令和6年(2024年)4月17日㈬

「令和6年4月中旬の旅」1日目は旅名人の九州満喫きっぷを使用しJR九州日南線に乗車、終点の志布志に来ました。 

1933D  南郷1407発  志布志行き

は終点の志布志1505着


志布志での滞在時間は85分

*この記事の続きです。


*旅名人の九州満喫きっぷ


九州の全鉄道の快速・普通列車1日乗り放題が3回(人)分

 利用期間 通年 

発売期間  通年 

価格  大人 11,000円 こども 11,000円 

有効期間 3ヶ月 

発売条件  発売日から3ヶ月以内に1人3回又は同一行程のグループ(3人まで)が利用する場合に発売。 

発売箇所 JR九州の駅・九州内の主な旅行会社。


☆乗車可能鉄道・軌道

九州旅客鉄道(JR九州)、北九州高速鉄道(モノレール)、平成筑豊鉄道(門司港レトロ観光列車含む)、筑豊電気鉄道、福岡市地下鉄、西日本鉄道(西鉄電車)、甘木鉄道、松浦鉄道、長崎電気軌道(路面電車)、島原鉄道、熊本電気鉄道、熊本市電、南阿蘇鉄道、くま川鉄道、肥薩おれんじ鉄道、鹿児島市電 

○新幹線、特急列車(西日本鉄道を除く。)、南阿蘇鉄道のトロッコ列車、路線バスには乗車不可(別に乗車券、特急券等が必要。)。 ※ただし、くま川鉄道のバス代行区間は「旅名人の九州満喫きっぷ」で利用可能。




下り1933Dの折り返し列車


1944D  志布志1630発 快速日南マリーン号 宮﨑行き

に乗車

1944D は志布志〜飫肥では各駅に停車、飫肥から先は快速運転
車両はキハ40 8104

日南線は9年ぶりの乗車







平日の16時過ぎですが下校の中高生の姿はほとんど見かけず、ガラガラの車内

日南線の鹿児島県内の区間は末端の大隅夏井〜志布志4.4km、宮崎・鹿児島県境を越える乗客は少ないのか
福島夏井(1637発)

日向大束(1703発)

下り1939D   志布志行き

て交換

日向大束駅舎

日南線らしくない?山間の区間

榎原(1716発)

谷之口(1723発)、山斜面に張付くように設置されたホーム

先ほど下車した南郷(1728発)、ライオンズ仕様の駅舎
南郷〜大堂津、車窓右には、先ほど買い物をしたセブンイレブン南郷駅東が見えました。

南郷〜大堂津〜油津では海沿いを走行



油津(1742発)



飫肥(1756発)

この先は快速運転
飫肥では下り1943D  油津行き と交換

内之田〜北郷、車窓右には広瀬川

伊比井(1817発)、そろそろ日没、車窓撮影も厳しくなってきました。

日が暮れかけた日向灘



木花(1841 発)

このまま宮﨑までは乗らず

宮﨑空港線の接続駅、田吉で下車。1848着。

無人駅なのでワンマン列車の運転士に旅名人の九州満喫きっぷを提示して下車。
構内踏切を渡ると設置されている待合室

*田吉駅

当駅はもともと宮崎交通線の駅として1913年に開業したが、路線の廃止に伴い1962年に廃止された。翌1963年に日本国有鉄道(国鉄)が宮崎交通線の跡地を利用して日南線を開通させたのに伴い2代目駅が開業したが、利用客が少ないために1971年に廃止された。 その後国鉄分割民営化を経て1996年に宮崎空港線が開業した際、日南線と宮崎空港線の分岐駅として開業したのが現在(3代目)の当駅である。なお、当駅の所属線は日南線である。 宮崎空港線は当駅が起点であるが全列車が南宮崎駅まで乗り入れており、大半の列車はさらに日豊本線に乗り入れて宮崎駅あるいはその以北に直通している。当駅は「海幸山幸」以外の特急列車は全て通過する。 

島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎はなく、出入口とホームは構内踏切と階段で結ばれており、線路脇に小さな待合所が置かれている。無人駅である[1]。1番線を本線とする1線スルー方式で、2線とも上下方向に信号機が設置されており、追い越し可能な構造となっている。日南線と宮崎空港線は鉄橋を挟んで志布志方にある分岐器で分岐する。ホームは非常に狭く、また1番線、2番線それぞれ5両、4両分の長さしかないため6両以上の列車は当駅で客扱いができない(列車交換自体は7両編成まで可能)。そのため、宮崎空港線の特急列車の間合いの普通列車は5両以下に限って運用されている。 ICカード「SUGOCA」の利用が可能、簡易SUGOCA改札機が設置されている。SSUGOCAは南宮崎駅方面、または宮崎空港駅方面のみ利用可能で、日南線の青島駅・油津駅方面へは利用できない。 

wikipediaより引用
1944Dは田吉で3分の停車

下り特急 ひゅうが13号 宮﨑空港行き

の交換通過待ち


1944Dは宮﨑に向けて走り去って行きました。



次の宮﨑空港方面は33分後

6533M   田吉1921発 宮﨑空港行き


ホームからは宮﨑空港の滑走路が見えます。

JR九州宮崎空港線 田吉〜宮﨑空港は1.4 km(営業キロ)、JR線の中で最短路線。


6533Mに乗車、車両は817系V019編成2連

ガラガラでした。

わずか2分の乗車、終点の宮﨑空港1923着

宮﨑空港駅 の駅員配置時間は10:00~12:10、12:50~17:30 

この時間帯は駅員不在

この日の朝も訪れた宮﨑空港ですが今回の滞在時間はわずか9分、

航空機には乗らず宮崎空港線の折り返し列車に乗車
754M   宮﨑空港1932発 延岡行き

南宮﨑や宮﨑で乗り換えるより始発駅から乗りたい、との理由で宮崎県空港に来ました。



令和6年(2024年)4月17日㈬

「令和6年4月中旬の旅」1日目は旅名人の九州満喫きっぷを使用しJR九州日南線に乗車、終点の志布志に来ました。 

1933D  南郷1407発  志布志行き

は終点の志布志1505着



*この記事の続きです。

*旅名人の九州満喫きっぷ


九州の全鉄道の快速・普通列車1日乗り放題が3回(人)分

 利用期間 通年 

発売期間  通年 

価格  大人 11,000円 こども 11,000円 

有効期間 3ヶ月 

発売条件  発売日から3ヶ月以内に1人3回又は同一行程のグループ(3人まで)が利用する場合に発売。 

発売箇所 JR九州の駅・九州内の主な旅行会社。


☆乗車可能鉄道・軌道

九州旅客鉄道(JR九州)、北九州高速鉄道(モノレール)、平成筑豊鉄道(門司港レトロ観光列車含む)、筑豊電気鉄道、福岡市地下鉄、西日本鉄道(西鉄電車)、甘木鉄道、松浦鉄道、長崎電気軌道(路面電車)、島原鉄道、熊本電気鉄道、熊本市電、南阿蘇鉄道、くま川鉄道、肥薩おれんじ鉄道、鹿児島市電 

○新幹線、特急列車(西日本鉄道を除く。)、南阿蘇鉄道のトロッコ列車、路線バスには乗車不可(別に乗車券、特急券等が必要。)。 ※ただし、くま川鉄道のバス代行区間は「旅名人の九州満喫きっぷ」で利用可能。


日南線に乗り志布志を訪れるのは9年ぶり


志布志駅駅舎

*志布志駅

鹿児島県志布志市志布志町志布志にあるJR九州日南線のの終着駅。昭和62年(1987年)までは国鉄志布志線・大隅線も乗入れていた。
単式ホーム1面1線と側線4本を有する地上駅。現駅舎とホームは志布志線・大隅線廃止後の1990年(平成2年)に日南線専用として新設されたもの。駅舎は終着駅らしくホームと直角に立っている。なお現駅のホームは旧駅構内貨物用引込線を利用して建設されたため、現駅舎は旧駅舎(写真「2代目駅舎」参照)のあった場所から約70メートル北東の場所に、建物自体の向きも上記の通り90度向きを変えた形で、建替えられた。またこれにより日南線は起点側(大隅夏井駅方面)へ約40m短くなった。 
 旧志布志駅は機関区・車掌区・保線区があり、転車台も備えていた。駅舎のあったホームが1番線、上架橋を渡ると2・3番線の両面ホームがあり、更にその向こう(海側)は広大な貨物操車場であった。
旧志布志機関区の跡地の一部には「志布志鉄道記念公園」が整備されており、C58 112・ヨ8951・キハ52 130が静態保存されている。

wikipediaより引用
志布志駅駅舎内にある志布志市総合観光案内所では

志布志城の城郭符(御城印)を販売

3種類を購入しました。

志布志城跡は駅から2km近く先

*志布志城

鹿児島県志布志市志布志町(日向国諸県郡救仁院志布志)にあった中世の城(山城)。国の史跡。
築城年代は不明であるが、南北朝時代からこの地が戦乱に巻き込まれたことに伴い次第に拡充されていったと考えられる。 1577年(天正5年)、志布志は島津氏の直轄地となり、初代の地頭として鎌田政近が任命された。その後も外城として重要な役割を果たしたものの、一国一城令で廃城となった。しかし、建物が無くなっただけで石垣などは破壊されなかったらしい。 2005年(平成17年)に国の史跡に指定された。2017年(平成29年)、続日本100名城(197番)に選定された。 
志布志市街地を囲む全ての山が志布志城と言っても過言ではなく、志布志小学校の裏山の「内城」、その西側の山にある「松尾城」、志布志中学校前の「高城」と「新城」という4つの城を総称して志布志城と呼ばれていた。「内城」は南北600メートル東西300メートル、6つの廓からなり、その間は空堀で遮る構造となっている。 本丸等一部を除き未整備で立ち入りが困難である。本丸等一部の郭には解説版が設置されていて、大手口にパンフレットが置かれている。

wikipediaより引用
志布志駅を出て志布志城跡とは逆方向を歩き1.2km

志布志市歴史埋蔵文化財センター

へ、住宅街の中にありました。




志布志城の続日本100名城スタンプは志布志市埋蔵文化財センターに設置

押しました。



志布志市埋蔵文化財センター 

 開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで) 

休館日:月曜日(国民の祝日の時は翌日)

入館料:無料
志布志埋蔵文化財センターの展示室は入館無料、撮影可能(フラッシュ撮影禁止)

志布志城跡復元模型







出土品

志布志市埋蔵文化財センター展示室の出入口脇に展示されている

倉園B遺跡 52号集石(集石炉)。


倉園B遺跡 は志布志町内之倉にある縄文時代早期前半(約9000年)B前の遺跡。昭和58 年(1983年)に発掘調査が行われた。4基の竪穴住居跡、60基の集石、10基の連穴土坑が見つかった。
集石とは多くの石(礫)を集約して加熱し、肉などを焼いた調理施設と考えられている。




志布志市埋蔵文化財センターを出ました。

志布志城跡は2.5km先、今回は行程の都合上、訪れることはできず
再び志布志駅へ向かう途上、9年ぶりに訪れるました。
志布志鉄道記念公園、旧志布志機関区跡。公園内には3両の車両が保存展示


キハ52 130

 ヨ8951

C58 112





扇形庫跡

転車台跡



種田山頭火の句碑『一きれの雲もない空のさびしさまさる』

放浪の俳人、種田山頭火は昭和5年(1930年)に志布志を訪れています。



志布志駅を発着する列車本数は少ない、よって志布志城跡を訪れるのは断念しました。




1944D  志布志1630発 快速日南マリーン号 宮﨑行き

に乗車

先ほど南郷〜志布志で乗車した

下り1933D  志布志1505着の折り返し

車両は キハ40 8104