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昨日の日報は コチラ → 本日は・・夜中に寝つけず。
11月の参拝記事
第157回 大阪市西区・和光寺編
第156回 大阪市中央区・三津寺編
第155回 大阪市中央区・法案寺編
10月の参拝記事
第154回 大阪市浪速区・大乗坊編
第153回 奈良市菅原町・喜光寺編
第152回 奈良市西大寺芝町・西大寺編
8月以前の参拝記事はコチラ。
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参拝日:19/11/04(月) 天候:晴れ
如意山 甘露院 善福寺(にょいさん かんろいん ぜんぷくじ)
通称、「どんどろ大師」。
高野山真言宗
御本尊:弘法大師
所在地:大阪市天王寺区空堀町10-19
アクセス:JR大阪環状線玉造駅下車
大阪メトロ長堀鶴見緑地線玉造駅下車
公式ホームページ:なし
歴史
当寺は、一九0九年、大阪府豊能町の善福寺を、当所の鏡如庵大師堂
通称、どんどろ大師へ遷し、寺号をどんどろ大師・善福寺とする。
本堂は1945年に大阪大空襲で焼失し。1984年に再建されました。
江戸の頃より、どんどろ大師は、弘法大師信仰の霊場、大阪のキタから
ミナミに至る道中に点在する寺院を巡拝する「大師巡り」で
賑わいをみせました。
どんどろ大師の名称は、江戸・天保の頃、大坂城代・土井利位
(どいとしつら)公下屋敷が当所付近に在り、利位公が当寺に帰依し、
度々の参拝に、「どいどのだいし(土井殿大師)」の名が起こり
「どんどろ」と転訛したと伝えられています。
歌舞伎「傾城阿波の鳴門」では、21日弘法大師の御縁日に、
どんどろ大師の門前で、導かれたように、巡礼姿の娘と思わぬ再会を
果たした「お弓・おつる」母娘の像が、歌舞伎の場面そのままに
門前に祀られています。
○御詠歌
たかの山みかげあふぎて 寄る人はよろづの願い 満つとこそ聞け
いただいた略縁起より。
写真①、善福寺山門前より。
ちょうど道路の角地が山門になります。
山門前には上記の「お弓・おつる」母娘の像が。
左の道を上がっていくと右手に明星中学・高校のグラウンドが
ありますがそこは「真田丸」跡地といわれています。
写真②、付近のGoogleEarth。
左手のグラウンド付近が真田丸。
右手のも右手の森っぽいところは三光神社と陸軍墓地。
さらに右に行くと玉造駅付近です。
なお、上(北側)の東西の道が長堀通。
写真③、山門の表札。
写真④、本堂の扁額。
写真⑤、堂内でお参り。
元々の鏡如庵大師堂は、宝暦2年(1752年)3月に高野山岩本院、
法資法道が大坂夏の陣(元和元年・1615年)の戦死者の霊を
弔うために創建されたといわれています。
写真⑥、境内の勝軍地蔵さん。
写真⑦、大師堂の修行大師像。
写真⑧、境内の石仏。
写真⑨、最後にいただいてきた御朱印です。
こちらは摂津国八十八ケ所の第十一番。
以上、11/04に訪問した善福寺の記事でした。