法則は絶対 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

神伝禊法は霊的カルマを解消し、神伝鎮魂法は霊的な身体、すなわち幽体や霊体を、非常に難しいですが場合によっては神体を成長させます。

これらの技法は両輪となっていて両方とも重要です。

だから、どんな方であっても、せめて、両方とも最低限初伝だけは日々実践して頂きたいと思っています。

霊的修行にゴールがあるのか分かりませんが、一応山のように頂上があるとしたら、初伝だけでもちゃんとマスターすれば、五合目までは行けるようです。

現在の地上の霊的レベルを考えれば、もうそこまで行くだけで、人類史上稀というレベルまで到達することが出来ます。

霊的真実を求め続け、悩みながらも一生苦行をして、死後も異例の速さで(と言っても地上の時間で言えば数百年)上層幽界から上級幽界へ行き、今、指導霊や守護霊を担当されておられる方々のレベルに地上においてあっという間に追いついてしまうのです。

それほど、初伝というものは大切で、逆に言えば、初伝がきちんとマスター出来ていなければ、次伝も中伝も奥伝も効果が少ないと言えるでしょう。

土台がしっかりしていない建築物がもろいのと同じなのです。


ところで、いつも地上の善悪と霊的世界の法則は異なっているので、いくら地上で善人と言われていても幽体の状態が良くなければ、死後、上へは行けないということを書いています。

実は、このことは、霊的に、すなわち魂のレベルが非常に高い人であっても同じことが言えるようです。

例えば、上層幽界すらすぐに卒業してしまうようなレベルの高い魂を持つ人であっても、幽体の損傷がひどいと上層幽界に入ることが出来ず、下層幽界に落ちてしまうようです。

勿論、魂のレベルが高いために幽体のレベルが戻れば、上層幽界、上級幽界と上がっていくことが出来るようですが、幽体のレベルに関する法則は魂のレベルとすら無関係のようです。

結局、リンゴが木から離れれば地面に落ちるのと同じ話なのです。

法則以外の要素は一切無関係ということです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


法則は絶対なので、当然の話なのでしょうが、さすがにこの事実を知った時には僕も少し驚きました。

確かに、霊的修行者が修行の段階をかなり経ていても、今の世の中では人の念によって幽体が損傷することがあります。

神伝鎮魂法の奥伝までいっても、場合によっては念によって幽体が傷ついてしまって、しばらくは初伝に重点をおいて修行をするようにというアドバイスを受けることがあります。

もちろん、普通の人とは比べものにならないほど幽体が成長しているので、通常は短期間でしかも自力で正常な状態に戻すことが出来ますが、人の念というものはかくも恐ろしいもので、かなりのレベルまで幽体を鍛えていてもそのようなことが起き得るのです。

ということは、霊的修行者であっても幽体がそのような状態の時にあの世へ行けば、幽体のレベルに合わせて、下層幽界に落ちるということはあり得るのです。


であれば、今の地上で神伝鎮魂法を行なわないで一生を終えれば、あの世に行くとどうなるかは申し上げるまでもありません。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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