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昨日の日報は コチラ → 本日も・・特になにもなし。
11月の参拝記事
第157回 大阪市西区・和光寺編
第156回 大阪市中央区・三津寺編
第155回 大阪市中央区・法案寺編
10月の参拝記事
第154回 大阪市浪速区・大乗坊編
第153回 奈良市菅原町・喜光寺編
第152回 奈良市西大寺芝町・西大寺編
8月以前の参拝記事はコチラ。
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参拝日:19/11/10(日) 天候:晴れ
式内楯原神社(しきない たてはらじんじゃ)
旧社格は村社。
現在は神社本庁に加盟しない単立神社。
御祭神:武甕槌大神、大国主大神、孝元天皇、菅原道真、赤留姫命
所在地:大阪府大阪市平野区喜連6丁目1番38号
アクセス:大阪メトロ谷町線喜連瓜破駅から徒歩9分
公式ホームページ:なし
歴史
当社は社伝では崇神天皇7年の鎮座とされる古社で
延喜式内の神社である。
いにしえは、もとの字楯原(現在の喜連西1丁目、近畿電波監理局敷地)に
あったが、兵火に遭って現在の地に遷座し、桓武天皇の時(西暦800頃)字
十五の竜王社を合祀し、境内別院として奥の宮と称した。
さらに、元和元年(1620)付近の天神社を合祀し天神社と称するようになり、
楯原の社名は別院の奥宮に移った。
(現在の奥の宮には十種神宝宮を摂社として遷座、日本最初の神宝で、
十種の祓は大正三年内務省選定)
このため明治5年、式内の楯原神社は社格を得ず、併社の天神社が村社と
なる状況であったが明治40年、神社整理を機に現在の社名に改められた。
当社には万葉集にも詠われている息長家の碑が祀られている。
平野区役所設置の説明板より。
写真①、南側の社号碑と鳥居前より。
なお社殿は大阪市内によくある西向きです。
写真②、付近のGoogleEarth。
おもいっきり大阪平野の真ん中の市街地です。
なお、最寄り駅は左下の大きい道の交差点付近の
喜連瓜破(きれうりわり)駅。
写真③、鳥居。
写真④、瓦が崩れそうな手水舎。
写真⑤、拝殿。
写真⑥、こちらは御本殿を裏から。
写真⑦、倉庫かな~っと思ったら。
注連縄が張ってあるし、中に梵鐘も吊ってるので入ってみると。
写真⑧、絵馬殿でした。
なお梵鐘は昔は鐘楼に吊ってあって昼の鐘を突いてたらしいんですが
戦時中の梵鐘供出によって下ろされ鐘楼は取り壊しに。
しかし結局供出されることなく神社に残ったようです。
で突かなければ絵馬殿に吊るしても大丈夫という謎の理由で
現在でも絵馬殿に吊るされているそう。
写真⑨、遥拝所。
写真⑩、楠社。
写真⑪、こちらは神寶十種之宮。
石上神宮由来といわれる十種神宝(とくさのかんだから)が
祀られています。
ただ本物かどうかは不明。
ここに来た経緯は織田信長の焼き打ちを恐れた石上神宮から
持ち出され、その後豊臣秀吉がその話を聞き生玉の森に隠す。
それをなぜかテンションだだ上がりの伊勢詣の人に持ち出され
とある古道具屋で喜連村の小林某氏が買い求め、自宅に祀る。
その後、神社に持ち込まれたという・・。
写真⑫、その隣には「息長真若中女」と刻まれた標柱。
これは明治37年(1904年)に息長真若中比女の陵墓と伝わる広住塚
(喜連4丁目)の外濠を浚渫した際に出土したもの。
息長真若中女は応神天皇の妃。
写真⑬、稲荷社。
写真⑭、謎の石。
写真⑮、最後にいただいてきた御朱印です。
以上、11/10に訪問した式内楯原神社の記事でした。