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 昨日の日報は コチラ → 本日は・・叔母さん家へ。


 12月の参拝記事

         第176回 東住吉区・法楽寺編
         第175回 住吉区・薬師寺編
         第174回 住吉区・荘厳浄土寺編
         第173回 住吉区・西之坊編
         第172回 阿倍野区・正圓寺編


 11月の参拝記事

         第170回 池田市伏尾町・久安寺編
         第169回 大阪市城東区・大日寺編
         第168回 大阪市北区・宝珠院編
         第167回 大阪市北区・淀川天神社編
         第166回 大阪市北区・国分寺編
         第165回 大阪市北区・太融寺編
         第164回 大阪市西区・高野寺編
         第163回 大阪市北区・素盞烏尊神社編
         第162回 大阪市福島区・持明院編
         第161回 大阪市福島区・了徳院編
         第160回 大阪市平野区・如願寺編
         第159回 大阪市平野区・式内楯原神社編
         第158回 大阪市天王寺区・どんどろ大師・善福寺編
         第157回 大阪市西区・和光寺編
         第156回 大阪市中央区・三津寺編
         第155回 大阪市中央区・法案寺編


 10月以前の参拝記事はコチラ

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 参拝日:19/12/14(日) 天候:晴れときどき曇り


 龍興山 金剛乘院 念佛寺(りゅうこうざん こんごうじょういん ねんぶつじ)


 融通念仏宗

 御本尊:阿弥陀如来

 所在地:大阪府八尾市久宝寺3丁目4-25

 アクセス:JR「久宝寺」駅から徒歩約5分

 公式ホームページ:なし


 縁起

    当寺は龍興山金剛乘院念佛寺と云い、融通念仏宗に属します。

    暦応四年(1341)、辛己八月、盤龍上人によって創建されました。 
    本堂は落慶に融通念仏宗の中興上人法明和尚の霊跡があり、
    宗門きっての古刹です。

    もと、この寺院は聖徳太子の建立した久宝寺の末院で、念佛勧進
    聖堂場として栄えていたのをのち、聖僧の盤龍が今の地域に定めて
    本堂を建てたと伝えられています。

    聖徳太子作と伝わる十一面観音菩薩・不動尊もお祀りしています。
    また、河内西国霊場第二番札所でもあります。

    (年中行事)
      二月三日、節分会護摩法要(星祭り)
      三月四日 十一尊天得如来 御回在
      八月十七日 お盆施餓鬼法要

                         (山門横の説明板より)
  

 写真①、山門前より。 
     久宝寺寺内町にあるので雰囲気はあるものの
     小さい門なので非常に分かりづらい。
     ちなみに向かいは寺内町ふれあい館という公民館。
 

 写真②、付近のGoogleEarth。
     最寄り駅はJR久宝寺駅。
     左上の公園部分は「久宝寺緑地」です。
     なお下側の大きなお寺は「顕証寺」。


 写真③、山門の龍の彫り物。


 写真④、御本堂です。


 写真⑤、本堂の扁額は山号。


 写真⑥、あいにくとお堂の扉はばっちり施錠されてたので
     御本尊様他の仏像は拝見できず。
     写真は八尾市のデータベースにあった
     御本尊、阿弥陀如来像。


 写真⑦、御本堂隣りの観音院。


 写真⑧、観音院の前の説明板の観音様の写真。

     ※久宝寺と観音さん

     久宝寺と云うお寺は、昔聖徳太子が物部守屋誅戮の祈願所として
     建立された四十六仏閣中の二十二番目の寺で、許麻神社の付近に
     あり、七大伽藍の大寺であったと伝えられています。

     その久宝寺が、松永弾正の兵乱や慶長の兵火に罹り、再びそこに
     建ちませんでした。 

     久宝寺が戦乱で灰になる時、十一面観音像を寺僧が助け出し背負って、
     伊賀の国へ落ちていき、伊賀国の下津から、伊賀、近江の国々を
     流転されるうち、ある時、彼の地に旅する河内から来た旅人の
     夢まくらに立たれ、「河州久宝寺は我が里なり」とお告げになった
     と伝えられています。 

     時代が過ぎて、やがて、何とか久宝寺村へお迎えし、許麻神社の
     境内に小堂が建てられました。

     これが久宝寺観音院です。

     しかし、明治になり神仏分離令によって、久宝寺観音院は遂に
     廃寺の運命をたどりました。
     またもや観音像は、布施高井田の長栄寺に預けられ、久宝寺村から
     観音様の預け賃を、年貢米として長栄寺に支払われたと云います。
     このように放浪ばかりを続けていた観音様ですが、明治も末の頃、
     村に流行病が出た時、再び観音様の夢を見る人がたくさん現れて、
     ぜひとも村でお祀りしなければならないということになり
     明治四十二年二月二十三日に、昔の久宝寺の末院と伝えられる、
     当念佛寺へお迎えして今日に至っています。

     久宝寺村の名前の発祥のもととなる久宝寺もご本尊十一面観音菩薩です。
     久宝寺村のシンボルです。
                 以上、観音堂前の説明板より。


 写真⑨、こちらは一番右側の不動堂。     


 写真⑩、御本堂の前には集印者の為の箱が・・。
     読んでいると奥様っぽい方に声を掛けられたのでお願いする。


 写真⑪、境内のサザンカ。


 写真⑫、いただいてきた御朱印です。


 写真⑬、おまけ。
     境内の外ですが四つ辻の角っこに鎮座されていたお地蔵さん。
     お社には「念仏寺前地蔵尊」と書いてありましたが横の
     石標には「安産地蔵尊」と・・謎。
      


   以上、土曜日にポタリングで行ってきた念仏寺の記事でした。