H29年10月結の大阪東洋ショー劇場における、荒木まいさん(東洋所属)の三周年週の模様を、三周年作「天女」を題材に、「踊り子は天女」という題名で語りたい。

 

 

 

三周年作は「天女」。川村あいねさんが振付したようだ。

次のような内容である。

照明が点いた瞬間、目の前の盆の上にいる天女扮するまいさんの美しさに驚嘆する。

なんという華やかであろう。ピンクのかわいい、いや高貴な天女様である。まずは、頭の部分の華やかさが凄い。銀の王冠の上にあるキラキラしたリボンが赤と黄色の二重構造になっていて、その上に丸い二つの髪の輪が並ぶ。更に、頭の上にはヒラヒラした白い布が輪状に揺れる。

ピンクの衣装もこれまた豪華絢爛。まさしく羽衣という感じで、薄くて長い袖を付け、足元まで裾広がり。胸下部に鮮やかな銀の帯を巻き、その下に羽毛が散りばめられる。スカート部にはピンクのラメがきらきらしている。帯にもスカート部にも金銀の刺繍がびっしり織り込まれている。

盆から立上り舞台へ。音楽に合わせて、裸足で舞い踊る。

楽曲は島谷ひとみの「YUME日和」(ゆめびより)。島谷ひとみの13枚目のシングル。2003年11月6日に発売。表題曲は、冬の優しく暖かい日差しを感じさせる、ほのぼのした曲である。2003年度下半期に『ドラえもん』のテレビシリーズのエンディングテーマになっている。今回の演目にぴったりな選曲である。

暗転。

2曲目がポケットビスケットの「Rink Princess」(アルバム『Colorful』に収録。発売日:1997年7月16日)に変わる。

上下セパレートの衣装で登場。白いブラにはピンクの細紐がフレンジされている。スカート部はきらきらした白い腰布からたくさんの紫・ピンク・白の生地が縦に重なり垂れる。左側頭部に紫の髪飾り、きらきらした白い首輪。ピンクの大きなショールを振り回して裸足で軽快に踊る。

3曲目は、華風月のオリジナル曲「深紅」。華風月(はなふうげつ)は、尺八・神永大輔(リーダー)、詩吟&歌&ピアノ・鈴華ゆう子、二十五絃箏・いぶくろ聖志の3人で編成された和風ユニット。

今度は、紫の襦袢姿で登場。赤い帯かと思いきや、赤い絵柄が襦袢に縫い付けられている斬新なデザイン。

髪はロングヘアを背中に垂らす。

盆に移動し、そのままベッドショーへ。耳障りの良いセンチメンタル曲が流れる。アニメ犬夜叉の「想譚詩(そうたんし)」。これは戦いが終わった後の平和なときに流れる曲。

立上り曲は、和楽器バンドの曲「オキノタユウ」。(2017年3月22日に発売するアルバム『四季彩-shikisai-』に収録)。和楽器バンドは、日本の8人組ロックバンド。尺八・箏・三味線・和太鼓の和楽器に、ギター・ベース・ドラムの洋楽器を加え、詩吟の師範がボーカルを担当するという編成である。和楽器バンドはこれまでメディアへの露出が少なかったのだが、今や大ブレイクしている。しかも驚いたのが先の華風月とメンバーがかぶっていること。後で、天女とはインド・中国・日本の文化が融合したものという話をするが、洋楽と和楽器が融合して大ヒットしていることに繋がっているような気分になる。

 

さて、今週、この周年作「天女」を観ながら、徒然に思ったことを述べてみる。

まず最初に、衣装の華やかさに目を奪われたこと。半端じゃないお金がかかっていると感じたよ。そのくらい素晴らしい衣装である。

天女の絵には、頭の上に丸い輪が二つあり、また白い布みたいな輪っかのヒラヒラしたものがある。調べたら、天女というのは中国から来たもので、昔の中国人の髪型や衣服に類似している。これは中国の道教などの神仙思想の影響か。また、日本の仏画などで見られるものは、古いものだと中国・唐代の女官が身に付けていた「披帛」(ひはく)で、現代中国語だと「披巾」(ひきん)、文字通りショール。鎌倉期以降の絵だと、奈良時代から平安初期の女性礼服にあった「領巾」(ひれ。比礼)と呼ばれるものに近いようだ。

ついでに少々歴史を紐解くと。唐代の「披帛」は、恐らくインドから仏教と共に伝わった衣装・風俗で、元になったのは現在でもインドでは普通に着用されている「サリー」。「サリー」はヒンディー語で、サンスクリット語では「シャーティー」と言う。

インドの神様はインドの普通の服装をしているから、弁才天(ヒンドゥー神話のサラスヴァティー)や吉祥天(ヒンドゥー神話のラクシュミー)など、仏教に取り入れられたインドの神様の姿形がベースになっていると考えられる。

日本に中国経由で伝わった「天女」は、上記「弁才天」や「吉祥天」同様にすでに完全に「中国化」していて、服装も中国式です。

それがさらに「日本化」する。例えば弁才天と宇賀神の習合など。七福神を思い起こしてほしい。七福神の中のただ一柱の女神である弁財天(弁才天)は、美しい女神である。弁財天は日本では、天女の姿で琵琶を持つ姿をとるが、このような弁財天は日本独自のものであると考えてよい。だから、天女もインドから中国を経て、日本でどんどん進化しているわけです。

そう考えれば、ストリップの天女がいても全然おかしくないよね。(笑)

 

さて、次に、私の勝手な想いを述べさせて頂きます。

私は、究極、踊り子は「ストリップの天女」であってほしいと願っています。

よくポラ撮影で土足でステージに上がろうとする客を戒めるために、ステージの上は神聖な場であり、土足で上がってはいけないと諭す。ステージは天女が舞う天空なのである。同じ理屈で、私は、踊り子は客と同じところの地上に降りてきてはいけないと感じている。つまり、客と食事するのもアフターで酒を飲むのも基本的にいけないこと。最近よくあるストキャバも私はあまり好まない。そもそもストリップの男性客というのは女性とあまり話せない根暗な客が多く、急に女性と楽しく会話なんてできないのだ。逆に苦痛になる。

踊り子は、ストリップファンから、常に憧れの存在でいてほしい。つまり高嶺の花的存在であるからこそ憧れるのである。簡単に男の誘いやお金になびいて付き合ってほしくない。であれば、踊り子ではなく、飲み屋の女レベル、極端には売女になってしまう。少なくとも精神的には聖女であり処女であってほしいと願う。

 

羽衣伝説とは、もともと白鳥処女説話の一つ。白鳥が処女と化して現れ、男性に衣を奪われて妻とされるが、やがて衣を取り返し、白鳥に戻って飛び去るという型の話。特に女性の処女性を白鳥で象徴する。類型は世界的に分布し、バレエ「白鳥の湖」や日本の羽衣伝説や昔話「鶴女房」もその例。

改めて、羽衣伝説を紹介する。羽衣伝説にはいくつものパターンがあるが、典型的なのは次のような話である。・・・

天女が地上に降りてきて、川で水浴びをしていた。それを見ていた男が天女の脱いだ羽衣を奪う。羽衣を失くし困っている天女に、男は優しく声をかけ自分の家に連れていく。天女は羽衣がないため天に帰れない。そのため、その後羽衣を盗んだ男と天女は結婚することになる。二人の子供も生まれたが、盗まれた羽衣を天女が見つけてしまう。天女は羽衣を取り返して天に帰っていくという話。

ストリップ流に解釈するとこうなる。そもそも天女は天の上にいるべきもので、人間の世界に降りてきて、迂闊にも水浴びなんかしてはいけない。天女の裸を覗いたうえに彼女の下着を持っていくなんていう男の愚劣な行為を戒める前に、裸を覗かれ、下着をもっていかれるのは、天女の脇が甘すぎたと思える。女の裸を見たいと思うのは男の自然な性であり、下着を欲しいと思うのも男の性と云えるだろう。下着泥棒は犯罪であるが、ストリップでこれだけパンプレが人気なのだからそれを否定してもしょうがないと思う。

せっかく劇場のステージの上に降りてきてくれたからには、裸を見せて人間の男性に楽しんでもらえばいいし、時にはパンプレをしてもいい。それがストリップ劇場なのである。

ただ、踊り子はあくまで天女であるべき。普通の女性と同じ立場で、お客といちゃついてはいけないもの。高嶺の花としての気品ある言動が望ましい。であるからこそ、お金を出して観に来たくなる。

以上、勝手なことを述べまして失礼しました。(ペコリ)  

 

 

平成29年10月結                      大阪東洋ショーにて

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、私のストリップ・ドライブとしてのアクアライン物語を話してみる。

 

私の現在の仕事場は千葉県内房の木更津というところ。

好きな踊り子さんに会いたくて、アクアラインを通って劇場までやってきます。

大好きな王女様に会うために、海を渡って来た王子様の気分かな(笑)!?

そんなことを考えながら、ひとつ童話が浮かんだよ。

 

 

 

『アクアライン物語 ~もうひとつの浦島太郎話~』

 私は真夜中に、車で木更津からアクアラインを渡り、海ほたるに着いた。見晴らし台の上から、木更津と川崎の両対岸に広がる美しい夜景を眺めながら物思いに耽った。

「今は車で20分足らずで簡単に東京湾を渡ってしまうが、昔の人はこの海を渡るのに命がけだったんだろうなぁ~」

 ふと、木更津という地名の語源になったと云われる「君去らず」の話を思い出した。木更津には次のような有名な日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説がある。

< 第十二代景行天皇の皇子として生まれた日本武尊は、父にうとまれ、西の熊襲、東の蝦夷の平定へと向かう日々でした。東へ向かった日本武尊は、弟橘媛(おとたちばなひめ)とめぐりあい、后に迎えます。しかし、相模の走水から上総へ渡ろうとしたとき、海が荒れ、船が難破しそうになりました。弟橘媛は尊の身代わりになって海神の怒りを鎮めようと、我が身を海に沈めたのです。

やがて木更津に上陸した日本武尊は、愛する媛の面影を偲んで何日も立ち去らなかったといいます。これが、君不去=きみさらず=木更津の起こりと云われています。また、媛の御衣の袖が海辺に流れ着いたことから、袖ヶ浦という地名が生まれました。>

(木更津市中央に位置する大田山公園にある「きみ去らずタワー」の台座文から)

このロマンチックな伝説に触発され、私はひとつ童話を創ってみた。

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昔昔の話。

海に近い木更津という村に太郎という若者が住んでいました。太郎は畑仕事をしながら暮らしていました。

ある晩、太郎の夢の中に、この世の人とは思えないほど綺麗な天女が現れ、太郎のために舞い踊ってくれました。太郎はこんなに幸せを感じたことがありませんでした。

夢から醒めた太郎は、その天女のことが忘れられません。来る日も来る日も、その天女にもう一度会えないものかと思いわずらう日が続きました。

 

太郎の家には、ウサギとカメが飼われていました。ウサギとカメは大事に育ててくれた太郎に恩返しできないかと相談しました。そして、ウサギとカメは、恋に悩む太郎にこんな話をしました。

「この海の向こうに渡れば、あなたの会いたがっている天女さまがいます。私たちがお手伝いさせていただきます。一緒に海を渡りましょう。」

 

 太郎はウサギとカメを連れて、海の岸辺に辿り着きました。かすかに対岸は見えますが、あまりにも遠い。はたしてどうやってこの海を渡るのでしょうか?

 ウサギは海に向かって叫びました。「サメさぁ~ん! 手伝ってくれー!」

 すると、たくさんのサメが集まってきました。そして、サメは一列になって海の上に頭だけ突き出しました。「太郎さん、私の後をついてきて下さい」と言って、ウサギはそのサメの頭をぴょんぴょんと飛び跳ねて行きました。太郎も必死でウサギを追いかけました。

 どれくらい渡ったことでしょうか。ちょうど海の真ん中くらいまで来たところで、サメの頭はなくなりました。

「ここから先は私にバトンタッチです。太郎さん、ウミガメの背中に乗って下さい。」

 ウサギの後を追って一緒に海を泳いできたカメは、大きなウミガメを連れてきていました。太郎はウミガメの背にまたがりました。

 ウミガメは太郎を乗せて、海の中にどんどん潜っていきました。どれくらい泳いだことでしょうか。

 

 暗い海の中に、パッと明るい建物が見えます。竜宮城でしょうか?

 よく見ると、その建物の看板には「川崎ロック」と書かれています。

 太郎はおそるおそる扉を開けてみました。すると、大きなステージの上に美しい乙姫たちが音楽に合わせ舞い踊っています。たくさんの魚たちがステージをとり囲んでいます。目をギョロつかせてステージにかぶりついている出目金さん。上目づかいで乙姫の足元から覗き込んでいるヒラメさん。乙姫の美しさにポッカリ口をあけているコイさん。乙姫のエロさに興奮し、顔を真っ赤に膨らませているフグさん、体がとろけそうになっているタコさんや体を大きくのけぞらせるエビさんもいます。どの魚たちも手拍子をとり、中にはタンバリンを使って囃し立てたり、リボンを投げる者までいます。そこは乙姫に恋する竜宮城でもありました。

 太郎は歳をとるのも忘れ、竜宮城で時間を過ごしました。

                                    おしまい

 

 

                          

 

 

 

 

 今日は「未完の完」という話をします。この言葉を聞いたことがない人は、未完(おわらず) と完(おわり) が並んでいて変な言葉と思うでしょうが、しばらくお付き合いください。

 

 

 先日、ある新人さんのステージを拝見した。まだ2週目でステージに慣れていないせいか、動きにゆとりがなく、けっして上手な踊りとはいえない。でも一生懸命に踊っている健気な姿に感動して、かつ彼女の素直そうな雰囲気にすごく惹かれるものがあった。

 ポラのとき、「私はポラ写りが悪くて申し訳ありません。表に貼ってあるポスターの写真もひどいでしょ。本当にごめんなさいね」という感じで、やたら謙遜さが目立つ。だいたいこの業界に入ってくる方は容姿には人並み以上の自信があるはず。だから彼女の態度にはむしろ新鮮な好感を覚えた。

 デビューしたての新人は、周りのベテランのお姐さんを見ては自信をなくすことが多いと思う。いくら容姿に自信があっても周りのお姐さんはすごく綺麗だし、踊りを見てはとても敵わないと感じることだろう。では、だから新人はダメかというと決してそんなことはない。

 新人の魅力というのは「荒削りの魅力」。慣れないステージでドキドキしながら踊っているが、観ている私までもがドキドキしてしまう。一生懸命に頑張っている姿に感動するんだなぁ。喩えが悪いかもしれないが、幼いわが子が幼稚園のお遊戯会で踊っているのを観ている親の気持ちみたいな。幼子は親に観て貰うのが嬉しくてたまらない。踊りが上手かろうが下手だろうが我子が一番と思う親心。そんな感じなんだな。

 だから、新人さんは上手く踊る必要はない。今のままをそのまま見せるだけでいい。それだけでお客は十分満足する。

 

 その新人さんのすぐ後に、5年目のベテランの踊り子さんが登場。こちらは流石に「洗練されたステージ」を魅せてくれた。

「荒削りの魅力」と「洗練された魅力」というが、根本にあるのは「自分の持ち味」をどう表現するかである。後者は、練習量や経験年数に裏打ちされた年季の美しさ、自信、ゆとりある落ち着きが出てくるために、持ち味の演出が巧みに加工されている。一方、新人は洗練できていない分だけ「自分の持ち味」が生のままストレートに出てくる。それが初々しい味となって表現される。つまり、ステージとは持ち味の表現/醸成なのだ。

 

 どんなにベテランの踊り子さんでも、完成度が限りなく高いステージはあったとしても、おそらく完成されたステージというものはない。

 また、そう思ってはいけない。仮にステージが完成したと考えてしまうと、完成したその日から衰退と陳腐化が始まってしまう。

 以前、いつも素敵なステージを見せてくれる若林美保さんに、レパートリーが多く全て完璧な出し物だねと絶賛したところ、「私は満足していないの。まだまだしたい事がたくさんあるので、今はそのしたい事をしてゆきたいと思っています。私はよくばりなので(笑)」という返事が返ってきて凄く感心させられた。彼女のように完成度の高いステージを出している方でも彼女の中では全く完成されていないんだ。次はここを直そう、次はこうしよう、次はこれに挑戦しよう、・・常に前向きにステージに取り組む姿勢こそが彼女の元気の源なんだと感じさせられた。

 

 人間には、不可能という言葉がないように、完成という言葉もない。人間は誰でも、完成を目指そうとはするが完成されることがない。つねに「未完」の状態なのだ。未完であるものは「未だ完(おわ)らず」という言葉通り衰微がない。つねに新しい何かを生み出し続けているクリエイティブな状態なのだ。

 だから、未完であることを恥じることはない。いわんや「踊りが下手だから」「ポラ写りが悪い」など卑下することなどもっての外である。人間は未完成であるが故に、自らと自らの技術をより高い完成度を目指して磨き続けるのである。

それが「未完の完」ということだ。

 

 

平成21年10月                          仙台ロックにて     

 

 

 

PS.チャップリンの名言から

「プロなどこの世には存在しない、皆一生アマで終わるんだ」

チャップリンの映画「ライムライト」、そのラスト近くで老喜劇役者が死ぬ前に言うセリフ。プロ中のプロであるチャップリンの言葉だからこそ重い。

 

 

 

 

 

 

私はTSミュージックの劇場構造がなんとなく好き。

一方、池袋ミカド劇場にお気に入りの踊り子さん目当てで何度か足を運び、ここもなんとなく好きになった。

それぞれの劇場に一長一短があるのだが、この二つの劇場に共通している点がある。それは盆がないということ。

盆というのはストリップ劇場の象徴みたいなところがあるから、それがないのに何でなんとなく好きになったのか?

あるとき、はたと気づいた。「動かない」からだ。両劇場とも狭くて踊り子さんとの距離が非常に近い。そのためベッドやオープンが非常に近くで見れて極めて嬉しい。大好きな踊り子さんのヌードが間近で、しかも、しばらくじーっと眺められるのである。こんな幸せなひとときはない。

盆の場合はゆっくりと回り続ける。もっと見ていたいのに~と思いながらも、そのシーンは流れていく。回転寿司ではないが、自分のお気に入りのシーンを手にとって自分のものにしたい願望に駆られてしまう。それが一種のストレスになっている。だからこそ、TSやミカドの場合、動かないからこそ、好きな踊り子さんをひととき独占できたという快感を覚える。だから好きなんだと思い至った。

 

動と静・・・

この世の中は、動と静のバランスの上に立っているような気がする。

人間の生活は、日中は動き続け、夜間は静かに休養することで持続する。

いつも動ばかり見ていると急に静が欲しくなったりもする。動にときめきを感じるときもあれば、静にやすらぎを感じるときもある。人は、その場、その時の、心の有り様によって、動と静を上手に使い分けているのかもしれない。

 

ふと、「転がる石に苔は生えない」って言葉を思い出した。これは有名な外国の諺Like a Rolling Stoneなので知っている人も多い。ミュージシャンのローリング・ストーンズがこれから命名したのはあまりにも有名な話。

ところで、この諺には二つの意味の取り方がある。

1.すぐ諦めていては、何も身につかない。転がる石の様になってはいけない。
2.固定観念や古い慣習にとらわれず、転がる石の様に常に新しい気持ちで物事をはかりなさい。
 一般には後者2の意味にとられるが、たしかに片方は「転がる石の様になるな」と言い、もう片方は「転がる石の様になれ」と言うのは矛盾しているようで面白い。
 これは苔というものの捉え方の差から来ている。前者1は苔を長い年月の賜物とみて尊重しているの対して、後者2は汚いものの象徴と捉えている。どちらも正しく、どちらの意に取っても構わない。先ほどの「動と静」の話ではないが上手に使い分ければいい。

なお、私的には、前者1の方が風流な感じを受けるものの、こと、この諺に関して云えば、後者2として使いたい。

 

身体は動き続けていれば健康だし、仕事はやり続けていることで生活は安定する。時には立ち止まりたいと思うこともあろうが、生きるうえで常に何かをやり続けていることが非常に大事なことだと思う。

立ち止まると、余計なことを考えてマイナス思考に偏ることがままある。気持ちだけでも前向きに回り続けていることが重要。そうすれば、実際動き出したときにそれが充電パワーとなりえる。

 

ストリップ劇場は、10日毎にメンバーを入れ替えて新しい興行をやり続けることで回っている。たくさんの踊り子さんが全国を回り、それをまた多くのファンが追いかけて全国を巡る。その経済効果も大きい。というか、経済そのものが回り続けることによって正常を保っている。

回る盆のごとく、ストリップが永遠に続いてほしいと切に願う。

 

 

 

 

 

 

今回は「水辺の馬たち」という題名で、TSの神谷もえさんの引退についてお話します。

 

 

H24年6月中、TSに通っていたら、常連さんに「神谷もえさんのブログ見ましたか? もえさん、引退すると書いてましたよ。体力的にもたないとの理由でしたが。」と言われ、ブログを見ない私がえっ!と驚くのに対して「太郎さんは、もえさんのファン一号なんだから、ちゃんとブログを見てあげなきゃ。」と付け加えられた。

親切な彼の言葉に驚きもあったが、不思議に、私はもえさんの引退を冷静に受け止めていた。

 

先月結のミカドで、私は11日間皆勤して、もえさんの応援に通った。

個人的な手紙で、ストリップを続けてほしいと何度も懇願した。本公演前に準備していた手紙を、初日に渡して「私のことをこれだけ真剣に心配してくれるのは太郎さんだけです」と言ってくれる。デビュー週の楽屋で嫌なことがありトラウマになっていたが、二週目からは優しいお姐さんに恵まれ落ち着いてきていた。もともと人にヌードを見られるのが好きで、自分から望んでこの業界に入ってきた。ステージは楽しいと言うし、私のようなファンがついて喜んでいた。私は彼女との手紙交換を通じて、この子は賢くて考え過ぎるんだなと感じた。どんな仕事にも、いい面と悪い面がある。悪い面だけ見て辞めて、別の仕事に就いたとしても同じことを繰り返してしまう。とりあえず自分から望んで始めた仕事なんだから、今は我慢の時期なんだよ。あまり考えずに、いい面だけを見るようにして、とにかく一年頑張ってみたら! と話した。

段々と彼女の気持ちが前向きに変わっていくのが手に取るように感じられた。表情も明るく楽しそうだった。お姐さん方にも恵まれ、楽屋が楽しいと言っていた。

中日から新作を披露。私にはAKBのようなアイドル系のコンサートに見えたが(失礼!)、アーミー・ルックでかっこいいロック系コンサートを演じていた。踊り子を辞めるつもりなら新作なんか出さないだろうから、この時点で引退はないなと踏んだ。

今回の5結ミカド公演で、たまたま晃生のRinさんが一緒だった。もえさんは4頭のTSでもRinさんとご一緒していた。だから私は、5頭の大阪晃生でRinさんに、私がもえさんの引退を心配している話をさせてもらった。それもあってか、Rinさんは今回の公演中もえさんのことを優しくサポートしてくれた。もえさんも「Rin姐さんが優しくしてくれて、とても心強い」と話していた。Rinさんはもえさんと何度か食事に行ったらしく、もえさんが踊り子を続ける気になっていることを私に知らせてくれた。ミカド公演が終わる頃には、私自身ももう大丈夫だなと感じていた。

だから、もえさんの引退を聞いたとき、確かに唖然とした。

しかし、それもありえることと受けとめた。続けるつもりじゃなかったの!と責める気持ちは全くなく、彼女が出した結論を粛々と受け入れたいと思う。すでに、4頭のTS公演が終わった時点で、神谷もえさんは次のミカドで引退するかもと仄めかしていたので、彼女をモチーフに「ストリップは心の避難場所」というエッセイを書いた。これで、私は心の準備を行っていた。

 

振り返れば、神谷もえさんとはH23年11月21日のデビュー日にTSで出逢う。それから、半年と一週の間に、関東の劇場に五回(TS三回、ミカド二回)、芦原に一回の計六回の公演。私は、芦原には行かなかったが、関東の五回公演51日のうち45日を通っている。新人LOVEの私ではあるが、最初にこれだけ通ったのは初めて。それだけ彼女の魅力が私を惹きつけた。容姿のかわいさはもちろん、これだけ文通が楽しい方はいない。こんなにプライベートなことを書いていいの?と私が言うほど、彼女は私に心を開いてくれた。私のことを信じ切って赤裸々に自分のことを語ってくれた。私は踊り子さんとは適度な距離を保ってお付き合いするのがいいと思っているが、彼女の気持ちは正直嬉しかった。

いつも私がいるのが当たり前になった彼女にとって、私が客席にいないと凄く淋しがってくれた。

最後のミカドの週、ある姐さんから聞いたらしく「太郎さんは新人好きと聞きましたが、私が新人でなくなっても応援してくれますか? 私、太郎さんにはずっと応援してほしいんです。」と手紙に書いてきた。私は(一瞬焦りつつ)「もちろん、これまで通り応援させて頂くよ」と即答した。(誰だっ!  変なことを吹き込んだのは?  まあ、いずれ分かるか・・笑)

 

 

‘水辺の馬’という寓話がある。人は馬を水辺まで導いていくことができても、最後に水を飲むかどうかは馬自身が決めることで、人にはどうしようもない、という喩え。

私は必死で、もえさんをストリップの場にとどめようとしたが、結局もえさんはストリップという水を飲み続けてはくれなかった。それだけのことかもしれない。それ以上、私にはどうしようもない。

 

  競馬の好きな友人が「馬って本当にきれいなんだよなぁ」としみじみ語ってくれたことがある。競馬はギャンブルではなく、馬を愛する動物愛の世界なんだと。実際に競馬場に行って、間近で馬を見ると、肌艶や肢体の筋肉美にうっとりすると言う。

 もう会えなくなると思うと、もえさんのかわいい笑顔と美しいヌードがまさに走馬燈のごとく浮かび上がってくる。私はエロポラは撮らないが、その分しっかりと目に焼き付けている。白い肌、艶めかしい肢体、踊りはまだぎこちなかったが、全てが愛おしく、全てが美しく、そして全てが懐かしい。

1月中にもえさんと一緒にTS公演にのっていて、それを最後に引退した東洋の涼川ゆきのさんも、手足が長く、まるで美しい女神馬だったなぁと思い出される。彼女にも熱をあげ必死に応援したが私には引退を止められなかった。

 美しい水辺の馬たちが、私のもとから去っていく。自分の非力を嘆きつつ、虚しや悲しみや淋しさが胸を締め付けてくる。涙が込み上げてくる。

 水辺の馬たちは私のことを嫌いになって去って行ったわけではないだろう。最後に私の方をちらっと振り返り、笑みを浮かべ、「さよなら」と声をかけてくれたような気がしている。短い期間ではあるが、私と縁があり、楽しいストリップの時間を過ごすことができた。私はそれだけで十分幸せである。

 彼女たちのこれからの人生に幸あれと念ずるだけである。

 

平成24年6月                         

 

 

 

 

 

  今回は「存在の美しさ」と題して、ロックのMIKAさんの魅力を話してみたい。

 

 H24年6月頭のDX歌舞伎。

今週も私にとってMIKAウィークになった。毎日、MIKAさんに会いたくてDX歌舞伎に通った。

 

 今週は、洋物と和物の二個出し。MIKAさんの定番である和物もいいが、今回は洋物に注目してステージを拝見していた。

 黒をベースにしたモノトーン色の衣装で、黒い帽子を小粋にかぶり、軽快なダンス。先月二周年を迎え、踊りはますます上手になってきた。踊りに対する取り組み姿勢が立派。今回の洋物もかっこよく決まっている。

 今回特筆したいのは、ベットの味。歌詞のない流れるようなメロディに乗って演ずる。静かな動きの中、MIKAさんの素の美しさだけで勝負している感。それがめちゃめちゃいい。MIKAさんの美しさにうっとりさせられる。改めて「美しさを表現するのに動きはいらない」と思わせられる。昔から美人を表現するのに「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というが、MIKAさんにはそんな一瞬の静止画を覚える。

 

「存在の美しさ」という言葉がふと浮かぶ。動きはいらない、ただじっとお顔を眺めていたい。見ているだけでいいから、いつまでも側に居たい。そんな気分にさせられた。

 たくさんの踊り子がいる中で、もっている雰囲気だけで観客を酔わせられる方は少ない。それができる踊り子の一人がMIKAさん。だから彼女はMIKA隊という熱狂的なファンにいつも囲まれている。

 彼女ほど、清楚という言葉が似合う方はいない。ポラ時の客に対する丁寧な対応・言葉使いに接するとうっとりさせられる。他の踊り子さんから見ても彼女ほど女性らしい方はいないという評判をよく聞く。マナーやエチケット、躾の良さが自然と滲み出る。彼女ほど、優しい清楚な女性らしさを醸し出している方はいない。それが綺麗な容姿に表れているのだから夢中になる男性が後を絶たないのは当然。

 私は踊り子さんと文通を楽しんでいるが、私の文章そのものを一番愛してくれているのがMIKAさんだと断言できる。私の手紙を‘ストリップの教科書’と言って、いつも喜んでくれる。そして、私の手紙に対する返事が質・量ともにいつも満足させてくれる。彼女の人柄を表すように美しい字体。彼女はとても賢い女性で、私の文章から多くのことを学ぼうとしている。彼女の美しさは知性や教養など内面からの輝きを伴っているんだな。

 MIKAさんは私の文章だけでなく、私そのものを愛してくれている。私はいろんな劇場に行き、いろんな踊り子さんを応援している。自分だけを応援してほしいと思う踊り子さんが多い中で、私がストリップを楽しむ姿そのものを愛してくれる。「ストリップを楽しむことに対する太郎さんの情熱とフットワークの軽さにはいつも驚かされます。」「昨日のお手紙では別れの寂しさが綴られていたので、こうしてまた素敵な新人さんに出会って楽しまれていることが分かって安心しました。太郎さんはストリップを人の100倍楽しむ達人ですからね。」私の文章は私そのもの。MIKAさんは私の文章を読みながら、私のことをそのまま受け入れてくれる。それは学校で好きな子ができて夢中で話している我が子を微笑みながら見る母親のイメージ。しかし、MIKAさんは、母親でなく恋人でいたい、なんて嬉しいことを言ってくれる(笑)。私には私のことをあるがままに愛してくれる母親的なお姐さんが何人かいるが、MIKAさんの場合は母親の安らぎとともに、恋人のときめき感をいつも抱かせる。ほんとお得なタイプだよ(笑)。この業界で、もっとも嫁さんにしたい№1の存在。

 

  ステージに対する真摯な姿勢、周りに対する思いやり、知性や教養に溢れた育ちの良さと人柄、自分を高める向上心と謙虚さ、それらがMIKAさんにぎゅっと詰まっている。それがMIKAさんの「存在の美しさ」なんだろうと感じている。

 

 人気者なので忙しいのに、いつも私とのコミュニケーションを大切にしてくれるMIKAさんにいつも感謝している。「出会いがあれば別れもあるけれど、・・・私は直接会ったことはないけれど、太郎さんのお手紙を読むとなんだか知り合いになったような気がするので私も切なくなってしまいます。太郎さんのお手紙は、ステージのレポートだけじゃなく、その人の内面や想いまであぶりだすからかなぁ・・・でも私はず~っと太郎さんの『心の避難場所』であり続けますよ~♡」

またステージを拝見するたびに元気を頂いている。いつもステージ真正面のセンター席でかぶりついている私に対して「今日も太郎さんの特等席をGETできましたね♪ 太郎さんがそこに居て下さると安心できます。そしていっぱいサービスしちゃいます。」と嬉しいことを言ってくれる。私はメロメロ♪

 これからもMIKAさんとのストリップな時間を楽しみたい。そしてお互いを高め合いたい。MIKAさんの「存在の美しさ」をますます高める一助になりたいと思う。

MIKAさんは、私にとって、大切な、大切な、大好きな踊り子さん。自分のことを太郎チルドレン代表(笑)と言ってくれる。「太郎さんにはデビューの頃からお世話になっているので、ある程度は太郎さんの気持ちを知っているつもりでしたが、太郎さんの本当の本音の部分を包み隠さず教えていただける関係になったんだなと思うと感慨深いです。私も太郎さんのお陰でストリップを続けようと思った太郎チルドレンの一人なので、・・・」

MIKAさんとの出会いをストリップの神に感謝したい。これからも精一杯応援させて頂きます。

 

平成24年6月                              DX歌舞伎にて  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 踊り子さんは自分の魅力をステージで表現するために日夜踊りの練習に励んでいることと思います。ハイテンポな振り付けにも頑張って取組んでいる人がたくさんいます。

 

 踊り子さんのステージの動きでちょっと気になる点をお話させてください。

 最近の若手の中で、MS(空まことさん)さんのダンスは見ごたえがあります。ラップ調のダンスでは彼女の右に出る者は今のこの業界にはいないでしょう。ダンスが好きでこの世界に入ってきたというのがよく分かります。

 ハイテンポな動きが彼女の特徴であり、オープンまでM字開脚のまま小刻みに腰を振るのが彼女の決めポーズになっています。ところが意に反して、このバイブレーション・オープンだと視点が定まらず、残念ながらよく見えない。彼女はお客に十分にサービスしているつもりでしょうが、見ているお客としてはよく見た気がせず、満足感が残らない。そこには踊り子さんとお客のミスマッチがあって、すごく残念な感じがします。

 オープンでお客にじっくり見せようとするなら、動きを一瞬止める必要があります。

 音楽でも、ハイテンポなリズムはスローなメロディ(バラード)を引き立てるためにあります。大切なのは動と静のバランスです。うまく踊るということは決して激しく動き回ることではありません。MSさんの最近のステージは、ダンスとベッドで動と静のコントラストをうまく表現しようという試みが感じられます。残るはオープンかな、と思い、お手紙で話したら、すぐに受け入れてくれました。彼女の良さは素直な柔軟性にもあります。

 

 踊り子さんのもつ美しさが引き立つのは、むしろ静かな動きの中にあります。

 あえて言いますが、「美しさを表現するのに動きはいらない」と思うことがあります。

本当に美しい人はただそこに立っているだけで美しい。昔から美人を表現するのに「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といいますが、とくに動きそのものを感じさせているわけではなく、これは一瞬の静止画を描写しています。

 初めて若松劇場に通い出した当時、最初に気に入った踊り子さんは早見聖子さん(H16引退)でした。彼女のステージは「一服の絵」のように感じました。ゆっくりした動きが彼女のもつ美しさを最大限に引き立てていました。

 相沢かれんさんも美人の典型ですが、ベッドのときにお盆の上にうつ伏せになり、顔を少しあげて客席を見回す。盆の動きに合わせて、かれんさんのお顔がじっくりと拝める。そこには動きがなく、ファンとしては「なんて綺麗なんだろう」とひたすら見入ってしまう。ルックスに自信のある方にはこういう見せ方はファンの心をつかむのに効果的。

 二人ともベテランであるがゆえ、自分の美しさを引き出すポイントをよく知っているのだと思います。

 若手の踊り子さんでは灘ジュンさんの「オルゴール人形」が最高でした。人形のように静止しているからこそ、灘さんの美しさが眩いばかりに引き立っていました。

 最近、私は成瀬美穂さんのステージがお気に入りです。白い羽を使った日舞は完成度が高かったし、最近の出し物も四年目を迎えた円熟期を感じずにいられません。全体としてゆっくりと落ち着いた雰囲気を感じます。美穂さんが、ビデオで自分の昔のベッドショーを見ると、ずいぶんバタバタ動いてたなぁと言ってました。つまりそれだけ今のベッドは無駄な動きをなくしているということ。このベッドのゆっくりした動きがこそが「ステージ全体の動と静のバランス」の良さを醸し出しているのだと思います。メリハリが利いた動きの中で、一瞬の静けさが美穂さんの美しさを不動のものにしています。

 

「忙中閑あり」という言葉がありますね。忙しさの中にも冷静な心を持って対処するというビジネスマンの理想像です。忙しい人ほど多くの仕事が集中し、それをさばいていけるというのは「忙中閑あり」だからです。私の好きな言葉です。

同じように、ストリップも「動中静あり」と云えそうな気がします。激しい動きがあるからこそ静が引き立つというか、いや、静を引き立たせるために動を練習すると云えるのではないでしょうか。

「動中静あり」には、精神的余裕が大切です。余裕がないと、ただバタバタ動いているだけに映ります。余裕をもつためにも練習が必要なのです。

 

私の個人的な好みから言えば、ステージ全体の一番の盛り上がりはベッドショーであり、ここがしっとりいくと余韻が残ります。まずはひとつの心持ちとして、ゆっくり、ゆったり動くこと、そして見せるところはピシッと止めて見せるということを意識してみてはいかがでしょうか。

 

平成18年

 

 

 

 

今回は、大阪晃生のRinさんのことを「半眼の魅力」という題名で話してみたい。

 

 

H24年5月結の池袋ミカド劇場。私はRinさんのレポートを書きたくなって舞台の上のRinさんを眺めていた。

フラメンコの踊りがT163の長身とB82W58H88のナイス・プロポーションを惹きたてる。ダンス・センスの良さ。かわいいルックス。セクシーなヌード。不動の人気を得ているのが頷ける。

デビューが2001年11月1日だから、もう10年選手なんだね。私のストリップ日記を紐解いたら、Rinさんと初めて会ったのは7年前の2005 (H17)年4月26日の若松劇場。一目で気に入ったのは間違いなく、2日連続で若松に通っている(笑)。

Rinさんとは今週のミカドで、お会いする通算回数は40日目位なのだが、そのうち出会って四年半で10日しか会ってなく、私が単身赴任の仙台から帰ってきたここ二年半で30日。しかも直近の4月頭のTS、5月頭の晃生、5月結のミカドでかなりの日数を重ねており、最近になって濃い(=恋)時間を過ごしている。Rinさんとは旧くて新しい関係と言えるかな。

 

Rinさんは、私が応援している沢山の踊り子さんの中でも、お気に入りの部類に入っていた。ずっとロック系を中心に応援していたので会う頻度は少ないものの、たまにRinさんに会うとすごく嬉しかった。

なにが気に入っていたのか。かわいいタイプなので外見も好きだが、なんと言っても私の手紙に対する反応が最高。初めてポラを買ったときに丁寧に手紙を頂く。しかも私の童話に反応してくれた。「私もグリム童話が大好きでよく読んでいます。大人向けのグリム童話は奥が深くて面白いですよ。子供の頃に読んだ内容と違っていて子供の頃に読んでも理解できないことが含まれていて、だから昔から読み継がれているんだなぁと思いました。」Rinさんとは相性が合うとピンと来た。

私は沢山の踊り子さんと楽しく文通させて頂いているが、たいていの方は他の踊り子さんの話題は喜ばない。プライドの高い方が多く、自分に関する話題を好む。私は相手の反応を見ながら話題を決めていく。ところが、私の文章そのものを気に入ってくれて、他の踊り子さんの話題でも喜んで読んでくれる方が何人かいる。私がいろんな劇場に行き、いろんな踊り子さんを気に入って、ストリップを楽しんでいる姿そのものを、そのまま愛してくれる。まるで我が子が学校で好きな子ができ目を輝かせて話す姿を、喜んで耳を傾ける母親の存在。私の文章は私そのもの。私のことをあるがまま認めてくれる貴重な母なる存在。そういう踊り子さんが何人かいる。その一人がRinさんなんだ。

私は自分が手紙に込めた思いに対する反応をひそかに期待しているが、今日は期待外れだったなぁと思っている中で、Rinさんに救われたことが何度もあった。Rinさんは私が最も感じてほしいポイントに敏感に反応してくる。私とすごく相性のいい感性を持っている。

だから、私は、Rinさんに会い、Rinさんを見ていると心がとても安らぐ。

 

Rinさんの最大の魅力は、周りの人に安らぎを与える癒しの存在であること。

今週のミカドでも痛切に感じた。ひとつは、神谷もえさんのこと。前回のTSで一緒だったもえさんが、踊り子を続けるかどうか悩んでいることを、私はRinさんに晃生で話していた。もえさんが今週のミカドでその結論を出すとブログで話していたので、もえさんファン一号の私としては、今週はもえさんのために11日間を捧げるつもりで望んでいた。そのことを知っているRinさんは、初日に入場してきた私を見つけて「もえちゃんに、太郎さんが来たことを知らせておくね」とさりげなく言ってくれた。他の人のことまで気遣う優しさに感激。もえさんのポラ・コメントに「今週の楽屋は、Rin姐さんに和ませてもらってます」とあった。楽屋生活がネックになっているもえさんにとって、Rinさんは有難い存在になっていた。

もうひとつ、山口桃華さんから「太郎さんの手紙おもしろいよねと、Rin姐さんと話していたんですよ」とのポラ・コメントがあり、これまた凄く嬉しかった。

Rinさんは私が目黒あいらファンであることも知っている。また二人が大の仲良しであることを先日の晃生で知った。だから、今週あいらさんがTSに出演しているので「あいらさんに会いに行った?」とさりげなく聞いてくる。ミカドからハシゴして、TSのあいらさんに会いに行って、Rinさんのステージが観れなかったときもあったが、嫌な顔ひとつしなかった。踊り子さんは仕事柄、自己顕示欲の強い方が多い中で、Rinさんには、自分が自分が、というところが全くなく、いつもほんわか包み込んでくれる。

 

Rinさんには、周りの人を優しく暖かく包み込む魅力がある。押し付けがましくなく、さりげなく寄り添うような包容力である。私はけっこう高感度の‘優しさセンサー’を持っているつもりだが、Rinさんに接すると優しさセンサーの針が激しく振れるのを実感する。私はひそかにRinさんのことを‘ストリップの母’と感じている。

そして、その魅力を象徴しているのがRinさんの目。いつも眠そうな目をしているが(失礼!)、これは仏教でいう半眼の表情。

目を100%見開いて見ると、相手の嫌なところや弱点が見えてくるもの。そういう目で見られるのも嫌だよね。それに対して、相手の良いところだけを見て、嫌なところや悪いところは目をつぶる。半眼とは、自分と相手との間の緩衝地帯、ひとつのクッションでもある。半眼の人は、刺々しさがなく、いつも優しく癒す包容力を持つ。仏様の慈悲の心とはそういうところにある。Rinさんは無意識にそれができている。

Rinさんはみんなに愛される素敵な女性であり、素晴らしい踊り子さんである。

 

平成24年5月                           池袋ミカドにて  

 

 

 

 

今回は、渋谷道劇の踊り子・六花ましろさんを「和顔愛語のきみ」と題して語ります。

 

 

楽しいGW週もあっという間に終わる。今週5月頭は渋谷道劇公演で骨を埋めた。

香盤は次の通り。①水鳥藍(道劇)、②小町れの(道劇)、③天上くるみ(TS)、④六花ましろ(道劇)、⑤園田しほり(フリー)、⑥北川れん(道劇)、⑦匠悠那(道劇)〔敬称略〕。1,3回目に水鳥藍さん&小町れのさんのチームショー。

お目当ては、三人の新人さん。道劇の水鳥藍さんと小町れのさん、そして久々のTS新人、天上くるみさん。早朝一番乗りを目指し早起きを続ける。観劇レポートやら、全力でこの三人の応援に向かう。

そんな中、四番目の六花ましろさんの存在が私にとって大切な癒しになった。私はかねがねストリップの魅力は新人さんへの‘ときめき’とベテランの方との‘やすらぎ’にあると思っている。今回の公演も新人三人がお目当てと言っても、新人以外の方を抜きにしては成り立たない。感謝の意味も含め、ましろさんへのレポートを楽日に書かせてもらう。

 

いつも、かぶりセンター席に座っている私に対して「今朝は何時に劇場に着いたのですか?」と聞いてくる。初日は朝の五時半に来たら三番目だったよ!と話すと驚いていた。実際に私も驚いた。私より早く来るファンがいることに驚愕。GW中は「今日は六時半で一番乗りだよ」という私に対し「今日も一番乗りおめでとう。毎日早起き生活、元気だね。」という感じで続く。GWが終わると「明日からお仕事、頑張って下さい」というましろさんに対して「明日から早く起きれるかな。今まではピッと起きれたが・・自信がないなぁ~」と笑わせる。二日平日が続き、土日が楽日前日・楽日となり「また明日から早起きするからね」と話すと、ましろさんが「寝坊するかもよ。起きたら、あら11時だった、なんてね(笑)」と言う。こういうたわいない話ができるのがベテランさんとの‘やすらぎ’。「朝からずっと起きてて疲れたらロビーで休んでね!!」と言ってくれたり、ステージ中に居眠りしてしまうと「ついにウトウトしてましたね(笑) 今日だけは許してあげますね!!」、なんて言ってくれる。こうしたやり取りがどれほど和めることか・・・

しかも、ましろさんには母親みたいなところがある。子供というのは今日の出来事を全部、母親に語りたいもの。私は包み隠さず、最近お気に入りの新人さんの話をする。ましろさんはまるで母親のようににこにこしながら話を聞いてくれる。(実際は手紙ですが。)お忙しいのに、他のお姐さんの話を楽しく聞いて反応してくれる。新人さんの話だって「今週はフレッシュ後輩ちゃんたちから学ぶことがたくさんある毎日です~!! いつまでもハモンセラーノもフレッシュな気持ちでいたいよ!」と言う。前にも話したが、ましろさんは小仏顔の人相をしている。ましろさんこそ、和顔愛語ができる方なんだと思う。和顔愛語とは私が理想とする仏教用語。穏やかな笑顔と思いやりのある話し方で相手に接すること。

 

 

「明日の楽日も来るね」と話したら、ましろさんが「明日はポラサインがないけどいいの?」と言う。私がポラサイン好きなのを十分知っている。私が「分かっているよ」と答えると「さすが太郎さん、心が広いのね」と言う。ましろちゃんに会えればポラサインなんてなくてもいいよ~と私は心無いことを言っちゃう。(笑) 返事がなくてもこうしてレポートを書いてますからねー。私の愛ですよん♪

今週の渋谷は、新人さんだけでなく、ましろちゃんあっての道劇だよなぁ~♪としっかり書かせてもらったからね。

 

H27年5月                               渋谷道劇にて

 

 

 

 

今回は、H30年3月中の大阪晃生ショー劇場における、北川れんさんの公演模様を、演目「No Rain, No Rainbow」(仮)を題材に語りたい。

 

 

 

 

北川れんさんの新作を観ていて、すごく惹き付けられた。全体的に明るい感じなのだが、何か意味深なものを感じ取った。それが何なのか気になって、顔見知りのれんさんファンの方に尋ねてみた。この作品は、先週3月頭の渋谷道劇で初披露された7周年作であること、演目名であるかどうか分からないがハワイの有名な諺「No Rain, No Rainbow !」を演じていることが判った。

私は興味を持って、すぐにネットで調べた。「ハワイ語で虹はānuenue (アーヌエヌエ)と言います。ハワイはご存知の方も多いかと思いますが、Rainbow State(虹の州)と言われるくらいに虹がシンボルとなっています。自動車のナンバープレートや免許証までにも虹のデザインが施されています。虹はスピリチュアルな意味もあり、古代ハワイアンの人々の伝説で虹はこの世と天国をつなぐもの、神様の道と信じられていました。虹が2本かかっているダブルレインボーや、円になっているサークルレインボーなど珍しい虹もあり、それを見た人はお願い事をすると叶うとか、幸福になれると言われています。

ハワイアンが好きな諺にNO RAIN, NO RAINBOWがあります。これは、雨が降らないと虹は出ない。つまり辛いことの後には幸せが待っているという意味です。

虹が出るためには、雨だけでなく光や角度など色々な条件が必要になります。これらが調和して初めて美しい虹が空にかかるのです。私たちの日常でも色々なことが起きますが、例えそれが一つでも欠けたらこの幸せはなかったということがあるでしょう。

日本にも雨降って地固まるという諺がありますが、雨のように思えることが私たちの人生に豊かな実りを与えて、幸せを運んできてくれるのかもしれないですね!」(Abhasa Spa)

 

このネットの話を読んでから、もう一度、れんさんの演目を観たらすごく味わい深くなった。さすがの作品である。

私なりに、内容を説明してみる。

最初に、黄色いレインコートに全身を包み込んで登場。茶色のレインシューズを履いて、インスト曲に合わせて踊る。

舞台の上には、二つの箱に、白と灰色の英字新聞が貼られている。

次に、カラフルな衣装にカラフルな傘をさして登場。髪はかわいいリボンで結んだツインテール。白い首輪が華やか。よく見ると、銀色の首輪の上に白い布が貼られ、そこから宝石が二つ並んでキラリと垂れる。上着は左側が白、右側が水色。スカートは青・水色・黄色・赤・紫などと縦に並んだ虹色カラーで、それぞれに白い雲の模様が縫い付けられている。茶色のレインシューズを履いて、虹色の傘をもって、二曲目のインスト曲に合わせて、軽やかにダンス。

音楽がスタンダードな洋楽に変わり、着替える。

スカートを脱いだら、先ほどの水色の上着とつながっている、水色のスカートが現れる。水色の穴の開いたクロス生地。その上に、左側と腹部に白い生地を重ねている。

灰色の新聞を貼った箱から、鮮やかなレインボー色の、長い虹の幕(スクリーン)を出して、舞台の上に張る。

衣装の白い布の部分を取って、そのままベッドへ。右手首に青いパンティを巻く。

近くで見たら、白いマニキュアに傘と虹の細かい絵柄が入っている。

ベッド曲は、丸本莉子の「ココロ予報」。歌い出しの歌詞がしんみり心に響く。♪「期待し過ぎた 拍子抜けの映画みたい 人混みに埋れて かすんでゆく時間(とき) 帰りたいなんて かっこ悪くて言えない 散らかった部屋で 夜明けを待っていた もうここから 逃げ出してしまおうか それでも 歩き出すんだろう わたしが選んだ道 上を向けば 雨が降ればやがて太陽が この街を照らしてゆくように 幾つもの日々を越えてきた 大丈夫 大丈夫 大丈夫」この最後の‘大丈夫’というフレーズが心に響く。まさしくNo Rain, No Rainbow !の心を唄っている。

立上りはインスト曲になり、最後に、青い紙飛行機を客席に投げて終わる。

まるで「落ち込むようなことがあっても大丈夫だよ。これからいいことがあるさ」と叫んでいるようだ。

明るい気分にさせられる爽やかな作品である。

 

 

平成30年3月                         大阪晃生ショーにて