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昨日の日報は コチラ → 本日は・・妹が来訪。
11月の参拝記事
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10月以前の参拝記事はコチラ。
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参拝日:19/11/23(土) 天候:晴れ
菅原山 宝珠院(すがわらさん ほうじゅいん)
真言宗御室派
御本尊:大日如来
所在地:大阪府大阪市北区与力町1-2
アクセス:大阪メトロ谷町線 南森町駅より、北東に徒歩7分。
公式ホームページ:なし
縁起
弘法大師は高野山に道場を開かれるに当たり、たびたび浪速の地を通行され
ある時土地の古老から「江北野」に毎朝光り輝き紫雲たなびく処ありと聞かれ
「これ秘密相応の地なり」と秘法を修され、浪速の繁栄と福恵を祈って
天長二年(825)『如意珠院』の草庵を建てられたのが当山の開基である。
その後、大和の国・室生寺の堅恵大徳が当院に入られ、寺号を『宝珠院』と
改められた。
貞観年中(859~876)、菅原道真公は、弘法大師の聖跡である当院を
深く追慕され、また当時の住職恵澄法印とは御学友の間柄であった。
大宰府に左遷の折にも、おば上のおられた道明寺への道筋、当山に
立ち寄られ、持念仏であった十一面観世音菩薩尊像や写経他を納められた。
延長二年(924)、当山の恵岳上人に菅公の霊告
「大般若を転読して我が鬱を慰めよ。もし疑いあらば庭前の松樹に
その証を残さん」
とあり、上人が夢より覚めて樹間を見ると、小物に包んだ『渡唐天神』の
尊像があった。
ただちに衆僧を引具して般若の妙典を読謡し、境内に菅公殿を建て、
その尊像を安置した。
それ以後、毎年(5/25)大般若転読法要を厳修し、連綿と今日も続いている。
後小松天皇の御代、応永三年(1396)、当山の霊験は天朝に達し、
大和・摂津に二郡寺領の宣下があり、同時に「菅原山天満寺」の勅号を賜った。
安土桃山時代、当山の住職であった大村由己梅庵は、太閤秀吉公の
お伽衆の一人であり、祐筆の一人でもあった。
「天正紀」の著者としても知られ、歌舞伎の元祖ともいわれる出雲の
阿国を世に出した人ともいわれている。
当時の宝珠院は現在地よりも東、大川に面した地にあり古地図には
当院の堂塔伽藍が天満山、七夕池を含む広大な寺域として描かれている。
豊臣家から徳川家に天下が代わって現在の位置に移されてからも
近在にその比を見ずと称えられた伽藍であったが昭和二十年(1945)
戦火の為、土蔵だけを残して灰燼に帰した。
昭和四十二年(1967)本堂・庫裏が鉄筋コンクリートで再建、今日に
至っている。
以上、いただいてきた縁起より
写真①、山門前より。
戦火にさらされたため近代的な山門です。
左側のドアをあけて入りますがブザーが鳴るので注意。
写真②、付近のGoogleEarth。
左上は扇町公園。
右上の大川に架かる橋が源八橋です。
左下の交差点が「南森町」。
写真③、表札?は「真言宗 御室派 天満寺 宝珠院」。
写真④、左の方には
「摂津国八十八ケ所第十番・天神二十五社巡り霊場」。
写真⑤、御本堂。
写真⑥、御本堂の扁額は「天満宮寺」。
写真⑦、本堂内陣。
まわりは判りませんが中央はウチのお仏壇と同じ。
中央に大日如来様、脇待に不動明王と弘法大師の構図です。
写真⑧、護摩堂。
写真⑨、護摩堂の奥の不動明王像。
写真⑩、こちらが天満宮。
写真⑪、天満宮前の狛犬さん(吽形)。
写真⑫、天満宮前の狛犬さん(阿形)。
写真⑬、掛け油大黒天堂。
写真⑭、中の大黒天像に柄杓で油を掛けます。
写真⑮、延命・厄除地蔵尊。
写真⑯、十一面観音堂。
写真⑰、中の十一面観音像。
写真⑱、最後にいただいてきた御朱印です。
こちらは摂津国八十八ケ所の第10番。
なお、書置きです。
以上、先週土曜に訪問した宝珠院の記事でした。