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 昨日の日報は コチラ → 本日は・・昨日壊れたダイニングチェアが経年劣化で。

 10月の参拝記事

         第154回 大阪市浪速区・大乗坊編
         第153回 奈良市菅原町・喜光寺編
         第152回 奈良市西大寺芝町・西大寺編

 8月の参拝記事

         第151回 大阪市平野区・杭全神社編


 7月の参拝記事

         第150回 大阪市東成区・熊野大神宮編

 6月の参拝記事

         第149回 大阪市東成区・八王子神社編
         第148回 大阪市東成区・中道八阪神社編
         第147回 大阪市天王寺区・東高津宮編
         第146回 大阪府東大阪市・布施戎神社編
         第145回 大阪府東大阪市・都留彌神社編
         第144回 大阪市東成区・深江稲荷神社編
         第143回 大阪市東成区・比売許曽神社編


 5月以前の参拝記事はコチラ

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 参拝日:19/11/01(金) 天候:曇り


 志宜山 法案寺(しぎさん ほうあんじ)

     前は「法案寺南坊」と称してたと思ったんですがいつの間にか
     「法案寺」だけになっていました。 

 高野山真言宗 準別格本山

 御本尊:薬師如来

 所在地:大阪府大阪市中央区島之内2丁目10-14

 アクセス:大阪メトロ日本橋駅・近鉄日本橋駅下車 北へ徒歩約5分

 公式ホームページ:なし


 歴史

  寺伝によれば、推古天皇の頃(593年 - 628年)に聖徳太子が志宜野(しぎの)
 (大阪市城東区鴫野(しぎの))に法案寺を建立したという。

  建立した場所の地名から山号を「志宜山」とし、仏法弘通の公案を
 したところから寺号を「法案寺」としたという。

  時代が下り、本地垂迹説が広まるようになってからは、生玉明神と習合して
 神宮寺の別当として隆盛したが、後になって衰微したが、応永年間(1394~1428)に
 松永政廣が称光天皇の勅命を受け、法案寺の再興に尽力した。

 「天文日記」には、法案寺第3世・正教が蓮如に帰依したために、蓮如が法案寺の
 敷地に借地して石山本願寺を建立し、後に寺地を譲渡したという記録がある。

  豊臣秀吉が大坂城を築城するとき、法案寺は法円坂町付近にあったが、
 天正11年(1583年)、生玉明神とともに馬場崎(大阪市天王寺区生玉町、
 生国魂神社の所在地)に強制移転させられた。

  なお、法円坂の語源は法案寺からきたものとされ、「法案」から「法眼」、
 そして「法円」となまったものという。

  江戸時代になり江戸幕府から寺領300石を与えられて以降は、歴代の
 大坂城代が法案寺に帰依したこともあったので、隆盛した。

  明治時代に入り、廃仏棄釈に遭って寺領を失った当時の法案寺住職・栄達は
 本堂から聖観音と聖天堂の歓喜天を持ち出し、明治16年(1883年)6月に
 現在地である大阪市中央区島之内2丁目に法案寺を復興再建したが、
 境内地は生玉町にあったころと比べるとはるかに狭くなった。

  昭和20年(1945年)3月、太平洋戦争による大阪大空襲があり、法案寺は
 本堂・諸堂とともに焼失した。
  聖観音・歓喜天は焼失せず、仮本堂に祀られている。

                   wikiより。



 写真①、山門前より。


 写真②、付近のGoogleMAP。
     微妙に道頓堀の繁華街からは外れていますが住所は「島之内」。
     地名の由来は東を東横堀川、南を道頓堀川、西を西横堀川、
     北を長堀川に囲まれていた地域だった為。
     現在は西横堀川と長堀川は埋め立てられていますが。


 写真③、向かい側にはタピオカ屋っぽいのが新装開店の模様。 


 写真④、手水。
 

 写真⑤、狛犬、吽形。


 写真⑥、狛犬、阿形。


 写真⑦、山門から見た御本堂。


 写真⑧、御本堂。


 写真⑨、弁財天堂。


 写真⑩、中にいらっしゃる弁財天像。


 写真⑪、その斜向かいにある神式の弁財天社。


 写真⑫、こちらは水掛け不動尊?です。


 写真⑬、境内のすみっこにいらっしゃるお地蔵さん。


 写真⑭、山門を入って左側の志宜大神社。
     地主神でしょうか。


 写真⑮、最後にいただいてきた御朱印です。
     こちらは摂津国八十八ケ所の第一番。

      以上、11/01に訪問した法案寺の記事でした。