地上の人間はご都合主義ですから、何もしないでも神様や仏様は全てを分かって下さって、まじめに生きてさえいれば、必ず救って下さると考えがちです。
物質的なものではない世界に対しては、なぜか根拠なく万能を求めます。
至上の神がおられるかどうかは別として、地上の人間よりも霊的に上位におられる霊魂は数多くいらっしゃいます。
上層幽界の補助霊が一番地上に近いですが、更に上の上級幽界には守護霊や指導霊がおられますし、幽界とも全く異なった世界として、霊質界や神々がおられる神質界にも霊的個性としての存在がいらっしゃいます。
地上の人間が他界した後に、例え上層幽界に入れたとしても、上級幽界に入るには通常早くても何百年とかかりますから、いかに霊的なレベルが違うかが理解して頂けると思います。
どのような存在を神だの仏だの天使だの菩薩だのと言うかは地上での勝手な判断ですが、霊的なレベルの差であれば、守護霊や指導霊の方々は、そのような存在だと言っても過言ではありません。
ですから、幽体の状態がボロボロで、正常なオーラも出ていない方が、神や仏は全てを分かっていてくれるはずなどとと思っても、そもそもその方を担当している守護霊や指導霊の方々は、ご本人を認識することさえ出来ません。
オーラがほとんど出ていなかったり、質が低かったりすれば、上級幽界に適した幽体を着ている守護霊や指導霊の方々からは見えないのです。
全てが分かるどころか、一切分からないというのが現実なのです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊を知るために 、霊魂イエス 、ムーの大神人 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
物質が見えない高級な存在に対して何かを伝えようとすれば、物質ではないものを使うしかありません。
それは、幽的な質を持っている念です。
地上の人間が守護霊や指導霊に対して何かを伝えようとすれば、念ずるしかないのです。だから、祈りはとても大切なのです。
守護霊や指導霊と交流したいとの祈りが真剣なものであれば、守護霊や指導霊にその思いは伝わる可能性があります。少なくても補助霊の方には伝わるようです。
伝われば、相手もまた何らかの思いをこちらに伝えてくれるのです。
そこで初めてキャッチボールになるのです。
そこには、倫理も道徳もありません。事実があるだけです。
霊的な進歩向上を願い、それに応えて守護霊や指導霊が幽的な力を与えて下さり、その結果として死後、上の世界に行ける。そこには単純な事実だけがあります。
いつも同じ事を言わせて頂きます。
「求めよ、さらば救われん。」
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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