お久しぶりです。

この記事を書き終えたのがちょうど2週間前。もうそんなにたつんですね。

 

 

まずは書き足したVtuberニュースから。

ミライアカリさんがeスポーツの番組でリポーターとしてNHKに出るようです。どんな内容になるのか楽しみです。 

 
月曜深夜にやっていた富士葵さんが出た番組、テスト勉強の疲れからか寝てしまい、見れなかったです。
来週もあるというので、今度こそは起きていて見たいです。

 

月曜から夜更かしとどっちを見ようか悩んでみたり…。

 

 

一方ではアズマリムさんの一件でVtuberも制作委員会方式アニメと大差がないのではないかと多くの人が疑問を持ち始めています。人気が出る一方で、いろいろと不祥事もでてきてしまいました。キズナアイ中傷事件も相まって、Vtuberブームの終焉も近いのかもしれないです。

私は君の20年後を、いや10年、5年、それどころか1年先でさえも見る事ができない。

 

 

今年も流行語が発表されましたが、バーチャルユーチューバーがなかったことは心外でした。「オタク文化への差別だ」と言っている人もいますが、去年「けものフレンズ」と「刀剣乱舞」がダブルノミネートされていたことを考えると、そうともいいきれないのかも。

平成最後の流行語、お疲れ様です。

 

 

それから、E653系の1編成が国鉄色に塗り替えられたらしいです。

一度はなくなった懐かしい塗装が復活するのはうれしいですが、今の車両だと485系とはまた違った印象ですね。

新潟の115系の弥彦色も出場したときいて、早くも乗りに行きたくなりました。

 

 

長い前置きもこのくらいにして、そろそろ本題に入りますか。

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いよいよ今回の記事で最終回です。

115系の日に間に合わず…。

 

 

乗り換え改札を抜けて急ぎ足で6番線ホームに下りると、そこにはすでに目的の列車は入線していて、ひときわ懐かしい雰囲気をただよわせていた。

 

そう、高崎からの列車は、今はなき115系の両毛線だ。

 

 

最後に乗る列車に選んだのは、私が乗り鉄になるきっかけであったからであったこの車両が、次のダイヤ改正で引退することがすでに決まっていたからである。

 

 

この日はちょうど引退1週間前の金曜日、多くの鉄道ファンが最後の勇姿を記録に収めようと集まってきていた。

ホームに溢れかえるほどではなったが、行きかう人々の中、この車両の周りでシャッター音が響いていた。

20人くらいいただろうか。

 

たそがれ時のホームの、かぼちゃ色の車両に皆の注目が集まっていた。

 

JRマーク。

方向幕とトイレの窓。

 

もうすでに座席が埋まっていることを危惧しながら、早速車内に乗り込む。

いくら新幹線で休んだとはいえ、小山までの約2時間立ちっぱなしはきついゾ。2015年3月7日の北陸本線で直江津から黒部まで立ちっぱなしだったのを思い出した。

 

それで不安に思いながらも乗り込んだのだが、

まだ発車まで時間があるためか、車内は思いのほか空いていた。

…あの人たちは見送るだけなのか…?

 

一編成しかなかった非リニューアル車が連結されていたので、そっちにした。

2017年7月25日にも同じ列車に乗ったのだがこのときも非リニューアル車にあたり、2回連続で国鉄時代の雰囲気を残す旅ができそうで嬉しかった。

 

17時53分、同じく115系の信越本線の列車が到着。

あちらはものすごい客である。

通勤客や、信越本線から乗り継ぐ人が発車前に乗り込み、私のボックスは埋まった。

 

 

そんなこんなで17時57分、私の乗っている列車はゆっくりと高崎を後にした。

外はすっかり日が暮れていた。

 

混んでいる間は自由に車内をみてまわるのもはばかられたので、大人しく旅のお供を片付けていた。

富山から運んできたぷっちょを片付けて銀紙で何か折ったり、とっくに冷たくないジャスミン茶を飲んだりと。

 

新前橋でまた乗客が入れ替わる。

 

 

群馬県庁と川。

2017年7月の時と同じくあいにくの天気であったが、全く空の明るさが違う。

 

国定駅。

ここまで来るとボックスが空き始める。

暗くなってしまい外の車窓こそ楽しめないが、駅の明かりは懐かしさを感じさせる。

 

岩宿駅。

 

桐生駅。

 

山前駅。

 

 

足利で対向列車との待ち合わせのために10分ほど停車。

私はその間にホームに降りて、自販機で桃のコーラを買った。

(新幹線でも普通のを買って飲んだような…。)

 

 

同じように停車時間の間に三脚を立て、写真を撮っている人がたくさんいた。私と同じくらいの年の人も多かった。

 

 

連結されているもう一編成はリニューアル車で、「ありがとう115系」というステッカーが貼られていた。

 

昔懐かしい字体のホーロー板が柱にかかっていた。

私たちはほんのひととき、国鉄時代にいた。

 

すっかり暗くなった空に、ホームと列車の灯がまたたくというノスタルジックな光景。

停車時間の間にボックスシートに疲れた乗客はオレンジと緑の列車からホームに降り立ち、肌寒い外の空気にふれる。

かつてはどこででも見られた旅の風物詩がまた消えようとしている。

 

部活帰りの私立高校の生徒が、人が多いのを驚きながらみていた。ペットボトルを窓脇のテーブルにおいて顔隠しにする人、思わず写真を撮る人、スマホをひたすら見つめる人に、いろいろいた。

 

誰かにとってのこの上なく美しい時間は、また誰かにとってはこの上なく奇妙な時間であった。

 

日が暮れたあとの足利駅は、どこまでも対外的でノスタルジックな空間とどこまでも孤立的で現代的な空間がとなりあわせて存在していた。

 

そろそろ発車の時間だ。私は早めに車内に戻る。

 

止まっている間に便所も記録に収めておく。

 

ボックスに戻り桃コーラを飲んでのどの渇きを癒していると、

キッズと目が合った。それ以外でもそれ以下でもない。

 

しばらく列車は両毛線を走り続けた。

 

 

栃木でこれから都会に遊びにいくと思われる少年二人と相席になった。

…もう確かに鉄道ファンとは空気感が違う。

 

 

何も起こることなく安らかに小山についてほしいと願っているうちに、イトーヨーカドーの看板が目に入り、

カーブを描きつつ速度を落としていき、19時53分、終点小山に到着。

 

 

 

普通の人は宇都宮線への乗換えがあるためにすぐに去って行き、あとには高崎から乗りとおした鉄道ファンだけが残った。

 

 

小山でも撮影会が行われていた。

 

残念ながら、ホームの端には立ち入れないため、皆車両の真横に集まっていた。

特製のメッセージボードと編成表とともに記念撮影をしている人もいた。

 

リニューアル車(クハ)の内部。この時間から高崎に向かう乗客は少なかった。

 

 

 

クモハ側の貫通部。

 

運転台。リニューアルされた車内とは対照的に古い雰囲気を色濃く残していた。

 

非リニューアル車の車内。(こちらもクハ。)

 

通りきってからうしろを振り返る。

 

トイレ横に残ったボックス。

 

 

私はこのホームで、115系と最後の時を過ごしていた。

そういえば小5が小6の時、栃木~小山の区間で初めて115系に乗ったときもこのホームで撮影したっけ。

栃木が混んでいて、ここで初めてゆっくり見て回ることができたんだよね。

そこから、私の旅の歴史は始まった。

 

小6の夏休みの最終日、このままどこかに行きたいと願いながら宇都宮駅で見送ったのも、

小6の冬休み、図書館帰りに買い込んだ白ぶどうソーダを抱えてリーガルハイの最終回を楽しみにしながら雀宮から乗り込んだのも、

中1の夏に新潟に行く時に財布をなくしてあせったのも、

中3の冬に私立の特待が決まった喜びとともに行った水上旅行の帰り、電線に何か絡み付いて岩宿で足止めを食らったのも、

 

…全部このオレンジと緑の115系だった。

 

楽しいことも悲しいことも、私はこの115系とともに乗り越えてきたのだった。

 

 

どのようなものであれ、人が心から向き合えば、そこに魂が、心が宿っていくように感じる。

 

こみ上げてくる思い出を振り返り、溢れてきた涙を少しぬぐいつつ私は別れを告げた。

 

 

こうして、115系を眺めているうちに、乗るはずの宇都宮線に乗り遅れてしまった。

 

この列車を逃すと30分近く小金井止まりばかりである。

 

宇都宮線ではなく小金井線にすればいいのに…。そんな不満を抱えながら、ガラガラの小金井行きに乗り込んだ。

 

小金井に着いたのはいいものの、宇都宮行きを10分くらい待たなければいけなかった。

 

寒空の小金井、私は通り過ぎていく新幹線の轟音を聞きながら、遠く羽咋・新潟までこの足で行ってきた私が、ゴールを前にこの静かな駅に図らずも降り立つことになったことに少しばかりのもどかしさと運命の数奇さを感じていた。

 

旅とは何が起こるかわからないものだ。

 

 

橋上の駅舎に行って、改札を出た階段からなにもない駅前の様子をのぞいてみたり、パンフレットと並んでいた水戸支社の刀剣スタンプカードを一部だけ手に取ってみたりもした。

 

 

しばらくしてからやってきた通勤快速の座席は全て埋まっていた。

この殺風景な普通車両は、通勤客にも旅行客にも容赦ない。

 

二人組の外国人も、キャリーバッグを抱えながらつり革を握っていた。今晩は駅前のホテルに泊まり、明日は日光観光に行くのだろうか。

 

「今日は明日が休みなんで、千葉の県西にある海のそばの埋立地で盛りあってきたぜ。」みたいな頭のねじが緩んだJK、

いかにも挙動が不振なハゲ、音もれイアホンと貧乏ゆすりをする帽子かぶった坊主の兄ちゃん、

スマホのゲームかプライムビデオに没頭するOL…。

 

 

この阿鼻叫喚な「人種のるつぼ」に圧倒され、

私はさきほど別れを告げたばかりの115系の温かみが恋しくなったが、

日常に戻ってきたというちょっとした懐かしさも感じていた。

 

 

20時53分、宇都宮に到着。

母にロータリーまで迎えにきてもらっていたため、早速再会。

 

帰り際、てっきり外で食べてくるものだと思って夕食を作っていなかったことをきかされ、急遽、家の近くのファミリーマートによってもらい、フィッシュバーガーを買って夕食代わりにした。

 

家に着いて、録画していたドラえもんをみた。

ほどほど宝島でしずかちゃんが積み木になっていたな。

 

 

 

こうして全長1231.3km、丸二日の行程、第六次北陸旅行another story/二十日莉奈のおしりで行く「フレンズ出会い旅」は終わりをむかえた。

 

私はこの旅の間、たくさんの出会いと別れを繰り返した。電子の海の向こうでつながっている人、おそらくもう二度と会うことのない人。

それから、新井快速や新潟駅、高崎の115系といった今となってはもうみることのできないものもたくさんみた。

もう一度行きたいぜ。(かなわぬ願い)

 

今回惜しくも乗ることができなかった413系や富山ライトレール、七尾線と地鉄の未乗区間にもいつかは再チャレンジしたい。…天気がいいときに。

 

 

 

そして、私が乗ったあの115系は、長野で解体されずに編成ごとどこかに譲渡されるとかされないとか…。

 

 

 

いつかこの旅を思い出せ、未来の私。

 

 

 


ようつべカスタマイザ

 

 

 

この旅は私にとって5本指に入るほど長く、連載も15回、過去最高でした。

 

思いがけない騒動もはさみながらも、多くの時間をかけて、なんとか書き終えることができた…。

 

私の長いだけの旅記録にお付き合いくださった峠野六三さん、ターマリンさん、m-くんさん、そして読者の皆さん、ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございました。