私はTSミュージックの劇場構造がなんとなく好き。

一方、池袋ミカド劇場にお気に入りの踊り子さん目当てで何度か足を運び、ここもなんとなく好きになった。

それぞれの劇場に一長一短があるのだが、この二つの劇場に共通している点がある。それは盆がないということ。

盆というのはストリップ劇場の象徴みたいなところがあるから、それがないのに何でなんとなく好きになったのか?

あるとき、はたと気づいた。「動かない」からだ。両劇場とも狭くて踊り子さんとの距離が非常に近い。そのためベッドやオープンが非常に近くで見れて極めて嬉しい。大好きな踊り子さんのヌードが間近で、しかも、しばらくじーっと眺められるのである。こんな幸せなひとときはない。

盆の場合はゆっくりと回り続ける。もっと見ていたいのに~と思いながらも、そのシーンは流れていく。回転寿司ではないが、自分のお気に入りのシーンを手にとって自分のものにしたい願望に駆られてしまう。それが一種のストレスになっている。だからこそ、TSやミカドの場合、動かないからこそ、好きな踊り子さんをひととき独占できたという快感を覚える。だから好きなんだと思い至った。

 

動と静・・・

この世の中は、動と静のバランスの上に立っているような気がする。

人間の生活は、日中は動き続け、夜間は静かに休養することで持続する。

いつも動ばかり見ていると急に静が欲しくなったりもする。動にときめきを感じるときもあれば、静にやすらぎを感じるときもある。人は、その場、その時の、心の有り様によって、動と静を上手に使い分けているのかもしれない。

 

ふと、「転がる石に苔は生えない」って言葉を思い出した。これは有名な外国の諺Like a Rolling Stoneなので知っている人も多い。ミュージシャンのローリング・ストーンズがこれから命名したのはあまりにも有名な話。

ところで、この諺には二つの意味の取り方がある。

1.すぐ諦めていては、何も身につかない。転がる石の様になってはいけない。
2.固定観念や古い慣習にとらわれず、転がる石の様に常に新しい気持ちで物事をはかりなさい。
 一般には後者2の意味にとられるが、たしかに片方は「転がる石の様になるな」と言い、もう片方は「転がる石の様になれ」と言うのは矛盾しているようで面白い。
 これは苔というものの捉え方の差から来ている。前者1は苔を長い年月の賜物とみて尊重しているの対して、後者2は汚いものの象徴と捉えている。どちらも正しく、どちらの意に取っても構わない。先ほどの「動と静」の話ではないが上手に使い分ければいい。

なお、私的には、前者1の方が風流な感じを受けるものの、こと、この諺に関して云えば、後者2として使いたい。

 

身体は動き続けていれば健康だし、仕事はやり続けていることで生活は安定する。時には立ち止まりたいと思うこともあろうが、生きるうえで常に何かをやり続けていることが非常に大事なことだと思う。

立ち止まると、余計なことを考えてマイナス思考に偏ることがままある。気持ちだけでも前向きに回り続けていることが重要。そうすれば、実際動き出したときにそれが充電パワーとなりえる。

 

ストリップ劇場は、10日毎にメンバーを入れ替えて新しい興行をやり続けることで回っている。たくさんの踊り子さんが全国を回り、それをまた多くのファンが追いかけて全国を巡る。その経済効果も大きい。というか、経済そのものが回り続けることによって正常を保っている。

回る盆のごとく、ストリップが永遠に続いてほしいと切に願う。