楽曲「レット・イット・ビー(Let it be)」に深く関りのある日です。

そして、今年2024年5月10日は、「失われていた時間」が私たちのところに…。


◇ジョン・レノンの「失われた週末」

今年2024年5月10日から、ジョン・レノンに関する映画「ジョン・レノン 失われた週末」が日本公開されました。

ジョンが妻のオノ・ヨーコと別居していた、1973年(昭和48)9月頃から1975年(昭和50)初め頃までの1年半ほどの間の、自由奔放な期間を描いたドキュメンタリー映画のようです。
これまで、世の中に ほとんど公表されることのなかった、ジョンのプライベートな「秘密の期間」とされている内容です。

ジョンが、元ビートルズのメンバーや、多くの有名ミュージシャンと交流し、ある女性とも過ごした期間です。
そして、前妻や、その彼女との間の息子とも交流しました。

この期間では、彼の重要な音楽作品も生まれました。
アルバム「マインド・ゲームス」、「心の壁、愛の橋」、「ロックンロール」が制作された時期です。

1973年(昭和48)から1975年(昭和50)までの時期は、ビートルズ時代とも、ビートルズ脱退後のソロ活動初期の時代とも少し異なる、ジョンのひとつの音楽時代でしたね。
彼の、ミュージシャンとして大切な期間であったのは確かでしょう。

彼は、1976年(昭和51)から1979年(昭和54)まで、子育て中心の生活に入り、音楽から離れますので、その直前の音楽活動に旺盛な時期です。
ある意味、自由を、音楽を謳歌した時期でしょう。

この時期から、二曲だけ…

ジョン・レノン
♪マインド・ゲームス(1973・昭和48)

 

♪スタンド・バイ・ミー(1975・昭和50)


1975年(昭和51)の英国のテレビ音楽番組の映像です。
ご機嫌のジョンによる「スタンド・バイ・ミー」


1980年(昭和55)に、アルバム「ダブル・ファンタジー」で、音楽に復帰した彼は、直後に狂人に射殺されました。
ジョンの、また新しい音楽時代が始まった矢先のことでした。

この映画「ジョン・レノン 失われた週末」は、1973年9月頃から1975年初めまでの、ジョンを描いたドキュメンタリー映画のようです。
彼の素顔の一部や、天才ミュージシャンのあり様が、のぞけるのかもしれませんね。
どうぞ、Stand by John!



さて、今回のコラムは、ビートルズの名曲「レット・イット・ビー(Let it be)」のお話しです。


◇1970年の「レット・イット・ビー」

世界的に知られたロックバンド「ザ・ビートルズ」の楽曲「レット・イット・ビー(Let it be)」がありますね。
この楽曲の発表は、54年前の1970年(昭和45)3月6日です。

そして、ビートルズとして、最後に発売されたオリジナル・アルバム「レット・イット・ビー」は、1970年5月8日に発売されました。

* * *

私が、初めて、この楽曲「レット・イット・ビー」を耳にしたのは、ラジオではなく、親戚のおじさんが、その年に持ってきてくれたシングル・レコードでした。

私は今でも、メンバー4人の顔をあしらった、あのカッコいいデザインのレコード・ジャケットを見ながら、これを聴くたびに、1970年(昭和45)の時代の雰囲気や色合い、わが家の光景などを鮮明に思い出します。

この楽曲のジャケットは、ジャケット用に撮影された写真ではないはずです。
ビートルズ黄金期のメンバーそれぞれの表情を集めたものだと思います。
4人それぞれの写真が、これまたファンを泣かせますね。

* * *

1970年(昭和45)といえば、その夏には「大阪万博」が開催(1970年3月15日~9月13日開催)され、わが家も見に行きました。

お土産に「太陽の塔」や「月の石」のレプリカ、流行の三角形のペナントなどを買って、興奮・うれしさ・希望を感じる1970年(昭和45)でした。

私には、「大阪万博」と「ビートルズ終焉」が、どうしても重なって記憶されています。

1970年5月にアルバム「レット・イット・ビー」が発売された時には、すでにビートルズは存在していませんでした。

「大阪万博」開催による興奮の1970年(昭和45)の中、何か、言い知れぬ さみしさを感じながら、この哀愁ある楽曲「レット・イット・ビー」を耳にしていたことを憶えています。

昭和40年代は、今現代とは違って、夜が暗く、長く、ステレオの音が心に沁みわたる時代だったような気がします。

* * *

1970年代の日本では公害がひどく、大気汚染や河川の汚染も全国に広がってきており、都市開発もまだまだ都市部だけで、今現在の日本の街の様子とは大きく違います。
それでも、楽しいことも多く、ビートルズの音楽がポピュラー音楽界のトップにいました。

その少し前の時代では、世界中がタンゴブーム、マンボブームに包まれ、日本でもまだまだ「ウ~、マンボ!」の時代が続いていました。
一方、ビートルズなどのポップスやロックも、次々にヒット曲を出していました。

* * *

当時、日本では、歌謡曲の「日本レコード大賞」の権威が急速に上がり始める時期で、その後に最盛期とピークを向かえますが、「レット・イット・ビー」は、まさに、1970年の世界の「レコード大賞」といえるのかもしれません。

1970年(昭和45)の日本レコード大賞は、菅原洋一さんの曲「今日でお別れ」でした。
ザ・ベンチャーズが作曲した「京都の恋」は、その年の企画賞。
ムーミンの主題歌が、童謡賞。
楽曲「また逢う日まで」の尾崎紀世彦さんのレコード大賞は、翌年の1971年です。

後世に残る 歴史的な名曲たちが、海外でも、日本でも、続々と誕生し始めた時代でしたね。

* * *

楽曲「レット・イット・ビー」は、まさに時代の節目に生まれてきた楽曲なのかもしれません。
何かの「幕開け」の時代に生まれてきた楽曲だったのかもしれません。

変革とスピード化により急成長する日本社会の中で、公害や過重労働、人間どうしの競争激化などに少し疲れた人々…、脱落してしまった人々…を癒してくれたのが、この楽曲「レット・イット・ビー」だったのかもしれません。

「だいじょうぶ、なるようになるさ!必ず、なんとかなる!」
この楽曲が、多くの人たちを癒し、勇気づけたのは間違いないと思います。

普段、ロック音楽を聴かない、クラシック音楽ファンや、演歌・歌謡曲ファン、そもそも音楽をあまり聴かない方々でも、この楽曲「レット・イット・ビー」を耳にしていたことでしょう。

* * *

日本人には、何か妙に不思議なタイトル「レット・イット・ビー」でしたね。
当時の日本の大人の中には、意味など知らずに、「ビー」ではなく「ピー」と言っていた人も少なくなかったですね。
当時の、ステレオでもないレコード再生装置なら、そう…「レルピー」です!

この「レルピー」「レルビー」という言葉の繰り返しに、みな酔いしれていましたね。

嗚呼(あゝ)、レルビーの昭和…。


◇ザ・ビートルズ

今の30歳台以下の年齢の方々は、ビートルズの音楽を聴いたことがなくとも、「ビートルズ」というバンド名くらいは耳にしたことがあるかもしれませんね。

「ビートルズ」というバンド名は知らなくとも、ジョン・レノンや、ポール・マッカートニーというアーティスト名は知っているという若い世代も多いでしょう。

この二人を含め、他にジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの全4名のバンドが、ビートルズです。

* * *

実は、ビートルズというバンドは、その活動期間が10年ほどしかありません。
ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人がそろった1962年(昭和37)をスタートと考えれば、終焉となる1970年(昭和45)まで9年間です。

世界的大人気と初映画「ハード・デイズ・ナイト」公開の1964年(昭和39)から、ジョンが脱退した1969年(昭和44)までと考えたら、わずか6年間です。

こんな短い期間に、よくこれだけの量の名曲を残したものです。
メンバーたちの音楽性の成長速度といったら驚きです。

下記のページで、その歴史を簡単に知ることができます。

ビートルズの歴史概要

ビートルズの録音記録

ちなみに、1960年代頃までは、バンド名に「The(ザ)」という文字がついていることが非常に多いです。
外国だけでなく、60年代の日本の音楽グループにも、たいてい「The」がついています。

これは、英語表現の通常の「the」ルールと同じものですが、その時代頃までのバンド名は非常にシンプルなものが多く、同じ名のバンドも多くいたためだったからかもしれません。
なかなか 本もののバンドと確認できない時代に、本ものだと語った「偽バンド」もたくさんいました。

70年代以降の凝りに凝ったバンド名に、あえて「The」などつけなくとも、他の名称やバンド名と誤認することなどなくなります。
レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ピンク・フロイド…、カラー(色)名も多かったですね。
「クイーン」も、まさか女王陛下がロック演奏するなどとは誰も想像しませんね。
音楽の話しの中で、クイーンといえば、あの「ボヘミアン…」のクイーンですね。


◇1969~1970年の、ビートルズ終焉までの路(みち)

ここで、ビートルズの終焉までの流れを簡単に…。

1968年(昭和43)11月、ビートルズのアルバム「ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)」発売(日本での発売は1969年1月)。

1969年(昭和44)1月2日から31日まで、断続的に「ゲット・バック・セッション」。
これは、発売予定のアルバム「ゲット・バック」用の録音と、ドキュメンタリー映像用の撮影を兼ねたセッション演奏でした。

そして、もうひとつの目的は、4人が しっかりビートルズに戻ること…。
「ホワイト・アルバム」の制作の頃から始まった、メンバーの不協和音を打破しようとしたものでした。

ポールの呼びかけ「みんな元の場所(原点)に戻ろうよ」で始められたものでした。
そして、「昔のように、聴衆の前のステージで、4人で もう一度演奏しよう」という意味も含まれていたはずです。

なのに…
1969年1月7日、ポールとジョージの、激しい言い争い。
1969年1月10日、ジョンとジョージの、激しい言い争い。
ジョージの、ポールとの争いの直後の、ジョンとの争いですから、いろいろな想像が駆け巡りますね。

ポールとジョージの言い争いでは、ジョージも、カメラを意識してか、あえて脱退覚悟の逆ギレ…。
ジョンとリンゴは、もはやクチをはさみません。
これがバンド終焉直前の様子でしたね。

1969年1月のポールとジョージの言い争いの映像の一部です。


1969年(昭和44)1月に、ジョージがビートルズ脱退表明をします。
その後、いろいろあって、ひとまず復帰…。

有名な、ビルの屋上でのセッション「ルーフトップ・コンサート」は、1969年1月30日のことです。


この1ヶ月間あまりのセッションを記録した映像が たくさん残されました。

ずっと後の2021年には、ドキュメンタリー番組「ゲット・バック」が作られましたね。



こうしたメンバー同士の「いさかい」の中、1969年5月にアルバム「ゲット・バック」は完成したものの、発売されず、お蔵入りとなりました。

その未発表アルバムは、予定タイトル「ゲット・バック」を示すように、デビューアルバムのジャケット写真と同じポーズをとった4人の写真が準備されていましたが、結局は、デビュー当時のような「原点」に戻ることはできませんでした。

奇しくも、このセッションは、「ゲット・バック(原点回帰)」どころか、メンバーたちに、ビートルズの終焉を決意させるものになったのかもしれません。

* * *

1969年6月から9月にかけて、決意(?)のアルバム「アビイ・ロード」の制作が行われました。

4人がそろって、最後に録音スタジオに入ったのは、1969年8月20日でした。

同年9月20日には、ジョン・レノンが、他のメンバーにビートルズ脱退を告げます。

同年9月26日に、楽曲「The end」で締めくくるアルバム「アビイ・ロード」が発売されました。
楽曲「The end」の後に、もう一曲だけ「おまけ」も…。

* * *

1970年(昭和45)1月、お蔵入りとなっていたアルバム「ゲット・バック」を発表するために、ジョンを除く3人やスタッフで、追加の作業が続けられます。

1970年3月6日、アルバムに先行して、ビートルズの最後のシングル曲「レット・イット・ビー」が発売されました。

お蔵入りになっていたアルバム「ゲット・バック(原点回帰)」のタイトルは、もはやグループとして 意味を持っておらず、アルバムタイトルを「レット・イット・ビー」に変更し、追加作業は4月まで続きます。
何という、意味深のタイトルに変更…。

1970年(昭和45)4月10日に、ポール・マッカートニーがビートルズ脱退を表明。
これにより、ビートルズの活動は完全に終焉(事実上の解散)となりました。

* * *

最終的に、幻のアルバム「ゲット・バック」の曲を一部入れ替え、1970年(昭和45)5月8日に、ビートルズとしてのオリジナル・アルバム「レット・イット・ビー」が発売されました。
今から54年前のことです。

同年5月13日に、同名映画「レット・イット・ビー」が公開上映されましたが、もちろんメンバーの4人は、上映時に公(おおやけ)の場で集まることはありませんでした。

* * *

こうした流れでしたので、録音・発売された最後のアルバムは「レット・イット・ビー」ではありますが、実質的に4人で制作された「お別れ」の意味のアルバムは「アビイ・ロード」だと考える人が少なくありませんね。

実は、楽曲「レット・イット・ビー」も、その楽曲の原型は、アルバム「ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)」の頃の1968~9年には できていました。
その後に、曲の内容が改変されていきます。
後で書きます。

* * *

1960年代後半には、ビートルズのメンバーそれぞれの音楽性が相当に成熟してきており、それぞれの独自色も際立って異なるようになります。

ジョン・レノンは、芸術性と精神性をもともと強く持っていましたが、さらに奥深い方向性に向かっていきましたね。
独特なリズム感とサウンド志向も持っていました。

ポール・マッカートニーは、その作曲能力の高さ、そして音楽の多角的な才能は、誰もが認めるところでしたね。

ビートルズ終焉の頃には、それまでサブのような存在であったジョージ・ハリスンの音楽の才能が開花し始めていました。
今現在、世界でもっとも聴かれているビートルズの楽曲は、「ヒア・カムズ・ザ・サン」だそうですが、これはジョージの楽曲です。
ビートルズ時代の終盤、彼の自信は どんどん大きくなっていったことでしょう。

成長期から成熟期にさしかかった、ジョン、ポール、ジョージの音楽の方向性が、これほど大きく違っていたら、もはや ひとつのバンドとして活動するのは無理だとも感じます。

* * *

1969年から1970年(昭和45)にかけては、ビートルズのメンバーそれぞれが、ビートルズの活動とあわせて、ソロアルバムの制作を行っています。

同時代には、英国でも、米国でも、才能あるミュージシャンが続々と生まれてきており、他のミュージシャンとの交流の欲求も相当なものだったはずです。

ジョン、ポール、ジョージの三人とも、それぞれの音楽の求道者のような側面を持っていましたので、ビートルズの終焉は自然な流れとも感じますね。

ジョージの言葉です。



楽曲「レット・イット・ビー」は、ビートルズ最後のシングル・レコードとなった作品で、この楽曲を含むアルバム「レット・イット・ビー」の個々の楽曲は、素晴らしいものばかりですが、アルバム全体としての統一感や完成度はイマイチかもしれません。
素晴らしい宝石を集めて並べた陳列棚のような印象も否めません。

ですので、ビートルズとしての実質的な最後のアルバムは、やはり「アビイ・ロード」だと私は感じます。
アルバム「レット・イット・ビー」は、幻のアルバム「ゲット・バック(原点回帰)」の挫折から生まれた、私たちへの「お別れの挨拶状」のようにも感じます。

* * *

英国ロンドンに実際にある「アビイ・ロード(Abbey Road)」の横断歩道を4人で渡り、渡った先で、それぞれの道に分かれていきました。

ジャケット写真の背景の人物たちは、たまたま そこにいた観光客たちで、永遠に自身の姿が残った幸運の持ち主たち!

「アビイ(Abbey)」とは、キリスト教の修道院やその土地を意味しています。
「アビイ(Abbey)」という言葉は、ヘブライ語の「神様が喜んでいる」という意味の言葉に由来するそうです。

アルバムタイトル「アビイ・ロード」の意味は、「神様が喜んでくれる路」「神様が喜んでくれた路」という意味なのかもしれません。

音楽史の中の、ビートルズの10年あまりは、素晴らしい「路(みち)」であったと思います。


◇永遠のビートルズ

リンゴ・スターは、その明るい「いじられ」キャラで、個性の強い他の三人の緩衝材的な役割でしたが、次々にメンバーが脱退表明する中、ビートルズは事実上、終焉となります。

ジョンが抜け、ジョージも抜け、ポールは、自身が中心となって、新たなメンバーを加入させることで、ビートルズを存続させることも可能だったかもしれませんが、それでも、その選択はありませんでした。
おそらくは、4人とも、その意向であったろうと思います。

それぞれのメンバーたちは、その後、それぞれの音楽性をさらに向上させ、突き進んでいきますから、この終焉は、発展的な解消といえますね。

後になって思えば、やはりこの時にバラバラに分かれていったことは、よかったと感じます。

ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ… 4人とも、ミュージシャンとしての隆盛期は、ビートルズ時代の後も さらに続きましたね。
「ビートルズの時に活躍していた あの人…」には 決して なりませんでした。

* * *

ビートルズを、別のメンバーで存続させなかったことで、この4人だけの偉大な遺産として「ビートルズ」が残ったのかもしれません。
ビートルズは、メンバー4人だけのビートルズ!

1970年(昭和45)の時点で、ビートルズの活動が終焉となったことで、むしろ「永遠の存在」となったような気がします。
だからこそ、その後の時代も、ビートルズファンを生み出し続けたのかもしれません。


◇奇跡の「レット・イット・ビー」

楽曲「レット・イット・ビー」は、ビートルズの歴史に咲いた最後の大輪の花のようなイメージを抱かせてくれる楽曲ですね。

ジョン・レノンとポール・マッカートニーは、そのビートルズ作品の紹介において、共作と表現されることも多いのですが、昔からのファンからしたら、どちらが主導権を持っていた曲なのかすぐにわかります。

ひとつの曲の中でも、二人の違いが明確にわかるような部分も多くあり、ビートルズというひとつのバンドの中で、異なる個性が上手に融合していたことがよくわかります。

今 思うと、これほど独自色の強い天才が、同じグループ内に二人存在していたのですから驚きですね。

多角的でアイデア豊富な音楽表現は、ポール・マッカートニーの影響が大きいとも感じます。

ジョンは、ポールが作詞作曲し 主導したこの楽曲「レット・イット・ビー」を気にいらない素振りはしていましたが、私の個人的な思いでは、この曲を聴かされて、ジョンは、ポールの才能にやはり驚いたと思います。

そんなビートルズ最終盤の時期に完成した名曲が「レット・イット・ビー」です。

今、私が知る限り、3種類の「レット・イット・ビー」を聴けると思います。
他にも、仮歌(かりうた)状態のような音源が存在しているようですが、完成度は未熟なものです。

* * *

最初に発表されたのが、シングル・レコード用のバージョンです。
その後が、アルバム用バージョンです。
それから、ずいぶん後に、もう一種類のバージョンが世の中に出てきました。

主に大きく違うのは、ギター演奏の部分です。
ジョージが、何度か録音し直したようです。

シングル・バージョンの発表は1970年(昭和45年)3月です。
後で書きますが、アレサ・フランクリンによるレコード発表の2ヶ月後です。

その後、同年5月にアルバム「レット・イット・ビー」が発売され、私も、両バージョンの違いにたいへん驚きました。

アルバム・バージョンは、ギター音が かなりチカラ強いサウンドになっています。
ファンのあいだでも、それぞれ 好みが分かれますね。

下記に、3種類の「レット・イット・ビー」をご紹介します。


♪レット・イット・ビー(シングル・バージョン)


♪レット・イット・ビー(アルバム・バージョン)


♪レット・イット・ビー(ネイキッド・バージョン)


当時のメンバーの表情を見ると、いろいろ泣けてきますね。
発売から54年が経ちました。

今思うと、名曲オンパレードのビートルズの10年あまりの歴史を締めくくるのに、この曲ほど似合う曲はないように感じます。

1969年(昭和44)に、こうした映像が撮影されたことは偶然であったのか…、意図的なことだったのか… この奇跡に感謝したい!

 


 

 

◇ディズニーで「レット・イット・ビー」

さてさて、今年2024年の5月8日より、「Disney+(ディズニープラス)」で、ドキュメンタリー映画「レット・イット・ビー」の独占配信が始まりました。

ディズニーとビートルズ… 昭和の世代には、この組み合わせは、ちょっとピンときませんが…。「あゝ、エンターテイメント業界も、いろいろ レット・イット・ビー!」

あの4人の顔の黒地のジャケットが、白地のジャケットに!
詳細は下記で…。

詳細サイト

 


 

 

◇「癒し・救い」の歌詞

下記に、素晴らしい歌詞の和訳が掲載されていますのでご紹介いたします。
アメーバブログの中の、東エミさんの和訳記事です。
多方面でご活躍の東さんです。

下記がその記事です。

「レット・イット・ビー」の歌詞の記事

* * *

この曲の歌詞は、まさに、ビートルズ終焉直前の時期のビートルズ・メンバーの不協和音を想起させますね。

レコード・ジャケットの4人の顔をよく見ると、ポールだけが見ている方向が違います。

ポールは、幻のアルバム「ゲット・バック」の頃から、ビートルズ存続を希望していたのかもしれませんが、ビートルズの中でのポールの存在の大きさが、これ以上大きくなることを、他の3人は良しとしなかったのかもしれません。

それぞれがみな 優れたミュージシャンであったがゆえの、「なるように、おさまった…」結末といえるのかもしれませんね。


◇聖母の「Let it be」

さて、皆さまは、この歌詞の「レット・イット・ビー(Let it be)」という言葉を、どのような意味で解釈されていますか?

「ありのまま」、「なすがまま」、「流れに身をまかせ」、「なりゆきまかせ」、「あきらめちゃえ」、「もう どうでもいいよ」、「放っておいて」、「なるようにしかならないよ」…。

何か、突き放されたような…、見捨てられてしまったような…、あきらめの境地のような…。

前述したとおり、この楽曲は、レノン&マッカートニーの制作にはなっていますが、実際には、ポール・マッカートニーの作詞作曲です。

実は、この言葉「レット・イット・ビー(Let it be)」には、仏教国の日本人には、あまり知られていない側面があります。

* * *

さて、日本語で「受胎告知(じゅたいこくち、英語: Annunciation)」と訳されている、キリスト教の聖典「新約聖書」に書かれているエピソードがあります。

私は、キリスト教徒ではありませんので、詳細までは理解できていませんが、少し書きます。
さまざまな解釈もあるようですが、代表的な内容を書きます。

イエス・キリストに関する古代史の中での、この「受胎告知」の場面を、現代日本語会話のかたちで、私なりに少し書いてみます。

天使の「ガブリエル」と、マリア(後に イエス・キリストを生む聖母)の会話です。

(天使)
マリア…、恐れることはありませんよ。
あなたは、神さまから、すばらしい「お恵み」をいただいたのです。
身ごもった あなたは、これから男の子を生みますよ。
その子に、イエスと名付けなさい。
その子は偉大な者となり、すばらしい神の子と呼ばれます。
~略~

(マリア)
どうしてですか。私は男の人を知りませんのに。

(天使)
聖霊があなたに宿り、神さまのチカラがあなたを包んだのです。
ですから、生まれる子は聖なる者、神の子なのです。
神に、できないことはないのですよ。

(マリア)
私は、神さまの「しもべ(召使)」です。
天使さまのお言葉のとおり、この身が なりますように。

ここで、天使ガブリエルは、マリアのもとを去って行きました。

この台詞「お言葉のとおり、この身がなりますように」の部分が、英語では次のような表現などで訳されます。

「Let it be to me according to your word.」
「Let it be to me according to your saying.」
「Let it be done to me as you say.」
「お言葉のとおり、この身が なりますように。」

「Let it be」という言葉には、マリアの、神さまの「みこころ(思い・意思)」のままに従う気持ち(身をゆだねる気持ち)と、強い願いが込められていることがわかります。

キリスト教徒にとっては、非常に大切な言葉表現「Let it be」ですね。

* * *

実は、楽曲「レット・イット・ビー」のレコード発売は、ビートルズよりも、アレサ・フランクリンのほうが2ヶ月先です。
彼女の1970年1月発売のアルバムに入れられました。

当初は、アレサが、この楽曲の歌詞に抵抗があり、歌唱を断ったというからすごい話です。
あのビートルズの申し出を断るとは、さすが女王様アレサ!

理由は…「私の宗教観とは違うわ!でも、ポールのお母さまの話だというのなら、歌って上げてもいいわよ」とかなんとか…?(私の想像での台詞)
つまりは、キリスト教宗派の違いのようです。
ポールのお母さまの話は、後で説明します。

いかにも、ゴスペル色を強く感じる、アレサらしい歌唱です。
アレサ・フランクリン
♪レット・イット・ビー(1970・昭和45)



さて、前述の「受胎告知」の場面は、昔から、ダ・ヴィンチなど多くの画家が絵画にしていますね。
ダ・ヴィンチの画家としての出世作で、大ヒット作品!

 

やはり、音楽作品のタイトルにするには、「アリア様への受胎告知(the Annunciation to the Virgin Mary)」よりも、「Let it be」のほうが…。


◇マルコムXの「Let it be」

さて、ポールが作った歌詞の冒頭です。

When I find myself in times of trouble
(僕が悩み苦しんでいるときに)
Mother Mary comes to me
(母なるマリア〔メアリー〕が僕のもとを訪れ)
Speaking words of wisdom
(叡智の言葉を話してくれます)
Let it be
(レット・イット・ビー)

* * *

実は、この楽曲は、1968年のアルバム「ホワイト・アルバム」の頃には、原型が出来上がっていたようで、その時の歌詞は、別の歌詞になっていました。

「Mother Mary comes to me」の部分は、当初は「Brother Malcolm comes to me(ブラザー・マルコムが私の元にやってくる)」だったようです。

「ブラザー・マルコム」とは、「マルコム X(エックス)」(1925~1965)のことです。
「マルコムX」は、アフリカ系アメリカ人、急進的黒人解放運動指導者、イスラム教導師で、米国の公民権運動にたいへん活躍した人物です。
1965年(昭和40)に、演説中に射殺されました。
彼の多くの演説の中にも、「Let it be」というフレーズが幾度となく登場したようです。
ポールが、テレビなどで、彼の演説を聞いていたのは間違いないだろうと思います。

でも、この当初の歌詞は後に変更されます…。


◇生母の「Let it be」

ビートルズ側は、歌詞が、前述の「Brother Malcolm comes to me」のままでは、誤解を受け、身が危険になるという判断だったと想像しますが、歌詞を「Mother Mary comes to me」に替え、ポールの母の名前であるメアリー(Mary)を登場させます。

実は、作詞したポールは、14歳の時に、母であるメアリー(Mary)さんを病気でなくしていました。

* * *

先ほど、聖母マリアの「受胎告知」の話を書きましたが、「マリア」は英語で「Mary」と書きます。
ラテン語では「Maria」。
日本語のカナ表記や読みでは、「マリア」「マリヤ」と書きますね。

ポールの生母の「メアリー」さんと、受胎告知の聖母「マリア」を、歌詞の中で重ねてイメージさせているのは間違いないと、私は思います。

ポール自身も、「聴く人が、どのように とらえてくれても かまわない」という主旨の発言を行っています。

「聖母」と「生母」…実は 重なっていますね。


◇ちゃんと、なるようになりますよね

この歌詞を、ポールの生母のメアリーさんと解釈してもいいし、聖母マリア様のお話しと解釈してもいいし、マルコムXを想像してもいいし、その解釈は、楽曲を聴く人にゆだねられています。

英語のポピュラーソングでも、日本の童謡や歌謡曲でも、ひとつの歌詞の中に、いろいろな意味合いを重ねてあることが多いですが、この楽曲の「レット・イット・ビー」にも、さまざまな意味合いが込められていますね。

* * *

ただ、この楽曲の歌詞「Let it be」については、まったくの「あきらめ」の境地で、何かに完全に依存し、やる気のない「なげやり」な意思や行動というようには、私は感じません。

その身を流れにまかせるだけというよりも、ありのままの自身の真の姿で、多くのものをまっすぐにとらえ、多くを受け入れ、相手を強く信頼し、その上で身をゆだね、自身なりの答えを探し求める行動そのものの言葉のように、私は感じています。

聖母マリアが「受胎告知」の時に抱いていた、強い信頼と、強い願いと同じものを、この歌詞にも感じます。

そして、終焉時のビートルズのメンバーも、同じような気持ちでいたのかもしれません。

「そんな自身でいれば、決して見捨てられることはないよ。道は開かれるよ。導かれるよ!」
「だいじょうぶ。あなたは、ちゃんと なるようになりますよ。強く願い続けて!」
…という意味あいも含まれているのかもしれません。

この楽曲「レット・イット・ビー」を宗教曲だととらえる人は、日本人には少ないと思います。
ですが、宗教的な側面を感じる楽曲ではありますね。

* * *

この楽曲の歌詞の言葉「Let it be」を、聴き手は、どのように受け取ってもいいのです。
ありのままの今の自身の心に従って…。

「なれますように…」
「ちゃんと、なれますよね…」
「ちゃんと、なるようになりますよね…」

ビートルズのように、なるようになります…。

* * *

ビートルズの4人のメンバーは、ビートルズ終焉の後、それぞれ ちゃんと やっていけましたね。
世界中のビートルズファンも、ビートルズがいなくなってからも、ちゃんと「ビートルズ愛」を続けていけました。

日本も、昭和の戦後に、平和な社会に ちゃんと戻れました。

私の中の楽曲「レット・イット・ビー」は、何かを「なりゆきまかせ」と考えるのではなく、何かに向かって、ちゃんと前進する曲であり続けています。

* * *

それにしても、ビートルズが最後に生み落としたシングル曲が「レット・イット・ビー」で、アルバム名が、「ゲット・バック」から「レット・イット・ビー」に変更されたとは… 何か できすぎていて、聖母マリア様の何かのチカラかと感じたのは、私だけ…。

若者たちも、昭和生まれの中高年世代も、もう一度、この「レット・イット・ビー」を、どうぞ感じて!

さあ、あなたも… だいじょうぶ!
ちゃんと、なるようになります!
たぶん…、きっと…

ちゃんと Let it be!

 

2024.5.11 天乃みそ汁

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