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 昨日の日報は コチラ → 本日は・・とりたててなにもなし。

 10月の参拝記事

         第152回 奈良市西大寺芝町・西大寺編


 8月の参拝記事

         第151回 大阪市平野区・杭全神社編


 7月の参拝記事

         第150回 大阪市東成区・熊野大神宮編

 6月の参拝記事

         第149回 大阪市東成区・八王子神社編
         第148回 大阪市東成区・中道八阪神社編
         第147回 大阪市天王寺区・東高津宮編
         第146回 大阪府東大阪市・布施戎神社編
         第145回 大阪府東大阪市・都留彌神社編
         第144回 大阪市東成区・深江稲荷神社編
         第143回 大阪市東成区・比売許曽神社編


 5月以前の参拝記事はコチラ

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 参拝日:19/10/20(日) 天候:曇り時々晴れ


 清涼山 喜光寺(せいりょうざん きこうじ)

 法相宗 別格本山。

 御本尊:阿弥陀如来

 所在地:奈良県奈良市菅原町508

 アクセス:近鉄橿原線「尼ヶ辻」駅下車、徒歩12分
      近鉄奈良線 「大和西大寺駅」南側下車、徒歩25分

 公式ホームページ:奈良喜光寺 公式サイト | 行基菩薩の涅槃の寺
                        蓮の花と小さな大仏殿
                http://www.kikouji.com/


 歴史

   奈良時代に架橋、土木工事などの社会事業に携わり、東大寺大仏造立にも
  貢献した僧・行基が創建したと伝わる。
   『行基年譜』(安元元年・1175年成立)によれば、菅原寺(喜光寺)は、
  養老5年(721年)、寺史乙丸なる人物が自らの住居を行基に寄進し、翌養老6年
  (722年)行基がこれを寺としたものであって、行基建立の四十九院の一つである
  とされている。
  寺地は平城京の右京三条三坊の九ノ坪、十ノ坪、十四ノ坪、十五ノ坪、十六ノ坪の
  計5坪を占めていたという。
  なお、現・喜光寺本堂の位置は、右京三条三坊の十五ノ坪にあたる。

  『大僧正舎利瓶記』によれば、行基は天平21年(749年)この寺で82歳で
  死去したという。
  なお、行基の墓は喜光寺から直線距離で7キロ離れた生駒市有里の竹林寺にある。
  前出の『大僧正舎利瓶記』は、行基墓から出土した銅筒に記されていたものである。

  1969年(昭和44年)に境内の発掘調査が行われ、現・喜光寺本堂は、奈良時代の
  創建本堂の跡に建てられていることが確認された。

  創建金堂の基壇は東西が28メートル、南北が21メートルの規模であった。

  そこから南に42メートル離れた場所に南大門跡とみられる建物跡があったが、
  礎石は残されていなかった。

  一方、「菅原寺記文遺戒状」という別の史料によれば、この寺は霊亀元年
(715年)、元明天皇の勅願により建てられたものという。
  創建当初は菅原道真の生誕地と伝わる菅原の里にあることから「菅原寺」と
  呼ばれていた。
  伝承によれば、聖武天皇が参詣した際に当寺の本尊より不思議な光明が放たれ、
  これを見た天皇が喜んで、「菅原寺」を改めて「喜光寺」としたという。

  『続日本紀』によれば、延暦元年(782年)、この地に住んでいた土師氏が
  桓武天皇から菅原姓を賜ったという。

  中世には興福寺の末寺となり、直接には興福寺の塔頭の一つであった一乗院に
  属した。

  戦国時代の明応8年(1499年)12月、大和国に攻め込んできた細川政元の家臣
  赤沢朝経によって焼き討ちされてしまい伽藍のほとんどが焼失したが、
  間もなく再建された。

  明治時代には薬師寺の末寺となった。現在は薬師寺が属する法相宗唯一の
  別格本山である。

  2019年1月28日、奈良大学(奈良市)は、2005年(平成17年)に額安寺から
  購入した木造四天王像のうち広目天像と多聞天像の2体を2014年(平成26年)
  から解体修理する過程で、計7カ所から「行基大菩薩御作菅原寺」などと
  記された墨書銘文が見つかったと発表した。
  四天王像は明治の神仏分離を受けて奈良時代の僧の行基が最期を迎えた菅原寺
 (喜光寺)から額安寺に移されたとする伝承があったことから、同大は
 「説が裏付けられた」としている。
  これを受けて2019年5月2日から9月2日まで「おかえり法要」として本堂で
  奈良大所蔵の四天王像が特別公開される。

                   wikiより。
      

     
     



 写真①、付近のGoogleMAP。
     場所は阪奈道路の高架のまん前にあります。
     最寄りは「尼ヶ辻」駅なんですがたかとっさんは散策を兼ねて
     西大寺から徒歩で。


 写真②、南大門から境内に。


 写真③、南大門の仁王さん(吽形)。


 写真④、南大門の仁王さん(阿形)。
 

 写真⑤、南大門から見た御本堂。


 写真⑥、御本堂の扁額は「菅原寺」。


 写真⑦、御本堂内。


 写真⑧、賽銭箱の上に保存修理のため奈良国立博物館に
     移された旨の告知。
     今年の9/26に移されたらしい。
     御帰りになるのは。来年の6月頃とのこと。


 写真⑨、御本尊向かって左の勢至菩薩像。


 写真⑩、向かって右の観自在菩薩像。


 写真⑪、こちらは「行基堂」。


 写真⑫、行基菩薩像です。


 写真⑬、こちらは池の中にある弁天堂です。
     奥に見えるお写経道場で入山料と御朱印を。


 写真⑭、堂の中にはお厨子に入った人頭蛇身の宇賀神。
     御前立ちに弁財天像。
     向かって左に愛染明王像、右に孔雀明王像という
     一風変わった配置。


 写真⑮、境内でアルカイックな雰囲気を醸し出す
     サールナートから招来した初転法輪像。
     手前の石は仏足石です。


 写真⑯、いただいてきた御朱印です。


      以上、先週日曜に訪問した喜光寺の記事でした。